先生はモームリ   作:風神ぷー

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あと数話でアビドス編が終了後ゲヘナ編の予定です。


第二十四話 試される組織

 

 

夜明け前。

 

アビドスの空は、まだ暗かった。

 

普段なら静かな時間帯。

 

だが、この日だけは違った。

 

校舎の窓を叩く風が、一晩中止まらなかった。

 

乾いた砂が外壁へ打ち付けられる音は、まるで細かな雨のように途切れることなく続いている。

 

その音で、先生は目を覚ました。

 

時計を見る。

 

午前五時十二分。

 

いつもより一時間近く早い。

 

もう一度眠ろうと目を閉じる。

 

しかし。

 

風の音は、逆に強くなった。

 

ガタッ。

 

窓枠が小さく揺れる。

 

先生はゆっくりと起き上がり、カーテンを開けた。

 

外はまだ薄暗い。

 

それでも砂が風へ流されているのは分かる。

 

視界は悪くない。

 

だが、地面を這う砂の量は、昨日より明らかに多かった。

 

「……。」

 

先生は窓の外を見つめたまま、小さく息を吐く。

 

昨夜、修司が言っていた言葉を思い出す。

 

> 「組織の真価が問われるのは、予定どおりに進まなくなった時です。」

 

その意味を、まだ深く考えてはいなかった。

 

だが。

 

胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残っていた。

 

その時。

 

机の上へ置かれていた通信端末が鳴る。

 

短い電子音。

 

画面を見る。

 

発信者。

 

アヤネ。

 

先生はすぐに通話へ出た。

 

「おはようございます、先生。」

 

普段と変わらない声だった。

 

だが、その奥にわずかな緊張が混じっている。

 

「おはよう。」

 

「何かあったか?」

 

「はい。」

 

アヤネは短く答えた。

 

「地域防災局から砂嵐注意情報が更新されました。」

 

先生は表情を引き締める。

 

「昨日より強いのか?」

 

「はい。」

 

「現時点では注意情報ですが。」

 

「今日の午後にかけてさらに風速が上がる予測です。」

 

先生は窓の外を見る。

 

予報どおりだった。

 

「他には?」

 

「現在、地域相談が四件届いています。」

 

「朝の時点で?」

 

「はい。」

 

「道路への砂の流入。」

 

「店舗入口への吹き溜まり。」

 

「倉庫シャッターの動作不良。」

 

「地域集会所から設備確認。」

 

先生は少し考える。

 

昨日までなら。

 

この四件を聞いた瞬間、

 

「私が見てくる。」

 

そう答えていただろう。

 

しかし。

 

「対策委員会のみんなは?」

 

「もう連絡済みです。」

 

「全員、予定より早く登校します。」

 

「分かった。」

 

先生は短く答えた。

 

「私も向かう。」

 

「はい。」

 

通話が切れる。

 

先生は制服へ着替え始めた。

 

急ぐ。

 

だが、慌てない。

 

その違いを、自分でも少し意識していた。

 

---

 

午前六時十分。

 

対策委員会の部室。

 

まだ始業前にもかかわらず、全員が揃っていた。

 

「おはようございます。」

 

アヤネはすでに大型ホワイトボードを広げている。

 

昨日まで予定表だった場所には、新しい表が貼られていた。

 

---

 

**発生状況**

 

**担当**

 

**対応状況**

 

**次回確認**

 

---

 

簡潔だった。

 

だが、一目で状況が分かる。

 

先生はそれを見る。

 

「切り替えたのか。」

 

「はい。」

 

アヤネは頷く。

 

「通常業務用では見づらいと思いましたので。」

 

「朝来てから変更しました。」

 

先生は何も言わない。

 

ただ、小さく頷いた。

 

「ありがとう。」

 

その一言だけだった。

 

修司は部屋の隅から、その様子を静かに見ている。

 

何も言わない。

 

ホワイトボードを変えたことも。

 

相談件数が増えたことも。

 

誰一人、修司へ確認を求めなかった。

 

自然に。

 

必要だと思ったことを。

 

自分たちで判断していた。

 

その時。

 

部室の通信端末が鳴る。

 

アヤネが応答する。

 

「はい、アビドス高等学校対策委員会です。」

 

相手の話を聞くにつれ、アヤネの表情が少しずつ険しくなる。

 

「はい。」

 

「……分かりました。」

 

「すぐ確認いたします。」

 

