Persona x Classroom of the Elite   作:仔羊肉

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後書きは使っていますのでここに謝意を置かせてください。いつも読んでくださりありがとうございます。暖かい応援や評点により二章を投下できました。また誤字脱字が残っているようで申し訳ありません。報告非常に助かっています。


皆様のおかげてモチベーションが高く続けられ本来ならお盆前までの締め切りで計算していたスケジュールを早めることができました。引き続き、楽しんで頂けると幸いです。


IntermissionⅡ

 

【The Fool III】

 

 フォーラムの重苦しく湿った空気。

 

 その異空間の静寂を打ち破ったのは、シャドウたちの不快な唸り声ではなかった。

 

「──アカモート!」

 

 凛とした、真剣味を帯びた声が荒れた校舎に響き渡る。

 

 声の主は櫛田桔梗だった。彼女の背後に揺らめく影が、歪んだ空間を押し広げるようにしてその圧倒的な威容を現す。

 

 出現したのは、息を呑むほどに奇怪で、同時に冒涜的な美しさを孕んだ異形の存在──『アカモート』。

 

 その姿は、一見すると若く美しい裸身の女性像であった。しかし、その肌は生身の温もりを一切感じさせない磁器のような白さを誇り、胸元や腰回りといった秘部のみが、青白く光輝く重厚な鋼鉄の装甲と鎧によって厳重に隠されている。顔の大半は冷徹な金属面で覆われ、そこから覗く瞳には一切の情念が宿っていない。

 

 まるで「露悪」と「隠蔽」という矛盾した概念が、そのまま一つのペルソナとして結実したかのような姿。それが、自身の二面性と対峙し、己の泥泥とした本性を認め受け入れた櫛田の心の具現化であった。

 

 ふわりと浮遊するアカイモートの白い指先が、空間を優雅になぞる。次の瞬間、彼女の前に、黄金の神聖な文字が刻まれた巨大な紙札が数枚、空中にゆらりと浮かび上がった。

 

「──マハンマ!」

 

 櫛田の鋭い一喝と同時に、浮かび上がった札が激しい光を放ちながら弾けた。

 

 その眼前に群がっていたのは、土器の壺から不気味な頭部と手だけを突き出させたシャドウ──『アガシオン』の群れだ。五体、いや六体はいただろうか。顔を歪め、キーキーと耳障りな甲声をあげながら、鋭い爪を立てて襲いかかろうとしていた奴らである。

 

 しかし、その圧倒的な光の前には、いかなる反撃も許されなかった。閃光が、アガシオンたちの蠢く壺を真正面から貫く。

 

 破魔の光芒に包まれたシャドウたちは、叫び声をあげる時間すら与えられず、壺ごと内側から白光を爆発させた。パリン、と澄んだ磁器の割れるような音が回廊に幾重にも反響し、次の瞬間には影の残骸すら残さず、光の粒子となって雲散霧消していく。

 

 戦闘終了。

 

 宙に散った光の残骸が、小さなソウル結晶──この世界での通貨であり修復エネルギーでもある『DP』へと変換され、スッと吸い寄せられるようにオレたちの手元へと集まってくる。

 

「……ふぅ」

 

 櫛田は短く息を吐くと、背後に浮かぶアカイモートをスッと霧のように消滅させた。

 

 胸の前で優しく手を組むいつものアイドルらしいポーズを取りつつも、その口元にはどこかヤケクソ気味で、しかし確かな全能感を噛みしめるような凶悪な笑みが混ざっていた。自分の内に眠るドロドロとした暗部を力に変えて撃ち放っているように見える。

 

「広範囲の光属性攻撃──強いわね」

 

 女教皇のペルソナを消しながら、警戒体制を解いた堀北鈴音が歩み寄ってくる。彼女の黒髪が、残光に照らされて美しく揺れた。

 

「まぁ、こんくらいならまだまだいけるけど」

 

 櫛田はふっと肩を竦め、いつもの可憐な声色に裏の突放したようなニュアンスを混ぜ込んで応じる。クラスメイトの前で見せる完璧な優等生の仮面は、もうオレと堀北と一匹の前では半分以上脱ぎ捨てられている。

 

 だが、その和やかな空気を、甲高い羽ばたき音が強引にぶち壊した。

 

「うーん、ハラグロさんのまとめてドバーッてやるの便利なのよー……ずるいの! あたしも次はまとめてドバーッとやるのよ! ツンツンさん、手伝って!」

 

 バタバタと金属質の小さな羽を狂ったように羽ばたかせながら、ピンクと白のフォルムを持った謎のマスコット──ヒュロポスが、オレたちの頭上をぐるぐると旋回し始めた。

 

「誰がハラグロよ、この焼き鳥」

 

 櫛田が即座に低い声で毒を吐く。

 

「焼き鳥じゃないのねー! 美少女妖精監督のヒュロポスちゃんなのよー! とにかく、あの光のババーンってやつ、見た目が派手でズルい! あたしのイカロスちゃんだって、もっとババーンとやりたいのに! ヒートウェイブは疲れるからやりたくないけどそれしかババーンってできるのないのよー! でもツンツンさんが魔法をかけてくれたらマハガルでもバーンって出来るの!」

 

 ヒュロポスは不満を全身で表現するように、空中でクルクルと一回転してみせた。そして、そのまま堀北の肩のあたりへ降下しようとして、堀北の冷ややかな視線に射抜かれ、慌てて少し離れた位置で滞空する。

 

 事実、シャドウの強さは少しずつ強力になってきている。少し前まではマハジオやマハガルといった魔法で倒せていたシャドウもここ最近では撃ち溢すことがある。

 

「はいはい。どう考えてもあなたに支援をかける方が効率悪いからその意見は却下よ」

 

 オレたちの中で新しく出来た櫛田命名によるSPという概念。ヒュロポスが以前言っていた心のエネルギーを数値化し、戦闘を効率的に行う際に組み込まれた。

 

 その管理を主に担っているのは堀北であり、なし崩し的に指示役を行っていたオレは戦闘においての指示役を担い、堀北は全体のSPの管理を現在は担っている。

 

 簡易的な役割ではあるものの、取り入れたことによって無駄な消費を防ぎ、かつ効率的な戦闘を行えるようになってきている。

 

「ツンツンさんのケチンボー!」

 

 騒がしいマスコットの戯れ言を適当に受け流しながら、オレたちは周囲の安全を確認する。アガシオンの群れを掃除したことで、この階層の通路は安全を確保できた。

 

 そんな中、櫛田がふと立ち止まり、アカイモートを消し去った自分の右手をじっと見つめていた。そして、何か思い当たったかのように首を傾げ、オレの方へと視線を向けてくる。

 

「ねぇ、気になってたんだけどさ」

 

「なになにー?」

 

「どうして綾小路くんのペルソナだけ、姿をコロコロ変えるわけ?」

 

 櫛田の素朴な、しかし核を突く疑問。

 

