理想のオリ主生活 作:松尾シオン
双王国の使節団が王都に入る、その前日。
王宮の会議の間には、アウラと、国政を担う重臣たちが顔を揃えていた。
明日からの使節団の受け入れについて、最後の確認を行うためである。
滞在中の警護。
宴の席次。
双王国側から求められそうな事柄と、その受け答え。
一通りの議題が片付いたところで、アウラは最後の件を切り出した。
「明日の歓迎の宴で、新しい炉と、その鉄で打った剣を披露する。炉については、北大陸から入ってきた技術を取り入れたものとして発表する」
重臣たちが、静かに頷いた。
ただ一人を除いて。
「恐れながら、陛下」
平坦な声が、会議の間に響いた。
ファビオだった。
「北大陸の技術、とだけ発表なさるのは、いかがなものかと存じます」
「……何か不都合があるか」
「ございます」
ファビオは、眉一つ動かさずに続けた。
「ゼンジロウ様が王宮で煉瓦を焼いておられたことも、川べりで何やら大がかりなものを作っておられたことも、既に貴族の間では広く噂になっております。親衛隊の騎士たちが水路を掘っていたことまで、知られております」
「…………」
「勘の良い者は、とうに気づいております。この状況で北大陸の技術とだけ発表すれば、陛下がゼンジロウ様の手柄を隠された、と受け取る者が出てまいりましょう」
居並ぶ重臣の何人かが、気まずそうに視線を逸らした。
どうやら、心当たりがあるらしい。
「女王が夫の功を握り潰した。そのような噂が立てば、陛下のお立場にも、ゼンジロウ様のお立場にも、よろしくないかと」
「……わかっておる」
アウラは、こめかみを押さえた。
ファビオの言う通りだった。
そもそも、ここまで噂が広がったのは、自分の手抜かりだ。
夫が、まさか鉄の在り方を変えるほどのものを作り上げるとは、思ってもみなかった。
それに、あの夫が珍しくやる気を出していたのだ。
しばらくはそっとしておこうと、噂の手当てを緩めていた。
その結果がこれである。
「では、どうする」
「北大陸から入ってきた技術を、ゼンジロウ様が再現なさった、となさってはいかがでしょう」
ファビオは、淡々と言った。
「ゼンジロウ様は、もともと故郷にてそうした技術に明るいお方であった、と。そうすれば、技術の出どころは北大陸のまま、ゼンジロウ様のお働きも認めることができます。陛下が手柄を隠されたと見られることも、ございません」
アウラは、しばし黙り込んだ。
技術に明るい。
あの夫が。
趣味で鉄器を作っていたと言い張り、精神修養だの健康のためだのと言い、つい先日はプラモデルとやらを作って不貞腐れていた夫が。
明るいかどうかで言えば、とても明るいとは言えない気がする。
少なくとも、本人の口から聞く限りは。
だが、体面を整えるための筋書きとしては、これ以上のものはない。
「……それで行こう」
「承知いたしました」
ファビオは一礼し、それから、何事もなかったかのように続けた。
「それと、ゼンジロウ様への褒美の件でございますが」
「…………」
「炉に、剣に。明日の宴で発表なさる以上、ゼンジロウ様のご功績は、誰の目にも明らかになります。これ以上、褒美を先延ばしにはできません。早急にお決めください」
「わかっておると言っている」
「以前にも、同じお言葉を伺ったと記憶しております」
アウラのこめかみが、ぴくりと動いた。
重臣たちは、揃って手元の書類に目を落とした。
誰も、女王と目を合わせようとはしなかった。
「……今夜、婿殿に最後の確認をする。それで決める」
「よろしくお願いいたします」
