先生はモームリ   作:風神ぷー

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第五十一話 同じ名前が並ぶ理由

 

 

基本合意の記録が保存された。

 

多目的自律支援ドローン。

 

状態表示が『条件調整中』から『正式契約準備』へ変わる。

 

希美はその文字を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 

「……進みましたね」

 

やがて、小さく息を吐く。

 

声には安堵が混じっていた。

 

全額前払いも取れなかった。

 

希望していた台数をそのまま通せたわけでもない。

 

正式契約も、入金もまだ。

 

それでも、受けた瞬間に資金不足が早まる条件ではなくなった。

 

開発班の代表生徒も、共有画面を振り返りながら立ち上がる。

 

「じゃあ、初回分の工程を組み直します」

 

「契約書が固まるまでは部品発注しないでよ」

 

ユウカが釘を刺す。

 

「分かってます」

 

「本当に?」

 

「……仮押さえまでにします」

 

「そこまで」

 

「はいはい」

 

軽いやり取りに、希美が少し笑った。

 

ノアはもう別画面で修正条項を開いている。

 

事業責任者も、取引先へ返す確認事項を整理していた。

 

修司は席に座ったまま、その様子を見ていた。

 

誰かが指示しなくても、それぞれが次の仕事へ移り始めている。

 

昨日までなら、ここで一度全員が止まり、誰かの判断を待っていたかもしれない。

 

その違いは小さい。

 

けれど、確かにあった。

 

「じゃあ、次」

 

ユウカが自分の端末へ戻る。

 

処理待ち一覧を開き。

 

指を止めた。

 

「……何これ」

 

希美が顔を向ける。

 

「どうしました?」

 

「増えてる」

 

ユウカは画面を壁面へ飛ばした。

 

処理待ち。

 

確認待ち。

 

差し戻し。

 

条件入力待ち。

 

朝より明らかに件数が増えている。

 

「暫定審査方式が共有されたため、各部門から申請が追加されています」

 

ミコリが答えた。

 

「現在、提出済み二十七件」

 

「二十七?」

 

希美の声が少し裏返る。

 

「そんなに?」

 

「過去に止まっていた案件も含まれます」

 

ユウカは一番上を開いた。

 

技術条件確認。

 

資金条件確認。

 

契約条件確認。

 

事業判断。

 

利用価値・対外関係。

 

その下に名前が並んでいる。

 

早瀬ユウカ。

 

生塩ノア。

 

朝倉希美。

 

事業化担当部署の責任者。

 

次。

 

また同じ。

 

その次。

 

同じ。

 

ユウカの眉間に皺が寄る。

 

「……私、何件?」

 

「財務確認二十五件」

 

「ノアは?」

 

「二十一件」

 

ノアが静かに画面を見る。

 

「多いですね」

 

希美が自分の名前を探す。

 

「私は?」

 

「二十三件です」

 

「二十三……」

 

希美が椅子の背へ少し沈んだ。

 

事業責任者も自分の欄を開き、何も言わず画面を閉じる。

 

誰か一人へ集まっていた判断を分けた。

 

そのはずだった。

 

だが一覧に並んでいる顔ぶれは、ほとんど変わらない。

 

ユウカが腕を組んだ。

 

「担当を増やすしかないわね」

 

「その前に」

 

修司が言った。

 

ユウカが振り返る。

 

「何?」

 

「何がここへ流れ込んでいるか見たいです」

 

「全部案件でしょ」

 

「同じ種類でしょうか」

 

修司は一件を開く。

 

『新型制御基板』

 

顧客なし。

 

販売契約なし。

 

完成予定未定。

 

研究区分――基礎研究。

 

その下にも五つの欄が揃っていた。

 

ノアが画面へ近づく。

 

「契約書がありませんね」

 

事業責任者も確認する。

 

「販売予定もない」

 

希美が自分の名前を見る。

 

「私……何を判断するんでしょう」

 

別の案件。

 

歩行補助装置。

 

試作・実証。

 

試験利用者八名。

 

次。

 

小型設備検査機。

 

顧客あり。

 

価格あり。

 

保守あり。

 

事業。

 

さらに。

 

既存顧客への標準仕様の追加販売。

 

価格変更なし。

 

保守範囲変更なし。

 

契約書も既存の標準書式。

 

それでも同じ欄。

 

ユウカが画面を見つめる。

 

「全部同じ入口に入ってる」

 

修司は頷いた。

 

「はい」

 

希美が少し不安そうに言う。

 

