カルネ村。
夕暮れ。
武蔵の小屋では、クレマンティーヌが茶をすすっていた。
「それでだ。」
武蔵が湯飲みを置く。
「このたび爵位をもらった。」
「男爵とかいうそうな。」
クレマンティーヌは目を丸くした。
「へえ。」
「すごいじゃん。」
「この国で平民から成り上がるのって、普通は大変なんだよ。」
武蔵は苦笑する。
「わしには、いまいちよく分からん。」
「話を聞くに、旗本のようなものと判断した。」
「それに領地ももらった。」
「元ポウロロープ領だそうな。」
「へぇ……。」
クレマンティーヌは感心したように口笛を吹く。
「じゃあ今度からは。」
「武蔵男爵様って呼べばいい?」
武蔵は首を横に振った。
「武蔵でよい。」
「敬称など肩がこる。」
「相変わらずだねぇ。」
クレマンティーヌは笑った。
「でも領主って大変なんじゃない?」
「税金だの裁判だの、面倒くさい仕事ばっかりでしょ。」
「その通りじゃ。」
武蔵はあっさりうなずく。
「だから困っておる。」
「わしは強い者を求めて旅をしたい。」
「一か所に腰を据えるのは性に合わん。」
「それでな。」
そこで武蔵はクレマンティーヌを真っ直ぐ見た。
「お主に頼みがある。」
「なに?」
「代官として領地を任せたい。」
一瞬。
部屋が静まり返る。
「…………え?」
クレマンティーヌは聞き返した。
武蔵はもう一度言う。
「代官じゃ。」
「領地を預かり、民を治めてもらいたい。」
「え!」
「ええええぇぇぇっ!?」
思わず立ち上がる。
「ちょっと待って!」
「私だよ!?」
「クレマンティーヌ!」
「元スレイン法国所属!」
「元暗殺者!」
「元殺人鬼!」
自分を指差しながら叫ぶ。
「そんな私に領地を任せるの!?」
武蔵は平然としている。
「うむ。」
「いやいやいや!」
「人選おかしいって!」
「普通はもっと真面目な人を選ぶでしょ!」
武蔵は腕を組んだ。
「真面目なだけでは民は救えぬ。」
「お主は子供らに読み書きを教えておる。」
「村でも面倒見がよい。」
「悪人も見抜ける。」
「何より。」
少し笑う。
「自分が悪であったことを知っておる。」
「そういう者は、人の痛みも知っておる。」
その言葉に、クレマンティーヌは黙り込んだ。
武蔵は続ける。
「もちろん。」
「嫌なら断ってよい。」
「無理強いはせん。」
しばらく沈黙が流れる。
クレマンティーヌは天井を見上げ、大きくため息をついた。
「……まいったなぁ。」
頭をかきながら苦笑する。
「先生やってるだけでも人生変わったって思ってたのに。」
「今度は代官?」
「そんな人生、誰が想像するよ。」
武蔵は静かに茶を飲んだ。
「人生とは面白いものじゃ。」
クレマンティーヌはしばらく考え込んだあと、小さく笑う。
「……分かった。」
「でも条件。」
「困ったらちゃんと戻ってきてよ。」
「全部押しつけて旅ばっかりなんて許さないから。」
武蔵は豪快に笑った。
「うむ。」
「約束しよう。」
こうして、かつて「漆黒のクレマンティーヌ」と恐れられた女は、思いもよらぬ形で一領の代官という新たな役目を担うこととなった
----------------------------------------------------------------------------ナザリック地下大墳墓。
玉座の間。
アインズ・ウール・ゴウンが玉座に座り、その左右には守護者たちが控えている。
中央へ進み出たデミウルゴスが一礼した。
「それでは、次期作戦についてご説明いたします。」
部屋が静まり返る。
「次なる舞台は――」
「ローブル聖王国。」
地図が広げられる。
デミウルゴスは指先で南西部を示した。
「現在、アベリオン丘陵には我々が管理する拠点が存在しております。」
「両脚羊牧場でございます。」
守護者たちは静かにうなずく。
「しかしながら、現状では実効支配とは言えません。」
「今後、確実に我が魔導国領とする必要があります。」
アルベドが問いかける。
「そのための手段は?」
デミウルゴスは不敵な笑みを浮かべた。
「私――ヤルダバオトがローブル聖王国へ侵攻いたします。」
「各地へ魔物軍を送り込み、国家存亡の危機を演出。」
「その後、魔導国が救援軍として参戦。」
「聖王国を救うのでございます。」
