「あ、いたいた。おーい!」
「え?先生?」
トリニティでの仕事を済ませた私は救護騎士団からの貰った情報を頼りにミネのいるプールへと足を運んだ。ティーパーティーが持ってる巨大プールに向かうと私のお目当てだった救護騎士団団長、蒼森ミネがプールサイドで腰を下ろし、並々と貯まった水槽を眺めていた。
蒸し暑さを感じる夏という事もあり、ぴっちりと着こなした制服も袖の無いラフな物へと着替えられている。蒼空と擬態してしまうかのような美しく爽やかな長髪と翼も相まって、見ているだけで清涼感を得られるようだった。
私の接近に気付いたミネは口を開く。私が来るのは想定外だったらしく、顔色からして驚きを隠せていない。
「ごきげんよう、先生。どうしてここに?」
「どうしてって……、今日は顔見てなかったからさ……。心配って訳ではないんだけど、どうしてるのかなぁって思ってね」
「すみません……。とても嬉しいのですが、仰る意味が……」
「ん?もしかして聞いてなかった?さっきまで救護騎士団で仕事をしてたんだけど……」
「え!?そんな話は……、あっ…………」
それが彼女の下へと訪ねた理由だった。トリニティで仕事があると聞けばミネは必ず私の所に顔を見せてくれる。それが今日に限っては何故か彼女の気配が一切感じられなかった。
団長であるミネは団員の動向を常に把握している。抜け目のない彼女が私に顔を見せないのは非常に珍しい現象と言えた。
「そうでしたね……、申し訳ありません、失念しておりました……」
「謝ることじゃないって!何事もなさそうで良かったよ。そんな事より、どうしてプールに?」
「ああ、ちょうどいいですね。先生にも紹介してあげましょう」
ミネは胸元から小さいホイッスルを取り出す。息を吹きかけると水面から大きな魚影が近付いてくるのが見て取れた。
「なにこれ……、魚!?」
「魚ではありません!イルカのルカといいます!」
「♪~~!」
ミネの返答に合わせて水飛沫が吹き上がる。元気よく水面に飛び出した影は水族館でも見た事のあるイルカそのものだった。
「イルカ!?え?プールに?なんで?」
「困惑されるのも無理もありませんね。先日、トリニティ領内の海岸に彼女が座礁されていたのです」
「あ、女の子なんだ」
彼女を見つけたのは海辺を巡回していた後輩の救護騎士団員。団員から相談を受けたミネは衰弱した彼女を救護。獣医を専門する団員もいるらしく診てもらった所、怪我を負った部位から病を患っていた事が発覚。巨大プールの保持者であるナギサと相談し、野生に帰られる万全の状態になるまで間、民間企業の獣医と連携して保護する事になったらしい。
「治療は完了。それで明日、この子を海に帰してあげる事になりました」
「そっか」
ミネは人懐っこく甘えてくるルカの顔を優しく撫でる。言葉は交わせられなくても気持ち良さそうにしているのが伝わってきた。そんなイルカの反応にミネは慈愛を感じさせるような微笑みを見せている。
「懐いてるんだね」
「ふふっ、そうかもしれませんね」
彼女を見つめるミネの眼差しからは悲しみが見て取れる。彼女達の関係性は私には分からない。数週間、数日なのかもしれない。それでも心を交し愛着を持ってしまったのなら別れは寂しくなるものだろう。私の訪問を見落とす程に熱中していたのなら尚更だ。
「ミネ、この日なんだけど、何か予定ある?」
「え、えっと……。その日ならビーチで救護活動をする予定ですが、どうかなさいましたか?」
「手伝いに行っていいかな。予定空いてるんだ」
「いいのですか?私としては嬉しいのですが……」
久しぶりの連休でゆっくりと眠る予定だったがそんな事はどうでもいい。ミネから生徒達との卒業を重ねてしまった私は、僅かでもいいから彼女の気を紛らわしてあげたいなと思ってしまった。
「海なんだね。私も水着探してくるよ」
「水っ!?せ、先生の!?で、ですがそれは!?」
「ど、どうしたのそんなに慌てて……」
「すみません……。そ、想像できなくて少し……。いえ、なんでもありません」
「そ、そう……。それより教えてくれないかな。この子とのお話、もっと聞いてみたいな」
「先生……」
