街道。
武蔵は風の向くまま南西へ歩いていた。
すると、空から一人の少女がゆっくりと降りてくる。
「……ほう。」
武蔵は立ち止まる。
少女は地面へ降り立つと、にこりと愛想よく笑った。
「あの~、おじさん。」
「ターニャ、道に迷ったの。」
「ここ、どこですか?」
その声音は年相応の少女そのもの。
しかし。
(……吐きそうだ。)
ターニャは心の中で顔をしかめていた。
(四十近い元サラリーマンが、この口調。)
(存在Xめ……。)
(なんという屈辱を味わわせる。)
それでも情報収集のため、笑顔だけは崩さない。
一方。
武蔵は少女をじっと見つめていた。
頭の先から足元まで。
そして。
すぅ……。
鼻を鳴らした。
匂いを嗅ぐように。
「……。」
ターニャの眉がわずかに動く。
(なんだ。)
(この侍。)
(犬か。)
武蔵は静かに口を開いた。
「お主。」
「何者だ。」
「……え?」
「子供の姿をしておるが。」
「大人じゃろ。」
「!」
ターニャの笑顔が一瞬だけ固まる。
武蔵はさらに続けた。
「変化の術でも使っておるのか。」
(げっ!!)
ターニャの内心に冷や汗が走る。
(なんだこいつ!?)
(前世まで見抜いたのか!?)
(いや、あり得ない。)
(魔力?)
(精神感応?)
(観察眼だけで?)
必死に平静を装う。
「ターニャ。」
「よく分からないな。」
首を傾げ、年相応の少女を演じる。
武蔵は腕を組んだ。
じっと見つめる。
そして。
ますます胡散臭そうな顔になった。
「嘘をつくでない。」
「お主。」
「妖怪か。」
「それとも怪物の類か。」
「…………。」
ターニャは一瞬、返答に詰まった。
(妖怪?)
(怪物?)
(どういう世界だ、ここ。)
(異世界ファンタジーか?)
(いや、それより。)
(この男。)
(危険だ。)
戦闘力はまだ測れない。
しかし。
本能が告げていた。
(この侍。)
(下手なことを言えば、即座に斬られる。)
帝国軍きっての合理主義者ターニャ・デグレチャフは、この世界で最初に出会った男を前に、久しぶりに背筋へ冷たい汗が流れるのを感じていた。
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少女らしい笑顔を崩さぬまま、ターニャはもう一度話しかける。
「あの~。」
「ターニャ、道に迷ったの。」
「おじさん、近くの町まで連れて行ってほしいな。」
内心では盛大に顔をしかめていた。
(存在Xめ。)
(後で覚えていろ。)
だが、目の前の侍は露骨に面倒くさそうな顔をした。
「もうええ。」
「ふだんの言葉でしゃべれ。」
「気持ちが悪い。」
「……。」
ターニャは数秒沈黙すると、
肩をすくめた。
「なるほど。」
「観察力は確かなようですね。」
先ほどまでの甘ったるい声は跡形もなく消えた。
軍人らしい、冷静で理知的な口調になる。
「私は帝国軍サラマンダー戦闘団副団長。」
「ターニャ・デグレチャフ中佐。」
「あなたは?」
男は何でもないことのように答えた。
「わしか。」
「わしは宮本武蔵。」
「…………。」
「はあ?」
ターニャは一度聞き流した。
「宮本武蔵。」
「……。」
「宮本武蔵?」
数秒後。
脳内で情報がつながる。
「宮本武蔵!?」
思わず大声を上げた。
武蔵は首を傾げる。
「どうした。」
ターニャは食い入るように男の顔を見る。
(待て。)
(この顔。)
(どこかで……。)
前世。
日本。
歴史の教科書。
資料集。
肖像画。
(似ている。)
(いや。)
(かなり似ている。)
額の傷。
鋭い目。
堂々とした体格。
(まさか。)
(二天一流。)
(『五輪書』。)
(あの宮本武蔵!?)