 その言葉に、堀北も足を止め、思い出したようにオレを見つめ返した。

 

「そういえば……尋ねるタイミングを完全に逃していたわね。私やヒュロポスだけだったらサンプルとして放っておいたけれど櫛田さんも一つとなれば綾小路くんが特殊だと考えた方が自然ね」

 

 堀北の観察眼は鋭い。彼女自身、ペルソナ『プロウニコス』を覚醒させて以来、その存在との対話を通じて「ペルソナとは個人の魂の形である」という本質を直感的に理解しているのだろう。だからこそ、その「魂の形」を複数持ち、戦闘中に自在に変えるオレの異質さが際立つわけだ。

 

 二人の視線がオレに集まる。

 

 すると、何を勘違いしたのか、宙に浮いていたヒュロポスが急に胸を張り、青いレンズ状の瞳をキラリと輝かせながら割り込んできた。

 

「むひょひょひょひょぽー! それは二人の秘密なのねー! 教えてあげないのねー!」

 

 翼をパタパタと動かし、ニマニマとしたドヤ顔を浮かべるヒュロポス。どうやらオレとヒュロポスの間で共有されている特別感に酔いしれているらしい。

 

「秘密……?」

 

 櫛田が眉をひそめる。そして次の瞬間、彼女はフッと表情を和らげると、トコトコとオレの至近距離まで歩み寄ってきた。

 

 コテン、と小首をかしげる。

 

 上目遣いでオレの目をじっと見つめ、胸の前でキュッと両手を握りしめる。小悪魔的というか、男の庇護欲を極限までくすぐる完璧な「可愛らしい女子高生」の演劇。

 

「ねぇ……教えて、欲しいな……?」

 

 甘く、耳元に滑り込むような声。吐息すら感じられそうな距離感だ。

 

 かつてクラスの男子全員を魅了し、翻弄してきた「櫛田桔梗」の最強の武器。表の仮面と裏の悪意を知った今となっては、その仕草の裏に「さっさと吐け」という強迫的な圧力が透けて見えるのが恐ろしいところだが。

 

 オレは感情を一切動かさず、軽く溜息を吐き出した。

 

「……別に秘密でもなんでもないぞ」

 

「ヒュポ!?」

 

 オレのあっさりとした返答に、一番激しいリアクションを見せたのはヒュロポスだった。宙でずっこけるように体勢を崩し、羽をバタつかせながらオレの顔の前まで飛んでくる。

 

「あたしには『他の奴らにはあまり詳しく話すな』って言ったのに! 嘘つき! 嘘つき人間さん! めっ! 嘘は駄目なのよー!」

 

「秘密にしろと言った覚えはない。『余計な混乱を招くから、自分から言いふらすな』と言っただけだ。質問されたら、隠す意味もない」

 

「ぬぐぐぐ……屁理屈なのねー! 人間さんは相変わらず可愛げがないのよー!」

 

 ぷんぷんと腹を立てて頬を膨らませるヒュロポスを無視し、オレは堀北と櫛田に向き直った。

 

「オレのペルソナの能力は、『ワイルド』と呼ばれるものらしい」

 

「ワイルド……?」

 

 堀北が言葉を反芻する。言葉だけ見れば英語の「野生の、荒々しい」、あるいはタロットカードにおける「万能札」辺りが連想されやすいだろう。

 

「あぁ。お前たちを観てると通常のペルソナ使いは、自身の内に秘められた一つの仮面──つまり単一のペルソナしか扱うことができないことが推察できる。だが、ワイルドの資質を持つ者は、複数のペルソナを心の中にストックし、戦況に応じてそれを自由に付け替えて戦うことができるんだ」

 

「複数のペルソナを……付け替える……」

 

 櫛田が呆れたように息を漏らした。

 

「便利じゃん。相手の弱点に合わせて属性を変えられるってことでしょ? 一人で何でもできちゃうわけだ。ズルくない?」

 

 表向きは感心したような口調だが、その瞳には「チート能力じゃん」という冷めた色が浮かんでいる。自分が泥を啜るようなトラウマと向き合ってようやく手に入れた力を、オレが複数所有しているという事実に、少なからず不公平感を感じているのかもしれない。

 一方、堀北の受け止め方はより論理的で、戦術的だった。

 

「……それが事実なら、無限に選択肢があるってことよね」

 

 堀北は人差し指を顎に当て、鋭い思考の海へと没入していく。

 

「火炎、氷結、電撃、疾風、そして光や闇……敵の弱点属性を把握し、それに最適なペルソナを常に召喚し続けることができれば、あなたは単独で万能の戦力となり得る。理論上、いかなるシャドウの群れに対しても詰むことがなくなるわ」

 

「いや、無限というわけではない」

 

 オレは堀北の過剰な評価を即座に否定した。

 

「オレの中にストック出来る数は限られてくる。今のところ、四つほどだ」

 

「四つ……」

 

 堀北は少し驚いたように目を見開いた。

 

「ストックの容量に制限があるのね。けれど……なるほど。でも、今まで見てきた貴方のペルソナは、確かに四つ以上あったわ。アグニに始まって、いくつかの小柄なシャドウから得たペルソナ……つまり、新しいペルソナを獲得した際、古くなったものや不要なものを『捨てる』という形になるのかしら。だからあの初めて見た時の雪だるまは使ってなかったのね」

 

「あぁ、そうだ」

 

 オレは肯いた。

 

「でも、あなたに、その情報をどこで知ったの?」

 

 堀北に指摘されてオレはヒュロポスに引き出しの中に直している紙を取り出してもらう。そこには『ワイルド』に関する能力の記載がされてあった。文体だけは似通わせた偽の実験記録。

 

「あなた、ねぇ……重要な情報なら私にも見せなさいとあれほど……でも、これで三枚目ね」

 

「直接的なフォーラムに関する情報じゃなかったからな」

 

「ねぇ、私はその他の二枚も見てないんだけど……」

 

 櫛田のじっとりとした視線に気まずそうに目をそらす堀北。こほんと咳払いをしてヒュロポスに残りも出してと、口にした。

 

「ねぇねぇ、人間さん」

 

「なんだ」

 

「じゃあ……あの最初のおっきくて、ドバーッとして、バーンっとした、強そうなのっぺらぼうの天使さんは、もーつかえないのー?」

 

「…………」

 

 ヒュロポスの言葉に、堀北と櫛田は不思議そうな視線を投げてきた。

 

『最初のおっきくてドバーッとしてバーンっとした強そうなのっぺらぼうの天使さん』

 

 ヒュロポスが言っているのは、オレが最初に呼び出したペルソナのことだ。オレは──ヒュロポスの疑問に端的に答える。

 

「そうだな。今は使えない」

 

「そっかー! だからなのねー! 人間さんってば、最初にペルソナ出した時はとぉーっても強くて『うひょー! 頼りになるのねー!』って思ったのに、最近はなんかパッとしなきペルソナばっかり使ってるから、なんでかなーって思ってたのよー!」

 