予定は取り付けた。出来ることなら彼女との別れも立ち会いたいものだったが、仕事もある為仕方ない。私には私の出来ることを。日が暮れるまでの間、彼女達が交わした救護の物語について耳を傾けることにした。
「ミネ、 そこから8時の方向、溺れてる生徒がいるかも!」
『見つけました!直ちにむかいます!』
「強く飛び込んだらだめだよ!衝撃で波が……、あぁ……。手遅れだ…………」
私の指示に従ったミネが水難者の元へと駆け付ける。彼女の飛び込んだ地点から魚雷が炸裂したかのような衝撃が走る。付近にいたお客さん達からの悲鳴がこだましていた。
ミネと約束を交わしてから数日後、私はトリニティの海水浴場にまで足を運び、ミネたちと共に救護活動に勤しんでいた。
『先生、溺れかけていたサーファーを救護しました。クラゲに刺された痕が見られます』
「了解。団員にも伝えておくよ。ミネは医務室まで連れて行ってあげて。波に攫われないように気を付けて」
救護騎士団の仕事とは海水浴場のライフセーバー。海水浴とはこの夏において定番とも言えるレジャーの1つ。暑さを忘れて遊び倒せる人気な遊びなのだが、海というものは危険と隣り合わせでもある。
サメの様な肉食生物に襲われる事もあれば、クラゲの様な毒を持った海洋生物に触れてしまうこともある。波に攫わてしまえば下手したら帰って来られなくなったり、溺れてしまうことだってあるだろう。
そんな危険から人々を護る為に救護騎士団は今日も奔走していた。
「誘導ありがとうございました。先生」
「力になれてるのなら何よりだよ、ミネ」
救護した生徒を医務室に送り届けたミネが私の居る高台まで登ってきた。学校指定の遊びがないスイムウェアを着こなしている彼女だが、健康的に引き締まった肉体が頼もしさをさらに引き立てているようだった。
「ライフセーバーっていうのも忙しいね……」
「ええ。海開きのシーズンは特に忙しいです。お客様達もまだ泳ぎに適した身体が出来上がっていませんからね」
「なるほど……。それにしては救護騎士団みんな良く動けてしてるね。訓練とかしたの」
「よくぞお気付きで。流石は先生です」
救護騎士団とは無線を利用して情報交換出来るようになっている。アロナの支援を受けて視野も広がってる私が団員の救護を支援する形で回っていた。
ミネを救護に飛ばせば一番早く済むが、他の団員たちも負けず劣らず良く動く。この活動に備えて救護訓練を厳格にこなして来たのだろう。
「それでは持ち場に戻ります。何かありましたら連絡します」
「うん。頑張ろう、ミネ」
小休止を終えたミネが自身の持ち場へと帰っていく。その後彼女と行き違うかのようにして、後輩の団員が私の傍に近寄ってきた。
「どしたの?何かあった?」
「あの、先生にお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
団員からは困った様子は見られない。急ぎの様子ではないのだろう。団員の浮かべる笑顔からは寧ろ何かサプライズを持ちかける悪戯心さえ感じられる。
私も釣られるようにして笑いかけ、団員からの頼み事を聞いてみることにした。
「せ、先生……?あ、あの……!」
「ミネー?まだかなー?」
「す、すみません……!で、ですが……、心の準備が……!」
木陰に隠れたミネがベンチで待機する私に語り掛ける。彼女が持参してきた水着に着替えて貰い、同じくしてプライベート用の水着に着替えた私と合流する予定になっている。それなのに肝心のミネが姿を見せない。誰よりも早く顔を見せようとする普段の姿からは見られない仕草。それもまた可愛いらしく頬が緩んでしまう。
「ミネ?このままだと会場に遅れちゃうよ?」
とはいえ、予約されていた昼食の時間まで差し迫っている。これ以上、彼女の葛藤姿に悶えている余裕はなかった。
「申し訳ありません……!わ、笑わないで下さいね!」
数十分における葛藤の末覚悟を決めたのか、ミネが木陰から姿を見せる。恥じらいから逃げなかった彼女の勇気を心の中で称えつつ、こちらに向かってくるミネに顔を向けた。
「待ちくたびれたよ、ミっ……」
言葉を失ってしまった。水着を纏ったミネの姿に見とれてしまったからだ。黒色のビキニに花柄のパレオ、これらを活かしきる金色の留め具。気品に溢れた着こなしが母性を感じさせる健康的な肉体を上品に仕立てあげていた。
