帝都アーウィンタール。
謁見の間では、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと、帝国に滞在中のラナーが向かい合っていた。
ジルクニフはラナーの姿を見ると、少し目を丸くする。
「ラナー殿。」
「以前より、ふくよかになられましたな。」
妊娠してからというもの、ラナーは食欲も増え、頬には健康的な赤みが差していた。
肌には艶があり、以前にも増して穏やかな雰囲気をまとっている。
ラナーはお腹にそっと手を添え、優雅に微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下。」
「おかげさまで、母子ともに健康でございます。」
「……う、うむ。」
ジルクニフは軽く咳払いをして話題を変える。
「本日、そなたを呼んだ理由は分かっておろう。」
ラナーはにこりと笑う。
「リ・エスティーゼ王国と魔導国の件でございますね。」
「そうだ。」
皇帝の表情が苦くなる。
ラナーは扇子を口元へ当てながら続けた。
「本来であれば。」
「エ・ランテル割譲を理由として王国へ宣戦布告し、その戦争を利用して帝国が魔導国とより強い関係を築く。」
「そのようなお考えだったのでしょう?」
ジルクニフは肩を落とした。
「……まあ、その通りだ。」
「本来なら帝国が先に魔導国と友好を結び。」
「王国へ外交的圧力をかけるつもりだった。」
苦笑しながら付け加える。
「どこぞの人物に邪魔されてしまったがな。」
ラナーはくすくすと笑う。
「まあ、ご苦労なことですね。」
(……お前だ。)
心の中だけで全力で突っ込むジルクニフだった。
深呼吸を一つして本題へ戻る。
「王国に先を越された以上。」
「帝国も手をこまねいているわけにはいかぬ。」
「どうすればよいと思う。」
しかしラナーは、なぜか別の話を始めた。
「それはそうと。」
「実は最近、新しく家臣を雇い入れまして。」
「……ああ。」
「例の七人か。」
「はい。」
ラナーは優雅にうなずく。
「国境がエ・ランテルとカルネ村になれば。」
「その周辺は王室領。」
「当然、魔導国へ引き渡される可能性が高くなります。」
「家臣たちの生活もございますので……。」
ジルクニフは苦笑した。
「分かった。」
「七人とも帝国で面倒を見よう。」
「住居も領地も用意する。」
ラナーは満面の笑みになる。
「まあ。」
「なんと太っ腹なのでしょう。」
「さすが皇帝陛下。」
「……まだあるのか。」
皇帝は嫌な予感しかしなかった。
ラナーは申し訳なさそうな顔を作る。
「今日、帝城へ参る際。」
「クライムが門で止められてしまいました。」
「どうやら一介の騎士では、自由に入城できないようで。」
「……ああ。」
皇帝は額を押さえる。
「分かった。」
「クライムには帝国名誉爵位を授けよう。」
「これで正式な身分となり、そなたと共に城へ出入りできる。」
ラナーは嬉しそうに頭を下げた。
「さすが皇帝陛下。」
「話が早くて助かります。」
「……それで。」
ジルクニフは椅子にもたれ直した。
「今度こそ、本題だ。」
ラナーは優雅に微笑む。
「もちろん、承知しております。」
「帝国が魔導国と王国の間で後れを取らないためには――」
扇子を閉じる。
「こうなさればよろしいかと。」
そう言ってラナーは、自らの考えを静かに語り始めた。
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ラナーは静かに扇子を閉じた。
「私の考えは一つです。」
「同盟を結ぶこと。」
ジルクニフは眉をひそめる。
「同盟?」
「はい。」
「ただし、普通の同盟ではありません。」
ラナーは皇帝を真っ直ぐ見つめた。
「魔導国を兄。」
「帝国を弟とした同盟です。」
謁見の間が静まり返る。
ジルクニフは苦々しい表情を浮かべた。
「……つまり。」
「属国になれ、と。」
ラナーは小さく首を横に振る。
「完全な属国ではございません。」
「外交や内政は帝国が行う。」
「ですが、対外的には魔導国の庇護を受ける立場になります。」
「兄弟国という名目でございます。」
皇帝は腕を組み、しばらく考え込む。
「結局は頭を下げることになる。」
「そうですね。」
ラナーはあっさり認めた。
「歳費も毎年納めることになるでしょう。」
「ある意味では保護料でございます。」
「……。」
ジルクニフは苦笑した。
「プライドは傷つくな。」
「ですが。」
ラナーは静かに続ける。
「帝国は滅びません。」
「民も守れます。」
「国も残ります。」
「今の魔導国を敵に回す利益は、一つもございません。」
皇帝は長い沈黙の末、深く息を吐いた。
「……仕方ない、か。」
「ええ。」
「仕方ございません。」
ラナーは穏やかに微笑んだ。
「勝てぬ相手とは争わず。」
「勝てる形で生き残る。」
「それもまた、為政者の務めでございます。」
ジルクニフは苦笑しながら椅子にもたれた。
「まったく。」
「そなたと話していると、こちらが子供に思えてくる。」
ラナーは上品に笑うだけだった。
やがて皇帝は決意したように立ち上がる。
「分かった。」
「帝国は魔導国との同盟を目指す。」
「兄弟国という形で交渉を進めよう。」
ラナーは静かに一礼した。
「賢明なご判断かと存じます。」
「そこでだ。」
皇帝はラナーを指差した。
「使者はそなたに任せる。」
「魔導国へ赴き、この件を伝えてくれ。」
「……私が?」
珍しくラナーが目をぱちぱちと瞬かせる。
予想外だったらしい。
ジルクニフは意地悪そうに笑った。
「言い出しっぺだからな。」
「最後まで責任を持ってもらおう。」
ラナーは一瞬だけ考え込む。
やがて、くすりと笑った。
「承知いたしました。」
「それでは、今度は帝国のために一働きいたしましょう。」
その笑みを見たジルクニフは心の中でつぶやく。
(……やはり、この女は味方でいてくれる方が何倍も恐ろしいな。)
そして帝国は、魔導国との新たな外交へ向けて動き始めるのだった