武蔵転生記   作:masasoukoku

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第三十二話

王都の裏通り。

 

冷たい雨が降っていた。

 

石畳を叩く雨音だけが響く。

 

その中を、ひとり歩く男。

 

ブレイン・アングラウス。

 

目は虚ろ。

 

だが内側では燃えていた。

 

「捨てろ」

 

あの言葉。

 

宮本武蔵に言われた一言。

 

「もう少し捨てれば――林崎甚助に届く」

 

「それを考えるのが修行よ」

 

それ以来。

 

ブレインの頭はその言葉だけだった。

 

何を捨てる。

 

技か。

 

誇りか。

 

執着か。

 

恐れか。

 

欲か。

 

「なにを」

 

雨の中。歩く。

 

「なにを」

 

眠れぬ夜。

 

剣を振る。

 

「なにを」

 

食事も喉を通らない。

 

王都に戻ってからずっとだ。

 

かつてのブレインなら、

 

強くなる方法は斬ることだと思っていた。

 

だが武蔵は違った。

 

「なにを……」

 

ふらふらと歩く。

 

雨が全身を濡らす。

 

だが気づかない。

 

その姿を見ていた男がいた。

 

大きな体。

 

堂々たる姿。

 

王国最強の戦士。

 

ガゼフ・ストロノーフ。

 

ブレインの異常にすぐ気づいた。

 

「おい」

 

ブレインは反応しない。

 

「ブレイン!」

 

肩を掴まれる。

 

そこでようやく現実に戻る。

 

「……ガゼフ」

 

ガゼフは顔をしかめる。

 

「どうした」

 

「死人みたいな顔をしているぞ」

 

ブレインはしばらく黙る。

 

そしてぽつり。

 

「俺は……負けた」

 

ガゼフの眉が動く。

 

「誰にだ」

 

ブレインの目に、あの日の光景が浮かぶ。

 

木剣。

 

一撃。

 

見えなかった。

 

理解すらできなかった。

 

「……化け物だ」

 

「宮本武蔵という男だ」

 

その名に。

 

ガゼフの目が大きく開く。

 

「武蔵……!?」

 

ブレインが見る。

 

「知ってるのか」

 

ガゼフは苦笑する。

 

「ああ」

 

「一度剣を交えかけた」

 

「それだけでわかった」

 

「危険だ」

 

ブレインの目が鋭くなる。

 

「奴は俺に言った」

 

「捨てろ、と」

 

「何を捨てればいい」

 

ガゼフは少し考える。

 

そして答える。

 

「それはお前にしかわからん」

 

ブレインは苛立つ。

 

「またそれか!」

 

ガゼフは笑った。

 

「だが一つだけ言える」

 

「悩んでいるうちはまだ捨ててない」

 

その言葉が刺さる。

 

ブレインは固まる。

 

雨の中。

 

剣士二人が立つ。

 

そして王都のどこかで。

 

その“元凶”である武蔵が、

 

屋台で肉串を食いながら、

 

「うむ、まずい」

 

と顔をしかめていた。

 

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ガゼフ・ストロノーフの家。

 

質素だが整った室内。

 

暖炉の火が静かに揺れていた。

 

雨に濡れたブレイン・アングラウスは椅子に座り、ぽつぽつと語っていた。

 

「あいつは俺に言った」

 

「捨てれば……林崎甚助になれる、と」

 

ガゼフは黙って聞いている。

 

「何を捨てればいいんだ」

 

声には苛立ちと迷い。

 

ブレインは右手を出した。

 

まだ腫れている。

 

骨こそ折れていないが、筋も腱も深く傷んでいた。

 

「訓練所で立ち合った」

 

「何度もだ」

 

「一太刀も入れられなかった」

 

「いや……手も足も出なかった」

 

拳を握る。

 

痛みでわずかに震える。

 

「居合を放った」

 

「あれは俺の最速だった」

 

「だが奴は……」

 

言葉が詰まる。

 

思い出すだけで背筋が冷える。

 

「見えていた」

 

「いや、それ以上だ」

 

「俺が抜く前から、もう終わっていた」

 

ガゼフはその傷を見る。

 

そして確信する。

 

(本気ではない)

 

武蔵は殺すつもりなら、ブレインは今ここにいない。

 

「……あの男は尋常ではない」

 

ガゼフが低く言う。

 

「もう構うな」

 

ブレインが顔を上げる。

 

「逃げろと?」

 

「違う」

 

ガゼフは火を見る。

 

「あれは人の理の外にいる」

 

「勝ち負けで測る相手ではない」

 

だが心の中では別のことを思っていた。

 

(だが俺は……)

 

(あの男と立ち合わねばならぬ)

 

カルネ村で交わせなかった約束。

 

いずれ果たす。

 

それが自分の義理だ。

 

ブレインはうつむく。

 

「だが……」

 

「考えるのをやめられん」

 

「捨てるとは何だ」

 

ガゼフは少し笑った。

 

「それなら今日はやめろ」

 

「答えは疲れた頭では出ん」

 

立ち上がる。

 

酒を持ってくる。

 

ブレインに渡す。

 

「今日は休め」

 

「考えることは明日でもできる」

 

ブレインは杯を見る。

 

その表面に映る自分。

 

そこにあるのは焦り。

 

執着。

 

恐れ。

 

誇り。

 

――捨てる。

 

その言葉がまた浮かぶ。

 

だが今夜は。

 

少しだけ眠ることにした。

 

その頃。

 

王都の裏路地で、宮本武蔵は宿代を値切っていた。

 

「高い」

 

「半分にせい」

 

宿屋の主人は泣きそうだった。

 

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