Persona x Classroom of the Elite   作:仔羊肉

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 現状の勉強会、その中心にいるのは、紛れもなく堀北鈴音だ。

 

 人を説得し、集め、導く。

 

 かつて独りよがりだった少女が、他者に頭を下げ、泥を啜ってでも目的を成し遂げようと動き回っている。

 

 ここで一度、オレのスタンスというものを振り返ろう。入学式当日は事なかれ主義として目立たないように、そして普通の学生生活を送ることこそが最大の目標であった。

 

 しかしながらヒュロポスとフォーラムに遭遇したことにより断念せざるを得なかった。異世界という未知、人を外れた領域の世界。その魅力は普通の学生生活を捨ててまでも魅力的なものであった。

 

 ある程度までは手札を見せつつも、無害を装うつもりではあった。オレの考えを理解している堀北学は意図を組んであえて人目を避ける形立ち合いを望んだ。

 

 そして実力を隠すために必要な隠れ蓑、それが堀北鈴音である。面倒を避ける上で必要なスタンス。目立てばこれから始まるであろうクラス間の競争で矢面に立つ機会が増えるだろう。

 

 それを避けるために急遽として堀北鈴音という少女をクラスの代表として擁立しなければならない。

 

 一ヶ月に支給される十万ポイントが一瞬にしてゼロになった現実。そしてクラスポイントという概念が存在する以上、この高度育成高等学校において、クラス間における『闘争』が発生することは既に既定路線。

 

 その闘争を生き残るためには、組織を動かす頭脳と、それを束ねるリーダーが不可欠となる。

 

 そして、現在のDクラスはリーダー不在の状況であり、このままでは今後の闘争において大幅に動きを制限されることになりかねない。

 

 異世界という人間を超えた謎の力を前にしてその制限が致命的である可能性は存在する。その為に、なるべく自由でありながらも、裏から手を加えれる程度の立ち位置が必要だった。

 

 Dクラス内部には平田洋介や櫛田桔梗のように、クラスを牽引できるだけの素質を持った人間は確かに存在する。だが、平田は牽引するにはあまりにも和を重視しすぎている。時にはその考え方が致命的な弱点と成りうるだろう。

 

 そして櫛田はオレやヒュロポスにしか知り得ない問題を抱えている。他クラスと『戦う』という攻撃的な局面において、彼らはあまりにも心許ない。

 

 その点、上昇志向が強く、ペルソナを覚醒させて自らの未熟さと向き合い始め、著しい成長を遂げている堀北は、今のオレにとって何とも都合の良い『駒』だった。

 

 彼女にはDクラスを纏め、引っ張っていってもらう必要がある。そのためには、今回の勉強会と須藤の救済という二つの『成功体験』を成してもらい、クラスの内部に『堀北シンパ』とも呼べる強固なグループを形成させることが急務だった。

 

 そして堀北を擁立することによる副産物。より攻撃的な理由である『炙り出し』が行える。

 

 異世界『フォーラム』。あの広大な異世界を探索する中で見つけた二つの紙片。実験結果が記載された研究結果はオレたち以外の何者かが存在している証明でもある。

 

 仮に、ベルベットルームの住人であるイゴールやヴィクトリアが、あの世界の構築に直接関与していないのだとすれば、この学校の裏側には、他の勢力が存在する、もしくはしたことになる。

 

 実験が現在進行形なのか、あるいは過去のものなのかまでは判断がつかない。だが、少なくともその集団について、オレたちはあまりにも無知だ。

 

 そこでオレは、自らと堀北を『生き餌』として使うことにした。

 

 現実世界でもリーダー格として目立ち、異世界の仕組みをも知る存在、それを利用しながらAクラスを目指すとなれば、影に潜む何者かが必ず何らかのアプローチ、もしくは妨害や横槍を仕掛けてくるはずだ。

 

 このような超常現象が絡む以上、極めて高い危険性を孕むことは言うまでもない。だが、危険性で言うのならば、フォーラムに足を踏み入れた時点で、そして再度として踏み込んだ時点であったのだ。

 

 オレは、冷たく澄んだコーヒーを一口含み、思考の海から現実へと意識を引き戻した。

 

 クラスメートの不安と猜疑の眼差し。オレは――極秘裏に会っていた茶柱との会話を思い出す。

 

『あぁ、すまないな、綾小路。確かにお前の指摘の通り、テスト範囲の変更を伝え忘れていた』

 

