先生はモームリ   作:風神ぷー

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第三十四話 見なくても回る

 

 

「これ、今日中ですよね?」

 

風紀委員会の執務室で、一人の委員が端末を見ながら声を上げた。

 

机の向こうで書類を整理していた先輩委員が顔を上げる。

 

「何が?」

 

「旧校舎北側の資材搬入です。万魔殿から来てるやつ」

 

「ああ。それなら今日中」

 

「担当、私になってるんですけど」

 

「なってるね」

 

あっさり返され、委員はもう一度画面を見た。

 

共同案件、G-026。

 

旧校舎北側区画への備品搬入に伴う、一時通行規制の申請。

 

依頼そのものは珍しくない。万魔殿が管理している備品を運び込むため、一定時間だけ北側通路を使用したいという内容だった。

 

ただ、彼女が共同案件を最初から担当するのは初めてだった。

 

「……何からやればいいんです?」

 

「確認」

 

「何を?」

 

先輩委員は手を止めた。

 

「書いてあるでしょ」

 

言われて、端末へ視線を戻す。

 

案件名の下には、万魔殿側が入力した内容が並んでいた。

 

搬入予定時刻。

 

使用する車両。

 

必要な通路。

 

予定所要時間。

 

搬入する備品の種類。

 

その下には、風紀委員会側の確認欄がある。

 

「北側通路の予定を見ればいいんですか?」

 

「そう」

 

「万魔殿に聞かなくていいんです?」

 

「書いてないことがあったらね」

 

先輩委員はそれだけ言うと、自分の仕事へ戻った。

 

新人委員は少し不安そうに画面を見つめた。

 

共同案件と聞くと、もっと面倒なものを想像していた。

 

相手は万魔殿。

 

風紀委員会内では、その名前だけで嫌そうな顔をする者も珍しくない。

 

何か予定を変えろと言われるのではないか。

 

後から条件を増やされるのではないか。

 

そんな警戒がまったくないと言えば嘘になる。

 

だが、今のところ画面にあるのは普通の搬入申請だった。

 

北側通路の予定表を開く。

 

午前中は空き。

 

午後一時から巡回経路として使用予定。

 

万魔殿側の希望時間は正午から午後一時。

 

委員は時計を確認してから、少し考えた。

 

ぴったり一時まで使われるのは困る。

 

搬入が遅れれば巡回開始と重なる。

 

そこで確認欄へ入力した。

 

**北側通路は13時より巡回経路として使用予定。搬入終了時刻の前倒しを希望。**

 

送信。

 

「これでいいですか?」

 

先輩委員が横から画面を見る。

 

「いいんじゃない」

 

「もっと何か書いた方が」

 

「何を?」

 

「その……理由とか」

 

「巡回で使うって書いてるじゃん」

 

「でも、万魔殿ですよ?」

 

先輩委員が怪訝そうな顔をした。

 

「だから?」

 

新人委員は口を閉じる。

 

少しして、先輩が呆れたように続けた。

 

「喧嘩するわけじゃないんだから、必要なことだけ書けばいいでしょ」

 

「……はい」

 

「余計なこと書くと、余計な返事が来るよ」

 

妙に説得力があった。

 

新人委員は素直に端末を机へ置いた。

 

返答を待っている間に、別の仕事へ移る。

 

十分ほどして通知が入った。

 

万魔殿側からだった。

 

**搬入開始を11時45分へ変更。12時45分までに完了予定。**

 

その下に、

 

**車両退出後、北側通路を開放。**

 

とある。

 

新人委員は予定表と見比べた。

 

十五分空く。

 

それなら巡回に支障はない。

 

「通りました」

 

「なら確定して」

 

先輩委員は画面すら見なかった。

 

「確認しなくていいんですか?」

 

「今、自分で確認したんでしょ?」

 

「しましたけど」

 

「じゃあいいじゃん」

 

新人委員は少し迷いながら、風紀委員会側の欄へ承認を入れた。

 

案件状態が『実施待ち』へ変わる。

 

それだけだった。

 

電話はしていない。

 

先生にも聞いていない。

 

アコへ判断を上げてもいない。

 

万魔殿側の担当者が誰なのかさえ、名前を見ただけで顔は知らなかった。

 

「……こんなものなんですね」

 

「何が?」

 

「共同案件」

 

先輩委員は少し考えた。

 

「面倒なのもあるよ」

 

「ですよね」

 

「でもこれは別に面倒じゃないでしょ」

 

確かにそうだった。

 

新人委員はG-026を閉じ、次の書類を開いた。

 

 

同じ頃。

 

万魔殿側では、G-026とは別の案件が一つ動いていた。

 

G-027。

 

風紀委員会から申請された、訓練用施設の一時使用。

 

