王都リ・エスティーゼの夕暮れ。
石畳の道を
セバス・チャンが歩いていた。
手には買い物袋。
表向きは老執事。
だがその中身はナザリック最古参の守護者の一人。
任務は順調だった。
王都潜入。
裏社会の調査。
そして今日、新たにスクロールも入手した。
収穫は上々。
だが。
一つだけ心に残るものがあった。
武蔵。
宮本武蔵。
あの圧。
あの眼。
あの一瞬で感じた“武”。
セバスの胸の奥。
久しく静かだった武人の血が騒ぐ。
「……立ち合いたい」
思わず漏れる。
だが首を振る。
「今は任務最優先」
主命。
それが第一。
「この任務が済めば……」
その時だった。
道端。
うずくまる老婆。
苦しそうな息。
周囲の人間たちは見て見ぬふり。
セバスは足を止める。
創造主
たっち・みーの教え。
“困った者を助けよ”。
迷いはない。
「どうぞ」
「この背に」
老婆は驚く。
「す、すいません……」
セバスは軽々と背負う。
そのまま老婆の家へ。
古びた家。
老婆は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……」
「セバスと言います」
「お気になさらず」
静かに微笑む。
だが。
その一部始終を見ていた者がいた。
雨上がりの通り。
ブレイン・アングラウス。
ガゼフの家を出た帰りだった。
ふと見た。
老執事。
その立ち姿。
重心。
呼吸。
歩幅。
無駄がない。
一瞬でわかった。
「……!」
背筋が粟立つ。
「強者だ」
武蔵とは違う。
だが同じ領域。
いや。
ある意味もっと完成されている。
ブレインの目が変わる。
迷いが消える。
考えるより先に体が動いた。
セバスの後を追う。
(この男なら――)
(何か分かるかもしれん)
夜の王都。
知らぬ間に。
二人の武人が同じ一点へ向かい始めていた。
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王都の外れ。
人気のない空き地。
月明かりだけが二人を照らしていた。
セバス・チャンは静かに立つ。
買い物袋はすでに脇へ置いてある。
「……私に何か?」
その声に、物陰からゆっくり姿を現す男。
ブレイン・アングラウス。
目には迷い。
だが、その奥に覚悟。
「立ち合ってほしい」
短い言葉。
セバスはすぐ理解した。
この男もまた、武を求める者。
ブレインは自分でも分かっていた。
勝てない。
おそらく今のままでは一太刀も届かない。
だが。
欲しかった。
きっかけが。
武蔵の言葉を解くための何かが。
「……いいでしょう」
セバスは構える。
自然体。
だが隙がない。
ブレインも剣に手をかける。
居合の構え。
空気が張り詰める。
その時。
「!」
セバスの目が動く。
ブレインの背後を見る。
殺気。
いや。
それ以上。
純粋な“武”。
セバスの表情がわずかに変わる。
「来る!」
ブレインは勘違いした。
(隙だ!)
セバスが意識を逸らした。
絶好機。
踏み込もうとした瞬間――
肩を掴まれる。
ガシッ。
「!?」
全身が凍る。
耳元。
あの声。
「久しぶりじゃ」
ビクン、と体が跳ねた。
ゆっくり振り向く。
そこにいたのは。
宮本武蔵。
ニヤリと笑っている。
ブレインの顔が引きつる。
「き……貴様!」
武蔵は肩を離す。
「悩んどる顔をしておったな」
「まだ捨てられんか」
ブレインの額に汗。
怒りか恐怖か分からない。
セバスは武蔵を見る。
「……あなたでしたか」
武蔵も笑う。
「また会ったな、セバス」
月下。
三人の強者。
王都の裏で。
偶然とは思えぬ邂逅。
そしてブレインだけが思っていた。
(なんでだ……)
(なんで俺の周りにこんな化け物ばかり集まるんだ……)
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月明かりの空き地。
土の上に、
ブレイン・アングラウスはひざまずいていた。
その前に立つ
宮本武蔵。
呆れた顔。
「まだ捨てておらんのか」
その一言で。
ブレインは堰を切ったように頭を下げた。
土下座。
額が地面につく。
「教えてくれ!」
声が震える。
「わからないんだ!」
「あの日からずっと考えてる!」
「何を捨てればいいんだ!!」
武蔵はしばらく黙って見ていた。
そして鼻で笑う。
「お主」
「こだわりすぎじゃ」
ブレインが顔を上げる。
武蔵はしゃがむ。
目線を合わせる。
「では聞く」
「お前、命を捨てられるか?」
その問い。
ブレインは固まる。
言葉が出ない。
死ぬ覚悟ならある。
だが“捨てる”となると違う。
剣も。
夢も。
強さも。
全部そこに繋がっている。
「ぐ……」
武蔵は頷いた。
「つまりそういうことよ」
「捨てようと思うな」
ブレインの目が見開く。
「え……?」
武蔵は立ち上がる。
胸を張る。
堂々と言った。
「わしはな」
「何も捨てておらんぞ」
沈黙。
ブレインが固まる。
セバスも目を丸くする。
武蔵は指を折って数え始める。
「上手いものは喰いたい」
「女は抱きたい」
「金も欲しい」
「出世もしたい」
「酒も飲みたい」
「名も残したい」
ブレイン。
顔が引きつる。
「な……」
「な、な、な……」
この男。
俗物。
しかも超俗物。
悟りの境地でも何でもない。
欲望の塊。
セバス・チャンすら驚く。
「なんと……」
武蔵は大笑いする。
「かかか!」
「だから言うたろう」
「剣の道も武の道も」
「精進すれば叶う」
「捨てるんじゃない」
「研ぎ澄ますんじゃ」
ブレインの中で何かが崩れる。
あれほど深く考えた答えが、
こんな俗物の言葉だった。
だが。
妙に腑に落ちる。
執着していたのは“答え”そのものだった。
捨てることに囚われていた。
それが重りだった。
武蔵はそれを笑い飛ばした。
ブレインは呆然とする。
「……俺は」
「何をやってたんだ」
武蔵は肩を叩く。
「修行よ」
セバスは静かに笑った。
(この男)
(やはり面白い)
そして思う。
(ますます立ち合いたい)