通話を終える。

 

先生が尋ねる。

 

「新しい相談か?」

 

「はい。」

 

アヤネは受付票を書きながら答えた。

 

「第五倉庫前。」

 

「砂が急激に堆積しています。」

 

「搬入車両が通れない可能性があるそうです。」

 

部室が静かになる。

 

昨日までなら。

 

「午後に確認しましょう。」

 

そう判断していただろう。

 

しかし今日は違う。

 

物資搬入にも影響する。

 

先生はホワイトボードを見る。

 

地域相談。

 

銀行。

 

搬入。

 

昨日立てた予定が、そのまま並んでいた。

 

その横へ。

 

アヤネは新しく赤いマーカーで書き加える。

 

---

 

**第五倉庫前 通行確認**

 

**優先:高**

 

---

 

誰も指示を待たない。

 

シロコは地図を開く。

 

「私が確認する。」

 

セリカも立ち上がる。

 

「一人じゃ危ないわ。」

 

「私も行く。」

 

ノノミは保管表を取り出す。

 

「搬入時間を後ろへずらせるか確認しますね〜。」

 

先生はその光景を見つめていた。

 

誰も。

 

「先生、どうしますか。」

 

とは聞かなかった。

 

必要な役割を、それぞれが考え始めている。

 

部室の空気は慌ただしい。

 

それでも。

 

不思議と混乱はなかった。

 

その様子を見ながら。

 

修司は静かに生命の書へ手を置く。

 

まだ開かない。

 

その時ではない。

 

彼は一人、小さく呟いた。

 

「始まりました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「シロコさん、セリカちゃん。」

 

アヤネは受付票を二人へ手渡した。

 

「第五倉庫前の状況確認をお願いします。」

 

「分かった。」

 

シロコは地図を折り畳み、通信端末を確認する。

 

「十五分で戻る。」

 

「私も行くわ。」

 

セリカも防塵ゴーグルを手に取った。

 

先生は二人を見る。

 

「危険を感じたら近付かなくていい。」

 

「まず状況を知らせてくれ。」

 

「うん。」

 

「了解。」

 

二人は部室を後にした。

 

ドアが閉まる。

 

部室は再び静けさを取り戻した。

 

しかし、その静けさは平時のものではない。

 

全員が次に起こることを予測しながら動いている。

 

---

 

「ノノミ先輩。」

 

アヤネが声を掛ける。

 

「搬入業者へのご連絡をお願いします。」

 

「はい〜。」

 

ノノミは端末を手に取った。

 

「道路状況が確認できるまでは、出発をお待ちいただくようお願いしてみます。」

 

「お願いします。」

 

先生は短く頷く。

 

以前なら、自分で電話を掛けていただろう。

 

今は違う。

 

担当者が判断し、担当者が説明する。

 

先生は必要になった時だけ判断を下す。

 

ホシノが、その様子を眺めながら小さく笑った。

 

「先生。」

 

「何だ?」

 

「もう電話、取らないんだねぇ。」

 

先生は少しだけ苦笑する。

 

「担当がいるからな。」

 

「私が代わる理由はない。」

 

ホシノは満足そうに頷いた。

 

「うん。」

 

「その方が自然。」

 

---

 

その時。

 

通信端末が短く鳴った。

 

アヤネが応答する。

 

「はい。アビドス高等学校対策委員会です。」

 

数秒後。

 

アヤネの表情が少しだけ引き締まる。

 

「……はい。」

 

「状況は分かりました。」

 

「ありがとうございます。」

 

通話が終わる。

 

すぐにホワイトボードへ新しい案件を書き加えた。

 

---

 

【新規受付】

 

商店街西通り

 

店舗看板 一部破損

 

負傷者なし

 

現地確認待ち

 

---

 

「西通りです。」

 

「強風で看板が傾いたそうです。」

 

先生が尋ねる。

 

「落下の危険は?」

 

「現時点ではありません。」

 

「ただ、固定具が緩んでいる可能性があるとのことです。」

 

部屋が静かになる。

 

シロコとセリカは、すでに第五倉庫へ向かっている。

 

先生はホワイトボードを見つめた。

 

案件は二件。

 

現場確認班は一組。

 

「先生。」

 

アヤネが静かに口を開く。

 

「西通りの現地確認は、どうしましょう。」

 

先生はすぐには答えなかった。

 

昨日まで積み重ねてきた運用を思い返す。

 