ファビオは、相変わらず何の感情も浮かべない顔で、静かに一礼した。
♦
その夜。
政務を終えて寝室に戻ってきたアウラは、いつになく疲れた顔をしていた。
長椅子に腰を下ろすなり、深々と溜息をつく。
「どうしたの? すごい顔してるけど」
「今日の重臣たちとの会議で、ファビオに散々小言を言われた」
アウラは、こめかみを押さえた。
「炉のことだ。結局、北大陸の技術をそなたが再現した、ということになった。そなたはもともと、そうした技術に明るい人間だった、とな」
「え、なんで?」
「そなたが煉瓦を焼いていたことも、川べりで何かを作っていたことも、とうに噂になっておるのだ。北大陸の技術とだけ言えば、私がそなたの手柄を隠したと見られかねぬ」
「あー……」
善治郎は、思わず天井を仰いだ。
心当たりしかない。
親衛隊の騎士たちには、水路どころか、煉瓦運びも丸太運びも手伝ってもらっている。
「結局、そなたの名を出すことになった。すまぬ」
「いいよ、別に。それで丸く収まるなら」
善治郎があっさり頷くと、アウラはもう一度溜息をついた。
「それと、もう一つ。そなたへの褒美を、急ぎ出さねばならなくなった」
「褒美?」
「炉に、剣に。そなたの功は、もう誰の目にも明らかだ。これ以上、褒美を先延ばしにしてはおけぬ」
アウラは、改めて夫に向き直った。
「最後に確かめておく。何か、欲しいものはあるか」
善治郎は、少し考えた。
以前、同じことを聞かれた時は、特にないと答えた。
領地も、地位も、ぴんとこなかった。
だが、今は少し違う。
道具作成で、物を作ろうとすれば手が勝手に動いて、職人顔負けに仕上げてしまう。
これはたぶん、魔法ではない。
少なくとも、双王国に目を付けられるような類の力ではないはずだ。
だったら、もっと色々なものを、気兼ねなく作ってみたい。
ここのところ、善治郎は少し浮かれていた。
「……領地、とか?」
アウラの動きが、一瞬だけ止まった。
「領地、だと?」
「うん」
「そなた、以前は何も要らぬと言っておったではないか。どうした、急に」
声は穏やかだった。
だが、その目が、わずかに鋭くなったのを、善治郎は気づかなかった。
「いや、水車の炉を作ってみて思ったんだけど。ああいうのって、まず試してみる場所が要るんだよ。今回は川べりを借りたけど、毎回あれだと、護衛の人たちにも迷惑かけるし」
善治郎は、指を折りながら続けた。
「それに、魔道具のこと。この国って、魔道具は全部、双王国に頼りきりだろ? 頼んでも何年もかかるし、向こうの都合次第だし」
「……うむ」
「善吉とか、これから生まれてくる子どもたちのことを考えるとさ。魔法じゃなくても、技術の方でこっちが先に立てるものを作っておいた方がいいと思うんだ。そのための場所が、欲しいなって」
言い終えて、善治郎は少し照れくさそうに笑った。
アウラは、しばらく黙って夫の顔を見ていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。そのように取り計らおう」
「ほんと? ありがとう」
無邪気に喜ぶ夫の横で、アウラはグラスを手に取った。
理屈は通っている。
息子のことを思う言葉にも、嘘はないのだろう。
だが、以前の夫は、領地の話を持ち出しただけで、面倒くさそうに顔をしかめたものだった。
それが今は、自分から欲しいと言う。
頭を打ってから、この男は、少しずつ変わっていく。
その変わり方が、アウラには、どうにも引っかかった。
グラスを揺らしながら、アウラは話題を変えた。
「ゼンジロウ。イザベッラ王女が、そなたの硝子の玉を一つ買っていったことを覚えておるか」