 ヒュロポスは納得したように翼をポンと叩いた。どうやら彼女の中で「強力な初期ペルソナは手放した」という都合の良い解釈が完成したらしい。

 

「命の危機で、火事場の馬鹿力のようなものが出ただけだ」

 

 嘘ではない。あの時の召喚は、オレ自身の防衛本能が極限まで噛み合った結果でしかない。

 

「そっかー、じゃあ今度あんな目にあいそうな時は、あたしが守ってあげるのね!」

 

 ヒュロポスは胸を張り、小さな翼をフンスと鼻息荒く羽ばたかせた。

 

「任せるのよー! 美少女妖精ヒュロポスちゃんの超絶パワーで、シャドウなんてイチコロなのねー!」

 

 堀北はヒュロポスに苦笑を向けつつも、どこか深く納得がいかないといった様子で、顎に手を当てて考え込んでいた。

 

「……私たちの時とは、目覚め方が違うのね。だからかしら」

 

「どういうことだ?」

 

「私や櫛田さんは、自分自身の防衛機制……それと向き合うことでペルソナを得たわ。元の歪んだ防衛機制だけではまた間違う、と。新たな生き方を自らに問いかけられた。だからこそ、私たちのシャドウとペルソナは私たちの魂そのものであり、変えることなんて簡単にできない」

 

 堀北は自身の胸元に手を当て、力強い瞳でオレを見つめる。

 

「けれど、あなたは違う。あなたは生き方を固定化せず、あらゆる仮面を被ることができる。それは……あなたが柔軟であることの証明なのか、それとも……」

 

「ただの適性の違いだ。器の形が違うだけで、根底にある原理は変わらない。オレがワイルドだからといって、お前たちのペルソナより優れているわけでもない。現に、特化された一音の強さという意味では、お前たちのペルソナの方が純度が高い場合もある」

 

「……そう。まあ、あなたがそう言うなら追及はしないけれど」

 

 堀北は少し納得いかない表情を残しつつも、それ以上オレの過去や精神構造に踏み込もうとはしなかった。彼女もまた、不必要な境界線の越境が関係性を壊すことを学びつつあるのだろう。

 

 一方、櫛田は二人のやり取りを少し離れた場所から静かに観察していた。その瞳には同情ともつかない複雑な色が浮かんでいる。

 

「へぇ……『本当の自分がない』、か。なんか綾小路くんらしくてしっくりくるかもね」

 

 櫛田は含みのある笑みを浮かべ、髪を耳にかけた。

 

「あたしみたいに『表の顔』と『裏の顔』で苦しんでる人間からすれば、顔なんていくつあっても平気で、どれも本物じゃないみたいな生き方って、ちょっと羨ましい気もするけどね」

 

「羨ましがるようなものではない。ただの道具の使い分けだ」

 

「ふん、出た出た。道具ね」

 

 櫛田は鼻で笑うと、クルリと背を向けた。

 

「まあいいや。理由はどうあれ、綾小路くんが色んな属性を使えるなら、あたしたちの負担が減るってことだし。タンクもヒーラーもアタッカーも全部一人でやってくれるなら、あたしは後ろで高みの見物でも決め込んじゃおっかな」

 

「勘違いするな。オレ一人で対応できる範囲には限界がある。お前や堀北の協力が不可欠だ」

 

「はいはい、分かってますよーだ」

 

 櫛田は投げやりに手を振ってみせたが、その言葉には以前のような殺気や拒絶は含まれていなかった。むしろ、どこか嬉しそうですらある。

 

 オレたちはお互いに「利用し合える関係」であることを再確認したことで、むしろ妙な連帯感が生まれているようでもあった。

 

「さて……ムダ話はこのくらいにして、そろそろ先に進みましょうか」

 

 堀北の合図と共に再び異世界の校舎内部の探索を再開した。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 連戦を終えて、一息つく。校舎の中は一通り周り終えた。計十二回の戦闘、先日の櫛田の件があった日に比べればシャドウの数はかなり少なくなっている。

 

 あの日が多すぎたという考え方も出来るが。

 

「……ねぇ、綾小路くん」

 

 不意に、隣を歩いていた櫛田が声をかけてきた。声量を抑えた、静かな問いかけだ。

 

「なに?」

 

「さっき『捨てたペルソナ』の話をしたでしょ?」

 

「あぁ」

 

「一回捨てちゃったペルソナってさ……二度と戻ってこないの?」

 

 櫛田の表情は暗がりで見えづらかったが、その声にはかすかな緊張が含まれていた。

 

「いや……一度認識し、記録されたペルソナであれば、適切なプロセスを経れば再び召喚することは可能だ。ただし、そのためには相応のエネルギーや条件が必要になる。もしくは同じような形態のシャドウを倒した際に登録できることもある」

 

「ふーん……記録、ね」

 

 櫛田は自嘲気味に口元を歪めた。

 

「人間も同じかもね。一度捨てた自分の過去とか、隠したかった裏の顔とか……消したつもりでも、どっかに記録されてて、忘れた頃にこうやって突きつけられる」

 

 彼女は自分の胸元──アカモートが召喚された場所を軽く撫でた。

 

「あたし、あの時のシャドウや自分のペルソナの『アカモート』を見た時、嫌だった。裸で、大事なところだけ鎧で隠してて……まるで『人に好かれるために色気振りまいてる』ってみたいでさ」

 

「だが、お前はそのペルソナを受け入れ、今日も敵を一掃してくれた」

 

 オレが淡々と言うと、櫛田は少し驚いたように目を丸くし、それから可笑しそうにクスリと笑った。

 

「励ましてるつもり? へたくそ」

 

「事実を言っただけだ。シャドウとアディトンはお前の心の歪みから生まれたものだが、同時にそれを認めて、新たな一歩を踏み出した強さの現れがペルソナでもある。不快感はあるだろうが、戦力として極めて優秀だ」

 

「……ほんと慰め方、へたくそ。でも……ありがと」

 

 櫛田は短くそう言うと、少しだけ歩調を早めて堀北の隣へ。

 

 二人の少女の背中。

 

 現実世界では決して相容れなかった筈の二人が、この異世界『フォーラム』においては不思議な均衡を保ちながら並んで歩いている。

 

 歪で、不完全なチーム。

 

 しかし、だからこそ面白い。

 

 オレが学んできた環境では決して得られなかった他者との相互作用。それがオレの内にどのような変化をもたらすのか。

 

「人間さん人間さん! あっちに隠れてたシャドウがいるのね! レアモノの気配なのよー!」

 

 前方を飛んでいたヒュロポスが、興奮気味に羽をバタつかせながら戻ってきた。

 

「レアモノ?」

 

 堀北が足を止め、両端を布で覆った杖を構える。

 

「そーなのよ! みるからに金ピカなのよ!」

 

「そうか……準備はいいか、二人とも」

 

 オレの問いかけに、堀北は頷き、櫛田は裏の凶悪な笑みを口元に浮かべて「いつでもいいよ」と答えた。

 

