『資金不足まで、二十一日』
朝の会議室で、その数字だけを見れば、状況は数日前より確実に良くなっていた。
十二日しか残っていなかった資金期限は、支払い時期と必要数量の見直しによって十七日まで延び、さらに多目的自律支援ドローンの第一機を納入し、中間支払いを実際に受け取ったことで二十一日へ動いた。
しかも、以前ユウカが作っていた「設備更新を延期し、複数事業を止めて二十一日を確保する案」とは違う。
現在の終了事業欄は、空白のままだ。
だからこそ、朝から各部門の再開申請が相次いでいることにも理由はあった。
壁面モニターの右側には、止めていた耐久試験に必要な部品購入、試作規模を広げるための材料、外部施設を使った実証、保守要員の追加、処理能力が不足し始めたサーバーの更新、次の受注に備えた準備費が順番に並んでいる。
一件増えるたびに、画面の空白が狭くなっていった。
それでも、どの申請にも理由はある。
以前のように「必要だから全部買う」と書かれたものではない。必要数量を絞り、いつ再審査するかを記し、部門ごとの予算範囲も確認した上で戻ってきた申請だった。
修司が会議室へ入った時には、ユウカはすでに一通り目を通し終えていた。
彼女は研究部門から届いた申請を閉じると、隣の資料へ指を滑らせる。壁面には二十一日という数字が残っているのに、その表情には安堵よりも警戒の方が濃かった。
「白石さん、こちらです」
希美が空いている席を引いた。
修司は礼を言って腰を下ろし、正面に並んだ申請へ視線を向ける。
「かなり増えましたね」
「朝だけでこれよ」
ユウカは研究部門の申請をもう一度開いた。
「しかも困ったことに、一件ずつ見ると、そこまで変じゃないの」
耐久試験班はすでに初期解析を終え、次に何を確かめるかも絞り込んでいた。以前のような大量購入ではなく、最初に必要な数量まで減らしている。
「これだけなら、私は通してもいいと思ってる」
次に開かれた教育用ソフトウェアのサーバー更新も、理由そのものは明確だった。利用者が増え、現行設備では処理が詰まり始めている。
さらに、ドローン部門からは第二機と第三機を完成させるための残部品と、出荷前確認費の申請が届いていた。
こちらは新しい挑戦ですらない。既に締結した契約を果たすための支出である。
そのため、製造進行を担当している二年生も今日の会議へ呼ばれていた。
彼女は学校全体の経営判断をするためにいるのではない。第一機の中間支払いが入った後にも、どの工程と支払いが残っているのかを現場側から説明するためだった。
修司の斜め向かいに座り、自分の工程表だけを開いている。
「ユウカさん」
修司が壁面から視線を戻す。
「これらを、各部門が希望している時期どおりに全部動かした場合の資金推移は確認されていますか」
「もちろん」
ユウカの返事は早かった。
「正式な資金表には一円も反映してないわよ。まだ執行してないんだから。ただ、全部通したらどうなるかは先に見た」
そう言って横に置いていた試算を開き、ミコリへ顔を向ける。
「ミコリ、今朝までの申請を希望額と希望時期どおり全部動かした場合、同じ条件でもう一度出せる?」
「可能です。現在の確定残高と確定支出を基準に、申請分のみを追加します」
ミコリは指定された条件を整理する。
公式の資金表には、まだ入っていないドローン契約の残額も、追加注文の予定も、外部支援の見込みも含まれていない。
そこへ、今朝までに届いた支出申請だけを重ねていく。
二十一日まで伸びていた残高線が、画面の中でゆっくり形を変えた。
十九日。
十七日。
十五日。
十三日。
やがて十二日目のところで、線が赤へ落ちる。
『資金不足まで、十二日』
希美が思わず身を乗り出した。
「……戻っちゃった」
「戻ったわね」
ユウカは驚かなかった。
予想していたものが画面へ出ただけだという顔で、申請一覧へ視線を戻す。
研究部門の代表生徒が納得できないように眉を寄せた。
「でも、今出てる申請って、全部おかしいわけじゃないんですよね?」
「そうよ」
「だったら、どうして十二日に戻るんですか」
ユウカは申請を一件開いた。