現場へ行くことが目的ではない。

 

必要な情報を集め、適切な判断をすることが目的だ。

 

「写真は届いているか。」

 

「まだです。」

 

「では。」

 

先生は迷いなく答えた。

 

「先に写真を送っていただこう。」

 

「その内容を見て、現地確認が必要か判断する。」

 

「承知しました。」

 

アヤネはすぐに連絡を入れる。

 

ホシノが小さく笑った。

 

「先生。」

 

「ちゃんと順番を守ったねぇ。」

 

先生も少し笑う。

 

「ああ。」

 

「急ぐことと、慌てることは違う。」

 

その言葉を聞き、修司は静かに視線を伏せた。

 

誰かに教えられたわけではない。

 

先生自身が、現場で学び取った判断だった。

 

---

 

その頃。

 

第五倉庫前。

 

シロコとセリカは現場へ到着していた。

 

吹き付ける風は朝より明らかに強い。

 

砂が足元を流れ、視界の下半分を薄く覆っている。

 

「思ったより積もってる。」

 

セリカが目を細めた。

 

搬入口の前には、風で運ばれた砂が帯のように積み重なっている。

 

大型車なら通行できる。

 

しかし、物資搬入に使う小型トラックではタイヤを取られる恐れがあった。

 

シロコは端末を取り出す。

 

写真を数枚。

 

角度を変えて撮影する。

 

続けて短い動画も記録した。

 

「送る。」

 

データはすぐに部室へ送信された。

 

その直後だった。

 

ゴォォッ――。

 

突風が倉庫前を吹き抜ける。

 

砂煙が一気に舞い上がり、二人の視界を覆った。

 

「シロコさん!」

 

セリカが思わず声を上げる。

 

「大丈夫。」

 

短い返事が返る。

 

数秒後、砂煙が少し晴れる。

 

二人は同時に前方を見た。

 

さっきまで道路の端に寄っていた砂が、風に押されて車道の中央まで広がっていた。

 

シロコは静かに呟く。

 

「……進行が速い。」

 

セリカも表情を曇らせる。

 

「このままだと。」

 

「午後まで持たないかもしれない。」

 

二人はもう一度現場を撮影し、追加の報告を部室へ送信した。

 

画面に映る砂の量は、到着した時よりも明らかに増えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

部室。

 

アヤネの端末が短く震えた。

 

「シロコさんからです。」

 

受信した写真を大型モニターへ映し出す。

 

部屋の空気が少しだけ変わった。

 

「……。」

 

誰もすぐには口を開かなかった。

 

第五倉庫前の道路は、朝とは別の場所のようだった。

 

風で運ばれた砂が道路を覆い始め、搬入口の手前には車輪ほどの高さまで吹き溜まりができている。

 

続けて動画が再生された。

 

映像の中で砂は止まることなく流れ続け、わずか数十秒の間にも吹き溜まりが広がっていく様子が分かる。

 

「進行が早いですね……。」

 

アヤネが静かに呟いた。

 

ノノミも画面を見つめる。

 

「午後の搬入は難しいかもしれませんね〜。」

 

先生は動画を最後まで見届けた。

 

「アヤネ。」

 

「はい。」

 

「搬入業者へ。」

 

「本日の搬入は一旦見合わせてもらおう。」

 

「安全が確認できるまで待機をお願いしてくれ。」

 

「承知しました。」

 

アヤネはすぐに電話を掛け始める。

 

先生は一切口を挟かない。

 

必要な判断だけを伝え、実際の連絡は担当者へ任せる。

 

それが今の対策委員会だった。

 

---

 

その時。

 

再び通信端末が鳴った。

 

今度はシロコから直接だった。

 

「先生。」

 

「聞こえる。」

 

通信の向こうでは風の音が大きく響いている。

 

「状況を報告する。」

 

「頼む。」

 

「搬入口前。」

 

「小型車両は通行困難。」

 

「大型車両も、このままだと危ない。」

 

先生はホワイトボードを見る。

 

アヤネが報告を書き加えていく。

 

---

 

第五倉庫

 

搬入延期

 

道路確認継続

 

---

 

「周囲に人はいるか。」

 

「数人。」

 

「避難は終わってる。」

 

「けが人なし。」

 

「分かった。」

 

先生は少し考えた。

 

「無理に砂を除けようとするな。」

 

「風が収まるまで近付かなくていい。」

 