 本来ならば先週末には伝えるべきだったという伝達事項はDクラスにだけ情報が届いていない。意図的で非協力なその態度は一見すれば自分の担当するクラスを窮地に追い込む死神。

 

 もしも堀北が協力的になっていなければ数人は退学していたであろう賭け。正攻法では思いつかない解決方法を捻り出させる為の悪趣味な演出。

 

 その上で当人がリスクがないからこそ払える賭け金。そして万が一、賭けに勝つ、その要員を炙り出せたのなら値千金。

 

 Dクラス全体として見ればハイリスクローリターン。今回の試験を上手く乗り越えられただけという一過性の安穩。しかし、茶柱佐枝にとってはノーリスクでハイリターンが返ってくるかもしれない不条理な賭け。

 

 けれどもそこまでして求めたリターンは果たして茶柱にとってどんな価値があるのかまではわからない。

 

 この困難を乗り越えることができる存在を求めている理由は恐らく――Aクラス。

 

 茶柱佐枝もまたAクラスを目指すことに執着している。本来ならばあり得ない邪道に手を突っ込みながらも。

 

 オレは茶柱のAクラスへの妄執を――堀北とは違う、黒く、汚く、へどろのような渇望を観察対象とすることにした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……学校側から試されている。その根拠となる物証ならここにある」

 

 やや厚みのある、数枚のプリント用紙。それを受け取った幸村は怪訝そうに眉をひそめ、目を落とした。

 

 次の瞬間、彼の眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれる。

 

「これは……去年の、中間試験問題……!?」

 

「そうだ。昨日、知り合いの先輩からプライベートポイントを支払って買い取った」

 

 オレは淡々と、嘘を交えた言葉を口にした。ポイントを支払う用意はあったが、ポイントの代わりに『貸し』となった。思ったよりも高くついた出来事を思い出して、少しだけ溜息を漏らす。

 

 この学校が『組織としての生存能力』を試している以上、試験そのものにも抜け道が存在する。堀北が出した点数を意図的に下げるのも一つの手だ。また足りない点数を『プライベートポイントで買い取る』ことができる可能性も存在する。

 

 そしてその仮説を裏付ける決定的な証拠が、今、幸村の手の中にある。

 

「な、なんでこんなものが……。いや、だけど、これが本番の試験にそのまま通用するとは限らないだろ! それに今回勉強している範囲と明らかにズレている!」

 

 幸村の言葉に全員がプリントに目を通しながら、役に立たないと切り捨てていた。ただ一人、堀北鈴音を除いて。

 

「……綾小路くん、試験範囲は変わるの?」

 

 その言葉に幸村がテーブルを強く叩きながら反論する。

 

「そんな馬鹿な話があるかっ! 試験は今週末だそ!」

 

 幸村の反論に他の面々もあり得ないと口にする。オレは端末を掲げて、一つのメッセージを掲示する。送られてきたタイミングは幸村が休憩を口にする直前。

 

『先生に確認したら確かに試験範囲変更されるって! 他のクラスにも確認とったから間違いないよ』

 

「じゃあ、今日やったのは無駄だったってこと?」

 

 恐る恐ると口にしたのは誰だったのか。今までやってきた努力を嘲笑われて、否定され、口にして、絶望する。

 

 青い揺らめきを感じる。幾度となく感じた負の印が産まれる瞬間。しかし――。

 

「大丈夫よ」

 

 堀北が毅然とした口調で否定する。揺らめきは薄まり、不安定と化す。

 

「変更があったのなら――この中間試験の過去問の信憑性が増すわ」

 

「どういうことだ?」

 

 気づいていない面々に堀北は二つのプリントを出す。それは過去問と小テストの二枚。

 

「こちらの小テスト、この前の問題とほぼ同じだと気づいたかしら? つまり、二年前、同じ小テストが使われていたことを示しているの」

 

 堀北の説明を受けて、揺らめきは消えていく。その力強い希望を受けて負の感情の素、原因、ストレッサーが取り除かれていく。

 

「学校側がわざわざテストを使い回す理由を、生徒の『情報収集能力』を試しているのだとしたら、去年の問題と酷似、あるいは全く同じものを出してくる可能性は極めて高い……そういうことよね、綾小路くん?」

 