「あなたたちだけじゃないから」
「え?」
「研究部門は、この額なら学校全体を壊さないと思った。事業側も同じ。情報基盤も施設側も、自分たちの一件なら問題ないと考えてる」
別々の申請が、壁面に横並びになる。
確かに、一つ一つは学校全体を揺らすほど巨大な支出ではなかった。
修司はその並びを見ながら言った。
「各部門が見ている余力が、同じなんですね」
研究部門の生徒が二十一日の表示へ目を向ける。
「余力?」
「十二日から二十一日へ延びた。その増えた分の一部なら、自分たちの案件へ使っても全体は壊れない、と、それぞれが判断している」
ユウカが頷いた。
「誰も『増えた九日を全部うちによこせ』なんて言ってない。でも全員が『自分たちの一件くらいなら』って考えてる」
ミコリが各申請の前提を整理すると、一本の入金予定から複数の計画へ線が伸びていった。
ドローン契約の残額。
教育ソフトウェアの外部支援。
現在確保している全体資金の余力。
そこから研究設備の拡張、共通サーバーの更新、次回材料購入、外部実証の再開へ、それぞれの期待がつながっていく。
「公式会計で同一金額を二重に計上しているわけではありません」
ミコリは淡々と説明した。
「ただし、各部門の再開計画では、将来発生すると考えられている余力が複数用途に期待されています」
製造進行の二年生が、ドローンの残額から研究設備へ伸びている線をじっと見た。
「これ、残額が入ったら研究設備にも回せる想定なんですか」
「そう考えている申請があるってこと。ただし、その残額自体まだ入ってないわ」
ユウカが答える。
製造担当は少し考え、自分の工程表を壁面へ送った。
「それ以前に、入っても全部余りにはならないです」
第二機。
第三機。
その後ろに出荷前試験と、初回運用後の保守準備が続く。
研究部門の代表が尋ねた。
「でも中間金はもう入ってますよね?」
「入ってます。でも、初回契約は終わってません。第二機も第三機も途中ですし、全部の部品代を払い終えたわけでもない。出荷前確認も、初期不良が出た時の対応も残ってます」
「じゃあ、利益じゃない?」
「少なくとも全部は違います」
彼女は一度言葉を止め、自分の工程を見てから言い直した。
「入ってきた金でも、まだ私たちが自由に使っていい利益じゃありません。今してる約束を終わらせるための金が混じってます」
修司は壁面に伸びた複数の線を見た。
会計表の誤りではない。
部門ごとの判断も、一件ずつなら無茶ではない。
それでも、一つの入金や一つの余力へ、複数の使い道が先回りしている。
「一つのお金に、二つ以上の使い道が予約されている状態ですね」
会議室から、しばらく返事がなくなった。
問題は、単純に金額が足りないということだけではない。
金が入った後、そのうちどこまでが今ある約束を守るためのもので、どこからが次に使える余力なのか、その境界が学校全体で共有されていなかった。
少し増えるたび、それぞれが少しずつ動こうとする。
全部を重ねれば、また十二日へ戻る。
ユウカが腕を組んだ。
「何も変わってないじゃない」
声には明らかな苛立ちが混じっていた。
修司は首を横に振る。
「一つだけ違います。以前なら、この十二日を支出した後で知っていた可能性があります」
「今は使う前に分かった」
「はい」
「でも、それで?」
「それだけで終わらせるつもりはありません」
修司は、二十一日ではなく、その下に現れた十二日の表示へ視線を向ける。
「今回は、資金期限を何日まで延ばせるかだけではなく、次の入金が予定どおり来なければ、既にした約束を守れなくなる状態そのものを変えたいです」
ユウカが目を細めた。
「二十一日を守るのが目的じゃない?」
「はい」
「じゃあ、何から変えるの」
修司はすぐには答えず、壁面に並ぶ支出予定を見た。
最初に口を開いたのは施設管理担当だった。
「一番安全なのは、やっぱり貯めることじゃないですか」
全員の視線がそちらへ向く。
「最低限必要な固定支出を一か月分確保するまでは、新しい購入を止める。三十日分くらい貯まってから、順番に再開するんです」
研究部門の代表がすぐに顔をしかめた。