「でも、全部ちゃんと見た方が安全じゃないですか?」

 

修司は処理待ちの数を示した。

 

二十七。

 

その下にも、新着が一件増えた。

 

二十八。

 

「全部を同じ重さで扱えば」

 

修司はそれだけ言って、最上段のドローン案件と、基礎研究の制御基板を並べた。

 

片方には顧客がいる。

 

契約がある。

 

保守義務がある。

 

もう片方には、まだ外部利用者すらいない。

 

それでも、同じ人間の確認待ちになっていた。

 

ノアが先に気付く。

 

「必要のない確認まで要求している」

 

事業責任者が続ける。

 

「そのせいで、本当に事業判断が必要な案件も後ろに並ぶ」

 

ユウカが小さく息を吐く。

 

「全件を重く扱った結果、重い案件が埋もれてるのね」

 

修司は新型制御基板を開いた。

 

「これを見に行きましょう」

 

「現場?」

 

ユウカが少し嫌そうな顔をする。

 

「また?」

 

「この案件に本当に中央の五人が必要か、画面だけでは分かりません」

 

「……まあ、そうだけど」

 

希美が先に立ち上がった。

 

「行きましょう」

 

新型制御基板の研究室は、ドローン開発区画より狭かった。

 

扉が開いた瞬間、微かな熱と機械油の匂いが混じった空気が流れてくる。

 

作業台には裸の基板。

 

測定器。

 

仮設電源。

 

部品箱。

 

長いケーブル。

 

壁際では小型ファンが回り続けていた。

 

ホワイトボードには回路図と試験結果。

 

成功した数値より、失敗した条件の方が多く書き込まれている。

 

「すみません、ちょっと散らかってて」

 

技術責任者の生徒が、作業台の端から工具をどけた。

 

「研究は止めなくて大丈夫です」

 

修司が答える。

 

「少し確認させてください」

 

「はい」

 

修司は申請画面を見せる。

 

「これは今、どこまで進んでいますか?」

 

「まだ基礎研究です」

 

「完成予定は?」

 

「分かりません」

 

生徒は少し笑った。

 

「動くところまでは行きたいですけど」

 

「販売予定は?」

 

「そこまで行けたらですね」

 

「顧客は?」

 

「いません」

 

ノアが申請欄を見る。

 

「では、私の契約確認は何を確認する予定でした?」

 

技術責任者が困った顔になる。

 

「申請に欄があったので……」

 

「契約は?」

 

「ないです」

 

「なるほど」

 

ノアは自分の名前を見た。

 

希美も横から覗く。

 

「私の『利用価値・対外関係』は?」

 

「研究として価値があるか……とか?」

 

「外で使っている人はいないんですよね」

 

「はい」

 

「止まったら今すぐ困る人は?」

 

「いないです」

 

希美の口が止まった。

 

事業責任者も腕を組む。

 

「事業判断もまだ早いですね」

 

「すみません」

 

技術責任者が頭を下げかける。

 

「謝る話ではありません」

 

修司が止めた。

 

「この形式で出すなら、こう書くしかなかっただけです」

 

ユウカは別のところを見ていた。

 

研究室の端。

 

一人の生徒の机だけ、妙に書類が多い。

 

購入申請。

 

領収書。

 

残額表。

 

用途説明。

 

ユウカがそちらへ歩いた。

 

「あなた、会計担当?」

 

生徒が顔を上げる。

 

「一応」

 

「一応?」

 

「班のお金関係をまとめてます」

 

「何してるの?」

 

生徒は机の上を見ながら答える。

 

「購入記録を入れて、残額を見て、申請書を作って、領収書をまとめて……」

 

「用途説明は?」

 

「それも書いてます」

 

ユウカの眉が動く。

 

「誰が使う部品か分かるの?」

 

「みんなに聞いて」

 

技術責任者が横から申し訳なさそうに言う。

 

「この子、文章まとめるの得意なので」

 

「じゃあ必要性の説明も?」

 

「聞いた内容を私が文章にしてます」

 

生徒が苦笑する。

 

修司が近づく。

 

「購入するかどうかも、あなたが決めますか?」

 

「え?」

 

「例えば、この部品は高いから買わない、と」

 

「それは無理です」

 

すぐ答えた。

 

「じゃあ数量を減らす?」

 

「勝手にはできません」

 

「購入時期をずらす?」

 

「技術の人に聞かないと」

 

「予算を超えそうなら?」

 

「ユウカさんへ申請します」

 

修司は少し間を置いた。

 

