先生はモームリ   作:風神ぷー

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ストック解放!解放!解放!解放!解放!解放!


第六話 先生が戻る前に

 

 

先生が休暇に入って、三日目の朝。

 

連邦生徒会の臨時対策室には、昨日までとは違う空気が流れていた。

 

混乱は、まだ残っている。

 

不満も、消えていない。

 

だが、最初の日にあった絶望的なざわめきは薄れていた。

 

各学園からの申請は、決められた窓口へ届くようになっている。

 

緊急度の判定も、少しずつ機能し始めている。

 

先生への直接連絡は、今日の朝までゼロ件。

 

それは小さな数字だった。

 

だが、リンにとっては信じられないほど大きな数字だった。

 

「三日連続で、先生直接対応ゼロ件です。」

 

リンが端末を確認しながら言った。

 

声には、わずかに安堵が混じっている。

 

モモカは机に突っ伏したまま片手を上げた。

 

「やりましたねー。」

 

「先生を休ませるために、私たちが休めないという謎の構造ですけど。」

 

「その構造も改善対象です。」

 

白石修司は、朝から変わらずノートパソコンへ向かっていた。

 

白い髪。

 

紺色のスーツ。

 

疲れた表情は見せない。

 

ただ、コーヒーだけは昨日より濃くなっている。

 

モモカはそれを見逃さなかった。

 

「コンサルさん。」

 

「はい。」

 

「もしかして寝てません?」

 

リンが顔を上げる。

 

修司は画面から目を離さない。

 

「三時間ほど。」

 

「それ、先生と同じ道ですよね?」

 

モモカの声が少し低くなった。

 

普段の軽さがない。

 

リンも表情を引き締める。

 

「白石さん。」

 

「あなたまで倒れては意味がありません。」

 

修司はキーボードを打つ手を止めた。

 

数秒、沈黙する。

 

「ご指摘の通りです。」

 

モモカが目を丸くする。

 

「素直。」

 

「事実ですので。」

 

修司は画面を閉じる。

 

「本日より、私自身の稼働時間も管理対象に入れます。」

 

リンは少し驚いたように瞬きをした。

 

「ご自分も、ですか。」

 

「はい。」

 

「組織改革担当者が属人化すれば、それは改革ではなく一時的な穴埋めです。」

 

「私がいないと回らない仕組みなら、先生が白石修司に置き換わっただけです。」

 

モモカは椅子の背にもたれた。

 

「自分で気付けるなら最初から寝てくださいよ。」

 

「人類は自分のことになると判断が鈍ります。」

 

「自覚あるんですね。」

 

「あります。」

 

修司は短く答える。

 

リンは思わず少しだけ笑った。

 

完璧ではない。

 

この男も、人間なのだ。

 

先生と同じように。

 

倒れる可能性があり、間違える可能性がある。

 

だからこそ、自分も仕組みに入れる。

 

それは、白石修司らしい判断だった。

 

ミコリが静かに口を開く。

 

「提案。」

 

「白石修司の稼働管理を開始。」

 

空中に画面が表示される。

 

勤務開始。

 

休憩。

 

食事。

 

睡眠予定。

 

対応上限。

 

リンは目を細める。

 

「ミコリさん、準備が早いですね。」

 

「昨日の時点で必要性を予測。」

 

「なら先に出してくださいよー。」

 

モモカが不満そうに言う。

 

ミコリは無表情のまま答えた。

 

「本人が拒否する可能性を考慮し、提示を保留していました。」

 

モモカは修司を見る。

 

「信用されてませんね。」

 

修司は否定しなかった。

 

「妥当です。」

 

リンは画面を確認する。

 

白石修司。

 

本日対応可能時間。

 

八時間。

 

休憩。

 

二回。

 

食事。

 

必須。

 

深夜対応。

 

原則禁止。

 

モモカが拍手した。

 

「いいですね。」

 

「コンサルさんにも休暇モード付けましょう。」

 

「必要なら。」

 

修司は言った。

 

「付けないと勝手に働く人間の顔ですよ。」

 