「ああ、うん。なんか、結構高く売れたんだっけ」
善治郎は、のんびりと頷いた。
高く売れた、とは聞いていた。
聞いてはいたが、それ以上は特に気にしていなかった。
この世界に来てから、どうしても欲しいものがあるわけでもない。
いくらで売れようが、正直なところ、どうでもよかったのだ。
「明日来る二人も、おそらくあの玉のことを探ってくる。心づもりはしておいてくれ」
「わかった」
軽く返事をして、善治郎はブランデーをすすった。
その反応の薄さに、アウラが眉をひそめた。
「……そなた、わかっておらぬな」
「え?」
「あの玉一つに、イザベッラ王女が金貨五十枚を払ったのだぞ」
「金貨五十枚……って、どのくらい?」
「領地を持たぬ下級貴族の屋敷が、一軒買える値だ」
善治郎の手が、止まった。
「……屋敷?」
「屋敷だ」
「一個で?」
「一個でだ」
善治郎は、ゆっくりとグラスを置いた。
屋敷。
あのビー玉一つで、家が一軒。
召喚に失敗した時の路銀にと、ホームセンターで適当に袋ごと買って持ち込んだものだ。
それが、家一軒。
じわじわと、事の大きさが染みてきた。
それと同時に、別のことにも思い当たってしまった。
「……えっと、その」
善治郎は、気まずそうに視線を泳がせた。
「じゃあ、ガラス玉作るだけで、大金持ちになっちゃうね……」
沈黙が落ちた。
アウラは、ゆっくりとグラスを小卓に置いた。
それから目を閉じ、眉間を指でつまんで、ぐりぐりと揉んだ。
長い溜息が、寝室に響いた。
「……詳しく聞こう」
怒鳴られるより、よほど怖かった。
善治郎は、背筋を伸ばして説明を始めた。
ガラスというものは、砂を高い熱で溶かして作ること。
ただ、その熱に耐えられる窯が、これまでこの国にはなかったこと。
今は、川べりの炉を作るときに耐火煉瓦の作り方がわかったから、ガラスを溶かせるだけの窯も作れるはずだということ。
「じゃあ、なぜ今まで言わなかった」
「いや、言わなかったっていうか……そもそも窯がなかったから作れなかったし。それに、持ってきたビー玉もまだいっぱいあるから、作ろうって発想自体がなくて……」
「…………」
アウラは、もう一度眉間を揉んだ。
それから、ふうと息を吐いて、ようやく目を開けた。
その顔には、呆れが半分と、納得が半分ほど浮かんでいた。
「……まあ、筋は通っておる」
「でしょ?」
「得意げにするな」
ぴしゃりと言われて、善治郎は首をすくめた。
アウラは、少しだけ居住まいを正した。
「よいか。明日来る二人は、十中八九、あの硝子の玉のために来る。作れるということは、決して漏らすな。迂闊なことも口にするな」
「うん」
「その上で、だ」
アウラは、そこで一度、言葉を切った。
何かを言いかけて、言いにくそうに口をつぐむ。
珍しい顔だった。
善治郎が首を傾げると、アウラは小さく息を吸ってから、続けた。
「双王国の者たちが滞在している間も、時間を作って、硝子作りに向けて動いてほしい」
「滞在中に?」
「うむ。シャロワ王家は、これまで一度として自ら外交の場に出てきたことがない。それが今回、王族を二人も寄越した。向こうも、何か急いでおるのだろう」
アウラの目が、すっと細くなった。
女王の顔だった。
「ならば、こちらがそれに間に合わせられれば、交渉で大きな優位に立てる。……幸い、そなたが近頃妙な趣味に没頭しておることは、貴族の間でも知れ渡っておる。土をいじって、何やら作っておっても、誰もそれ以上は気にせぬだろう」
「妙な趣味……」
「妙であろう」
否定はできなかった。