「了解。」

 

通信はそこで終わった。

 

セリカの声が最後に聞こえる。

 

「先生。」

 

「うん。」

 

「これ。」

 

「今日だけじゃ済まないかも。」

 

通信が切れた。

 

部室は静まり返る。

 

先生も同じことを感じていた。

 

---

 

ノノミが電話を終える。

 

「先生。」

 

「搬入業者さんです。」

 

「今日は延期で問題ないそうです〜。」

 

「道路状況が改善したら、改めて連絡してくださいとのことでした。」

 

「ありがとう。」

 

先生は頷いた。

 

一つ問題が片付いた。

 

しかし。

 

それは解決したのではない。

 

先送りになっただけだった。

 

「物資は。」

 

先生が尋ねる。

 

ノノミは保管表を確認する。

 

「食料は三日分。」

 

「飲料水も大丈夫です〜。」

 

「医療用品は。」

 

「応急セットなら十分あります。」

 

「分かった。」

 

先生はホワイトボードへ目を向ける。

 

まだ余裕はある。

 

だが。

 

この風が数日続けば話は変わる。

 

その時だった。

 

「先生。」

 

アヤネが新しい受付票を持って立ち上がる。

 

「また相談です。」

 

「内容は?」

 

「地域集会所から。」

 

「避難所として開設する可能性について、事前相談がありました。」

 

部屋の空気が一変する。

 

セリカたちが出発してから三十分。

 

初めて。

 

"避難"

 

という言葉が出た。

 

先生は受付票を受け取る。

 

『本格的な避難ではない。』

 

『念のため準備を始めたい。』

 

そう書かれていた。

 

「まだ決定ではありません。」

 

アヤネが補足する。

 

「ただ。」

 

「風が強くなった場合に備えて。」

 

「受入体制を確認したいそうです。」

 

先生は静かに考える。

 

避難所。

 

つまり。

 

学校そのものの運営も考えなければならない。

 

「ノノミ。」

 

「はい〜。」

 

「受入可能人数は。」

 

ノノミはすぐに資料を開いた。

 

「体育館なら五十人程度。」

 

「教室も使えば八十人までは対応できます。」

 

「毛布。」

 

「六十枚。」

 

「非常食。」

 

「現在の備蓄なら二日程度です。」

 

アヤネは次々と数字を書き込んでいく。

 

先生はその様子を見ながら思った。

 

以前なら。

 

この確認は自分一人でやっていた。

 

備蓄を数え。

 

施設を確認し。

 

避難計画を考え。

 

地域へ連絡する。

 

全部。

 

自分一人で。

 

今は違う。

 

必要な数字は。

 

担当者がすぐ答えられる。

 

---

 

その時。

 

修司が静かに窓の外を見る。

 

砂は。

 

さらに勢いを増していた。

 

生命の書は、まだ閉じたまま。

 

だが。

 

修司は小さく呟く。

 

「もうすぐですね。」

 

ミコリが尋ねる。

 

「第三段階ですか。」

 

「ええ。」

 

修司は窓の外から目を離さない。

 

「平時は終わります。」

 

その言葉と同時に。

 

校舎全体が。

 

ゴォォォン――

 

今までで一番強い突風に揺れた。

 

部室の窓ガラスが激しく震える。

 

全員が反射的に窓を見る。

 

その瞬間。

 

アヤネの通信端末へ、緊急通知が表示された。

 

**『砂嵐警報発令』**

 

画面の赤い文字が、部室の空気を一変させる。

 

誰も言葉を発しない。

 

先生は通知を見つめたまま、ゆっくりと息を吸った。

 

そして。

 

静かに口を開く。

 

「通常業務は中止。」

 

「対策委員会は、これより緊急対応へ移行する。」

 

その一言で。

 

部室は完全に"日常"から切り替わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部室へ、短い電子音が響く。

 

緊急対応用の通信端末が、一斉に起動した。

 

赤い表示が画面いっぱいに広がる。

 

---

 

**砂嵐警報 発令**

 

対象区域

 

アビドス自治区全域

 

不要不急の外出を控えてください

 

---

 

誰も慌てなかった。

 

それは冷静だからではない。

 

今、自分が何をすべきかを理解していたからだ。

 

先生はホワイトボードの前へ立つ。

 

「アヤネ。」

 

「はい。」

 

「通常業務を停止。」

 

「現在対応中の案件だけ残して、それ以外は保留へ。」

 

