Persona x Classroom of the Elite 作:仔羊肉
014
六月末、放課後のDクラスの教室。
四月、五月のあの騒動を経て、クラス内には週に一回、自主的に集まってクラスとしての方向性を話し合う場が設けられていた。
参加は強制ではなく完全な自由制であり、場所はDクラスの教室。その中でも参加率が高いのは、堀北、櫛田、平田の三名。名実ともにクラスの中心となっている人物たちである。
そして、その人物たちにつくように、堀北の周りにはみーちゃん、松下、幸村。
櫛田の周りには、少しずつ心を開き始めた佐倉と長谷部。
平田の周りには、クラスの女子カースト上位を占める軽井沢恵をはじめとした女子数人。
部活動に所属している生徒は自らの部活を優先することが多く、例えば須藤健なども最初の第一回に顔を見せて以降は、もっぱらバスケ部の練習を優先している。
もっともそんな中で一度も顔を出していない高円寺という取り扱いに困る生徒もまだ居るのだが。
話を戻せば、堀北自身も部活を優先することを強く推奨していた。学業だけでなく、部活動や生徒会活動といった分野でも優れた成績を収めれば、クラスポイントの評価に繋がる。むしろ、困った時には声をかけてほしいと、応援すらしていたほどだ。
勿論、池のように部活動に所属していないにもかかわらず、参加率が高くない生徒も一定数存在する。
逆に、池といつもつるんでいるはずの山内がなぜか毎回この会議に参加していることには強い違和感を覚えるが……まあ、女子たちの視線を集めたいか、あわよくば関わりを持ちたいといった下心が理由だろう。
その下心のせいでオレの席近くに小グループが生まれているのが難点の一つだ。
とはいえ、Dクラス内部の環境や結束は、少しずつではあるが前進していた。
あの五月末に起きた櫛田の件も、およそ一月という時間が経ったことで風化しつつある。直接的な対峙をした人間以外は後を引いていない。
その分、秘密を暴露された松下や王、そして軽井沢といった面々との間にある空気が目立つのだが。
「──ひとまず六月も、大きな問題なく終えられたと言っていいでしょうね」
堀北が教壇の前で静かにまとめの言葉を口にする。それに頷いたのは、前列に座っていた平田だった。
「そうだね、堀北さん。今月は誰一人として遅刻や私語によるペナルティを受けずに済んだ。一ポイントも引かれずに乗り切れたのは、みんなの意識が変わってきた証拠だと思うよ」
平田は安堵した様子で嬉しそうに微笑んだ。
四月ならば積極的に愛想を振りまく存在──櫛田が場の雰囲気を柔らかく持ち上げるところだろう。
しかし今の彼女は、己の『仮面』を半ば剥がされた経緯もあってか、一歩引いた位置で静かに座っている。具体的にはオレの隣、本来の持ち主が教壇前で議会の進行を務めているのをいいことに我が物顔で座っていた。
そんな彼女の指先は退屈しのぎとばかりに、いつもならオレの肩の上に乗っている鳥──ヒュロポスをツンツンと小突いて遊んでいた。
櫛田の前に座る長谷部も「うりうりー」と突いていた。佐倉はオレの前の席でそんな二人を微笑ましそうに見守っている。
「やめるのよー! やめるのよー! 幾ら超絶可愛いあたしだからって! 触りたい気持ちはわかるけどやめるのよー!」
ちなみに当の本人は突かれているのにカンカンだった。長谷部は声こそ聞こえないもののヒュロポスの反応から怒っていることは翼を振り回していることから想像はつくだろう。そして声が聞こえている櫛田は「親愛の証、親愛の証ー」とおざなりな言葉を言い訳にしていた。
「むっ……それなら仕方ないのかも? そうよね、あたしってば超絶美少女の究極完全態グレート美少女だから仲良くなりたいのもわかってしまうのよ! ヒュポポポ! しょうがないから握手したげる!」
その言い訳が通るのか、と呆れた視線を向けてしまう。当の本人は「はいっ」と羽根を突き出すものの無視されて頬を突かれては「やめるのよー」と鳴いていた。
そんな、オレたちの様子とは他所に会議はどんどんと進んでいく。
腕を組んでいた幸村がメガネのブリッジを押し上げながら口を開いた。
「だが……今月は、五月みたいにクラスポイントが変動するような試験はなかったな」
それに答えたのは、髪を弄りながらあくびを噛み殺していた松下だった。
「毎月なにかあるってわけじゃなさそうだね。まぁ、普段の授業やテストの勉強とかもあるんだし、そんな頻繁に試験はしないか。それで生徒の学力が下がったら本末転倒だもんね」