アウラは、少しだけ視線を落とした。
「……そなたには、働かずともよいと言ったのにな。こうして頼めば、そなたは何でも頷いてしまう。それをわかっていて、頼んでおる」
小さな声だった。
それでも、アウラはすぐに顔を上げた。
「だが、王として頼む。やってくれるか」
善治郎は、少し考えてから答えた。
「どのくらいで作れるかは、ちょっとわからないんだけど」
「目安でよい」
「まず、材料になる砂を探さないといけないんだ。ガラスに向いた、きれいな砂。それが見つかるかどうかで、だいぶ変わる」
珪砂、と呼ばれる砂だ。
砂なら何でもいいわけではない。
「作り方自体は、そんなに難しくないと思う。ただ、砂に混じってる余計なものを取り除いたり、色を抜いたりするのに、ちょっと手間がかかるかもしれない。だから、うまくいけば一か月くらい。手間取ったら、半年以上かかるかも」
「それでよい」
アウラは、迷いなく頷いた。
「作れたら、真っ先に私のところへ持ってきてくれ。それと、できれば、まとまった数を作れる体制も整えてほしい」
「わかった。やってみるよ」
善治郎は、あっさりと引き受けた。
正直なところ、少し楽しみでもあった。
炉を作り、鉄を作り、剣を打ってから、ものづくりにも、自分の妙な力を使うことにも、ちょっとずつ楽しさを感じ始めている。
次の枠は、ガラスだ。
嬉しそうな顔をする夫を見て、アウラはなぜか、もう一度だけ眉間を揉んだ。
♦
翌日の出迎えの式典は、善治郎にとって、ひたすら立っているだけの時間だった。
付与魔法のシャロワ王家が、百数十年ぶりに国の外へ出てくる。
居並ぶ貴族たちが好奇の色を隠しきれないのも、無理はなかった。
玉座の前に進み出た二人の王族は、どちらもこの南大陸では珍しい、白い肌と金色の髪をしていた。
フランチェスコ王子は、柔らかな物腰の青年だった。
所作に一切の隙がなく、儀礼の場にふさわしく静かに頭を垂れている。
ボナ王女は、まだ年若い少女だった。
背筋をぴんと伸ばし、緊張しているのが遠目にもわかる。
型通りの挨拶が交わされ、式典は滞りなく終わった。
♦
その日の夕刻、王宮の大広間には、使節団を歓迎する宴のために貴族たちが集まっていた。
卓には料理と酒が並んでいたが、まだ誰も杯には手を付けていない。
皆が席に着いたところで、アウラが静かに立ち上がった。
その腰には、善治郎が最初に打った一振りが佩かれている。
同じく善治郎が打った剣は、善治郎自身の手元にも一振りあった。
「双王国の客人を迎えたこの喜ばしき席で、皆に披露したいものがある」
侍従たちが、布の掛けられた台を運び込んできた。
布が取り払われると、そこには四振りの剣が並んでいた。
飾り気のない拵えに、燭台の灯りを受けて静かに光る刃。
広間に、どよめきが走った。
「我が国は、北大陸より伝わった技術を取り入れ、鉄を溶かすことのできる炉を作り上げた。その技術を再現し、炉を作り上げたのは、我が夫ゼンジロウである。そして、この剣もまた、その炉から生まれた鉄で、ゼンジロウが自ら打ったものだ」
どよめきが、一段と大きくなった。
一斉に向けられた視線の中で、善治郎は引きつった笑みを浮かべた。
目立つのは嫌だと言ったのに。
いや、言ったけど、説得されたんだった。
ふと、善治郎は賓客の席に目をやった。
北大陸、という言葉が出た瞬間。
フランチェスコ王子の柔らかな笑みが、ほんの一瞬だけ、固まったように見えた。
まばたきひとつの間だった。
すぐに元の穏やかな顔に戻ったので、気のせいだったのかもしれない。
気のせいでなかったとしても、善治郎には、その理由はわからなかった。