担当欄に自分の名前を見つけた生徒は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「風紀委員会かぁ……」

 

隣の席にいた生徒が笑う。

 

「何その顔」

 

「だって細かいじゃないですか、あそこ」

 

「仕事なんだから仕方ないでしょ」

 

「そうですけど」

 

担当の生徒は共有シートを開いた。

 

申請内容を確認する。

 

訓練予定は翌日の午後。

 

使用希望施設は万魔殿が管理している第二倉庫横の空き地。

 

必要時間は二時間。

 

使用目的も記載済み。

 

一見すると問題はない。

 

「空いてる?」

 

隣から聞かれる。

 

「たぶん」

 

予定表を開く。

 

午後は空欄だった。

 

担当生徒はそのまま承認を押しかけ、指を止めた。

 

「ん?」

 

空き地そのものは空いている。

 

だが、隣接する第二倉庫には同じ時間帯に物資搬入の予定が入っていた。

 

大型車両が二台。

 

搬入経路は、風紀委員会が訓練で使いたい場所のすぐ脇を通る。

 

「これ駄目じゃない?」

 

「何が?」

 

「明日、倉庫に搬入ありますよ」

 

隣の生徒が画面を覗き込む。

 

「あ、本当だ」

 

「どうします?」

 

「時間ずらせないか聞けば?」

 

担当生徒は風紀委員会側の申請を見る。

 

訓練開始は午後一時。

 

終了は午後三時。

 

物資搬入は午後一時半から二時半。

 

一時間重なっている。

 

担当生徒は共有シートへ入力した。

 

**同時間帯に第二倉庫への搬入予定あり。訓練時間変更の可否を確認希望。**

 

送信。

 

「これで待ちですね」

 

「そうだね」

 

担当生徒は椅子へ背中を預けた。

 

「直接連絡しなくていいの、楽ですね」

 

「電話したいならすれば?」

 

「嫌ですよ」

 

即答だった。

 

「風紀委員会の人って怖いし」

 

「聞かれたら怒られるよ、それ」

 

「本人には言いません」

 

二人はそれ以上話さず、それぞれの仕事へ戻った。

 

しばらくして、風紀委員会側から回答が入る。

 

**訓練開始を15時へ変更可能。**

 

「じゃあ終わりですね」

 

担当生徒が承認しようとして、再び手を止めた。

 

「……あれ?」

 

「今度は何?」

 

「これ、十五時からなら空き地は使えるんですけど」

 

予定表をもう一度見る。

 

第二倉庫への搬入終了は二時半。

 

車両退出まで含めても三時前には終わる。

 

時間の重複はない。

 

ただし、訓練が午後三時から五時へ変更されることで、施設管理担当の勤務予定に影響が出る。

 

通常の使用可能時間は午後四時半まで。

 

三十分だけ超過する。

 

「まあ、三十分くらいならいいんじゃないですか?」

 

担当生徒はそう言いながら、判断区分を選んだ。

 

**A――担当者判断。**

 

そのまま、

 

**15時から17時まで使用可。**

 

と入力する。

 

送信。

 

隣の生徒は特に気に留めなかった。

 

担当生徒自身も、それで終わったと思っていた。

 

 

風紀委員会側。

 

先ほどとは別の委員が、G-027の更新通知を確認した。

 

万魔殿側から使用可能の回答が来ている。

 

訓練担当へ伝えようとして、画面の一か所で手が止まった。

 

**15時から17時まで使用可。**

 

その下。

 

**判断区分:A**

 

委員は予定表を確認した。

 

施設の通常使用時間。

 

午後四時半まで。

 

「……ん?」

 

もう一度見る。

 

終了予定は午後五時。

 

三十分超えている。

 

万魔殿側が許可しているなら問題ないようにも見える。

 

だが、通常時間を超えて施設を使用する場合、管理担当の勤務時間にも影響する。

 

それを、共同案件の担当者一人で決めていいのだろうか。

 

委員は少し迷った。

 

以前なら先生へ確認したかもしれない。

 

万魔殿側がいいと言っているが、本当に大丈夫なのか。

 

誰に聞けばいいのか分からない。

 

だが今は、少なくとも確認する場所は分かる。

 

共有シートの履歴を遡った。

 

過去の施設利用案件。

 

通常時間内の変更はA。

 

管理担当の勤務変更を伴うものは――

 

**B。**

 

委員はしばらく画面を見たあと、万魔殿側の確認欄へ入力した。

 

**17時終了の場合、通常使用時間を30分超過します。管理担当者の勤務変更を伴うため、B判断ではありませんか。**

 

送信。

 

それだけだった。

 

喧嘩を売るつもりはない。

 

万魔殿の担当者を責めるつもりもない。

 