「承知しました。」

 

アヤネは迷わずホワイトボードを書き換える。

 

予定表は消えた。

 

代わりに大きく書かれる。

 

---

 

**緊急対応中**

 

---

 

その下へ、現在動いている案件だけが残された。

 

・第五倉庫

 

・商店街西通り

 

・地域集会所

 

それ以外の案件には青い線が引かれる。

 

**保留**

 

たった二文字。

 

しかし、その判断だけで部屋の情報量は一気に整理された。

 

「ノノミ先輩。」

 

「はい〜。」

 

「避難受入の準備をお願いします。」

 

「毛布と飲料水、それから簡易食料を体育館へ移動してください。」

 

「分かりました〜。」

 

ノノミはすぐに倉庫へ向かう。

 

「ホシノ先輩。」

 

「はーい。」

 

「校舎内の安全確認をお願いします。」

 

「窓、出入口、停電時に危険な場所を優先してください。」

 

「了解〜。」

 

ホシノも立ち上がる。

 

「先生。」

 

アヤネが確認する。

 

「先生は。」

 

一瞬だけ沈黙が流れる。

 

先生は自然に答えようとした。

 

「私も現場へ――」

 

その言葉は最後まで続かなかった。

 

自分で止めた。

 

昨日。

 

ホシノが言っていた。

 

"先生は最後にいてくれるから安心。"

 

修司が言っていた。

 

"判断する人が必要です。"

 

先生は静かに息を吐く。

 

「私はここに残る。」

 

「情報を集約する。」

 

「はい。」

 

アヤネはそれ以上何も言わなかった。

 

---

 

一方。

 

第五倉庫前。

 

風はさらに勢いを増していた。

 

砂が地面を滑るのではなく、空中を舞っている。

 

シロコは通信端末を押さえながら周囲を見回した。

 

「先生。」

 

通信が繋がる。

 

「聞こえる。」

 

「視界。」

 

「三十メートル以下。」

 

先生はホワイトボードへ書き込む。

 

アヤネも同時に記録する。

 

「道路。」

 

「完全閉塞ではない。」

 

「でも。」

 

「搬入不可。」

 

「了解。」

 

その時だった。

 

セリカが倉庫の奥を指差す。

 

「シロコ!」

 

風に煽られた大型の防砂ネットが、一部外れかけている。

 

金具が激しく揺れ。

 

このままでは道路側へ倒れる恐れがあった。

 

「危ない。」

 

シロコはすぐ距離を取る。

 

「近付かない。」

 

「先生。」

 

通信を開く。

 

「防砂ネット。」

 

「倒れる可能性あり。」

 

部室。

 

先生は地図を見る。

 

もし倒れれば。

 

第五倉庫前の道路は完全に塞がれる。

 

「シロコ。」

 

「応急処置は可能か。」

 

短い沈黙。

 

風の音だけが聞こえる。

 

やがて。

 

「危険。」

 

「近付けない。」

 

その一言で十分だった。

 

先生は迷わない。

 

「分かった。」

 

「撤退してくれ。」

 

通信の向こうで。

 

セリカが驚いた声を出す。

 

「えっ?」

 

「でも。」

 

「放っておいたら。」

 

先生は静かに言う。

 

「君たちが怪我をする方が問題だ。」

 

「状況だけ確認できればいい。」

 

「撤退。」

 

数秒。

 

沈黙が流れる。

 

やがて。

 

「……了解。」

 

シロコが答えた。

 

通信が切れる。

 

---

 

部室。

 

アヤネは記録を書き終える。

 

その横で。

 

修司は静かに先生を見ていた。

 

撤退。

 

十日前なら。

 

先生自身が現場へ向かっただろう。

 

あるいは。

 

「もう少し頑張れば。」

 

そう言っていたかもしれない。

 

しかし今。

 

先生は。

 

現場より。

 

人を優先した。

 

修司は何も言わない。

 

ただ。

 

生命の書へ、そっと手を添える。

 

まだ。

 

開かない。

 

---

 

その時。

 

ノノミが倉庫から戻ってきた。

 

「先生〜。」

 

「体育館の準備は終わりました。」

 

「毛布五十枚。」

 

「飲料水。」

 

「非常食。」

 

「全部配置済みです。」

 

「ありがとう。」

 

先生は頷く。

 

「避難者は。」

 

「まだ来ていません。」

 