「ああ。少なくとも、問題の数値や言い回しが少し変わる程度だろう。基礎が空っぽであっても、この『答えそのもの』を叩き込めば、赤点を回避できる。そして、その確認は範囲変更後のテスト範囲と一致していれば強い根拠だと思うが」

 

 幸村は言葉を失い、何度も過去問と手元の参考書を見比べていた。やがて、彼は深いため息とともに、自らのプライドを完全に降伏させるように肩の力を抜いた。

 

「……これが本当に試験範囲と一致したなら確かな物証だ。この学校がペーパーテストの点数そのものではなく、そこに至るプロセスと組織としての生存能力を試しているという堀北の説、認めざるを得ない」

 

「わかってくれたのなら、話は早いわ」

 

 堀北が静かに言葉を挟む。オレは人数分のプリントを回していく。その過程で一部の面々から鋭い視線を貰うが気づかないフリをした。

 

 一番重要な須藤は過去問の束を睨みつけながら、「これがあれば……俺でも、退学しなくて済むのか……?」と、縋るような闘志を瞳に宿らせていた。

 

「最悪を想定して成績上位者は今回の試験、意図的に点数をコントロールする。そうね、六十点くらいかしら。クラス平均点を限界まで引き下げ、須藤くんの赤点ラインを押し下げる。そして過去問を使って、成績が不安な人は安全圏の点数を確実に取ってもらう……これで、全員の生存が確定するわ」

 

 堀北の迷いのない宣言に、テーブルを囲む面々は静かに、しかし確かな連帯感をもって頷いた。

 

 クラスの最優秀層である幸村が折れ、松下や王たちがそれに同調したことで、Dクラスの「減点作戦」は一部で合意へと至った。澱みのないパレットの空気も相まって、彼らの意思は余計な摩擦を生むことなく、スムーズに一つに噛み合っていく。

 

 オレはその光景を、ただ静かに見届けていた。消えていく青い揺らめきを目にしたまま。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 勉強会が解散し、全員で寮へと帰路につく中。

 

 最後尾でまだ少し興奮が冷めやらない様子の堀北と並んで歩いていた。肩の上では、ぬいぐるみになりすましたヒュロポスが、誰にも聞こえない声で「やり切ったのよー! ツンツンさんも、あたしも大活躍なのよ!」と誇らしげに羽をパタつかせている。

 

 前を歩くクラスメート達もどこか明るい雰囲気を持っていた。

 

「……ありがとう、綾小路くん。あの過去問がなければ、説得することはできなかったわ。それどころか退学者が出ていたかもしれない」

 

「最終的にお前の説得にみんなが乗ってで乗り越えられていた気もするけどな」

 

「貴方ってば本当に……」

 

 フッと息を漏らした堀北は、それ以上追及することなく、前を見据えて歩き続ける。その瞳には、かつての孤独な傲慢さはなく、クラスという組織を率いようとするリーダーとしての覚悟が、微かに、しかし確かに宿り始めていた。

 

 しばらくの沈黙の後、堀北は不意に足を止め、真面目な顔をしてオレの方を向き直った。

 

「それで、綾小路くん。明日からのことなのだけれど……この過去問、どのようにしてクラス全体へ行き渡らせるつもりかしら?」

 

「明日までに人数分コピーしておく。そこから全員にお前から渡してほしい。平田にも協力を要請しておいた方が話はスムーズに進むだろうな」

 

「平田くんだけ? 櫛田さんや軽井沢さんはいいのかしら」

 

「その二人には少しだけ懸念がある。それと、これを機にお前と平田との関係性を強めておくべきだ。平田と協力して過去問を回せば、お前は須藤を救っただけでなく、クラスの危機を救った立役者として、他のクラスメートからも一目置かれる存在になる」

 

 すべては堀北をDクラスのリーダーとして擁立するための布石だ。平田という絶対的な信頼を持つ男を介することで、堀北のクラス内での発言力は飛躍的に高まることになる。

 

 堀北はじっとオレの目を見つめていたが、やがて腑に落ちないといった様子で小さなため息を吐いた。

 

「……貴方の言いたいことは分かったわ。でも、そうやっていつも貴方は一歩引いた位置から私を動かそうとするのね。そこまで先のことを見据えて動けるのなら、あなた自身は前に立つ気はないのかしら?」

 

「前に立つ気はないな。第一、冷静に考えてみてくれ。頭や肩に変なピンク色の鳥を乗せた男に、みんなついていきたがるか?」

 

