理想のオリ主生活 作:松尾シオン
双王国からの客人たちをもてなしつつ、ガラス作りに手をつけて、一週間ほどが経ったある日。
善治郎は、王宮の広間で、アウラから正式に領地を下賜された。
居並ぶ貴族たちの間に、小さなざわめきが広がった。
王配が、領地を持つ。
それがどういう意味を持つのか、量りかねている顔がいくつもあった。
広間の隅で控えるファビオだけが、相変わらず何の感情も浮かべずに立っていた。
与えられたのは、王都からほど近い、小さな集落がいくつかある土地だった。
森の中にあって、すぐそばを川が流れている。
領民は、五百人ほど。
もともとは別の領主が治めていたが、領主が大戦で命を落としてからは、王家の預かりになっていたらしい。
ただ、問題もあった。
領地の男手は、ほとんどが戦で死んだ。
生きて帰ってきた者も、多くは戦の傷で、まともに畑を耕せる体ではないという。
森がある。
川がある。
人手は足りない。
善治郎の頭の中では、もう水車が回り始めていた。
叙任の儀式を終えて、二人きりになったところで、善治郎はふと思い出して口を開いた。
「そういえば、アウラに聞きたいことがあったんだ」
「何だ」
「魔道具って、そんなにすごいものなの?」
アウラが、わずかに眉を上げた。
「……どういう意味だ」
「いや、もしシャロワ王家が、ビー玉を量産することができるようになって、魔道具を短期間のうちに好きなだけ作れるようになったら、どうなるのかなって。俺、この世界の魔道具ってちゃんと見たことないから、よくわからなくて」
アウラは、少しだけ考え込んだ。
「なるほど、例の王子のひとりごとの件か。私の知ってる範囲でも、日用品のようなものから兵器までピンキリではあるが、強力なものなら、ある程度の兵力差なら覆せてしまうものもある。ただ、一つ作るのに年単位でかかるから、どの国も双王国に頭を下げて譲ってもらうしかないのが現状だ。それが本当に好きなだけ作れるようになれば……まあ、脅威という他ないだろうな」
アウラは、そこで一度言葉を切った。
「とはいえ、現実では双王国の突出を周囲の国が許さぬだろうし、単純に言い切れるような話ではないがな。その話は、改めてゆっくりしよう。今は、それよりも大事な話がある」
アウラは、気を取り直したように夫に向き直った。
「領地のことだが、すぐには行かせられぬ」
「え、なんで?」
「……我が婿殿の武芸の腕前は知っているが、王都の城壁の外は本当に危険なのだ。本来は護衛を付けたところで、何度も行き来できるような道ではない。今の水車がある場所は王都からすぐで、王宮から護衛も用意できるから良いが、そなた個人の領地となるとそうも行かぬからな」
アウラは、真っ直ぐに夫を見た。
「時空魔法の瞬間移動を覚えるまでは、領地へは行かせられぬ。それが条件だ」
「あー……」
善治郎は、思わず目を泳がせた。
瞬間移動。
善吉が生まれた時に、何もできなかったのが悔しくて、毎晩のように練習していた魔法だ。
次のお産で何かあった時に、双王国へ跳んで、治癒魔法の使い手を連れてこられるように。
そのはずだった。
だが、記憶が戻ってからというもの、その練習は、ぱったりと止まっていた。
理由はわかっている。
回復魔法が、使えるようになってしまったからだ。
いざとなれば、自分で治せばいい。
双王国に目を付けられるとか、そんなことは、アウラと子どもの命に比べれば知ったことではない。
どこかでそう思ってしまって、瞬間移動の練習から、すっかり気持ちが離れていた。
もちろん、忙しかったのもある。
炉を作ったり、剣を打ったり、土を眺めたり。
つまりは、サボっていた。
「……わかった。頑張る」
「うむ。瞬間移動が使えるようになるのは、王家としてもかなり大きい。期待しているぞ」
アウラは満足げに頷いた。
善治郎は、少しだけ後ろめたかった。
♦
その夜。
善治郎は、後宮の寝室で、久しぶりに瞬間移動の練習をすることにした。
「見ていてもよいか」
