闘技場に静寂が訪れる。
さきほどまで絶え間なく響いていた剣戟は止み、二人は再び向かい合っていた。
武蔵は大きく息を吐く。
「ふう……。」
いつから数えていたのかも分からない。
何十合。
いや、100合近く打ち合ったのかもしれない。
その全身は傷だらけだった。
肩。
腕。
脇腹。
脚。
コキュートスの四刀によって刻まれた無数の傷口から、血がゆっくりと流れ落ちる。
石畳には赤い雫が点々と続いていた。
対するコキュートスもまた満身創痍だった。
青白い甲殻には無数の斬撃痕。
全身に蜘蛛の巣のような亀裂が走り、ところどころから白い体液が滲み出ている。
その巨体を支える脚さえ微かに震えていた。
誰も言葉を発しない。
ただ、その仕合だけを見守っている。
「ああ……。」
ツアレは思わず顔を伏せた。
もう見ていられない。
だが隣のセバスは静かに言う。
「見なさい。」
「え……。」
「武人同士が命を懸けて交わす仕合です。」
「最後まで見届けなければなりません。」
その声は穏やかだったが、決して揺るがなかった。
ツアレは震える手を下ろし、再び闘技場を見る。
プレアデスたちも誰一人目を逸らさない。
いつもにやけた笑みを絶やさないルプスレギナですら、今は真剣な表情だった。
けれどナーベラルは耐え切れず立ち上がる。
「もう……。」
「見ていられない。」
するとユリ・アルファがそっと肩へ手を置いた。
「ナーベ。」
「最後まで見なさい。」
「でも……。」
「これは武蔵殿、コキュートス様 両者が望まれた仕合。」
「途中で目を逸らすことは失礼です。」
ナーベは唇を噛み締め、ゆっくりと席へ戻った。
守護者たちも、今は武蔵への敵意を忘れていた。
ただ一人の武人として、その姿を見つめている。
武蔵は刀を構える。
「さて。」
「そろそろ決めるかの。」
コキュートスも四本の武器を静かに構え直した。
「ウム。」
「武蔵殿。」
「申シ訳ナイガ。」
「技ヲ使ワセテモラウ。」
武蔵は笑う。
「構わん。」
「わしもじゃ。」
腰を落とす。
全身の筋肉が静かに沈む。
そして。
「武技――」
武蔵の気配が一変した。
「疾風走破。」
瞬間。
その姿が風そのものになる。
玉座のアインズが思わず立ち上がった。
「武技!?」
「いつ覚えたのだ!」
驚愕する。
クレマンティーヌの武技を一度見ただけで、自らのものとして昇華したというのか。
武蔵の瞳が鋭く光る。
「可能性知覚。」
未来の一手を読む。
「急所感知。」
勝負を決する一点を見抜く。
そして。
「神閃。」
刀が音を置き去りにした。
コキュートスも全身から凍気を噴き上げる。
四本の腕が同時に動く。
「秘技――」
「俱梨伽羅剣。」
四本の武器が一つの巨大な斬撃となって武蔵へ襲いかかる。
一人は人間。
一人はナザリック第五階層守護者。
互いの武のすべてを込めた最後の一撃。
二つの奥義が、
真正面から激突した。
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激突。
その瞬間だけは、誰にも見えなかった。
剣が交わる音すらない。
ただ、一陣の風が闘技場を駆け抜けた。
――静寂。
気が付けば。
武蔵とコキュートスは互いの背を向ける形で立っていた。
位置だけが入れ替わっている。
誰も動かない。
観客席も。
守護者も。
フォーサイトも。
息をすることすら忘れていた。
数秒。
永遠にも感じられる沈黙の後――
ガクッ。
武蔵の右膝が石畳につく。
「……。」
アルシェが思わず叫ぶ。
「武蔵さん!」
ナーベも立ち上がる。
「武蔵!」
その声に反応するように、コキュートスがゆっくりと口を開いた。
「……ミゴト。」
短い一言。
そこには敗北への悔しさではなく、心からの敬意だけがあった。
そして。
巨体がゆっくりと後ろへ倒れる。
ドォン――
闘技場全体が震えた。
再び静寂。
アインズは玉座からゆっくり立ち上がる。
戦いのすべてを見届けた王として、静かに宣言した。
「勝者。」
「宮本武蔵。」
その一言で、勝負は決した。
だが誰も歓声を上げない。
誰もが最初に心配したのは、倒れたコキュートスだった。
「コキュートス!」
守護者たちが一斉に駆け寄る。
プレアデスも続く。
アウラはその大きな腕へ飛びついた。
「だ、大丈夫!?」
涙目になっている。
デミウルゴスはすぐさま膝をつき、傷を調べ始めた。
甲殻の裂け目。
流れる体液。
脈動。
魔力の流れ。
慎重に確認したあと、静かに顔を上げる。
「ご安心ください。」
「深手ではありますが、命に別状はありません。」
その言葉に。
「よかったぁ……。」
アウラが胸をなで下ろす。
シャルティアも小さく息を吐き、アルベドも安堵の表情を浮かべた。
一方。
武蔵のもとへはフォーサイトが駆け寄る。
「武蔵さん!」
ヘッケランが肩を貸そうとする。
アルシェは回復魔法の準備を始めた。
「だ、大丈夫ですか!」
武蔵は苦笑する。
「大丈夫、と言いたいが……。」
肩で大きく息をする。
「しばらく動けん。」
「武技を使いすぎた。」
全身から力が抜けていく。
疾風走破。
可能性知覚。
急所感知。
神閃。
一度に使った反動は、想像以上だった。
今の武蔵は、刀を握ることすら難しい。
その様子を見て。
デミウルゴスの目が細くなる。
(今です。)
(今なら確実に仕留められる。)
アインズ様を傷つけ得る存在。
ここで消してしまえば。
シャルティアも。
アルベドも。
無言で一歩前へ出る。
空気が変わる。
フォーサイトはその殺気に顔色を変えた。
「ま、まさか……。」
その時だった。
「……マテ。」
低く響く声。
全員の動きが止まる。
倒れていたはずのコキュートスが、ゆっくりと顔だけを上げていた。
四つの眼が守護者たちを見据える。
「ワタシニ。」
「恥ヲ。」
「カカセルナ。」
誰も言葉を返せない。
コキュートスは苦しそうに息をしながらも続けた。
「武蔵殿ハ。」
「正々堂々。」
「ジブンヲ倒シタ。」
「ソレヲ。」
「戦イノ後ニ討ツノハ。」
「武人ノ道ニ反スル。」
そして最後に、アインズへ視線を向けた。
「何ヨリ。」
「アインズ様ノ。」
「御意思デアル。」
その言葉に、デミウルゴスは静かに目を閉じた。
「……失礼いたしました。」
アルベドも一礼する。
シャルティアも不満そうではあったが、一歩下がった。
アインズは玉座の上からその光景を見つめ、小さく頷く。
(ありがとう、コキュートス。)
(君が止めてくれて助かった。)
そして武蔵へ視線を向ける。
この男は勝った。
力だけではない。
コキュートスから、そしてアインズ自身からも、一人の武人としての敬意を勝ち取ったのである。