カルネ村の入口。
蒼の薔薇はエンリに案内され、村の一角にある寺子屋の前へとやって来た。
「武蔵さんなら、この時間はここにいると思います。」
エンリが扉を開ける。
その中では――
「そこは『あ』じゃ。」
「これは『い』。」
武蔵が子供たちと一緒になって文字を書いていた。
隣ではクレマンティーヌが先生として教壇に立ち、子供たちの宿題を見ている。
「はい、今日はここまで。」
授業が終わると、武蔵が振り返った。
「おお。」
「お主たちか。」
「確か、あの時の冒険者じゃな。」
武蔵は穏やかに笑う。
ラキュースは一歩前へ出て、優雅に一礼した。
「改めまして。」
「私は蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。」
「本日は王国からの使者として参りました。」
「うむ。」
武蔵も軽く頭を下げる。
「宮本武蔵じゃ。」
「よろしく頼む。」
しばらく互いに見つめ合う。
ふと武蔵が思い出したように口を開いた。
「そういえば……。」
ラキュースの背筋に嫌な予感が走る。
(まさか……。)
武蔵は悪気のない笑顔で尋ねた。
「おぬし。」
「恋が破れたと言っておったな。」
「そのあと、恋はどうなった。」
「…………。」
ラキュースの笑顔が固まる。
視線が泳ぐ。
「ま、まあ……。」
「その……。」
言葉に詰まる。
すると横からティアが淡々と言った。
「まだ。」
ティナも続ける。
「百一回目はない。」
「あなたたち!」
ラキュースが真っ赤になって叫ぶ。
「余計なこと言わないの!」
ティアとティナは顔を見合わせる。
「事実。」
「隠してない。」
「だからって言わなくていいでしょう!」
ラキュースは両手で顔を覆った。
ガガーランは腹を抱えて笑う。
「ぶははは!」
「武蔵さん、いきなりそこ突っ込むか!」
イビルアイも小さく肩を震わせる。
「……くく。」
珍しく笑いをこらえていた。
武蔵は首をかしげる。
「なんじゃ?」
「まだ成就しておらぬのか。」
「恋というものは難しいものじゃのう。」
その一言でラキュースは完全にうなだれた。
「お願いですから……。」
「その話は終わりにしてください……。」
クレマンティーヌは教壇の横からその様子を見て、小声で武蔵に囁く。
「武蔵さん。」
「あなた、悪気なく人の急所えぐるタイプね。」
武蔵はきょとんとした顔をした。
「そうか?」
「恋路を気に掛けるのは良いことではないのか。」
その天然ぶりに、蒼の薔薇の面々は思わず苦笑いするしかなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ラキュースは表情を引き締め、一歩前へ出た。
先ほどまでの恋愛話とは打って変わり、その瞳には王国を背負う者としての覚悟が宿っている。
「武蔵さん。」
「本日は国王陛下からの依頼をお伝えするために参りました。」
武蔵も姿勢を正した。
「うむ。」
「申してみよ。」
ラキュースは深く息を吸う。
「王国はナザリックとの友好を望んでいます。」
「その交渉を……武蔵さんにお願いしたいのです。」
武蔵は静かに聞いている。
「国王陛下は、エ・ランテルとカルネ村を結ぶ線を新たな国境とし、ナザリックと和平を結びたいとお考えです。」
「そのための使者として、武蔵さんのお力をお借りしたい。」
「どうか……お願いいたします。」
武蔵は腕を組み、少し考えた。
「ふーむ……。」
やがて静かに口を開く。
「依頼か。」
ラキュースの表情が少し明るくなる。
しかし。
「……だが、断る。」
「えっ……?」
ラキュースの笑みが凍り付いた。
「な、なぜですか!」
武蔵は困ったように頭を掻く。
「わしは武芸者じゃ。」
「立ち会いならばできる。」
「旅もできる。」
「だが、国と国との取次など、一度もしたことがない。」
「できぬことを、できるとは言えん。」
その言葉には見栄も虚勢もなかった。
ただ、自分にできることとできないことを正直に口にしているだけだった。
ラキュースは一歩踏み出す。
「お願いします!」
思わず声が大きくなる。
「王国のためなのです!」
武蔵は黙って聞いている。
「このままでは、王国はナザリックにも帝国にも対抗できません。」
「座して滅びを待つだけです。」
「だからこそ、話し合いの道を残したいのです。」
ラキュースは拳を握り締めた。
「国王陛下も、この交渉にご自身の命運を懸けておられます。」
「失敗すれば退位。」
「それどころか、国内で反乱が起きる可能性すらあります。」
ティアが珍しく真面目な口調で続ける。
「貴族派が動いてる。」
ティナも頷く。
「王国は割れてる。」
ガガーランは腕を組んだまま言った。
「俺たちは戦うのは得意だ。」
「だが、今必要なのは戦いじゃねぇ。」
「戦わずに済ませる方法なんだ。」
イビルアイも静かに武蔵を見つめる。
「……お前はアインズ・ウール・ゴウンと友誼を結んだ。」
「王国で、その立場に立てる者は他にいない。」
「だから、お前しか頼めない。」
武蔵はしばらく黙って空を見上げた。
風が寺子屋の軒先を吹き抜ける。
子供たちの笑い声が遠くから聞こえてきた。
やがて武蔵は、小さくため息をついた。
「……お主たち。」
「わしを買いかぶり過ぎじゃ。」
その声は苦笑混じりだった。
「アインズ殿が友と呼んでくれたのはありがたい。」
「だが、それと国同士の話は別じゃ。」
「わしは一介の武芸者。」
「政治の駆け引きなど分からぬ。」
そう言う武蔵だったが、その表情にはわずかな迷いが浮かんでいた。ラキュースたちの必死な訴えが、彼の心を少しずつ揺らし始めていたのである。