武蔵は、賭けで得た金を懐に入れ、悠々と
エ・ランテルの城門をくぐった。
石造りの街。
広い通り。
行き交う商人。
荷車。
露店。
鍛冶屋の音。
酒場の喧騒。
活気がある。
武蔵はゆっくり歩きながら周囲を見る。
「ほう」
悪くない。
人も多い。
つまり揉め事も多い。
金も流れる。
強い奴が紛れている可能性もある。
悪くない町だ。
だが。
しばらく歩いていて、武蔵は足を止めた。
町の中央広場。
掲示板。
案内板。
商店の看板。
宿の名前。
全部、文字で書かれている。
武蔵はじっと見る。
沈黙。
「……しまった」
読めん、一文字も。
この世界の文字。
現地語。
カルネ村では問題なかった。
村人たちとは自然に話せた。
言葉は通じる。
だが文字だけが違う。
これはまずい。
かなりまずい。
武蔵は腕を組む。
宿がわからぬ。
仕事も探せぬ。
地図も読めぬ。
下手をすれば便所すら探せぬ。
「まずいな」
剣の腕ではどうにもならん問題だった。
どうする。
誰か捕まえて聞くか。
だが読めぬと知られれば足元を見られる。
そう考えていた、その時。
後ろから声。
「おい」
武蔵が振り向く。
そこに立っていたのは、先ほど門前で太った男を峰打ちで倒した細身の男。
静かな目。
無駄のない立ち姿。
やはり只者ではない。
男は武蔵を見ながら言う。
「お前、なんで俺に賭けた?」
武蔵は少し笑った。
「勝つ顔をしておった」
男の眉がわずかに動く。
その答えが面白かった。
そして武蔵は逆に聞いた。
「で、おぬしは字が読めるか?」
男は一瞬、怪訝な顔をした。
予想外すぎる問いだった。
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細身の男は武蔵の問いに少し眉をひそめた。
「まあ、読めるが」
「なんでそんなことを聞く」
武蔵はあっさり答えた。
「実はわしは文字が読めん」
男は一瞬だけ目を丸くする。
「文盲か」
この世界では珍しくない。
農民上がりや傭兵ならなおさらだ。
だが武蔵ほどの気配を持つ男がそうだとは思わなかった。
男は少し考えた。
「それで?」
武蔵は笑った。
「お主と立ち合うのに良い場所を知らぬ」
男の口元がぴくりと上がる。
なるほど。
文字が読めないから案内を聞いたわけか。
宿でも飯屋でもなく、立ち合い場。
「くくく……」
男は低く笑った。
「変わった奴だな」
そして背を向ける。
「では案内しよう」
「ついて来い」
武蔵は素直についていく。
街の路地を抜ける。
市場を横切り。
やがてたどり着いたのは、広い石造りの施設。
木剣の打ち合う音。
怒号。
汗の匂い。
冒険者たちが技量を磨く場所。
訓練所だった。
エ・ランテル冒険者訓練所。
武蔵は周囲を見回し、少し感心する。
「ほう」
悪くない。
広い。
壊しても文句を言われにくそうだ。
男は木剣棚へ歩き、一振りを取る。
武蔵にも一本投げた。
武蔵は受け取り、重さを確かめる。
軽い。
だが十分。
男は構える。
「ここなら好きにやれる」
武蔵も木剣を肩に担ぐ。
「よい」
男が問う。
「名をまだ聞いてなかったな」
武蔵は笑う。
「宮本武蔵」
男も名乗る。
「ブレイン・アングラウス」
その名に。
影の中で監視していた
シャドウ・デーモンがわずかに反応する。
(ブレイン・アングラウス……)
武蔵は木剣を構える。
笑う。
「さて」
「どれほどか見せてもらおう」
ブレインもまた笑う。
久しぶりだった。
自分を見抜いた相手。
そして、自分もまた感じていた。
この男。
尋常ではない。
訓練所の空気が張り詰める。
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エ・ランテル冒険者訓練所。
木剣の音が止まった。
周囲で訓練していた冒険者たちがざわつく。
「あれ……ブレイン・アングラウスじゃないか」
「珍しいな」
「あの男と決闘か?」
自然と円ができる。
見物人が増える。
ブレインは気にしない。
むしろ好都合。
強者との勝負は、人目がある方が燃える。
武蔵もまた気にしない。
ただ目の前だけを見ていた。
ブレインが木剣を鞘代わりの腰へ添える。
居合の構え。
低く。
静かに。
空気が沈む。
武蔵は正眼。
剣先を自然に向ける。
力みなし。
隙だらけに見える。
だが深い。
ブレインの目が細まる。
(……妙だ)
斬れる。だが斬れない。
矛盾。理解不能。
だが踏み込む。
「――ッ!」
瞬間,抜刀。
神速。
訓練所の冒険者たちには見えなかった。
ただ風だけが走る。
(獲った)
ブレインは確信した。
だが――
カツン。
乾いた音それだけ。
次の瞬間、ブレインの木剣が空を舞っていた。
くるくる回転しながら遠くへ落ちる。
沈黙。
「……え?」
誰も理解できない。
ブレイン本人すら。
右手首に激痛。
「ぐぅ……!」
思わず左手で押さえる。
斬られたわけではない。
打たれた。
抜刀の瞬間。手首だけを正確に。
完全に崩された。
武蔵は木剣を肩に載せた。
ため息混じり。
「こんなものか」
ざわっ、と訓練所が揺れる。
ブレインが一撃。
それも居合を。
見えないうちに落とされた。
冒険者たちの顔色が変わる。
「嘘だろ……」
「あのブレインが……」
ブレインは息を整えながら武蔵を見上げた。
理解した。
格が違う。
この男、今まで会った誰とも違う。
これは――純粋な技の差。
武蔵はつまらなそうに言う。
「速い、だが、見える」
その言葉がブレインの胸に突き刺さる。
誇りだった。
自慢だった。
自分の剣速。
それを「見える」と切り捨てられた。
だが。
ブレインは笑った。
悔しさで、歓喜で。
「はは……」「最高だ」
武蔵が眉を上げる。
ブレインは落ちた木剣を拾う。
「もう一度だ」
「今度はもっと速く斬る」
武蔵の口元が少し上がった。
「よい」
少しだけ。
この街で初めて、退屈しのぎになりそうだった。