松下は特に危機感を抱く風でもなく、納得の様子をみせる。
すると、教室の後方で椅子に深く背をもたれかけていた山内が、鼻で笑うように口にした。
「てかさ、本当にそんな試験なんてあんのかよ? 五月のやつも偶然なんじゃね? 試験があるとか堀北たちの勝手な想像なんじゃねーの?」
山内の言葉に、少数の生徒が「確かにそうかも」といった曖昧な表情を浮かべる。
会議というものには、『イニシアチブ』が存在する。
議会を引っ張り、議論を活発化させる発言権と言い換えてもいい。
集団が意思決定を行う場において、誰がイニシアチブを握るかによって、結論の質や全体の雰囲気は大きく変化する。
だが、そのイニシアチブにも良し悪しは存在する。
建設的な疑問や明確な根拠に基づく発言であれば、集団の盲点を突き、より強い組織を作る原動力となる。
しかし、山内の言動のように「単に楽な方へ流れたい」「警戒を怠るための免罪符が欲しい」もしくは「目立ちたいが為の発言」という心理から生じるイニシアチブは、恐ろしく有害だ。
根拠のない楽観は伝染しやすい。
人は厳しい現実に備えるより「なにも起きない」と信じる方が圧倒的に楽だからだ。もしここで山内の無責任な不信感が場の主導権を握ってしまえば、ここまで積み上げてきたDクラスの緊張感は一気に緩んでしまう。
だが、堀北はその程度の疑問に揺らぐような器ではなかった。冷ややかな視線を山内に向け、静かに言葉を返す。
「勝手な想像で済むなら、それに越したことはないわ、山内くん。けれど、入学初日に突きつけられた『Sシステム』の現実を忘れたの? 学校側が提示するルールは、常に私たちの想定を越えてくる。何も起きない期間があるからこそ、次に来るものへ備える必要があるのよ」
「っ……べ、別に俺はただの意見を言っただけだろ……なんだよ、マジになってさ」
堀北の理詰めの反論と氷のような眼光に射抜かれ、山内は気まずそうに目を逸らして黙り込んだ。
すかさず平田がフォローするように柔らかい笑みを浮かべる。
「まぁまぁ、堀北さん。山内くんも警戒するのはいいけれど、過度に緊張しすぎるのも良くないって伝えたかったんじゃないかな?」
平田の仲裁に「そー! そーなんだよ! 平田!」と思ってもいないことを口に出していた。
「確かに山内くんの言も一理あるね。でも、堀北さんの言う危険性もまた考えるべきだよ。油断しないに越したことはないからね。今週を乗り切れば、いよいよ七月のポイントが支給される。僕たちが六月に積み重ねてきた努力がどう評価されるか、楽しみに待とう」
平田の言葉に安堵の空気が広がりかけたその時、ふと手を挙げた人物がいた。
「ねえ、ちょっといい?」
声を上げたのは長谷部波瑠加だった。ヒュロポスを突くのをやめて、だるそうに言葉を続ける。
「あのさー、具体的にいつ頃に何かあるって、なんもわかんないわけ? 別にあたしは堀北さん疑ってるわけじゃないけど、なんか見えないことのために毎日、身構え続けるのも疲れるっていうか……」
長谷部らしい飾らない、けれど核心を突いた素朴な疑問だった。堀北はその問いを受け止め、あごに手を当てて静かに考え込む。
「……そうね。学校側から事前に告知がない以上、明確な日程を特定するのは難しいわ。ただ──話し合う余地はありそう。みんなの中で、クラス内部や学校の動きで何か気づいたことはないかしら?」
堀北が教室全体を見回しながら尋ねると、腕を組んでいた幸村が真っ先に口を開いた。
「気づいたこと……と言えば、時期的に来月に控えている期末試験はどうだ? 中間試験の時のようなクラスポイントが変動するような特別なルールが組み込まれる可能性はあるんじゃないか? 勿論、そうでなくとも、それに向けての勉強会は組んでいるがな」
「その可能性も考慮したわ。けれど、中間試験の時のように二匹目のドジョウは捕れないでしょうね。期末試験に過去問は存在しないことを、すでに先輩たちには確認済みよ。つまり、今度の試験は純粋な学力が試されることになるわ」
堀北の事実告知に、松下千秋が退屈そうに髪を弄りながら残念そうに呟いた。
「流石に毎回抜け道が用意されてるってわけじゃないかぁ……」
そう漏らした松下だったが、ふと思いついたように視線を巡らせ、ちらりとオレの方を観てきた。
「ねえ、綾小路くんはどう思う?」
