先生はモームリ   作:風神ぷー

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第四話 未処理案件の山

 

夕暮れのシャーレは静かだった。

 

先生がいない。

 

たったそれだけで、建物全体から何かが抜け落ちたような感覚があった。

 

リンは執務室の窓から外を見つめる。

 

先生が歩いて行った正門は、もう誰の姿も映していない。

 

「……戻ってきてください。」

 

小さく漏れた呟きは、自分でも驚くほど弱々しかった。

 

「戻ってもらっては困ります。」

 

背後から修司の声が飛ぶ。

 

リンは慌てて振り返った。

 

白石修司は、既にノートパソコンを開いている。

 

「まだ休暇開始から三十分です。」

 

「はい……。」

 

「今戻れば、先生は二週間後にまた辞表を書きます。」

 

淡々とした口調だった。

 

厳しい。

 

だが、その通りだった。

 

リンは静かに息を吐く。

 

「では始めましょう。」

 

修司は立ち上がった。

 

「組織改善です。」

 

---

 

シャーレ会議室。

 

先生の席だけが空席になっていた。

 

修司はそこへ座らない。

 

リンの隣へ腰掛ける。

 

「先生の席は空けておきます。」

 

「……。」

 

「今は組織を直す仕事です。」

 

リンは小さく頷いた。

 

そこへ通信端末が鳴る。

 

『七神リンさん。至急会議室へ向かいます。』

 

モモカだった。

 

数分後。

 

勢いよく扉が開く。

 

「リン先輩ー!」

 

由良木モモカが大量のタブレット端末を抱えて入ってきた。

 

「急に全部の問い合わせが連邦生徒会に飛んできてるんですけど!」

 

机へ端末を置く。

 

次々と通知音が鳴り響く。

 

ピコン。

 

ピコン。

 

ピコン。

 

「もう嫌ですー!」

 

モモカは頭を抱えた。

 

「先生どこですか!?」

 

リンは少しだけ表情を曇らせる。

 

「休暇に入りました。」

 

「え。」

 

「先生は現在、健康回復のため長期休暇中です。」

 

モモカは固まった。

 

「……本気ですか?」

 

「はい。」

 

「だから全部こっち来てるんですか?」

 

「はい。」

 

モモカは端末を見る。

 

問い合わせ件数。

 

四百九十八件。

 

「嘘ですよね?」

 

「現実です。」

 

修司が静かに答えた。

 

モモカは初めて修司を見る。

 

「えっと……。」

 

「どちら様です?」

 

修司は名刺を差し出した。

 

『白石修司』

 

『経営コンサルタント』

 

モモカは首を傾げる。

 

「経営……?」

 

「コンサルタントです。」

 

「何する人です?」

 

「先生が辞めなくて済む組織を作る人です。」

 

モモカは三秒ほど考えた。

 

「意味分かんないです。」

 

「正常な反応です。」

 

修司は即答した。

 

「初対面で理解される仕事内容ではありません。」

 

リンは思わず吹き出しそうになる。

 

少しだけ空気が軽くなった。

 

---

 

修司はモニターへ問い合わせ一覧を映した。

 

画面いっぱいに並ぶ案件。

 

各学園からの通信。

 

トリニティ。

 

ゲヘナ。

 

ミレニアム。

 

百鬼夜行。

 

レッドウィンター。

 

アビドス。

 

SRT。

 

ありとあらゆる学園から届いている。

 

モモカが顔を引きつらせた。

 

「先生、これ全部見てたんですか?」

 

「見ようとしていました。」

 

修司は訂正する。

 

「正確には、全て自分で処理しようとしていました。」

 

「……。」

 

モモカは黙る。

 

「いや、無理でしょ。」

 

珍しく即答だった。

 

リンも否定できない。

 

「無理です。」

 

修司は頷く。

 

「だから辞表を書きました。」

 

その一言で部屋は静かになった。

 

修司は画面を切り替える。

 

今度は案件の内容が表示される。

 

『合同演習の日程調整』

 

『部活動予算確認』

 

『備品追加購入』

 

『文化祭会場』

 

『迷子猫捜索』

 

『生徒会役員同士の口論』

 

『恋愛相談』

 

『先生に聞いてほしい』

 

モモカは思わず叫んだ。

 

「猫まで先生ですか!?」

 

修司は頷く。

 

「そうです。」

 

「恋愛相談まで!?」

 

「そうです。」

 

「何でも屋じゃないですか!」

 