「はい〜。」

 

しかし。

 

その返事を待っていたかのように。

 

ガララッ。

 

部室の扉が勢いよく開いた。

 

地域集会所の職員が、息を切らしながら飛び込んでくる。

 

「先生!」

 

「お願いします!」

 

「避難を始めたいんです!」

 

部室の空気が張り詰める。

 

事前相談ではない。

 

正式な避難要請だった。

 

先生は椅子から立ち上がる。

 

「人数は。」

 

「現在二十七名!」

 

「高齢者が多いです!」

 

「徒歩でこちらへ向かっています!」

 

先生は即座にホワイトボードを見る。

 

体育館。

 

受入可能。

 

毛布。

 

十分。

 

飲料水。

 

問題なし。

 

先生は迷わなかった。

 

「受け入れます。」

 

「ノノミ。」

 

「はい!」

 

「体育館を開放。」

 

「アヤネ。」

 

「避難者名簿。」

 

「ホシノ。」

 

「安全確認。」

 

「シロコとセリカには。」

 

「撤退後、そのまま体育館へ向かうよう連絡。」

 

全員が同時に動き出す。

 

誰一人。

 

「どうしましょう。」

 

とは言わなかった。

 

それぞれが。

 

自分の役割へ走り出していた。

 

部室の隅で。

 

修司は静かに目を閉じる。

 

そして。

 

生命の書を開いた。

 

ページが。

 

淡く光を放ち始める。

 

生命の書が静かに開かれる。

 

誰にも気付かれることなく。

 

淡い光がページを照らしていた。

 

修司は何も語らない。

 

ただ、その変化を見つめている。

 

ミコリも隣で静かにページを覗き込んだ。

 

まだ新しい文字は現れない。

 

しかし、ページの下部では、これまで表示されていた項目がゆっくりと更新され始めていた。

 

 

 

 

 

 

一方。

 

部室では、避難者の受け入れが始まっていた。

 

「こちらへどうぞ。」

 

ノノミが体育館の入口で高齢者を案内する。

 

「足元、お気を付けください〜。」

 

毛布を渡し、椅子へ誘導する。

 

飲料水も一本ずつ配っていく。

 

その動きに迷いはない。

 

隣ではアヤネが受付名簿を広げていた。

 

「お名前をお願いいたします。」

 

「付き添いの方はいらっしゃいますか。」

 

「持病や服薬されているお薬はありますか。」

 

一つ一つ丁寧に確認しながら記録していく。

 

受付を終えた住民は、そのまま体育館へ案内される。

 

流れは途切れない。

 

「先生。」

 

アヤネが振り返った。

 

「現在、二十七名の受け入れを完了しました。」

 

「体調不良者は?」

 

「今のところ一名です。」

 

「軽いめまいとのことですが、意識ははっきりされています。」

 

「分かった。」

 

先生は頷く。

 

「ノノミ。」

 

「はい〜。」

 

「休憩スペースを少し広げよう。」

 

「高齢者を優先で。」

 

「分かりました〜。」

 

指示は短い。

 

その一言だけで十分だった。

 

ノノミはすぐに体育館へ戻っていく。

 

---

 

その頃。

 

シロコとセリカも学校へ戻ってきていた。

 

二人とも制服には細かな砂が付着している。

 

「お帰り。」

 

先生が迎える。

 

「現場は。」

 

シロコが短く答えた。

 

「第五倉庫前。」

 

「防砂ネット。」

 

「まだ倒れていない。」

 

「でも。」

 

「時間の問題。」

 

先生は地図へ印を付ける。

 

「ありがとう。」

 

「無事で良かった。」

 

その言葉に。

 

セリカは少しだけ目を丸くした。

 

以前なら。

 

「応急処置は?」

 

「もう少し確認できないか?」

 

そんな言葉が返ってきていた。

 

今日は違う。

 

最初に聞かれたのは。

 

現場のことではなく。

 

自分たちの無事だった。

 

「……うん。」

 

セリカは照れくさそうに答える。

 

「ちゃんと帰ってきたわ。」

 

「それでいい。」

 

先生は自然に笑った。

 

そのやり取りを見ていたホシノも、小さく口元を緩める。

 

---

 

その時だった。

 

通信端末へ、新しい連絡が入る。

 

「先生。」

 

アヤネが画面を見る。

 

「商店街西通りです。」

 

「状況は。」

 

「看板が落下しました。」

 