「では、あなたは何を決められますか」

 

生徒は口を開き。

 

閉じた。

 

机を見る。

 

残額は分かる。

 

何にいくら使ったかも分かる。

 

申請も作れる。

 

だが。

 

「……残ってる金額は、分かります」

 

ゆっくり答える。

 

「申請も出せます」

 

「はい」

 

「でも……」

 

少し困った顔でユウカを見る。

 

「この部品を買わないって、私が言っていいんですか?」

 

ユウカは答えなかった。

 

生徒はさらに続ける。

 

「この数はいらない、とか」

 

技術責任者を見る。

 

「試験を後にして、とか」

 

「それは……」

 

技術責任者も止まった。

 

「決めてないです」

 

生徒が最後に言う。

 

修司は机に積まれた申請書を見る。

 

「仕事を渡したのではなく」

 

生徒が顔を上げる。

 

「皆さんとユウカさんの間に、新しい伝言係を置いただけになっています」

 

誰も反論しなかった。

 

生徒を責める話ではない。

 

むしろ、彼女は求められた仕事を正確にやっている。

 

必要な数字も揃えている。

 

だからこそ。

 

決める権限だけがなかった。

 

技術責任者が少し気まずそうに頭を掻く。

 

「予算担当を作ればいいと思ってました」

 

「必要だと思います」

 

修司は答えた。

 

「ただ、担当名だけでは足りません」

 

ユウカが残額表を開いた。

 

「部門予算の上限は?」

 

生徒がすぐに表示する。

 

「ここです」

 

「今の残額」

 

「これ」

 

「今後の予定支出」

 

「部品と、耐久試験用の機材と……」

 

画面を切り替える。

 

きれいに整理されている。

 

ユウカが少し目を細めた。

 

「見えてるじゃない」

 

「え?」

 

「数字は全部」

 

「でも、買っていいかは」

 

「そこを変えるの」

 

ユウカは部門予算上限を指した。

 

「学校全体から、この研究班でここまで使っていいって決めた枠でしょ」

 

「はい」

 

「その中で、何を先に買うかまで毎回私が決めたら、この枠を渡してる意味がない」

 

生徒が戸惑う。

 

「じゃあ……私が買っていいって決める?」

 

「全部じゃない」

 

ユウカは即答した。

 

「上限を超える時は戻して。ほかの部門のお金が必要になる時も。大きな継続支出が増える時も」

 

「その範囲内なら?」

 

「部門で決める」

 

技術責任者が聞く。

 

「必要な理由は僕らが書く?」

 

「当たり前」

 

ユウカが振り返る。

 

「使うのあなたたちでしょ」

 

「ですよね」

 

「『必要です』って一言だけこの子に渡して、用途説明まで全部書かせる方がおかしいわ」

 

技術責任者が小さく頭を下げた。

 

「すみません」

 

予算担当の生徒が笑う。

 

「じゃあ次から自分で書いてください」

 

「はい」

 

その場の空気が少し軽くなった。

 

直後。

 

研究室の端末から警告音が鳴った。

 

作業中の生徒が在庫画面を見て声を上げる。

 

「先輩、予定してた部品、在庫切れです」

 

技術責任者が振り向く。

 

「次回入荷は?」

 

「未定」

 

「代替品は?」

 

「あります」

 

別の型番が表示される。

 

「でも高いです」

 

予算担当の生徒が反射的にユウカを見る。

 

「ユウカさん、これ――」

 

「私に聞かない」

 

短い言葉だった。

 

生徒が固まる。

 

「え?」

 

「今、何が分かれば決められる?」

 

予算担当は少し慌てて自分の画面を見る。

 

「残額……」

 

「それから?」

 

「今後の支出」

 

「上限」

 

「はい」

 

「次に見直すのは?」

 

「四日後です」

 

ユウカはそれ以上言わない。

 

技術責任者が代替部品の画面を見る。

 

「十二個必要です」

 

予算担当が単価を入れる。

 

数字が更新された。

 

残額が大きく落ちる。

 

「十二だと、耐久試験用の機材が買えません」

 

「でもないと試験が」

 

技術責任者が言いかける。

 

ホワイトボードを見る。

 

初期動作。

 

発熱確認。

 

長時間駆動。

 

耐久試験。

 

視線が途中で止まった。

 

「待って」

 

ペンを取り、工程を指す。

 

「最初の試験に十二個全部いらない」

 

予算担当が顔を上げる。

 

「何個?」

 

「四個」

 

「残り八個は?」

 

「耐久試験に入る時」

 

