午前七時五十八分。
「積み込み、完了しました」
運搬担当の声に、製造進行を任された二年生が端末から顔を上げた。
ミレニアムの搬入口には、まだ朝の冷えた空気が残っている。大型扉の向こうに停められた運搬車両、その荷室には多目的自律支援ドローンの第一機が固定されていた。
四隅の固定具。
保護材。
整備工具。
初回調整用端末。
交換用の小部品。
一つずつ確認済みの印が並んでいる。
出発予定は午前八時。
彼女は時計を見た。
七時五十八分。
ほんの数日前までなら、ここで二分待っていた。
工程表に八時と書いてあるのだから、八時に出る。それ以上でも、それ以下でもない。
準備が早く終わったなら、予定時刻まで待つ。
そういうものだと思っていた。
けれど今は、車両も、人員も、積荷も揃っている。
二分待つことで増える確認事項はない。
彼女は工程表を開いた。
『出発 八時〇〇分』
指先が一瞬止まる。
八時を七時五十八分へ直した。
「出ます」
運搬担当が時計を見る。
「八時前だけど?」
「準備できてますから」
「了解」
後部扉が閉じ始める。
その時だった。
搬送機の進路上に、一人の男が立っていた。
生徒ではない。
施設担当の制服も着ていない。
資料端末を見ながら、白線の内側に半歩入っている。
製造担当の生徒は迷わなかった。
「すみません、そこ搬送機通ります」
男が顔を上げた。
「ああ。失礼しました」
すぐ横へ下がる。
彼女はそれだけ確認して、搬送機を誘導した。
「固定具、最後にもう一回見ます」
「右後方、問題なし」
「左前方も」
「荷室温度、規定内」
「閉めます」
後部扉が完全に閉じたところで、背後から希美の声がした。
「白石さん、こちらの車両でいいそうです」
製造担当の手が止まった。
白石。
聞いたことはある。
最近、ミレニアム内部の審査や責任分担を整理している、外部の大人。
自分たちが提出した工程異常の報告にも、確認印だけが付いていた。
けれど。
顔は知らなかった。
さきほど白線からどかした男が、希美の方へ歩いていく。
「あの人なんだ……」
小さく漏らす。
隣にいた技術担当の生徒が振り返った。
「何?」
「何でもない」
謝りに行く気にはならなかった。
搬送機の通路に立っていたから、どいてもらった。
それだけだ。
修司の方も、こちらを気にしている様子はない。
事業責任者と、今日の受け入れ確認について話している。
製造担当は工程表へ戻った。
七時五十八分。
出発。
その時刻を八時へ直すことなく、記録を確定した。
納入先の保守施設は、ミレニアムの製造区画とは比べものにならないほど広かった。
複数の大型建屋。
その間を結ぶ連絡通路。
部品保管棟。
整備区画。
測定室。
大型設備を収容する保守ヤード。
朝から工具箱を抱えた技術者や、交換部品を積んだ台車が絶えず行き交っている。
第一機が期待されている仕事は、その移動の一部だった。
運ぶのは、人間が持てないほどの重量物ではない。
交換部品。
携帯型の検査機器。
測定端末。
小型工具。
問題は重さではなく、距離だった。
「この施設、保管区画が一か所にまとまってるんです」
発注元の現場責任者が歩きながら説明する。
「整備中に部品が一個足りないって分かると、誰か一人がここまで戻ることになる」
視線の先。
かなり離れた位置に、部品保管区画の表示が見える。
「片道どれくらいです?」
希美が尋ねる。
「場所によりますが、遠い区画だと七、八分」
「往復で十五分くらい」
「そうですね。しかも、二人でやってる作業なら、もう一人はその間待つことになる」
現場責任者は肩をすくめる。
「だから、必要なものだけ持ってきてもらえるなら、それで十分なんです」
修司は周囲を見ながら歩いていた。
図面上では広い通路。
だが現場には、図面に載っていない物が多い。
壁際に置かれた資材箱。
移動式の作業台。
折り畳まれた足場。
一時保管中らしい大型ケース。
製造進行の生徒も、端末の構内図と実際の床を交互に見ていた。
「思ったより物ありますね」
思わず口にする。
現場責任者が苦笑した。
「これでも今日は少ない方です」
「これで?」
「全部片づければきれいにはできますけど、そのために仕事止めるわけにもいかないので」
「まあ……そうですよね」
図面上では一本の直線。
現場では、そこを人と物が使っている。