唐突に振られた矛先に、オレはわずかに眉を潜めて周りを見回した。なぜここでオレに振るのか。松下としても、深い意味はなく単に会話のラリーとして口にしただけかもしれないが──
「やーめーるーのーよ──っ!!」
突如、オレの頭上にバタバタと激しい羽ばたき音が舞い降りてきた。
櫛田と長谷部の指先による『親愛のツンツン攻撃』から這うように逃れ出たヒュロポスが、避難場所としてオレの頭頂部に着地したのだ。
「とんでもない目にあったのよー! あのバインバイン三姉妹の長女と次女! とんでもない奴らなのよ!」
とんでもないのはこの鳥のあだ名のセンスだった。櫛田はギョッとした瞳でオレの頭頂部を睨んでいる。
頭の上でぷんすかと激しく爪足を踏み鳴らし、大声で憤慨する謎のマスコット。その騒がしさのせいで、周囲からの注目が一気にオレへと集まった。
「あはは、可愛い……」
「また暴れてるね、AIちゃん」
佐倉やみーちゃんが和やかな苦笑を浮かべる中、その雰囲気をぶち壊すように教室の後方列、少し離れた席から嘲笑が飛んできた。
「ハッ! 綾小路なんかが何か思いつくわけねーだろ! ちなみに俺はもう思いついてんだぜ!」
鼻を高くして威張ってみせるのは山内だった。周囲の女子からの注目と尊敬を集めたい一心なのだろう。だが山内春樹という男の虚栄心と虚言癖は四月、五月と経てクラス中へ認知されている。
松下は一切の期待を込めていない、底冷えするような呆れ顔を山内に向けた。
「へー。じゃあ、何? 言ってみてよ。そんで何もないなら黙ってて」
「っ……!」
まさか即座に聞き返されるとは思っていなかったのか、山内は一瞬言葉を詰まらせた。泳ぐ視線、激しく動く黒目。明らかにノープランだった男の焦りが、一目瞭然で伝わってくる。
「そ、それは今は言えねーな! ふ、不確かな情報はみんなを混乱させるからな! でも、俺は本当にすごいこと思いついてんだぜ!? 嘘じゃねーからな!」
苦し紛れに絞り出した言葉は、あまりにも見苦しい言い訳だった。案の定、女子たちのグループからは冷ややかな声が容赦なく浴びせかけられる。
「つまんな……」
「あっそ」
「思わせぶりなこと言わなきゃいいのに」
一気に凍りつき、悪化していく教室の空気。こういう空気を上手く調和する術は未だに堀北は持ち合わせていない。むしろ、堀北の性質からしてみれば今後とも得ることはないだろう。
もしもその側面の才能を持つとしたらこのクラスでは二人。けれども一人はその行動こそがストレスだと知った今、庇うような真似は決してしない。
だからこそ、今の山内をフォローできるのはただ一人――。
「ま、まぁまぁ、みんな落ち着いて。山内くんは皆を混乱させたくないから、あえて黙ってくれているだけだからさ」
平田の優しすぎるフォロー。しかし、今回はそれが裏目に出た。
松下が眉をひそめ、苛立ちを隠そうともせずに平田へ吐き捨てる。
「平田くん、別にフォローしなくてよくない? スルーできなかった私が悪いんだからさ」
「えっ……」
平田が気まずそうに表情を硬くする。
場に重苦しい沈黙が落ちかけたた瞬間、松下の隣に座っていたみーちゃんが、おそるおそる松下のスカートの裾をちょんちょんと控えめに引っ張った。『千秋ちゃん、言い過ぎ……』との小声がオレの耳にも入ってくる。その潤んだ瞳で見つめられ、松下はハッと息を吐き出す。
「……ごめん。今のは余計だった」
「ううん、僕の方こそ配慮が足りなくてごめんね」
平田は努めて明るい笑みを浮かべて松下の謝罪を受け入れた。
──その気まずい静寂を、絶望的なタイミングで破る存在が一人ではなく、一匹いた。
「ひゅーぽぽぽぽ! ちゃんちゃらおかしいのねー!」
オレの頭の上で、ヒュロポスが甲高い高笑いを響かせた。
「うちの『復興部長』さんが何も気づいてないと思ってるのー? そんじょそこらの人間さんと一緒にしてもらったら困るのねー! ほら、人間さん! みんなに教えてあげるのよー! ビシーっ! と! ……何のことかはさっぱりわかんないけど!」
これが異世界のフォーラムならば「話を聞いてないなら喋るな」と口に出せただろう。しかしながら、ここは現実の高度育成高等学校。この鳥の声が聞こえるのはせいぜいオレを除いて二人。
放課後という解放感。鞄からの解放感でテンションが最高潮に達している。さらにさっきまで櫛田と長谷部に弄ばれていたフラストレーションを爆発させ、オレの頭を蹴って勢いよく教室の天井へと飛び立った。
ぶんぶんと羽を狂ったように羽ばたかせ、教室の頭上を高速で旋回し始める。