モモカの指摘に、リンが静かに頷いた。

 

「同意します。」

 

ミコリも無表情で続く。

 

「同意。」

 

三対一。

 

修司は数秒だけ黙った。

 

「分かりました。」

 

「本日より、私の深夜稼働も禁止します。」

 

モモカは満足そうに頷く。

 

「よろしい。」

 

リンは端末へ入力した。

 

『モームリ稼働管理規則・暫定版』

 

先生だけではない。

 

リンだけでもない。

 

モモカだけでもない。

 

修司も含めて、誰か一人が無理をしない仕組みを作る。

 

それが、ようやく形になり始めていた。

 

その時、ミコリが新しい通知を表示した。

 

「先生よりメッセージ。」

 

リンの背筋が伸びる。

 

「内容は。」

 

ミコリが読み上げる。

 

『おはようございます。昨日は返信しなくてすみません。今日も休みます。皆さんも無理しないでください』

 

対策室に、ほんの少しだけ柔らかな空気が流れた。

 

モモカが机に頬を乗せたまま呟く。

 

「先生、いい人ですねぇ。」

 

リンは目を伏せる。

 

「はい。」

 

「だからこそ、守らなければなりません。」

 

修司は短く言った。

 

「返信は。」

 

「します。」

 

リンはすぐに答えた。

 

「ですが、短く。」

 

修司は頷く。

 

リンは文面を打つ。

 

『おはようございます。休暇継続を確認しました。こちらも稼働管理を開始しました。返信不要です』

 

送信。

 

既読。

 

返信は来ない。

 

リンは小さく息を吐いた。

 

「よし。」

 

モモカが笑う。

 

「返信しない先生、えらい。」

 

「休暇中は、それが最適です。」

 

ミコリが淡々と補足する。

 

その時、修司が別の画面を開いた。

 

「本日の主題に入ります。」

 

「主題?」

 

リンが尋ねる。

 

「先生復帰後の設計です。」

 

対策室の空気が変わった。

 

先生は今、休んでいる。

 

だが、いつか戻る。

 

十四日後。

 

あるいは、それより後。

 

その時、以前と同じ状態へ戻れば全てが無駄になる。

 

リンは表情を引き締めた。

 

「先生が戻った後も、この仕組みを維持するということですね。」

 

「はい。」

 

修司は画面へ新しい資料を表示する。

 

『先生復帰後運用案』

 

そこには、いくつかの項目が並んでいた。

 

先生対応時間の制限。

 

直接相談枠の予約制。

 

深夜連絡の原則遮断。

 

各学園一次対応の義務化。

 

連邦生徒会による案件振分。

 

先生専用休息日の設定。

 

先生判断案件の上限管理。

 

モモカが画面を見て、唇を尖らせた。

 

「これ、先生嫌がりません?」

 

「嫌がるでしょう。」

 

修司は即答した。

 

「優しい人ほど、制限を嫌がります。」

 

「自分が役に立てる機会を奪われたように感じるからです。」

 

リンは静かに頷いた。

 

先生なら、きっとそう思う。

 

自分が対応すれば助けられるのに。

 

自分が聞けば安心させられるのに。

 

そう考えるはずだ。

 

「だから説明が必要です。」

 

修司は言う。

 

「これは先生から仕事を取り上げるものではありません。」

 

「先生を長く先生でいさせるための設計です。」

 

モモカが小さく頷く。

 

「なるほど。」

 

「仕事禁止じゃなくて、仕事を続けるための制限。」

 

「はい。」

 

リンは資料を見つめる。

 

「先生は、納得してくれるでしょうか。」

 

「すぐには無理です。」

 

「では。」

 

「試験運用にします。」

 

修司は言った。

 

「復帰後、一週間。」

 

「その期間、先生は新ルールで勤務する。」

 

「問題があれば修正する。」

 

「一方的に押し付けない。」

 

リンは安心したように息を吐く。

 

「それなら。」

 

「ただし。」

 

修司の声が少し硬くなる。

 

「絶対に戻してはいけないものがあります。」

 