ただ、このまま進めて当日になってから管理担当者がいない方が困る。

 

委員は端末を置いた。

 

隣の席から声が飛んでくる。

 

「何かあった?」

 

「万魔殿側の判断区分、たぶん違います」

 

「連絡する?」

 

「シートに書きました」

 

「じゃあ待ちだね」

 

会話はそこで終わった。

 

 

「えっ」

 

万魔殿側で、G-027の担当生徒が声を上げた。

 

風紀委員会からの確認を読み、慌てて予定表を開く。

 

「……四時半まで?」

 

隣の生徒が振り向く。

 

「何?」

 

「通常使用時間。四時半までです」

 

「さっき見てなかったの?」

 

「空き時間しか見てませんでした」

 

「駄目じゃん」

 

「いや、でも三十分ですよ?」

 

「三十分でも管理の人は帰るでしょ」

 

言われて、担当生徒は黙った。

 

確かにそうだ。

 

施設が空いているかどうかしか見ていなかった。

 

使用時間が延びれば、管理する側の勤務まで変わる。

 

自分一人で決めていい話ではない。

 

「……Bですね」

 

「たぶん」

 

担当生徒は先ほど入力したAを訂正する。

 

**判断区分:B**

 

そのまま上位確認へ回そうとして、少しだけ顔をしかめた。

 

「これ、イロハ先輩のところですよね」

 

「そうじゃない?」

 

「怒られます?」

 

「知らない」

 

「怖いなぁ」

 

「風紀委員会より?」

 

担当生徒は少し考えた。

 

「種類が違います」

 

隣の生徒が吹き出した。

 

担当生徒は不満そうな顔をしながらも、確認依頼を送った。

 

 

イロハのところへG-027が上がってきたのは、それから間もなくだった。

 

内容を確認する。

 

施設使用時間を三十分延長。

 

管理担当者の勤務変更が必要。

 

イロハは画面を下へ動かし、履歴を読む。

 

最初はA。

 

風紀委員会側から指摘。

 

Bへ訂正。

 

「……なるほど」

 

担当生徒から、おそるおそる声が飛んでくる。

 

「すみません」

 

「何がです?」

 

「最初、Aで出しちゃって」

 

イロハは端末から顔を上げた。

 

「次から気をつけてください」

 

「……それだけですか?」

 

「他に何か?」

 

「いえ」

 

イロハは再び画面へ目を戻した。

 

間違えた。

 

相手が気づいた。

 

戻した。

 

それで済むなら、それ以上責める理由もない。

 

問題は、三十分の延長を認められるかどうかだった。

 

管理担当者の勤務予定を確認する。

 

翌日は、後続の予定が入っていない。

 

三十分の延長も可能。

 

ただし、担当者本人への確認は必要だった。

 

イロハは必要な連絡を取り、返答を待つ。

 

数分後。

 

了承。

 

共有シートへ入力する。

 

**B判断承認。施設使用を17時まで延長。**

 

送信。

 

それから少し考えて、追記した。

 

**管理担当者確認済み。**

 

G-027が更新される。

 

風紀委員会側から、ほどなくして確認が入った。

 

**訓練時間を15時から17時へ変更。**

 

案件状態。

 

**調整完了。**

 

イロハはそれを見届けると、画面を閉じた。

 

担当生徒がまだ近くに立っている。

 

「終わったんですか?」

 

「終わりましたよ」

 

「先生に確認しなくて大丈夫です?」

 

イロハは怪訝そうに相手を見る。

 

「何をです?」

 

「いや、その……判断区分を間違えたので」

 

「直したんでしょう?」

 

「はい」

 

「ならいいじゃないですか」

 

担当生徒は少し拍子抜けしたような顔をした。

 

イロハは次の書類を開く。

 

「先生も、判断区分の訂正まで報告されても困ると思いますよ」

 

「……確かに」

 

「次から予定表は最後まで見てください」

 

「はい」

 

担当生徒は自分の席へ戻っていった。

 

G-027の履歴には、最初のA判断も残っている。

 

訂正されたBも。

 

風紀委員会側からの指摘も。

 

イロハの承認も。

 

失敗したことまで消えてはいない。

 

だが、案件は終わっている。

 

誰かが間違えたからといって、先生のところまで持っていく必要はなかった。

 

その日の共同案件一覧には、また一つ『調整完了』が増えた。

 

それを、この時点で先生も修司も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼を過ぎても、共同案件はいくつか動き続けていた。

 

風紀委員会では、午前中にG-026を担当していた委員が、別件の処理を終えてから共有シートを開いた。

 

搬入開始までは、まだ少し時間がある。

 

状態は『実施待ち』。

 

特に問題はない。

 

その下に並んでいる案件へ目を移したところで、見覚えのある番号が目に入った。

 

