玉座の間。
アインズは玉座に腰掛け、セバスから上がってきた報告書に目を通していた。
少し離れたところでは、ツァレがセバスの仕事を手伝っている。
「こちらの書類は、確認が終わりました」
「ありがとうございます、ツァレさん」
そんな二人の姿を見ているうちに、アインズはふと、別の少女のことを思い出した。
――ニニャ。
かつて漆黒の剣の一員だった少女。
そして、ツァレの妹。
「……ふう」
思わず、深いため息が漏れる。
「アインズ様?」
すぐにアルベドが気づいた。
「あ、ああ……」
アインズは少し間を置いて答える。
「そうだな。ニニャの妹を思い出しただけだ」
「ニニャの妹……?」
アルベドが首を傾げる。
「ああ。確か漆黒の剣とかいう、人間たちの一員でしたね」
「そうだ」
アインズは玉座の肘掛けに手を置いた。
「ニニャを見るたびに思うのだ。妹を再び助けることができなかった自分が……情けないとな」
アルベドの表情が変わった。
「……アインズ様」
その声には、明らかな感動が混じっている。
「なんと……お優しい」
「そ、そうか?」
「はい」
アルベドは胸に手を当てた。
「ご自身の力が及ばなかったことまで悔やまれるとは……」
「いや、まあ……」
アインズは内心で少し困惑する。
(そこまで大げさな話ではないんだが……)
しかし、ふと気になったことがあった。
「そういえば……」
「はい」
「そのニニャの遺骸は、今どうなっている?」
「……」
アルベドが少し考える。
アインズは記憶を辿りながら答えた。
「遺体所に置かれていると聞いている。時期が来れば、共同墓地へ移されるだろう」
「…………」
アルベドが黙り込む。
そして次の瞬間――。
「アインズ様!」
「な、なんだ?」
「その遺体、ナザリックへ運びましょう!」
「……え?」
アインズの思考が止まった。
「そして――」
アルベドは力強く言った。
「蘇生させるのです!」
「…………」
アインズは玉座の上で固まった。
「蘇生……」
「はい!」
アルベドの目は真剣だった。
「アインズ様がそれほどまでに気に掛けておられるのです。ならば、ナザリックの力を使って救うべきです」
「しかし……」
アインズは考える。
「蘇生魔法にも限界はある。それに、遺体の状態によっては――」
「だからこそ!」
アルベドが一歩進み出る。
「デミウルゴスやシズにも協力させればよいのです。蘇生そのものが困難なら、別の方法を研究することもできます」
「別の方法……か」
アインズは再びニニャのことを思い出した。
自分の前で、怯えながらも必死に生きようとしていた少女。
そして、その命を奪ったクレマンティーヌ。
「……そうだな」
アインズはゆっくりと立ち上がった。
「一度、試してみる価値はある」
「はい!」
「デミウルゴスを呼べ。それと、シズにも」
「承知いたしました!」
アルベドは深々と頭を下げる。
「必ずや、ニニャをお救いいたしましょう」
その少し後ろで、ツァレが二人の会話を聞いていた。
「……ニニャ?」
その名前に、なぜか胸の奥がざわめいた。
だが――。
自分でも、その理由は分からなかった
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある夜――。
エ・ランテルの遺体室。
夜勤の係員が、いつものように安置されている遺体を確認していた。
「……よし」
記録と照らし合わせながら、一体ずつ確認していく。
だが、その中の一つ。
かつて冒険者として活動していた少女――ニニャの遺体が、安置場所から消えていた。
「……あれ?」
係員が首を傾げる。
しかし、すぐに別の職員が声をかけた。
「どうした?」
「いえ……この遺体が一体、ありません」
「どの遺体だ?」
「ニニャという少女のものです」
「ああ……」
職員は記録を確認した。
「その遺体なら、近日中に共同墓地へ移す予定だっただろう」
「はい」
「なら、移送の手違いかもしれんな。担当者に確認しておけ」
「分かりました」
それだけだった。
特に騒ぎになることもない。
ニニャには、すでに身寄りもなく、引き取り手もいないと思われていた。
彼女がかつて仲間たちと冒険者として活動していたことを知る者も、今では少なくなっている。
そのため――。
一人の少女の遺骸が消えた。
ただ、それだけの出来事として処理された。
誰も知らない。
その遺骸がすでにエ・ランテルを離れ――。
ナザリックへ向かっていることを。
そして。
