エンリはしばらく考え込んでいた。
村長として。
そして、この村で暮らす一人の人間として。
静かに口を開く。
「……本音を言えば。」
その場にいた全員がエンリを見る。
「このまま王国領であるのは……私は嫌です。」
ラキュースたちも黙って耳を傾ける。
エンリは村の外を見つめながら続けた。
「この辺境の村は、今まで王国中央からほとんど援助を受けたことがありません。」
「村が襲われた時も。」
「食べるものに困った時も。」
「何もありませんでした。」
その言葉には恨みではなく、事実だけが込められていた。
「ここまで村が大きくなったのは、アインズ様のおかげなんです。」
「畑も。」
「柵も。」
「家も。」
「ゴブリンたちも。」
「全部、アインズ様がくださったものです。」
ラキュースは何も言い返せなかった。
それは王国の失政そのものだったからだ。
しかしエンリは少し微笑む。
「でも。」
「さっきのお話を聞いて。」
「王様も必死なんですね。」
「村長としては王国への不満もあります。」
「それでも、一人でも多くの人が戦わずに済むなら……。」
武蔵へ向き直る。
「私は、交渉してもいいかもしれないと思います。」
「戦になれば、苦しむのは兵士だけじゃありません。」
「村人も、子供たちも同じですから。」
その言葉を聞き、武蔵は目を閉じた。
「……。」
しばらく誰も口を開かない。
やがて武蔵はゆっくりとうなずいた。
「なるほどの。」
「村長としての意見、確かに聞いた。」
ラキュースは武蔵を見つめる。
「では……。」
武蔵は腕を組んだまま考え込む。
「うむ。」
「よし。」
ゆっくりとラキュースを見る。
「では、こうしよう。」
「ラキュース殿。」
「わしと立ち会え。」
「……え?」
ラキュースの思考が止まる。
「ええっ!?」
ガガーランが目を丸くする。
ティアとティナも珍しく同時に瞬きをした。
「なんでそうなる。」
「意味が分からない。」
イビルアイだけが腕を組み、
「……武蔵らしい。」
と、小さく呟いた。
ラキュースは慌てて両手を振る。
「い、いえ!」
「私は交渉をお願いしているのであって、決闘を申し込んでいるわけでは……!」
武蔵は真顔のまま答えた。
「交渉とは互いの覚悟を見るものでもある。」
「わしは言葉より剣の方が分かる。」
「お主が国を背負う覚悟を見せるなら、わしもその覚悟に応えよう。」
ラキュースは思わず息をのむ。
その言葉には、試すような響きはなかった。
ただ、自分なりのやり方で相手の決意を確かめようとしているだけだった
ガガーランが苦笑する。
「ははっ。」
「やっぱり武芸者だな、この人は。」
クレマンティーヌは額に手を当ててため息をついた。
「交渉の前に決闘って……。」
「ほんと、この人らしいわ。」
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村の広場には、村人たちが静かに集まっていた。
エンリ、ンフィーレア、クレマンティーヌ、ガガーランたち蒼の薔薇。
そして寺子屋の子供たちまで、何事かと遠巻きに見守っている。
ラキュースはゆっくりと剣を抜いた。
その表情には、先ほどまでの迷いはない。
エンリの言葉が胸に残っていた。
(もし……。)
(私の領地が辺境にあって、王都から何の援助も受けられなかったら。)
(きっと私も、エンリさんと同じことで苦しむ。)
貴族として育ったからこそ、その重みが分かった。
だからこそ。
「……分かりました。」
ラキュースは武蔵を真っすぐ見据える。
「立ち会います。」
武蔵は静かに頷いた。
「うむ。」
その様子を見て、クレマンティーヌが慌てて武蔵の袖を引っ張る。
「ちょ、ちょっと!」
「この子、私よりレベル低いわよ!」
「本気を出す気なの!?」
武蔵は平然と答える。
「相手が本気なら。」
「わしが手を抜くわけにはいかん。」
クレマンティーヌは頭を抱えた。
「はぁ~……。」
「あの子、大丈夫かなぁ……。」
ガガーランは苦笑する。
「武蔵さんはそういう人だからな。」
広場の中央。
二人が向かい合う。
風が吹く。
ラキュースは剣を正眼に構えた。
「――いざ。」
武蔵もゆっくりと刀を抜く。
「――まいる。」
その瞬間。
ラキュースの全身から血の気が引いた。
「――っ!」
目の前の武蔵ではない。
その背後。
巨大な獣がいた。
山よりも巨大な黒い獣。
口を大きく開け、自分を丸ごと呑み込もうとしている。
(な……。)
(何……これ。)
冷や汗が止まらない。
足が震える。
呼吸が浅くなる。
剣を握る手に力が入らない。
武蔵が静かに問う。
「どうした。」
「動けんのか。」
ラキュースは返事ができない。
体が言うことを聞かなかった。
武蔵は刀を構え直す。
「動けんのなら。」
「こちらから行くぞ。」
ガチガチに固まるラキュース。
心の中で必死に叫ぶ。
(お願い……。)
(キリネイラム。)
(私に力を貸して。)
(闇の私よ。)
(目覚めてもいい。)
私を支配してもいい。)
(だから、この一瞬だけ……。)
(お願い……。)
その姿を見たクレマンティーヌが首をかしげる。
「あの子……。」
「何言ってんの?」
隣のガガーランが頭をかいた。
「ああ。」
「ラキュース、また中二病が始まった。」
「現実逃避みたいなもんだ。」
クレマンティーヌは呆れたようにため息をつく。
「こんな時に?」
一方、武蔵は静かに踏み込んだ。
「では。」
「――ふん!」
ズバァッ!
一閃。
あまりにも速い斬撃。
広場にいた全員が息をのむ。
「まずい!」
「ラキュース!」
誰もが反射的に目を閉じた。
しかし。
……静かだった。
恐る恐る目を開く。
そこには――。
ラキュースが立っていた。
ほんの一歩。
たった一歩だけ。
だが確かに、武蔵の斬撃を避けていた。
武蔵は刀を納めながら、小さく笑う。
「見事。」
「恐怖に呑まれながらも、一歩踏み出したか。」
ラキュースは肩で息をしながら、その場に膝をつく。
「はぁ……はぁ……。」
「私にも……。」
「避けられた……。」
武蔵は穏やかに頷く。
「剣の技ではない。」
「王国を背負う者としての覚悟。」
「今の一歩で、わしには十分伝わった。」