G-027。

 

状態は『調整完了』になっている。

 

「これ、終わったんだ」

 

近くにいた先輩委員が振り向いた。

 

「何が?」

 

「訓練施設のやつです。時間ずらしてた」

 

「ああ」

 

「途中で判断区分、変わってますね」

 

履歴には、万魔殿側が最初にAとした記録が残っている。

 

その後、風紀委員会側から確認が入り、AからBへ訂正。万魔殿内部で必要な判断を取り直した後、最終的に訓練時間は午後三時から五時へ変更されていた。

 

新人委員は履歴を追いながら首を傾げる。

 

「間違えた記録も残るんですね」

 

「そりゃ残るでしょ」

 

「消さないんですか?」

 

「消したら、何でBになったのか分からなくならない?」

 

言われてみればその通りだった。

 

新人委員はもう一度履歴を見る。

 

通常使用時間を超える。

 

だから管理担当者の勤務時間へ影響する。

 

そのためAではなくB。

 

午前中に自分が担当したG-026とは違う。

 

あちらは、決められた範囲内で搬入時間を十五分動かしただけだった。

 

「次に似たの来たら、これ見れば分かりますね」

 

「そうだね」

 

先輩委員はそれだけ答えて、自分の仕事へ戻った。

 

新人委員もG-027を閉じる。

 

失敗した記録まで残っている。

 

だが、それは誰かを責めるための記録には見えなかった。

 

次に同じような案件が来た時、同じところで迷わないための履歴になっている。

 

少なくとも、彼女にはそう見えた。

 

 

午後一時前。

 

G-026の搬入が始まった。

 

万魔殿側の車両が旧校舎北側へ入り、予定されていた備品を運び込んでいく。

 

風紀委員会側の担当者が現場へ出る必要はなかった。

 

ただし、午後一時から北側通路を巡回経路として使用するため、それまでに搬入車両が退出しているかは確認しなければならない。

 

十二時半。

 

共有シートへ万魔殿側から更新が入る。

 

**搬入作業進行中。予定通り12時45分終了見込み。**

 

十二時四十二分。

 

再び更新。

 

**搬入完了。車両退出開始。**

 

十二時四十七分。

 

**北側通路開放。**

 

新人委員は時刻を確認した。

 

巡回開始まで十三分。

 

問題ない。

 

**通路開放確認。予定通り13時より巡回開始。**

 

入力して確定する。

 

案件状態が『完了』へ変わった。

 

「終わりました」

 

先輩委員へ声をかける。

 

「お疲れ」

 

「……本当にこれだけなんですね」

 

「朝も同じこと言ってなかった?」

 

「言いましたけど」

 

新人委員は少し笑った。

 

「もっと途中で揉めるかと思ってました」

 

「何で?」

 

「万魔殿との共同案件だから」

 

先輩委員が何とも言えない顔をする。

 

新人委員は慌てて付け加えた。

 

「いや、別に向こうが絶対揉めるって意味じゃなくて」

 

「十分そう聞こえたけど」

 

「……すみません」

 

「まあ、気持ちは分かるけどね」

 

先輩委員は巡回へ持っていく書類をまとめながら、共有シートへ目を向けた。

 

「必要なことが最初から分かってれば、毎回揉める理由もないでしょ」

 

新人委員もG-026を見る。

 

申請。

 

条件確認。

 

時間変更。

 

承認。

 

実施。

 

完了。

 

相手側の担当者とは一言も話していない。

 

顔も知らない。

 

万魔殿に対する印象が、今日一日で急に良くなったわけでもない。

 

それでも、一緒に仕事はできた。

 

「万魔殿の担当、どんな人だったんでしょうね」

 

「担当欄に名前あるでしょ」

 

「名前じゃなくて、顔です」

 

「知ってどうするの?」

 

「……別に何もしません」

 

「ならいいじゃん」

 

確かにそうだった。

 

新人委員は端末を閉じる。

 

万魔殿の誰かと仲良くなる必要はなかった。

 

仕事が終われば、それでいい。

 

先輩の後を追い、執務室を出た。

 

 

同じ頃。

 

万魔殿側では、別の担当生徒が共有シートを睨んでいた。

 

G-028。

 

市街東側で予定されている設備点検に伴い、一部道路の通行を制限する案件だった。

 

内容そのものは複雑ではない。

 

万魔殿側から通行制限開始時刻を提示。

 

風紀委員会側から巡回時間との重複を指摘。

 

万魔殿側が開始時刻を三十分遅らせる。

 

その条件で、風紀委員会側がB判断へ移行。

 

そこまでは履歴を読めば分かる。

 

問題は、その後だった。

 

最後の更新から一時間近く経っている。

 