 オレが至極真面目なトーンで、自分の肩の上を指差すと、堀北は一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした。

 

 次の瞬間、彼女の端正な顔立ちがふっと緩み、くすりと小さく微笑んだ。

 

「……確かに、それはそうね」

 

「ムキーッ! 失礼なのよ! あたしは変じゃないのよ! 最先端の超絶プリティーなのよー!」

 

 肩の上でヒュロポスが短い羽をバタつかせながら猛抗議の声をあげる。堀北は微笑を収めると、ジト目になってオレを睨みつけてきた。

 

「それならそれで、全部五十点の奇行はやめておきなさい。幾らなんでも、すべての科目で綺麗に五十点で揃えるのは不気味よ」

 

「……何のことだ?」

 

「これがもう少し、点数にバラつきが刻まれていたのなら話は別だったのでしょうけれど。狙って取ったとしか思えない不自然な均一性のせいで、少なくとも松下さんや幸村くんは何らかの深読みをし始めるわ」

 

 オレは視線を前方へと逸らし、感情を一切込めないいつもの口ぶりで答えた。

 

「偶然だぞ」

 

「今まではそれでいいわ。これからは七十点前後に揃えておきなさい。あのレベルのテストなら、そちらの方が目立たないし違和感も少ないわ。平均より少し上、くらいの位置が一番安全よ」

 

「そうなのか。勉強になった」

 

 オレが素直に頷くと、堀北は「本当にチグハグな人ね」と、呆れつつもどこかまんざらでもないような微笑みを唇に浮かべた。

 

 そんなオレたちの様子に、不意に前方に気配を感じて視線を戻す。すると、先を歩いていたはずの篠原や松下、三宅といったクラスメートたちが、いつの間にか足を止め、じーっとこちらの様子を見つめていた。

 

「な、何かしら? みんなしてこちらを見て」

 

 堀北が不審そうに眉をひそめると、篠原がニヤニヤとした笑みを浮かべながら、からかうような声をあげた。

 

「いやさー、後ろで二人がコソコソとなんかいい雰囲気で楽しそうに話してるからさ。本当に付き合ってないの?」

 

「なっ……! そ、そんなわけないでしょ!」

 

 普段の冷静さはどこへやら、堀北は目に見えて狼狽しながら、全力でその言葉を否定した。

 

 だが、クラスメートたちの生暖かい視線が収まる気配はない。

 

 その時、縮こまっていた佐倉愛里が、おずおずと、しかしどこか必死さを孕んだ様子で一歩前に踏み出してきた。

 

「ほ、ほほほほ、本当に……本当に付き合ってないの?」

 

 普段の人見知りからは想像もつかないほど強い口調で詰め寄られ、堀北は完全に気圧されたように僅かに身体を引いた。

 

「……えぇ。ただのとも……クラスメートよ」

 

 堀北がはっきりとそう告げると、佐倉は胸元でぎゅっと拳を握りしめ、どこかホッとしたように深く安堵した様子を見せた。

 

 それからは、自分の行動が恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にしながらチラチラとこちらの様子を伺ってくる。

 

 オレはその熱を帯びた視線を意識的に無視しながら、夕闇に包まれ始めた帰り道を、静かに歩み進めていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝。高度育成高等学校の1年Dクラスの教室は、いつも以上に重苦しい大気に包まれていた。

 

 五月一日の衝撃から始まった激動の1ヶ月。その締めくくりとして課された中間試験が、いよいよ数日後に迫っている。授業態度が悪く、基礎学力が著しく欠如している一部の生徒たちにとっては、まさに文字通りの意味で「首を吊るか否か」の瀬戸際だった。

 

 教室の随所からは、焦燥と不安が混ざり合った負のエネルギーが、目に見えない澱みとなって、排出口を求めて蠢いている。異世界フォーラムであれほど多くのシャドウが発生するのも、この教室を眺めていれば至極当然のことだと納得させられる。

 

 そんな中、オレは自席に腰掛け、いつものように窓の外の景色へと視線を逃がしていた。

 

 ふと、隣の席に目を向けると、堀北が静かに目を閉じ、深く短い呼吸を繰り返していた。その横顔には、これから始まる『戦い』に向けた強い緊張感が張り詰めていた。

 