「プジョル将軍。前へ」
「は」
プジョルが進み出て、玉座の前に跪いた。
「先の大戦における貴様の武勲に報いるため、この剣のうち一振りを、貴様に与える」
広間が、再びどよめいた。
アウラは、侍従から受け取った剣を、自らプジョルに差し出した。
そして、受け取ろうとするプジョルにだけ聞こえる声で、小さく付け加えた。
「これは婿殿からの返礼だ。竜弓のな」
プジョルの手が、一瞬だけ止まった。
竜弓を贈った借りは、これで返した。
つまり、貸し借りはなしだ、ということだ。
プジョルの口元に、小さな苦笑が浮かんだ。
だが、その苦笑は、両手に剣の重みを感じた途端、あっという間に喜色に塗りつぶされていった。
「……謹んで、拝領いたします」
深々と頭を垂れる大戦の英雄の顔は、どう見ても、貸し借りのことなどもうどうでもよくなっていた。
続いて、国内でも大きな派閥を率いる二人の大貴族が呼ばれ、それぞれに一振りずつが下賜された。
残る一振りは、台の上に置かれたままだった。
次は誰の手に渡るのか。
軍に属する貴族たちの目の色が、明らかに変わっていくのを、善治郎は玉座の隣からぼんやりと眺めていた。
あれ、俺が打った剣なんだよなぁ。
なんだか、自分のことのような、他人事のような、妙な気分だった。
剣が下げられると、アウラが改めて杯を掲げた。
「では、双王国の客人を歓迎して」
広間の全員が、それに倣って杯を掲げる。
ようやく、宴が始まった。
♦
式典の翌日。
善治郎は、王宮の奥の応接の間で、二人の客人をもてなしていた。
アウラは、今日は政務で同席できない。
客人の相手は王配の役目、というわけだ。
最初は少し身構えていた善治郎だったが、話し始めてすぐに、肩の力が抜けた。
とっつきやすい二人だった。
「昨日は堅苦しくて、失礼いたしました。ああいう場は、どうも苦手でして」
フランチェスコは、式典の時とは打って変わって、のんびりとした調子で笑った。
「決まりごとや段取りを覚えるのが、昔から得意ではないのです。ですので、使節団の細かいことは、すべてボナに任せています」
「フランチェスコ殿下……」
隣のボナが、小さく溜息をついた。
その手元には、分厚い書類の束がある。
この人、たぶん仕事しないタイプだな、と善治郎は会社員時代の勘で察した。
そしてこっちの子は、たぶんすごく苦労してるタイプだな、とも察した。
なんとなく、親近感が湧いた。
「それにしても、昨夜の剣は見事でした」
フランチェスコが、杯を傾けながら言った。
「私もボナも、武具は専門ではないのですが。それでも、あれがどれほどのものかはわかります。新式の溶鉱炉のおかげ、だけではありませんね。昨日の剣には卓越した技巧を感じました」
「はい! 特にあの刃の地肌の模様! あれは、鍛える過程で意図して出されたものなのでしょうか!?」
ボナが、身を乗り出してくる。
その目は、きらきらと輝いていた。
二人とも、付与魔法で細やかな魔道具を作る職人でもある。
戦士ではないが、ものを見る目は確かだった。
だからこそ、善治郎は猛烈に居心地が悪かった。
あれは、自分で長年かけて身につけた技ではない。
体に刻まれていた何かが、勝手に打たせてくれたものだ。
それを、本物の職人に真っ直ぐ褒められると、どうにも背中がむずむずする。
「いや、その、あれは趣味で……たまたま、うまくいっただけというか……」
「ご趣味で、あれほどの!?」
ボナの目が、さらに輝いた。
逆効果だった。
それでも、話しているうちに、善治郎はだんだんと気が楽になってきた。