「これ、今どっち待ちです?」

 

隣の席にいた生徒が振り向く。

 

「G-028?」

 

「はい」

 

「風紀委員会じゃない?」

 

「やっぱり?」

 

「たぶん」

 

担当生徒が顔をしかめた。

 

「その『たぶん』が嫌なんですけど」

 

「じゃあ履歴読めば?」

 

「読みましたよ。だからたぶん風紀委員会だと思ってます」

 

「じゃあいいじゃん」

 

「よくないです」

 

担当生徒は画面を指した。

 

「これが一件ならいいですけど、今三件持ってるんですよ。毎回開いて最後の履歴を確認するの、地味に面倒です」

 

一覧画面では、『判断待ち』と表示されている。

 

だが、それだけでは風紀委員会側の判断を待っているのか、万魔殿側で何かする必要があるのかまでは分からない。

 

隣の生徒も画面を覗き込む。

 

「確かに」

 

「『風紀委員会待ち』とか出ればいいのに」

 

「それは便利かも」

 

「ですよね」

 

担当生徒は何気なく画面を動かした。

 

共有シートには、運用中に気づいた不便や問題を記入する欄が設けられている。

 

少し迷ってから、そこへ書き込んだ。

 

**案件一覧で、現在どちらの対応待ちなのか確認できるようにしてほしい。**

 

送信。

 

「これでいいですかね」

 

「いいんじゃない?」

 

「誰が見るんです?」

 

「それは私に聞かれても」

 

「雑だなぁ……」

 

担当生徒は不満そうに言いながらも、G-028へ戻った。

 

今は風紀委員会側の判断を待つしかない。

 

なら、別の案件を進めればいい。

 

端末の表示を切り替えた。

 

 

その要望をアコが見つけたのは、午後二時を過ぎた頃だった。

 

共同案件を確認している途中、運用上の要望が一件追加されていることに気づいた。

 

**案件一覧で、現在どちらの対応待ちなのか確認できるようにしてほしい。**

 

アコは一度読み流しかけたが、手を止めた。

 

G-028を開く。

 

現在は風紀委員会側のB判断待ち。

 

続いてG-029。

 

こちらも『判断待ち』だが、止まっている場所は逆だった。

 

万魔殿側からの条件回答を待っている。

 

一覧へ戻れば、どちらも同じように見える。

 

案件が一つか二つなら、履歴を開けばいい。

 

だが、同時に複数の共同案件が動けば、その確認だけでも積み重なる。

 

「……なるほど」

 

アコは要望欄へ追記した。

 

**風紀委員会側でも同様の表示があると助かります。**

 

それだけ書いて、G-028へ戻る。

 

巡回予定を確認。

 

通行制限開始を三十分遅らせる条件なら、警備配置を変更せず対応できる。

 

アコはB判断を承認した。

 

G-028の状態が更新される。

 

今度は万魔殿側の対応待ち。

 

アコは次の案件へ移った。

 

 

万魔殿側でG-028の担当生徒が通知に気づいた。

 

「来た」

 

風紀委員会側の承認。

 

これで通行制限開始時刻が確定する。

 

担当生徒は必要な処理を行い、状態を『実施待ち』へ変更した。

 

その直後、もう一件通知があることに気づく。

 

先ほど自分が書いた要望。

 

その下に、風紀委員会側から追記が入っていた。

 

**風紀委員会側でも同様の表示があると助かります。**

 

担当生徒は少し驚いた。

 

「向こうも欲しいって」

 

隣の生徒が画面を見る。

 

「じゃあ、そのうち付くんじゃない?」

 

「誰が付けるんです?」

 

「知らないけど、要望は届くでしょ」

 

「本当に?」

 

「気になるならイロハ先輩に聞けば?」

 

担当生徒は少し迷った。

 

自分が困っているだけなら、そのまま待っていたかもしれない。

 

だが、風紀委員会側でも同じ不便を感じている。

 

なら、単なる愚痴ではなさそうだった。

 

「聞いてきます」

 

「いってらっしゃい」

 

 

イロハは持ち込まれた要望を一通り読んだ。

 

「対応待ちの表示ですか」

 

「はい。一覧にあれば楽かなって」

 

担当生徒が答える。

 

「風紀委員会側からも欲しいって追記されてます」

 

「見えてます」

 

イロハはG-028とG-029を順番に開いた。

 

確かに、今の表示だけではどちらが次に動くのか分かりにくい。

 

履歴を読めば分かる。

 

だが、毎回それをする必要があるのなら、一覧表示の意味が薄い。

 

「これ、他の案件でも同じですね」

 

「ですよね」

 

「分かりました」

 

イロハは要望欄へ追記する。

 

**万魔殿側でも追加を希望します。**

 

