理想のオリ主生活   作:松尾シオン

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7話

 

 双王国からの客人たちをもてなしつつ、ガラス作りに手をつけて、一週間ほどが経ったある日。

 善治郎は、王宮の広間で、アウラから正式に領地を下賜された。

 

 居並ぶ貴族たちの間に、小さなざわめきが広がった。

 王配が、領地を持つ。

 それがどういう意味を持つのか、量りかねている顔がいくつもあった。

 広間の隅で控えるファビオだけが、相変わらず何の感情も浮かべずに立っていた。

 

 与えられたのは、王都からほど近い、小さな集落がいくつかある土地だった。

 

 森の中にあって、すぐそばを川が流れている。

 領民は、五百人ほど。

 もともとは別の領主が治めていたが、領主が大戦で命を落としてからは、王家の預かりになっていたらしい。

 

 ただ、問題もあった。

 

 領地の男手は、ほとんどが戦で死んだ。

 生きて帰ってきた者も、多くは戦の傷で、まともに畑を耕せる体ではないという。

 

 森がある。

 川がある。

 人手は足りない。

 

 善治郎の頭の中では、もう水車が回り始めていた。

 

 叙任の儀式を終えて、二人きりになったところで、善治郎はふと思い出して口を開いた。

 

「そういえば、アウラに聞きたいことがあったんだ」

「何だ」

「魔道具って、そんなにすごいものなの?」

 

 アウラが、わずかに眉を上げた。

 

「……どういう意味だ」

「いや、もしシャロワ王家が、ビー玉を量産することができるようになって、魔道具を短期間のうちに好きなだけ作れるようになったら、どうなるのかなって。俺、この世界の魔道具ってちゃんと見たことないから、よくわからなくて」

 

 アウラは、少しだけ考え込んだ。

 

「なるほど、例の王子のひとりごとの件か。私の知ってる範囲でも、日用品のようなものから兵器までピンキリではあるが、強力なものなら、ある程度の兵力差なら覆せてしまうものもある。ただ、一つ作るのに年単位でかかるから、どの国も双王国に頭を下げて譲ってもらうしかないのが現状だ。それが本当に好きなだけ作れるようになれば……まあ、脅威という他ないだろうな」

 

 アウラは、そこで一度言葉を切った。

 

「とはいえ、現実では双王国の突出を周囲の国が許さぬだろうし、単純に言い切れるような話ではないがな。その話は、改めてゆっくりしよう。今は、それよりも大事な話がある」

 

 アウラは、気を取り直したように夫に向き直った。

 

「領地のことだが、すぐには行かせられぬ」

「え、なんで?」

「……我が婿殿の武芸の腕前は知っているが、王都の城壁の外は本当に危険なのだ。本来は護衛を付けたところで、何度も行き来できるような道ではない。今の水車がある場所は王都からすぐで、王宮から護衛も用意できるから良いが、そなた個人の領地となるとそうも行かぬからな」

 

 アウラは、真っ直ぐに夫を見た。

 

「時空魔法の瞬間移動を覚えるまでは、領地へは行かせられぬ。それが条件だ」

「あー……」

 

 善治郎は、思わず目を泳がせた。

 

 瞬間移動。

 善吉が生まれた時に、何もできなかったのが悔しくて、毎晩のように練習していた魔法だ。

 次のお産で何かあった時に、双王国へ跳んで、治癒魔法の使い手を連れてこられるように。

 

 そのはずだった。

 

 だが、記憶が戻ってからというもの、その練習は、ぱったりと止まっていた。

 理由はわかっている。

 回復魔法が、使えるようになってしまったからだ。

 

 いざとなれば、自分で治せばいい。

 双王国に目を付けられるとか、そんなことは、アウラと子どもの命に比べれば知ったことではない。

 どこかでそう思ってしまって、瞬間移動の練習から、すっかり気持ちが離れていた。

 

 もちろん、忙しかったのもある。

 炉を作ったり、剣を打ったり、土を眺めたり。

 

 つまりは、サボっていた。

 

「……わかった。頑張る」

「うむ。瞬間移動が使えるようになるのは、王家としてもかなり大きい。期待しているぞ」

 

 アウラは満足げに頷いた。

 善治郎は、少しだけ後ろめたかった。

 

 ♦

 

 その夜。

 善治郎は、後宮の寝室で、久しぶりに瞬間移動の練習をすることにした。

 