その少女が、再びこの世界で目を覚ますことになるなどということを
ナザリック地下――研究区画。
薄暗い実験室の中央。
そこには、一人の少女が横たわっていた。
かつてエ・ランテルで遺体として安置されていたニニャである。
その身体を見つめながら、デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。
「……予想以上ですね」
「損傷データ、表示」
シズが端末を操作する。
「内臓……使用不能部分、多数」
「ええ。通常の蘇生魔法だけでは、生命活動を安定させるのは難しいでしょう」
デミウルゴスは淡々と説明する。
「そこで、我々が用意した人工臓器を使用します」
手術台の横には、保存容器が並べられていた。
「ベースとなるのはグールの臓器です」
「生命維持能力、高い」
シズが短く答える。
「魔力との親和性も高い。人間の臓器として完全に同じものではありませんが、今回の目的には適しています」
デミウルゴスはニニャの胸部へ視線を移す。
「心臓、肺、肝臓……損傷の大きい臓器を順次置換します」
機械が動き出す。
淡い魔力の光が実験室を照らした。
そして次に――。
「問題は脳です」
デミウルゴスの表情がわずかに険しくなる。
「損傷が激しい。特に右脳部分は、そのままでは機能を維持できません」
シズがニニャの頭部を調べる。
「機械化する」
「その通りです」
特殊な機械部品が用意される。
「右脳の損傷部分を機械式の補助機構へ置換。残された脳組織との接続には魔導回路を使用します」
「記憶は?」
「……保証できません」
デミウルゴスは静かに答えた。
「むしろ、過去の記憶が失われる可能性が高いでしょう」
シズはしばらくニニャを見る。
「……かわいそう」
「ええ」
デミウルゴスも頷く。
だが、実験を止めることはない。
「しかし、アインズ様の御命令です」
破損している筋肉を魔道筋肉へ変換
最後に、ニニャの皮膚へ人工皮膚が装着されていく。
魔道によって作られた人工皮膚。
見た目は人間の皮膚とほとんど変わらない。
「外見上の違和感は最小限にできます」
「目」
シズが指摘する。
「眼球も損傷しています」
「では、機械眼を」
小型の魔導機械が眼窩へ組み込まれる。
それは単なる義眼ではない。
視覚情報を処理し、魔力によって脳へ伝達する人工眼球だった。
「接続完了」
「では――」
デミウルゴスが魔力を流す。
「生命活動を再開させます」
一瞬。
ニニャの身体が大きく震えた。
「…………」
モニターの数値が動き始める。
「心拍、確認」
「人工肺、作動」
「脳波……微弱ながら確認」
シズが画面を見る。
「右脳、機械補助系統……正常」
デミウルゴスが満足そうに笑う。
「成功です」
そして――。
ニニャの機械化された瞳が、ゆっくりと開いた。
「…………」
焦点が定まらない。
少女は周囲を見回した。
「……ここ……は……?」
デミウルゴスが静かに尋ねる。
「あなたの名前は?」
しばらく沈黙。
少女は自分の胸へ手を当てる。
「……ニニャ」
それだけは覚えていた。
「私は……ニニャ……」
それ以外の記憶は――。
何もなかった。
デミウルゴスとシズは顔を見合わせる。
そしてデミウルゴスは、アインズへ報告するための記録を手に取った。
ニニャ――蘇生成功。
ただし。
彼女はもう、かつてのニニャではない。
人間の肉体。
グール由来の人工臓器。
魔導人工皮膚。
機械化された右脳。
そして、機械の眼。
新たな身体を得た少女は、ナザリックの研究室で静かに目を開けていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ナザリックの研究室。
蘇生を終えたニニャに対する、最初の性能テストが始まった。
「まずは食事ですね」
デミウルゴスが並べたのは、何種類かの食材だった。
「野菜、果物、牛肉、馬肉。そして魔物の肉です」
シズが記録装置を操作する。
「食べられるか、確認する」
「ええ。消化器官をグール由来のものに置換していますから、通常の人間と同じ結果になるとは限りません」
ニニャは最初に野菜を口にした。
「…………」
数回噛んでから、首を傾げる。
「……食べられない」
「味覚の問題ですか?」
「違う。身体が受け付けない感じがする」
デミウルゴスが記録する。
「植物性食物は不可、と」
次に牛肉。
「これは?」
ニニャが一口食べる。
「…………紙みたい」
「紙?」
「味がしない。噛めるけど、美味しくない」