「四日後より後?」

 

技術責任者が日程を見る。

 

「後です」

 

予算担当が数量を四へ変える。

 

残額が戻る。

 

予定支出を入れても、まだ枠内。

 

「これなら耐久試験の機材も買えます」

 

技術責任者は腕を組む。

 

「ただ、代替品で初期試験が通ったら残りも欲しい」

 

「その時にもう一度見ればいい」

 

予算担当の生徒が言った。

 

言ってから。

 

自分の言葉に少し驚いたように黙る。

 

視線がまたユウカへ向きそうになった。

 

途中で止める。

 

自分の画面を見る。

 

「上限内」

 

残額。

 

予定支出。

 

中間確認日。

 

一つずつ確認する。

 

「四個なら、今買えます」

 

技術責任者が尋ねる。

 

「決めていい?」

 

生徒は一瞬迷った。

 

「……初期試験に四個必要なんですよね」

 

「必要」

 

「残りは今いらない」

 

「はい」

 

「じゃあ四個だけ買います」

 

数秒。

 

誰も口を挟まなかった。

 

ユウカも。

 

修司も。

 

「発注します」

 

生徒が確定ボタンを押した。

 

技術責任者が横から言う。

 

「用途説明は?」

 

予算担当が振り返る。

 

「先輩が書いてください」

 

「ですよね」

 

周囲から小さな笑いが起きる。

 

ユウカは横から数字だけ確認した。

 

計算に誤りはない。

 

それ以上は触らない。

 

上限を超えていない。

 

ほかの部門にも影響しない。

 

次に確認する日も決まっている。

 

その範囲で、現場が決めた。

 

修司はその画面を見つめた。

 

担当名だけが増えた時とは違う。

 

今回は。

 

決められる範囲が一緒に渡っていた。

 

研究室を出るころには、廊下の窓から差し込む光が少し傾いていた。

 

ユウカが歩きながら端末を開く。

 

「これ、全部の部門にそのまま渡すのは駄目よ」

 

「はい」

 

修司は頷く。

 

「戻す条件が必要です」

 

ノアが横から言う。

 

「契約も同じですね」

 

希美が尋ねる。

 

「どう分けます?」

 

ノアは歩きながら既存案件を開いた。

 

標準契約内の小規模販売。

 

「例えばこれ」

 

画面を見せる。

 

「価格変更なし。保守範囲変更なし。責任範囲も標準書式内」

 

「ノアさんの確認は?」

 

「必要ありません」

 

即答だった。

 

「でも契約はある」

 

希美が言う。

 

「あります。ただ、既に決めた枠の中です」

 

次の案件。

 

新しい保守義務。

 

「これは?」

 

「私が見ます」

 

さらに。

 

長期契約。

 

違約金あり。

 

責任範囲変更。

 

「これも中央」

 

ノアは整理する。

 

「契約があるかどうかではなく、既存の枠を超えるかどうかですね」

 

ユウカも別案件を開く。

 

部門予算内。

 

一時購入。

 

継続費なし。

 

「これは部門で」

 

次。

 

部門予算超過。

 

「これは戻す」

 

「こっちは?」

 

希美が別の申請を指す。

 

別部門の予算を一部使う案。

 

「中央」

 

ユウカが答える。

 

「学校全体の資金枯渇日が前に動くものも」

 

修司が頷く。

 

「境界が見えてきましたね」

 

希美は自分の欄を開いた。

 

利用価値・対外関係。

 

「私は……」

 

少し考える。

 

「外部利用者がいるだけで全部見るのは違う」

 

誰に聞くでもなく言う。

 

ノアが頷いた。

 

「先ほどの標準販売まで毎回朝倉先生が見る必要はないでしょう」

 

「でも」

 

希美の指が止まる。

 

「停止して困る人がいたら?」

 

修司は答えず、案件一覧を開いた。

 

教育用ソフトウェア。

 

外部利用者あり。

 

ただし代替サービスあり。

 

別案件。

 

歩行補助装置。

 

試験利用者八名。

 

代替手段に制限あり。

 

希美は二つを見比べる。

 

「これは違う」

 

「何がですか?」

 

修司が尋ねる。

 

「こっちは止めても代わりがある」

 

教育用ソフトウェアを指す。

 

次に歩行補助装置。

 

「でもこっちは、止めたら困る人がいる」

 

「はい」

 

「じゃあ、私が見るのは」

 

指を動かす。

 

「代替手段がない時」

 

「安全に大きく影響する時」

 

