転移の光が静かに広がる。
アインズは玉座から立ち上がり、フォーサイトへ視線を向けた。
「約束通りだ。」
「お前たちは地上へ返そう。」
魔法陣が床に展開される。
ヘッケランたちはようやく助かったのだと実感し、安堵の息を漏らした。
しかし、一人だけ。
アルシェだけは違った。
「嫌です!」
武蔵の腕を掴む。
「武蔵さんも一緒に帰りましょう!」
「きっと何か方法があります!」
武蔵は困ったように笑う。
「ない。」
「約束は約束じゃ。」
「武蔵さん!」
涙があふれる。
ヘッケランがそっとアルシェの肩に手を置いた。
「アルシェ。」
「でも!」
「これはアインズさんと武蔵さんの約束だ。」
「俺たちが口を挟んじゃいけない。」
ロバーデイクも静かに頷く。
「約束を違えぬからこそ、武蔵さんなのです。」
イミーナも寂しそうに笑った。
「また会えるわよ。」
「……たぶん。」
武蔵は四人を見る。
「短い付き合いじゃったが。」
「楽しかった。」
「達者でな。」
ヘッケランたちも深く頭を下げた。
「武蔵さん。」
「ありがとうございました!」
光が四人を包む。
そして。
フォーサイトの姿は地上へ消えた。
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静かになった玉座の間。
アインズは武蔵へ歩み寄る。
「武蔵さん。」
「あなたは約束を守った。」
「こちらも約束を守ろう。」
武蔵は首を傾げる。
「家臣になるんじゃなかったのか。」
アインズは首を横に振った。
「いいえ。」
「あの戦いを見て、考えが変わりました。」
「あなたを家臣にはしません。」
武蔵が笑う。
「ほう。」
「友として。」
「ナザリックにいてください。」
玉座の間が静まり返る。
守護者たちも驚く。
アインズ自ら「友」と認めた者は、四十一人の仲間以外では初めてだった。
武蔵は少し考えた後、笑った。
「そうか。」
「なら世話になろう。」
アインズも嬉しそうに頷いた。
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「それでは。」
シャルティアが前へ出る。
「今晩はここに泊まるといいでありんす。」
「楽しい部屋を用意したでありんすよ。」
その笑みを見たデミウルゴスは心の中で苦笑した。
(……嫌な予感しかしませんね。)
武蔵はシャルティアに案内されながらふと思い出す。
「そういえば。」
「牙はどうなった。」
シャルティアの額に青筋が浮かぶ。
「……。」
「おかげさまで。」
「新しいのがすぐ生えたでありんす。」
笑顔。
しかし目は笑っていない。
「折られた牙は。」
「思い出として大切に取ってあるでありんす。」
「そうか。」
武蔵は悪気なく頷く。
「丈夫じゃな。」
シャルティアのこめかみがぴくりと動いた。
(今すぐ噛み付きたい……。)
(でもアインズ様のお友達……。)
(我慢……我慢。)
長い廊下を歩き、一つの扉の前で止まる。
「こちらでありんす。」
武蔵は扉を開ける。
その瞬間。
ぞわっ。
無数の虫。
巨大な節足動物。
天井からぶら下がる繭。
床を這う黒い影。
部屋いっぱいに広がる、恐怖公の愛する虫たち。
普通の人間なら絶叫して卒倒する光景だった。
シャルティアは心の中でほくそ笑む。
(恐怖公の部屋でありんす。)
(さあ泣くがいいでありんす。)
ところが。
武蔵は部屋を見回して一言。
「ほう。」
「虫屋敷か。」
「これはこれで趣がある。」
「……。」
「……。」
シャルティアの笑顔が固まる。
武蔵はそのまま平然と部屋へ入っていく。
「で、では。」
「お休みでありんす。」
少し肩を落としながら扉を閉めた。
(なんで平気なんでありんすか……。)