馬肉も同じだった。
「こちらも同じですね」
シズが淡々と記録する。
「牛、馬。食用にはできるが嗜好性は低い」
次に魔物の肉。
「これは……」
ニニャは少し嫌そうな顔をした。
「まずい」
「食べられますか?」
「……食べられる」
ニニャはしばらく咀嚼する。
「でも、好きじゃない」
「なるほど」
デミウルゴスはさらに記録を続ける。
「では最後に――」
別の容器が用意される。
「これは?」
ニニャが近づく。
匂いを嗅いだ瞬間だった。
「…………」
彼女の表情が変わった。
先ほどまでの無表情とは違う。
瞳がわずかに見開かれる。
「……これ」
「どうしました?」
「食べたい」
デミウルゴスが容器の中身を確認する。
「人間由来の――」
「……人間」
ニニャが呟いた。
自分でも、その言葉を口にしたことに戸惑っている。
「どうして……?」
胸に手を当てる。
「分からない。でも……」
ニニャの機械化された瞳が、容器を捉える。
「これだけは……食べたいと思う」
シズが記録を止めた。
「…………」
デミウルゴスはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「グール由来の器官による食性変化でしょう」
「つまり?」
「彼女の身体は、人間の肉を最も効率よく受け入れるようになっている可能性があります」
ニニャは自分の手を見つめる。
「……私は、人間なの?」
デミウルゴスは答えなかった。
ニニャ自身も、まだ知らない。
かつて自分が人間として生きていたことを。
そして今の自分が、人間とは異なる身体になっていることを。
ただ一つ分かったこと。
野菜は食べられない。
牛や馬の肉は、紙のように感じる。
魔物の肉はまずいが食べられる。
そして――。
彼女の身体が最も強く求めるものは、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ニニャは、目の前に置かれた人間由来の食料を無言で口に運んでいた。
先ほどまでとは明らかに様子が違う。
「……おいしい」
ぽつりと呟く。
口元からは、本人も気づかないほど大量の唾液が流れていた。
「…………」
シズはじっと観察している。
デミウルゴスも興味深そうに眼鏡を押し上げた。
「なるほど……」
「反応、明らかに違う」
「ええ。通常の食事に対する反応とは比較になりません」
ニニャは夢中になって食べていたが、ふと二人の視線に気づく。
「……何?」
「いえ」
デミウルゴスは微笑んだ。
「非常に興味深いデータが得られています」
「……そう」
ニニャは少し恥ずかしそうに口元を拭った。
「自分でも……こんなに食べたくなるとは思わなかった」
「身体が変化した結果でしょう」
「身体が……」
ニニャは自分の手を見る。
機械化された右脳。
魔導人工皮膚。
機械の眼。
そして、グール由来の人工臓器。
「私は……もう普通の人間じゃないんだね」
シズが短く答える。
「でも、生きてる」
ニニャはその言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「……そうね」
デミウルゴスは次の検査器具を準備する。
「では、次の試験に移りましょう」
「次は?」
「飲み物です」
テーブルの上に、いくつかの容器が並べられた。
水。
果汁。
乳。
そして――魔導によって調合された特殊な液体。
「それぞれ少量ずつ試してもらいます」
「分かった」
ニニャは容器を一つ手に取った。
「では……始めます」
シズが記録を開始する。
新生ニニャの性能テストは、まだ始まったばかりだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ニニャの前に、いくつもの飲み物が並べられていた。
「では、順番に試してみましょう」
デミウルゴスが促す。
最初は水。
ニニャは一口飲む。
「……普通に飲める」
もう一口。
「問題ない」
シズが記録する。
「水、正常」
「では次です」
果汁を渡される。
ニニャは少しだけ口に含んだ。
「…………」
顔をしかめる。
「……だめ」
「飲めませんか?」
「身体が受け付けない」
続いて乳。
「これも……嫌」
すぐに容器を置いた。
「なるほど」
デミウルゴスが記録を続ける。
「果汁、乳ともに拒否反応あり」
次に、魔導技術によって調合された特殊な液体。
「これはどうでしょう」
ニニャが一口飲む。
「…………っ」
途端に顔をしかめ、容器を置いた。