「ヒュポッ! 今回はあたしが監督らしく華麗に決めてあげるのよー!」

 

 賑やかなマスコットの声を合図に、オレたちはヒュロポスの案内に続く。今日もまた、復興するためにオレたちはシャドウを狩る。

 

 

 

 

 

【The Moon Ⅰ】

 

 

 人の『評価』というものは、極めて曖昧で現金な代物だ。

 

 一度植えつけられた印象はなかなか拭えない反面、日々のわずかな立ち振る舞いの変化によって、容易にその性質を豹変させる。

 

 あの劇場での『対峙』──自身の心の底に潜む泥泥とした承認欲求と向き合い、ペルソナ『アカモート』を覚醒させて以降、櫛田桔梗という少女を取り巻く環境は確実に変化していた。

 

 結論から言えば、あの日を境に櫛田へ無闇に近づこうとする人間は激減した。

 

 もちろん、彼女がこれまで通り誰にでも分け隔てなく明るい笑顔を振りまき、全方位に向けた偶像的な愛想を振りまき続けていたのだとしたら、クラス内での立ち位置が元通りになるのも時間の問題だったのだろう。

 

 だが、今の彼女は以前のような「完璧な優等生」の演劇の公開を停止していると言ってよかった。

 

「あ、あのさ……っ、櫛田ちゃん!」

 

 放課後のチャイムが鳴り響いた直後の教室。

 

 一人の男子生徒が、意を決した様子で櫛田のデスクへと歩み寄っていった。周囲の男子たちが固唾をのんでその様子を見守っている。

 

「こ、この後さ、一緒に遊びにいかない!? ほら、カラオケとかさ!」

 

 顔を真っ赤にし、声のトーンを不自然に上ずらせながら誘いをかける男子生徒。

 

 以前の櫛田であれば、ここで満面の笑みを浮かべ、相手の自尊心を傷つけないよう細心の注意を払いながら、「わぁ、すごく行きたいんだけどね、今日は先約があって……本当にごめんね? 今度ぜひ誘って!」といった具合に、迂遠で丁寧なやり取りを重ねて断っていたはずだ。相手の好感度を維持し、己の評価を一切下げないための、血の滲むような苦心と計算。

 

 しかし、今の櫛田の反応はまったく異なっていた。

 

「うーん、ちょっと無理かな」

 

 櫛田は短くそう口にする。

 

 声色こそ柔らかく、表向きは微笑を浮かべてはいるものの、そこには以前のような「相手に好かれたい」「相手に嫌われたくない」という切迫した熱量が一切感じられない。文字通り、単なる拒絶の意を事実として伝えているだけだ。

 

 男子生徒は、予期せぬあっさりとした応答に焦りを滲ませ食い下がる。

 

「一時間……いや、三十分お茶するだけでもいいんだけど!」

 

「ごめんねー」

 

 櫛田はそこで短く言葉を切り、会話の終了を告げるように視線を手元のスマートフォンの画面へと落とした。一切の追撃を許さない、静かで完璧なすげなさ。あしらわれた男子生徒は、それ以上言葉を重ねることができず、逃げるように自分の席へと戻っていった。

 

 それを池は慰め、山内はからかっている。須藤はよくやんなぁ、と呆れた視線を投げながら挨拶を交わして部活へ向かっていった。

 

 オレは自分の席から、その一連のクラス内でのやり取りを観察していた。

 

 かつての櫛田桔梗は、誰にとっても親しみやすく、頑張れば手が届くのではないかと思わせる存在──いわば「売られているように見える非売品」だった。展示品のように身近にありながら、実際には絶対に手に入らない巧みな売り方。

 

 だが、無駄な取り繕いをやめた現在の彼女は、男子生徒たちの間から「鑑賞用」として認識され始めている。いつの間にか、隣の席に座る堀北鈴音と並ぶような『高嶺の花』へと変貌を遂げていたのだ。

 

 もっとも、自分を偽るのをやめたからといって、彼女の魅力の根本を形成していた容姿や本来の社交性が損なわれたわけではない。

 

「……相変わらず、男子人気そのものは衰えていないみたいだな」

 

「ヒュポー、く、悔しいのよ、本来ならこのクラスのアイドルといえばあたしの筈だったのに! いつの間にかブサカワマスコットなんて扱いになってるのよ!」

 

 そもそもこの鳥は生徒ですらない。まるで同じ土俵に立っているかのように憤る鳥頭を隣の席の女子は可哀想なものを見る目で見つめている。

 

 そして、当の櫛田はといえば、男子生徒をあしらった後、慣れた手つきでスクールバッグを肩にかけた。そして、迷うことなく教室の後方へと歩き出す。

 

 彼女が向かった先にいたのは──長谷部波瑠加と、眼鏡を外した佐倉愛里の二人だった。

 

「きょーちゃん、準備できた~?」

 

「うん、お待たせ。行こっか」

 

「うん、行こう、き、桔梗ちゃん」

 

 長谷部が気さくに声をかけ、佐倉が少し緊張混じりに小さく頷く。三人は自然な動作で並び立つと、楽しそうに言葉を交わしながら教室を出ていった。

 

 クラスの誰もが、未だになれないのか、その意外な組み合わせに目を丸くしている。

 

 目立つ容姿をしていたがグループに属さなかったが少人数とはいえ人とつるむようになった長谷部と、極度に内向的であったが眼鏡を外し優れた容姿を隠さなくなった佐倉。そして、かつてはクラスの中心で誰とでも群れていたはずの櫛田。

 

 一見すると接点のないように見える彼女たちが、なぜこうして共に行動し、一緒に行動するようになったのか。

 

 オレは去っていく三人の背中を見送りながら、一週間前の出来事を思い出していた。

 

 ──彼女たちがこうしてつるむようになった理由。

 

 それは、ちょうど一週間前の放課後に遡る。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 アディトン攻略からちょうど一週間が経った、日曜日の朝。

 

 フォーラムの復興活動において、リーダーシップを執る堀北は今日、クラスでの調整作業の用事で一日不在となっていた。そのため、異世界での探索作業は必然的に休養日となり、オレは自室で静かに今日一日の過ごし方を思案していた。

 

 一人で部屋で読書でもして過ごすか──そう腹をくくりかけた、まさにその時だった。

 

 ピンポーン、と部屋のインターホンが鳴った。

 

 ドアを開けると、そこに立っていたのは──櫛田桔梗だった。

 

「ねぇ、暇、どっか連れてって……」

 

「……」

 

 開口一番、彼女の口から飛び出したのは、あまりにも突飛でとんでもないおねだりだった。

 

 無表情を崩さないよう訓練されているオレであっても、これには流石に目を白黒させるしかなかった。休日、堀北もおらず、フォーラムの探索もないというのに、なぜ彼女がオレの部屋を急襲してきたのか。

 

 オレの頭上で滞空していたヒュロポスが、青いレンズの瞳をパチパチと明滅させながら声をあげる。

 