二人とも、政治の駆け引きには興味が薄そうだった。
探りを入れてくる様子もない。
話題は、ひたすら、もの作りのことばかりだ。
気がつけば、善治郎は善治郎で、つい色々と話してしまっていた。
「さっきの、刃の模様の話なんだけど」
「は、はい!」
ボナが、ぱっと背筋を伸ばした。
「あれ、向こうだと、わざと模様を出すやり方があるんだよ」
「わざと、ですか!?」
「うん。硬い鉄と柔らかい鉄みたいに、性質の違う鉄を何枚も重ねて、熱して叩いてくっつけるんだ。それを何度も折り返したり、ねじったりしてから伸ばしていくと、中で層が入り組んで、木の年輪みたいな模様になる」
ボナは、瞬きも忘れて聞き入っていた。
「で、最後に、刃の表面を薄い酸でほんの少しだけ溶かす。そうすると、硬い層と柔らかい層で溶け方が違うから、模様がくっきり浮き出てくるんだ」
「酸で…溶かして……模様を浮かせる……!」
ボナは、まるで呪文でも唱えるように繰り返した。
その目は、もはや輝くどころか燃えていた。
「硬さの違う層が重なっているなら、折れにくさも増すのでは……!? それに、模様の出方を操れるということは、層の重ね方や、ねじる回数で、狙った模様を描けるということでは……!?」
「そうそう。向こうだと、模様の種類にそれぞれ名前がついてたりするよ」
「なんと……!」
フランチェスコも、杯を手にしたまま、楽しそうに目を細めて聞いている。
まあ、これくらいならいいか、と善治郎は思った。
ガラスの話ではないし、剣の模様の出し方くらい、どうということもないだろう。
故郷の技術だから、と言えば、それ以上は深く突っ込まれない。
それがわかっているせいか、善治郎の口は、いつもより少しだけ軽くなっていた。
♦
ひとしきり話したところで、善治郎はあらかじめ用意していた話を切り出した。
フランチェスコ王殿下は、夜会では随分と「蒸留酒」を気に入られていた様子でしたね、と。
蒸留酒――ウイスキーは、善治郎が日本から持ってきたものだ。
しかし、カープァ王国でも作れないわけではない。
何より、善治郎は自前の小さな蒸留装置も持ってきている。
熟成の課程をすっ飛ばしているため、あまり味わいはないが、黒糖を溶かしたり、他の果実酒と混ぜてみたりと様々なことを試している段階ではあるが、カープァ王国の酒好きの貴族たちの間でも密かに人気が出てきている。
フランチェスコ王子は、見事に善治郎の垂らした針に引っかかった。
大喜びする姿を眺めながら、善治郎は内心でガッツポーズをする。
そして、侍女のイネスに目くばせし、包みを持ってこさせた。
「では、これをどうぞ」
包みを解く。
中から現れたのは、封の切られていないウイスキーの瓶だった。
琥珀色の液体を満たした、透き通ったガラスの瓶。
次の瞬間、二人の反応は劇的だった。
「おお!」
フランチェスコ王子が感嘆の声を上げる。
ボナは、両手で口を押さえて固まっていた。
二人の視線は、中の酒ではなく、瓶そのものに注がれていた。
「これは……素晴らしい! ゼンジロウ陛下!飲み終わった器は返却してくれ、なんて言いませんよね!?」
興奮した様子でちらちらとゼンジロウと酒瓶の間で交互に視線を往復させるフランチェスコを見た善治郎は、微笑んで応える。
「もちろんです。どうぞお持ち帰りください。ただ、割れやすいものなので、扱いにはお気を付けください」
答えながら、善治郎はアウラから聞いた話を思い出した。
以前ビー玉を購入したイザベッラ王女は、ビーズにはたいして興味を示さなかった、と。
しかし、では、透明のガラス瓶なら……?