コキュートスが腕を組む。
「ナルホド。」
「恩ヲ売ル、ト。」
「その通りです。」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。
「聖王国は救援の代償として、アベリオン丘陵の割譲を受け入れざるを得なくなります。」
「これにより、軍事・外交の両面で正当性を持って領土を獲得できます。」
アルベドも納得したように頷く。
「武力だけでなく、名分も得るということですね。」
「はい。」
「さらに、人間諸国に対しては『魔導国は救国の英雄』という印象を植え付けることもできます。」
アインズは腕を組みながら頷いた。
(なるほど……。)
(デミウルゴスらしい作戦だ。)
(助ける側になれば、侵略者とは見られにくい。)
感情抑制が働きながらも、内心では感心していた。
「よい。」
アインズは重々しく口を開く。
「この作戦を承認する。」
「ただし。」
「民間人への被害は可能な限り抑えるよう努めよ。」
「恐怖だけが残るような統治では、長く続かぬ。」
デミウルゴスは深く頭を下げた。
「御意。」
「アインズ様のお考え、しかと反映いたします。」
守護者たちも一斉に頭を垂れる。
「御意。」
こうして、ナザリックの次なる舞台はローブル聖王国へと定められた。
魔導国の版図は、静かに、そして着実に広がろうとしていた
---------------------------------------------------------------------------ナザリック地下大墳墓。
第七階層。
デミウルゴスの執務室。
机の前には一体のシャドウデーモンが正座していた。
全身を小刻みに震わせながら、主人の言葉を待っている。
デミウルゴスは書類から目を離し、静かに口を開いた。
「いいですか。」
シャドウデーモンは背筋を伸ばす。
『ブルッ。』
「今回のローブル聖王国作戦。」
「これはナザリックにとって極めて重要な作戦です。」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。
「ですから。」
「武蔵殿の動向については、今まで以上に注意して監視しなさい。」
シャドウデーモンは何度も首を縦に振る。
コク。
コクコク。
「特に。」
「彼が聖王国方面へ向かう素振りを見せた場合。」
「あるいは、旅の途中で聖王国に近づくような情報を得た場合。」
「その時点で、最優先事項として私へ報告しなさい。」
シャドウデーモンは胸を叩く。
『ブルッ!』
「よろしい。」
デミウルゴスは深く息を吐いた。
「今度の作戦は、綿密に組み上げた計画です。」
「一つの歯車が狂うだけでも、予定が大きく変わる可能性があります。」
そこで少し間を置き、小さく苦笑した。
「そして。」
「武蔵殿は、その【一つの歯車】になり得る人物です。」
シャドウデーモンは困ったように首を傾げる。
デミウルゴスは机に肘をついた。
「悪意があるわけではありません。」
「むしろ善意で行動される。」
「それが一番困るのです。」
彼は以前を思い返す。
帝国。
カルネ村。
王国。
どれも計画通りに進むはずだった。
だが、そのたびに武蔵は思いもよらぬ方向から現れ、人を助け、場を収め、結果として計画を大きく修正することになった。
「……あの方が首を突っ込むと。」
デミウルゴスは額を押さえた。
「ろくなことになりませんからね。」
シャドウデーモンも、その言葉に心当たりがありすぎるのか、
ぶるぶるぶる……
と大きく震える。
『ブルブルブル……。』
「分かったようですね。」
デミウルゴスは満足そうに頷いた。
「では、行きなさい。」
「武蔵殿の監視を続けるのです。」
シャドウデーモンは深く一礼すると、
スゥ……
影の中へ溶け込むように姿を消した。
部屋に一人残ったデミウルゴスは、小さく呟く。
「願わくば……。」
「今回は何事もなく、旅の方向だけでも別でありますように。」
そう願いながらも、彼の胸には妙な予感が消えることはなかった。
---------------------------------------------------------------------------カルネ村。
村の門前には、多くの村人たちが集まっていた。