「今日は復興部おやすみなのよー」

 

「知ってるっての」

 

 櫛田はヒュロポスに向けて、すげなくそう吐き捨てた。

 

 フォーラムの休養日であることを百も承知の上で、彼女はオレの自室を訪れ、第一声で「どこかへ連れて行け」と要求してきたのだ。

 

「まー! なんてワガママな子なのかしら! でも、あたしもずーっとお部屋の中にいるのは退屈だからお外いきたいのねー! どっか連れてくのよ、人間さん!」

 

 今度はヒュロポスまでもが、バタバタと小さな羽を扇動するように振り回しながら便乗して騒ぎ始めた。

 

 二人に挟まれ、朝から部屋の前で押し問答を続けるわけにもいかない。オレは溜息をひとつ吐くと、強制的に彼女たちを連れて外へ出かけることを余儀なくされた。

 

「……出かけるといっても、ポイントもないから散歩くらいしかできないぞ」

 

「散歩……」

 

「ちなみにオレの散歩には目的がふたつある。ひとつはフォーラムの復興に役立つ二次元コードを敷地内で探索すること。もうひとつは、単純な健康維持だ」

 

 オレが淡々と説明すると、櫛田はあからさまに引きつった表情を浮かべた。

 

「じ、ジジくさ……」

 

 率直すぎる感想が漏れ出る。だが、彼女はすぐに「はぁ」と溜息を吐くと、髪を耳にかける仕草を見せた。

 

「まぁ……家でじっとしてるよりは、偶にはいっか」

 

 文句を言いながらも、ついてくる気は満々らしい。

 

 そうしてオレ、櫛田、そして頭上に乗るヒュロポスの一行は寮を出て、敷地内の公園へと差し掛かる遊歩道を歩いていた。休日の朝の空気は澄んでおり、散歩にはうってつけの気候だ。

 

 だが、公園の敷地に入ろうとしたその時、少し前を歩いていた櫛田が急に足を止めた。

 

「ね、ねぇ……」

 

 後ろから声をかけられ、オレは振り返る。

 

 見れば、櫛田は顔をそっぽに向かせたまま、何か非常に言いづらそうな様子でモジモジと佇んでいた。その頬はかすかに赤らんでいる。

 

「て、手繋いでいい……?」

 

 上目遣いすら使わず、どこか苦々しそうに、けれど恥ずかしさを帯びた声で、彼女はそう口にした。

 

 オレは何のためにそんな提案をするのか、純粋な疑問が浮かび、首を傾げた。

 

「何のために──」

 

「んもー! 本当に甘えんぼさんなのねー! ツンツンさんにもこうやって偶におねだりするのよ、ハラグロさんは!」

 

 オレが問いかけるより早く、ヒュロポスが空中でニマニマとからかうような声をあげた。その言葉を聞いた瞬間、櫛田の顔が爆発したかのように真っ赤に染まった。

 

「う、うっさい! アホ鳥! こ、これ、多分、フォーラムとか異世界の後遺症なの! だから繋ぐ!」

 

 言い訳にもなっていない言葉を叫ぶと、櫛田は有無を言わさぬ力強さで、オレの右手をギュッと掴んできた。

 

 小さく、しかし確かな体温を持った彼女の手が、オレの指と絡み合う。

 

「……」

 

 オレは繋がれた手元を見つめながら、彼女のこの不可解な行動の背景にある心理メカニズムを分析し始めていた。

 

 かつての櫛田桔梗は、男子生徒に対しても頻繁にボディタッチを行っていた。過剰なまでの距離の近さと隙の多さ──それが彼女の男子人気を誇る最大の一因であったことは間違いない。

 

 だが、もしかすると……あの無造作とも思える身体的接触は、彼女の無意識下において愛情不足を補給するための本能的な術だったのかもしれない。 

 

 人間は、他者と肉体的接触を行う際、脳内から『オキシトシン』と呼ばれるホルモンが分泌される。これはストレスの軽減や不安の緩和、他者への親近感を醸成する効果を持つ、いわゆる「幸福ホルモン」だ。

 

 かつての櫛田は、他者への猛烈な嫌悪感や泥のような悪意を隠蔽するため、「反動形成」と呼ばれる防衛機制を用いていた。嫌いな相手だからこそ、極端に親しく接し、身体を触れ合わせる。そうすることで無意識下に蓄積される膨大なストレスを、接触によって得られるオキシトシンで分解し、なんとか精神の均衡を保っていたのではないか。

 

 しかし、アディトンでの心の解放を経て、彼女はある程度その過剰な反動形成を使った対応を修正した。

 

 結果として、彼女は日常的にオキシトシンを補給する手段を失ってしまったのだ。

 

 だが、人間の身体が求める生理的欲求は急には止まらない。補給源を失った彼女の無意識が弾き出した結論──それが、自らの『裏の顔』や『泥の心理』を知っている数少ない人間、すなわち堀北やオレといった「安全が担保された他者」に対して、直接的に接触を求めるという形へと変化したのだろう。

 

「……後遺症、か」

 

「な、なに? 文句あるわけ!?」

 

 オレが呟くと、櫛田は繋いだ手にギュッと力を込め、睨みつけるように見上げてきた。だが、その瞳には拒絶ではなく、どこか縋るような色が混ざっている。

 

「いや、文句はない。好きにすればいい」

 

「……ふん。言われなくてもそうするし」

 

 櫛田はそっぽを向いたが、握られた手の力は緩められなかった。

 

「ヒュポー! まったくあまえんぼさんなのねー! やれやれ、あたしも繋いであげてもいいのよ!」

 

 頭上で騒ぐマスコットの声を遠くに聞きながら、オレたちは繋いだ手の温もりとともに、静かな公園の小道へと足を踏み入れていった。

 

「え? 鳥の羽って寄生虫いそうだから嫌なんだけど」

 

「居ないのよー!! な、なんてこと言うのかしら、この子は! まったくもう! まったくもう!」

 

 ヒュロポスはオレの頭から飛んで、櫛田の頭に飛び移り、ペシペシと叩いていた。その時──。

 

「ぴゃぁぁぁぁ!」

 

 間の抜けた叫び声のようなものが背後から聞こえた。振り返ってみれば──アイスを片手に持った長谷部とカメラを首からかけた佐倉が居た。 

 

「うーわ、きよぽん……やるねぇ……」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、櫛田の全身が跳ねるように強張った。

 

「っ……!?」

 

 反射的に、櫛田は手を弾くようにしてパッと離した。その勢いがあまりにも急だったため、繋がれていた手の温もりが一瞬だけ空中に取り残される。

 

「い、今、手を、手を……っ!」

 

 首からデジタルカメラを下げた佐倉が、目を見開いてオレと櫛田を交互に指さしながら、動揺のあまりどもっていた。その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 

「きよぽん、堀北さんともあろう人が居ながら浮気?」

 