「三十日も?」
「次の入金が遅れても、すぐ資金不足にはならないでしょう」
ユウカはその案を笑わなかった。
「資金だけ見れば、かなり安全になるわ」
施設管理担当が少し期待するように顔を上げる。
「ただし、その一か月は研究も事業拡大も止まる」
研究部門の代表が自分の申請を開いた。
「外部試験の枠は、来月また取れる保証がありません。今回逃したら、同じ条件で試せない可能性があります」
「でも、資金が尽きたら試験どころじゃない」
施設管理担当も引かない。
「それはそうです。でも資金を貯めるために全部止めるなら、前に出ていた事業停止案と本質的にそんなに変わらなくないですか」
「終了はしません」
「一か月止めた研究が、一か月後に同じ場所から始められるとは限りません」
その反論に、施設管理担当は口を閉じた。
貯めること自体が間違っているわけではない。
むしろ、後で必要になる。
ただ、資金を守るために活動そのものを一律で止めれば、未来の成果や収入まで削ることになる。
次に事業責任者が手を挙げた。
「だったら、売上を増やす方はどうですか。ドローンの追加受注を取りに行く」
ユウカがそちらを見る。
「第一機で実績はできました。次からは契約条件も最初から標準化できるし、初期費用を前払いにする条件も使えます。以前みたいに、売れるほど資金が苦しくなる契約ではない」
希美が確認する。
「追加受注で利益を作る?」
「はい」
その案にも理屈はある。
しかし製造進行の二年生が、すぐに首を横へ振った。
「次の注文を取ること自体は、いいと思います」
事業責任者が彼女を見る。
「でも?」
「それを今の資金対策にはしないでください」
「どうして?」
彼女は第二機と第三機の工程を開いた。
「今の初回契約がまだ終わってないからです」
「追加注文なら、追加分の前払金を取れば」
「契約になれば、ですよね」
少しだけ身を乗り出す。
「まだ注文にもなってないのに、そのお金で今の支払いを考えるのは違います。それに、人と設備も今の約束で埋まってます。次を受けるなら、第二機と第三機を崩さない日程を先に作ってください」
事業責任者も譲らない。
「前払条件なら、資金リスクはかなり下げられる」
「はい。でも、見積もりも仕様確認も設備予約も人員調整も、前払金が入る前から始まります」
彼女はそこで少し言葉を選んだ。
「また『売れそうだから先に準備しよう』って戻るのが嫌なんです」
事業責任者は何か言い返しかけたが、やがて椅子へ少し深く座り直した。
「……それは、分かる」
受注を増やすことは必要だ。
ただ、まだ存在しない次の注文を、今ある資金不足の穴埋めとして扱えば、いずれ条件を緩める理由になる。
研究部門の代表は、今度は希美へ顔を向けた。
「だったら、外部支援はどうですか」
希美は視線に気付き、少し考えてから答える。
「探すことはできますよ」
研究部門の生徒の表情が少し明るくなる。
「ただ、それを今日の支出には使えません」
「決まれば使えますよね?」
「決まれば、です」
希美は過去の支援記録を開いた。
申請して終わりではない。審査があり、利用条件があり、成果報告があり、継続するなら再確認がある。
「金額も入金時期も条件も、まだ決まっていません。だから『取れるはず』では今日の支出を決められません」
「先生が交渉して、早めてもらうことは?」
希美は少し困ったように笑った。
「それを全部やったら、今度はお金の代わりに私の予定がなくなります」
会議室は静かなままだった。
「支援を受けることが悪いわけじゃありません。必要なら探します。でも、その後の報告も成果確認も継続交渉も、全部私が引き受けたら、資金不足を私の仕事量へ置き換えるだけです」
活動を止めて貯める。
販売を増やす。
外部支援を探す。
どれも捨てる必要はないし、今後は必要になる。
ただし、それだけで解決しようとすれば、結局は次の何かが届くまで耐える話から離れられない。
ユウカは壁面を見たまま尋ねた。
「じゃあ、何から触る?」
修司は十二日の残高線ではなく、その下に毎月並んでいる支払いへ目を移した。
「新しい仕事を何もしなくても、毎月出ていくお金を見せてもらえますか」