「うわっ! なんだあいつ!?」
「 めっちゃ飛んでる!?」
「綾小路くん! なにしてんの!? 止めなよそれ!」
「え、えぇ!? AIちゃん、飛んじゃ駄目だよぉ……っ!」
「うわー、あの子、あんなに飛べるんだ……」
突然始まった謎のマスコットの大暴走に、教室は一瞬でカオスな混乱の極致へと叩き落とされた。
山内は頭を抱えてしゃがみ込み、軽井沢たちは叫び声をあげ、佐倉やみーちゃんは捕まえようと慌てて手を伸ばしては空を切る。
そして──教壇の前。
堀北鈴音が、静かに微笑んでいた。
普段の冷淡な仮面の下からは決して見せない、極上の美しい笑み。だが、その瞳の奥には氷点下の殺意と、「この状況を今すぐ一つ残らず収拾しろ」という強烈な圧迫感が宿っている。
ちなみに原因の一人はといえば、「馬鹿鳥……」と言いたげに片手で額を押さえ、深く溜め息をついていた。
「ねぇ、綾小路くん」
頭上を飛び回るヒュロポスを視線だけで追いながら、堀北が静かに呟く。
「貴方──何か建設的な意見があるみたいね?」
言外の威圧がオレの胃を正確に穿つ。
この暴走する鳥を回収しつつ、クラスの雰囲気を無難かつ着地に導く答えを提示しろ、と暗に命じられているのだ。
オレは深く息を吐き出すと、頭上を旋回するヒュロポスへ向けてタイミングを見計らい無造作に右手を伸ばした。「ひゅぽっ!?」という情けない悲鳴を上げたが鷲掴みにし、そのまま手元へと引き戻す。
「暴れるな」
「むぎゃー! 虐待なのねー! ディー、ブイ、ディーなのよー!」
暴れるヒュロポスを鞄の中に押し込みつつ、オレは教壇の堀北、そして混乱から冷めやらぬクラスメイトたちへと視線を向けた。
「……大した事じゃないんだが」
オレは前置きを挟みながら、四月の出来事を思い返すように言葉を紡いだ。
「四月の水泳の授業の時の話なんだが……体育教師が『クラス全員をある程度泳げるようにする』と言っていたのを覚えているか?」
唐突な体育の授業の話題に、教室の何人かが「あぁ」と思い出すような声を漏らす。
「個人差が強い環境で、わざわざ全員の泳力を底上げするような明確な目標設定がされているのは、些か疑問が浮かんでいた。体力を全員につけるならまだしも、その手の技術を全員に身に付けさせるという言葉は違和感が強くて気になっていた」
オレは一度言葉を切り、教壇の堀北や周りの生徒たちを見回した。
「そこから考えると……今後、海やプール、あるいは川や湖といった水辺に近い所で行動をするような試験や行事があるんじゃないか、と考えた」
オレの投げかけた推測に、真っ先に反応したのは幸村だった。メガネのブリッジを押し上げながら、深く納得したように頷く。
「……確かに、一理あるな。そもそも室内プール付きとはいえ、四月の頭から水泳の授業があるなんて違和感があったんだ。学校側があらかじめ全員に最低限の泳力をつけさせようとしていたと考えれば、納得が行く」
「むしろ、ヒントだったり」
隣の席の櫛田がポツリと呟く。
「どういう意味だ、櫛田」
幸村の視線を受けて櫛田は少し考えながら続きを口にした。
「全員が泳げるなんて実際の所、無理だよね。現に目標完遂はできてない人もいるわけで」
櫛田の指摘に佐倉が「ぴいっ」と鳴いた。幸村も気まずそうに目をそらしている。
「実際、出来ない人もいる中でわざわざ全員を泳げるようにって口にするには理由とかあったんじゃないかな? 例えば、上からの指示とか。四月の時点では熱血教師の意気込みって捉えることもできたけど、この学校の正体を知った時に考えればかなり怪しいよね」
櫛田の説明に何人かが納得する。
「さっすが、櫛田ちゃん! 俺もそう思ってたんだよ! そうそう! 俺もそう言おうと思ってたんだよ! ほ、ほらな! 嘘じゃ無かっただろうが!」
山内は便乗するように主張した。その下心強い顔に長谷部は「うげぇ」とあからさまに表情を崩していた。
「そーなんだ、それで堀北さん、どう思う?」
山内からのパスをあっさりと流してクラスのリーダー役である堀北へと繋ぐ。
「……櫛田さんの言う通り、今にして思えば違和感のあることばかりね。次の試験、もしくは夏……流石に夏よね……」
堀北は疑心暗鬼が進みすぎて、冬に水辺に関わる可能性を推測し始めていた。冬に泳ぐことは命の危機もあることから可能性は無いだろう。けれども過去一回に行われた試験の理不尽さにあらゆる可能性を模索してしまっている。