「何ですか。」

 

「深夜対応です。」

 

対策室が静かになる。

 

修司は続ける。

 

「深夜の相談。」

 

「深夜の返信。」

 

「深夜の判断。」

 

「これを戻すと、先生は確実に再発します。」

 

リンは強く頷いた。

 

先生の勤務記録を思い出す。

 

深夜一時。

 

二時。

 

早朝五時。

 

あの記録は、もう見たくなかった。

 

「深夜は、緊急度Aのみ。」

 

「それ以外は翌朝。」

 

「例外はミコリ判定。」

 

ミコリが頷く。

 

「判定可能。」

 

モモカが手を上げる。

 

「先生が勝手に返信した場合は?」

 

修司は迷わず答えた。

 

「送信を保留します。」

 

リンが驚く。

 

「保留?」

 

「はい。」

 

「先生が深夜に返信を書いても、送信は翌朝に回す。」

 

「本人には、休暇前に説明します。」

 

モモカが目を輝かせる。

 

「予約送信みたいなやつですね。」

 

「はい。」

 

「いいですね。」

 

「先生が夜中に頑張っても、生徒には朝届く。」

 

リンは少し考える。

 

「先生は、最初は戸惑うでしょうね。」

 

「戸惑います。」

 

修司は言う。

 

「ですが、その戸惑いが必要です。」

 

「今までの当たり前を変えるには、違和感が出ます。」

 

リンは静かに目を閉じた。

 

先生が戻る未来。

 

その未来を、今度こそ壊さないために。

 

先生が先生であり続けるために。

 

今、自分たちはその準備をしている。

 

ミコリが画面を切り替えた。

 

「新規案件。」

 

「案件振分室より、担当不明案件が二十二件残留。」

 

モモカが肩を落とす。

 

「またですかー。」

 

修司はノートパソコンを開く。

 

「良い傾向です。」

 

「どこがです?」

 

「担当不明が見えている。」

 

「見えないよりいい。」

 

リンは頷く。

 

「始めましょう。」

 

修司は時計を確認した。

 

「三十分作業します。」

 

「その後、休憩です。」

 

モモカが拍手する。

 

「おお、成長してる。」

 

「規則ですので。」

 

修司は淡々と答えた。

 

先生がいない三日目。

 

シャーレは、先生を休ませるだけでなく、先生が戻った後の未来を作り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

担当不明案件の整理が始まってから、一時間。

 

連邦生徒会の対策室には、キーボードを叩く音だけが響いていた。

 

各学園から集まった案件は、一件ずつ分類されていく。

 

以前なら、最終的に「先生へ」と書かれていた案件も、今は立ち止まっていた。

 

誰が担当するべきか。

 

本当に先生が判断する必要があるのか。

 

その問いを、一件ずつ確認していく。

 

リンは一覧を見つめながら、小さく息を吐いた。

 

「これほど担当が曖昧な案件が多かったなんて……。」

 

修司は画面から目を離さない。

 

「案件が曖昧なのではありません。」

 

「判断する人間が曖昧だっただけです。」

 

その一言が、リンの胸に刺さる。

 

困ったら先生へ。

 

そう考えることが、いつの間にか当たり前になっていた。

 

だから担当を決める必要がなくなり、最終的に先生へ集まっていた。

 

「では、一件目です。」

 

修司が資料を開く。

 

『トリニティ・ゲヘナ合同文化祭 会場調整』

 

リンが資料へ目を通す。

 

「先生が着任されてから。」

 

少しだけ言いづらそうに続けた。

 

「こういう学園間の調整は、先生へお願いする流れができてしまいました。」

 

「以前は。」

 

「連邦生徒会が仲裁するか、各学園同士で話し合っていました。」

 

修司は静かに資料を閉じる。

 

「なるほど。」

 

「先生がいることで、組織が判断する機会を失った。」

 

リンは俯いた。

 

「……否定できません。」

 

「悪意ではありません。」

 

修司は穏やかに続ける。

 

「先生なら解決してくれる。」

 

