ラキュースはなおも荒い息を整えながら、武蔵を見上げた。
全身は汗で濡れ、握る剣も震えている。
だが、その瞳だけは逸らさなかった。
武蔵はゆっくりと刀を鞘へ納める。
――カチリ。
静かな音が広場に響いた。
「お主の覚悟。」
武蔵は静かに頷く。
「見事。」
その一言に、ラキュースは胸の奥の緊張がほどけるのを感じた。
「恐怖に呑まれながらも、一歩踏み出した。」
「その一歩は、何万の言葉より重い。」
武蔵は腕を組み、蒼の薔薇一同を見渡した。
「よかろう。」
「王国の使者として、交渉にあたろう。」
一瞬の静寂。
そして。
「やった!」
ガガーランが拳を握る。
ティアとティナも小さく頷いた。
「成功。」
「王様が助かる。」
イビルアイも安堵したように小さく息を吐く。
「……助かった。」
ラキュースは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「武蔵さん。」
「王国を代表して、お礼を申し上げます。」
武蔵は苦笑する。
「礼ならまだ早い。」
「交渉が終わってからにせい。」
ラキュースも少し笑った。
「はい。」
「それでは、ただちに王都へ連絡します。」
「国王陛下にも、武蔵さんがお力を貸してくださることを伝えます。」
「武蔵さんは、それまでカルネ村でお待ちください。」
武蔵は頷く。
「うむ。」
「待っておる。」
蒼の薔薇が出発の準備を始める。
その様子を見届けた武蔵は、不意に村の外れへ視線を向けた。
木々の影。
誰もいないように見える場所へ向かって、静かに口を開く。
「……聞いたであろう。」
「今の話。」
少し間を置き、さらに続ける。
「ナザリックへ伝えよ。」
その瞬間。
影がわずかに揺れた。
「――ブルッ。」
木陰に潜んでいたシャドウデーモンは、武蔵に見抜かれていたことに震え上がる。
(また……気付かれてる。)
(やっぱり、この人おかしい。)
内心で泣きそうになりながらも、命令は聞き届けた。
影が地面へ溶け込むように沈み、
そのまま音もなく姿を消した。
武蔵はそれを見送り、小さく笑う。
「これでアインズ殿も、心構えができよう。」
その一方――。
ナザリックでは突然姿を現したシャドウデーモンが、玉座の間へ転がるように飛び込み、アインズと守護者たちへ武蔵が王国の使者として交渉に応じること、そして近いうちにナザリックを訪れる予定であることを、震えながら報告するのだった。
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王国の使節団を乗せた馬車は、街道をゆっくりと進んでいた。
先頭には王国騎士。
中央にはレエブン侯爵の馬車。
そして、その横を一人の男が悠々と歩いている。
宮本武蔵。
馬に乗ることも勧められたが、
「歩いた方が性に合う。」
と笑って断ったのである。
馬車の窓を開け、レエブン侯はその姿を眺めていた。
「……変わったお人だ。」
王国でも名を知らぬ者はいない悪名轟く剣豪。
それでいて、爵位も地位も望まない。
歩く姿には気負いも威圧もなく、まるで旅を楽しむ老人のようだった。
「しかし。」
レエブン侯は苦笑する。
「だからこそ、国王陛下も頼られたのだろう。」
護衛の騎士が馬車の横に寄る。
「閣下。」
「そろそろ目的地です。」
「うむ。」
やがて木々が途切れる。
視界が開けた。
「……!」
レエブン侯は思わず息をのんだ。
巨大な城塞。
漆黒の城。
その前に築かれた巨大な城門。
高い城壁。
塔の上には見張りが立ち、旗が風にはためいている。
「あれが……ナザリック。」
王国騎士たちも顔をこわばらせた。
「まるで一つの王城ではないか。」
「これほどの建造物を、いつ……。」
武蔵も足を止める。
「ほお。」
思わず感心したように唸る。
「立派になったものじゃ。」
帝国のワーカーとして潜入した時には存在しなかった。