「堀北、流石に冬に泳ぐのは……いや、しかし……」
幸村の呟きに何人かが顔を青くしている。頭の良い組は最悪の可能性がよぎりはじめていた。
「いえ、ここは最悪の可能性を考えすぎて不安になりすぎても問題だわ。万が一、夏までに何も起こらなかったら、また議題に挙げましょう。もしかすればブラフや勘違いの可能性もゼロじゃない……仮として夏や秋口に試験があるものとして考えられるものを話し合いましょう」
「そうだな……そうしよう」
堀北の発言に賛成の意を示す幸村。みーちゃんと佐倉は「ひぇぇぇぇぇ」と怯えている。
「トライアスロン……とか!」
篠原の思いつきの声が挙がると、幸村が考え込むようにあごに手を当てる。
「トライアスロンか……いや、あり得なくはないな。前回が学力テストだっただけに、今度は学生の体力を測る試験がある可能性もゼロじゃないかもしれない」
「でもさー、トライアスロンってあんまりにも競技性高すぎない? 流石に泳いで自転車乗って走るなんて、運動部でもキツいでしょ」
松下が眉をひそめて異議を唱えると、みーちゃんもそれに同意するように頷いた。
「そ、その意見は一理あります。トライアスロンレベルの競技になると完全に体力一辺倒の試験になる可能性が高いです。それだと測れるものが限られてくるんじゃないでしょうか……? 前回も抜け道の方は純粋な学力とは言い難かったですし……」
「……そうだな。運動能力の差だけで決まるなら、それこそクラス単位の総合力を試す試験とは呼べそうにないな」
「じゃあ、キャンプみたいな野外実習とかならどうかな?」
平田の発言に堀北や幸村は納得を見せる。
「あ、それかなりいいかも。コテージとかでクイズとか体力使ったゲームとか? それに調理とかも自分たちでやって日常の生活技能とか」
松下の発言は想像がつきやすいのか何人かが頷いていた。
「わかりやすく総合力だったらいいがな……」
幸村はげんなりとした様子で呟く。少なくとも泳力が起点の試験予想は運動が苦手な幸村にとって不安が残るようであった。
「ヒュポっ!? ピーンと来たのよ! 無人島なのよー! 無人島で殺し合い一ヶ月一万ポイント生活なのよ! テレビで見たのよー!」
いつの間にか鞄から這い出ていたヒュロポスは先日見たバラエティ番組と映画が混じり合っていた予想をつけていた。そんな試験があってたまるか。
クラスメイトたちは各々に思いつく可能性を口にし、活発に意見を交わし合っている。単なる楽観でも過度な恐怖でもなく、「何かがあるかもしれない」という前提に立って前向きに議論が進む──会議として最も望ましい形だ。
教壇の前でその光景を眺めていた堀北は、手元に抱えたバインダーを静かに胸元へ引き寄せると、満足そうに小さく息を吐いた。
「各自、色々と察するものがあるようね。勿論、次の試験がそうとは限らないけれど。いずれにせよ、座学だけでなく体育や水泳も含めて、日頃の授業態度を疎かにしてはいけないという良い教訓になったはずよ」
堀北のまとめの言葉に、教室中の生徒たちが頷き返す。そして堀北が平田に視線を投げよこせば平田は立ち上がる。
平田も周囲の和やかな空気を確認すると、努めて明るい笑顔で拍手を叩いた。
「うん、今回も凄くいい話し合いが出来た。そして、いよいよ7月のポイントが支給される。僕たちが6月に積み重ねてきた努力がどう評価されるか、楽しみに待とう。みんな、今日も遅くまでありがとう」
「ええ。それじゃあ、今日の定例会議はこれで終了とするわ」
堀北の宣言をもって、放課後のDクラス会議は無事に幕を閉じた。
生徒たちはそれぞれ鞄を抱え、雑談を交わしながら教室をあとにし始める。一応、この後、有志による勉強会があるのだが残っている面子は学力的には優秀な面子ばかりである。
そんな中、山内は最後まで不満そうに口を尖らせていたが、会議が終わってある程度の生徒が出ていったのを見計らって、後方列の窓側、つまりはオレの席付近を目掛けて近づいてきた。
「なぁ、一緒に帰らねぇ?」
山内はニヤついた笑みを浮かべながら、オレの席の周囲に集まっていた櫛田、佐倉、長谷部の三人組へと声をかけてきた。
しかし、その誘いに対する反応は冷ややかどころの騒ぎではなかった。長谷部波瑠加が一切の笑顔を消し、冷たい視線を山内へと向ける。
「あのさぁ……私、前回もう誘わないでって言ったよね?」
心底煩わしそうな長谷部の切り捨てに、山内は一瞬顔を引きつらせたが、すぐにへらへらとした笑いに逃げ込もうとする。