「その成功体験が積み重なった結果です。」

 

「善意ほど、仕組みを壊すことがあります。」

 

モモカが腕を組んだ。

 

「耳が痛いですねぇ。」

 

「先生が嫌と言わなかったから、みんな頼っちゃったんですね。」

 

「はい。」

 

修司は頷く。

 

「ですが、今回からは変えます。」

 

修司は資料へ赤い印を付けた。

 

「この案件は先生案件ではありません。」

 

リンが尋ねる。

 

「では、どうしますか。」

 

「連邦生徒会が議事進行を担当します。」

 

「結論は当事者同士で出してください。」

 

「先生は参加しません。」

 

モモカが感心したように頷く。

 

「決めるんじゃなくて、決められる場を作る。」

 

「その通りです。」

 

修司は静かに答えた。

 

「先生が毎回結論を出せば、生徒は考える機会を失います。」

 

「必要なのは解決ではなく、自分たちで解決できる環境です。」

 

リンは端末へ新しい担当を入力した。

 

『担当 連邦生徒会』

 

先生の名前は書かれていない。

 

それだけで、この案件の意味が少し変わった気がした。

 

次の案件が表示される。

 

『ミレニアム 演算設備更新申請』

 

リンが資料を開く。

 

「ミレニアムからの設備更新申請ですね。」

 

修司は資料へ目を通した。

 

「本来の担当は。」

 

「セミナーです。」

 

リンは頷く。

 

「設備管理も予算の取りまとめも、セミナーが担当しています。」

 

「では、なぜシャーレへ。」

 

リンは少し困ったように笑った。

 

「先生なら話が早い、と判断されたようです。」

 

修司は静かに資料を閉じた。

 

「先生が近道になっていた。」

 

「はい。」

 

「その近道が、組織から判断する機会を奪っていました。」

 

モモカも苦笑する。

 

「便利すぎる人がいると、みんなそこへ持っていっちゃうんですね。」

 

「だから属人化が起きます。」

 

修司は短く答えた。

 

「この案件はセミナーへ返送してください。」

 

「必要であれば、セミナーから連邦生徒会へ正式に協議を申請します。」

 

「先生は関与しません。」

 

リンは担当欄を書き換える。

 

『担当 ミレニアム・セミナー』

 

先生の名前は、どこにもなかった。

 

次に表示された案件は、一通の相談だった。

 

宛名には、たった一言。

 

『先生へ』

 

送り主はゲヘナ自治区の生徒。

 

内容は短い。

 

『最近、友達とうまく話せません。先生なら聞いてくれると思いました。』

 

対策室が静かになる。

 

モモカが小さく呟く。

 

「これは……。」

 

リンも迷っていた。

 

先生なら、きっと話を聞くだろう。

 

だからこそ難しい。

 

「先生へ送りますか。」

 

リンが尋ねる。

 

修司は首を横へ振った。

 

「送りません。」

 

「ですが。」

 

「先生は休暇中です。」

 

「今は休むことが仕事です。」

 

リンは口を閉じた。

 

頭では理解している。

 

それでも、先生を頼る生徒を断ることには抵抗があった。

 

修司は相談書を静かに机へ置く。

 

「この生徒は。」

 

「先生しか信用していないのでしょうか。」

 

リンは相談文をもう一度読む。

 

「……違います。」

 

「先生なら聞いてくれる、と書いてあります。」

 

「先生しか、とまでは書いていません。」

 

「その通りです。」

 

修司は頷く。

 

「ならば一次対応は別の人でも構いません。」

 

「相談を受け止める人が必要なのであって、必ず先生である必要はありません。」

 

モモカも頷く。

 

「カウンセリング担当ですね。」

 

「はい。」

 

修司は入力する。

 

「必要なら後日、先生との面談を調整します。」

 

「ただし、休暇中は接続しません。」

 

リンはその内容を登録した。

 

先生を守ること。

 

生徒を守ること。

 

どちらか一方ではなく、両方を成立させる。

 

そのための仕組みを作る。

 

それが今の仕事だった。

 