ユウカの返事は早かった。
「出してある。削減候補も前からあるわよ。ただ、実行できなかった」
「理由は?」
その質問に答えたのは、情報基盤管理担当だった。
「まとめた後、誰が全部持つのか決まらなかったからです」
固定支出一覧の中には、今日更新停止の通知を出さなければ、そのまま次期契約へ入る保守契約が二件あった。
一つは教育用ソフトウェアの一般配信用環境。
もう一つは、複数の事業が個別に持っている互換性のある予備設備。
似た役割の設備に、それぞれ別の保守料が発生している。
「この二件は前から統合候補です。ユウカさんからも何度か案が来てます」
情報基盤担当が言うと、ユウカはすぐ頷いた。
「削減できる金額も、とっくに計算してる」
希美が首を傾げる。
「それなら、どうして実行しなかったんですか?」
「全部まとめれば済む話じゃないからです」
情報基盤担当は少し苛立ったように、研究用、教育用、事業用の環境を並べた。
「研究データは機密性が違うし、使用時間帯も違います。高負荷処理をやる部門もある。一つにまとめて障害が出たら、今度は全部まとめて止まる可能性もあります」
研究部門の代表がすぐに言う。
「研究環境まで共通化されるのは困ります」
「私もしたくありません」
「じゃあ削れない?」
「そうじゃないです」
今度は情報基盤担当の声が強くなった。
「教育ソフトの一般配信とか、問い合わせ管理みたいに、別々で持つ理由が薄いところはあります。互換性のある予備機だって、部門ごとに一台ずつ持つ必要はない」
ユウカが候補を二件だけ残した。
「この二つは、今日止めないとまた一か月分出る」
ノアが契約条件を開く。
「一件は本日が更新停止通知の期限です。もう一件も今日中なら、次回から縮小契約へ変更できます」
「移行費は?」
「残ります」
「全部ゼロにはならないってことね」
「はい」
修司は情報基盤担当へ尋ねた。
「以前の統合案が止まった一番大きな理由は、技術的にできなかったからではないんですね」
「技術だけならできます」
「では?」
情報基盤担当は、しばらく黙った。
指先が、自分の担当欄の上で止まる。
やがて低い声で言った。
「統合した後、全部こっちに来るからです」
ユウカが資料から顔を上げた。
研究部門の生徒も、さきほどまで見ていた画面から視線を外す。
「障害が出たら、誰に連絡が来ると思います? 高負荷利用の部署が二つ重なったら、どっちを止めるか誰が決めるんです? 予算を超えたら私が削るんですか? 契約トラブルまで?」
情報基盤担当の声には、怒りよりも疲れが混じっていた。
「『共通環境だから管理担当で』ってされたら、結局、技術も予算も利用調整も全部こっちになるんです」
会議室が静まった。
彼女が訴えているのは能力不足ではない。
共通化した瞬間、今度はそこへ技術管理、予算、利用優先順位、契約責任まで集められることへの拒否だった。
研究部門の代表が少し迷いながら言う。
「だったら、統合しない方が……」
「だからって、毎月余計に払うのも嫌です」
情報基盤担当はすぐ返した。
無駄な固定費も嫌だ。
新しい一人の最終責任者になるのも嫌だ。
どちらも、もっともだった。
修司はそこで「ではこうしましょう」と解決案を読み上げなかった。
「先に、管理担当が決めなくてよいものを分けてもいいですか」
情報基盤担当が修司を見る。
「予算上限は?」
「私が持つ」
ユウカが答える。
「契約変更は?」
「私が確認します」
ノアが続く。
「利用部門同士の優先順位は、情報基盤担当一人が決めるべきでしょうか」
研究部門と事業責任者、それぞれの利用側が顔を見合わせた。
誰も「管理側へ任せる」とは言わなかった。
修司は最後に尋ねる。
「技術的に停止が必要な場合は?」
「それなら、管理側で判断できます」
情報基盤担当の答えに迷いはなかった。
修司は頷いた。
「でしたら、全部を一人へ集める必要はありませんね」
ユウカが共通環境の案を書き換えた。
機密性の高い研究環境は独立維持。特殊な高負荷環境も残す。一方で、教育ソフトウェアの一般配信と事業問い合わせ管理は共通環境へ段階的に移し、互換性のある予備機は共通予備として管理する。
