リ・エスティーゼ王国、王城。
国王執務室。
「父上は間違っておられる!」
重い扉を乱暴に開け、第一王子バルブロが怒声を響かせた。
部屋にいた国王ランポッサ三世とザナックが顔を上げる。
「兄上……。」
久しぶりの帰城であった。
しかし、その第一声がこれである。
バルブロは机を叩く。
「このたびの魔導国との友好和約!」
「あのような異形種の国と手を結ぶなど、おぞましい!」
「それに領土の割譲ですと!」
「あそこは我が王家の直轄領!」
「私の領地も含まれておりますぞ!」
ランポッサは静かに答える。
「だからこそ苦渋の決断だった。」
「国を守るためには必要だったのだ。」
「必要?」
バルブロは鼻で笑う。
「弱腰と言うのです!」
ザナックはため息をついた。
「兄上。」
「反対されるなら、なぜ貴族会議へおいでにならなかったのです。」
「反対意見を述べる機会はありました。」
「その時に言うべきだったでしょう。」
「うるさい!」
バルブロは弟を睨みつける。
「お前には分からん!」
「兄上。」
「では聞きます。」
「どこでこの話を知ったのです?」
ザナックの問いに、一瞬だけ言葉が詰まる。
「そ、それは……。」
「貴族の者からだ。」
「なるほど。」
ザナックは冷静だった。
「つまり。」
「国の将来を決める会議には来ず。」
「決定した後で文句だけを言いに来た、と。」
「貴様!」
「ザナック!」
バルブロの顔が真っ赤になる。
「だいたい今度の案!」
「ラナーの腹案と聞いた!」
「恥ずかしくないのか!」
「王国の政策を、女一人に左右されるとは!」
「なぜ戦わぬ!」
「なぜ剣を取らぬ!」
部屋が静まり返る。
ランポッサは静かに立ち上がった。
「バルブロ。」
「お前は本当に戦えば勝てると思っているのか。」
「当然です!」
「王国にはガゼフがおります!」
「貴族軍もおります!」
「皆で立ち向かえば……。」
「兄上。」
ザナックが言葉を遮った。
「帝国をご存じでしょう。」
「魔導国は、その帝都へ地震を起こしました。」
「しかも皇帝は、それを見て戦うことを諦め、友好を望んだのです。」
「帝国より我が国の方が強い、と?」
バルブロは答えられない。
ランポッサはゆっくり続けた。
「さらに。」
「武蔵殿が魔導国へ赴き。」
「交渉すべきだと判断された。」
「ラナーも同じ結論だった。」
「レエブン侯も。」
「ガゼフも。」
「そしてザナックも。」
「……皆、国を思っての決断だ。」
バルブロは拳を握る。
「私は認めません!」
「異形種と手を結ぶなど!」
「断じて!」
ザナックは静かに兄を見つめた。
「兄上。」
「あなたは王国のために怒っておられる。」
「その気持ちは理解できます。」
「ですが。」
「怒りだけで国は守れません。」
「現実を見なければ。」
バルブロはしばらく黙っていた。
やがて踵を返す。
「……好きにするがいい。」
「私は認めぬ。」
「絶対にな。」
乱暴に扉を開け、そのまま部屋を去っていった。
静かになった執務室。
ランポッサは深いため息をつく。
「……あの子も。」
「国を思ってはいるのだ。」
ザナックは窓の外を見つめながら答えた。
「ええ。」
「ですが、その思いだけでは、今の時代は乗り越えられません。」
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ポウロロープ侯爵邸。
重厚な応接室。
「このままでいいのか、侯!」
バルブロは机を叩き、唾を飛ばしながら詰め寄った。
「父上もザナックも!」
「着々とエ・ランテルとカルネ村を、あの魔導国の連中と共同で治める準備を進めている!」
「我々が手をこまねいていては手遅れになるぞ!」
ポウロロープ侯は紅茶を一口飲み、ゆっくりとカップを置いた。
「まあまあ。」
「あせられますな。」
「これがあせらずにいられようか!」
バルブロは拳を握る。
「このままではザナックが次期国王となる!」
「それだけは絶対に認められん!」
侯爵は静かに頷いた。
「お気持ちはよく分かります。」
「しかし、今は時期が悪い。」
「王国は魔導国との友好締結で浮き足立っております。」
「ここで事を起こせば、貴族派が王国の敵と見なされかねません。」
「ならば何もしないのか!」
「いいえ。」
侯爵は静かに笑った。
「何もしない者は政治家ではありません。」
バルブロの表情が変わる。
「では……。」
「策があるのか。」
「ございますとも。」
侯爵は王国の地図を机へ広げた。
指先がエ・ランテルをなぞる。
「共同統治。」
「実に美しい言葉です。」
「ですが。」
「二つの国が一つの土地を治めれば、必ず摩擦が生じます。」
「税。」
「裁判。」
「治安。」
「商業。」
「兵の権限。」
「どちらが最終決定権を持つか。」
「小さな問題はいくらでも起きましょう。」
バルブロは身を乗り出した。
「つまり?」
「その混乱を利用するのです。」
侯爵は穏やかな笑みを浮かべる。
「民が不満を抱けば。」
「共同統治は失敗だった。」
「そういう空気になります。」
「その時こそ。」
「ザナック殿下の責任を問える。」
バルブロの口元に笑みが浮かぶ。
「なるほど。」
「失敗を待つわけか。」
「ええ。」
「それまでは耐えることです。」
侯爵はさらに声を落とした。
「それに。」
「王国には、まだ魔導国との友好を快く思わぬ者も少なくありません。」
「彼らを刺激せず、静かに味方へ引き入れる。」
「時間は我々の味方にもなります。」
バルブロは満足そうに頷いた。
「さすが侯。」
「やはり頼りになる。」
侯爵は微笑みながらも、心の中では別のことを考えていた。
(……王子は動かしやすい。)
(だが、相手はラナー姫、レエブン卿、そして魔導国。)
(少しでも読み違えれば、こちらが滅ぶ。)
(慎重に駒を進めねばならぬ。)
窓の外では夕日が王都を赤く染め始めていた。
王国の政争は、まだ終わる気配を見せてはいなかった