「っ………」
麦わら帽子の影から覗かせるミネは頬を紅く染め上げ気恥しそうにモジモジとしている。その瞳からは涙が浮かび、普段の彼女からは見られる筈もない仕草が愛おしい。そんな彼女を前にして私も息を飲む事しか出来ず、二人して時間が静止したようだった。
「か……、可愛いよ!ミネ!」
「せ、先生!?」
大人なリアクションは完全に抜け落ち、気付いた時には彼女の手を取っていた。キャパオーバーなミネは口を開き今にも気を失いそうにしている。
「あぅ……」
「すごく可愛い!自分で選んだの?」
「は、はい……。救護騎士団の皆さんと……、探しました……」
「そうなんだ!似合ってるよ、本当に!」
「ありがとう…、ございます……。先生も……、似合っています……」
事情は団員から聞いている。日課である救護活動の後、今日に備えて団員達と水着を買いに出掛けていたらしい。何時間もかけて選び抜いた彼女の水着は、私のような適当に見繕ってきた安物のアロハシャツとは違う。彼女が魅せる努力の結晶といえるだろう。
「とりあえず、深呼吸しよっか、ミネ」
だとしても、このままでは埒が明かない。二人で息を整え、互いの心拍が落ち着くまでゆっくりと待つことにした。
「すみません。お待たせ致しました」
「もう大丈夫?それじゃあ行こう」
生徒達の遊び声が響き渡る浜辺を二人して歩く。ミネも慣れてきたのか普段の調子を取り戻してきている。ただそれでも翼は落ち着きがなく、はしゃいでいるのが見て取れた。
厳格に立ち回る彼女ではあるがそんな所はごく普通な歳頃の女の子。救護騎士団として庶民的な人達とも接して来ているせいか、遊びに対する欲求もあるのだろう。
「ですが先生、私達だけこんな……、本当によろしかったのでしょうか……?」
「勿論。その為に訓練してきたんでしょ?大丈夫だよ。仲間を信じようよ」
「仲間を……、そうですね……」
私が団員から持ち掛けられた頼み事、それは休暇を取るミネの遊び相手だった。生真面目な彼女の事だ。黙っていればバカンスの地であろうと最後まで救護活動に専念してしまうだろう。そんな不器用過ぎる態度に見兼ねた救護騎士団の仲間達が私に説得をお願いしてきた。救護騎士団、ひいてはトリニティを率いるティーパーティーの彼女であろうと、先生である私の声なら耳を傾けるはずとの彼女ららしい魂胆だった。
これはミネを除く救護騎士団の総意。水着まで真剣に選んでいたのに、披露する間もなく今日を終えてしまうのは勿体無い。そんな仲間達のミネを気遣う優しさが感じられた。
「さ、着いたよ」
「ここがランチ会場なのですね」
「うん。私の奢りだよ。一緒に楽しもう」
連れていった先は浜辺の高級ホテル。海を背にして食事を楽しむトリニティのリゾート地の名に恥じない立派なレストランだった。
予約したのは私ではない。ミネを想う団員達の差し金。私の名義で予約していた彼女達の気遣いは微笑ましいが、トリニティ生徒特有のズレた金銭感覚に引き攣った笑顔を浮かべてしまう私がいた。
「なんだこれ……、美味しすぎる……」
浜辺の生徒たちが海の家に駆け込む時間帯、私とミネはホテル内の水上レストランで昼食を摂っていた。レストラン内に並ぶ料理はどれも最高級品のものばかり。庶民の出である私にとっては手の届くはずの無かった料理が手元に広がっていた。
「先生、栄養バランスは考えていますか?食べ放題だからと言って、浮かれては行けませんよ?」
「そういうミネは……、なんて健康的な……!」
新鮮な魚肉に野菜、その他身体に良い料理を丁寧に盛り付けたミネが指定の席に帰ってきた。
「いいですか先生。健康的な体作りには先ず食事から。美味しいからと濃い味に頼ってはいけません。そこでオススメなのがこのレモン。酸味の補助が加わり減塩物だろうと上手く食べ合わせれば美味しく、さらに健康的に味わえます」
「レモンの酸味ってそういう使い方も出来るんだ」
「はい。シーフードは特に塩分過多になりがちなので、活躍の場は多いのです」
綺麗に盛り付けた料理を指してミネが得意げに語り始める。料理はもちろん美味しいが、それ以上に今を楽しそうにしているミネを見られるだけで高い満足感を得られてしまう。決して安くは無い金を払った価値は十分にあった。
