巨大な魔力の流れる方へ向かって、武蔵は歩を進めた。
背後では、ヘッケランたち――ワーカー《フォーサイト》が不安げに見送っている。
「おれたちはここで待ってるよ!」
リーダーのヘッケランが声を張る。
「ヤバいと思ったらここへ戻ってきてくれ!」
武蔵は振り返らず、片手をひらひらと振った。
「わかった、わかった」
言葉は軽い。
だが戻る気など最初からない。
強きものがいる。
それだけで足が向く。
霧はどんどん濃くなっていった。
白い。
まるで世界そのものが消えていくような深い霧。
だが奇妙だった。
「……うむ?」
武蔵は眉をひそめる。
先ほどまでうようよしていたアンデッドが、一体もいない。
気配すらない。
逃げた。
いや、近寄れぬのだ。
もっと上位の存在を恐れて。
武蔵の口元が歪む。
「これはよほどの強者じゃな」
胸が躍る。
自然と足が速くなる。
ふと気づく。
「そういえば」
いつも影に潜んでついてくるシャドウデーモンがいない。
武蔵は振り返る。
当然見えぬ。
だがいない気配だけはわかった。
「ほう」
武蔵は笑った。
「おぬしが逃げるほどか」
ますます面白い。
そして――
霧の奥から、ぎぃ……と木が軋む音がした。
前方。
何もないはずの平原の中。
そこに現れた。
「ほお」
船だった。
巨大な帆船。
だが海ではない。
森の中を滑るように浮かんでいる。
船体は黒ずみ、ところどころ腐っている。
マストにはぼろぼろの帆。
甲板には青白い火が灯り、誰もいないはずなのに気配だけが満ちていた。
幽霊船。
武蔵は腕を組んで見上げた。
「なかなか趣がある」
船は音もなく武蔵の前で止まる。
そして――
するすると縄梯子が垂れた。
まるで招いているように。
「あがってこいということか」
武蔵は笑った。
「よい」
縄梯子に手をかける。
ぎしり。
一段。
二段。
三段。
登るたび、霧の中から無数の視線を感じる。
見えない。
だが確かにいる。
死者たちだ。
それでも武蔵の心は静かだった。
いや、静かに昂ぶっていた。
「さて――」
甲板へ手をかける。
「どんな化け物がおるのやら」
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甲板へ上がった瞬間だった。
ガシャリ。
ガシャガシャガシャ――!
周囲を囲むように現れたのは、船員服を着たスケルトンたちだった。
ぼろぼろの三角帽子。
腐りかけた水兵服。
腰には錆びたカトラス。
眼窩には青白い炎が揺れている。
十体。
二十体。
さらに奥からまだ現れる。
武蔵は肩を回した。
「ほお、大歓迎じゃな」
一斉に襲いかかる。
最初の一体。
振り下ろされた剣を半身でかわし――
ドゴッ!!
拳で顔面を砕く。
頭蓋が吹き飛ぶ。
二体目。
横薙ぎ。
武蔵は踏み込み――
バキィ!!
膝蹴りで胴骨を粉砕。
三体目。
背後から突き。
振り返らずに――
バチン!!
手刀。
首骨が飛ぶ。
四体目、五体目、六体目。
蹴り。
拳。
肘。
頭突き。
ただそれだけ。
剣すら抜かぬ。
まるで踊るように。
いや――舞うように。
骨が砕ける音が、甲板に鳴り響く。
バキ、ガシャ、ドゴン!
わずか数息。
甲板に残ったのは砕け散った骨だけだった。
武蔵は肩についた骨粉を払う。
「やれやれ」
つまらなそうに言う。
「これでは舞じゃな」
昔、愚地独歩に言ったのと同じ言葉。
戦いではない。
戯れだ。
その時だった。
鼻を刺す腐臭。
奥へ行くほど濃くなる。
血でも腐肉でもない。
もっと深い死の臭い。
武蔵の目が細まる。
「主か」
ぎし、ぎし。
船板を踏みしめながら進む。
奥の船長室。
扉は半ば腐り落ちていた。
その先。
暗闇の中にひとつの巨影。
椅子に腰掛けていた。
全身に海藻をまとい、朽ちた軍帽を被る巨躯。
片目は潰れ、もう片方だけが赤く燃えている。
右腕には巨大な錨を加工した斧。
左腕には船の鎖が巻きついていた。
足元には白骨が積み上がっている。
船長グレルネ。
この幽霊船を束ねる亡霊王。
グレルネはゆっくり立ち上がった。
その動きだけで船が揺れる。
「……生者」
低く、海底から響くような声。
武蔵は笑った。
「なかなかの匂いじゃ」
グレルネが斧を肩に担ぐ。
「貴様……我が船に上がったこと、後悔するぞ」
武蔵は腕を組んだ。
「後悔はせん」
一歩前へ。
「期待はしとるがな」
その瞬間。
グレルネの赤い目が大きく燃え上がった。
船内に黒い霧が噴き出す。
死者の呻きが響く。
武蔵の頬がゆっくりとつり上がる。
ようやく――
戦える。
「さて」
「どこまで楽しませてくれる」
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甲板の上。
霧が渦巻き、幽霊船そのものが唸るように軋んでいた。
向かい合う二人。
亡霊船長グレルネ。
剣鬼・宮本武蔵。
グレルネは赤い片目で武蔵を見据える。
「お前の名は」
低い声。
武蔵は自然体のまま答えた。
「宮本武蔵」
「武蔵……むさしか」
グレルネは顎を鳴らし、不気味に笑う。
「いい名だ」
腐った歯が覗く。
「俺と勝負しろ」
海藻まみれの肩を揺らしながら言った。
「勝てばこの船を降りるがいい」
その赤い眼が細まる。
「負ければ――俺のしもべだ」
武蔵は鼻を鳴らした。
「面白い」
グレルネが腰のシミターを抜く。
錆びている。
だがそこに宿る魔力は尋常ではない。
「いくぞ!」
瞬間――
ブン!!
シミターを投げた。
一直線。
武蔵の喉元へ。
だが武蔵は首をわずかに傾ける。
ヒュン!!
刃は頬をかすめ、甲板へ突き刺さった。
その瞬間。
グレルネが地を蹴る。
速い。
そして叫ぶ。
「ばかめ!」
両手を突き出す。
「俺は魔導士!」
掌に赤い魔法陣。
「ファイヤーボール!!」
轟音。
爆炎。
武蔵を飲み込み、甲板が爆ぜる。
火柱が夜空へ立ち上る。
グレルネは高笑いした。
「ふははは!」
腕を広げる。
「勝った! たわいもない!」
霧の中に炎が揺れる。
勝利を確信した。
――だが。
「そうか」
その声。
炎の中から。
グレルネの笑みが止まる。
「バ、バカな」
炎を割って、武蔵が歩いてくる。
着物は少し焦げている。
髪も焼けている。
だが。
傷ひとつない。
武蔵は肩の煤を払った。
「まあ」
静かに言う。
「投げた瞬間の動きでわかった」
甲板に刺さったシミターを見る。
「おぬしが魔導士だとな」
グレルネの顔が歪む。
「な……何故わかった!」
武蔵は口元を上げた。
「剣士以外が剣を捨てるときはな」
一歩踏み出す。
「剣に執着がない」
さらに一歩。
「つまり剣が本命ではない」
武蔵の目が鋭くなる。
「次はわしの番じゃ」