「見ていてもよいか」

「いいけど……たぶん、失敗するよ。最近全然やってなかったし」

「構わぬ。どこまで覚えておるか、確かめたい」

 

 長椅子に腰掛けたアウラの前で、善治郎は寝室の中央に立った。

 

 跳ぶ先は、かつて善治郎が召喚された部屋。

 王宮の奥にある、普段は使われていない一室だ。

 この世界で最初に目にした場所だから、思い浮かべるのは難しくない。

 

 目を閉じて、体の中の魔力に意識を向ける。

 

 以前は、これが一番難しかった。

 体の中にあるはずの魔力が、どこにあるのかもよくわからない。

 掴もうとすると逃げていく。

 流そうとすると、途中で詰まる。

 毎晩、そこで苦労していた。

 

 はずだった。

 

 あれ、と善治郎は思った。

 

 わかる。

 

 体の隅々まで、魔力がどう流れているのか、手に取るようにわかる。

 どこを通せばいいのか。

 どのくらいの量を、どの順番で。

 まるで、ずっと昔から知っていたかのように。

 

 魔法語の詠唱を始める。

 

 以前は、舌がもつれて、何度も噛んだ。

 発音が違うと、アウラに何度も直された。

 

 それが、すらすらと口から出てくる。

 一音一音が、正しい場所に、正しい響きで収まっていく。

 

 最後の一語を紡いだ瞬間、視界が切り替わった。

 

 イメージの通り、薄暗い、善治郎がかつて召喚された部屋だった。

 

「…………」

 

 善治郎は、しばらくその場に立ち尽くした。

 

 できた。

 一発で。

 何の淀みもなく。

 

 善治郎の背中を、つうっと冷や汗が流れた。

 

 まずい。

 これは、たぶん、まずい。

 

 記憶が戻って、魔術が使えるようになった影響なのだろうか。

 理由はわからないが、魔力の扱いが、とんでもなく上手くなっている。

 つい先日まで、魔力を掴むのにも四苦八苦していた男が、いきなりこれだ。

 目の前で夫が消えたのを見たアウラが、どんな顔をしているか。

 想像するのが怖い。

 

 善治郎は、召喚の間を出て、薄暗い回廊を寝室へと歩いて戻った。

 途中ですれ違った夜番の侍女が、目を丸くしていた。

 

 寝室に戻ると、アウラは、長椅子に座ったまま、じっとこちらを見ていた。

 

「あ、あはは……できちゃった」

「…………」

「いやー、久しぶりだったけど、意外と体が覚えてたみたいで! よかったよかった!」

 

 努めて明るく言う。

 アウラは、しばらく黙っていた。

 

「……うむ。見事だった」

 

 それだけ言って、アウラは小さく微笑んだ。

 

 その笑顔に、どこか固いものが混じっていたことに、善治郎は気づいたような、気づかなかったような気がした。

 

 だが、それよりも。

 

 善治郎は、寝台にもぐり込みながら、天井を見上げた。

 

 これで、領地に行ける。

 

 森がある。

 川がある。

 五百人の領民がいる。

 

 水車を据えて、炉を作って、ガラスを溶かして。

 畑を耕す人手が足りないなら、農具を良くすればいい。

 それでも足りないなら、水車で何かできないか考えればいい。

 

 戦の傷で畑に出られない人たちでも、座ってできる仕事なら。

 ガラスを磨くとか、水車で動く道具の番をするとか。

 川があるなら、川砂がガラスに使えるかどうかも調べたい。

 

 領地経営。

 内政。

 技術革新。

 

 異世界に来たら一度はやってみたいと、誰もが一度は思うやつだ。

 

「……ふへへ」

 

 思わず、だらしない笑いが漏れた。

 

 気まずさは、ある。

 アウラのさっきの顔も、少し気になる。

 

 だが、今はそれ以上に、楽しみで仕方がなかった。

 

 隣で、アウラが小さく寝返りを打った。

 善治郎は、それに気づかないまま、領地でやりたいことを指折り数えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

 ♦

 

 アウラ・カープァは、初めて夫を見た日のことを、今でもよく覚えている。

 

 時空魔法で異界から呼び寄せた、婿となるべき男。

 王家の血を引き、なおかつこの国のどの派閥にも属さない者。

 それが、アウラの求めた条件だった。

 

 召喚の光が収まった時、そこに立っていたのは、見上げるほどの長身の男だった。

 鍛え抜かれた体。

 白い髪に、射抜くような鋭い目。

 

 どう見ても、軍人だった。

 