武蔵はいつものように荷を背負い、腰に二振りの刀を差して立っている。
見送りに来たのは、エンリ、ンフィーレア、ネム、クレマンティーヌ、そして村人やゴブリンたちだった。
「では、行く。」
いつもの短い言葉。
エンリが少し寂しそうに笑う。
「もう出発するんですね。」
「うむ。」
ネムが駆け寄る。
「武蔵さん、お土産!」
「期待していい?」
武蔵は豪快に笑った。
「面白い物があれば持って帰ろう。」
「やったー!」
ンフィーレアは苦笑する。
「お気を付けて。」
「薬ならいつでも用意していますから。」
武蔵は頷いた。
「助かる。」
その横でクレマンティーヌが腕を組む。
「それで?」
「今度はどこへ行くの?」
武蔵は空を見上げた。
風が頬を撫でる。
しばらく目を閉じて風を感じると、
「そうだのう。」
「風が南西から吹いておる。」
「ならば南西かな。」
あまりにも武蔵らしい答えだった。
クレマンティーヌは思わず額を押さえる。
「相変わらずの人だねぇ。」
「地図も予定もなし。」
「風まかせ。」
エンリも思わず笑う。
「武蔵さんらしいです。」
クレマンティーヌは少し真面目な顔になる。
「できるなら、早く戻って来てほしいな。」
「領地のこともあるし。」
「私一人じゃ不安なんだから。」
武蔵は静かに頷いた。
「うむ。」
「なるべく早く戻る。」
「連絡はどうすればいい?」
クレマンティーヌが尋ねる。
武蔵は当然のように答えた。
「ユリに頼めばええ。」
「ナザリックから、わしに伝わるじゃろ。」
「便利なのか不便なのか分かんない連絡網だね……。」
クレマンティーヌは苦笑するしかなかった。
武蔵は皆を見回した。
「では。」
その一言を残し、街道へ足を向ける。
「行ってらっしゃい!」
エンリの声をきっかけに、
「行ってらっしゃーい!」
「武蔵様ー!」
「また帰ってきてください!」
「お気を付けて!」
村中の声が重なる。
武蔵は振り返ることなく右手を軽く上げた。
それだけで十分だった。
カルネ村を後にした武蔵は、風の導くまま南西へ歩みを進める
その姿を、村人たちは見えなくなるまで見送っていた。
そして誰も知らなかった。
武蔵が向かうその南西こそ、デミウルゴスが次なる舞台として計画を進めるローブル聖王国の方角であることを。
---------------------------------------------------------------------------カルネ村から少し離れた森。
一本の大木の影から、黒い影がそっと顔を出した。
シャドウデーモンである。
武蔵が街道を南西へ歩いていく姿を見送りながら、
その全身がぶるぶると震え始めた。
(ま、まずい……。)
(武蔵……。)
(南西へ行く……。)
デミウルゴスの命令が頭をよぎる。
【武蔵殿が聖王国方面へ向かう場合は、最優先で報告しなさい。】
(連絡しないと。)
(すぐに。)
影の中へ飛び込もうとした、その時。
「……いや。」
シャドウデーモンは立ち止まった。
(途中で気が変わるかもしれない。)
(武蔵は風任せ。)
(南西と言っても、急に南へ曲がるかもしれない。)
(いや、東へ戻ることだって……。)
頭の中で様々な可能性が浮かぶ。
(確認してからでも遅くない。)
(うん。)
(そうしよう。)
(確実な情報を報告した方が、デミウルゴス様も喜ばれる。)
一人で何度も頷く。
コク。
コクコク。
『ブルッ。』
そして、武蔵の後をこっそり追い始めた。
その頃。
第七階層では。
デミウルゴスが執務机で書類を整理しながら、ふと独り言を漏らす。
「……報告が来ませんね。」
眼鏡を押し上げる。
「順調ということなら良いのですが。」
一方その頃。
武蔵は街道を歩きながら、
「南西じゃな。」
と、何の迷いもなく歩き続けていた。
その後ろを、
必死に木から木へ隠れながら追い掛けるシャドウデーモン。
こうしてまた一つ、
「すぐ報告する」
という絶好の機会は、
シャドウデーモン自身の「もう少し確認してから」という判断によって失われてしまうのであった。
後にデミウルゴスはこの件を知り、
「なぜ、その時点で報告しなかったのですか……。」
と頭を抱えることになるのだが、
それはもう少し先の話である。