謁見の間へ向かう長い回廊。
黒曜石のように磨き上げられた床に、一行の足音だけが静かに響く。
レエブン侯は周囲の豪華さに目を奪われていたが、その横を歩く武蔵の様子が少し気になった。
武蔵は何度も後ろを振り返っている。
一度。
二度。
三度。
まるで誰かを探しているようだった。
レエブン侯が声を掛ける。
「武蔵殿。」
「どうなされました?」
武蔵は少し困ったように笑う。
「なに。」
「いつも後ろからついて来るやつがおらんのでな。」
「少々、気になっておる。」
レエブン侯は首をかしげる。
「護衛ですかな?」
「いや。」
武蔵は首を横に振る。
そのまま先を歩くシャルティアへ声を掛けた。
「シャルティア殿。」
「はい。」
「知らぬか。」
「いつもわしの後ろにおるやつじゃ。」
シャルティアは一瞬考え、
「ああ。」
と納得したように頷いた。
「シャドウデーモンのことでございますね。」
武蔵も頷く。
「うむ。」
「あやつじゃ。」
シャルティアは少し苦笑した。
「彼なら……。」
「今頃、反省文を書かされております。」
「反省文?」
レエブン侯が思わず聞き返す。
シャルティアは平然と説明した。
「武蔵殿の監視報告書に。」
「『行き倒れの女性を拾いました』。」
「『虫糞茶を飲ませました』。」
「『寺子屋を始めました』。」
「……などと。」
「肝心な部分が簡潔すぎる、とデミウルゴスから。」
「報告書の書き直しを命じられました。」
武蔵は目を丸くした。
「そうか。」
「可哀そうなやつじゃ。」
しばらく考え、
「シャルティア殿。」
「なんでございましょう。」
「手心を加えてやってくれんかの。」
「悪いやつではない。」
「ただ少し報告が下手なだけじゃ。」
シャルティアは思わず瞬きをした。
(……。)
(シャドウデーモンの心配をする人間。)
(しかも本気で。)
ナザリックでは考えられない発想だった。
普通なら恐れ、嫌い、あるいは存在すら気付かない。
それなのに武蔵は、あの影の悪魔を案じている。
(ますます……。)
(変な人でありんす。)
内心でそう呟きながらも、表情は崩さない。
「承知いたしました。」
「デミウルゴスには、そのように伝えておきます。」
武蔵は満足そうに頷いた。
「うむ。」
「頼む。」
そのやり取りを聞いていたレエブン侯は、内心で苦笑する。
(ナザリックの恐るべき魔物たちと、まるで旧友のように話すとは。)
(武蔵殿という御方は、本当に何者なのだろう。)
そう考えているうちに、一行は巨大な扉の前へとたどり着いた。
玉座の間へ続く、ナザリック最奥の謁見の間である。
-------------------------------------------------------------
「では、こちらでございます。」
シャルティアが静かに一礼すると、巨大な黒い扉の前に立つ。
左右に控えるデスナイトたちが槍を交差させた。
そして――
ギギギギ……
重厚な音を響かせながら、謁見の間の扉がゆっくりと開いていく。
広大な空間。
赤い絨毯が玉座まで一直線に伸びている。
その最奥。
幾段もの階段の上に置かれた巨大な玉座。
そこに悠然と腰掛けるのは、
アインズ・ウール・ゴウン。
その左右には、
アルベド、
コキュートス、
デミウルゴス、
アウラ、
マーレ。
ナザリックの守護者たちが整然と並ぶ。
さらにその後方には、
セバス、
そしてプレアデスの面々。
全員が使節団へ視線を向けていた
その中で――
ナーベラル・ガンマだけが、一瞬だけ武蔵を見た。
(……。)
ほんの一瞬。
頬がわずかに赤く染まる。
しかし次の瞬間には、何事もなかったように無表情へ戻っていた。
(しっかりしなさい、ナーベラル・ガンマ。)
(今日は外交。)
(仕事よ。)
自分に言い聞かせる。
一方、レエブン侯は緊張した面持ちで前へ進む。
玉座まで10数メートルの位置で止まり、
ゆっくりと膝をついた。
「リ・エスティーゼ王国使節。」
「レエブン侯爵にございます。」
その隣では武蔵も静かに腰を下ろす。
レエブン侯は横目で見て驚いた。
(正座……。)
武蔵は背筋を真っすぐ伸ばし、
一切の無駄な動きなく両手を前へ置く。
そして。
静かに頭を下げた。
土下座。
しかし、それは誰もが知る謝罪の姿ではなかった。
背中は一本の線のように美しい。
指先の角度。
額の位置。
呼吸の静けさ。
すべてが計算されたように整っている。
まるで一枚の絵画。
あるいは達人が演じる武芸の「型」。
静寂が広間を包んだ。
「……。」
「ほぉ……。」
思わず声を漏らしたのはコキュートスだった。
「ミゴト。」
アルベドも目を細める。
「なんて美しい所作……。」
セバスも静かに頷く。
「武の道を究めた者ならでは、ですな。」
デミウルゴスでさえ興味深そうに見つめている。
「礼法もまた、一つの完成された技術ですか。」
プレアデスたちも目を奪われる。
ナーベも思わず見入っていた。
(……綺麗。)
(こんな土下座……。)
(見たことない。)
そして玉座の上。
アインズもまた感嘆していた。
(すごい……。)
(これが武蔵さんの礼。)
(ただ頭を下げているだけなのに。)
(なんでこんなに美しく見えるんだ。)
感情抑制が働きながらも、その芸術的な所作には素直に感心せざるを得なかった。
謁見の間に集う誰もが、しばし言葉を忘れる。
それほどまでに、宮本武蔵の土下座は、一つの完成された「型」として見る者を魅了していた