「な、なんだよ、つめてーな。同じクラスメートだろ? 仲良く帰るくらい減るもんじゃねーだろ」
「あのね……はぁ、ほんと、無理……」
長谷部は心底呆れたように大きな溜め息を吐くと、助けを求めるようにオレの方へと視線を向けてきた。
「きよぽん、お願い」
完全に面倒な役回りを丸投げされた格好だ。断る間もなくバトンを渡されたオレに、山内が即座に敵意を剥き出しにして食ってかかってくる。
「な、なんだよ、綾小路! お前、なんか文句あんのかよ!」
顔を真っ赤にして拳を握りしめる山内に対し、オレは肩をすくめて淡々と答えた。
「……あー、まー、嫌がってるみたいだし、諦めたらどうだ?」
「なんで、お前にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ!」
「いや、代理人としてパスされたからなんだが……」
「何が代理人だよ、難しい言葉使いやがって! 俺はな、櫛田ちゃんや佐倉を守ってやろうと思ってんだよ! 何もしてないやつが偉そうに口にすんなよな!」
山内は鼻息を荒くして、吐き捨てるようにそう言い放った。
──『守ってやろうと思ってんだ』
──『何もしてないやつが』
山内の口から飛び出したその言葉に、オレはかすかな違和感を覚える。
単なる見栄や虚勢にしては、発言のニュアンスが妙に具体的だ。山内自身が何らかの『行動』を起こしているか、あるいはオレたちのあずかり知らぬ場所で何かに関与しているような物言いだった。
そして、その違和感を抱いたのはオレだけではなかったらしい。
「もしかして……あんたが……?」
長谷部がポツリと、けれど氷のように冷たい声を漏らした。
その瞬間の三人組の表情は、見事なまでに異なっていた。
長谷部の瞳には、確信と激しい『怒り』が宿っている。隣に立つ櫛田の顔からは最低限の愛嬌も消え去り、底知れない『嫌悪感』が剥き出しになっていた。
そしてその背後に隠れる佐倉は、身をすくめて小さく『怯え』に震えている。
異なる三つの感情の交錯──。
オレは直感的に、オレの知らないところで何らかのトラブルが既に発生していることを察する。
教室内のほとんどの生徒がすでに鞄を持って立ち去り、静けさが戻りつつある。
その険悪な静寂を切り裂くように、足音が一つ近づいてきた。
「何をしているの?」
堀北鈴音だ。
彼女は教壇の近くで幸村や松下と話をしていたが、適切な介入のタイミングを見計らってこちらへと入ってきたのだ。
それぞれの立ち位置を見ては、堀北は眉をひそめ、視線を送る。
「会議はもう終わったわ。それで何をしていたの?」
「な、なんだよ堀北……っ! 別に俺は……!」
堀北の冷徹な眼光と、女子三人から注がれる刺すような視線に耐えかねたのか、山内は言葉を詰まらせると、吐き捨てるように背を向けた。
「けっ、なんでもねーよ!」
捨て台詞を残し、山内は逃げるように背中を向ける。
「きよぽん! つかまえて!」
長谷部の合図に堀北と櫛田を見るが――二人共、逃がすつもりはないらしく頷いていた。異世界で培ったチームワークが何を意味するのか悟ってしまう。
どちらか一人でも否を唱えてくれたら見逃してやっても良かったんだが――悪いな、山内。
手首を掴まえて、重心を傾ければ山内は簡単に膝をつく。
「お、おい、何をやってる!」
「何か揉め事?」
教室に残っていた面々も騒動に気づいたのか幸村を先頭に近づいてくる。
「は、離せよ!」
「……愛里、これ、もう堀北さんにも話した方がいいよね」
「私もそう思うよ、愛里ちゃん。どうせ、今日、綾小路くんには相談するつもりだったんでしょ?」
二人からの説得に佐倉は小さく頷いた。
「あ、あの、出来れば誰もいないところで相談、したいです……」
そう口に出した佐倉。そうなると場所は限られてくる。事情を察したクラスメートは「そうか……人手が必要なら声をかけてくれ」と少し離れた場所にいく。
「困ったわね、この後、教室は勉強会が始まるから」
「……そうなると寮の誰かの部屋とかどうだ」
女子全員が正気を疑うような視線を向けてくる。オレは圧に負けて「じゃあ、オレの部屋か……」と口に出せば。
「嫌なのよー! 駄目なのよー!」
「駄目」
「嫌」
ヒュロポスと堀北と櫛田に即座に却下された。そうなると――。
「以前、話した特別棟ならどうだ? あそこは人気も少ない」
長谷部が「賛成……手、出ちゃうかも」と口に出していた。その様相から堀北も只事ではないことを察した。