「ミネ、楽しんでる?」
「勿論です。先生こそ、楽しんでいますか?」
「うん。最高の気分だよ」
料理の感想を語り合いながら二人して笑い合う。わざわざセッティングしてくれた救護騎士団の皆には頭が上がらない。ミネに向ける強い信頼が感じられた。
そんな幸福の時間を味わいながら、ゆったりとした時間を楽しんでいる。ミネは休憩をすると席を外し、テラスの方へと向かっていった。
「お酒が飲めればもっと良かったんだけど……、あの子に何言われるか分からないし今日は我慢しとこう……」
それから数分後、私は二人のドリンクを貰いに行きつつ、ミネの居るテラスの方へと足を運んだ。テラスは海辺の景色を引き立たせる観葉植物に囲まれ、カニや魚等の可愛らしい石像が立ち並んでいる。ミネはそんな芸術品の前に腰を下ろし、長く綺麗な髪をなびかせていた。
「ミネ、その子は……」
「ええ。少し思い出してしまって……」
ミネは傍に佇むイルカの石像を優しく撫で回していた。ルカを野生に帰してあげてからそれほど日が経っていない。寂しくなるのもの無理はないだろう。
「あの日はティーパーティーと救護騎士団の皆で帰しに行きました。ミカ様やナギサ様も気に入っていましたから……」
「そっか……。皆寂しがってた?」
「はい。あの子も放流してあげた最初は私達の船を着いてきたんです。ですが、ルカの生きる世界はまさに海。私達の勝手で野生を奪う訳にも行きません。私達はあくまで救護騎士団なのですから」
「そうかもね。多分その選択は間違いじゃない」
動物の飼育というのは簡単なこととは言えない無い。相手の生命を管理するという大きな責任を背負う必要がある。一つの生命を大事にするからこそ護らなければいけないラインが存在する。
「私達は正しい選択をしたと誇りに持っています。しかし、海とはやはり危険な世界です。病院もなければ安全もない。今日取り組んだ仕事のような、当たり前に潜む危険を気付かされる度に、彼女の事を思い出し心配にふけってしまう時があるのです……」
「そっか」
彼女は負った怪我により病に陥っていたと聞いている。座礁した所を偶然見つかっていなかったら彼女は確実に死んでいただろう。もし同じ様に怪我を負ったなら、結果は火を見るより明らか。それが自然の摂理というものだ。
「ミネ、イルカの知能ってどれくらいあるのか知ってるかな?」
「はい。我々ヒトに次ぐ賢さを持ってると聞いています」
「そう。あの子達は頭が良い。私たちと同じように何かを見て、何かを感じて、それを生きる力に還元する、学ぶ力を持ってるんだ」
「学ぶ力……」
「確かにミネがあの子を救護出来たのは奇跡とも言える確率だったと思う。けどあの子はそれで学べた筈だ。だから次はもっと上手くやる。あの子だってきっと、毎日勉強してるんだよ」
「私と同じですね……」
「その通り。だからきっと大丈夫。ミネがこんなに頑張れてるんだから、あの子だって頑張れる」
何百、何千、何億回でも同じミスを繰り返すのが人間。気休めにしかならないだろうが、もう会わないと言うのなら夢を見る事ぐらいは許して欲しい。少しでも未来を憂うミネの励ましになれればいいなと思っている。
「君に助けられた生命だ。もしかしたら、ミネを習って海の救護活動なんか始めちゃったりしてね」
「か、揶揄わないで下さい!」
ミネの憂いを秘めた表情は抜け落ち、スッキリとした表情で立ち上がった。彼女は強い。もう心配はいらないだろう。
締めのデザートを誘われ追い掛ける様に立ち上がった後、突然ミネの懐から電子音が鳴り響いた。
「この着信音は……!先生、少々お待ち下さい!」
彼女の持つ携帯からは聞き慣れない着信音。この音には覚えがあった。救護騎士団に向けられる緊急SOSだ。
「救護騎士団です!どうかしましたか……!」
『繋がった!た、助けて下さい!船が転覆しちゃって!近くにサメが!』
「サメ!?今どこに……!」
ミネは発信者に何度も声掛けするが返事は帰ってこない。ミネは通話を切り、救護の申し子とさせる目付きに変貌し、こちらに顔を合わせた。
「先生、緊急事態のようです。救護に向かわなけば行けません」