その時。

 

廊下から慌ただしい足音が近付いてきた。

 

勢いよく扉が開く。

 

「リンさん!」

 

飛び込んできたのは、連邦生徒会書記のアユムだった。

 

息を切らしている。

 

「各学園から問い合わせが急増しています!」

 

「先生は本当に休暇中なんですかって!」

 

「先生へ直接確認したいという連絡も来ています!」

 

リンはすぐ立ち上がる。

 

「件数は?」

 

「現在三十二件です!」

 

モモカが苦笑した。

 

「来ましたね。」

 

修司は表情を変えない。

 

「分類してください。」

 

アユムが首を傾げる。

 

「分類、ですか?」

 

「はい。」

 

「安否確認。」

 

「業務確認。」

 

「その他。」

 

「この三種類です。」

 

アユムは慌てて端末を開いた。

 

「わ、分かりました!」

 

数分後。

 

「終わりました!」

 

「安否確認十八件。」

 

「業務確認十一件。」

 

「その他三件です。」

 

修司は頷く。

 

「安否確認は統一回答。」

 

『先生は休暇中です。健康上の問題はありません。』

 

「業務確認は担当窓口一覧を返信。」

 

「その他は個別対応します。」

 

アユムは驚いたように目を瞬かせた。

 

「それだけでいいんですか?」

 

「説明を増やすほど混乱します。」

 

「必要な情報だけ伝えてください。」

 

「はい!」

 

アユムは再び対策室を飛び出していった。

 

その背中を見送りながら、モモカが肩をすくめる。

 

「アユムさんまで走り回ることになっちゃいましたねぇ。」

 

リンは苦笑した。

 

「普段から実務の中心ですから……今日は特に忙しそうです。」

 

修司は静かに頷く。

 

「連邦生徒会も改革対象です。」

 

「シャーレだけ改善しても意味がありません。」

 

「支える側が疲弊すれば、同じ問題が繰り返されます。」

 

リンは窓の外を見る。

 

少しずつではある。

 

組織が動き始めている。

 

先生一人へ頼る仕組みから。

 

皆で支える仕組みへ。

 

その変化を感じながら、リンは端末へ向き直った。

 

「次の案件をお願いします。」

 

修司は静かに頷く。

 

「続けましょう。」

 

改革は、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

問い合わせ対応が一段落した頃には、時計の針は夕方を回っていた。

 

対策室の空気は張り詰めている。

 

だが、混乱は少しずつ収まり始めていた。

 

案件は分類され。

 

担当は明確になり。

 

「とりあえず先生へ」という言葉も、少しずつ姿を消し始めていた。

 

そんな中、一件の通知がリンの端末へ届く。

 

送信元はティーパーティー。

 

件名は簡潔だった。

 

『面会申請』

 

リンは眉をひそめる。

 

「ティーパーティーからです。」

 

修司が顔を上げる。

 

「内容は。」

 

「シャーレへ直接伺いたいそうです。」

 

「理由は。」

 

「先生の休暇について説明を求める、と。」

 

モモカが苦笑する。

 

「来ましたねぇ。」

 

「各学園の代表も動き始めました。」

 

修司は少しだけ考える。

 

「断る理由はありません。」

 

「応接室をお願いします。」

 

リンはすぐに了承の返信を送った。

 

三十分後。

 

応接室。

 

静かな部屋へ、一人の少女が入ってくる。

 

ティーパーティー所属。

 

桐藤ナギサ。

 

落ち着いた足取りで席へ着く。

 

紅茶が運ばれる。

 

ナギサは一口だけ口を付けた。

 

「単刀直入に伺います。」

 

リンが姿勢を正す。

 

「はい。」

 

「先生は、本当に休暇を取られたのですか。」

 

「はい。」

 

「健康上の理由です。」

 

ナギサは静かに頷く。

 

「そうですか。」

 

驚きはない。

 

むしろ納得したような表情だった。

 

「実は。」

 

ナギサはティーカップを置く。

 

「最近の先生は少し無理をされているように見えていました。」

 

