「ひさしぶりね。外に出るの。」
馬車の窓から景色を眺めながら、ラナーは穏やかに微笑んだ。
手綱を握るクライム。
「は、はい……姫様。」
ラナーは少し頬を膨らませる。
「もう。」
「だめよ。」
「今の私はあなたの奥さん。」
「ラナーって呼び捨てでいいの。」
クライムの耳まで真っ赤になる。
「は……はい。」
「ラ、ラナー。」
「ふふっ。」
「それでいいの。」
幸せそうに笑うラナーは、そのままクライムの横顔を見つめ続けた。
(やっぱりクライムは世界一かわいい。)
護衛として同行するのは、元フォーサイトの四人――ヘッケラン、イミーナ、ロバー ディック、アルシェ。
彼らは以前ナザリックへ侵入した経験があるため、道案内も兼ねていた。
しばらく進むと、イミーナが遠くを指差す。
「あっ!」
「あれが……そうじゃない?」
全員が前方を見る。
巨大な城壁。
以前見た地下墳墓とはまるで違う。
堅牢な外門が築かれ、旗には魔導国の紋章が掲げられている。
ヘッケランが思わず息をのむ。
「……すごいな。」
「俺たちが知っているナザリックより、ずっと豪華だ。」
アルシェも目を見開く。
「まるで一つの王城ですね……。」
やがて馬車は正門前で止まった。
門の左右には、巨大なデスナイトが槍を構えて立っている。
その異様な威圧感に、クライムは無意識に剣へ手を添えた。
デスナイトが低く唸る。
「何用。」
ラナーは一歩前へ出ると、優雅に一礼した。
「わたくしは、バハルス帝国皇帝陛下の使者。」
「ラナーと申します。」
「事前に使者来訪の連絡は届いているはずですが。」
デスナイトはしばらく無言のままラナーを見つめる。
やがて頭部をわずかに動かした。
「確認済み。」
「入城を許可する。」
重厚な音を立てて城門が開いていく。
ギギギギ……
その先に広がるのは、美しく整えられた街路と、威厳ある魔導国の王城。
ヘッケランは思わず苦笑した。
「今度は歓迎される側か。」
イミーナも肩をすくめる。
「前に来た時とは大違いね。」
ラナーは静かに城を見上げる。
「さて。」
「どんな交渉になりますことやら。」
しかしその表情には、不安ではなく期待の色が浮かんでいた
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玄関ホールでは、漆黒のドレスをまとったアルベドが待っていた。
「お久しぶりですわね、ラナー殿。」
「ええ。」
ラナーも優雅に一礼する。
「アルベド様もお変わりなく。」
元フォーサイトの面々は入口付近で待機を命じられた。
ナザリックの中枢へ進めるのは、使者であるラナーと、その随員として認められたクライムだけである。
歩きながらアルベドが尋ねた。
「ご結婚されたそうで。」
ラナーは嬉しそうに微笑んだ。
「正式にはまだですわ。」
「ですが子供が生まれましたら、その時に正式な式を挙げたいと思っておりますの。」
「なるほど。」
アルベドは表面上は穏やかに頷く。
だが内心は別だった。
(うらやましい。)
(私もモモンガ様とのお子を……。)
(そしてナザリック中に祝福される盛大な結婚式を……。)
(ああ、モモンガ様……。)
妄想の世界へ飛びかけるが、何とか表情には出さずに済んだ。
やがて巨大な扉の前へ到着する。
「ここが謁見の間です。」
ギギギギ……
重厚な扉が開かれる。
その先には玉座。
玉座にはアインズ・ウール・ゴウン。
左右には守護者たち。
さらにプレアデスも整列していた。
ラナーはゆっくりと進み、適切な距離で跪く。
クライムもそれに倣った。
「ご機嫌麗しく。」
「アインズ陛下のご壮健、まことに幸いに存じます。」
完璧な宮廷作法による挨拶。
ナザリックの面々も、その完成度には感心していた。
アインズは威厳を保ちながら口を開く。
「うむ。」
「帝国の使者と聞く。」
「どのような要件で参られたかな。」
ラナーは顔を上げる。
その瞳には恐れも緊張もない。
「その件でございますが。」
「このたび、リ・エスティーゼ王国と魔導国が正式に友好を結ばれたこと。」
「我が帝国にとっても、まことに喜ばしいことでございます。」
アインズは黙って続きを促す。