ノアが付け加える。

 

「重要な教育機会が失われる場合も?」

 

「それも見たいです」

 

希美は頷く。

 

「あと、外との関係に大きく響く時」

 

そこまで言って。

 

表情が止まる。

 

「……でも」

 

足も止まった。

 

修司たちが振り返る。

 

希美は端末を見ていた。

 

自分の名前が並んでいる。

 

「私が全部見なくなったら」

 

声が少し小さくなる。

 

「見落としませんか」

 

「何をですか」

 

「困ってる人」

 

希美は画面を見たまま続ける。

 

「部門では『代替あります』ってなってても、実際はその人には使えないとか」

 

修司は否定しなかった。

 

「ありえます」

 

「じゃあ、やっぱり全部」

 

言いかける。

 

修司は止めない。

 

希美自身が、さきほどの一覧を見る。

 

二十三件。

 

そのさらに下に新着。

 

もし全部を見る。

 

さらに増える。

 

その中に、本当に見なければならない案件も混ざる。

 

希美の指が止まった。

 

「……全部見ても、見落とすか」

 

「可能性はあります」

 

「嫌ですね」

 

「はい」

 

「そこは『大丈夫です』って言ってくれないんですね」

 

「言えません」

 

希美は少しだけ笑った。

 

「白石さんらしいです」

 

修司も否定しなかった。

 

「では、どうします?」

 

希美はしばらく考える。

 

「部門側に記録してもらう」

 

「何を?」

 

「利用者への影響」

 

言葉を探す。

 

「代わりがあるか」

 

「苦情が出てるか」

 

「事故」

 

ノアが言う。

 

「停止したことで実際に問題が出たか」

 

修司が続ける。

 

希美が頷く。

 

「それを見て、中央に戻す条件に当てはまるものを拾う」

 

「はい」

 

「私が全部の案件を処理するんじゃなくて」

 

画面から自分の名前を一つ外そうとする。

 

途中で。

 

指が止まった。

 

教育用ソフトウェア。

 

外部利用者あり。

 

代替手段あり。

 

重大な安全影響なし。

 

標準契約内。

 

希美は一度、自分の名前を外した。

 

画面を閉じようとして。

 

もう一度開く。

 

指が戻る。

 

だが、名前は戻さなかった。

 

代わりに利用者影響欄を開く。

 

『代替手段あり』

 

しばらく見つめる。

 

「……こっちは、部門で」

 

自分に言い聞かせるように呟いた。

 

修司は何も言わなかった。

 

希美自身が決めた。

 

その日の午後。

 

申請一覧の最初の欄が変わった。

 

『活動区分』

 

基礎研究。

 

試作・実証。

 

事業。

 

新型制御基板は基礎研究へ移された。

 

必要なのは、研究目的。

 

技術責任者。

 

期間。

 

部門予算上限。

 

中間確認日。

 

止めた場合に残す記録。

 

部門内予算担当。

 

そこから。

 

契約確認の欄が消えた。

 

事業判断も。

 

利用価値・対外関係も。

 

ノアが画面を見る。

 

「私、いなくなりましたね」

 

「寂しいですか?」

 

希美が聞く。

 

「いいえ」

 

即答だった。

 

次。

 

歩行補助装置。

 

試作・実証。

 

技術責任者。

 

試験利用者。

 

安全確認。

 

予算上限。

 

収集するデータ。

 

再審査日。

 

外部契約が発生した場合。

 

安全条件を超えた場合。

 

部門予算を超えた場合。

 

その時だけ中央へ戻る。

 

小型設備検査機。

 

事業。

 

顧客。

 

価格。

 

納期。

 

保守。

 

契約。

 

撤退条件。

 

こちらは中央確認が多い。

 

一方。

 

既存標準契約内の追加販売。

 

価格変更なし。

 

保守変更なし。

 

仕様変更なし。

 

部門予算内。

 

現場事業担当で処理。

 

事業責任者が自分の名前を外した。

 

「これ、私が毎回見る必要なかったですね」

 

「今まで見てた?」

 

ユウカが聞く。

 

「待たれてました」

 

「それは違うわね」

 

希美も一件。

 

また一件。

 

自分の名前を外していく。

 

最初の数件は、毎回少し止まった。

 

利用者欄。

 

代替手段。

 

安全。

 

外部関係。

 

一つずつ確認する。

 

そのうち。

 

手が止まる時間が少し短くなった。

 

修司の名前は、どの欄にも増えなかった。

 

翌朝。

 