「その通りです。」

 

修司は静かに答える。

 

「だから壊れました。」

 

モモカは腕を組んだ。

 

「これ全部先生に送ってたんです?」

 

リンはゆっくり頷く。

 

「……はい。」

 

「何で止めなかったんです?」

 

その質問にリンは答えられなかった。

 

止められなかった。

 

先生なら何とかしてくれる。

 

そう思っていた。

 

修司が代わりに答える。

 

「止める人がいなかったからです。」

 

「人?」

 

「組織です。」

 

モモカは修司を見る。

 

「つまり?」

 

修司はホワイトボードへ一本の矢印を書く。

 

各学園。

 

 

先生。

 

それだけだった。

 

「え?」

 

モモカは目を丸くする。

 

「中間が無いんですか?」

 

「ありません。」

 

「えぇ……。」

 

モモカは頭を抱えた。

 

「そりゃ倒れますよ。」

 

リンは苦笑する。

 

連邦生徒会で日々行政実務をしているモモカだからこそ、一目で異常さが分かった。

 

修司はホワイトボードを書き足す。

 

各学園。

 

 

担当部署。

 

 

連邦生徒会。

 

 

シャーレ。

 

 

先生。

 

「本来はこちらです。」

 

モモカが頷く。

 

「そうそう!」

 

「普通こうですよ!」

 

「何で全部ショートカットしてるんです?」

 

「先生が受けてしまったからです。」

 

修司の答えは短かった。

 

しかし十分だった。

 

先生は断らなかった。

 

だから皆が先生へ送るようになった。

 

誰も悪意はない。

 

便利だっただけだ。

 

その便利さが、一人の人間を壊した。

 

---

 

修司は新しい資料を開く。

 

タイトル。

 

『シャーレ業務改善計画 Ver.1』

 

「まず。」

 

修司が言う。

 

「先生直通ルートを閉鎖します。」

 

モモカが勢いよく頷く。

 

「賛成です!」

 

リンは少し不安そうに尋ねた。

 

「混乱しませんか。」

 

「します。」

 

修司は即答した。

 

「ですが必要です。」

 

「人は便利な道を失うと不満を言います。」

 

「しかし、その道が崩落しているなら閉鎖するしかありません。」

 

モモカが笑う。

 

「その例え分かりやすいですね。」

 

修司は続ける。

 

「今日やることは三つ。」

 

一本目。

 

「先生直通案件をゼロにする。」

 

二本目。

 

「各学園へ一次対応を戻す。」

 

三本目。

 

「先生が復帰しても、この状態を維持する。」

 

リンはメモを取り始める。

 

モモカも端末を開いた。

 

修司は画面を閉じる。

 

「では。」

 

静かに言った。

 

「まずは、誰がこの四百九十八件を先生へ送ったのか。」

 

「全て洗い出します。」

 

部屋の空気が引き締まる。

 

先生を休ませるための改革。

 

その最初の仕事は。

 

未処理案件ではなかった。

 

先生へ仕事を集め続けた仕組みを、根元から見つけ出すことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは、誰がこの四百九十八件を先生へ送る流れを作ったのか。」

 

修司の一言で、会議室の空気が引き締まる。

 

リンは少し首を傾げた。

 

「誰が……ですか?」

 

「はい。」

 

修司はホワイトボードの前へ立つ。

 

「ですが、勘違いしないでください。」

 

「私は犯人探しをするつもりはありません。」

 

モモカが腕を組む。

 

「じゃあ、何を調べるんです?」

 

修司は静かに振り返った。

 

「組織です。」

 

「組織?」

 

「人を責めても問題は解決しません。」

 

「同じ立場の人が来れば、また同じことが起こります。」

 

修司はマーカーを置いた。

 

「だから見るべきなのは、人ではなく仕組みです。」

 

リンはその言葉をゆっくりと噛み締める。

 

確かに、先生は誰か一人のせいで辞表を書いたわけではない。

 

少しずつ積み重なった"当たり前"が、先生を追い詰めていた。

 

---

 

修司はモモカへ視線を向けた。

 

「通信履歴を見せてください。」

 

「了解です。」

 

モモカは端末を操作する。

 

数百件の問い合わせ履歴が一覧表示された。

 

修司は無言で画面を眺める。

 

一件。

 

二件。

 

三件。

 

ほとんどスクロールを止めることなく読み進めていく。

 

リンは不思議そうに尋ねた。

 

