二日目の野営。
陽が沈み、各隊は思い思いに焚き火を囲んでいた。
初日の夜には、ちょっとした余興もあった。
冒険者モモンと、ワーカー「龍狩り」のリーダー、パルパトラによる立ち合いである。
結果はモモンの勝利。
その試合を見ていた武蔵は、腕を組みながら頷いていた。
「腕を上げたのお。」
モモンは兜の下で苦笑する。
(ありがとうございます……。)
そんな穏やかな空気は、二日目の夜に破られた。
「なんだこれは!」
怒鳴り声が野営地に響く。
各焚き火の視線が一斉に集まる。
モモンもそちらを向いた。
一人の男が、耳の長いエルフの少女を怒鳴りつけている。
料理番らしく、大鍋の前で立ち尽くしていた。
次の瞬間。
バシッ!
平手が飛んだ。
少女はその場に尻もちをつく。
「申し……訳……」
涙を浮かべるエルフ。
モモンは眉をひそめた。
(……なんだ。)
最初は放っておくつもりだった。
人間同士の揉め事。
依頼に関係ない。
しかし。
(異種族だから殴る……。)
ふと。
ユグドラシル時代を思い出す。
異形種狩り。
そして。
もし。
アウラやマーレが同じ目に遭ったら。
そう考えると、自然と腰が浮いた。
(少し懲らしめるか。)
立ち上がろうとした、その時。
先に動いた者がいた。
「おい。」
武蔵だった。
男の前まで歩いて行く。
「なぜ女子を殴るのじゃ。」
男は振り返る。
「なんだ、お前。」
鼻で笑った。
「こいつがな。」
「まずい料理を出しやがった。」
足元ではエルフの少女が半泣きになっている。
武蔵は何も言わず、地面にこぼれたスープを指ですくった。
ぺろり。
味を見る。
「……。」
数秒。
「うまいではないか。」
その一言に、周囲が静まる。
男は鼻で笑う。
「俺からしたらまずいんだよ!」
武蔵は真顔で答えた。
「なら寝ろ。」
「腹が減れば何でもうまい。」
焚き火のあちこちで吹き出す者がいた。
「ぷっ。」
「その理屈かよ。」
男の額に青筋が浮く。
「てめぇ……!」
「俺を馬鹿にしてんのか!」
武蔵は首を傾げる。
「事実を言っただけじゃ。」
男は胸を叩いた。
「俺は天武のエルヤー・ウズルスだ!」
「お前は!」
武蔵は静かに答える。
「宮本武蔵。」
その名が響いた瞬間。
野営地がざわついた。
「宮本武蔵……?」
「あの武王を倒した男か!」
「帝国最強を一撃で倒したっていう……。」
「ラナー姫を帝国へ連れてきた男とも聞いたぞ。」
「本当にいたのか。」
エルヤーは口元を歪めた。
「ほお。」
「お前が武蔵か。」
「ちょうどいい。」
腰の武器へ手を掛ける。
「立ち会え。」
武蔵は小さく息を吐いた。
「またか。」
「飯時ぐらい、静かに食えんものかの。」
その言葉に、周囲のワーカーたちは思わず苦笑した。
一方、少し離れた場所では、モモンが心の中で頭を抱えていた。
(始まった……。)
(やっぱり始まった……。)
(頼むから野営地は壊さないでくださいよ、武蔵さん……。)
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エルヤーの口元にはまだ余裕の笑みが浮かんでいた。
「いいだろう」
武蔵は静かにうなずく。
「ただし――」
そう言って、後ろで震えている三人の奴隷エルフへ視線を向けた。
「わしが勝ったら、あの娘たちを解放してやれ。」
エルヤーは鼻で笑う。
「はっ、それだけか。」
「俺が勝ったら?」
武蔵は肩をすくめた。
「お前を第九代武王と認めてやる。」
「帝国にもそう伝えてやってよい。」
周囲のワーカーたちが吹き出した。
「なんだその条件。」
「武蔵らしいな。」
だがエルヤーは満足そうに笑った。
「なるほど。」
「面白い。」
「じゃあ始めるぞ。」
剣を抜く。
一流の戦士らしく隙のない構え。
それに対して武蔵は――。
ただ立っていた。
腕も組まない。
構えもしない。
エルヤーが眉をひそめる。
「おい。」
「何してる。」
武蔵は左手をゆっくり持ち上げた。
「わしか。」
「わしの得物はこれじゃ。」
ぴっと左の人差し指を立てる。
その爪は少しだけ伸びていた。
「ちょうど爪が伸びていてな。」
一瞬、沈黙。
そして。
「な……。」
「なんだと……!」
エルヤーの顔が真っ赤になる。
「ふざけるな!!」
怒声が野営地へ響いた。
武蔵は首をかしげる。
「ふざけとらんよ。」
「始めるか。」
その飄々とした態度が、エルヤーの怒りに火をつけた。
「殺してやる!」
武技を発動。
身体能力が一気に跳ね上がる。
地面を蹴り、一瞬で武蔵との距離を詰めた。
「死ねぇぇぇぇ!」
渾身の一撃。
剣が唸りを上げる。
誰もが武蔵を捉えたと思った。
――だが。
空を斬った。
「なっ!?」
武蔵の姿がない。
エルヤーが目を見開く。
その時。
「やれやれ。」
後ろから、ため息混じりの声。
「未熟じゃの。」
エルヤーが振り返ろうとした瞬間。
ちりっ。
爪が首筋に触れた。
一本の細い赤い線。
つう、と血が流れる。
武蔵は静かに言った。
「負けを認めい。」
「ぐっ!」
エルヤーは反射的に剣を振ろうとする。
しかし。
その瞬間には。
爪先が眼球のすぐ前にあった。
あと一寸。
あと少し前へ出れば。
眼を貫き、脳へ届く。
エルヤーの全身から冷や汗が噴き出した。
武蔵は笑わない。
ただ静かに言う。
「このまま貫いてやってもいいぞ。」
周囲は息を呑んでいた。
武器すら持たず。
指の爪一本で、一流ワーカーを完全に制圧していた。
最初に口を開いたのはヘッケランだった。
「……終わった。」
イミーナも苦笑する。
「勝負になってない。」
アルシェは目を丸くしていた。
「爪で……勝っちゃった。」
モモンも内心で驚愕していた。
(爪だけで急所を完全に制圧した……。)
(あれは速さだけではない。)
(相手の反応、視線、呼吸、その全てを読んでいる。)
(やはり武蔵さんは規格外だ。)
ナーベは腕を組みながら小さく鼻を鳴らす。
「変態のくせに……。」
そう呟きながらも、その頬はわずかに赤かった。
エルヤーは震える手から剣を落とした。
カラン――。
乾いた音が野営地に響く。
肩を落とし、歯を食いしばる。
「……負けだ。」
武蔵は満足そうにうなずく。
「うむ。」
「約束じゃ。」
「娘たちを自由にしてやれ。」
敗北を認めたエルヤーは、悔しさに顔を歪めながらも三人の奴隷エルフへ向き直る。
「……行け。」
首輪を外された三人は信じられないという顔で互いを見つめ、やがて武蔵へ深々と頭を下げた。
武蔵は照れくさそうに頭をかいた。
「礼はいらん。」
「女子を泣かせるのは気に食わんだけじゃ。」
その何気ない一言に、野営地はしばし静まり返った
雰囲気は北斗の拳のトキとアミバが戦ったときをイメージしてください