「これも無理」
「興味深いですね」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げる。
「水以外の一般的な飲料をほぼ受け付けない……」
シズが次の飲み物を用意する。
「最後」
「これは?」
ニニャが黒い液体の入ったカップを見る。
「コーヒー」
「……コーヒー?」
ニニャは少し首を傾げながら、一口飲んだ。
「…………」
しばらく沈黙。
「もう一口」
さらに飲む。
「……これ」
ニニャの表情がわずかに和らいだ。
「好き」
シズが記録する。
「コーヒー、問題なし」
「それどころか嗜好性が高いようですね」
デミウルゴスが興味深そうにニニャを見る。
「食事では特殊な食性を示し、飲料では水とコーヒーを好む……」
「……変なの?」
ニニャが尋ねる。
「いえ」
デミウルゴスは微笑んだ。
「非常に興味深い、ということです」
ニニャはコーヒーをもう一口飲む。
「……そう」
そして、少しだけ嬉しそうにカップを眺めた。
「これなら……毎日飲んでもいいかも」
シズが小さく頷く。
「コーヒー、常備する」
「お願いします」
こうして、ニニャの食生活に――
「コーヒーが好き」
という新たな特徴が加わった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
研究室に、コーヒーの香りが漂っていた。
「……これは?」
シズが新しく用意したカップをニニャの前に置く。
黒いコーヒー。
ただし、普通のコーヒーではない。
ごく少量の人間の血液が混ぜられている。
「飲んでみる」
ニニャはカップを手に取り、一口飲んだ。
「…………」
次の瞬間、表情が変わった。
「……これ、好き」
もう一口。
今度は明らかに嬉しそうだった。
「普通のコーヒーより……こっちのほうがいい」
シズが記録する。
「嗜好性、高い」
少し離れた場所から観察していたデミウルゴスは、興味深そうに眼鏡を押し上げた。
「なるほど……」
「どうしたの?」
ニニャが尋ねる。
「いえ」
デミウルゴスは研究記録へ目を落とす。
「通常の食物に対する反応。グール由来の人工臓器。そして、この飲料への反応……」
一つ一つのデータを確認していく。
「人間そのものでもない」
「……」
「かといって、通常の魔物とも異なる」
デミウルゴスはニニャを見る。
「人工臓器、機械化された脳、魔導人工皮膚。そしてグール由来の生体組織」
「……」
「それらが一つの身体の中で共存している」
デミウルゴスの口元に、研究者としての笑みが浮かんだ。
「ふむ……」
そして、静かに呟く。
「通常の人間でも、魔物でもない」
ニニャはカップを傾けながら首を傾げる。
「じゃあ……私は何なの?」
「それを調べるのが、我々の仕事ですよ」
デミウルゴスはそう答えた。
「非常に興味深い存在です」
ニニャは返事をせず、もう一度コーヒーを飲む。
「……これ、おかわり」
シズがすぐにカップを差し出した。
「了解」
研究室には、再びコーヒーの香りが漂い始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ナザリック――闘技場。
広大な訓練場の中央に、ニニャが立っていた。
少し離れた場所にはデミウルゴスとシズ。
「……なにをするの?」
ニニャが不思議そうに尋ねる。
「貴方の戦闘能力を測ります」
デミウルゴスが淡々と答える。
シズもこくりとうなずいた。
「戦闘テスト」
「戦闘……?」
ニニャは自分の手を眺める。
自分がどれほど戦えるのか、本人にはまだ分からない。
そのとき、シズが連れてきた魔物が闘技場へ放たれた。
「コカトリス」
巨大な鳥のような魔物が、鋭い鳴き声を上げる。
「これ、倒して」
「……私が?」
シズがこくり。
ニニャはコカトリスを見る。
「どうすればいいの?」
戦い方そのものを知らない。
だが――。
ニニャの機械眼がコカトリスを捉えた。
視覚情報が即座に解析される。
対象確認。
距離。速度。筋力。攻撃予測。
大量の情報が機械化された右脳へ送られる。
ニニャ本人が考えるより早く、機械脳が判断を下した。
最適攻撃手段――決定。
「……え?」
ニニャが自分の腰を見る。
ガシャン――。
腰部装甲の一部が開いた。
そこから数本の機械触手が伸びる。
「な、なにこれ?」
ニニャ自身が驚いている間にも、触手は正確に標的へ向かう。
コカトリスが飛びかかる。
次の瞬間――。
ズンッ!