「何を見ているんですか?」

 

「流れです。」

 

「流れ?」

 

「仕事の流れです。」

 

修司は一件の通信履歴を開いた。

 

送信元はゲヘナ学園。

 

内容は、校舎補修に関する予算確認だった。

 

「七神リンさん。」

 

「はい。」

 

「この案件は、本来誰が処理するものですか。」

 

リンはすぐに答える。

 

「連邦生徒会の財務担当ですね。」

 

「その通りです。」

 

修司は画面を指差した。

 

「ですが、この案件は財務担当を通っていません。」

 

リンが目を見開く。

 

確かに通信履歴には、

 

ゲヘナ学園。

 

その次に表示されているのは、

 

先生。

 

それだけだった。

 

「直接……先生へ?」

 

「はい。」

 

修司は静かに頷く。

 

「本来あるべき確認工程が省略されています。」

 

モモカも画面を覗き込む。

 

「こういう案件、結構ありますね。」

 

「ええ。」

 

修司は次々と別の履歴を開いていく。

 

文化祭の開催場所。

 

部活動予算。

 

備品申請。

 

行事の日程調整。

 

どれも同じだった。

 

先生へ直接届いている。

 

モモカは思わず頭を抱えた。

 

「これ全部、先生が見てたんですか?」

 

「正確には。」

 

修司は静かに訂正する。

 

「先生が見なければならないと思われていました。」

 

その違いに、リンはハッとした。

 

誰かが命令したわけではない。

 

いつの間にか、そういう組織になっていたのだ。

 

---

 

モモカが通信履歴をさらに遡る。

 

「あれ?」

 

「どうしました。」

 

「同じ案件があります。」

 

画面には、全く同じ申請が五件並んでいた。

 

送信日時だけが違う。

 

「一時間おきに送られてます。」

 

リンは驚いた。

 

「どうして……。」

 

モモカが苦笑する。

 

「先生から返事が来ないからですね。」

 

「催促です。」

 

修司は静かに頷いた。

 

「よくある例です。」

 

「返事が来ない。」

 

「なら別ルートで送る。」

 

「それでも返事が来ない。」

 

「また送る。」

 

「その繰り返しです。」

 

リンは履歴を見つめた。

 

「先生は、全部返信していました。」

 

「だからです。」

 

修司は短く答える。

 

「返信してくれる。」

 

「だから次も先生へ送る。」

 

「悪意ではありません。」

 

「成功体験です。」

 

その言葉が、リンの胸に重く響く。

 

先生が優しかったから。

 

先生が責任感のある人だったから。

 

だから皆が先生へ頼るようになった。

 

その積み重ねが、今日の辞表だった。

 

---

 

その時。

 

通信端末が鳴った。

 

モモカが画面を見る。

 

「あ。」

 

「また来ました。」

 

送信元。

 

トリニティ総合学園。

 

件名。

 

『先生へ至急確認願います』

 

モモカは内容を開く。

 

「合同体育祭の会場変更についてです。」

 

部屋が静まり返る。

 

修司が尋ねる。

 

「生命の危険はありますか。」

 

「ありません。」

 

「先生しか判断できませんか。」

 

モモカは少し考えて首を横に振った。

 

「実行委員会でも決められます。」

 

「では。」

 

修司は即答する。

 

「返送してください。」

 

モモカは少しだけ戸惑う。

 

「断るんですか?」

 

「いいえ。」

 

修司はノートパソコンを操作した。

 

「担当部署へ案内します。」

 

画面へ短い返信文が表示される。

 

『本案件は各学園実行委員会および連邦生徒会イベント管理担当で協議をお願いします。先生への直接申請対象外です。』

 

モモカはその文章を読み、感心したように頷いた。

 

「冷たい断り方じゃないんですね。」

 

「断っていません。」

 

修司は淡々と答える。

 

「正しい窓口を案内しただけです。」

 

モモカはそのまま送信した。

 

数秒後。

 

返信が届く。

 

『承知しました。対応します。』

 

モモカは思わず笑った。

 

「終わっちゃいました。」

 

リンも少し驚いた表情を浮かべる。

 

「もっと揉めると思っていました。」

 

「人は行き先が分からない時に困ります。」

 

修司は静かに言う。

 

「正しい行き先が示されれば、多くは解決します。」

 

---

 

その時だった。

 

生命の書が淡く光る。

 

ミコリが分析結果を表示する。

 

「先生宛案件、四百九十八件を分類しました。」

 