「長谷部さん、それは最後の手段にしなさい。冤罪なら、貴方が悪くなるわ」
「冤罪なら、ね」
どうやら長谷部は完全に頭に血が登っているようだ。その様子を見て、オレは「離せよ! 離せ!」と喚く山内を見下ろす。
「じゃあ、私は幸村くんと松下さんに声をかけて準備するから先に行ってて頂戴」
本来ならば複数人で取り押さえて運んだほうが確実なのだが、誰も山内に触れようとしないため、「逃げるなよ」と釘をさして手首を開放する。
身体能力では勝てないことを悟ったのか山内は「わ、わかったよ……」と大人しく着いてきた。
◇ ◇ ◇
特別棟へ向かう道すがら、前を歩く佐倉が落ち着かなそうに肩を竦め、小さく声を漏らした。
「め、目立っちゃってるね……」
その理由の大半が、オレの頭の上に鎮座している鳥──ヒュロポスであることは疑いようもなかった。
Dクラスの面々はすでにこの奇妙な光景に慣れ始めているが、未だに他学年や他クラスの生徒からは奇異の視線がひっきりなしに送られてくる。
すれ違う女子生徒たちが気味悪そうに距離を取るだけでなく、男子生徒たちまでもがオレたちに自ら道を譲るのだから、ある意味では歩きやすくて便利なのだが。
何より、櫛田、長谷部、佐倉という容姿の優れた女子三人組の後ろにオレが続いていると、彼女たちに見とれて鼻を伸ばしていた男子生徒の顔が、オレを認めた瞬間にギョッと強張るのだから実にわかりやすい。
さっきすれ違った男子生徒なども、「なんだあいつ……? なんであんな奴が……?」と内心だけで留められず、口に出してまで呟いていたのだから、どれだけの異物として見られているかは容易に想像がついた。
やがてオレたちは、放課後は人通りの途絶える特別棟一階の奥深いフロアへと辿り着いた。ここで堀北を待つことになる。
長谷部は端末の時計を何度も確認しながら、苛立ちを隠せずに貧乏ゆすりを繰り返していた。一方の山内は、少し離れた壁際に立ち、オレたちの追及から逃れる機会を伺うようにキョロキョロと視線を彷徨わせている。
しばらくして、足音とともに堀北が姿を現した。
「……遅い」
待ち疲れた長谷部が、トゲのある声で文句を口にする。
「ごめんなさい、少し手間取ったわ」
堀北が弁解もせずに素直に謝罪すると、長谷部はかえって罰が悪くなったのか、気まずそうに髪を弄った。
「……ごめん、これ八つ当たり。堀北さんは悪くないよ。ごめんね」
「気にしていないわ。それより──」
堀北が一同を見回す。誰がこの問題の口火を切るべきか、お互いに視線を交わし合った──まさにその瞬間だった。
唐突に、壁際にいた山内が切羽詰まった大声を張り上げた。
「お、俺は悪くねーんだよ!」
長谷部が心底うっとうしそうに顔を歪める。
「……まだ誰も何も言ってないし。こっちが許可するまで喋んないでくれる?」
「うっせぇ! お前はどーせ、俺がストーカーだって決めつけてんだろ!? 違うんだよ! 俺は逆に佐倉を守ろうとしただけなんだ! 信じてくれよ、堀北ぁ! 櫛田ちゃん!」
山内は自分を正当化しようと必死だったのだろうが、今の叫びだけで相当数の情報が自爆気味に零れ出た。
堀北は訝しげに眉根を寄せ、背後に隠れる佐倉へと視線を向ける。
「山内くん、貴方は許可があるまで喋らないで、まずは佐倉さんから話を聞くわ……佐倉さん。貴方、ストーカーされてるの?」
山内を一瞥することで黙りこませて、佐倉へと向き直り、心配そうな声で気遣う。
「は、はい……あの、これ……」
佐倉はおそるおそる端末を操作すると、オレと堀北から見えやすい位置へと画面を提示してきた。
そこに表示されていたのは、とあるグラビアアイドルのWebページだった。
「あ、あの……その、すごく恥ずかしいんですけど……私、グラビアアイドルやってて……。学校からも許可を得て、校内の情報は漏らさないように画像のアップロードとかだけで活動を続けてるんです」
消え入りそうな声で口にされた告白。堀北は画面の画像と、目の前に立つ佐倉の姿を見比べ、心底感心したように頷いた。
「貴方、凄いのね……確かに今の貴方なら、この人物と同一人物だって理解できるわ。……でも、貴方、以前は眼鏡をして変装していたわよね。なんで外したの?」
堀北の素朴な疑問。
その問いに対し、答えたのは佐倉ではなく──オレの頭の上にいたバカ鳥だった。
「もー! ツンツンさんったら恋愛ヨワヨワさんなんだからー! 女の子が変わりたいと思った時、それは大体、恋なのよー!」
