統一歴一九二六年十一月。
雪が絶え間なく降り続く連邦前線。
白銀に覆われた空を、一人の魔導師が必死に飛んでいた。
帝国軍サラマンダー戦闘団(副)団長。
ターニャ・デグレチャフ中佐。
「くそっ!」
「偵察なんぞ、自分でやるべきじゃなかった!」
猛烈な速度で雪雲を突き抜けながら舌打ちする。
本来なら部下に任せる任務。
しかし、経験不足の新兵では信用できず、自ら前線の確認へ出たのが間違いだった。
その結果――。
「見つけた!」
背後から響く女の声。
振り返るまでもない。
あの魔力。
あの狂気。
「メアリー・スー!」
合州国義勇兵として連邦軍に参加した少女。
父アンソン・スーの仇として、ターニャだけを狙い続ける執念の化身だった。
「逃がさない!」
魔導弾が雪原を裂く。
ドォン!!
爆風がターニャのすぐ横をかすめる。
「ちぃ!」
ぎりぎりで回避。
しかし距離は縮まるばかりだった。
「くそくそくそぉ!」
「ヴィーシャを連れて来ればよかった!」
「いや、そもそもこんな偵察、一人で来るんじゃなかった!」
悪態をつきながら飛び続ける。
さらに背後から光弾。
「まだだ!」
「まだ逃げるの!?」
「当然だ!」
ターニャは振り返りもせず叫ぶ
「貴様のような人間兵器と正面から殴り合うほど私は愚かではない!」
メアリーはさらに速度を上げる。
「神があなたを裁く!」
その言葉を聞いた瞬間。
ターニャの額に青筋が浮かんだ。
「神だと!?」
「くそ存在Xめぇ!」
「なんであいつにまで加護を与えた!」
「人選がおかしいだろ!」
雪空にターニャの怒号が響く
「ちくしょう!」
「毎度毎度、私ばかり!」
魔導演算宝珠の出力をあげる。
速度はさらに増す。
しかし。
メアリーも同じように食らいついてくる。
その距離、わずか数十メートル。
逃げ切れる保証は、どこにもなかった。
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吹雪の空。
ターニャ・デグレチャフとメアリー・スーが激突しようとした、その瞬間だった。
――ピタリ。
世界が止まる。
舞い落ちる雪。
風も。
爆炎も。
魔導弾さえ空中で静止した。
「……!」
ターニャだけが動ける。
いや、正確には動くことを許されている。
「またか。」
深いため息をついた。
聞き慣れた、あの声がメアリー・スーから響く。
「どうかね。」
「神の偉大さは認識できたかね。」
どこまでも穏やかで、どこまでも癇に障る声。
メアリーの体を借りた存在Xだった。
ターニャは口元だけで笑う。
「ええ。」
「認識させていただきましたよ。」
「実に偉大です。」
その言葉に存在Xは満足げになる。
「そうか。」
「ようやく理解した――」
「ええ。」
ターニャはその言葉を遮った。
「あなたの愚かさを。」
「……。」
「加護なんてものを、あんな小娘に与えた。」
「そのせいで何人の無関係な市民が死んだことか。」
「信仰する者を守るどころか、加護を受けた者に殺される人間の気持ちはどうなんです?」
ゆっくりと見上げる。
「ねえ。」
「カ・ミ・サ・マ。」
存在Xの沈黙が続く。
やがて静かな声が返ってきた。
「……ふむ。」
「どうやら。」
「お前はまだ神の偉大さを理解していないようだ。」
ターニャは鼻で笑う。
「理解したくもありません。」
「ならば。」
存在Xの声が重く響いた。
「一度、さらに過酷な世界へ行くがいい。」
「そこで学ぶのだ。」
「ここが、どれほど神の恩寵に満ちた世界であったかを。」
「……はぁ?」
ターニャの眉がぴくりと動く。
「再認識?」
「ふざけるな!」
「ここより酷い場所なんてあるわけないだろ!」
「この存在X!」
空間に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
黄金色の光が幾重にも重なり、雪空を覆った。
「では行くがいい。」
「神の偉大さを理解する、その日まで。」
「戻る必要はない。」
「お、おい!」
「待て!」
「話はまだ――」
魔法陣から光の柱が降り注ぐ。
「くっ!」
ターニャの身体が宙へ浮く。
「ふざけるな!」
「この!」
「存在Xのバカ野郎ぉぉぉっ!!」
最後の罵声だけが雪空に響き渡る。
そして。
ターニャ・デグレチャフの姿は光とともに消えた。
世界が再び動き出す。
雪が降る。
風が吹く。
爆炎が広がる。
メアリー・スーは目を見開いた。
「……え?」
目の前にいたはずの宿敵が消えている。
「どこ?」
周囲を見回す。
「どこへ行ったの?」
返事はない。
吹雪だけが静かに雪原を包み込み、ターニャ・デグレチャフは誰にも知られることなく、この世界から姿を消したのだった。
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「ちくしょおおおおおっ!」
怒声とともに巨大な魔法陣が空中に現れる。
次の瞬間。
眩い光の柱が地面へ降り注ぎ、一人の少女が放り出されるように着地した。
ドサッ!
「いてて……。」
土煙を払いながら立ち上がる。
帝国軍第二〇三航空魔導大隊。
サラマンダー戦闘副団長。
ターニャ・デグレチャフ中佐。
「くそ……。」
「ここはどこだ。」
周囲を見回す。
青い空。
遠くに連なる山々。
深い森。
広大な草原。
戦場とは思えないほど静かな景色だった。
「存在Xの奴……。」
「確か"過酷な世界"と言っていたな。」
眉をひそめる。
「どこが過酷なんだ。」
「平和そのものじゃないか。」
すぐに懐から簡易通信機を取り出す。
「ヴィーシャ。」
「応答しろ。」
ザー……
雑音だけ。
「ヴァイス。」
「ケーニッヒ。」
「グランツ。」
何度呼び掛けても返事はない。
「……。」
「ちっ。」
「やはり。」
「存在Xの言う通り、別世界か。」
通信機をしまい、小さく息を吐く。
「さて。」
「どうする。」
こういう時こそ状況把握が最優先。
携帯していた双眼鏡を取り出す。
周囲をゆっくり観察する。
「山。」
「森。」
「平野。」
「村らしきものは見えない。」
「道路は……一本。」
「軍隊の気配もなし。」
分析を終えたその時。
「ん?」
街道を一人の人物が歩いているのを見つけた。
「人間……か。」
「いや、少なくとも人型。」
双眼鏡を下ろす。
「情報収集だ。」
「まずは言葉が通じるか確認する。」
ターニャは演算宝珠を起動した。
魔力が身体を包む。
ふわり、と浮き上がる。
「あ。」
少しだけ目を丸くする。
「飛べる。」
「ということは……。」
手を見つめる。
「魔法も問題なく使える。」
思わず安堵の息をついた。
「存在Xめ。」
「余計なことだけはしなかったらしい。」
そう言うと高度を上げる。
そして街道を歩く人物の前方へ回り込み、静かに降下した
「まずは接触。」
「この世界がどんな場所なのか。」
「そこから始めるとしよう。」
雪原の戦場から放り出された帝国の悪魔は、未知の世界で最初の邂逅を迎えようとしていた