入力を終えると、担当生徒が尋ねた。

 

「これで変わるんですか?」

 

「要望を出しただけなので、今すぐは変わりませんよ」

 

「じゃあ誰が?」

 

「共有シートの調整をしている方へ確認してもらうことになりますね」

 

担当生徒は頷いた。

 

誰が実際に作業しているのかまでは知らない。

 

知る必要もなかった。

 

使っていて困ったことを上げる。

 

必要性を確認する。

 

実際の改修は、それを担当している側が行う。

 

それで十分だった。

 

「じゃあ、私は戻っていいですか?」

 

「G-028の処理は?」

 

「終わってます」

 

「ならどうぞ」

 

担当生徒は軽く頭を下げ、席へ戻っていった。

 

イロハはもう一度要望欄を見る。

 

万魔殿側。

 

風紀委員会側。

 

どちらからも同じ要望が出ている。

 

少なくとも、片方だけに都合のいい変更ではない。

 

イロハはそれ以上触らず、次の仕事へ移った。

 

 

午後三時過ぎ。

 

修司の端末に、共有シートの改善要望が届いた。

 

先生は別件の書類を確認している。

 

ミコリも自分の作業中だった。

 

修司は通知を開く。

 

**案件一覧で、現在どちらの対応待ちなのか確認できるようにしてほしい。**

 

その下には、風紀委員会側と万魔殿側、それぞれから必要性を認める記録が残っている。

 

修司は要望だけを読んだ。

 

G-028の細かな経緯までは確認しない。

 

必要なのは、どの案件で誰が何を判断したかではなく、実際の利用者がどこで不便を感じたかだった。

 

「どうした?」

 

先生が書類から顔を上げる。

 

「共有シートの改善要望です」

 

「何か問題?」

 

「一覧で、現在どちらの対応待ちか分かりにくいそうです」

 

先生は少し考えた。

 

「確かに、今は『判断待ち』までしか出ないね」

 

「はい」

 

「直せそう?」

 

「大きな変更ではありません」

 

修司は共有シートの設定を開いた。

 

現在の案件状態とは別に、対応主体を表示する欄を追加する。

 

候補は、

 

風紀委員会。

 

万魔殿。

 

双方。

 

なし。

 

状態が完了になれば『なし』。

 

どちらかへ確認を返せば、対応待ちも切り替わる。

 

修司は一度手を止めた。

 

「何かある?」

 

先生が尋ねる。

 

「表示を追加するだけなら簡単ですが、自動で切り替えるようにすると条件設定が必要です」

 

「手動じゃ駄目?」

 

「手動でもできます。ただ、更新を忘れれば表示が古いまま残ります」

 

先生は少し考えた。

 

「じゃあ、自動の方がいいか」

 

「そう思います」

 

修司は設定を確認し、既存の判断区分や案件状態に影響しない形で追加する。

 

数分後。

 

一覧に新しい項目が増えた。

 

**対応待ち**

 

G-028。

 

**なし。**

 

すでに実施待ちへ移っているためだ。

 

G-029。

 

**万魔殿。**

 

別の案件。

 

**風紀委員会。**

 

先生が横から画面を見る。

 

「分かりやすい」

 

「実際に使って問題が出ないかは、これからです」

 

修司は改善要望へ、

 

**対応待ち表示を追加。運用上問題があれば再度記録してください。**

 

とだけ返した。

 

それで作業を終える。

 

先生が少し不思議そうに尋ねる。

 

「案件の中身、見ないの?」

 

「必要ありません」

 

修司は共有シートを閉じた。

 

「どの案件で困ったかより、同じ不便が両方から出ていることの方が重要なので」

 

「そっか」

 

先生はそれ以上聞かなかった。

 

修司もG-028を開かなかった。

 

その案件が途中でどんなやり取りをしたのか。

 

誰が判断したのか。

 

どうして三十分ずれたのか。

 

知らなくても、今回の仕事には支障がない。

 

現場は案件を処理する。

 

修司は、使っていて生じた仕組み上の不便を直す。

 

役割は分かれていた。

 

 

それからしばらくして。

 

万魔殿側の担当生徒が共有シートを開き、一覧に増えた項目へ気づいた。

 

「……付いてる」

 

隣の生徒が覗き込む。

 

「何が?」

 

「対応待ち」

 

G-029の横には、

 

**万魔殿**

 

と表示されている。

 

担当生徒は一瞬固まった。

 

「これ、うち待ちじゃないですか」

 

「じゃあ仕事して」

 

「危なっ」

 

慌ててG-029を開く。

 

風紀委員会からの確認が入っている。

 

今度は履歴を最初から読み返す必要はなかった。

 

何を返せばいいかだけ確認し、必要な回答を入力する。

 