 やがて、朝のホームルームの予鈴が校内に鳴り響く。担任の茶柱佐枝が教室に足を踏み入れる前の、わずかな隙間の時間。堀北は意を決したように目を開けると、凛とした足取りで席を立ち、迷うことなく教壇へと向かって歩き出した。

 

 黒板の前に立ち、クラスメート全員を見据える堀北。その突然の行動に、雑談を交わしていた池や山内をはじめ、軽井沢や櫛田といった中心人物たちも怪訝そうな視線を彼女へと投げかける。

 

「みんな、朝の貴重な時間を少しだけ頂戴。私から全員に、話したいことがあるの」

 

 堀北の声は、静かではあったが、教室の隅々にまで明瞭に響き渡るほどの芯を持っていた。

 

「何だよ堀北、急に教壇なんかに立ってさ。試験前の大事な時期に、何の用だよ」

 

 池が露骨に面倒くさそうな表情を浮かべ、机に頬杖を突きながら声をあげる。他の生徒たちも、多かれ少なかれ池と同じような疑問や、ある種の警戒心を抱いているのが空気で伝わってきた。

 

 しかし、堀北の瞳は揺らがなかった。彼女は一度、深く息を吸い込むと、これまで誰も聞いたことがないほどに率直な『自己開示』を始めた。

 

「用件は、数日後に迫った中間試験についてよ……その本題に入る前に、まずはあなたたちに対して、私のこれまでの態度を謝罪させてほしいの。入学してからこれまでの約2ヶ月間、私がこのクラスでどのような態度を取ってきたか、ここにいる全員がよく知っているはず」

 

 堀北は言葉を区切り、クラスメートたちの顔を一人一人、まっすぐに見つめていく。

 

「私は群れ合うつもりは毛頭なかった。それどころか、心の中であなたたちを見下し、足を引っ張るだけの足手まといだとさえ思っていたわ。五月一日にクラスポイントがゼロになり、私たちが最低の不良品だと突きつけられてからも、その傲慢な考えが変わることはなかった……それが私の、正直な話よ」

 

 あまりにもストレートな言葉に、教室内が水を打ったように静まり返る。篠原や一部の女子生徒たちが不快そうに眉をひそめ、池や山内も不満げに口を尖らせる。だが、堀北は彼らの反発を遮るように、さらに声を強めた。

 

「けれど――それが決定的な間違いだったと、私は気づかされたの。他者を排除し、自分一人だけで上を目指そうとする考え方そのものが、どれほど浅愚で未熟なものだったかをね。この学校のシステムは、私たちが思っている以上に過酷よ。そして何よりも、『クラス』という単位での組織力が重要視されている」

 

 彼女の言葉には、かつての冷徹な拒絶ではなく、明確な覚悟が宿っていた。

 

「もしこの先、他のクラスと本格的な闘争や競い合いをすることになったら……今のまま、個々がバラバラに反発し合っているDクラスでは、到底勝ち目はないわ。それどころか、生存することすら叶わない。今回の特別試験において、もし一人でも赤点を取り、退学処分になるような事態が発生すれば、それはDクラス全体にとって致命的な遅れとなる。虫のいい話とは思ってるわ。けれど私は――このテストを全員で乗り越えるための作戦を考えてきた」

 

「作戦って……一体何をする気だい、堀北さん」

 

 平田が、どこか救いを求めるような、しかし確かな期待を込めた瞳で問いかける。

 

「点数のコントロールよ。今回の赤点ラインは、クラス全体の平均点の半分。つまり、成績優秀な人間が、本番のテストである程度意図的に点数を引き下げれば、クラス全体の平均点を下げることができるわ。結果として、足切りとなる赤点ラインそのものを極限まで引き下げ、学力に不安のある生徒が合格できるハードルを引き下げるのよ」

 

 その言葉を理解した瞬間に、

 

「僕は、堀北さんの提案に賛成だよ」

 

 平田が真っ先に右手をあげて同調した。

 

「クラスから誰も退学者を出さないためなら、僕は自分の点数を下げることに抵抗はない。みんなで協力して、この危機を乗り越えよう」

 

 平田の爽やかで、かつ絶対的な信頼感を持つ声が教室の空気を味方につける。さらに、昨日パレットでの話し合いで事前に合意を得ていた幸村が、眼鏡の位置を正しながら続いた。

 

