月下。
宮本武蔵がふと真顔になる。
「とはいえ」
「捨てるものがあった」
ブレイン・アングラウスが顔を上げる。
セバス・チャンも目を細めた。
武蔵は腰の剣を抜く。
月光を反射する鞘。
「セバス殿」
「これはモモン殿からの預かりものじゃ」
「返す」
そう言って。
無造作に投げた。
セバスの目がわずかに開く。
(これは……)
(アインズ様の品)
借り物と聞いていた。
つまりモモン=アインズ。
これは絶対に粗末に扱えない。
落とすわけにはいかない。
両手で受け止める。
その瞬間。
武蔵の姿が消えた。
「!!」
ブレインの目では見えない。
セバスだけが理解した。
――速い。
範馬刃牙が見せたような、
生物の極限加速。
地面を蹴る音すらない。
次の瞬間。
ドンッ!!
武蔵がセバスに組みつく。
完全な不意打ち。
体勢が崩れる。
「ぬ!」
そのまま倒れる。
地面に叩きつけられるセバス。
馬乗りになる武蔵。
セバスは両手に剣。
離せない。
アインズの物だから。
武蔵の狙いは最初からそこだった。
「かかったな」
セバスの目が見開く。
(この男……!)
全身の筋肉が膨れ上がる。
圧倒的筋力。
龍の血脈を持つ戦闘執事。
その力なら山をも砕く。
吹き飛ばそうとする。
だが。
「……!?」
動かない。
重い。
異常に重い。
まるで星そのものが乗っている。
武蔵の重心が完璧すぎる。
一点に固定されている。
技術だけで質量を超えている。
セバスの額に汗。
「なぜ……」
武蔵は笑う。
「これが“捨てた”ものよ」
ブレインが呆然。
「何を……?」
武蔵はニヤリ。
「構えじゃ」
「剣を持てば剣に縛られる」
「素手なら自由よ」
セバスの瞳が揺れる。
理解した。
この男。
戦いながら常に最適解を捨てている。
武器。
型。
間合い。
常識。
全部。
必要なら躊躇なく。
武蔵が拳を振り上げる。
「さて」
「ここからじゃ、セバス殿」
セバスの目が燃えた。
ついに。
純粋な武と武。
真正面からぶつかる時が来た。
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空き地の土煙がまだ舞っている。
馬乗りのまま、宮本武蔵が笑う。
「どこまで耐えられる」
その瞬間――
ゴッ!!
頭突き。
まともにセバス・チャンの顔面へ叩き込まれる。
「ぐおっ!」
二発。
三発。
四発。
鈍い音。
骨がきしむ。
鼻血が噴き出す。
ブレインが青ざめる。
「な……!」
だが武蔵は止めない。
五。
六。
七。
八。
九。
十。
一撃ごとにセバスの身体が地面へ沈んでいく。
地盤が陥没し、
周囲に亀裂が走る。
最後には上半身が半ば土へ埋まっていた。
武蔵は立ち上がる。
額に土を払う。
「さてと」
「ここからじゃ」
セバスを見る。
沈んだ地面の中で。
セバスの指が動く。
「ぐ……ぐぐぐ……」
地面を押す。
持ち上がる。
血まみれの顔。
折れてはいない。
まだ立つ。
武蔵の目が光る。
「よい!」
瞬間。
また消えた。
ダッシュ。
今度は横ではない。
背後。
ブレインの目では完全に見失う。
セバスが振り向くより早く。
腕が首へ巻きついた。
裸締め。
本部以蔵に受けた技を武蔵流に昇華した締め技。
「さてこれはどうかな」
気道。
頸動脈。
同時に締める。
完璧。
セバスの顔色が変わる。
「う……!」
全身の筋肉が爆発する。
地面が裂ける。
周囲の石が浮く。
だが武蔵の重心は崩れない。
武蔵の声。
「力では解けぬ」
「技じゃ」
セバスの視界が暗くなる。
呼吸が止まる。
血が脳へ届かない。
「う……おおお……!」
最後の抵抗。
そして。
白目。
ガクン。
沈黙。
落ちた。
ブレインは震えた。
あのセバスが。
圧倒された。
武蔵はセバスを放し、立ち上がる。
肩を回す。
「ふむ」
「よい相手じゃった」
その時。
闇の中で見ていたシャドウデーモンが震える。
(報告せねば)
ナザリックへ――。
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倒れたセバス・チャンの胸元へ、
宮本武蔵が足を置く。
「ふん!」
ドン、と気合を叩き込む。
活。
セバスの身体が跳ねる。
「――ッ!」
ビクン、と全身を震わせ、
肺に空気が戻る。
「はっ……!」
咳き込みながら起き上がるセバス。
首筋には締め跡。
顔には頭突きの傷。
だが目は生きている。
武蔵は腕を組む。
「起きたか」
セバスは膝をつきながら息を整える。
まだ混乱している。
完全に落ちた。
しかも不意打ちから、そのまま流れで負けた。
武蔵は後ろに立つ
ブレイン・アングラウスを見る。
「ブレインよ」
「戦いとはこういうものじゃ」
ブレインは返事もできない。
ただ茫然。
自分が思い描いていた剣士同士の立ち合い。
それとはまるで違う。
武蔵は笑う。
「構える」
「名乗る」
「礼を尽くす」
「そんなもん、勝った後でええ」
指を一本立てる。
「いつ」
二本。
「いかなる時でも」
三本。
「勝つ」
「これがわしの武よ」
その言葉。
ブレインの胸に突き刺さる。
剣だけではない。
生き方そのもの。
勝つためにある。
生き残るためにある。
セバスは立ち上がる。
服の土を払う。
そして深く頭を下げた。
「武蔵様」
「このセバス、不覚を取りました」
悔しさはある。
だが同時に歓喜もある。
これほどの武。
久しく感じていない。
顔を上げる。
瞳は燃えていた。
「だが、次こそ」
武蔵は豪快に笑う。
「おう」
「また仕合おう」
月明かりの下。
二人の武人は笑った。
そしてブレインは思う。
(なるほど)
(捨てるんじゃない)
(勝つこと以外を後に回す)
それが武蔵の武。
その境地の片鱗を、
ようやく見た気がした。