「便利?」

 

隣から聞かれる。

 

担当生徒は作業を続けながら答えた。

 

「便利です」

 

「良かったね」

 

「というか、これなかったら今ちょっと放置してました」

 

「それは言わない方がいいんじゃない?」

 

「もう言いました」

 

二人の会話はそこで終わる。

 

新しい表示を誰が追加したのか、担当生徒は知らない。

 

気にもしていなかった。

 

欲しいと書いた。

 

必要だという意見がもう一方からも出た。

 

少し経ったら追加されていた。

 

それだけだった。

 

彼女にとって重要なのは、その表示のおかげで今やるべき仕事が分かったことだった。

 

 

その日の午後も、共同案件は動き続けた。

 

先生の端末にはいくつか通知が届いていたが、緊急のものはない。

 

修司にも、先ほどの改善要望以外に呼び出しはなかった。

 

先生が一度だけ通知欄を見る。

 

G-026。

 

G-027。

 

G-028。

 

見覚えのない番号が並んでいる。

 

「結構動いてるな」

 

「そうですね」

 

修司が答える。

 

「確認する?」

 

先生はそう言いながら端末へ手を伸ばしかけた。

 

だが、緊急表示はない。

 

C区分もない。

 

先生は少し考え、手を戻した。

 

「……後でいいか」

 

修司も共有シートを開かなかった。

 

ミコリも何も言わない。

 

この時点で三人はまだ知らない。

 

G-026が、担当者同士が直接話すこともなく予定通り完了したことを。

 

G-027では、万魔殿側の担当者が判断区分を間違え、風紀委員会側がそれに気づき、先生へ確認することなく訂正して最後まで処理したことを。

 

そしてG-028をきっかけに、現場から初めて具体的な改善要望が上がったことを。

 

修司が知っているのは、一覧表示に一つ不便があったことだけだった。

 

先生が知らなくても案件は進んだ。

 

修司が中身を知らなくても、必要な改善はできた。

 

現場がすべてをやる必要もない。

 

修司がすべてを見る必要もない。

 

それぞれが、自分の仕事だけをしていた。

 

その間にも、共有シートの一覧ではいくつもの『対応待ち』が切り替わり、やがて一つずつ『完了』へ変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方になって、先生はようやく共同案件の一覧を開いた。

 

昼過ぎから別件の対応が続き、通知が届いていることだけは知っていたものの、中身までは確認していない。緊急表示もC区分への移行もなかったため、そのままにしていた。

 

朝より増えた案件番号の横には、『完了』『実施待ち』『調整中』とそれぞれ異なる状態が並んでいる。

 

「結構動いてたんだな」

 

先生の声に、資料を整理していた修司が顔を上げた。

 

「共同案件ですか?」

 

「うん。ほとんど見てない」

 

先生は一番上にあったG-026を開いた。

 

旧校舎北側への資材搬入。万魔殿側から申請され、風紀委員会側が巡回予定との重複を指摘したため、搬入時刻を十五分前倒ししている。その後は予定通りに作業が行われ、北側通路の開放を確認して完了していた。

 

担当者欄には、先生には馴染みのない名前が二つ並んでいる。

 

「これ、案件があったこと自体知らなかった」

 

修司も画面を確認した。

 

「Aの範囲で処理されていますね」

 

「みたいだね」

 

先生はそれ以上G-026を追わず、次の案件へ移った。

 

G-027は少し違った。

 

訓練施設の使用時間を調整する途中、万魔殿側の担当者が判断区分をAとしている。しかし、風紀委員会側から通常使用時間を超えることを指摘され、管理担当者の勤務変更を伴うためBへ訂正。その後、万魔殿内部で必要な判断を取り直して調整を終えていた。

 

先生の指が履歴の途中で止まる。

 

「間違えてるな」

 

「はい」

 

「でも、そのまま直して終わってる」

 

先生にも修司にも問い合わせは来ていない。

 

判断区分を間違えたこと自体は問題だったが、それだけで案件が止まったわけではない。相手側が気づき、指摘された側が確認し直し、決められた経路へ判断を上げている。

 

先生は少しだけ口元を緩めた。

 

「失敗したことまで、後から知るようになったんだな」

 

修司は返事の代わりに、履歴へ目を落とした。

 

間違いを完全になくすことはできない。だが、間違えるたびに先生へ判断を求める必要もない。

 

少なくともG-027では、それができていた。

 

先生が一覧へ戻ると、昼間にはなかった項目が目に入った。

 

**対応待ち。**

 

案件ごとに『風紀委員会』『万魔殿』『なし』と表示されている。

 

「これが、さっき直してたやつ?」

 

「はい。現場から改善要望が来ました」

 

修司が経緯を簡単に説明する。

 

