ラナーは茶器をそっと置いた。
「つまり」
「帝国に王国の人質として行けと?」
武蔵は頷く。
「表向きはそう見えるな」
「だが実質は遊びに行けばいい」
ラナーが首を傾げる。
「遊び?」
「そう」
武蔵は茶をすすりながら答える。
「1年ほど遊びに行けばいい」
「どの道お主が消えたら王国は困るのであろう」
ラナーは苦笑する。
「まあ、そうでしょうね」
王国の黄金姫。
民衆からは人気がある。
王国改革の政治的象徴。
その不在は大きい。
だがラナーの思考は別の方向へ向いていた。
(でも……)
(デミウルゴスとの約束はどうしましょう)
ナザリックとの計画。
王国崩壊への布石。
それを動かす必要がある。
だが。
この男が持ってきた話もまた面白い。
ラナーは静かに問いかけた。
「ひとつ重要なことがあります」
武蔵が見る。
「なんじゃ」
「クライムはどうすれば?」
武蔵は一瞬考えた。
「クライム?」
「ああ、そこの坊か」
横で立つクライムがぴくっと反応する。
武蔵はあっさり言った。
「一緒に連れて行けばよい」
「お主のお付きじゃろ」
その一言。
ラナーの中で何かが弾けた。
(クライムと……)
(一緒に……)
(1年以上……)
(一緒に……)
(四六時中……)
(同じ屋根の下……)
(クライムと……)
(クライムと……)
(クライムと……)
脳内が高速回転する。
頬が赤く染まる。
「うふ」
「うふふふふ」
突然笑い始めた。
肩を震わせ。
目を閉じ。
止まらない。
クライムが青ざめる。
「ラ、ラナー様?」
武蔵は眉をひそめた。
「……気持ち悪いのお」
シャドウデーモンも影の中で震える。
(今さらだけどこの姫、やばい)
ラナーはゆっくり顔を上げた。
笑顔。
完璧な笑顔。
だが目の奥が危険だった。
「わかりました」
「その条件」
「受けましょう」
クライムが絶句する。
「えええええ!?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
深夜。
王城リ・エスティーゼの謁見の間。
寝間着の上から急いで王衣を羽織ったランポッサ三世は、娘に呼び出されていた。
突然。
本当に突然だった。
しかも娘の顔は妙に晴れやかだ。
嫌な予感しかしない。
その隣には武蔵。
さらにクライムまでいる。
何が起きたのか、国王には全くわからない。
ラナーが満面の笑みで言った。
「お父様」
「わたくし、今から帝国へ参ります」
「最低 1年は帰ってまいりません そのつもりで」
沈黙。
「……な、なんだと!?」
ランポッサ三世の声が響いた。
頭が追いつかない。
夜中に叩き起こされ。
娘が突然出国宣言。
意味がわからない。
「そ、それは……」
言葉が出ない。
ラナーは完全にウキウキしていた。
もはやデミウルゴスとの密約など脳内から吹き飛んでいる。
今あるのはただ一つ。
(クライムと1年以上ひとつ屋根の下)
その幸福感だけ。
ランポッサはなんとか冷静を装う。
「お、お前……」
「まさか皇帝の元へ嫁ぐのか?」
ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの顔が頭をよぎる。
まさか政略結婚か。
だがラナーは首を振った。
「違います」
「帝国へ遊びに行きます」
「そ、そうか」
ランポッサは一瞬安心した。
次の瞬間。
「……遊びにって!?」
むしろ意味がわからない。
ラナーはもう次の話に移っていた。
「ああ、バルブロ兄さま、ザナック兄さまにはお父様から伝えてくださいな」
「それとラキュースにはこれを」
手紙を差し出す。
ランポッサが受け取る。
手が震えている。
「ちょ、ちょっと待て!」
「こういうのは準備が!」
「外交が!」
「護衛が!」
「国家の体面が!」
だがラナーは聞いていない。
頬を赤らめ。
夢見る少女の顔で呟く。
「ああ、楽しみ」
くるりと踵を返す。
「準備がありますので失礼します」
そのまま部屋へ戻っていった。
止める暇すらない。
残されたのは。
呆然とする国王。
クライム。
武蔵。
沈黙。
ランポッサ三世は玉座に崩れ落ちた。
「……ど、どうしてこうなった」
頭を抱える。
武蔵は首を傾げる。
「うまくまとまったと思ったがのお」
クライムは遠い目をしていた。
(本当に……どうしてこうなったんだ……)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだ夜明け前。
王城の正門前には、一台の豪奢な王室仕立ての馬車が停まっていた。
窓から身を乗り出し、ラナーが満面の笑みで手を振る。
「それではみなさまー」
「いってきまーす♪」
あまりにも軽い。
本人は旅行気分そのものだった。
見送るランポッサ三世は顔色が悪い
「ほ、本当に行くのか……」
深夜から一睡もしていない。
胃も痛い。
頭も痛い。
何も解決していない。
ただ娘が勝手に国外に出るだけだ。
隣でザナックも呆然としていた。
「……いや待て」
「なんでこんな急展開なんだ」
深夜に聞かされ。
気づけば朝がた出発。
理解が追いつかない。
一方。
バルブロは来ていない。
八本指の利権がナザリック支配下に入り。
金づるを失った結果。
酒浸り生活継続中。
妹のことなど頭にない。
御者台にはクライム。
手綱を握りながら複雑な顔をしている。
(本当にこれでいいのか……)
だがラナーが楽しそうなので止められない。
その横。
武蔵は
馬車の横に立ちながら、妙な顔をしていた。
馬車の中から。
どろどろ。
ねっとり。
甘ったるい気配が漏れている。
武蔵が顔を引きつらせる。
「……なんじゃこの気配」
ラナーは中で一人。
クライムとの生活を想像して幸福の瘴気を垂れ流していた。
シャドウデーモンは影の中で小刻みに震える。
(この姫の情念の方が俺より闇属性強い……)
クライムが手綱を鳴らす。
「出発します!」
馬が走る。
馬車が王都を離れる。
帝都へ向けて。
ラナーは窓から笑顔で手を振る。
「お土産買ってきますねー!」
国王が叫ぶ。
「遊びに行く距離じゃないぞおおお!!」
その声も虚しく。
馬車は遠ざかる。
そして。
武蔵は馬車に乗っていなかった。
横を普通に走っている。
クライムが驚く。
「武蔵殿!?」
武蔵は平然。
「わし、乗り物は苦手でな」
「揺れると酔う」
馬車と同じ速度で並走している。
息一つ乱れない。
クライムは思った。
(この人が一番おかしい)
こうして。
王国の黄金姫。
忠犬騎士。
剣豪。
シャドウデーモン。
奇妙すぎる一行は帝国へ向かうのだった。
ラナー旅に出る回でした クライムとあれやこれや、やりたいと妄想が爆発してます