三人の視線が画面へ集まる。

 

「先生本人の判断が必要。」

 

「三十八件。」

 

リンは目を見開いた。

 

「そんなに少ないんですか……。」

 

「はい。」

 

ミコリは続ける。

 

「残り四百六十件。」

 

「他部署対応可能。」

 

会議室が静まり返る。

 

モモカは思わず椅子にもたれた。

 

「先生……。」

 

「こんなの、一人で抱えてたんですか。」

 

リンは静かに目を伏せる。

 

仕事が遅かったわけではない。

 

能力が足りなかったわけでもない。

 

本来やる必要のない仕事まで、自分一人で引き受けていただけだった。

 

修司は画面を閉じた。

 

「原因が見えました。」

 

リンが顔を上げる。

 

「先生が壊れた理由は、能力不足ではありません。」

 

「仕事量でもありません。」

 

「仕事の集まり方です。」

 

モモカも真剣な表情になる。

 

修司はホワイトボードへ静かに書き込んだ。

 

「先生に頼れば早い。」

 

そして振り返る。

 

「この考え方が、シャーレ全体に浸透していました。」

 

「だから、誰も疑問を持たなかった。」

 

「先生も断らなかった。」

 

「その結果、一人へ全てが集まった。」

 

リンは強く頷く。

 

「なら……。」

 

「変えるべきなのは。」

 

修司は静かに言った。

 

「先生ではありません。」

 

「組織です。」

 

会議室に静かな決意が満ちていく。

 

改革はまだ始まったばかりだった。

 

だが、先生を追い詰めた本当の原因は、ようやくその姿を現し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

会議室は静まり返っていた。

 

画面に表示されている数字は変わらない。

 

先生が本当に判断しなければならない案件。

 

三十八件。

 

それ以外。

 

四百六十件。

 

リンはゆっくりと息を吐いた。

 

「今まで、先生はこの四百六十件にも時間を使っていたんですね。」

 

「はい。」

 

修司は短く答える。

 

「本来必要のない仕事に、最も貴重な時間を使っていました。」

 

モモカが苦笑する。

 

「だから先生、いつ連絡しても返事が来るんですね。」

 

リンも思い返す。

 

早朝。

 

昼休み。

 

夜。

 

深夜。

 

先生から返事が来なかった記憶がほとんどない。

 

「あれが異常だったんですね……。」

 

修司は頷く。

 

「異常です。」

 

「ですが。」

 

「異常は長く続くと日常になります。」

 

その言葉に、二人は何も返せなかった。

 

誰も疑わなかった。

 

先生だから。

 

先生なら。

 

先生しか。

 

その積み重ねだった。

 

---

 

修司は新しい画面を開いた。

 

「ここからは改善です。」

 

「まず、先生へ届く案件を減らします。」

 

リンは頷く。

 

「先ほどの分類ですね。」

 

「分類だけでは足りません。」

 

修司はキーボードを叩く。

 

「組織は、元に戻ろうとします。」

 

モモカが苦笑した。

 

「分かる気がします。」

 

「今日だけ頑張っても。」

 

「明日にはまた先生へ送る人が出ます。」

 

「はい。」

 

修司は淡々と言う。

 

「だから仕組みにします。」

 

---

 

最初に手を付けたのは申請システムだった。

 

現在の画面には、一番上に表示されている項目がある。

 

『先生へ送る』

 

修司は画面を見て数秒考えた。

 

「これですね。」

 

モモカが頷く。

 

「昔からこのままです。」

 

「誰でも押せます。」

 

「だから皆ここを押します。」

 

修司は小さく息を吐いた。

 

「便利すぎます。」

 

「変更できますか。」

 

「できます。」

 

モモカは管理画面を開く。

 

修司はすぐに指示を出した。

 

「先生への直接申請を一時停止。」

 

「一次窓口を選択式に変更。」

 

「相談。」

 

「行事。」

 

「予算。」

 

「設備。」

 

「緊急案件。」

 

「五分類です。」

 

モモカの手が止まらない。

 

「終わりました。」

 

「反映します。」

 

数秒後。

 

新しい申請画面が表示された。

 

リンは画面を見つめる。

 

先生の名前が消えている。

 

その代わり、それぞれの担当部署が並んでいた。

 

「これだけで変わるんですか。」

 

「変わります。」

 

修司は答える。

 

「人は、一番上を選びます。」

 

「だから最初の入口が重要です。」

 