 正直に言えば、外れだと思った。

 アウラが欲しかったのは、権力に興味がなく、政に口を出さず、王宮でおとなしく暮らしてくれる婿だ。

 戦に慣れた男は、得てして力を求める。

 剣を握る者は、いずれ兵権を握りたがる。

 

 それでも選んだのは、消去法だった。

 

 この国に後ろ盾を持たない男なら、少なくとも野心を隠さない大戦の英雄や、実家に逆らえない大貴族の文官を婿に迎えるよりは、ずっとましだ。

 どの貴族とも結びついていない。

 どの派閥の思惑も背負っていない。

 女王にとって、これほど都合の良い相手はいなかった。

 

 打算だった。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 だが、共に暮らし始めてすぐに、アウラは戸惑うことになった。

 

 あの険しい目つきからは想像もつかないほど、夫は柔らかい男だった。

 声を荒げることがない。

 侍女たちにも、気さくに礼を言う。

 争いごとは苦手だと、本人は困ったように笑う。

 

 そのくせ、朝の稽古では、アウラの棒を涼しい顔でいなしてみせる。

 体つきは、どう見ても長年鍛えてきた者のそれだ。

 

 争いごとが苦手な男が、なぜこれほど腕が立つのか。

 なぜ、軍人のような鍛え方をしているのか。

 

 少しだけ、不信を覚えたこともあった。

 

 だが、それ以上に、アウラの心を動かしたものがあった。

 

 夫は、不器用だった。

 気の利いた言葉を言えるわけでもない。

 それでも、優しかった。

 

 何より、夫はアウラを、一人の女として当たり前のように扱った。

 女王へのおべっかではない。

 権力におもねるのでもない。

 重いものを持とうとすれば、黙って横から手を伸ばす。

 疲れていれば、何も言わずに酒を注ぐ。

 アウラの言葉を、女の言葉だからと軽んじることもない。

 

 この国の男たちには、ないものだった。

 

 気づいた時には、惹かれていた。

 

 長男のカルロス、夫の国の呼び方で言うなら善吉が生まれた時のことも、よく覚えている。

 

 お産は、少し長引いた。

 母子ともに無事ではあったが、夫は、ひどく思い詰めた顔をしていた。

 何もできなかった、と。

 

 それからだ。

 夫が、毎晩のように時空魔法の練習を始めたのは。

 

 次のお産で、もしものことがあった時に。

 すぐに双王国へと跳び、治癒魔法の使い手を連れてこられるように。

 

 魔力の扱いは、お世辞にも上手いとは言えなかった。

 魔法語の発音も、たどたどしかった。

 何度も失敗しては、肩を落としていた。

 それでも、夫は毎晩、練習をやめなかった。

 

 その背中を見て、アウラは思ったのだ。

 

 打算から始まった結婚だった。

 だが、この男は、もう紛れもなく、自分の愛する夫なのだと。

 

 ――そのはずだった。

 

 今夜、善治郎は時空魔法を使った。

 

 ここのところは水車式の溶鉱炉づくりで多忙を極め、練習を怠っていたはずの瞬間移動を、一度で、何の淀みもなく成功させた。

 魔力の流れは滑らかで、魔法語の詠唱は、驚くほど澄んでいた。

 まるで、何十年も魔法を使い続けてきた熟練の使い手のように。

 

 つい先日まで、あれほど苦労していた男が。

 

 やはり、おかしい。

 アウラは、善治郎に違和感を覚えたのがいつ頃だったか、きっかけはなんだったのか、頭を打ってからではないか、と考え、さすがにそれはないと心の中でかぶりをふる。

 

 炉を作り、剣を打ち、領地を欲しがった。

 ひとつひとつは、まだ笑って済ませられた。

 夫の故郷の趣味はどうなっているのだと、どこか引っかかりつつも、悪意がないと信じているから、呆れながらも流してこられた。

 

 だが、今夜のあれは、なんだったのか。

 

 善治郎が瞬間移動を使えるようになったことは、喜ばしい。

 しかし、あまりにも以前と違いすぎた。

 別人のよう、ではなく、まさしく別人に思えた。

 

 隣で眠る夫の顔を、アウラはそっと見る。

 

 寝顔は、何も変わらない。

 変わらないはずなのに。

 

 そのことが、ほんの少しだけ、怖かった。

 

 アウラは、眠る夫の手に、そっと自分の手を重ねた。

 

 善治郎の手は、いつもよりどこか冷たく感じた。

 

 

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