地下大墳墓へ続くだけだった入口は、今や巨大な要塞へと姿を変えていた。
「以前は、こんな門など無かった。」
武蔵は城壁を見上げる。
石積みは一分の隙もなく、門扉は鋼鉄。
弓兵が立てる櫓まで設けられている。
「わずかな間に、ここまで造るとは。」
レエブン侯も窓から身を乗り出した。
「……これは単なる防備ではない。」
「ナザリックが国家として表に立つ準備を始めた、ということか。」
武蔵は静かに頷く。
「アインズ殿らしい。」
「守ると決めたものは徹底して守る。」
その時。
城門の上から低く響く声が聞こえた。
「止マレ。」
王国使節団の動きが止まる。
城門の上には、漆黒の鎧をまとったアンデッド兵たちが整然と並び、その中央には一人のデスナイトが立っていた。
その赤い眼光が、使節団全員を静かに見下ろしている。
緊張が一気に高まる中、武蔵だけは普段と変わらぬ様子で門を見上げ、
「宮本武蔵じゃ。」
と一言だけ名乗った。
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重々しい音を立てて、巨大な城門がゆっくりと開く。
ギギギギ……
王国の騎士たちは思わず息をのんだ。
デスナイトは槍を構えたまま武蔵を見つめる。
やがて無言で道を開けた。
止める様子はない。
レエブン侯が小さく呟く。
「……武蔵殿だと分かったのですな。」
武蔵は肩をすくめる。
「顔を覚えておったのじゃろう。」
使節団は城門をくぐる。
その先に広がっていた光景に、王国の者たちは思わず立ち止まった。
「これは……。」
「なんという……。」
整然と並ぶ兵舎。
美しく敷かれた石畳。
左右に広がる庭園。
そして天を衝くような漆黒の城。
その威容は王城をも上回り、帝城とも異なる圧倒的な存在感を放っていた。
レエブン侯は思わず漏らす。
「荘厳という言葉では足りませんな。」
「まるで神話の神殿です。」
城門前には、一人の女性が静かに待っていた。
黒いゴシックドレス。
白銀の髪。
紅い瞳。
レエブン侯たちは、その美貌に一瞬見とれる。
シャルティアは優雅に一礼した。
「ようこそお越しくださいました。」
「私は第一から第三階層を守護しております、シャルティアと申します。」
「アインズ様より、御使者殿をご案内するよう申し使っております。」
普段の「~でありんす」という口調は影を潜め、礼儀正しい応対である。
レエブン侯も胸に手を当てて礼を返した。
「レエブン侯爵にございます。」
「このたびは、お迎えいただき感謝いたします。」
シャルティアは微笑みながら頷く。
「こちらへ。」
その内心では。
(……うまそうな血の匂いがするでありんす。)
(王国の貴族の血……さぞ美味でありんしょうね。)
(でも……。)
(今日は外交。)
(我慢、我慢でありんす。)
頬をぴくりと震わせながらも、完璧な笑顔を崩さない。
武蔵はそんな様子を見ながら何気なく声を掛けた。
「ところで、シャルティア殿。」
「はい、何でありましょう。」
危うく「ありんす」と言いかけて言い直す。
「恐怖公は、どういたしておる。」
「恐怖公……ですか。」
シャルティアは少し意外そうな顔をした。
「今日、武蔵殿がお見えになると聞いて。」
「何やら新しい菓子をご用意すると申しておりました。」
武蔵の顔が明るくなる。
「そうか。」
「それは楽しみじゃ。」
その一言に、レエブン侯は思わず武蔵を見る。
(恐怖公……?)
(あの名からすると恐ろしい魔物なのでしょうが……。)
(なぜ武蔵殿は菓子を楽しみにしておられるのだ。)
一方シャルティアも心の中で複雑だった。
(恐怖公とこんなに仲がいい人間……。)
(武蔵殿くらいでありんすね。)
(しかも虫のお茶まで喜んで飲むし……。)
(やっぱり変わった人でありんす。)
そんなことを考えながら、一行は謁見の間へと続く長い廊下を進んでいった。