「いいけど……たぶん、失敗するよ。最近全然やってなかったし」
「構わぬ。どこまで覚えておるか、確かめたい」
長椅子に腰掛けたアウラの前で、善治郎は寝室の中央に立った。
跳ぶ先は、かつて善治郎が召喚された部屋。
王宮の奥にある、普段は使われていない一室だ。
この世界で最初に目にした場所だから、思い浮かべるのは難しくない。
目を閉じて、体の中の魔力に意識を向ける。
以前は、これが一番難しかった。
体の中にあるはずの魔力が、どこにあるのかもよくわからない。
掴もうとすると逃げていく。
流そうとすると、途中で詰まる。
毎晩、そこで苦労していた。
はずだった。
あれ、と善治郎は思った。
わかる。
体の隅々まで、魔力がどう流れているのか、手に取るようにわかる。
どこを通せばいいのか。
どのくらいの量を、どの順番で。
まるで、ずっと昔から知っていたかのように。
魔法語の詠唱を始める。
以前は、舌がもつれて、何度も噛んだ。
発音が違うと、アウラに何度も直された。
それが、すらすらと口から出てくる。
一音一音が、正しい場所に、正しい響きで収まっていく。
最後の一語を紡いだ瞬間、視界が切り替わった。
イメージの通り、薄暗い、善治郎がかつて召喚された部屋だった。
「…………」
善治郎は、しばらくその場に立ち尽くした。
できた。
一発で。
何の淀みもなく。
善治郎の背中を、つうっと冷や汗が流れた。
まずい。
これは、たぶん、まずい。
記憶が戻って、魔術が使えるようになった影響なのだろうか。
理由はわからないが、魔力の扱いが、とんでもなく上手くなっている。
つい先日まで、魔力を掴むのにも四苦八苦していた男が、いきなりこれだ。
目の前で夫が消えたのを見たアウラが、どんな顔をしているか。
想像するのが怖い。
善治郎は、召喚の間を出て、薄暗い回廊を寝室へと歩いて戻った。
途中ですれ違った夜番の侍女が、目を丸くしていた。
寝室に戻ると、アウラは、長椅子に座ったまま、じっとこちらを見ていた。
「あ、あはは……できちゃった」
「…………」
「いやー、久しぶりだったけど、意外と体が覚えてたみたいで! よかったよかった!」
努めて明るく言う。
アウラは、しばらく黙っていた。
「……うむ。見事だった」
それだけ言って、アウラは小さく微笑んだ。
その笑顔に、どこか固いものが混じっていたことに、善治郎は気づいたような、気づかなかったような気がした。
だが、それよりも。
善治郎は、寝台にもぐり込みながら、天井を見上げた。
これで、領地に行ける。
森がある。
川がある。
五百人の領民がいる。
水車を据えて、炉を作って、ガラスを溶かして。
畑を耕す人手が足りないなら、農具を良くすればいい。
それでも足りないなら、水車で何かできないか考えればいい。
戦の傷で畑に出られない人たちでも、座ってできる仕事なら。
ガラスを磨くとか、水車で動く道具の番をするとか。
川があるなら、川砂がガラスに使えるかどうかも調べたい。
領地経営。
内政。
技術革新。
異世界に来たら一度はやってみたいと、誰もが一度は思うやつだ。
「……ふへへ」
思わず、だらしない笑いが漏れた。
気まずさは、ある。
アウラのさっきの顔も、少し気になる。
だが、今はそれ以上に、楽しみで仕方がなかった。
隣で、アウラが小さく寝返りを打った。
善治郎は、それに気づかないまま、領地でやりたいことを指折り数えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
♦
アウラ・カープァは、初めて夫を見た日のことを、今でもよく覚えている。
時空魔法で異界から呼び寄せた、婿となるべき男。
王家の血を引き、なおかつこの国のどの派閥にも属さない者。
それが、アウラの求めた条件だった。
召喚の光が収まった時、そこに立っていたのは、見上げるほどの長身の男だった。
鍛え抜かれた体。
白い髪に、射抜くような鋭い目。
どう見ても、軍人だった。