リンは思わず顔を上げた。

 

「お気付きだったんですか。」

 

「ええ。」

 

「以前より笑顔が減りました。」

 

「相談中でも時計を見る回数が増えました。」

 

「返事は丁寧でしたが、どこか急いでいるようにも見えました。」

 

その言葉にリンは何も返せなかった。

 

外部の人間ですら気付いていた。

 

それなのに。

 

毎日一緒にいた自分は気付けなかった。

 

修司が口を開く。

 

「その変化を見て。」

 

「何か対応はされましたか。」

 

ナギサは少しだけ苦笑した。

 

「いいえ。」

 

「先生は忙しい方ですから。」

 

「そういうものだと思っていました。」

 

修司は静かに頷く。

 

「皆さん同じです。」

 

「先生は忙しい。」

 

「先生なら大丈夫。」

 

「その積み重ねが、今回の結果です。」

 

ナギサは小さく息を吐く。

 

「否定できませんね。」

 

修司は資料を差し出した。

 

『業務改善方針』

 

ナギサは静かに目を通す。

 

相談窓口の分散。

 

学園ごとの一次受付。

 

先生案件の基準。

 

責任範囲の整理。

 

数ページ読み進めたところで、ナギサの手が止まった。

 

「興味深いですね。」

 

「どこがですか。」

 

「先生へ仕事を集める仕組みではなく。」

 

「先生へ仕事を集めない仕組みになっています。」

 

「はい。」

 

修司は即答した。

 

「先生は最後の判断者です。」

 

「最初の受付窓口ではありません。」

 

ナギサは静かに微笑んだ。

 

「確かに。」

 

「ティーパーティーも同じ問題を抱えています。」

 

リンが驚く。

 

「トリニティもですか。」

 

「ええ。」

 

「私へ直接届く案件が年々増えています。」

 

修司は資料を閉じた。

 

「組織が大きくなるほど起きる現象です。」

 

「優秀な人間へ集中する。」

 

「ですが。」

 

「その人間が倒れた瞬間、組織は止まります。」

 

ナギサは深く頷いた。

 

「先生だけの問題ではない。」

 

「そういうことですね。」

 

「はい。」

 

修司は答えた。

 

「今回の案件は、シャーレだけでは終わりません。」

 

応接室が静かになる。

 

ナギサはしばらく考え込んでいた。

 

やがて顔を上げる。

 

「協力しましょう。」

 

リンが驚く。

 

「え。」

 

「ティーパーティーでも業務を見直します。」

 

「先生へ送る案件も整理しましょう。」

 

修司は小さく頭を下げた。

 

「助かります。」

 

ナギサは穏やかに笑う。

 

「先生には何度も助けられました。」

 

「今度は私たちが支える番でしょう。」

 

その言葉に、リンの表情が少しだけ和らぐ。

 

ようやく理解者が現れた。

 

そんな安心感があった。

 

その時。

 

コンコン。

 

応接室の扉がノックされる。

 

アユムだった。

 

「失礼します。」

 

「追加報告です。」

 

リンが振り返る。

 

「どうしました。」

 

「各学園への一次振り分けを始めたところ。」

 

「問い合わせ件数が急激に減少しています。」

 

モモカが目を丸くする。

 

「もう?」

 

アユムは資料を差し出した。

 

「先生宛だった案件の四割が。」

 

「各学園だけで解決できると判明しました。」

 

部屋が静まり返る。

 

リンは資料を見つめたまま動けなかった。

 

四割。

 

つまり。

 

今まで先生が対応していた仕事の多くは。

 

最初から先生である必要がなかった。

 

修司は静かに呟く。

 

「予想より多いですね。」

 

ナギサも苦笑する。

 

「これは耳が痛い話です。」

 

リンはゆっくりと資料を閉じた。

 

「先生は。」

 

「必要以上に仕事を抱えていたんですね。」

 

「はい。」

 

修司は答えた。

 

「そして。」

 

「まだ整理は始まったばかりです。」

 

窓の外では夕日が沈み始めていた。

 