情報基盤担当も席を立ち、壁面の横へ移った。
先ほどまで拒否していた統合案に、自分から条件を書き足していく。
「高負荷利用の部門は追加負担にしてください。共通だからって、ほとんど使わない部署まで同じ額を持つのはおかしいです」
「使用量と必要性能で分ける」
ユウカが入力する。
「障害時の停止権は技術側で持ちます」
「復旧優先順位も、事故が起きてから私がその場で選ばなくていいように先に決めてください」
「それも入れる」
「全部まとめるか、何もまとめないか」だった話が、どこを共通にし、何を独立させ、誰がどこまでを持つかという具体的な形へ変わっていった。
ノアが二件の契約だけを残す。
「今日止められるのは、この二件です」
「移行先は本当に使える?」
ユウカの質問に、情報基盤担当は確認済みの資料を出した。
「一般配信側は安全確認済みです。問い合わせ管理も、段階移行なら問題ありません」
「じゃあ、送れる?」
情報基盤担当は念のためもう一度画面を確認した。
そこには、自分一人の名前ではなく、予算、契約、利用側、技術側の担当がそれぞれ入っている。
数秒見たあと、頷いた。
「送れます」
ノアが更新停止通知を作成し、一件目を送信した。
続けて、もう一件の縮小変更通知も送る。
しばらくして契約管理システムへ受付表示が出た。
『更新停止通知を受領しました。現契約は指定日をもって終了します』
もう一件にも、次回更新から変更後条件を適用するという受付番号が付く。
人間から都合よく即答が返ってきたわけではない。
契約上、今日までに必要だった通知が受理されたという記録だった。
ノアは受付番号と条項を照合し、最後に期限を確認してから言った。
「これで、次回更新分は発生しません」
ユウカは移行に必要な費用と安全確認費を残したまま、将来支出から二件の更新費だけを外した。
壁面の先の日付から、二つの数字が消える。
誰も歓声は上げなかった。
ただ、今まで「削減可能」と資料に書かれていただけの固定費が、本当に支払わなくてよい予定へ変わった。
その後に扱った問題は、同じ密度で一つずつ制度へ仕上げることはしなかった。
固定費を実際に二件止めたことで、次に整理しなければならない境界が見えたからだ。
ノアが、小型設備検査機や環境測定装置、教育用ソフトウェアの導入後対応をいくつか表示する。
そこには、初期設定、現地調整、形式変換、定期点検、研究データ取得まで、性質の違う仕事が同じ「導入後支援」の中へ入っていた。
製造進行の二年生が首を傾げる。
「これ、どこまで無料なんですか」
「案件によるけど、かなり曖昧」
事業責任者が苦い顔をした。
ノアが契約文面を開くと、『必要に応じた設定対応』という表現だけがあり、回数も期間も作業時間の上限も書かれていないものがある。
一方で希美は、利用者から実地データを得るため、研究側から協力をお願いしていた案件も混じっていると指摘した。
「それまで全部有料にしたら、研究に必要な協力までなくなりませんか」
「でも、研究だからって無制限に無料も違うと思います」
研究部門の代表が過去記録を見ながら言った。
そこで、今日から既存利用者への支援を切るのではなく、次回更新へ向けて三つに分けることにした。
初期不良や標準設定、基本的な利用案内は基本料金の範囲。
定期点検や追加設定、個別形式への変換は継続保守として次回更新時に選択肢を提示する。
研究のために必要な協力は「無料対応」とまとめず、取得するデータ、作業時間、対象設備、協力期間を研究側が明示し、研究予算から負担する。
ただし、まだ誰も新しい保守契約へ同意してはいない。
研究部門の生徒が「今の資金表にはいくら入れるんですか」と尋ねると、ユウカは迷わず「ゼロ」と答えた。
まだ契約していない収入だからだ。
運転予備資金についても、その場でドローンの中間金を取り分けることはしなかった。
ユウカが将来の確定利益から一定額を残したいと話した時、製造進行の二年生は一度表情を硬くした。
「第二機と第三機の分まで共通資金にされたら困ります。保守も残ってます」
