理想のオリ主生活   作:松尾シオン

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8話

 

 王配、善治郎・カープァの評判は、目下、うなぎのぼりである。

 

 政務の間で報告書を読み上げる臣下の声も、心なしか弾んでいた。

 

 王宮の鍛冶場では、新しい窯に替えてから、鉄器の出来がまるで違う。

 新型の溶鉱炉から出てくる棒鉄は質が良く、鍛冶師たちは鉄の機嫌を取る手間がなくなったぶん、打つことだけに専念できる。

 その鉄で作った鍬や斧は、王都の鍛冶屋の間でじわじわと評判になっていて、中には、王配陛下に直接お礼を申し上げたいと言い出す親方までいる始末だという。

 

「……そうか」

 

 女王アウラは、短くそれだけ答えた。

 

 嬉しいか、と問われれば、嬉しい。

 当たり前だ。

 

 煤で顔を真っ黒にして、歯だけ白く光らせながら剣を差し出してきたあの男の働きが、こうして形になって返ってきているのだ。

 口の端が勝手に持ち上がりそうになるのを、アウラは奥歯のあたりで押しとどめた。

 

 ただし、である。

 

 評判というのは、蜜に似ている。

 甘い。

 そして、甘いところには、必ず何かが寄ってくる。

 

 王配の名の下に人が集まり、王配の名を担いで何かを企む者が出てくる。

 それこそが、アウラが一年かけてせっせと避けてきた事態そのものなのだ。

 

 嬉しいのと、厄介なのと。

 二つの気持ちが、胸の中で押しくらまんじゅうをしていた。どちらも一歩も譲らない。

 

「結構なことです」

 

 来た。

 

 部屋の隅から聞こえてきたその声には、抑揚というものがまるでなかった。

 干し魚の方がまだ表情がある、とアウラは常々思っている。

 

 ファビオである。

 

 有能で、忠実で、そして口から出てくる言葉に、手加減という概念が一切存在しない男だ。

 

「ゼンジロウ様のお名前は、今や王都の鍛冶屋の間でも知られているようで。王配陛下にお礼を、とは。いやはや、ご立派なことです」

 

 立派だと思っている人間の声ではない。

 断じてない。

 

 いつものアウラなら、ここで何か言い返している。

 

 だが今日は、言い返す言葉が見つからなかった。

 理由は簡単で、ファビオの言いたいことは、他の誰よりもアウラ自身がいちばんよくわかっていたからだ。

 痛いところを正確に突かれた人間というのは、たいてい黙るしかない。

 

「領地までお持ちになったとなれば、いずれ王配陛下のもとに、陳情や献上品が――」

「ファビオ」

 

 低い声だった。

 

「少し、黙れ」

 

 政務の間から、音という音が消えた。

 

 ファビオは眉ひとつ動かさずに一礼し、失礼いたしました、と言った。それきり、口を閉じた。

 

 居並ぶ臣下たちは揃って手元の書類にじっと目を落とし、熱心に読みふけるふりをした。

 

 

 ♦

 

 

 善治郎の領地は、森と、川と、人手不足でできている。

 

 王都から竜車で一時間ほど。

 遠くはない。

 

 ただし、城壁を一歩出れば、そこはもう竜どもの縄張りである。

 木々の向こうから聞こえてくる低い唸り声は、どう好意的に聞いても「いらっしゃいませ」とは言っていなかった。

 近頃少しずつ距離の縮まってきた護衛のナタリオは、道中ずっと警戒しており、集落が見えても決して気を抜かなかった。

 

 なるほど、アウラの言う通りだ。

 こんな道、何度も通いたいものではない。

 

 今後は、善治郎直属の護衛たちを交代でこの領地に置き、善治郎自身は瞬間移動で跳んでくることになる。

 それだけで、ずいぶん気が楽になる。

 

 集落は、森の懐に抱かれるようにして、ひっそりとあった。

 

 すぐそばを、川が流れている。

 流れはゆるく、水は少し濁っていて、倒木に引っかかった枝が、溜息みたいな小さな渦を作っていた。

 

 畑は、半分ほどが手つかずだった。

 伸び放題の草の間から、折れた鍬の柄が、墓標のように斜めに突き出ている。

 

 家々の前には、老人と女たちが立っていた。

 遠巻きに、こちらを見ていた。

 子どもたちは母親の腰布をぎゅっと握りしめ、その陰から、白い髪の大男を見上げている。

 

 善治郎は思った。

 あ、これ、怖がられてるな。

 

 無理もない。

 この体格に、この目つきだ。

 夜道で自分に出くわしたら、善治郎自身だって回れ右をする。

 

 杖をついた男たちの姿も、ちらほら見えた。

 

 片足を引きずる者。

 片方の袖が、中身のないまま風に揺れている者。

 頬から首にかけて、引きつれた火傷の痕を貼りつけた者。

 

 戦から帰ってきた男たちだ。

 彼らは女たちよりさらに後ろに下がって、決して目を合わせようとしなかった。

 

 集落の長だという老人が、歯の抜けた口で、領地の事情を説明している。

 何人死んで、何人戻って、去年の実りがどれだけ減ったか。

 

