ポウロロープ侯爵邸。
応接室に沈黙が流れる。
バルブロは地図の上に拳を置いた。
「だがな。」
「このまま見ているだけでよいのだろうか。」
侯爵は静かに視線を向ける。
「殿下。」
「我々の威を示すべきではないか。」
「殿下は、どうなさりたいと。」
ポウロロープが落ち着いた口調で問い返す。
バルブロはカルネ村を指差した。
「このカルネ村。」
「ここを我々が占拠する。」
侯爵の眉がわずかに動く。
「ほう。」
「そうすれば。」
「魔導国との友好など終わりだ。」
「奴らは怒って攻めてくる。」
「ならば我々は正義の戦いとして迎え撃つ!」
「そしてエ・ランテルも奪い返す!」
「父上もザナックも、戦わざるを得なくなる!」
まるで英雄譚を語るような勢いだった。
ポウロロープは表情を変えない。
(……甘い。)
(カルネ村には武蔵がいる。)
(魔道国の連中も赴任する。)
(下手をすれば軍勢など一瞬で壊滅する。)
侯爵が返答しようとした、その時だった。
コンコン。
扉が静かに叩かれる。
執事が一礼する。
「侯爵様。」
「お客様がお見えです。」
「名は。」
「名乗られてはおりません。」
「ただ……。」
「王国の将来についてお話がある、と。」
侯爵が頷く。
「通しなさい。」
扉がゆっくり開く。
黒い外套をまとった二人の男が入室した。
どちらも旅人のような格好だが、立ち居振る舞いには隙がない。
男たちは深々と一礼した。
「突然のご無礼、お許しください。」
「我々は怪しい者ではございません。」
一人が穏やかに微笑む。
「法国より参りました使者でございます。」
「法国?」
バルブロが身を乗り出す。
ポウロロープは目を細めた。
「……スレイン法国。」
「左様。」
「我々もまた、魔導国の急速な勢力拡大を憂いております。」
男は静かに続ける。
「王国にも、まだ志ある貴族がおられると聞き及びました。」
「そのため、こうして参上した次第。」
バルブロは思わず口元を緩める。
「ほう。」
「つまり我らに協力する、と。」
使者は笑みを崩さない。
「利害が一致するならば。」
「互いに手を取り合うこともありましょう。」
ポウロロープは一言も発しない。
(……危険だ。)
(外国勢力が国内へ介入する。)
(これは一歩間違えば反逆である。)
しかし表情には出さず、穏やかに問いかける。
「それで。」
「法国は我々に何を望まれる。」
使者は意味深に微笑んだ。
「まずは、お話し合いから。」
「お互いに利益となる未来について、ゆっくりと。」
応接室の空気は、一気に張り詰めた。
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ポウロロープ侯爵は静かに紅茶のカップを置いた。
「法国の方々。」
「これは王国内部の問題です。」
「余計な手出しは控えていただきたい。」
使者は穏やかに頭を下げる。
「もちろん。」
「その点は十分承知しております。」
「ですが――」
男の目が細くなる。
「カルネ村は我が国境にも近い。」
「その村が魔導国の強い影響下に置かれることは、我々としても看過できませぬ。」
バルブロは腕を組んだ。
「それで。」
「我らに何を望む。」
使者は一歩だけ前へ出る。
「簡単なことです。」
「バルブロ殿下に立っていただきたい。」
「そして、カルネ村を討っていただく。」
部屋の空気が重くなる。
ポウロロープは無言で聞いている。
「カルネ村は今こそ小村。」
「しかし放置すれば。」
「やがて王国にとっても獅子身中の虫となりましょう。」
「……ほう。」
侯爵が静かに促す。
「カルネ村は王国から見捨てられながら、自らの力だけで繁栄しました。」
「しかも今や。」
「魔導国と共同統治。」
「その成功を見た他の辺境領や村、町が。」
『我々もカルネ村のように自治を。』
『王都に頼らず生きたい。』
「そう言い始めたら、どうなりますかな。」
バルブロの目が見開かれる。
「地方領主は王命より村人の要求に振り回され。」
「王家の求心力は失われる。」
「これは王国にとっても危険ではありませんか。」
侯爵は初めて口を開いた。
「……なるほど。」
「確かに一理ありますな。」
使者は微笑む。
「無理にとは申しません。」
「これはあくまで一つの考え。」
「ですが。」
「もし決断されるなら。」
「我々スレイン法国は、いつでも皆様に協力させていただきます。」
深々と一礼する。
「それでは。」
「本日はこれにて失礼。」
二人の使者は静かに部屋を後にした。
扉が閉まる。
しばらく沈黙が続いた。
やがてバルブロが口を開く。
「侯。」
「聞いたか。」
「法国も我々に味方する。」
「今こそ動く時ではないか。」
ポウロロープはすぐには答えなかった。
窓の外を眺めながら、ゆっくりと口を開く。
「殿下。」
「他国がここまで熱心に我が国を案じる。」
「そのような話を、素直に信じられますかな。」
「どういう意味だ。」
「彼らが欲しいのは。」
「王国の勝利ではない。」
「魔導国がこれ以上力を持たぬこと。」
「そのためなら。」
「王国が多少傷つこうと構わぬ。」
侯爵は静かに続ける。
「外国の助力とは。」
「時として毒酒にもなります。」
バルブロは黙り込む。
侯爵の胸中には別の懸念があった。
(……しかし。)
(もし殿下が独断で動けば。)
(法国は必ずそれを利用する。)
(そして王国は内からも外からも乱れる。)
(何としても、軽挙だけは止めねばならぬ。)
その一方で、何も知らぬカルネ村の人々が、いつもと変わらぬ一日を過ごしていた。