ラナーは静かに言葉を続けた。
「そこで。」
「これを機として――」
「バハルス帝国と魔導国の間にも正式な同盟を締結したく存じます。」
玉座の間が静まり返る。
守護者たちの視線がラナーへ集まった。
デミウルゴスは興味深そうに目を細める。
アルベドも続きを待っている。
アインズは顎に手を当てた。
「同盟か。」
「帝国にとって、その利益は何だ。」
ラナーは即座に答えた。
「生存でございます。」
予想外の返答に、一部の守護者がわずかに反応した。
しかしラナーは淡々と続ける。
「帝国は現実を見ております。」
「魔導国に敵対することが愚かであると。」
「そして友好こそが繁栄への道であると。」
「ならば無理に対抗するのではなく、共に歩むべきです。」
デミウルゴスが微笑む。
「正直ですな。」
「ええ。」
ラナーも笑顔を崩さない。
「嘘をついても、皆様には見抜かれてしまいますもの。」
アインズは内心で驚いていた。
(すごいな、この人。)
(帝国のために来たはずなのに、一番合理的な答えを最初から出している。)
(しかも変に取り繕わない。)
だが表面上は重々しく頷く。
「ふむ。」
「続けよ。」
ラナーは一礼した。
「では具体的な提案を申し上げます。」
「魔導国を兄。」
「帝国を弟とする同盟でございます。」
その言葉に、玉座の間の空気がわずかに変化した。
誰もが、その提案の意味を理解したのである。
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ラナーは一枚の書状を広げる。
「具体的な内容をご説明いたします。」
謁見の間は静まり返る。
「魔導国を兄。」
「我がバハルス帝国を弟と位置付けます。」
「その証として、帝国は毎年。」
「銀4トン。」
「絹184万ⅿ。」
「これを歳貢として四半期ごとに献上いたします。」
アルベドがわずかに目を見開く。
レエブン侯との交渉とはまるで違う。
最初から従属に近い条件を提示してきたのだ。
ラナーは続ける。
「国境は現状維持。」
「互いに不可侵。」
「相互の不戦を誓います。」
「以上が皇帝陛下より預かりました同盟案でございます。」
静寂。
デミウルゴスは眼鏡を押し上げる。
(見事だ。)
(王国との友好締結を見た瞬間に、この結論へ至ったか。)
(帝国は武力で勝てぬ。)
(ならば最初から弟となり利益を確保する。)
(なんという政治感覚。)
その思いは自然と武蔵へ向いた。
(……やはり惜しい。)
(この女は本来、我々が取り込むべき人材だった。)
(武蔵め。)
(先に奪われてしまった。)
アインズは内心焦っていた。
(銀4トン!?)
(そんなにもらっていいの!?)
(国家予算とか全然わからないぞ。)
(デミウルゴス……後で説明して。)
しかし玉座の上ではゆっくり頷くだけである。
「ふむ。」
「続けよ。」
ラナーはにこりと微笑む。
「ありがとうございます。」
「そして、あと一つ。」
「兄弟になりますので。」
「お兄ちゃんには。」
「弟のおねだりを聞いていただきたいのですわ。」
「……?」
さすがのアインズも一瞬固まる。
「お兄ちゃん……だと?」
守護者たちも一斉にラナーを見る。
アルベドは眉をひそめる。
シャルティアは首を傾げる。
ユリも静かに様子を見守る。
ラナーは悪びれる様子もなく続けた。
「兄とは、弟を守る存在。」
「弟とは、兄を敬う存在。」
「ですから。」
「弟が困った時。」
「兄には少しだけ力を貸していただきたいのです。」
デミウルゴスは口元を隠した。
(なるほど。)
("援助義務"を兄弟という言葉で包み込んだか。)
(実に見事な外交術。)
アインズもようやく理解する。
(なるほど。)
(つまり軍事同盟や相互援助条項のことか。)
(危うく本当に"お兄ちゃん"と呼ばれる話かと思った……。)
威厳を崩さぬよう咳払いを一つ。
「ふむ。」
「弟の願いとは。」
「具体的には何かな。」
ラナーは深く一礼した。
「それは――。」
「ビーストマンや亜人諸国など、人類を脅かす外敵への協力でございます。」
「帝国は魔導国に剣を向けません。」
「その代わり、兄として、外敵から弟をお守りいただきたい。」