正直に言えば、外れだと思った。
アウラが欲しかったのは、権力に興味がなく、政に口を出さず、王宮でおとなしく暮らしてくれる婿だ。
戦に慣れた男は、得てして力を求める。
剣を握る者は、いずれ兵権を握りたがる。
それでも選んだのは、消去法だった。
この国に後ろ盾を持たない男なら、少なくとも野心を隠さない大戦の英雄や、実家に逆らえない大貴族の文官を婿に迎えるよりは、ずっとましだ。
どの貴族とも結びついていない。
どの派閥の思惑も背負っていない。
女王にとって、これほど都合の良い相手はいなかった。
打算だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
だが、共に暮らし始めてすぐに、アウラは戸惑うことになった。
あの険しい目つきからは想像もつかないほど、夫は柔らかい男だった。
声を荒げることがない。
侍女たちにも、気さくに礼を言う。
争いごとは苦手だと、本人は困ったように笑う。
そのくせ、朝の稽古では、アウラの棒を涼しい顔でいなしてみせる。
体つきは、どう見ても長年鍛えてきた者のそれだ。
争いごとが苦手な男が、なぜこれほど腕が立つのか。
なぜ、軍人のような鍛え方をしているのか。
少しだけ、不信を覚えたこともあった。
だが、それ以上に、アウラの心を動かしたものがあった。
夫は、不器用だった。
気の利いた言葉を言えるわけでもない。
それでも、優しかった。
何より、夫はアウラを、一人の女として当たり前のように扱った。
女王へのおべっかではない。
権力におもねるのでもない。
重いものを持とうとすれば、黙って横から手を伸ばす。
疲れていれば、何も言わずに酒を注ぐ。
アウラの言葉を、女の言葉だからと軽んじることもない。
この国の男たちには、ないものだった。
気づいた時には、惹かれていた。
長男のカルロス、夫の国の呼び方で言うなら善吉が生まれた時のことも、よく覚えている。
お産は、少し長引いた。
母子ともに無事ではあったが、夫は、ひどく思い詰めた顔をしていた。
何もできなかった、と。
それからだ。
夫が、毎晩のように時空魔法の練習を始めたのは。
次のお産で、もしものことがあった時に。
すぐに双王国へと跳び、治癒魔法の使い手を連れてこられるように。
魔力の扱いは、お世辞にも上手いとは言えなかった。
魔法語の発音も、たどたどしかった。
何度も失敗しては、肩を落としていた。
それでも、夫は毎晩、練習をやめなかった。
その背中を見て、アウラは思ったのだ。
打算から始まった結婚だった。
だが、この男は、もう紛れもなく、自分の愛する夫なのだと。
――そのはずだった。
今夜、善治郎は時空魔法を使った。
ここのところは水車式の溶鉱炉づくりで多忙を極め、練習を怠っていたはずの瞬間移動を、一度で、何の淀みもなく成功させた。
魔力の流れは滑らかで、魔法語の詠唱は、驚くほど澄んでいた。
まるで、何十年も魔法を使い続けてきた熟練の使い手のように。
つい先日まで、あれほど苦労していた男が。
やはり、おかしい。
アウラは、善治郎に違和感を覚えたのがいつ頃だったか、きっかけはなんだったのか、頭を打ってからではないか、と考え、さすがにそれはないと心の中でかぶりをふる。
炉を作り、剣を打ち、領地を欲しがった。
ひとつひとつは、まだ笑って済ませられた。
夫の故郷の趣味はどうなっているのだと、どこか引っかかりつつも、悪意がないと信じているから、呆れながらも流してこられた。
だが、今夜のあれは、なんだったのか。
善治郎が瞬間移動を使えるようになったことは、喜ばしい。
しかし、あまりにも以前と違いすぎた。
別人のよう、ではなく、まさしく別人に思えた。
隣で眠る夫の顔を、アウラはそっと見る。
寝顔は、何も変わらない。
変わらないはずなのに。
そのことが、ほんの少しだけ、怖かった。
アウラは、眠る夫の手に、そっと自分の手を重ねた。
善治郎の手は、いつもよりどこか冷たく感じた。