「わかってる!逆探知出来るよね!?こっちに座標送って!」
ミネが発信者から逆探知した情報をアロナに送る。距離的に一番近かったのは私達。ホテル側に事情を説明し救命ボートを借り受けた私達は水難者のもとへと駆け出した。
「この辺じゃサメは居ないってきいてたけど!?」
「はい。ですが、あの座標からすると管理区域から離れてしまったものと考えられます。だからあれ程侮るなと……!」
アロナからのレクチャーを受けながら救命ボートを走らせる。ミネは発信者に応答を求めて何度も通話を試みていた。胸元にかけられたホイッスルをしきりに鳴らすも変化はない。 無限とも言える程の水平線が広がっているだけだった。
「一体どれだけ遠くまで……」
「方向は合ってるはずだけど……、ん?」
背後から魚影らしきものが目に入る。心なしか近付いて来ている気がする。凝視してみるとその魚影が水面へと顔を出す。三角な形をした背ビレはいつか見たパニック物の映画で観たあのシルエットと酷似しているようだった。
「やばいよミネ!サメみたいのに狙われてるかも!」
「そんな…!先生!速度を上げてください!ここでは分が悪過ぎます!」
「も、もうやってる!」
逃げ場のないこの状況、既にフル稼働させているアロナの防御もどこまで持つか分からない。いくらミネでもこの軽装備、脆い救命ボートを護りながら一人で戦うのはあまりにも無謀だ。
やむを得ず大人のカードを切るため懐に手を入れる。しかしカードを起動する直前ミネから静止の声がかかった。
「船を止めて下さい、先生」
「戦う気!?」
「いいえ、その逆です。私を信じて下さい、先生」
「……わかったよ」
ボートを減速させ停止させる。ミネは船の後部に移動し、迫る魚影の前に立ち尽くしてた。
「私に応えてください。この音色に、憶えがあるのなら!」
ミネは首にかけていたホイッスルを操作し、力強く息をふきかける。先程までとは違う高く細い音色がこの大海原に鳴り響いた。
「あれって……!うわっ!」
「♪~~!」
私達の傍まで寄ってきた魚影が顔を出す。その正体は救護騎士団が手当したという海の生徒、イルカのルカだった。
「♪~!」
「元気そうで何よりです、ルカ」
「あの子、着いて来いって言ってるのかな……」
「その様ですね。方角も座標と同じです」
ルカが先導し、私達がその後を追い掛ける。私達のペースに合わせて泳いでくれている。どこまで信用出来るのかは分からない。それでも私達の事を友好的に識別してくれてるのは間違いないらしい。
「もしかしてあの子……」
「ええ。私も、そうであって欲しいと願いたいです」
救護活動中の真剣な眼差しは崩さないが、再会を喜んでいるかのように翼を羽ばたかせていた。
そして数十分に及ぶ案内の後、遂に転覆した小型船が見え始めた。
「あれだ!」
「皆さん、無事でいて下さい!」
倒れた船が近くなる。転覆した船に対してビート板のようにしがみつく生徒達が僅かに見えてくる。それと同時に船の周りを囲うように泳ぐルカと同じ背ビレが幾つか確認出来た。
「ルカ、もしかして貴女の……?」
「♪~!」
ルカはミネの問に応えてペースをあげる。何らかの交信がされたのか、船の周りを泳いでいたイルカ達が動きを緩める。私達の通行を許可している様だった。
「ありがとう!それじゃあ救護に移ろう!」
「皆さん、ご無事ですか!?」
船に目掛けてミネが浮き輪を投げ込む。生徒達は何とかして浮き輪を掴む。浮き輪に付けたロープを引き上げ、1人ずつ救命ボートに引き入れた。
「ありがとうございます……!」
「た、助かった……!」
一人一人無事を確認しつつ回収作業は進み、全員の救助が完了した。
「よく頑張ったね、これで全員かな?」
「は、はい!ごめんなさい……!」
「大丈夫だよ。それじゃあ帰ろうか」
生徒達は無事だったが、見るからに疲れ切っている。急いで浜辺まで帰ろうとした矢先、一人の生徒が悲鳴を上げた。
「あ、あれだ!私達を食べようとした……!」
「え?あの子達じゃなくて?」
「ち、違う!多分、あいつらが居なくなるのを待ち構えてたんだ!」
一つの尾ビレが急速に近付いてくる。イルカ達とは違う尾ビレを持った生物、私達を食わんとするサメが私達の前に姿を表した。