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廊下。
扉の前の影がゆらりと揺れる。
そこから、そっと顔を出したのはシャドウデーモンだった。
武蔵が無事に部屋へ入ったことを確認し、安心したように影へ戻ろうとする。
その瞬間。
「……おや。」
シャルティアがにっこり笑った。
「そういや。」
「お前には問いただしたいことが山ほどありんす。」
「……?」
首を傾げるシャドウデーモン。
次の瞬間。
むぎゅっ。
シャルティアに片手でつまみ上げられた。
「!?」
じたばた。
じたばた。
影へ逃げようとするが逃げられない。
「逃がさないでありんす。」
「さあ。」
「デミウルゴスのところへ行くでありんす。」
シャドウデーモンの顔色が青くなる。
(終わった。)
その心の叫びも虚しく。
ずるずると引きずられながら、ナザリック一怖い悪魔の執務室へ連行されていった。
廊下には、シャドウデーモンの小さな悲鳴だけがいつまでも響いていた。
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第二階層。
虫たちの巣窟。
壁一面を甲虫が這い、天井には巨大な蜘蛛が巣を張り、床では無数の蟲がざわざわと蠢いている。
常人なら一歩足を踏み入れた瞬間に悲鳴を上げる光景だった。
その中央で、一匹の巨大な昆虫が待っていた。
「吾輩。」
「第二階層領域守護者。」
「恐怖公と申します。」
礼儀正しく一礼する。
武蔵も軽く頭を下げた。
「宮本武蔵と申す。」
挨拶が終わると、武蔵はゆっくりと歩き出した。
一歩。
また一歩。
その瞬間だった。
ズザザザザザッ――
床を埋め尽くしていた虫たちが、一斉に左右へ退く。
まるで見えない巨大な圧力に押しのけられるように。
一本の道ができる。
まるで海が割れるかのようだった。
恐怖公は思わず複眼を見開く。
(虫たちが……。)
(本能で避けている……?)
武蔵は恐怖公の前まで来ると、その姿をじっと見つめた。
沈黙。
恐怖公の背中を嫌な汗が流れる。
「武蔵殿……。」
「何か。」
武蔵は真顔のまま言った。
「お主。」
「でかいゴキ被りじゃの。」
「……。」
部屋中の虫が一瞬止まったような気がした。
恐怖公は引きつった笑みを浮かべる。
「そ、そのような言い方は……。」
武蔵はさらに近づく。
「1尺(三十センチ)はあるか。」
「立派じゃ。」
恐怖公はますます嫌な予感しかしない。
そして武蔵は顎に手を当て、昔を思い出すように言った。
「うまそうじゃ。」
「……え?」
「昔、山でお主のような虫を捕まえて食ったことがある。」
「!?」
恐怖公の触角がぴんと立つ。
「た、食べるのでありますか!?」
武蔵は平然としている。
「ああ。」
「頭と尻を抜いてな。」
「胴だけを食した。」
「香ばしくて酒に合う。」
「……。」
「……。」
恐怖公の六本の脚が小刻みに震え始めた。
「わ、吾輩。」
「うまくないであります!」
「絶対まずいであります!」
「食べても損であります!」
武蔵は真剣な顔で頷く。
「そうか?」
「見た目はうまそうなんじゃが。」
「いやいやいや!」
恐怖公は思わず後ずさる。
(な、なんだこの人間!)
(守護者と戦って勝っただけでも異常なのに!)
(吾輩を食料として見ている!?)
武蔵はその様子を見て、
ふっと口元を緩めた。
「まあ。」
「冗談じゃ。」
そう言って豪快に笑う。
「わっはっは!」
恐怖公はその笑い声を聞きながら、
がくりと膝をついた。
(ジョ、冗談ではないであります……。)
武蔵の目は。
ほんの一瞬だけ。
本気で食べ方を考えている猟師の目だったことを、恐怖公だけは見逃さなかった