当然のことなのに、ミレニアムの試験区画では見えなかった。
事業責任者が立ち止まった。
「本日の初回運用は、正式契約の標準仕様で確認させていただきます」
現場責任者の表情が少しだけ曇る。
「監視装置との接続は、やっぱり今日はなしですか」
「はい。実際の運用を確認した後、必要な範囲を改めて協議します」
「以前は、このくらいなら現地で調整してもらえたんですけどね」
責めているわけではない。
ただ。
以前のミレニアムとの違いを感じている。
希美が口を開いた。
製造担当の生徒は、少しだけそちらを見る。
以前の希美なら。
「できるだけ対応します」
と先に言ってしまいそうな場面だった。
しかし。
「実際に使うところを、まず見せてもらってもいいですか」
希美はそう言った。
「使うところ?」
「監視装置に何を出したいのかも、実際に使った方が分かるかもしれません」
現場責任者が少し考える。
「まあ、それはそうですね」
「必要な情報が分かれば、技術側にもその範囲で確認できますから」
そこまで。
費用も。
納期も。
無料とも言わない。
製造担当は何となく、その違いを覚えておいた。
「今日の受け入れ確認ですが」
現場責任者が腕時計を見る。
「こちらで人員と区画を押さえていられるのは十六時までです」
製造担当が端末へ入力する。
「十六時を超えたら?」
「次に同じ条件で人を集められるのは五日後」
事業責任者の視線が動いた。
受け入れが五日遅れれば。
契約に基づく中間支払いも五日遅れる。
製造担当にも、その意味くらいは分かる。
学校全体の資金を計算するのは自分の仕事ではない。
ただし、今日決まらなければ次は五日後。
そこは工程に関わる。
「受け入れ終了目標、十五時四十五分にします」
現場責任者が画面を覗く。
「十六時じゃなく?」
「確認が残った時のために十五分空けます」
「なるほど」
十五時四十五分。
五分単位。
きれいな数字だった。
彼女は少しだけ安心した。
当初は、受け入れ試験用に空のケースを用意していた。
保管区画から試験区画へ運ばせる。
予定された経路を通る。
停止。
受け渡し。
それができれば一項目確認終了。
そのはずだった。
ところが準備中、現場責任者の端末が鳴った。
「少し待ってください」
表示された連絡を読む。
「四番整備区画、携帯型センサー待ちですね」
近くにいた保管担当が振り返る。
「はい。取りに来るって聞いてます」
「まだ?」
「来てません。作業途中なんじゃないですか」
現場責任者は保管棚を見る。
「じゃあ、これ運ばせてもいいですか?」
技術責任者が近づく。
「何をです?」
「検査用の携帯型センサー。四番区画で今使うやつです」
保管担当がケースを出す。
片手でも持てる程度の大きさ。
技術責任者は秤へ載せ、表示を確認した。
「積載上限内です」
製造担当は同時に目的地を端末へ呼び出す。
四番整備区画。
契約した運用区域の内側。
ケース寸法も荷台へ収まる。
二人がほぼ同時に顔を上げた。
「運べます」
「試験用の荷物じゃなくてもいいんですか?」
希美が尋ねる。
現場責任者は少し笑った。
「むしろ、こっちでやりたいです」
「どうして?」
「本当に使えるか見たいので」
四番区画では、センサーが届くまで検査工程へ入れない。
普段なら担当技術者の一人が作業を抜け、保管区画まで取りに来る。
「これが届けば、あの人が持ち場離れなくて済みます」
修司がケースを見る。
「実際の仕事を使った方が、確認できることは多そうですね」
それだけだった。
運ばせると決めるのは、現場側と技術側。
修司が選ぶ必要はない。
製造担当は工程表を書き換えた。
試験用ケース。
削除。
携帯型センサー。
積載確認。
受け渡し担当。
「十一時二十分に出します」
「準備できます」
技術責任者が答える。
第一機へケースが固定される。
製造担当は固定具を目視し、端末上のルートを確認する。
保管区画。
四番整備区画。
事前登録済み。
「出します」
四基の回転翼が動いた。
第一機が床から低く浮き上がる。
ミレニアムの試験区画で数十センチ浮いただけだった機体が、初めて外部施設の通路へ出ていく。
周囲の作業員が一瞬だけ視線を向ける。
だが仕事を止めるほどではない。
第一機は低速で進む。
人が横切れば減速し。
交差点では停止する。