アウラに相談し、ガラス瓶を贈った反応を見ることで、彼らの需要がどこにあるのかを探る。
作戦はほぼ成功だ。
フランチェスコ王子の態度からはわかりづらいが、隣のボナ王女は、明らかに動揺している。
「ちなみにゼンジロウ陛下。この器は、カープァ王国で作ることはできるのでしょうか?」
「……いえ、残念ながら器自体は私の故郷から持ってきたものですので」
想定していた質問につつがなく答える。
昨夜の、アウラの言葉が頭をよぎる。
作れることは決して漏らすな、と。
それに、ガラスを作れないことは嘘ではない。
少なくとも、今はまだ。
「そうですか……では、大変貴重なものですね、これは」
「水晶ではここまで綺麗に細工できないぞ」「濁りも歪みもない」「一体どうやって」
善治郎の前であることを忘れたかのように、フランチェスコはぶつぶつとつぶやきながら、しばらく器を舐めるように見つめていた。
それからゆっくりと、いつもの柔らかな笑みに戻った。
「失礼いたしました、あまりにも見事な器だったもので。ありがたく頂戴いたします。しかしゼンジロウ陛下。このような素晴らしい贈り物をいただいたからには、こちらからも何かお返しをしたい」
フランチェスコが、にこやかに言った。
「せっかくですから、魔道具を一つ、殿下のために――」
「フランチェスコ殿下!」
ボナが、慌てて王子の袖を引いた。
「魔道具は、そう簡単にお作りできるものではありません! 一つ作るのに、年単位で時間がかかるのですよ! それに、既にアウラ陛下からご依頼をいただいている分もございます!」
「ああ、そうだった。そうだったね」
フランチェスコは、困ったように頭を掻いた。
そして、ほとんど独り言のような、小さな声で呟いた。
「うーん……あの透明な宝玉さえあればなぁ」
「殿下!?」
ボナが、ぎょっとして王子の名を呼んだ。
顔から、さっと血の気が引いている。
「ああ、ごめんごめん。そうだったね」
フランチェスコは、あっさりと謝った。
それから善治郎に向き直り、何事もなかったかのように微笑んだ。
「失礼いたしました。代わりに、既に手元にある魔道具を一つ、お贈りいたしましょう。それでよろしいでしょうか」
「あ、はい。ありがとうございます」
善治郎は、どうにか笑顔を作って頷いた。
♦
客人たちを見送ったあと、善治郎は一人、応接の間の長椅子に腰を下ろした。
あの透明な球さえあれば。
フランチェスコの独り言が、耳に残っていた。
ボナの慌てようを見る限り、あれは本来、口にしてはいけない話だったのだろう。
シャロワ王家が隠してきた、付与魔法の裏技。
アウラが言っていた噂は、どうやら本当だったらしい。
だが、善治郎には、どうにも引っかかることがあった。
あの王子は、本当にうっかり口を滑らせたのだろうか。
式典の場では、一分の隙もなかった男だ。
ウイスキーの瓶を見た瞬間、のんびりした笑みを消して、真っ直ぐに核心を聞いてきた男だ。
その男が、よりによって、あの話の流れで、あの独り言を。
わざと聞かせたのではないか。
そう考えると、筋が通る気がした。
これまで決して表に出てこなかったシャロワ王家が、自分たちの裏技をカープァ王国に悟られてもいい、と判断してまで、王族を二人派遣してまで、ガラスのことについて知りたがっている。
アウラも言っていたが、それほどまでに、何か急ぐ理由があるのかもしれない。
ガラスの作り方を、確立しなければならない。
善治郎は、改めてそう思った。
ただ、同時に、少しだけ不安にもなった。
あの透明な球があれば、年単位でかかる魔道具づくりが、ずっと早くなる。
もしシャロワ王家が、その裏技を好きなだけ使えるようになったら、どうなるのか。
双王国の力は、一気に跳ね上がるかもしれない。
それが、カープァ王国にとって良いことなのか、悪いことなのか。
善治郎には、判断がつかなかった。
この世界の魔道具というものを、まだ一度もちゃんと見たことがないのだ。
これは、カープァ王家の人間として、アウラに確かめておかなければならない。
善治郎は、すっかり日の傾いた窓の外を眺めながら、小さく息を吐いた。