恋仲にならないと決めていたはずの幼馴染が、記憶喪失になって俺に迫ってきた件について   作:古野ジョン

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第一章
第1話 三人の幼馴染


 幼馴染の男女が結ばれることはない。どんなに仲が良くても、いつかは別の人間に心を惹かれて、距離が離れていく。

 

 そんなこと、当たり前だと思っていた。

 

「だーれだっ!」

「ん」

 

 夏の日の放課後、机に向かってぼーっと座っていたら、視界を覆うように二本のバナナが現れた。こんな奇行、思い当たる人物は一人しかいない。

 

「なんだよ、食っていいの?」

「いいけどー、一本五百円だよっ?」

「高っ」

「だから自分で食べるっ!」

 

 振り返ってみると、そこには両方の手に持ったバナナを一口ずつ食べる幼馴染の姿があった。いわゆる長嶋食いというやつである。

 

「美味し~っ、さすが高級品!」

 

 この幸せそうな顔をしている奴の名前は水沢(みずさわ)千夏(ちか)。ソフトボール部のユニフォームに身を包み、金属バットが差し込まれた大きいリュックサックを背負っている。

 

「これから部活?」

「そう! 練習前に航平(こうへい)の顔を見に来たのっ!」

 

 千夏はもぐもぐとバナナを頬張りながら、ヘアゴムでまとめられたポニーテールを揺らした。所作は女の子っぽいけど、ソフト部で四番を打つだけあって体つきはがっしりしている。コイツは放課後になるとわざわざ俺のいるクラスまで遊びに来ることが多い。

 

「ん~! 本当においひ~っ!」

 

 見ての通り、千夏は天真爛漫なスポーツ少女だ。昔から底抜けに明るい性格をしていて、誰に対しても楽し気に振る舞う。全身にまとう爽やかな雰囲気は昔からまったく変わっていない。

 

「千夏ー、きょう外周の日だよーっ」

「あっ、忘れてた!」

 

 教室の前の方から、千夏と同じソフトボール部の生徒が手招きしている。どうやら早く集合しないといけない日だったらしいな――

 

「航平ーっ、やっぱり食べていいよっ!」

「んむぅ!?」

 

 次の瞬間、千夏が食べかけのバナナの片方を俺の口に突っ込んできた。たしかに高級品だな、甘い……なんて呑気なことを考えていると、千夏は足早に仲間のもとへ走り去ってしまう。

 

「じゃあねー、航平っ!」

「んーんー(ばいばーい)」

 

 何事もなかったかのように手を振り合う俺たちのことを、周囲のクラスメイトたちはやや怪訝な目で見ていた。間接キス、と言えば間接キスなんだろうけど……十年も一緒にいて、今更そんなことは気にしないし。

 

 千夏は本当に博愛主義を体現したような人間で、誰にでも区別なく愛情をもって接している。だから、多少親しくされたところで、何か特別なことを思うことはあまりなかったのだ。

 

「航平ー、掃除の邪魔よ」

 

 席に座ってバナナを食べ進めていると、また近くから声を掛けられた。俺の斜め前に立つのは、少しはだけた夏服から胸元を覗かせたギャル。同じく幼馴染の志津川(しづがわ)秋乃(あきの)だ。

 

「なんだ、秋乃か」

「なんだとは何よ」

「お前、意外と掃除当番とかサボんないよな。爪は派手だけど」

「こっ、校則の範囲内だし!」

 

 秋乃が不機嫌そうにそっぽを向くと、ショートボブの茶髪が揺れてオレンジのインナーカラーが見えた。箒を持つ両手にはラメの入った黄色いネイルが輝く。

 

 見た目の通り、秋乃は昔から誰に対しても強気だ。言いたいことははっきりと主張するし、たとえ大人が相手でも遠慮するような真似はしなかった。

 

 だけど、俺たち幼馴染は秋乃がいかに誠実かを知っている。語気こそ強くとも、何事にも真面目に取り組む。それが秋乃という人間だった。

 

「こっちはさっさと部活行きたいんだから。あんたも早く帰りなよ」

「いや、この教室で待ち合わせなんだよ。また生徒会に呼ばれててさ」

「生徒会? ってことは――」

「航平くん、お待たせ」

 

 教室の前扉を開けたのは、こちらも幼馴染の桑折(こおり)冬雪(ふゆき)。長い黒髪のサイドには、トレードマークの赤いリボンが結ばれている。

 

「いいよ別に。冬雪も忙しいんでしょ」

「ええ、夏休み前に片付ける仕事が多くて」

「またふゆの手伝いー? 副会長様だからって人遣いが荒いんじゃないのー?」

「副会長だからよ。中間管理職はやることが多いの」

 

 冬雪は右手で眼鏡の位置を直しながら、俺たちの方へと歩み寄ってきた。コイツは俺たち幼馴染の中で一番の優等生タイプ。成績も良いうえに、高校二年生ながら生徒会でも活躍している。

 

「で、今日は何の用だっけ」

「またパソコンのことを頼みたいの。前任者が作ったファイルが必要なんだけど、見たことのない拡張子だったの」

「かくちょうし? ってなによ」

「秋乃ちゃんがコーヒーを飲むときにたくさん入れてるものよ」

「それっ、(かく)砂糖じゃん! 今はブラックで飲んでるから!」

 