製造担当は機体だけではなく、端末の表示を追っていた。
速度。
経路。
障害物。
残り距離。
一つ目の交差点。
通過。
資材置場横。
通過。
「普通に行けそうですね」
希美が言った。
製造担当は返事をしなかった。
まだ着いていない。
むしろ今までがきれいすぎた。
その時。
第一機が減速した。
そして。
停止した。
警告音は鳴らない。
回転翼も安定している。
機体は通路の手前で、安全距離を保ったまま止まっていた。
「障害物」
技術責任者が言う。
視線の先。
大型の整備用台車があった。
工具。
資材。
交換部品。
通路の半分以上を塞いでいる。
登録経路の真上。
製造班の生徒が台車へ近づく。
「これ、少しどかせば通れますよね」
「待ってください」
現場責任者が止めた。
「動かさないで」
製造担当が振り返る。
「でも、これ動かさないと通れません」
「分かってます」
「じゃあ五分だけでも」
「今日だけ通しても困るんです」
製造担当の眉が寄る。
現場責任者は台車を指した。
「この台車、いつもここにあるわけじゃありません。今日はここ。明日は別の場所です」
「だから?」
「試験のために片づけたら、その日だけ成功することになります」
製造班の生徒が食い下がる。
「でも受け入れ試験ですよね?」
「だからです」
現場責任者の声が少しだけ強くなった。
「普段と違う状態で成功されても、こちらは受け入れられません」
その場の空気が変わった。
第一機は壊れていない。
障害物検知も正常に働いている。
にもかかわらず。
このままでは使えない。
現場責任者は通路を見渡す。
「図面どおりに何も置かれていない時しか動けないなら、実際の現場では役に立ちません」
もっともだった。
製造担当は時計を見る。
十一時二十七分。
まだ時間はある。
だが。
今日の受け入れを逃せば五日後。
機体を一度戻して。
また現場を片づけてもらって。
その状態だけで通したところで意味はない。
「この台車、いつまでここです?」
彼女は現場責任者へ聞いた。
「早くても夕方」
「別経路は?」
「あります」
現場責任者が構内図を開く。
登録ルートとは別の通路。
少し遠回り。
幅も狭い。
「ここ」
製造担当が拡大する。
「段差は?」
「一か所」
「人の出入り」
「午後から増えます」
「一時的に資材置く場所は?」
「何か所かあります」
製造担当は技術責任者を見る。
「経路追加できます?」
「技術的には可能」
「時間」
「現場確認込みで、一時間半から二時間」
「新しい部品は?」
「いらない」
「機能追加?」
「経路情報だけ」
「安全条件変わる?」
「通路見ないと分からない」
そこまでは早かった。
彼女は次に事業責任者へ向く。
「契約上、この経路追加って初期調整に入ります?」
事業責任者が。
そこで止まった。
「……それは」
ノアも端末を開く。
「確認が必要ですね」
製造担当は思わず画面を見る。
今。
止まるのはそこなのか。
事業責任者は慎重に言った。
「事前登録していなかった経路ですよね」
「はい」
「個別調整に当たる可能性があります」
現場責任者の表情が硬くなる。
「追加料金ですか?」
「まだそう決めたわけではありません」
「でも今日は対応できない?」
「それもまだ」
製造担当は第一機を見る。
この数日前。
監視装置との直接接続を、その場の善意で無償追加しなかった。
それは正しかったと思う。
技術的に可能だからという理由だけで仕事を増やせば、誰かがその時間と費用を背負うことになる。
けれど。
今度は逆だった。
追加料金を取るべき作業と。
製品を使えるようにするため当然やるべき作業。
その境界で、動きが止まっている。
事業責任者がノアへ尋ねる。
「標準経路設定の範囲って、どこまでです?」
「契約文面上は、運用区域内の初期設定とあります」
「それなら何本でも?」
「無制限とは書いていません」
「じゃあ、この経路は?」
「文面だけでは、そこを直接指定していません」
現場責任者が言う。
「でも、施設内で使える状態にするところまで含まれてると思っていました」
事業責任者も引かない。
「一方で、現場ごとの追加調整を全部標準に含めると、作業量が読めなくなります」
「じゃあどこから追加なんです?」
「そこを確認しています」
誰も間違ったことを言っていない。
だから。
止まった。