「あの子達が守ってくれてたのか……。けど私達が来たから……」
「先生、ご安心下さい。私達に恐れる者などありません」
ミネは水平線の彼方から覗かせるサメの前に立ちはだかる。サングラスと麦わら帽子をこちらに手渡し、胸元のホイッスルを力強く握っていた。
「救護騎士団、集合!」
ミネがホイッスルを吹くと6頭程のイルカがミネに呼応するかのように顔を出す。イルカの群れは揃ってサメの方へと顔を向けている。これから起こる勇姿、もとい大惨事が目に見えて私は静かに息を飲んだ。
「救護はまだ終わっていません。皆さん、準備はよろしいですか?」
「♪~~~!!」
「いいでしょう。それでは、救護騎士団、参ります!」
ミネは蒼天を指差し高々とホイッスルを吹く。イルカの声にも見立てた笛の音に反応しイルカ達は一斉に突撃し始める。
ミネは救命ボートから飛び出し、水面から身を出したイルカの背を伝い、彼女達を足場にして前へ前へと飛び出していく。勢いは収まることなく2頭、3頭と飛び移る。そして最後の1頭、先頭を泳ぐルカが太陽へと手を伸ばすかのような宙返り、水族館のショー顔負けのサマーソルトジャンプを繰り出した。イルカの巨体が最高位に達するタイミング、その瞬間にミネが彼女の尾ビレを足場に、天高く飛び上がった。
「誇りと信念を、胸に刻み!」
海上とは思えない程に高く高く飛び上がったミネは接近するサメに向けて急降下。彼女の神秘、彼女の怪力は私が一番知っている。これから起こり得る1秒先の未来は想像に容易かった。
「あ、アロナ!防御壁を全開!波でこの船が転覆する!練乳ならいくらでもかけていいから!だ、だから何とかして!!!」
命乞いにも等しい情けない私の悲鳴と同時にミネが着水。救護者を見逃さない狩人の一撃に大海原が悲鳴を上げる。これ程までに死を意識した一幕は後にも先にも、これが最後だと思いたかった。
「団長!お怪我はありませんか!?」
「ええ。私は問題ありません。彼女らをお願いします」
「はい!」
蒼空から茜色に染まる夕暮れ時、私達は無事にトリニティの浜辺付近へと帰って来ていた。救護者を仲間達のボートへと移動させ、団員達は一目散に医務室へと帰っていった。
「帰ってこれた……。死ぬかと思った……」
「お疲れ様でした、先生。また助けられちゃいましたね」
「私こそだよ……、本当にお疲れ様」
今回転覆した子達は普通に事故。エンジントラブルや波の荒れ具合等、色々と悪い要素が絡み合ってしまったと考えられる。もっと言えば、小型船で海上バーベキュー等危険極まりない行為に没頭してしまった末の不注意でもある。
とはいえ、今回の一件で海の恐ろしさを学べたのだろうし、皆しっかりと反省していた。だとすれば許してあげるのが大人の役目なのだろう。全員が無事である限り余計な追求は野暮といえる。
「ルカ、貴女達にも助けられました。ありがとうございます」
「♪~~!」
ルカを含むイルカの群れは私達を最後まで護衛してくれた。最後まで立派で勇敢なイルカ達、まるでミネの率いる救護騎士団そのものだった。
「この様子なら、心配は要りませんね」
「♪~!」
「私は誤解していました。貴女達も立派な救護騎士団なのですね」
「♪~」
「であれば、貴女達も私達の同志。これからも頑張っていきましょう。私と同じ、救護騎士団として」
「♪~~~!」
ミネは力強くホイッスルを吹き上げる。彼女の音色に呼応したイルカ達は揃って飛び上がりながら大海原へと帰っていった。
「先生、あの子達は、何故私達を、ヒトを助けようとしたのでしょうか?」
「なんでだろうね」
いくら先生であろうと彼女らの心までは分からない。けど、ミネの純真で誠実な心意気はヒトならざる者まで惹きつける。そんな気がしてならなかった。
だとしても、これを答えにはしたくない。ミネも私も、答えを探して考え過ぎるくらいがちょうどいい。だから答えたいとは思わなかった。
「考えていこうよ。あの子達の事をさ」
「……そうですね」
「それじゃあ帰ろうか。食べそびれたデザートでもどうかな?」
「是非!」
日が暮れる前に船を動かす。夕焼け色に染まった世界、水飛沫を上げながら何度も飛び上がるイルカ達を背にしたミネの笑顔は、一生の思い出に留めておきたい程に美しかった。