 長谷部は手に持ったアイスを舐めながら、意悪く口元を歪めて尋ねてきた。その瞳には面白がるような好奇心が露骨に浮かんでいる。

 

「佐倉さん、長谷部さん。これは何でもなくて……!」

 

 いつもの完璧な接客用スマイルを崩し、らしくもなくしどろもどろに弁明する櫛田。手持ち無沙汰になった両手を胸の前で泳がせ、視線をあらぬ方向へ飛ばしている。かつてクラスのアイドルとして君臨していた頃の彼女からは想像もつかない、非常に珍しい取り乱し様だった。

 

「ほうほうほう」

 

 長谷部はニヤニヤとした笑みを深め、楽しげに喉を鳴らした。

 

「もしかして櫛田さんが変わったのもきよぽんが原因?」

 

「えっと、あー、うん、それは……まぁ、少しは」

 

 長谷部の鋭い追求に、櫛田は気まずそうに視線を泳がせながら、絞り出すような声で答えた。否定しきれずに認めてしまった格好だ。

 

「ひぇぇぇぇっ!?」

 

 それを聞いた佐倉が、まるで悲鳴のような金切り声をあげてその場でのけぞった。何がどうなってそんな結論に至ったのか、佐倉の頭の中では壮大な誤解が展開されているのかもしれない。

 

 実に感情豊かなリアクションであり、傍から見ている分には中々に面白い光景ではある。

 

「なーにを言ってるのかしらこの子は! あたしの目が黒いうちは復興部は恋愛禁止なのよー!」

 

 オレの頭の上でヒュロポスが煽るように羽をバタつかせたが、今は誰もこの異形のマスコットの言葉に耳を貸していなかった。

 

「……はぁ、ふぅ、よし」

 

 櫛田は小さく息を吐き出すと、立ち止まった。

 

 何度か深く息を吸っては吐き出し、乱れた胸中を鎮めるように呼吸を整える。そして、何か大きな意を決したようにして二人に向き直ると、静かに口を開いた。

 

「ほら、私、クラスでやらかしちゃったよね? それで──さ。あのみんなと友達になりたいってのは、その、う、嘘で」

 

 彼女の口から漏れ出た言葉は、かすかに震えていた。

 

 だが、そこには過剰な演技も取り繕いもない、真剣味を帯びた言葉の重みがあった。その雰囲気を察したのか、先ほどまでからかっていた長谷部も、動揺していた佐倉も、ぴたりと口を閉ざして押し黙る。

 

「私、実は、その……」

 

 言いかけたところで、言葉が詰まる。

 

 その瞬間──ぎゅっと、再度オレの手が握られた。

 

 限界いっぱいまで握り締められる。込められた強さは、自分の中にあるドロドロとした泥や悪意をさらけ出すことに対する、絶大な恐怖心の現れだった。オレの手を命綱代わりにしなければ、押し潰されてしまいそうなほどの緊張。

 

「あ、あんまり、その、性格よくなくて……ほんとは無理なのに無理に皆と仲良くなろうとして、猫かぶって、その……結末がアレ……なんだけど……あのときは騒がせちゃって、ごめんね」

 

 吐き捨てるように、けれど誠実に言い切ると、オレの手を握っていた彼女の手から、するりと力が抜けた。

 

 同じようなことを、彼女はアディトン攻略直後のカフェでも口にしていた。だが、あの生々しい本音を受け入れてくれた人間は、オレと堀北以外にはまだ居なかった。

 

 みーちゃんも、松下も、平田も、彼女の謝罪そのものは受け取り、あの場での出来事は水に流してくれた。しかし、「謝罪を受け入れること」と「仲良くなること」はまったく別の話だ。

 

 相性というものが存在する以上、みんな仲良くという理想論は理想止まりでしかなく、傷つけられたことを簡単に心の底から許せるのなら人間はもっと簡単なのだろう。

 

 それを裏付けるようにみーちゃんと櫛田の間には前のような関係性は戻っておらず、未だに溝がある。

 

 すべてを伝え終わるとだらりと脱力する櫛田の腕──。

 

 その手を、下から包み込むようにしてすくい上げたのは──佐倉だった。

 

「す、凄いね!」

 

 佐倉の口から飛び出したのは、思いもよらない感嘆の声だった。

 

「えっ……」

 

 驚きに目を見開く櫛田に対し、佐倉は顔を真っ赤にしながらも、一生懸命に言葉を紡ぐ。

 

「だ、だって! 本当は嫌なこととかを我慢してあんな風に過ごせるなんてす、凄いっ! ですっ! わ、私は無理だったから……」

 

 極度に内向的で、他者との関わりから逃げ続けてきた佐倉にとって、自分の感情を押し殺してまで他者と関わり続けようとした櫛田の過剰な努力は、拒絶すべき悪意ではなく、自分には決して真似できない強さや凄みとして映ったのだろう。

 

 だが、一息にそこまで喋り切った直後、佐倉は自分が夢中で櫛田の手を握りしめていることに気がついた。

 

「ひゃわぁぁぁぁ! ご、ごめんなさい! わ、私ごときが偉そうに! そのごめんなさい!」

 

 顔を沸騰させた佐倉は、弾かれたように手を離すと、頭を抱えてペコペコと何度も頭を下げ始めた。

 

 そのあまりにも予想外で不格好な温かさを前に、櫛田は驚きと困惑の表情を浮かべたまま、ただじっと佐倉を見つめていた。

 

「なるほどー、櫛田さんは頑張って猫かぶってたわけだー。いやー、でもそう考えると納得だよねー」

 

「な、納得……?」

 

 櫛田の困惑した声。長谷部は「そうそう」と頷く。

 

「いや、だって普通にうちのクラスの男子って女子の胸の大きさとか賭けたり、告白されてもいないのに告白されたとか大嘘つくやついるしさー、普通に無理じゃん。それを笑顔で仲良くしてたから櫛田さんってば怖ぁと思ってたけど、猫かぶって頑張ってたんなら納得」

 

「そ、う……だね……でも、私、嘘ついてたわけだし……」

 

「いやー、私はそんなに被害受けてないからあんまりって感じ? むしろ、櫛田さんがそんな感じで親近感湧いちゃう方?」

 

「えっ……でも、本当の私、本当に性格悪くて、愚痴ばっかだし、男子のこと、本当はウザいって思ってて、女子だってブスの癖にって平気で思っちゃうよ……?」

 

 ボロボロと漏れる櫛田の本音に長谷部は軽く笑う。

 

「大丈夫、大丈夫。普通、普通。そんなの全然、あるってー」

 

「ある……のかなぁ?」

 

 長谷部の軽い肯定に疑問符を浮かべる佐倉。櫛田は状況が分からずオロオロとするばかり。その困ったような表情を浮かべる櫛田に向かってオレは「とりあえず、オレはこのまま一人でケヤキモールにでもいってくる」と声をかける。

 

「ちょっと……私はどうすれば──」

 

「お前の好きにすればいい。ただ、長谷部や佐倉ともっと話してみてもいいんじゃないか、とオレは思う」

 