製造担当は時計を見る。
十一時四十一分。
まだ焦る時間ではない。
だが。
このまま答えの出ない話を続ければ、やがて焦る時間になる。
隣を見る。
修司がいる。
外部担当者。
最近の仕組みを整理した人。
少し前なら。
こういう時こそ、誰か一人に聞きたくなったかもしれない。
しかし。
自分の中で確認する。
技術的に通れるか。
技術責任者。
契約範囲。
ノア。
顧客との扱い。
事業責任者。
再試験までの工程。
自分。
修司へ「どうすればいいですか」と聞く内容は、今のところない。
ただし。
契約を守ろうとするあまり、事業判断が硬くなっている。
修司は少しの間、三者の話を聞いていた。
そして事業責任者へ声を掛けた。
「一つ、確認してもいいでしょうか」
「はい」
「今回先方が求めているのは、約束になかった新しい機能ですか?」
事業責任者が黙る。
修司は続けた。
「それとも、約束した使い方を成立させるための調整でしょうか」
それだけだった。
経路を追加しろとは言わない。
無料とも。
有料とも。
ノアが契約書へ視線を落とす。
現場責任者も第一機を見る。
「私たちが買ったのは」
少し考えながら言う。
「施設の中で、部品や検査機器を運ぶものです」
「はい」
事業責任者が答える。
「障害物を全部自動回避する新機能を追加してほしいわけじゃない」
技術責任者が頷いた。
「障害物検知自体は既に動いてます。今止まったのも正常動作です」
「今回必要なのは?」
「別の安全な経路を登録すること」
ノアが契約書の一部を拡大した。
「初回導入時の標準経路設定、および運用区域内の初期調整」
事業責任者が見る。
「運用区域は変わらない?」
「変わりません」
「積載条件」
「同じです」
「機能追加」
「ありません」
「外部設備との接続」
「なし」
ノアが顔を上げた。
「この条件なら、約束した用途を成立させるための初期調整として扱えます」
事業責任者はしばらく契約文面を見ていた。
すぐには頷かなかった。
「ただし」
皆を見る。
「これを理由に、今後どんな経路追加でも無制限に標準対応するわけではありません」
現場責任者も頷く。
「そこは分かります」
「今回は初回導入。運用区域内。既存機能の範囲。だから契約内で対応します」
「お願いします」
境界ができた。
何でも無料ではない。
何でも追加料金でもない。
製造担当は時計を見る。
十二時四分。
「現場確認、十二時十分開始」
工程表へ入力する。
「技術担当と、現場の方。一緒に歩いてもらえますか」
「もちろん」
「昼休憩どうする?」
同行していた生徒が尋ねる。
彼女は少し考える。
「交代。現場確認組は終わってから」
「再試験何時?」
技術責任者が聞く。
いつもの自分なら、すぐ五分単位で埋めていた。
十五時。
十五時十五分。
十五時三十分。
きれいな数字を先に置きたくなる。
だが。
現場を見ていない。
「確認終わってから決めます」
自分で言って、少し不思議な気分になった。
空欄の工程表が、以前ほど怖くなかった。
迂回候補の通路は、図面より狭かった。
製造担当。
技術担当。
現場責任者。
その三人が先頭を歩く。
修司と希美、事業責任者は少し離れてついてくる。
ノアは契約記録を確認しながら、必要な時だけ会話へ加わった。
「通路幅、測ります」
技術担当がレーザー測定器を向ける。
数値が出る。
製造担当は第一機の幅と、安全距離を重ねる。
「人とすれ違える?」
「この部分は無理」
「じゃあ人来たら機体停止」
「それが安全」
「止まれる場所は?」
少し先。
壁のくぼみ。
「ここなら邪魔になりにくい」
記録する。
次。
床の段差。
「高さ」
「許容範囲。ただし速度落とす」
「どれくらい?」
「通常の半分」
記録。
交差点。
右側が壁で見えない。
そこへ、ちょうど工具箱を押した作業員が出てきた。
製造担当が立ち止まる。
「ここ危ないですね」
現場責任者が頷いた。
「午後はもっと人通ります」
技術担当が少し考える。
「交差点手前で必ず停止。安全確認してから再出発」
「停止位置、ここだと邪魔?」
「もう少し手前」
記録。
さらに進む。
黄色い床線。
「ここは?」
製造担当が尋ねる。
「非常時に空ける通路です」
現場責任者が答える。
「資材も置かない」
「機体も止めたくない?」
「できれば」