シャーレは今日も動いている。

 

先生がいなくても。

 

いや。

 

先生が休んでいるからこそ。

 

自分たちで考え始めていた。

 

修司は時計を確認する。

 

「今日はここまでにしましょう。」

 

リンが驚く。

 

「終わりですか?」

 

「はい。」

 

「改善は長距離走です。」

 

「初日に全力疾走すると、組織も人も続きません。」

 

モモカが笑った。

 

「コンサルさんらしいですねぇ。」

 

修司はノートパソコンを閉じる。

 

「明日は。」

 

「先生へ集まる相談案件を分析します。」

 

「なぜ先生でなければならなかったのか。」

 

「その理由を、一件ずつ確認します。」

 

リンは静かに頷いた。

 

改革は順調に進んでいる。

 

だが。

 

本当に難しいのはここからだ。

 

人は仕組みより先に、人を頼る。

 

その当たり前を変えることこそが。

 

十九件目の案件、最大の課題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

修司は時計を見る。

 

「三日間、お疲れ様でした。」

 

リンは少し驚いたように笑う。

 

「まだ三日しか経っていないんですね。」

 

「もう一週間くらい働いた気分です。」

 

モモカも苦笑する。

 

「やることが山積みでしたからねぇ。」

 

修司は静かに頷いた。

 

「ですが。」

 

「三日でここまで改善できたのは十分です。」

 

「改革は短距離走ではありません。」

 

「焦らず、一つずつ積み重ねていきます。」

 

リンは大きく頷く。

 

「はい。」

 

「先生が安心して戻って来られるシャーレを作ります。」

 

修司はノートパソコンを閉じた。

 

「その言葉を忘れなければ、大丈夫です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

 

シャーレから少し離れた宿泊施設。

 

休暇生活にも少しずつ慣れ始めた先生は、窓辺で静かに本を読んでいた。

 

以前なら、この時間も端末を手放してはいなかった。

 

相談。

 

依頼。

 

緊急連絡。

 

何か一つでも見落としていないか。

 

常に気を張っていた。

 

しかし今は違う。

 

休暇が始まって三日。

 

シャーレから業務連絡は、一件も届いていない。

 

先生は無意識に机の上の端末へ手を伸ばく。

 

完全に癖だった。

 

画面を点けようとした、その瞬間。

 

通知が一件表示される。

 

『休暇中です。』

 

『業務へのアクセスは制限されています。』

 

送信者。

 

ミコリ。

 

先生は数秒間、その画面を見つめていた。

 

やがて、小さく笑う。

 

「本当に徹底してるなぁ……。」

 

端末をそっと机へ戻す。

 

仕事をしない。

 

考え過ぎない。

 

休む。

 

それが今、自分に与えられた役目だった。

 

窓の外では、生徒たちの笑い声が夜風に乗って聞こえてくる。

 

先生は目を閉じる。

 

以前ほど、不安はなかった。

 

シャーレにはリンがいる。

 

アユムがいる。

 

モモカがいる。

 

そして。

 

白石修司がいる。

 

「もう少しだけ。」

 

先生は静かに呟いた。

 

「信じてみよう。」

 

その表情は、辞表を提出した日のものよりも、少しだけ穏やかになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

生命の書。

 

静かな光がページを照らす。

 

案件No.19。

 

先生支援案件。

 

進捗状況を更新します。

 

**18%**

 

数字が淡く揺らぐ。

 

**26%**

 

ミコリは無表情のまま、その数字を見つめた。

 

「組織改善を確認。」

 

「案件進行率、二十六パーセント。」

 

「先生への業務依存率、低下を確認。」

 

修司は生命の書を一瞥すると、静かにアタッシュケースを閉じる。

 

「順調です。」

 

「先生を変える必要はありません。」

 

「変えるべきなのは、先生を支える組織です。」

 

「そのための改革は、まだ始まったばかりです。」

 

対策室の照明が静かに落ちる。

 

案件No.19。

 

**『先生を支える組織』**

 

その再建計画は、着実に前へ進み始めていた。

 

 

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