 オレの言葉に瞳が揺らぐ。

 

「あ、う……」

 

 困ったような表情を浮かべる櫛田の背中を押す。櫛田は長谷部たちの顔を見て──。

 

「あ、あのね──」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

「おかしいのー! おかしいの! アイドルはあたし! クラスの視線を独り占めの筈なのに! どうしてあの三人組ばっかり目立つのよー!」

 

 ヒュロポスは何故か最近、長谷部と佐倉と櫛田の三人組に対抗心を燃やしている。曰く、ソロアイドルでもユニットに勝てるということを証明するらしい。全くもって意味不明だった。

 

 だがこの鳥の脳内構造が人類に理解できないことはこの既に証明されているので考えるだけで無駄。

 

 櫛田が去っていった方向を見る。そこには天使も悪魔の痕跡も今はもう、残っていなかった。

 

 

 

 

 

【The Hermit Ⅲ】

 

 六月の中旬。初夏の柔らかい日差しが校庭の緑を青々となぞり、吹き抜ける風にわずかな温もり混じりの季節感が漂う午後のことだ。

 

 オレは佐倉愛里と共に、校内の散策を行っていた。

 

 写真撮影を趣味とする佐倉は、静かで人があまり来ない隠れた撮影スポットを探すのが日課のようになっており、ひょんな会話の流れから、オレがそれに付き添う形になったのだった。

 

 普段はあまり立ち入ることのない特別棟へと足を運び、静まり返った廊下を二人で並んで歩く。

 

 だが、特別棟を回っている最中に、オレは微かな違和感を覚えた。

 

 各フロアの天井や壁面を何気なく観察しながら階段を上がり、三階に辿り着いた時だ。周りを見渡してみれば、あるべきものが存在しないことに目がいった。

 

「ど、どうしたの、綾小路くん?」

 

 オレが不意に足を止め、天井の隅をじっと凝視していることに気づいた佐倉が、首をかしげながら不安そうに尋ねてきた。

 

「いや、ここには監視カメラが存在しないんだな」

 

 オレの言葉に、佐倉は丸い眼鏡の奥の瞳を瞬かせ、言われた場所を見上げた。

 

「あ、本当だ……なんでだろ」

 

 高度育成高等学校の敷地内には、生徒の安全管理と徹底した行動監視のため、至る所に監視カメラが設置されている。にもかかわらず、この特別棟の三階の一画にだけは、不自然なほどカメラの姿が見当たらなかった。

 

 佐倉は指先を唇に当て、うーんと小さく首をひねって考えてから口にした。

 

「あ、綾小路くんはどう思う?」

 

「……まぁ、何か意味はあるのかもな」

 

 オレが短く答えると、佐倉は自分の質問が差し出がましかったと思ったのか、慌てて身を縮めた。

 

「そ、そっかぁ……ご、ごめんね、変なこと聞いちゃって」

 

「いや、オレが先に疑問を口にしたからだろう」

 

 そこで一度、会話が途切れる。

 

 オレたちはそのまま、静寂の包む特別棟の探索を再開した。

 

 しばらく廊下を進むと、窓から差し込む光と新緑の対比が美しいポイントを見つけたのか、佐倉の表情がパッと明るくなった。

 

「あっ、ここの風景いいかも」

 

 佐倉は胸元に下げた愛用のデジタルカメラを両手でしっかりと構えると、カシャリと静かなシャッター音を響かせた。写真に収められた風景を液晶画面で確認する彼女の横顔には、内向的な少女特有のささやかな喜びと安心感が浮かんでいる。

 

 そうして特別棟を一通り回り終え、日の光が注ぐ屋外へと出た辺りのことだ。

 

 少し前を歩いていた佐倉がふと立ち止まり、ぽつりと漏らした。

 

「……やっぱり、なんか意味があるのかな」

 

「ん?」

 

「な、なんとなくだけどあの場所、あんまり良くない気がして……ご、ごめんね!? へ、変だよね、な、何言ってるんだろ……あはは」

 

 佐倉は自分の言葉を慌てて取り繕うように、困ったような苦笑いを浮かべて手振りを交えた。

 

 そんな佐倉の様子を眺めながら、オレは佐倉の危険に対する嗅覚の鋭さに感心していた。

 

 元々、極度に内向的であり、他者からの視線に対して異常なほど敏感だった佐倉は、その過敏すぎるアンテナを駆使して、校内で人気の少ない場所を探す能力に長けていた。

 

 そしてここ最近はさらなる精度──具体的には、シャドウが集まっている『シャドウ溜まり』とも呼べる場所を、異世界を認識していないまま感覚だけで探り当てるといった、並外れた嗅覚が目覚め始めている。

 

「変じゃないさ。お前の直感は、案外馬鹿にできない」

 

 オレがそう告げると、佐倉は少し驚いたように目を丸くしたあと、どこかわたわたとしながらも嬉しそうに頬を緩ませる。

 

「そ、そうなんだ……えへへ、嬉しいな……」

 

 オレの言葉を受け、佐倉は、照れくさそうに笑みをこぼした。

 

 入学当初は視線を合わせることすらままならず、蚊の鳴くような声でおどおどとしていた彼女だが、こうして二人で過ごす時間が増えた今では、ずいぶん打ち解けたものだ。

 

 敬語とタメ口が自然に混ざり合うその会話の距離感は、同級生であり友人としての関係性としては申し分ないものと言える。

 

 すると、佐倉は思い出したように小さくポンと手を打つ。

 

「あ、そ、そうだ……あのね、あの場所のこと、桔梗ちゃんか堀北さんに言った方がいい……よね……」

 

 不意に飛び出したその提案に、オレは思わず眉を微かにひそめた。

 

 自分から誰かに対して能動的に「情報を共有すべきだ」と発言するなど、かつての佐倉であれば到底考えられないことだったからだ。

 

 オレが黙り込んだのを見て、佐倉は不安そうに身を縮こまらせる。

 

「あ、ぅ……駄目……かな?」

 

「いいや、駄目じゃないさ。むしろ、佐倉がそう提案してきたことに少し驚いたんだ」

 

「あ、あぅ、だ、だよね……」

 

 佐倉は安心したように短く息を吐き出すと、恥ずかしそうに視線を泳がせた。

 

「ところで、どうしてそう思ったんだ?」

 

 監視カメラがないという点に気づいたのはオレであり、佐倉自身は「なんとなく嫌な感じがする」という感覚的な違和感を覚えたに過ぎない。なぜそれが、具体的に他者へ報告・共有すべきという結論に結びついたのか。

 

 オレが尋ねると、佐倉は愛用のカメラを抱える手に少しだけ力を込め、自分の言葉を慎重に選ぶようにして口を開いた。

 

「あ、あのね、監視カメラが無いってことは……悪いこととか、良くないことがあっても気づけないから。も、もし、ここで嫌なことされたら、どうしようもないのかもって思って……」

 

「……なるほどな」

 