技術担当が図面を見る。
「一番短い経路、ここ通るんだけど」
製造担当も確認する。
確かに。
この黄色線を横切るルートならかなり短い。
「何分違う?」
「七、八分」
七、八分。
受け入れ期限は十六時。
短い方がいい。
工程だけを見れば。
使いたくなる。
だが、もしこの場所で人を検知して停止したら、非常通路を塞ぐ可能性がある。
「長い方で」
製造担当が言った。
技術担当が顔を上げる。
「いいの?」
「ここで止まれないなら、使わない方がいい」
「時間は増えるよ」
「七分なら、別で詰めます」
現場責任者が少しだけこちらを見る。
何も言わない。
次の場所へ進む。
壁際に積まれた資材箱。
「これは?」
「日によります」
「もっと大きいの置かれることある?」
「あります」
製造担当は端末上の経路を少し内側へ動かした。
「ぎりぎりで通さない方がいい」
技術担当も頷く。
「安全幅取ろう」
図面の線が。
現場を歩くたびに少しずつ変わっていく。
机上で引いた最短経路とは違う。
だが。
使える経路になっていく。
その途中。
希美が四番整備区画の入口で足を止めた。
中では複数の技術者が一台の設備を囲んでいる。
開いた外装。
測定ケーブル。
待機状態の端末。
「さっきのセンサー待ち?」
希美が尋ねる。
現場責任者が頷いた。
「はい。できるところまでは進めてますけど、検査はそこ待ちです」
一人の技術者が、空になった作業台の前で別の作業記録を整理している。
ただ待っているだけではない。
それでも。
センサーがなければ先へ進めない。
希美はしばらくその光景を見る。
「早く届けたいですね」
言いかけるように唇が動いた。
けれど。
口にはしなかった。
急がせることで安全確認が減るなら意味がない。
「ここまで確認できたら、あとどれくらいですか?」
代わりに製造担当へ聞いた。
「経路登録と、無荷物試走までやります」
「それが終わってから?」
「本配送」
「分かりました」
希美は頷いた。
それ以上は言わなかった。
現場確認が終わったのは、十三時七分だった。
製造担当は端末へ時刻を入力する。
十三時〇七分。
指が止まる。
十三時五分。
その方がきれいだ。
けれど。
終わったのは七分。
彼女はそのまま確定した。
「経路登録、十三時九分開始」
技術担当が端末上で新しい線を引く。
狭い通路。
減速。
交差点停止。
非常通路回避。
資材置場に余裕を持たせる。
製造担当はその横で、再試験までに必要な工程を並べ直す。
経路登録。
机上確認。
無荷物試走。
結果確認。
荷物固定。
本配送。
「無荷物試走、省けませんか」
現場責任者が工程表を見ながら尋ねた。
「時間、少し厳しくなってますよね」
製造担当は時計を見る。
「削るならここじゃないです」
技術担当も頷く。
「新しい経路だから、一回空で通したい」
現場責任者はすぐ引いた。
「分かりました」
急いで受け入れだけ通したところで。
明日使えなければ意味がない。
十四時十一分。
経路登録完了。
十四時二十二分。
技術確認終了。
無荷物試走。
第一機が迂回経路へ入る。
人。
減速。
停止位置。
交差点。
一時停止。
段差。
低速。
資材箱。
安全距離。
一つずつ。
実際に動かす。
途中。
登録時にはなかった小型台車が通路へ出てきた。
第一機が減速。
停止。
作業員が気付き、横を通り抜ける。
数秒後。
再出発。
現場責任者がその動きを追う。
「今のは、いいですね」
希美が尋ねる。
「止まるのが?」
「はい」
現場責任者は少し笑った。
「最初は、止まったから駄目だと思ったんですけど」
第一機はまた進む。
「止まる場所がちゃんとしてれば、止まっても困らない」
製造担当がその言葉を聞く。
故障せず。
何にもぶつからず。
止まる。
それも使える機械の条件なのだ。
無荷物試走が終わったのは十四時五十二分。
製造担当は残り工程を見る。
荷物固定。
最終確認。
配送。
受け入れ。
「本配送、十五時十分開始」
同行していた製造班の生徒が笑う。
「十五時じゃないんだ」
「固定と確認で十八分取る」
「細かいなあ」
「昨日よりまし」
「何が?」
「何でもない」
少し笑いが起きる。
緊張が僅かに緩んだ。
十五時十分。
第一機へ携帯型センサーが積み込まれる。
今度は。
試験用の荷物ではない。
四番整備区画で、本当に必要とされている物。
