ポウロロープ侯爵邸。
応接室。
先ほど法国の使者が去ったばかりだった。
重苦しい沈黙を破ったのはバルブロだった。
「決めたぞ!」
勢いよく立ち上がる。
「カルネ村を攻める!」
ポウロロープは目を閉じ、小さく息を吐いた。
(やはりこうなるか。)
「殿下。」
「お待ちください。」
「待てぬ!」
「今しかない!」
「今なら魔導国も体制が整っておらぬ!」
「カルネ村を占領し、人質を取れば父上もザナックも動かざるを得ん!」
侯爵は静かに問い返した。
「その軍勢は、どなたが率いられるので?」
「もちろん私だ!」
「兵は?」
「貴族の兵を集めればよい!」
「何人ほどでしょう。」
「三千……いや五千は集まる!」
侯爵は首を横に振った。
「では、お聞きします。」
「その五千で誰と戦われます?」
「カルネ村のゴブリン程度だろう!」
「違います。」
侯爵はきっぱりと言い切った。
「まず武蔵。」
「……。」
「さらにガゼフ。」
「……。」
「加えてアインズの代理として派遣された魔導国のもの。」
「……。」
「そしてカルネ村のもの。」
「場合によっては魔導国本軍。」
「それらを相手に五千で勝てる、と?」
バルブロは言葉を失う。
侯爵は続けた。
「さらに。」
「カルネ村へ軍を進めるということは。」
「王命なく王家領へ侵攻することになります。」
「つまり。」
「反乱です。」
その一言に部屋が静まり返る。
「反……乱?」
「ええ。」
「国王陛下の許可もなく軍を動かせば。」
「王国法では反逆。」
「たとえ殿下であっても例外ではありません。」
バルブロは顔をしかめる。
「だが私は第一王子だぞ!」
「だからこそです。」
侯爵は静かに頭を下げた。
「殿下が兵を率いれば。」
「王国は二つに割れます。」
「国王派。」
「貴族派。」
「そこへ魔導国が介入すれば。」
「王国は滅びます。」
バルブロは拳を握ったまま黙っていた。
侯爵はさらに言葉を重ねる。
「そして法国。」
「彼らは協力すると申しました。」
「ですが。」
「一兵たりとも貸すとは言っておりません。」
「……。」
「殿下だけを前へ立たせ。」
「王国と魔導国が争えば。」
「最も利益を得るのは誰でしょう。」
バルブロの表情が曇る。
「……法国。」
「左様。」
「彼らは王国のためではなく、自国のために動いております。」
侯爵は椅子から立ち上がると、バルブロの正面へ歩み寄った。
「殿下。」
「勇気と無謀は違います。」
「武勇と政治も違います。」
「今カルネ村へ攻め込むことは。」
「王国を救うことではなく。」
「王国を滅ぼす第一歩となりましょう。」
長い沈黙。
やがてバルブロは悔しそうに歯を食いしばった。
「……ならば。」
「どうしろと言う。」
侯爵は静かに答える。
「待つことです。」
「カルネ村共同統治が失敗するなら、その時が好機。」
「成功するなら、その時はその時で王国も利益を得る。」
「どちらに転んでも、殿下が今動く必要はございません。」
バルブロはなお不満げだったが、ようやく椅子へ腰を下ろした。
「……わかった。」
「今回は侯の言葉に従おう。」
侯爵は胸をなで下ろした。
(危なかった。)
(あと一歩で王国は内乱へ転げ落ちるところだった。)
しかし侯爵には分かっていた。
一度燃え上がったバルブロの野心は、そう簡単に消えるものではないことを
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数日後。
夜。
バルブロ邸。
密かに一人の男がバルブロの寝室を訪れていた。
黒い外套。
スレイン法国の使者だった。
「殿下。」
「まだお悩みですかな。」
バルブロは苛立ったように答える。
「侯は待てと言う。」
「だが待っていてはザナックが王となる。」
使者は小さく笑った。
「侯爵のお考えは正しい。」
「ですが。」
「政治とは時に、勇気ある者だけが歴史を変えます。」
「……。」
「殿下が恐れているのは兵力でしょう。」
「資金ならば。」
「我々が用立ていたしましょう。」
バルブロは目を見開く。
「何。」
「傭兵を雇えばよいのです。」
「王国兵ではありません。」
「身元も問われぬ荒くれ者たち。」
「彼らならば命令一つで動きます。」
バルブロの胸が高鳴る。
「さらに。」
使者は地図を広げた。
「カルネ村を今攻める必要はありません。」
「共同執政が揃っている今は得策ではない。」
「では。」
「どうする。」
使者の指がトブの大森林をなぞる。
「ここです。」
「トブの大森林。」
「傭兵を森へ潜ませる。」
「共同執政の誰かが村を離れる。」
「その瞬間。」
「一気に村を制圧する。」
「なるほど……。」
「しかも。」
「魔導国は国境管理で兵を分散しております。」
「完全な好機は必ず訪れます。」
バルブロは拳を握る。
「そうだ。」
「私は第一王子。」
「この程度の決断ができずして何が王だ!」
使者は深々と頭を下げた。
「そのお言葉。」
「まことに王者の器。」
「我々も陰ながらお力添えいたします。」
そう言い残し、使者は夜の闇へ消えた。
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翌朝。
ポウロロープ侯爵は慌てて屋敷へ駆け込んできた家臣から報告を受ける。
「侯爵様!」
「大変です!」
「殿下が各地へ密使を!」
「傭兵を集めております!」
「何だと!」
侯爵は立ち上がった。
「さらに。」
「貴族にも檄文を送りました。」
『王家を正すため兵を挙げよ。』
「という内容です。」
侯爵は顔色を変える。
「馬鹿な……。」
「止めねば。」
すぐに馬を用意させ、バルブロの屋敷へ向かう。
しかし。
「申し訳ございません。」
「殿下は昨夜お発ちになられました。」
「どこへだ!」
「それが……。」
「各地の貴族領を回られております。」
侯爵は額を押さえた。
(最悪だ。)
(もう私一人では止められぬ。)
その頃。
バルブロは各地の貴族たちを訪ね歩いていた。
「ザナックに王位を奪われるぞ!」
「今こそ立ち上がれ!」
「王家を正すのだ!」
ポウロロープ派であっても穏健な貴族は参加を断った。
だが。
不満を抱く過激な一部の貴族たちは応じ始める。
「殿下のためなら。」
「兵を二百。」
「こちらは三百。」
少しずつ。
少しずつ。
貴族派の兵が集まり始める。
ポウロロープは最後まで説得を続けた。
「殿下!」
「今ならまだ引き返せます!」
「これは反乱です!」
「王国が滅びますぞ!」
しかしバルブロは振り返らない。
「侯。」
「歴史は勇気ある者が作る。」
「私は王になる。」
「そのためなら。」
「多少の血は仕方あるまい。」
ポウロロープは絶望的な思いでその背を見送った。
(違う……。)
(殿下。)
(あなたは自ら歴史を作ろうとしているのではない。)
(誰かに歴史を利用されているのです。)
しかし、その声はもうバルブロには届かなかった。
そして王国では一つの火種が静かに燃え広がっていく。
その狙いは――
王都。
そして、その先にある王国そのものだった。