部屋の空気が引き締まる。

 

「けが人は?」

 

「ありません。」

 

アヤネはすぐに続けた。

 

「通行止めを実施済みとのことです。」

 

先生は静かに息を吐いた。

 

「なら。」

 

「今日は現場へ向かわない。」

 

「はい。」

 

「明日、安全が確認できてから対応します。」

 

セリカが思わず尋ねる。

 

「行かなくていいの?」

 

先生は頷いた。

 

「もう通行止めになっている。」

 

「危険は広がらない。」

 

「今、私たちが行く意味はない。」

 

シロコも短く頷く。

 

「同意。」

 

状況は整理されていた。

 

"困っているから行く"

 

ではない。

 

"今、自分たちが動く必要があるか"

 

それを基準に判断している。

 

---

 

午後。

 

砂嵐はようやく弱まり始めていた。

 

窓を叩く音も、少しずつ小さくなっていく。

 

体育館では避難してきた住民たちが落ち着きを取り戻していた。

 

「ありがとうございました。」

 

一人の高齢男性が先生へ頭を下げる。

 

「学校が開いていて、本当に助かりました。」

 

先生も頭を下げ返す。

 

「皆さんが無事で良かったです。」

 

「何か困ったことがあれば、遠慮なく声を掛けてください。」

 

老人は安心したように微笑み、家族の待つ場所へ戻っていった。

 

その背中を見送りながら、先生は静かに呟く。

 

「良かった。」

 

その言葉に、ホシノが隣へ並ぶ。

 

「先生。」

 

「何だ?」

 

「今日は、一回も飛び出さなかったねぇ。」

 

先生は苦笑した。

 

「何度も行きたくなった。」

 

「でも。」

 

体育館を見渡す。

 

受付を続けるアヤネ。

 

住民へ毛布を配るノノミ。

 

巡回から戻り、外の状況を整理しているシロコとセリカ。

 

校舎を点検して戻ってきたホシノ。

 

「私がここにいたから。」

 

「みんなが安心して動けた。」

 

ホシノは静かに頷く。

 

「うん。」

 

「それが先生の仕事。」

 

先生はゆっくりと息を吐いた。

 

「ようやく。」

 

「少し分かった気がする。」

 

---

 

夕方。

 

避難していた住民たちも順番に帰宅を始めていた。

 

大きな事故はなかった。

 

負傷者も出ていない。

 

部室へ戻った対策委員会の面々は、それぞれ席へ腰を下ろした。

 

疲労はある。

 

しかし、誰か一人だけが限界という様子ではなかった。

 

先生は全員を見回す。

 

「今日は、本当にありがとう。」

 

シロコは短く答える。

 

「当然。」

 

セリカも肩をすくめる。

 

「まあ、悪くなかったわ。」

 

ノノミは優しく笑う。

 

「皆さんがいたからですよ〜。」

 

アヤネは受付票を閉じながら言った。

 

「予定どおりではありませんでした。」

 

「でも。」

 

「予定がなくても、皆さんが何をすればいいか分かっていました。」

 

先生はその言葉を静かに聞いていた。

 

修司もまた、部室の隅で生命の書を開く。

 

ページが静かに光る。

 

---

 

**案件No.20**

 

**『アビドス高等学校 対策委員会』**

 

### 第一段階

 

**組織改革**

 

**達成率 100%**

 

---

 

### 第二段階

 

**改善定着確認**

 

**達成率 100%**

 

---

 

光がさらに強くなる。

 

新たな文字が、ゆっくりと刻まれていく。

 

---

 

### 第三段階

 

**『緊急時運用確認』**

 

**達成率 31%**

 

---

 

さらに、その下へ観測結果が追加された。

 

---

 

**緊急対応 成功**

 

**人的被害 なし**

 

**指揮系統 維持**

 

**組織運用 正常**

 

---

 

ミコリが静かに微笑む。

 

「乗り越えましたね。」

 

修司は生命の書を閉じた。

 

「いいえ。」

 

その声は穏やかだった。

 

「乗り越えたのは、私ではありません。」

 

修司は部室で談笑する先生と対策委員会へ視線を向ける。

 

「彼らです。」

 

窓の外では、夕日に照らされた砂漠が静かに赤く染まっていた。

 

アビドスは、また一つ試練を越えた。

 

しかし生命の書は、まだ静かに次のページを待っていた。

 

 

 

 

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