固定具。
重量。
目的地。
充電量。
経路。
全確認。
現場責任者の端末にも第一機の現在位置が出る。
監視装置へ直接接続しているわけではない。
初回運用用の標準端末。
「始めます」
製造担当が言った。
四基の回転翼が動く。
機体が床から浮き上がる。
低い高度。
ゆっくり進む。
最初の通路。
作業員が向こうから来る。
第一機は速度を落とした。
作業員が横を通る。
再加速。
製造担当は端末と現場を交互に見る。
現在位置。
速度。
残り距離。
異常なし。
交差点。
停止。
右から大型工具箱を押した技術者が現れる。
通過。
第一機が再出発。
段差。
速度低下。
姿勢安定。
通過。
その先。
壁際に、朝にはなかった資材ケースが置かれている。
製造担当の肩に力が入る。
登録経路の端へ少しかかっている。
第一機が減速。
止まるか。
一瞬だけ迷うように見えた。
だが。
現場確認で余裕を取った内側の経路が残っている。
機体は安全距離を保ちながら少し内側へ寄り。
そのまま通過した。
「……行った」
製造班の生徒が漏らす。
製造担当は答えない。
まだ終わっていない。
最後の直線。
四番整備区画が見える。
作業員が何人か、設備の周囲にいる。
そのうち一人がこちらに気付いた。
「それ?」
現場責任者が手を上げる。
「そう!」
第一機が受け渡し地点へ入る。
停止。
着地。
回転翼が止まる。
製造担当は時計を見る。
十五時二十三分。
待っていた技術者が荷台へ近づき、携帯型センサーのケースを外す。
「ありがとうございます」
一言。
そのまま。
踵を返す。
別の技術者がケースを受け取り、作業台で開く。
ケーブル。
本体。
電源。
さきほどまで待機状態だった検査端末が起動する。
短い電子音。
「続き、いけます」
誰かが言った。
「じゃあ測定再開」
作業員たちが元の位置へ戻る。
止まっていた検査が。
何事もなかったように再開する。
第一機の周りから、人がいなくなる。
誰も歓声を上げない。
写真も撮らない。
ドローンを囲まない。
必要な物が届いたから。
仕事へ戻った。
製造担当は。
その光景を見ていた。
第一機そのものではない。
第一機の向こう。
再び動き始めた人たち。
ミレニアムの試験区画で数十センチ浮いた時は。
みんなが第一機を見ていた。
今日は。
誰も見ていない。
それなのに。
あの時より、ずっと「使われた」という感じがした。
「これなら」
現場責任者が隣で言う。
製造担当が振り返る。
「何です?」
「倉庫まで取りに戻らなくて済みます」
あまりに普通の言葉だった。
だが。
その普通のために作った。
製造担当は端末へ入力する。
『十五時二三分 四番整備区画到着』
十五時二十五分へは直さなかった。
帰りの通路で。
現場責任者が事業責任者へ声を掛けた。
「監視装置の件、少し変更したいです」
「内容を?」
「はい」
皆が足を止める。
現場責任者は標準端末を見た。
「最初は、全部つなげたいと思ってたんです」
「機体情報を?」
「制御状態も、運行履歴も、全部見られた方がいいと思ってました」
第一機の位置表示。
配送完了。
充電量。
「でも実際使うと、現場が欲しいのってそこまでじゃないですね」
指を折る。
「今どこにいるか」
一つ。
「何時ごろ着くか」
二つ。
「止まった時、何で止まったか」
三つ。
「あと、充電残量」
四つ。
「現場用の監視画面には、これだけあればいいと思います」
技術責任者が端末へメモする。
「直接制御は?」
「いらないかもしれません」
「詳細な運行ログ」
「管理側には必要かもしれない。でも、現場監視にはいらない」
事業責任者が確認する。
「では、その四項目に限定した接続について、正式な見積もりをご希望ですか」
「お願いします」
「価格と納期は、技術範囲を確認してからになります」
「はい」
「保守範囲も変わる可能性があります」
「それも含めて」
事業責任者が頷いた。
「持ち帰って、変更契約として提示します」
現場責任者は少し笑った。
「最初から全部入れなくてよかったかもしれませんね」
製造担当はその言葉を聞いた。
数日前。
製造室で。
数時間でできるなら、追加してしまえばいい。
サービスした方がいい。
そういう声があった。
自分も少しだけ、そう思った。
もし。
あの時、全部つないでいたら。