---

 

その時。

 

通信通知が入る。

 

『新規申請』

 

モモカが確認する。

 

「ミレニアムからです。」

 

修司は画面を見る。

 

「内容は。」

 

「研究棟の停電について。」

 

「担当は。」

 

「施設管理局。」

 

「先生案件ではありません。」

 

「はい。」

 

モモカは施設管理局へ転送する。

 

数十秒後。

 

『受理しました。』

 

返信が届いた。

 

リンが驚く。

 

「先生を通さなくても動く……。」

 

「当然です。」

 

修司は少しだけ首を傾げる。

 

「本来そうあるべきです。」

 

---

 

続いて修司は別の画面を開く。

 

「次は権限です。」

 

「権限?」

 

リンが尋ねる。

 

「先生だけが決裁できるものが多すぎます。」

 

モモカも頷いた。

 

「確かに。」

 

「予算も。」

 

「イベントも。」

 

「承認だけ先生になってます。」

 

修司は一覧を見ながら言う。

 

「権限を持つことは責任を持つことです。」

 

「ですが。」

 

「責任を一人へ集めることではありません。」

 

リンは真剣な表情になる。

 

「では。」

 

「委譲します。」

 

修司は即答した。

 

「各学園で決められることは各学園。」

 

「連邦生徒会で決めることは連邦生徒会。」

 

「シャーレは最後です。」

 

モモカが感心したように笑う。

 

「これなら先生も暇になりますね。」

 

修司は首を横に振った。

 

「暇にはなりません。」

 

「え?」

 

「先生が本来やるべき仕事に集中できます。」

 

その言葉にリンは目を見開いた。

 

確かにそうだ。

 

先生の仕事は書類ではない。

 

生徒を導くこと。

 

学園同士の信頼を繋ぐこと。

 

本当に必要な場面で、大人として立つことだ。

 

---

 

生命の書が静かに光る。

 

ミコリが報告する。

 

「試験運用開始。」

 

「先生宛申請件数。」

 

「現在。」

 

「ゼロ件。」

 

リンは思わず画面を見直した。

 

「本当に……。」

 

モモカも笑う。

 

「初めて見ました。」

 

「先生の受信箱が空っぽです。」

 

修司は静かに頷く。

 

「今日だけです。」

 

「明日から、また増えます。」

 

「だから。」

 

「明日も直します。」

 

「明後日も直します。」

 

「定着するまで続けます。」

 

リンは修司を見る。

 

「随分、気の長い仕事なんですね。」

 

「組織改革は一日で終わりません。」

 

修司は淡々と答えた。

 

「人を変えるより。」

 

「仕組みを変える方が時間がかかります。」

 

「ですが。」

 

「一度定着すれば、人が替わっても続きます。」

 

リンはその言葉を静かに胸へ刻む。

 

先生一人を助けるだけではない。

 

次の先生も。

 

その次の先生も。

 

同じように壊れない組織を作る。

 

それが白石修司の仕事なのだ。

 

---

 

会議室の時計が午後七時を指した。

 

モモカが背伸びをする。

 

「今日は久しぶりに先生へ問い合わせ送ってませんね。」

 

リンも苦笑する。

 

「少し不思議な気分です。」

 

修司はノートパソコンを閉じた。

 

「本日の改革はここまでです。」

 

「これで終わりですか?」

 

リンが尋ねる。

 

「いいえ。」

 

修司は静かに首を横へ振る。

 

「明日からが本番です。」

 

「明日?」

 

「先生がいない二日目。」

 

「組織は必ず混乱します。」

 

「そこで、この仕組みが本当に機能するか確認します。」

 

ミコリが生命の書へ手を添える。

 

「業務改善計画。」

 

「フェーズ2へ移行。」

 

会議室の照明が少しだけ落ちる。

 

窓の外では夜のキヴォトスが静かに広がっていた。

 

先生がいない初日。

 

シャーレは止まらなかった。

 

いや。

 

止まれなかったからこそ、初めて変わり始めた。

 

そして翌日。

 

白石修司は、さらに大きな問題と向き合うことになる。

 

それは、『先生がいないこと』ではなく、『先生がいなくても回る組織』を、本当に受け入れられるかという問題だった。

 

 

 




ブルーアーカイブという作品には、「大人が子どもを支える」という大きなテーマがあります。

この作品では少し視点を変え、「では、その大人は誰が支えるのか?」という問いを軸に物語を進めています。
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