「それがおねだりでございます。」
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ラナーとの会談が終わると、アルベドが静かに扉を閉めた。
「それでは皇帝陛下には、正式な調印のためナザリックへご来訪いただくよう段取りを整えます。」
ラナーは優雅に一礼する。
「本日は貴重なお時間をありがとうございました。」
クライムも深く頭を下げる。
二人はそのまま退席した。
謁見の間に静けさが戻る。
アインズは威厳を崩さぬまま口を開いた。
「……さて。」
「デミウルゴス。」
「は。」
「銀4トン、絹184万ⅿ。」
「我が魔導国にとって、どれほどの利益になる?」
デミウルゴスは一礼すると眼鏡を押し上げた。
「結論から申し上げます。」
「極めて大きな利益になります。」
「まず銀4トンですが、貨幣鋳造の原料としても工芸品としても利用価値が高く、通常の国家なら数年分の備蓄に相当します。」
「さらに交易用の決済資産としても機能いたします。」
「なるほど。」
アインズは頷く。
(正直、4トンと言われても全然ピンと来なかった。)
デミウルゴスは続ける。
「そして絹184万m。」
「これは貴族衣装、高級装飾品、旗、軍装、外交贈答品など、多方面に利用できます。」
「魔導国では現在、生産体制が十分ではありませんので、自前で用意するには相当な年月が必要です。」
「つまり帝国が、その時間を買ってくれたということになります。」
アルベドも補足する。
「しかも重要なのは物資だけではありません。」
「帝国が自ら魔導国を『兄』と認めたことです。」
「これによって他国は帝国を通じて魔導国の力を改めて認識するでしょう。」
デミウルゴスは満足そうに笑った。
「王国とは友好。」
「帝国とは兄弟同盟。」
「両国とも敵対ではなく従属に近い関係となれば、周辺諸国は武力より外交を選ばざるを得ません。」
「戦わずして勢力圏が広がる。」
「まさに理想的でございます。」
アインズは腕を組む。
「ふむ……。」
(そこまで考えていたのか。)
(いや、ラナー本人がどこまで考えていたかは分からないけど、デミウルゴスは全部そこまで読み取ってるんだな。)
アルベドが静かに付け加えた。
「もう一つございます。」
「今回、帝国は『弟』という立場を自ら望みました。」
「つまり魔導国が助力を与える代わりに、帝国は恩義を受ける側となります。」
「これにより、将来的に帝国へ行政制度や法制度を導入することも容易になります。」
デミウルゴスは微笑んだ。
「攻撃せずとも、いずれ帝国は魔導国なしでは立ち行かなくなるでしょう。」
「実に見事な提案でした。」
少し間を置いてから、彼は独り言のようにつぶやく。
「やはり……。」
「ラナー殿ほどの才女をこちらへ迎えられなかったことだけは惜しまれます。」
アインズも静かに頷いた。
「確かにな。」
「敵より、味方でいてくれる方がありがたい人物だ。」
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ナザリックを後にした帝国の馬車。
御者が手綱を握り、街道を静かに進んでいく。
車内ではラナーが窓にもたれ、小さくため息をついた。
「ああ……。」
「早く帰りたいですわ。」
「クライムと一緒にお風呂に入って……。」
「そのあとは……うふふ。」
幸せそうな笑みを浮かべる。
その甘い空気は、もはや隠しようがなかった。
馬車の中どころか外まで漂っているような雰囲気である。
御者台に座るヘッケランが肩を震わせた。
「……また始まった。」
隣のイミーナも苦笑する。
「今日は特にすごいね。」
ロバーディクは空を見上げる。
「愛というものは、ここまで人を変えるのでしょうか。」
アーチェも困ったように笑う。
「見ているこっちが恥ずかしくなるくらい幸せそうです。」
クライムは耳まで真っ赤だった。
「ラ、ラナー……。」
「そんなことを皆の前で言わないでください。」
馬車の中から声が返ってくる。
「あら。」
「私は思ったことを口にしただけですわ。」
「早くあなたとゆっくり過ごしたいんですもの。」