 

 善治郎はそれに頷きながら、頭の片隅で、王宮を出る直前のことを思い出していた。

 

 回廊の柱の陰から、ファビオが湧いて出たのである。

 

 湧いて出た、としか言いようがない。

 気配というものが、まるでなかった。

 

「ゼンジロウ様。本日はご領地へお出ましとか。近頃のご活躍は、まことに目覚ましゅうございます。炉に、剣に、領地に。陛下も、さぞお喜びでございましょう」

 

 褒めている。

 言葉の上では、完全に褒めている。

 

 だが、言葉の裏にくっついているものは、善治郎にもはっきり見えた。

 

 少々、出しゃばりすぎではございませんか。

 王配というのは、そこまでお働きになるものでしたかな。

 

 京都の人に「ええお庭ですなぁ」と言われた時の、あの感じである。

 背骨の内側を、冷たい指でつうっとなぞられたような気分になる、例のあれだ。

 

「……ああ、そうだな」

 

 頬の筋肉が引きつるのを、善治郎は自分で感じた。

 

 ファビオは、苦手だ。

 もっとも、あの男を得意だという人間がこの世のどこかに存在するなら、ぜひ一度会って、コツを教わりたいものである。

 

 でもさ、と善治郎は心の中で言い訳をした。

 

 ガラス作りは、アウラに頼まれたことだし。

 領地だって、アウラが許してくれたわけだし。

 

 そこまで考えて、善治郎はため息を吐いた。

 

 わかっている。

 言い訳である。

 自分でもわかっている。

 

 最初に鉄を良くしたいと言い出したのは自分だ。

 炉を作ったのも、剣を打ったのも、領地をくれと言ったのも、全部自分だ。

 誰に背中を押されたわけでもない。

 強いて言えば、自分で自分の背中を押して、勢いあまって坂道を転がっていった結果が、今なのだ。

 

 近頃は、夜会に顔を出すたびに、貴族たちが寄ってくる。

 

 剣を拝見しました。

 新型炉は素晴らしい。

 ぜひ一度、我が屋敷にも。

 

 判で押したような台詞が、善治郎が持ってきてアウラが広めた蒸留酒や、果実酒の匂いと一緒に、四方八方から降ってくる。

 一年前、王宮でごろごろしていた頃には、考えられなかったことだ。

 

 呼び名もそうだ。

 

 陛下と呼ぶのはアウラ陛下だけにしてくれ、と善治郎はこれまで何度も頼んできた。

 その甲斐あって、皆ゼンジロウ様と呼ぶようになっていたのに、近頃はまた、ゼンジロウ陛下、と口にする者が増えている。

 

 呼び名というのは、正直だ。

 人がどこを見ているかを、いちばん素直に映す。

 

 魔法は使っていない。

 投影も、回復魔法も、封じたままだ。

 

 それでも、この体と、勝手に動く手と、何でも見えてしまう目が、少しずつ、周りの景色を書き換えていく。

 

 チートというやつは、使わなくても、そこにあるだけで何かを歪ませるらしい。

 

 善治郎は、王宮で眠っている小さな息子の顔を思い浮かべた。

 

 ぷくぷくの頬。

 握りしめた小さな拳。

 乳くさい匂い。

 

 この力は、生まれる前に、ぼんやりと願って手に入れたものだ。

 それがこの体に刻まれているのなら、善吉にも、これから生まれてくるかもしれない子どもたちにも、受け継がれているかもしれない。

 

 そうなったら、隠し通せるものではない。

 いずれ必ず、どこかで顔を出す。

 

 ガラスのことも、そうだ。

 

 今は、作り方を知っているのは自分だけだ。

 でも、双王国が別の道からそこへ辿り着く可能性は、十分にある。

 向こうには砂漠がある。

 砂漠の砂が必ずしもガラスの材料として適しているかはわからないが、もし適している場合、原材料を輸出する、という手も取れない。

 

 ガラス玉の価値が下がるのは、たぶん、時間の問題だ。

 

 そしてその時、カープァ王国の手の中には、何も残らない。

 残るのは、善治郎が隠してきたことだけだ。

 

 最初は、アウラには話さないつもりだった。

 話したら、捨てられるかもしれないと思っていた。

 

 でも、今なら。

 炉を作り、剣を打ち、存在感を示した今なら。

 

 

 ――近いうちに、話さなければならない。

 

 

 川の水が倒木にぶつかって、こぽ、と小さな音を立てた。

 

「……ゼンジロウ様?」

 

 気づけば、老人が不安そうにこちらを見上げていた。

 どうやら、話の途中ですっかり黙り込んでしまっていたらしい。

 

「すまん。続けてくれ」

 

 善治郎は、慌てて王族の顔をかぶり直した。

 

 

 ♦

 

 

 フランチェスコという男を、一言で説明するのは難しい。

 

 王族で、天才で、怠け者で、そして秘密を三日と抱えていられない男だ。

 

 その男が今、王宮の客室の長椅子に寝そべって、片足を肘掛けに乗せ、上着の前をだらしなくはだけたまま、酒杯を傾けていた。

 