複数の案件を担当する際、現在どちらの対応待ちなのか一覧から分からず、毎回履歴を確認するのが手間になっていた。最初に万魔殿側の担当者から要望が上がり、風紀委員会側でも同じ不便が確認されたため、修司が表示を追加した。

 

「案件の中身も確認した?」

 

「していません。既存の判断区分や権限を変えるものではありませんでしたから」

 

修司が必要としたのは、現場がどこで困っているかという情報だけだった。

 

案件そのものは現場が処理し、仕組み上の不便は修司が直す。

 

先生は新しく追加された欄を眺めた。

 

G-029は『万魔殿』。

 

G-030は『風紀委員会』。

 

どちらも先生が動く案件ではない。

 

「分かりやすくなったね」

 

「実際に使って問題が出れば、また要望が来ると思います」

 

「その時に直せばいいか」

 

先生は二つの案件を開かず、そのまま一覧を下へ送った。

 

そこで、ミコリが席を立った。

 

「先生。一件、確認していただきたいものがあります」

 

示されたのはG-031だった。

 

万魔殿管理区域で行われる設備交換に伴う警備協力。内容そのものは珍しくないが、履歴の途中に『担当者変更』が記録されている。

 

先生は少しだけ姿勢を正した。

 

最初の担当者が別業務のため途中で交代し、後任が案件を引き継いでいた。

 

ところが、その前後に特別な引き継ぎ作業はない。

 

後任担当者は共有シートに残っていた申請内容、条件変更、風紀委員会側からの回答を確認し、そのまま処理を続けている。最終的に条件が確定し、G-031はすでに完了していた。

 

「問い合わせは?」

 

「先生へのものはありません」

 

「上位判断も?」

 

「ありません」

 

先生はもう一度、担当者変更の前後を見た。

 

以前なら、こういうところで話が途切れていた。

 

前任者が何を聞いたのか。相手へ何を伝えたのか。どこまで決まっていたのか。それが分からなくなれば、経緯を知っていそうな誰かを探すことになる。

 

その役目が先生へ回ってくることも少なくなかった。

 

だが、今回は必要な経緯が最初から残っている。

 

だから後任は、前任者の記憶ではなく記録から続きを始められた。

 

「ここまでいけるんだな」

 

先生が呟くと、修司が頷いた。

 

「担当者が変わっても情報が残ることは、今回確認できました」

 

それ以上の説明は必要なかった。

 

完了という表示が、結果を示している。

 

先生はG-031を閉じた。

 

その後も一覧にはいくつか案件が残っていたが、一件ずつ中身を確認することはしなかった。

 

『対応待ち』を見れば、次に誰が動くのか分かる。先生の判断が必要ならC区分として上がってくる。

 

今のところ、その表示は一つもない。

 

なら、先生がすべてを把握している必要はなかった。

 

「先生」

 

しばらくして、ミコリが再び声をかけた。

 

机の端に置かれていた生命の書が、淡い光を帯びていた。

 

表紙がひとりでに開き、ページに文字が浮かび上がる。

 

**共同案件運用――継続確認。**

 

続いて、

 

**担当変更後の案件継続――確認。**

 

さらに、

 

**改善要望――現場より発生。**

 

**運用改善――反映確認。**

 

先生は黙って表示を追った。

 

今日起きたことが、そのまま並んでいる。

 

特別な成功があったわけではない。

 

担当者が普通に案件を処理し、別の担当者は判断を間違え、それを相手側に指摘されて直した。使いにくい部分が見つかれば要望が上がり、担当者が途中で変わっても仕事は続いた。

 

どれも、先生がその場で指示したものではない。

 

やがて、それまでの文字が薄れ、中央に新しい表示が浮かんだ。

 

**第二段階――定着確認。**

 

先生はその文字をしばらく眺めてから、共同案件一覧へ目を戻した。

 

その時、G-029の状態が更新された。

 

**完了。**

 

少し遅れてG-030も切り替わる。

 

**完了。**

 

先生はどちらも開かなかった。

 

「確認しないんですか?」

 

ミコリに聞かれ、先生は少し考えてから答えた。

 

「必要になったら見るよ」

 

そう言って端末を閉じる。

 

風紀委員会と万魔殿の関係が良くなったわけではない。今日案件を担当した生徒たちも、互いを好きになったわけではなく、相手の顔すら知らない者もいる。

 

それでも必要な情報が残り、判断する範囲が分かっていれば、仕事は続く。

 

仲良くなることと、仕事ができることは同じではない。

 

生命の書には、まだ『第二段階――定着確認』の文字が残っていた。

 

その横で、先生が閉じた端末には、彼が最後まで中身を確認しなかった案件の『完了』が静かに並んでいた。

 

 

 

 

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