必要ないと分かった情報まで。
工数を使って作っていたことになる。
修司は何も言わなかった。
実際に使った人が。
必要なものを。
自分で絞った。
それで十分だった。
十五時三十八分。
受け入れ確認へ入った。
現場責任者の端末に、項目が並ぶ。
施設内運搬。
確認済み。
積載上限内物品配送。
確認済み。
障害物検知。
確認済み。
人員との交差時の減速・停止。
確認済み。
運用区域内の経路設定。
確認済み。
その下へ。
初期調整として追加した迂回経路。
記録。
現在対応していない機能。
既存監視装置との直接接続。
変更契約として検討する項目。
現在位置。
到着予定時刻。
停止理由。
充電残量。
「未対応って、ちゃんと書くんですね」
現場責任者が画面を見ながら言った。
ノアが穏やかに答える。
「現在の契約には含まれていませんので」
「でも、受け入れには問題ない?」
「今回お約束した機能ではありません」
現場責任者は少し考え。
頷いた。
できたこと。
まだできないこと。
今日現場で調整したもの。
次に検討するもの。
全部が分かれた状態で。
署名欄を開く。
電子署名。
確定。
『第一機 受け入れ完了』
製造担当は時計を見る。
十五時四十一分。
終了目標。
十五時四十五分。
「四分余った」
思わず呟く。
隣にいた技術担当が笑った。
「そこ?」
「大事」
「五分単位じゃないけど」
「今日はいいの」
その返事に、自分でも少し驚いた。
事業責任者の端末へ。
中間支払い手続き開始の通知。
製造担当が画面を見る。
「これで入金?」
「まだ」
事業責任者が答える。
「支払い手続きが始まっただけ」
「ですよね」
ユウカなら。
もっと早く同じことを言っただろう。
まだ。
口座には入っていない。
現場責任者が希美へ言った。
「正直、前より少し面倒です」
希美が困ったように笑った。
「すみません」
「でも」
現場責任者は四番整備区画の方向を見る。
「何をやってくれるのかは、前より分かりやすいですね」
「それなら、よかったです」
「追加接続の見積もり、待ってます」
希美は頷くだけだった。
値段も。
期限も。
無償とも。
約束しなかった。
ミレニアムへ戻ったのは夕方だった。
運搬車両から降りた製造担当の生徒は、挨拶もそこそこに製造室へ向かった。
今日一日。
自分は不在だった。
第二機。
第三機。
どこまで進んでいるか。
それが気になっていた。
扉が開く。
締結工具の駆動音。
搬送機の車輪。
端末の確認音。
普通に。
製造室が動いている。
「……あれ」
第一組立台。
第二機。
第二組立台。
第三機のフレーム。
彼女に気付いた生徒が手を上げる。
「おかえり」
「進んでる」
「そりゃ進めるでしょ」
「どこまで?」
「二号機は電源部終わり。三号機はフレーム固定中」
製造担当は壁面工程表へ近づく。
仮固定箇所一覧。
作成済み。
次工程開始前確認。
完了。
通電前本固定照合。
予定欄へ登録済み。
「これ誰が更新したの?」
「午前は私」
別の生徒が振り返る。
「仮固定確認は技術担当とやった」
「問題?」
「なし」
自分がいなかった。
それでも。
止まっていない。
「確認待ちは?」
「契約関係で一件あるけど、今日の工程には影響なし」
「設備予約」
「取れてる」
「人員」
「足りてる」
製造担当は数秒。
そのまま工程表を見た。
自分が。
新しい最終決定者になったわけではない。
自分がいなければ。
製造が止まるようになったわけでもない。
前に自分が失敗して。
その時増やした確認欄を。
今日は別の生徒が使っている。
それで。
第二機が進んでいる。
「納入どうだった?」
「受け入れ終わった」
「おお」
「追加接続は?」
「見積もりになった」
「無料じゃなく?」
「うん」
「怒られた?」
「ちょっと不満そうだった」
製造担当は笑った。
「でも、必要なの減った」
「何それ」
説明しようとしたところで。
入口から声が飛んだ。
「おーい」
環境測定班の生徒。
高精度測定設備を二時間譲った相手だった。
「何?」
「この前の連続測定」
「ああ」
「四日分、最後まで取れた」
それだけ。
製造担当は一瞬。
何と返そうか考える。
「……よかった」
「そっち、納入?」
「今日」
「じゃあよかったじゃん」
「うん」
環境測定班の生徒は、そのまま手を振って去った。