 むーっと頬を膨らませる秋乃とは対照的に、冬雪はふふっと笑った。皆には真面目キャラとして通っている冬雪も、俺たちの前では冗談を言うこともある。もっとも、面白いかどうかは別だが……。

 

「それより、ちゃんと前を閉めなさい」

「ちょっ、何すんのよ!」

 

 抵抗されるのも意に介さず、冬雪は背後から秋乃の制服を直していた。ボタンをきちっと閉めて、胸元を隠すように襟を正している。

 

「こんな格好してたら航平くんだって困るでしょ」

「はっ、はあ!? コイツに見せるためじゃないんだけど!?」

「いいよ冬雪、もう見飽きたから」

「みっ、見飽きっ……ちゃんと見てんじゃないの!!」

 

 冬雪に羽交い締めされながら、秋乃は顔を真っ赤にしていた。いくら幼馴染とはいえ、こんな胸の大きい奴がブラウスをはだけさせてたら見るっての。

 

「まったく……本当は染髪だってグレーゾーンなのよ?」

「茶髪は地毛だし。って、あんま触んないでよ」

「インナーカラー、綺麗なオレンジで羨ましいわ」

「アタシはふゆの黒髪の方が羨ましいけどね」

 

 二人は向かい合いながら、互いの髪の先を手に取っていた。こういう光景は幼い頃から変わらない。まるで血の繋がった姉妹みたいだ。

 

「……なに見てんのよ」

「いや、本当に仲良しだなって思って」

「今更何を言っているのよ、航平くん。私たち十年も一緒なのよ」

「そうだけどさ。俺がお前らの髪とか触るのはなんか違うじゃん」

「そうね。しかも……あんたには協定があるしね」

「……まあな」

 

 冬雪の髪の毛を撫でながら、秋乃が釘を刺すようにそう言った。

 

 小学五年生の夏、俺は三人からある決まり事を言い渡された。

 

 三人の誰とも恋人になってはならない。

 三人の誰にも告白をしてはならない。

 三人とずっと仲の良い幼馴染でいる。

 

 一言で言えば、俺たちの仲を守るための「協定」だった。少し考えることがなかったわけではないけど、三人との関係が壊れてしまうことは何より嫌だったから、俺はすぐに受け入れた。

 

 協定を結んでから、俺はなるべく三人と分け隔てなく接するように心がけてきた。そもそも、三人が俺のことを好きになるなんて傲慢なことは考えなかったけど、それでも何かあってからでは遅いと思っていたからだ。

 

「でもさー、幼馴染同士で付き合うって本当にあるのかな」

「何よ、協定破る気?」

「たとえばの話だよ。漫画とかでもさ、だいたい幼馴染ヒロインって負けるじゃん」

「そうね。だいたい横から泥棒猫が奪い去っていくものね」

「ま、航平なんか奪っていく物好きがいるのか分かんないけど」

 

 俺もそう思う。もっとも、自分がコイツら以外の女子と一緒にいるところもあまり想像できないんだけどさ――

 

「おい!! 伊達(だて)航平いるかっ!!」

「はいっ?」

 

 突然、教室の前から男の教師が入ってきた。何か慌てた様子で、息を荒げさせている。ただ事ではないと思い、俺は席を立って前方へと歩き出す。

 

「自分が伊達航平ですけど。どうかしましたか?」

「お前、ソフト部の水沢と仲が良かったよな?」

「ええ……まあ」

 

 水沢って……千夏のことだよな? たしかに俺たちが幼馴染なのは学年のみんなも知ってることではあるけど。何かあったのか?

 

「実はだなっ、さっき水沢がランニング中に車にはねられて……」

「へっ?」

 

 俺たち三人は目を見開き、顔を見合わせる。そういや、千夏が今日は外周だとか言われてたような気がする。ってことは、学校の外で交通事故に遭ったってことか!?

 

「ぶっ、無事なんですか!?」

「そんなっ、千夏がそんなことになったら……!」

「いやっ、意識はあるしすぐに救急車が来て――」

「「そうじゃありませんっ!!」」

「はっ?」

 

 俺と秋乃は声を揃える。そうだよな、今まっさきに心配すべきは――

 

「「あんなフィジカルつよつよ女とぶつかって車は無事だったんですか!?」」

「少しは千夏ちゃんのことも心配しなさいよっ!!」

「「うへえっ!?」」

 

 呆れたように、冬雪が俺と秋乃の頭をスパンと叩いたのだった。……とはいえ、これはコイツの言う通りではある。

 

「とにかくっ、水沢が病院に搬送されたんだ」

「わっ、分かりました。二人とも、行こう」

「そうね。ふゆ、あんたは?」

「もちろん行くわ。先生、どこの病院か教えていただけますか」

「ええと、たしか……」

 

 この後、俺たちは大急ぎで病院に向かうことになる。とはいえ、大した怪我もしていなかったし、きっと検査をされて終わりだろうと先生も言っていたから……俺たち三人はあまり深刻には考えていなかった。

 

 そう、病室で会った千夏から「はじめまして」と挨拶をされるまでは――

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