「……俺も、堀北の作戦に賛同する。成績上位の奴らが安全圏の点数を維持した上で、平均点を下げる。オレたちにはリスクは少ない。ましてやクラスポイントなんて連帯責任の代物を個人の点数で左右できるとは思えない」

 

 クラスの頭脳派である幸村が肯定したことで、作戦の現実味が一気に増していく。松下や王美雨も静かに頷き、クラスの優秀層が次々と作戦への協力を表明していく。

 

 だが、その調和を切り裂くように、教室の最奥から軽薄で、かつ圧倒的な存在感を放つ声が響き渡った。

 

「おやおや、随分とつまらない作戦を企てているようだねえ、堀北ガール」

 

 高円寺六助だった。彼は手鏡で自分の前髪を整えながら、他者への興味を一切感じさせない不敵な笑みを浮かべている。

 

「私はね、そんな美しくない作戦に付き合うつもりはないのだよ。なぜなら、この私の実力を凡人たちの為に引き下げるなど、私の美学に反するからねぇ。他人の生存のために、私の完璧さを汚す理由がどこにあるのかね?」

 

「てめぇ……!」

 

 ガタァン!! と激しい音を立てて机を叩きつけ、須藤が立ち上がった。

 

「やめて、須藤くん、お願い」

 

 だが、堀北の、静かだが切実な懇願の言葉が須藤の動きを止めた。

 

「……っ!」

 

 須藤は拳を握りしめ、教壇の堀北を見つめる。彼女の真っ直ぐな眼差しに当てられ、須藤は悔しそうに歯を食いしばりながらも、暴力を振るうことなく渋々と自分の席へと腰を下ろした。

 

「高円寺くん、あなたの意見は拒否として受け取るわ。これはあくまで『要請』であり、強制ではないわ。成績が上位の人が、自らの安全圏から出ない程度の範囲で行うコントロールよ。高円寺くん一人が満点を取ったところで、残りの上位陣が点数を下げてくれれば、平均点を下げる作戦自体に大きな支障はないわ」

 

 堀北の冷静な大人の対応に、高円寺は「ふふん、賢明な判断だ」と笑い、再び自分の鏡へと意識を戻した。

 

 しかし、不穏な空気はまだ収まらない。今度は学力下位層の池や山内が、どこか焦りを含んだ声で騒ぎ始めた。

 

「おいおい、そんな作戦だけで本当に大丈夫なのかよ!  堀北、もっとちゃんと言ってくれよ!  オレたちが赤点取ったらどうすんだよ!」

 

「そうだぞ! もっと確実に助かる方法を教えろよ!」

 

 池や山内の言葉を聞いた成績優秀な生徒達は白い目で見ている。

 

「勉強できねぇのは、てめぇらの自業自得だろうが」

 

 地を這うような重い声で、須藤が二人を睨みつけた。

 

「お前だって人のこと言えねぇだろ! クラスで一番ヤバいのはお前じゃねぇか!」

 

 山内が顔を真っ赤にして反論する。

 

「ああ、俺が一番ヤバいのは分かってんだよ。だから俺は退学しても仕方ねぇと諦めてた。なんもやってねぇてめぇらや俺に、堀北の文句を言う資格はねぇ――なら、黙って最後まで聞いてろ」

 

 低く、しかし圧倒的な威圧感を孕んだ須藤の言葉。その凄まじい気迫に圧され、池と山内はヒッと短い声を上げて口を噤み、黙り込むしかなかった。

 

「ありがとう、須藤くん……それじゃあ、次の話をさせて」

 

 堀北は鞄の中から、あらかじめ用意していた二枚の紙の束を取り出し、教壇の上に提示した。

 

「平均点を下げるだけでは、まだ不確定要素が残るわ。そこで、このテストを確実に突破するための決定的なカードを配るわ……これを見て頂戴」

 

 クラスメートたちの視線が、教壇の上のプリントに集中する。

 

「一つは、この学校の二年前の中間試験の過去問。そしてもう一つは、私たちがこの前受けた小テストと全く同じ内容が記載された、当時の小テストの過去問よ。学校側がテスト問題を使い回しているのだとしたら、今回の中間試験において、この過去問と同じ、あるいは極めて酷似した問題が出るわ。基礎学力が足りない人でも、この過去問の答えを丸暗記すれば、赤点を回避できる」

 

「マ、マジかよ……!?」

 

「これがあれば、オレたち助かるんじゃ……!」

 