機械触手が一気に伸び、コカトリスの動きを封じた。
「……」
ニニャは呆然と立っている。
数秒後。
コカトリスは完全に動かなくなった。
シズが記録を確認する。
「一撃」
「……」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げる。
「本人に戦闘経験がほとんどないにもかかわらず、身体に組み込まれた機械知能が敵の情報を解析し、最適な攻撃を自動選択した……」
ニニャは腰から戻っていく触手を見つめる。
「……私、今なにをしたの?」
シズが一言。
「倒した」
「それは分かるけど……」
デミウルゴスは興味深そうにニニャを見る。
「どうやら貴方は、戦い方を『覚える』必要すらないようですね」
「え?」
「見る。そして判断する。そして身体が最適な行動を選択する」
デミウルゴスは研究記録へ新たな項目を書き加えた。
戦闘能力――極めて高い自動戦闘適性。
「次のテストへ進みましょう」
「まだやるの?」
シズがこくりとうなずく。
「次」
ニニャは少し困った顔をしながら、再び闘技場の中央へ向き直った
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
闘技場の空気が変わった。
「……?」
ニニャが振り返る。
そこに、一人の男が立っていた。
宮本武蔵。
機械化されたニニャの右眼が、瞬時に男を捉える。
視界に無数の情報が走った。
対象――宮本武蔵。
戦闘能力――解析開始。
「……宮本武蔵」
ニニャが名前を呟く。
デミウルゴスが眉を上げる。
「ほう。名前まで判別しましたか」
シズも無言で観察する。
次の瞬間、ニニャの身体が変化した。
カチッ、カチッ――。
全身の装甲が展開する。
腕、脚、胴体、肩。
魔導人工皮膚の下に隠されていた機械構造が表面へ現れ、彼女の姿が瞬く間に変わっていく。
人間の少女だった面影は薄れ――。
そこに立っていたのは、全身を機械装甲で覆った戦闘形態のニニャだった。
「最適戦闘形態へ移行」
ニニャの声まで機械的になる。
武蔵は面白そうに彼女を見る。
「ほお……」
ニニャが一歩踏み込む。
その瞬間――。
抜き打ち。
キィンッ!
機械化された腕から伸びた刃が、目にも留まらぬ速度で振り抜かれる。
武蔵はわずかに身体をずらした。
「なるほど」
デミウルゴスはその一連の動きを見ながら、静かに呟く。
「我々が製造した武蔵のクローンはレベル70」
シズがニニャの戦闘データを確認する。
「……」
「しかし彼女は、あの姿を取った途端に戦闘能力が明らかに上昇している」
デミウルゴスの目が細くなる。
「つまり――」
機械形態のニニャが、再び武蔵へ向かって構える。
「彼女の通常形態と、この戦闘形態では、戦闘能力そのものが違うということですか」
シズが画面を確認する。
「推定値、上昇」
「なるほど……」
デミウルゴスは興味深そうに笑った。
「少なくとも、あの姿ではレベル70以上の戦闘能力を発揮する可能性がある」
武蔵は刃を見ながら笑う。
「おもしろい娘じゃ」
ニニャの機械眼が光る。
「……対象、危険度上昇」
そして二人の距離が、一瞬で縮まった
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
闘技場に、鋭い音が響いた。
ズバッ!
