第二話 ナザリック、金融市場を作る
魔導国、ナザリック地下大墳墓。
玉座の間ではなく、アインズの執務室。
アインズ・ウール・ゴウンは、机の上に積み上がった書類を前に、内心でうめいていた。
(書類が多い! なんで国を作るとこんなに書類が増えるんだ! パーティリーダーにはこんな仕事なかったぞ!)
もちろん、そんな本音を口にするわけにはいかない。
今の彼は、魔導国の支配者であり、至高の存在たるアインズ・ウール・ゴウンなのだ。
「アインズ様」
「うむ。何だ、デミウルゴス」
膝をついたデミウルゴスは、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「本日は、魔導国の経済政策についてご相談したいことがございます」
(経済政策……また難しそうな話が来たな)
「聞こう」
「ありがとうございます。先日の帝国との同盟、そして王国との国境協定により、周辺諸国の経済活動にも変化が生じつつあります」
デミウルゴスは書類を一枚差し出した。
「特に注目すべきは、貨幣の流通でございます」
「貨幣か」
「はい。これまで王国金貨と帝国金貨は、おおむね同等の価値を持つものとして扱われておりました。しかし、魔導国の成立によって状況が変わり始めています」
デミウルゴスは、別の書類を机に置いた。
そこには、各国の商人から集めた貨幣の交換比率や、銀の取引価格の推移が記されている。
「魔導国金貨は、エ・ランテルを中心に流通を拡大しております。帝国は毎年、銀4トンを歳幣として納めなければなりません。王国もまた、国内の再編や軍備の整備により銀の需要を増やしています」
「つまり、銀の価格が上がる可能性があるということか?」
「その通りでございます。もちろん、供給量や各国の政策によって変動はいたしますが」
(おお……。ちゃんと経済の話をしている)
アインズはうなずいた。
内心では、銀の価格が上がるという話を聞いても、どう判断すればいいのか分からなかった。
だが、デミウルゴスがここまで資料を揃えているのだ。
きっと、何か大きな構想があるのだろう。
「そこで、アインズ様。私は一つの提案をさせていただきたいのです」
デミウルゴスが顔を上げた。
「エ・ランテルに、取引所を開設してはいかがでしょうか」
「取引所?」
「はい。各国の商人が集まり、貨幣や貴金属、穀物、絹、その他の商品の売買を行う場所でございます」
「なるほど……」
「そして、取引所では商品の売買だけでなく、各国の貨幣交換も取り扱います。魔導国金貨を中心に、王国金貨、帝国金貨、銀貨などの交換比率を明示するのです」
デミウルゴスの説明は明快だった。
これまで商人たちは、街ごとに両替商を探し、相手の提示する比率を確かめ、交渉を重ねなければならなかった。
しかし、魔導国が公認する取引所を設ければ、各国の商人が一か所に集まり、売り手と買い手を探すことができる。
価格が比較しやすくなり、取引の透明性も高まる。
魔導国金貨の信用を広げることにもつながるだろう。
「取引所の管理は魔導国が行います。取引の記録を残し、商人同士の不正を監視する。争いが起きた場合には、魔導国の法に基づいて裁定を行うことも可能です」
「ふむ。エ・ランテルに商人を集めるわけか」
「はい。交易の中心地としての価値が高まれば、街の発展にも寄与いたしましょう」
(いいじゃないか。商人が集まれば街が栄える。税収も増える。魔導国の影響力も強くなる。これは分かりやすい)
アインズは内心で安堵した。
だが、デミウルゴスの話は、ここで終わらなかった。
「さらに、もう一つございます」
「まだあるのか?」
「はい。こちらをご覧ください」
デミウルゴスが差し出したのは、一枚の図面だった。
奇妙な箱型の装置。その内部構造と、複数の部品が詳細に描かれている。
アインズは、それを見た瞬間に思わず身を乗り出した。
「これは……PCか?」
「さようでございます」
デミウルゴスは満足げに答えた。
「シズと協力し、魔導技術を応用して開発したものでございます。情報を記録し、計算し、必要な情報を画面に表示する。複雑な帳簿計算や大量の取引記録の管理にも対応できるよう、改良を進めております」
「シズが?」
(あのシズと? いつの間にそんなものを……いや、そういえば、あの子は機械関係が得意だったな)