ユウカがセミナーへ入ると、すでに一件の通知が届いていた。

 

『処理済み』

 

眉を寄せる。

 

「誰が決めたの?」

 

ミコリが表示する。

 

新型制御基板。

 

代替部品。

 

初期試験用四個。

 

部門内予算。

 

購入済み。

 

「昨日のやつ?」

 

「はい」

 

「私、承認した?」

 

「承認記録はありません」

 

ユウカが一瞬黙る。

 

確認画面を開く。

 

部門予算内。

 

予定支出を含めても上限未満。

 

中間確認日は三日後。

 

記録にも不備はない。

 

「……本当に動いた」

 

その声に、後から入ってきた希美が顔を出す。

 

「何がです?」

 

「中央待たずに」

 

希美も画面を見る。

 

「すごい」

 

そこへ別の通知。

 

試作班。

 

予定していた試験対象を縮小。

 

安全条件内。

 

予算上限内。

 

次回再審査日設定済み。

 

中央確認なし。

 

さらに。

 

標準契約内の追加販売。

 

処理済み。

 

ノアが入ってきて、その通知を見る。

 

「私、見ていませんね」

 

「問題ある?」

 

ユウカが聞く。

 

ノアは契約条件を見る。

 

標準書式。

 

価格変更なし。

 

保守変更なし。

 

「ありません」

 

少し笑う。

 

「むしろ、見なくてよかった案件です」

 

希美の端末にも一件届く。

 

教育用ソフトウェア。

 

部門内で支援範囲を調整。

 

代替手段あり。

 

利用停止なし。

 

重大苦情なし。

 

希美の確認なし。

 

数秒。

 

画面を見つめる。

 

「……動いてる」

 

修司が入ってきた時。

 

三人はそれぞれ、自分が確認していない案件を見ていた。

 

「何かありましたか」

 

希美が振り返る。

 

「私たちがいなくても動いてます」

 

修司は一覧を見る。

 

「そうですね」

 

「もっと喜んでもよくない?」

 

ユウカが言う。

 

「喜んでいます」

 

「顔に出てない」

 

「すみません」

 

ノアが少し笑った。

 

ミコリが中央確認待ち件数を更新する。

 

昨日。

 

二十八件。

 

現在。

 

十一件。

 

希美の表情が明るくなる。

 

「半分以下」

 

「中央確認が必要な案件のみです」

 

ミコリが補足する。

 

ユウカも少し肩の力を抜いた。

 

「やっと減った」

 

端末を閉じようとして。

 

止まる。

 

「ミコリ」

 

「はい」

 

「各部門が、今の判断どおり支出した場合の全体予定を出して」

 

希美が顔を向ける。

 

「全体?」

 

「部門の中では通ってても、学校全体では別だから」

 

各部門の予定支出が集まる。

 

研究費。

 

試作費。

 

既存契約。

 

保守。

 

部品。

 

外注。

 

標準販売。

 

数値が積み上がる。

 

壁面表示が切り替わった。

 

十二日。

 

希美の表情が止まる。

 

「……変わってない」

 

ユウカは画面を見つめたまま答える。

 

「確認待ちが減っただけだから」

 

各部門は正しく判断している。

 

予算上限内。

 

必要な部品だけ。

 

無駄な中央確認も減った。

 

標準販売は止まらない。

 

研究も、全部を止める必要はなくなった。

 

それでも。

 

使える金そのものは増えていない。

 

修司は部門ごとの予定を開いた。

 

基礎研究。

 

試作・実証。

 

事業。

 

一件ずつ見れば、どれも大きく間違ってはいない。

 

必要な範囲で使う。

 

無駄を削る。

 

上限を守る。

 

それでも合計すれば足りない。

 

ユウカが口を開く。

 

「現場へ決める範囲を返した」

 

「はい」

 

修司が答える。

 

「中央待ちも減った」

 

「はい」

 

「でも、全部やる金はない」

 

「はい」

 

希美が画面を見る。

 

昨日まで。

 

足りなかったのは決裁者だった。

 

その次は。

 

同じ少人数へ集まる判断。

 

そこまでは少しずつほどけ始めている。

 

だが今。

 

壁面に残っているのは名前ではなかった。

 

十二日。

 

その数字の下に。

 

各部門が、自分たちなりに必要だと判断した支出が並んでいる。

 

どれも、誰かの独断ではない。

 

どれも、単純な無駄とも言い切れない。

 

修司は一覧を最後まで送った。

 

今度、足りなかったのは決裁者ではなかった。

 

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