次の瞬間、クローン武蔵の身体が斬撃を受け、ゆっくりと崩れ落ちる。
「……」
ニニャは無表情のまま立っていた。
機械眼の光が消える。
そして――。
カチッ、カチッ。
全身を覆っていた機械装甲が収納されていく。
露出していた機械部分は次々と内部へ戻り、魔導人工皮膚が表面を覆う。
数秒後には、そこに立っていたのは先ほどまでの少女の姿だった。
「これでいいの?」
ニニャがデミウルゴスを見る。
デミウルゴスはしばらく答えなかった。
倒されたクローン武蔵。
そして、何事もなかったかのように立っているニニャ。
「……実に興味深い」
デミウルゴスはゆっくりとニニャへ近づく。
「ニニャ」
「はい」
「あなたは――何者です?」
ニニャは少し考えるように沈黙した。
しかし、すぐに答えた。
「私はニニャ」
機械化された右脳が、淡々と命令を処理している。
「私の使命は――」
ニニャの機械眼が、静かに光る。
「ナザリックの脅威を除去すること」
「…………」
シズが黙ってニニャを見る。
デミウルゴスも、その答えを聞いて目を細めた。
「そうですか」
彼は研究記録に新たな項目を書き加える。
個体名――ニニャ。
戦闘形態――機械化戦闘形態。
任務――ナザリックに対する脅威の排除。
そして最後に――。
人格――現在調査中。
デミウルゴスはペンを置く。
「では、次の試験へ進みましょう」
「了解」
ニニャは静かに頷いた。
自分がなぜ蘇ったのか。
かつて何者だったのか。
それを知らないまま――。
彼女は、ナザリックのために戦う存在として歩き始めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
デミウルゴスは、セバスと並んで仕事をしているツアレの姿を、少し離れた場所から眺めていた。
「セバス様、こちらは終わりました」
「ありがとうございます、ツアレ」
二人が穏やかに言葉を交わす。
ツアレは嬉しそうだった。
その様子を、物陰からニニャが見ている。
「……」
「ニニャ」
デミウルゴスが声をかける。
「彼女をどう思いますか?」
「……?」
ニニャがツアレを見る。
その瞬間――。
チカッ。
機械眼が明滅した。
「彼女の名はツアレ。セバス様の部下です」
「それ以上の情報は?」
「…………」
ニニャが黙る。
機械眼が何度か明滅する。
「情報は……」
そこで言葉が止まった。
「…………ありません」
デミウルゴスは黙ってニニャを見る。
「なるほど」
「デミウルゴス様?」
「記憶メモリには存在しない」
ニニャは自分の胸元に手を当てる。
「……なのに、どうして?」
「記憶として残っていなくても――」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げる。
「心の奥には残っているのかもしれません」
「心……」
ニニャはもう一度ツアレを見る。
ツアレがセバスに微笑んでいる。
その姿を見ていると、不思議な感覚が胸の奥に生まれる。
懐かしい。
けれど、なぜ懐かしいのか分からない。
「デミウルゴス様。これは……どういうことです?」
「私にもまだ分かりません」
デミウルゴスは興味深そうにニニャを観察する。
「しかし――」
「はい」
「非常に興味深い事象ですね」
ニニャは何も答えなかった。
ただ、ツアレの姿をじっと見つめ続けていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
謁見の間。
玉座に座るアインズの前で、デミウルゴスが恭しく頭を下げていた。
「アインズ様。ニニャをお披露目いたします」
「ニニャを?」
「はい。我が技術をもって、蘇生に成功したニニャでございます」
デミウルゴスが横へ退く。
そこに、一人の女性が歩み出た。
黒いトレンチコート。
黒いサングラス。
かつてのニニャを知る者なら、一瞬では同一人物とは気づかない姿だった。
ニニャはアインズの前で立ち止まる。
そして、ゆっくりとサングラスを外した。
「……」
露わになった瞳。
そこにあるのは、人間の眼ではない。
精密な機械で構成された人工眼だった。
アインズの動きが止まる。