アインズは、ナザリックのメイドであるシズ・デルタを思い浮かべた。
感情表現こそ乏しいが、機械の扱いに長けたメカ少女である。
「魔導PCを取引所に設置すれば、各商品の価格、貨幣の交換比率、売買の記録を管理できます。取引所の職員が手作業で帳簿をつける必要も、大幅に減らせるでしょう」
「なるほど」
「そして、これをさらに発展させるのです」
デミウルゴスは、図面の横に置かれた別の資料を指さした。
そこには、魔力を利用した通信網の構想が記されていた。
「魔力を動力源とする通信装置を各地に設置し、魔導PC同士を接続する。私とシズは、これを仮にマジネットと呼んでおります」
「マジネット……」
「はい。各都市を結び、情報をやり取りするための通信網です」
デミウルゴスは説明を続けた。
「まずはエ・ランテルの取引所と主要な商会に設置いたします。その後、魔導国各地へと広げ、将来的には王国や帝国の商人にも利用していただく。適切な管理と認証を設ければ、遠隔地からでも取引情報を確認できるようになるでしょう」
アインズは黙って資料を見つめた。
(マジネット……。魔導PC……。なんだか、インターネットと証券取引所を合わせたような話になってきたぞ)
現代日本で暮らしていた頃の記憶が、ぼんやりとよみがえる。
パソコンの画面に並ぶ数字。
株価の変動。
為替レート。
売買注文。
そして、価格が動くたびに利益を得たり、損失を出したりする人々。
(待てよ。これをこの世界でやるのか?)
異世界に金融市場を作る。
しかも、魔導PCと通信網まで使って。
(……いや、便利なのは間違いない。商業が発展すれば、魔導国の国力も上がる。情報が集まれば、各国の情勢も把握しやすくなる。うん、悪くない。むしろ、かなりいい)
アインズは、威厳を保ったまま口を開いた。
「デミウルゴス。お前は、この取引所を単なる商人の集まる場所にするつもりではないのだな?」
「さすがはアインズ様。ご理解が早く、恐れ入ります」
デミウルゴスの目が輝いた。
「その通りでございます。取引所は、魔導国の経済活動を支える中枢となりましょう。マジネットを通じて各地の情報が集まり、魔導国金貨が取引の基準として広がれば、周辺諸国の経済も魔導国を中心に動くようになる可能性がございます」
(いや、そこまで考えていたのか……!)
アインズは感心した。
少なくとも、そう見えるようにうなずいた。
「よかろう。計画を進めるがいい」
「はっ!」
「ただし、取引所の運営については慎重にな。貨幣の価値が急激に変動すれば、商人たちに大きな損害が出る可能性もある。魔導国への信用を失うようなことがあってはならない」
「ごもっともでございます。取引規則を整備し、不正な価格操作や詐欺を防止する仕組みも導入いたします」
「うむ。シズともよく相談して進めてくれ」
「かしこまりました」
デミウルゴスは深々と頭を下げた。
こうして、エ・ランテルにおける取引所の開設と、魔導PCおよびマジネットを利用した情報通信網の整備計画が動き始めた。
その目的は、商業の発展。
貨幣流通の効率化。
そして、魔導国を中心とする新たな経済圏の形成。
しかし、この計画には、アインズもデミウルゴスもまだ気づいていない副作用があった。
情報が広く行き渡れば、商人たちは遠く離れた土地の価格を比較できる。
価格の差が分かれば、安い場所で買い、高い場所で売る者が現れる。
将来の価格を予測し、値上がりを見込んで商品や貨幣を買い集める者も現れるだろう。
そして、そうした動きが積み重なれば――。
これまで一部の大商人や両替商しか把握できなかった相場の変化が、一般の商人にまで広がっていく。
もちろん、情報を得たからといって、誰もが利益を得られるわけではない。
予想が外れれば損をする。
買い手が現れなければ、売りたくても売れない。
相場が急落すれば、昨日まで財産だったものが、今日は大きな損失の原因になる。
それでも、人々は挑戦するだろう。
利益を求めて。
富を求めて。
そして、時には一攫千金を夢見て。
エ・ランテルに取引所が開設される日は、まだ少し先のことだった。
だが、その知らせが広まったとき、カルネ村の村長は、きっとこう言うに違いない。
「……これ、村の資金でも参加できるの?」
その問いから始まる騒動を、今のナザリックの誰一人として予想していなかった。