クライムは返す言葉もなく、ただ前を向く。
ヘッケランがぼそりと呟いた。
「ラナー様。」
「クライムさんだけじゃなく、俺たちにも全部聞こえてます。」
一瞬だけ静かになる。
そして馬車の中から、くすくすという笑い声。
「まあ。」
「聞こえてしまいました?」
「失礼いたしました。」
ヘッケランたちはほっと胸をなで下ろした。
――と思った次の瞬間。
「でも、幸せは隠すものではありませんもの。」
「皆さんにも少しくらい、おすそ分けですわ。」
「「「いや、おすそ分けはいりません!」」」
元フォーサイト四人の声が見事に重なった
クライムは顔を真っ赤にしたまま、小さく苦笑する。
そんな賑やかな馬車は、夕日に照らされながら帝都へ向かって進んでいった。
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ラナーたちの帰還を聞き、ジルクニフはすぐに謁見の間へ呼び出した。
椅子に腰掛ける暇も惜しい。
「どうだった。」
「魔導国との交渉は。」
ラナーは優雅に一礼すると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「おめでとうございます。」
「無事、交渉は成功いたしました。」
ジルクニフは胸をなで下ろす。
「そうか!」
「では……。」
「残るは皇帝陛下自ら魔導国へ赴き、正式な条約へ調印するのみでございます。」
「ふむ。」
「原案を見せてくれぬか。」
「はい。」
「どうぞ。」
ラナーは一枚の書類を差し出した。
ジルクニフは目を通し始める。
「ふむ……。」
「兄弟国……。」
「相互不可侵……。」
「歳貢……。」
読み進めたその瞬間。
「……え?」
手が止まった。
もう一度見直す。
「銀……4トン。」
「絹……180万m。」
「…………。」
皇帝の手が震え始める。
「ラナー殿。」
「これは。」
ラナーは首を傾げた。
「ああ。」
「これですか。」
「現状を考えますと、この程度の条件は提示しなければ、魔導国は満足されないと思いましたので。」
「私の一存で提案いたしました。」
「何か問題でも?」
「問題どころではない!」
思わず叫びそうになるジルクニフ。
しかし周囲の視線を感じ、必死に声を抑える。
「さ、さすがにこれは……。」
ラナーは穏やかな笑みを崩さない。
「つまり。」
「帝国にはお出しできない、と。」
「い、いや!」
「そういうことではない!」
「こういう重要なことは前もって相談を……。」
ラナーは小さく瞬きをする。
「ですが。」
「急ぐよう仰ったのは皇帝陛下ではありません?」
「『全権を委任する』とも。」
「私はそのように理解いたしました。」
その笑顔は柔らかい。
だが逃げ道は一切残していなかった。
ジルクニフは言葉を失う。
「…………。」
ラナーは静かに続ける。
「もし条件がおありでしたら。」
「事前にお伝えくださらなければ。」
「私は全件委任されたものと思って交渉いたしました。」
そして少し考えるような仕草を見せる。
「仕方ありませんわね。」
「魔導国へ赴き、『あの条件は帝国には履行できません』と申し上げて参ります。」
「だ、駄目だ!」
ジルクニフは思わず立ち上がる。
「それだけは!」
「言わなくていい!」
「……何とかする。」
ラナーはにっこりと微笑んだ。
「それこそ皇帝陛下でございます。」
優雅に一礼し、そのまま退席していく。
扉が閉まる。
静まり返った謁見の間。
ジルクニフは椅子へ崩れ落ちた。
「毎年……。」
「銀4トン……。」
「絹180万m……。」
頭を抱える。
「大蔵卿を呼べ……。」
「いや、大蔵省の役人も全部だ。」
「予算を組み直せ。」
「何としてでも捻り出すぞ……。」
天井を見上げながら、小さくつぶやく。
「ラナー殿。」
「やはり、お主は恐ろしい。」
遠く離れた場所で、ラナーは上機嫌に馬車へ乗り込んでいた。
「さて。」
「これで早く帰れますわ。」
「クライム、お風呂にしましょう。」
銀4t 絹180万m
ありえない条件に見えますが1004年 宋王朝と遼との間で結ばれた
澶淵の盟で実際結ばれた条件です