「……ニニャ」
その名を、確かめるように呼ぶ。
「はい」
返事はあまりにも平坦だった。
アインズは玉座から彼女を見つめる。
「久しぶりだ」
ニニャは一瞬だけ沈黙する。
そして深々と頭を下げた。
「……アインズ様に忠誠を誓います」
「!?」
アインズの中で、何かが弾けた。
違う。
違う、これは――。
(おれが望んでいたのは……)
脳裏に浮かぶ。
カルネ村で見た、ニニャの笑顔。
仲間たちと話していた姿。
人間らしい表情。
困ったように笑う顔。
(いつも笑っていた……あのニニャだ)
目の前にいるのは、命令に忠実に従うだけの存在。
(これじゃあ……人形じゃないか)
胸の奥から怒りが湧き上がる。
だが――。
感情抑制。
怒りは急速に薄れていく。
アインズはしばらく黙っていた。
そして、低い声で尋ねる。
「デミウルゴス……これは?」
デミウルゴスは深く頭を下げた。
「……申し訳ございません」
珍しく、その声には緊張が混じっている。
「彼女の肉体は損壊があまりにも激しく、通常の蘇生魔法では復活させることが不可能と判断いたしました」
アインズはニニャを見る。
「そこで……?」
「はい」
デミウルゴスが説明を続ける。
「失われた器官を人工臓器で補い、シズの協力を得て機械化を施しました」
「…………」
「しかし、その過程で――」
デミウルゴスが言葉を選ぶ。
「生前の記憶、人格についても大きな損傷が生じました」
アインズの拳が、玉座の肘掛けの上でわずかに握られる。
「……そうか」
その一言だけだった。
ニニャは相変わらず無表情で立っている。
「アインズ様」
「なんだ」
「私は、何か不手際を?」
「いや……」
アインズは目を伏せる。
「お前は悪くない」
その言葉だけは、はっきりと告げた。
「ニニャ……よく戻ってきた」
ニニャは意味を理解できないように、わずかに首を傾げる。
「ありがとうございます」
再び頭を下げる。
アインズはその姿を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
(……これでよかったのか?)
答えは、まだ出なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ナザリックの外門。
朝の薄い霧が、広大な平原へゆっくりと流れていた。
一台の魔導バイクが、門前に停まっている。
漆黒の車体。
魔導術式が刻まれた車輪。
エンジンの代わりに埋め込まれた魔力炉が、低い唸り声を響かせていた。
その横に立つのは、黒いトレンチコートをまとったニニャ。
黒いサングラスをかけ、静かにバイクを見つめている。
「……これが、私の乗り物」
シズから教えられた操作方法を思い出す。
魔力を流す。
スロットルを回す。
それだけで、この乗り物は大地を駆ける。
ニニャは跨がった。
「任務――ナザリックに対する脅威の排除」
機械化された右脳が、与えられた使命を確認する。
だが、その直後。
「…………」
ニニャの機械眼が、一度明滅した。
「私は……ニニャ」
自分の名前。
それだけは分かる。
けれど――。
「私は誰?」
答えは返ってこない。
かつての記憶。
かつての仲間。
かつての人生。
それらは、彼女の中から失われていた。
それでもニニャはバイクのハンドルを握る。
「……行く」
魔力炉が唸る。
ブゥン――。
魔導バイクがゆっくりと動き始める。
門の前には、アインズが立っていた。
その隣にはデミウルゴスとシズ。
誰も何も言わない。
ただ、一人の少女がナザリックを去っていく姿を見送っている。
ニニャは振り返らない。
まだ、行き先は決まっていない。
どこへ向かうのか。
自分が何者なのか。
何も分からない。
ただ――与えられた使命だけを胸に。
魔導バイクは街道を走り、次第に小さくなっていく。
「私はニニャ……」
風の中で、ニニャが呟く。
「私は……誰……」
その声もやがて聞こえなくなった。
アインズは、遠ざかる黒い影を見つめ続ける。
そして誰にも聞こえないほど小さな声で――。
「……笑ってほしい」
そう呟いた。
ニニャの当てのない旅が、今始まった。
何をするのか。
まだわからない