 そしてボナは、その男を、椅子から半分腰を浮かせて睨みつけていた。

 

「フランチェスコ殿下! どうしてあのようなことを、ゼンジロウ陛下の前で口にされたのですか! 透明な宝玉さえあれば、と! あれは、シャロワ王家の機密ではありませんか!」

「ああ、あれか。大丈夫だよボナ」

「何が大丈夫なのですか!」

「父上からもお祖父様からも言われているんだ。宝玉を手に入れるためなら、全部しゃべっても構わない、とね」

「それは、最終的には宝玉の入手を優先する、そのためなら機密が漏れてもやむを得ない、という意味です!」

「いやあ、違うよボナ。私に機密を明かす許可を出した以上、私がすぐさましゃべってしまうことくらい、二人ともよくご存じだよ」

 

 いい笑顔だった。

 心の底から、一点の曇りもない笑顔だった。

 

「……それは、そんなふうに得意げに仰ることではありません……」

 

 ボナは、空気の抜けた革袋みたいに椅子へ沈み込んだ。

 

 この役目を引き受けた時、本国からは、目の玉が飛び出るほどの報酬を約束された。

 それだけ重い務めなのだと思った。シャロワ王家の命運を背負う覚悟で、はるばるこの国までやってきた。

 

 だが、今になって思う。

 あれはもしかして、この王子の子守りをするための迷惑料だったのではないか。

 

 たぶん、そうだ。

 十中八九、そうだ。

 

「まあまあ、そんな話は置いておいて」

 

 フランチェスコが、ひょいと身を起こした。

 その手には、カープァの王配から贈られた、あの瓶が握られていた。

 ボナの目つきが変わった。

 溜息は、どこか遠くへ吹き飛んでいった。

 

 フランチェスコは、瓶を燭台の炎にかざした。琥珀色の液体を透かして、炎の光が瓶の中で何度も折れ曲がり、卓の上に小さな光の粒をばらまいている。

 

「見てごらん。濁りがない。歪みもない。これだけの大きさの器が、この薄さで、どこもかしこも均一だ」

「はい。水晶を削り出したのでは、こうはなりません。これほど大きな水晶はまず手に入りませんし、手に入ったとしても、ここまで薄く削れば必ず割れます。材質は、あの透明な宝玉と同じでしょうか」

「おそらくね。それに、ほら」

 

 フランチェスコが、瓶の側面を指でなぞる。

 

「削ったものじゃない。継ぎ目もない。私はね、シャロワ王家はこの大陸でも指折りの宝石細工の技を持っていると思ってる。でも、私には、これが何でできているのかも、どうやって作ったのかも、まるでさっぱりわからない」

「……私にも、わかりません」

 

 二人はしばらく、無言で瓶を見つめた。

 

 職人というのは、わからないものを前にすると、なぜか少し嬉しそうな顔になる生き物である。

 二人とも、まさにそういう顔をしていた。

 

「あの、フランチェスコ殿下」

「なに?」

「中のお酒を飲み終えたあとで構いませんので、その器の、一部だけでも、お譲りいただけないでしょうか」

「え? いや、駄目だよボナ」

 

 即答だった。

 

「い、一部だけです! 底の方の、ほんの欠片だけでも!」

「駄目だよ。そんなことしたら器として使えなくなるじゃないか」

「割るのではなく、その、少しだけ削らせていただければ……!」

「削ってどうするんだい!?」

「では、栓のところだけでも!」

「栓も駄目だ」

「そんな……! 殿下ばかりずるいです! ゼンジロウ陛下は、お二人に、と仰ったではありませんか!」

「でも、受け取ったのは私だからねえ」

「殿下!」

 

 ボナは半泣きで瓶に手を伸ばし、フランチェスコはそれを、ひょいと頭上に持ち上げてかわした。

 使節団の代表と、その子守り役の王女による瓶の争奪戦は、ボナが冷静になるまで続いた。

 

 

 ♦

 

 

 その報せが来たのは、数日後の昼下がりだった。

 政務の間の扉が、いつもより少しだけ乱暴に開いた。

 入ってきたのは、侍女だった。

 額に張りついた前髪の下で、目が落ち着きなく揺れていた。

 

「陛下。カルロス殿下のことで……」

 

 アウラは、書類から顔を上げた。

 熱が下がらないのだ、と侍女は言った。

 昨夜から少し熱があったが、今朝になって急に上がり、何度も吐いている。

 侍医のミシェルの見立てでは、この季節、この土地の子どもがよく罹る、赤斑熱だろう、と。

 侍女の声は、途中で二度、震えた。

 アウラは、手にしていた羽根筆を机に置こうとした。

 置き損ねた。

 羽根筆はインク壺の縁に当たって、ころりと転がった。

 黒い雫が一滴、書類の端に落ちて、じわじわと紙の中へ染み込んでいく。

 アウラは、それを見ていた。

 見ていたのは、たぶん、ほんの一瞬だった。

 

「……すぐに行く」

 

 自分の声が、思っていたよりも、ほんの少しだけ高く聞こえた。

 

 

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