「そこは先に確保する」
ユウカははっきり答えた。
現在の契約を終えるための製造費。
約束した保守。
不具合や再製造に備える分。
次期改良に必要な最低額。
それらを残したあとで、初めて確定利益として扱う。
「黒字部門から取れるだけ取ったら、次の改良も事業も止まるでしょ。そんなことはしない」
製造担当の生徒はその順番を確認し、それ以上は反発しなかった。
学校全体の予備資金については、定期入金が空く最大間隔と過去の緊急修理実績から、最低固定支出十四日分を最初の目標とした。
ただし、今日の中間金をそのまま積み立てることはしない。
ドローン契約はまだ終わっていないからだ。
さらに、災害通信中継網や教育ソフトウェアの基盤部分、共通サーバー、安全維持設備のように、特定の商品事業だけへ押し込むと採算を歪める支出については、『共通基盤費』として別の負担軸で見ることにした。
基礎研究、試作・実証、事業という活動分類は変えない。
今日決めたのは、販売事業の赤字へ全部を押し込むことをやめ、最低維持範囲と利用部門、固定費上限を誰がいつまでに整理するか。
そこまでだった。
一つの会議で、すべてを完成させようとはしなかった。
午後に入ったところで、ユウカが時計を確認した。
「今、数字へ入れられるものだけ入れるわよ」
未契約の追加注文は入れない。
監視装置接続の見積もりも入れない。
新しい有償保守契約も、外部支援も、将来のドローン純利益もゼロのまま。
今日確定したのは、更新停止と縮小変更が受理された二件の固定支出だけだった。
ユウカは移行費を残した金額を自分で確認したあと、修司へ視線を向ける。
修司はミコリへ尋ねた。
「この確定した削減分だけを反映した資金推移は出せますか。ほかの未確定条件は現在値のままで」
「可能です」
壁面に再び『資金不足まで、二十一日』と表示される。
ミコリが支出予定を更新すると、二十二日目に以前なら重なっていた保守更新費が消え、代わりに移行費だけが残った。
その分だけ残高線が赤を避ける。
翌日。
二十三日目に入ったところで、初めて線が下へ落ちた。
『資金不足まで、二十三日』
研究部門の代表は、数字を見たまましばらく動かなかった。
「……二日?」
その声には、隠しようのない落胆があった。
「これだけやって、二日だけですか」
情報基盤担当も、午前中から何度も画面を切り替えていた疲れを隠さず、二十三日を見上げる。
契約を読み。
統合範囲を切り。
責任を分け。
実際に更新停止まで送った。
それでも、増えたのは二日だけだった。
ユウカも笑わない。
「二日ね」
「第一機の中間金では四日増えましたよね。だったら、やっぱり売上を増やした方が早いんじゃ……」
修司はその結論を否定せず、研究部門の代表へ尋ねた。
「今回は、現金はいくら増えましたか」
「増えてません」
「では、何が変わりました?」
「支払いが減った」
「その支払いは今回だけですか」
そこで生徒は答えを止めた。
ノアが契約記録を翌月へ送り、その次の月へ送る。
更新停止した支払いは、どちらにも戻ってこない。
ユウカが画面を指した。
「二日そのものが毎月残るわけじゃないわよ。ほかの入出金が変われば、何日分になるかも変わる」
希美が尋ねる。
「でも、固定費そのものは?」
「契約を元に戻さない限り、来月も出ていかない」
希美は昨日の中間支払いを思い出すように頷いた。
「第一機で増えた四日とは、そこが違うんですね」
「そう。一度入った金は使えば減る。でも、今日消した固定費は来月になったからって勝手には戻ってこない」
修司も二十三日の表示を眺めた。
「小さい改善です」
研究部門の生徒が苦笑する。
「本当に小さいですね」
「はい。ただ、次の注文が来なければ消える二日ではありません」
ユウカはしばらく腕を組んだまま表示を見ていた。
満足できる長さではない。
一か月にも届かない。
それでも、やがて小さく頷く。
「こういう二日なら、増やす意味はある」
修司は、そこで資金表を閉じなかった。
二十三日という数字が、予定どおりに物事が進んだ時だけ成立するなら、結局また次の入金へ依存する。