四日分。
残った。
第一機。
納入できた。
どちらか一方を。
最優先という言葉で潰さなくても。
両方。
進んだ。
製造担当は自分の席へ座る。
今日の記録。
七時五十八分。
出発。
十三時七分。
現場確認完了。
十四時十一分。
経路登録完了。
十五時二十三分。
配送完了。
十五時四十一分。
受け入れ完了。
五分単位ではない数字が並んでいる。
少しだけ。
気になる。
それでも。
直す必要はなかった。
帰り際。
製造担当が製造室の外へ出たところで。
朝の男と鉢合わせた。
修司だった。
「あ」
彼女の方が先に気付く。
修司も立ち止まった。
「今日はお疲れさまでした」
「お疲れさまです」
少しだけ気まずい。
何を話せばいいのか分からない。
修司が先に言った。
「今朝はありがとうございました」
「……何がです?」
「搬送機に轢かれずに済みました」
一瞬。
意味が分からない。
数秒後。
朝のことを思い出す。
「白線の中に立たないでください」
「以後気を付けます」
あまりに普通に返ってきて。
製造担当は少しだけ笑った。
「お願いします」
それで終わった。
尊敬も。
感動も。
特別な会話もない。
彼女はそのまま製造室へ戻り。
修司は別の方向へ歩いていった。
翌朝。
ユウカは入金通知を見ても、すぐ資金表を開かなかった。
送金元。
契約番号。
金額。
着金時刻。
一つずつ確認する。
前払金ではない。
第一機受け入れ後の中間支払い。
ノアが契約記録を開く。
「契約番号、一致しています」
「金額」
「中間支払い分と一致」
「残額」
「初回運用確認後です」
「昨日の監視装置接続」
「見積もり依頼です。契約も金額も未確定」
ユウカはそちらを資金へ入れない。
まだ存在しない金だ。
現在使えるのは。
口座へ入った中間金だけ。
「ミコリ」
「はい」
「今の着金分だけ反映して」
「承知しました」
学校全体の資金表。
希美と修司も少し離れた位置から画面を見る。
現在。
資金不足予測。
十七日後。
ユウカが更新を実行する。
残高線が動く。
十八日。
まだ残る。
十九。
残る。
二十。
僅かに残る。
二十一。
そこで。
赤へ落ちた。
「……二十一日」
希美が声を漏らした。
ユウカはすぐに喜ばない。
数字を一度閉じ。
前払金。
中間金。
現在支払い。
延期中の支出。
全部をもう一度確認する。
二重計上なし。
未確定の残額なし。
見積もり予定も入れていない。
「二十一日で合ってる」
希美が画面を見る。
「四日増えた」
「今回入った分だけならね」
「前払金じゃなくて?」
「前払金は、第一機を作るための部品と外注に使ってる」
ユウカは現在の中間金を指す。
「これは、第一機を渡して、受け入れてもらった分」
希美が少しだけ表情を緩める。
「作って」
誰に言うでもなく。
「届けて」
続ける。
「使ってもらって」
そして。
画面の数字。
「戻ってきたお金」
ユウカは短く頷いた。
「そう」
その時。
彼女は何か思い出したように、別の記録を開いた。
資金問題が表面化した直後。
最初に作った三つの案。
その中の一つ。
設備更新延期。
複数事業終了。
資金期限。
二十一日。
希美が現在の画面と見比べる。
「……同じですね」
「数字だけはね」
ユウカは旧案と現在の表を横へ並べた。
旧案。
二十一日。
現在。
二十一日。
同じ数字。
修司は何も言わない。
ユウカもすぐには説明しなかった。
旧案の条件を見る。
設備更新延期。
複数事業終了。
停止による支出削減。
現在の資金表。
ユウカは『終了事業』の欄を開く。
クリック。
一覧。
空白。
何も表示されない。
希美が、その空欄と旧案を見比べる。
「同じ二十一日なのに」
ユウカは腕を組んだ。
「ええ」
以前なら。
事業を止めて。
設備を止めて。
支払いを消して。
得るはずだった時間。
今は。
製造室が動いている。
環境測定も続いている。
第一機は外部施設で実際の機器を運んだ。
第二機と第三機も作られている。
約束したものを届け。
契約で決めた対価が。
実際に口座へ入った。
二十一日。
まだ短い。
その先には。
支払いも。
再審査も。
次の入金条件もある。
資金問題そのものが消えたわけではない。
ユウカは。
それでも終了事業の欄を閉じなかった。
そこには。
何も記されていなかった。