「校内で起きたことなら学校が守ってくれるって思ってたけど……カメラが無い場所なら、証拠も残らないでしょ? だから、みんなにも気を付けてもらった方がいいのかなって……」

 

 佐倉なりに必死に頭を巡らせ、導き出した考察。

 

 それは監視カメラの死角という物理的な盲点と、そこから生じる犯罪やトラブルのリスクを正確に捉えていた。

 

「凄いな……確かにその通りだ」

 

 オレは口元に微かな感心のニュアンスを混ぜながら、言葉を返した。

 

 佐倉の発言の前にその利便性を感じていたオレは、『心にもない』褒め言葉を口にする──佐倉という少女の成長段階を踏まえれば、十分評価に値する事実は存在する。

 

「あ、ありがと……! そ、それでさ!」

 

 オレの言葉に顔をほころばせた佐倉は、意を決したようにまっすぐオレの目を見つめてきた。その瞳には、今までになかった強い意志の光が宿っている。

 

「あたしも、堀北さんや桔梗ちゃんみたいに、皆のために少しでも何かしたいって思ってて……!」

 

「……」

 

 その内心の変化に、オレは静かに驚きを覚えていた。

 

 かつての佐倉は、自分が傷つかないこと、他者からの視線から逃れることだけを考えて生きていたはずだ。少なくとも最初に関わった時はそうであった。

 

 しかし、いまや彼女は「誰かのために動きたい」という利他的な感情を抱き始めている。クラスの中心で人を引っ張る堀北や、弱さを打ち明けた櫛田。その二人を密かに手本とし、自分の殻を破ろうとしていた。

 

「わ、私……強くなりたい」

 

 ぽつりと、しかしはっきりと紡がれた言葉。

 

 佐倉はカメラをぎゅっと抱きしめると、頬を少し赤く染めながら、すがるような眼差しをオレに向けた。

 

「だ、だから……綾小路くんにお願いがあって……」

 

 佐倉はぎゅっと自身の胸元でカメラを抱え直し、意を決したように言葉を紡いだ。

 

「あのね……強くなる手伝いをしてほしいの……!」

 

 その瞳には、かつてないほどの切実な光が宿っていた。だが『強くなる』という言葉があまりにも抽象的だ。

 

「強くなる手伝い、か。それ自体は別に構わないが……具体的にはどういう方向で、だ? 身体的な筋力をつけるトレーニングなのか、それとも精神的なメンタルの鍛錬なのか。あるいは、学力や交渉術といった技術的な面を伸ばしたいのか?」

 

 オレが順を追って問いかけると、佐倉はハッと息を呑み、急激に顔を赤く染めた。

 

「そ、そそそ、そーだよね! ふわっとしてるよね!? ご、ごめんね、私ったら何も考えないで、いきなり変なお願いして……っ!」

 

 完全にテンパってしまい、両手をぶんぶんと振り回しながらあたわたと後退りしようとする佐倉。

 

 その時だった。オレの頭の上から、緊張感を根底から台無しにする甲高い声が響いた。

 

「むひょひょひょひょ! 話は全部聞かせて貰ったのねー! そんな素敵なお話なら、このあたしにお任せなのよー!」

 

 直前まで「グースピーヒュポー……」と呑気な寝息を立てて眠りこけていたはずのヒュロポスが、起き抜けからエンジン全開のハイテンションで声を張り上げたのだ。頭頂部で爪足を踏み鳴らし、短い翼をバタバタと誇らしげにはためかせている。

 

 もちろん、佐倉にヒュロポスの戯言がそのまま聞こえるわけもない。

 

 ただ、オレの頭の上から発せられる微小な電子音やのように知覚されているらしく、佐倉はパチチと目を瞬かせると、頬の赤みを残したままぽつりと呟いた。

 

「あ……AIちゃん、起きたんだ」

 

「 美少女妖精ヒュロポスちゃんなのよー! AIなんて単純な名前じゃないのよ!」

 

 激しく主張するヒュロポスを当然のごとく無視し、オレは佐倉に視線を戻す。

 

 佐倉はこほんと小さく咳払いを挟むと、自らを落ち着かせるように胸に手を当て、途切れ途切れに言葉を紡ぎ直した。

 

「あ、あのね……強くなるためには、まず色んなことをやってみようと思うの。具体的に何をどうすればいいのかは、自分でも全然なんだけど……」

 

 俯きがちに、けれど諦めずに言葉を探す佐倉。

 

 オレはその意図を即座に読み取り、彼女が頭の中で整理しきれていない思考を言語化してやった。

 

「つまり……最初から一つの目的に絞るのではなく、これから色んなことに挑戦する手伝いをオレにしてほしい、ということか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、佐倉の顔がぱあっと一気に華やいだ。

 

「うん……! そう、そうなの! 私、今までずっと逃げてばっかりだったから……自分に何ができるかも分からなくて。だから、色んな経験をして、少しずつでも変わりたくて……それに、変わらないと……」

 

 言葉を一気に捲し立てたあと、佐倉は我に返ったように再び縮こまり、上目遣いで恐る恐るといった様子で尋ねてくる。

 

「だ、駄目……かな……?」

 

「いや、悪くないと思う」

 

 オレは肯定の頷きを返した。

 

「佐倉の目指す『強さ』の具体的な形が今はまだ見えていなくても、実際に行動を起こしていくうちに、何か明確な姿を現すかもしれないからな。机上で悩むより、まずは動いてみるというのは合理的なアプローチだ」

 

「あ……ほんと……? えへへ、よかった……!」

 

 オレの言葉に、佐倉は心底安堵したように顔をほころばせた。その表情には、ほんの少しだけ自分に対する自信が芽生え始めたような温かみがあった。

 

 すると、オレの頭の上でヒュロポスが再び両翼を大きく広げ、大はしゃぎで声を張り上げた。

 

「ヒュポー! つまりはこのうじうじさんを強くするのねー! よーし、あたしも何かすっごい特訓メニューを考えるのよー! うーん、滝行! 滝行からなのねー!」

 

 相変わらず的外れで無駄に張り切っているマスコットの戯言をやり過ごしながら、オレは目の前の少女──佐倉愛里の真摯な眼差しを受け止める。

 

 こうしてオレは、佐倉の強い希望により、彼女の成長の機会を支える手伝いをすることになったのだ。

 

 そして──この日を境に始まった彼女の小さな挑戦の数々が、回り回って、あの事件を引き起こすとはこの時、オレは思ってもいなかった。

 

 

 




フレーバーテキスト

【コープによるアビリティ】

【0.愚者】
Rank1 総攻撃が解放される
Rank2 追撃が行えるようになる
Rank3 味方による状態回復がオートで行われる時がある

【12.隠者】
Rank1
集中状態の解放
Rank2
学内探索時、集中状態で隠された二次元コードを見つけることができる
Rank3
集中状態の発動時間が少し伸びる


【18.月】
Rank1
探索時に櫛田桔梗を誘うことができる
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