「一度、条件を悪くして見てもよいでしょうか」
ユウカが顔を向けた。
「何を重ねる?」
「まず、未契約の追加注文はゼロのまま。監視装置接続も見積もり段階なので収入ゼロ。外部支援の更新もゼロで」
「そこは当然」
ユウカが頷く。
修司は続ける。
「その上で、確定している契約入金が、契約上許される範囲で五日遅れた場合はどうでしょう」
ユウカの表情が少し険しくなった。
「あり得るわね」
施設管理担当が過去記録を開き、平均程度の緊急修理を一件追加する。
製造進行の二年生も部品見積もりを確認した。
「部品価格は、今の見積もり上限で見た方がいいと思います」
ユウカが頷き、修司はミコリへ尋ねる。
「この条件を重ねた場合の推移も出せますか」
「可能です」
入金が五日後ろへ動き、緊急修理費が加わり、部品価格は見積上限へ置き換わる。
二十三日だった線は途中から急に細くなり、十六日目で赤へ落ちた。
「現在計画のままでは不足します」
ミコリの表示を見て、研究部門の代表が椅子へ背を預ける。
「二十三日どころじゃないじゃないですか」
「だから、今見たかったのよ」
ユウカは既に支出が重なる場所を開いていた。
ドローンの次工程。
保守部品購入。
研究設備の規模拡大。
共通設備更新。
それらが近い時期へ集中している。
製造進行の二年生が工程を確認した。
「ドローンは、全部この日に払わなくてもいいです。次の着金確認までは、今ある部品で進められるところまで進めます」
技術責任者が契約納期への影響を確認し、その範囲なら問題ないと答える。
研究部門の代表も自分の申請を見た。
「設備拡大も……初期試験だけなら今の設備でできます」
「なら規模拡大は結果が出てから?」
ユウカが確認すると、研究代表の表情が曇った。
「また研究だけ後ろですか」
会議室の空気が少し張る。
「事業は進むのに、研究はまた待てって?」
製造担当の生徒も、すぐには引かなかった。
「こっちだって全部進めてません。今やってるのは契約で約束した分です」
「うちだって外部試験は研究上の約束です」
互いに正しい部分がある。
修司も希美も、すぐには口を挟まなかった。
ユウカが研究申請を開き直す。
「何を確認する試験なの?」
「新しい制御条件で、負荷がどこまで変わるか」
「最初の四台で分かる?」
研究代表は技術担当と目を合わせた。
「傾向は見られます」
「十二台必要なのは?」
「再現性を上げるためです」
「最初の傾向が出てからじゃ駄目?」
研究代表はすぐには返さなかった。
自分の申請額。
今ある設備。
試験工程。
しばらく見比べる。
「……傾向自体が出なかったら、十二台買う意味ないですね」
「そういうこと」
ユウカは申請を、初期試験と規模拡大へ分けた。
研究を止めるのではない。
まず四台で進め、結果が出たところで規模拡大をもう一度判断する。
「四台は通る?」
「部門予算内なら通せる」
「じゃあ、それで」
研究代表はまだ完全には納得していない顔だったが、自分で申請を修正した。
保守部品も、全数一括ではなく故障履歴から算定した最低在庫だけを先に買う。
共通設備更新も全移行を一度に行わず、一般配信部分から段階的に進める。
実証も最大規模から始めず、現在確認できる資金に合わせて対象を限定する。
誰も事業を終了しろとは言わなかった。
何も削らず全部進めるとも言わない。
今確認できる資金と、今守る約束に、支出の大きさと時期を合わせていく。
二度目の試算では、入金が五日遅れ、緊急修理が一件発生し、部品価格が見積上限でも、次の確認日まで残高は赤へ落ちなかった。
希美が画面を見ながら尋ねる。
「これなら大丈夫ですか?」
ユウカは首を横に振る。
「大丈夫じゃない。でも、五日遅れたくらいで、その場で約束を破って終わる必要はない」
修司はその言葉を確認してから言った。
「では、どの条件が崩れたら再び計画を見直すかも残しておきましょう」
ドローン部門は、次の着金確認を次工程の条件にする。
研究部門は、初期試験結果を規模拡大の再審査条件にする。
共通環境は、第一段階の移行完了を次の判断点にする。