 教室内が一気に歓喜と興奮に沸き立つ。絶望の淵にいた池や山内たちの顔にも、現金な救いの光が灯った。

 

 だが、その沸き立つ歓声の裏で、クラスのどこかから、ぽつりと冷ややかな呟きが漏れ聞こえた。

 

「……でも、この過去問の問題って、今回の試験範囲じゃないよ?」

 

 その一言が、冷水を浴びせられたように教室の興奮を凍りつかせた。

 

「え……? 範囲じゃないって、どういうことだ?」

 

 生徒たちが慌てて手元の参考書と過去問の範囲を照らし合わせ始める。

 

「本当だ……! 全然違うじゃん! 今日までオレたちが勉強してきた範囲と、この過去問の範囲、丸ごとズレてるぞ!」

 

 一瞬にして、希望は再び猜疑と怒りへと反転した。山内が激昂し、教壇の堀北を指差して大声を張り上げる。

 

「おい堀北! てめぇ、オレたちを騙したな!? 試験に出ない偽物の過去問を配って、オレたちを油断させて退学させようとしてんだろ! オレたちをハメようとしたんだ!」

 

「ふざけんじゃねぇぞ山内! 堀北がそんな真似するわけねぇだろ!」

 

 すかさず須藤が立ち上がって怒鳴るが、山内はさらに勢いづいて叫び返す。

 

「うるせぇよ健! お前だって少し前まで堀北にキレてただろうが! なんで急に堀北の味方ばっかりするんだよ! お前の方が急におかしくなったんじゃねぇのか!?」

 

「それは……っ」

 

 山内の必死の叫びに、須藤は言葉を詰まらせた。昨日オレから試験範囲の変更という情報を開示されるまで、須藤自身もこの矛盾に困惑していたのだ。その裏事情をクラス全員の前で説明するだけの材料を、今の彼は持ち合わせていない。黙り込まざるを得ない須藤を見て、池も声を荒らげる。

 

「やっぱり堀北は信用できねぇよ! オレたちを見下してた奴が、急に助けるなんておかしいと思ったんだ!」

 

「そうよ! 過去問なんて嘘っぱちじゃない!」

 

 一部の女子生徒たちも便乗するように口々に不満を漏らし、教室内は堀北への激しい弾劾の場と化していく。

 

 オレはその光景を、最後尾の席から極めて冷静に観察していた。

 

 ――大したものだ。

 

 一見すれば、池や山内が感情的に暴走し、それに引っ張られたクラスメートたちが騒いでいるだけの構図に見える。だが、このパニックの広がり方、そして最初に「範囲が違う」と呟いた絶妙なタイミング。

 

 クラス全体の不満や疑念を背後から巧妙に煽り立て、特定の個人――すなわち堀北を排斥しようとする、悪意の『糸』が、この教室の裏で確実に引かれている。

 

 オレは、その糸の先にある存在へと視線を向けた。

 

 クラスの喧騒の中、オロオロと困惑した表情を浮かべ、「みんな、落ち着いて……! 堀北さんにも、きっと何か理由があるんだよ?」と、健気にクラスを宥めようとしている少女。

 

 ――櫛田桔梗。

 

 表向きは全員の味方を装いながら、その実、最初に「範囲が違う」という疑念の種をクラスに蒔いたのは、紛れもなく彼女自身だ。彼女が仕掛けた巧妙な誘導によって、他の生徒たちの不満が綺麗に便乗する形で拡大している。

 

 そしてこの騒ぎが無駄であることは――自らの足で範囲変更の確認を取った本人が一番知っている筈だった。

 

 だから、盤上においては、悪あがきにしか過ぎない。詰んだ盤面を最後まで指すだけの悪あがき。

 

 ガタリ、と前方の扉が開く。本鈴が鳴る直前、絶妙なタイミングで教室に入ってきたのは、担任の茶柱佐枝だった。教室内を包む異常な殺気と怒号。茶柱はその光景を視界に入れながらも、特に驚く様子もなく、冷淡な眼差しで教壇の堀北を見つめた。

 

「朝から騒がしいな。中間試験前だというのに、随分と余裕があるようだが?」

 

 茶柱が教壇へと近づく。その瞬間、堀北はまっすぐに担任の瞳を見つめ、凛とした声で一つの質問を投げかけた。

 

「茶柱先生。確認したいことがあります。――今回の中間試験において、『試験範囲の変更』があったのではないですか?」

 