「えっ……。」
「あの。」
「あなた。」
「宮本武蔵って……。」
「あの宮本武蔵ですよね?」
武蔵は困ったように笑う。
「あの、と言われても分からん。」
「わしは宮本武蔵じゃ。」
ターニャの頭の中が高速回転する。
(どうなってる。)
(江戸時代?)
(いや、違う。)
(さっき私は空を飛んだ。)
(この男も『妖怪』や『変化の術』などと言っていた。)
(通信は繋がらない。)
(存在Xは別世界と言っていた。)
(つまり。)
(ここは。)
(江戸時代じゃない。)
(宮本武蔵が存在する、別世界……。)
長年培った合理的思考が結論を導く。
「異世界。」
思わず小さく呟いた。
武蔵はその言葉に興味を示したように目を細める。
「ほう。」
「お主。」
「異世界という言葉を知っておるのか。」
その一言で、ターニャはさらに混乱を深めることになった
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武蔵はターニャの話を聞きながら歩き始めた。
「わしも気づいたらここにいた。」
「亡くなってな。」
「霊媒師のBBAのおかげで魂だけが東京へ行った。」
ターニャが眉をひそめる。
「東京?」
「そうじゃ。」
「まあ、そこでいろいろあってな。」
「またBBAのおかげで放り出されてしもうた。」
「つまり。」
ターニャが確認する。
「江戸から東京へ?」
「そうじゃ。」
武蔵は豪快に笑う。
「まあ、なかなか面白かった。」
ターニャは腕を組みながら考える。
(……なるほど。)
(この男も世界を渡っている。)
(しかも二回。)
「ふむ。」
「私は東京から、存在Xのせいで第一次世界大戦相当のヨーロッパへ転生したんです。」
武蔵は首を傾げた。
「存在X?」
「ヨーロッパ?」
「なんじゃ、それ。」
「ああ。」
ターニャは少し考える。
「あなたの感覚で言えば、ヨーロッパは南蛮でしょうか。」
「存在Xは……。」
少し言葉を選ぶ。
「神、とでもしておきましょう。」
武蔵は「ああ」と頷く。
「キリシタンが拝む神か。」
「まあ、それに近いものです。」
もっとも、ターニャにとっては「神」より「悪質な管理者」と呼ぶ方がしっくりくるが、それは飲み込んだ。
武蔵は興味深そうに尋ねる。
「それで、お主は。」
「なんでこの世界へ来たんじゃ。」
ターニャは深いため息をついた。
「信仰を深めろ、と。」
「存在Xに無理難題を押し付けられましてね。」
「私は信仰より合理主義なんですが。」
「聞く耳を持たず、無理やりこの世界へ飛ばされました。」
武蔵はしばらく黙っていた。
やがて腹を抱えて笑い始める。
「はっはっは!」
「お主も災難じゃのう!」
「神とやらに振り回されるとは!」
ターニャは苦い顔をする。
「笑い事ではありません。」
「私としては、できることなら今すぐ元の世界へ帰りたい。」
「部下もいますし、仕事も山積みです。」
武蔵は腕を組み、空を見上げる。
「しかし。」
「その神とやらも妙じゃな。」
「わしは強者を求めてここへ。」
「お主は信仰を求めてここへ。」
「偶然とは思えんな。」
ターニャも頷いた。
「同感です。」
「誰かが意図して、この世界へ送り込んだ。」
「その理由を知らなければ、私は動けません。」
武蔵はにやりと笑う。
「ならば。」
「一緒に歩くか。」
「わしは強者を探す。」
「お主は元の世界へ帰る方法を探す。」
「道中で分かることもあるじゃろう。」
ターニャは数秒考えた後、静かに頷いた。
「合理的な提案です。」
「現地の案内人も必要でしたし。」
「しばらく同行させてもらいます。」
こうして、剣豪・宮本武蔵と、帝国軍の幼女将校ターニャ・デグレチャフという、二人の異世界転生者による奇妙な旅が始まったのであった。