いつ。
何を見て。
誰が変更するのか。
今度は、それぞれが自分の担当欄へ書き込んでいった。
会議の結論は、会議室の中だけには残らなかった。
朝から積み上がっていた申請が各担当へ戻り、現場で一つずつ形を変えていく。
新しい現金支出を必要としない解析作業には即日再開の通知が届き、研究室では保存されていたデータが開かれた。止まっていた解析処理が再び走り始め、端末の冷却ファンが低い音を立てる。
別の研究室では、十二個を希望していた部品発注が四個へ変わった。
「四個?」
担当生徒が画面を確認する。
「最初の試験に必要なのは四つ。続きは結果が出てから」
部門予算担当の説明を聞いた生徒は、少しだけ考えたあと頷き、四個分の注文を確定した。
情報基盤室では、個別保守契約の自動更新表示が一件消え、その代わりに共通環境への第一段階移行が表示される。
利用部門の確認。
技術確認。
契約処理。
それぞれに別の担当名が入り、情報基盤管理担当の欄には、技術上の移行と停止条件だけが残った。
希美の端末にも外部関係の確認依頼が届く。
以前なら、支援、利用者対応、契約調整、費用確認まで、何かあるたび彼女の名前が入っていた。
今、希美が持つのは利用者への影響と教育的価値、外部との関係だけだった。
「減りましたね」
自分の画面を見ながら希美が呟く。
修司が隣から見る。
「何がでしょう」
「私の名前。前は、どこを見てもいたので」
少し笑ってから、修司を見る。
「戻したいですか」
「絶対嫌です」
返事は早かった。
一方、製造室では、製造進行の二年生の端末へ『第二機・第三機 契約履行費確保済み』という通知が届いた。
製造費。
出荷前確認費。
初期保守準備。
用途ごとに必要額が先に確保されている。
朝、運転予備資金という言葉を聞いた時は、自分たちがようやく得た金を別の赤字へ持っていかれるのではないかと警戒した。
しかし今の表示には、現在の約束を果たすために必要な金が先に残されている。
近くの生徒が尋ねる。
「どうだった?」
「第二と第三の分は確保」
「じゃあ午後も予定どおり?」
彼女は工程表を一度だけ確認した。
「予定どおり」
それだけ答え、端末を閉じた。
製造室の奥では、既に締結工具が低い駆動音を立てている。搬送機の車輪が床を転がり、部品ケースの留め金が外れ、誰かが型番を読み上げる。
別棟の研究室でも、再開された解析端末のファンが回っていた。
夕方。
修司が再び会議室へ戻ると、壁面には朝とは違う数字が残っていた。
『資金不足まで、二十三日』
ユウカも同じ表示を見ている。
希美が隣で呟いた。
「まだ短いですね」
「短いわよ」
「安全ですか?」
「全然」
ユウカは即答した。
「でも、朝は全部通したら十二日でした」
「全部通してたらね」
ユウカは未来支出を開いた。
今日更新停止した二件だけは、翌月の欄でも、その次の欄でも元の金額へ戻っていない。
「白石さん」
「はい」
「こういうの、ずっとやるの?」
「こういうの、とは?」
「一件ずつ見て、二日とか三日とか増やすやつ」
少し嫌そうな顔だった。
修司はわずかに考える。
「一度で大きく変えられる機会があれば、それも使うべきだと思います」
「そうじゃなくて」
「ただ、大きな注文がない日にも改善できるなら、その方が強いとは思います」
ユウカは壁面を見たまま、小さく息を吐いた。
「……それはそう」
昨日は、第一機を作り、届け、受け入れてもらい、実際に入った中間支払いで十七日が二十一日へ延びた。
今日は、現金そのものは一円も増えていない。
それでも、二十一日が二十三日へ変わった。
その二日が、来月もまったく同じ二日として残るわけではない。入金も支出も変われば、資金期限の日数も変わる。
けれど。
ユウカが翌月の支出欄へ指を滑らせても、今日止めた二件の固定費は戻ってこなかった。
さらに次の月へ送っても。
同じだった。
修司は二十三日という数字を勝利とは呼ばなかった。
ユウカも、希美も、それだけで安心できるほど状況が良くなったとは思っていない。
ただ。
その二日は。
まだ届いていない注文から借りた時間ではなかった。