 その質問が、教室内を駆け巡る。これがオレたちの放つ『チェックメイト』の瞬間だった。

 

 茶柱は一瞬、足を止めると、その整った顔立ちに歪んだ笑みを浮かべた。彼女の喉から、低く掠れた笑い声が漏れる。

 

「くくっ……すまないな」

 

 茶柱が出席簿を教壇に置くと、クラス全員を見渡した。

 

「確かにお前の指摘の通りだ、堀北。今回の試験において、直前での試験範囲の変更があった。それをお前たちに伝え忘れていた」

 

 担任の口から放たれた、あまりにも不条理な事実の暴露。

 

「は、はぁァァァァァっ!?」

 

「伝え忘れてたって、何だよそれ!!」

 

 池や山内が大声で騒ぎ立てる。クラス全体が、担任の信じられないミスに対して激しい怒りとパニックに陥る。山内が過去問を指差して、迂闊に何かを叫びそうになったところで、茶柱の氷のように冷たい声がそれを遮った。

 

「静かにしろ。範囲の変更を伝え忘れていたのは、確かに私のミスだ。だが――現実は変わらない。試験範囲が変更になったという事実は動かず、数日後には試験本番が訪れる。お前たちが窮地に追い込まれたことは事実だが、この程度なら全員が乗り越えられると私は思っている」

 

 その台詞を聞いた瞬間、勘のいい数人の生徒は気づいたはずだ。茶柱が放ったこの「この程度なら全員が乗り越えられる」という奇妙な台詞を。

 

「では、出席を取る」

 

 そして、茶柱は手早く出席を取り終えると、騒然とする教室に背を向け、手早く去っていった。

 

 静まり返る教室内。

 

 担任の情報隠蔽という絶対的な絶望。しかし、その絶望を完全に打ち砕く物証が、今、堀北の手の中にあった。試験範囲の変更が事実であるならば、彼女が提示した過去問の信憑性は高く、ましてや範囲変更後の中身が一致したのならばもはや一分の疑いもない絶対的な救いへと昇華する。

 

 張り詰めた沈黙の中、平田がゆっくりと立ち上がり、隣の席の堀北に向かってあえて声を大にして言った。

 

「……堀北さん。今回の件、本当にありがとう。君がこの過去問を用意して、試験範囲の変更を教えてくれなかったら、僕たちのクラスからは確実に退学者が出ていた。そんな危機を、君が救ってくれたんだ」

 

 平田の心からの感謝の言葉。その発言に、真っ先に反応したのは櫛田桔梗だった。

 

「ごめんね、堀北さん……私、そんなこと知らなくて、過去問の範囲が違うって変に疑ったりしちゃって……みんなを不安にさせちゃったのは私のせいだよ。本当にごめんなさい」

 

 櫛田は申し訳なさそうな表情を浮かべながら、素早く頭を下げた。

 

 最初に「範囲外」という疑念を口に出し、裏でヘイトの糸を引いていた張本人が、状況が完全に堀北の勝利へと傾いた瞬間に、誰よりも早く自らの非を認めて謝罪側に回る。そうすることで、自分のポジションを守りつつ、堀北に対して良い感情を持っていない人間が便乗した形で口にしていた不満の退路を、綺麗に断ったのだ。

 

 瞬間、肩の上のマスコットが「ひうっ」と驚きに目を見開く。

 

 そして同じように見えている堀北も気づいてしまうが、上手くポーカーフェイスを張り付けている。

 

「ど、どうかした? 堀北さん?」

 

「なんでもないわ。櫛田さん、平田くん、これを人数分、クラス全員に行き渡らせて頂戴。試験本番までの残り二日間、この過去問を確実に覚えられるように、放課後に集中勉強会を開くわ。学力に不安のある人は、必ず参加して頂戴――私の話は、以上よ」

 

 堀北の力強い告知とともに、朝の劇的な一幕は終わりを迎えた。

 

 自席へと戻ってくる堀北の背中を見つめながら、オレは小さく息を吐く。過去問を回し、クラス全員を救う土台は整った。これでクラス内における彼女の発言力は強固なものとなるだろう。

 

 本来ならば中間試験の変更を告げて、過去問を配って救世主になる筈だった少女の前で。

 

 その少女の足元、影には巨大で不気味な二次元コードが産まれていた。

 

 

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