「……綾小路くん、減点よ」
堀北が間髪入れずにで告げた。
あまりにも理不尽なポイント制度である。オレは何も喋っていない。
事態の裏側やヒュロポスの発言の意味を察した櫛田は「ふふっ」と思わず吹き出したが、事情を知らない佐倉と長谷部は「え?」「なんで……?」と不思議そうに首をかしげている。
「彼があまりにも夢中になってこのページを見つめているから、減点したわ」
堀北が平然とした顔で取って付けたような理由を捏造する。
長谷部も「あはは、なるほどね」と苦笑を浮かべ、当の佐倉は顔をリンゴのように真っ赤に染め上げてオレを見つめてきた。
「ほ、本当……? 綾小路くん……っ」
上目遣いで恥ずかしそうに尋ねてくる佐倉。
オレとしては否定すれば佐倉の自尊心を傷つけ、肯定すれば変態扱いされるという、どう転んでも詰んでいる状況だった。
そんな絶体絶命のオレに、救いの手を差し伸べたのは他でもない堀北。
「……少しは緊張が解れたかしら? 私はあなたの味方だから、緊張せずに話して頂戴」
堀北は優しげな笑みを浮かべて佐倉を勇気づける。
……己の理不尽な減点システムでオレを犠牲にし、その場の空気を和らげて味方アピールをするとは、酷いマッチポンプである。
しかし効果は劇的だった。佐倉は少しだけ表情を明るくさせると、「うん……」と小さく頷いた。
「実はね……このページの、後にね……」
スクロールされた画面のコメント欄には、特定の人物から投下された、妄想と執着に満ち満ちた不気味なメッセージがいくつも残されていた。
『雫ちゃん、今日も眼鏡を外して歩いてたね。素顔の君はやっぱり世界で一番可愛いよ』
『雫ちゃんが僕の近くに来るなんてやっぱり運命なんだね、赤い糸で結ばれてる』
『最近、君の近くにいる冴えない男は何? 君の隣に立っていいのは僕だけなのに。あの男、邪魔だなあ』
『君をずっと見てるよ。今日はいてたスカート、すごく似合ってた』
『もうすぐ迎えに行くからね。僕たちの邪魔をする奴は許さない。待っててね、僕の天使』
一目見ただけで悪寒が走るような、極めて粘着質で具体的な文章の数々。
投稿日時を見れば、つい数日前にアップした写真へのコメントが今日も上がっている。
「これは……単なるファンの応援コメントの域を、完全に逸脱しているわね」
堀北が眉根を寄せ、冷ややかな声で呟いた。
「でしょう!? ほんっと気持ち悪い! 毎日こんなの書き込まれてたら頭おかしくなるって!」
長谷部が激しい怒りを露わにして吐き捨てる。
佐倉は肩を小さく震わせ、恐怖で今にも泣き出しそうな瞳で画面を見つめていた。隣に立つ櫛田も、表情こそ引きつらせてはいるが、その瞳の奥には隠しきれない強い嫌悪感が渦巻いている。
「ひゅぽー……! こ、怖いのね! 人間さん! こんなの愛じゃないのよ!」
頭の上のヒュロポスも、不気味な文章に翼を逆立てて威嚇するようにキーキーと鳴いている。
「ねえ、堀北さん。学校の敷地外から見てるって書いてあるの……だから私、怖くて……」
「ええ、不安になるのも無理はないわ。警察や学校の警備に相談すべきレベルのストーカー行為よ」
堀北が冷静に状況を分析しようとした、その時だ。
「だ、だから言ったろ! 俺は佐倉を守ろうとしたんだって!」
壁際で縮こまっていた山内が、待ってましたとばかりに声を張り上げた。
「俺はこのコメントを見つけてさ! 佐倉が困ってんじゃねーかと思って、このストーカー野郎から守るために色々頑張ってたんだよ!」
「……キモ」
櫛田の短い罵倒の後に長谷部が地獄の底から響くような低い声を漏らした。
「あんた……なんて言ったの? 色々頑張ってた? 具体的になにやったのか、今すぐ吐いて!」
「い、色々は色々だよ! 一々、自分のやったことを言うなんて男らしくねーだろ」
「山内くん、あなたの軽率な行動がもしかしたら被害を拡大させるのよ。何をしたのか、正直に言いなさい」
「……べ、別に大したことは、してねーよ」
この期に及んで山内は自分の行動を打ち明けたがらない。その様子から自分の行動がバレれば不利益を被ることを理解しているのだろう。
長谷部の眼光が完全に殺意を帯びた。だが、それよりも早く声を挙げたのは櫛田だった。
「寮のポスト覗き込んでたの、山内だったわけ? どうりでおかしいと思った、このストーカーとポストのぞき込んでたやつが別なら筋通る、あんたのせいでこっちは混乱したんだけど」
櫛田の発言から二つの事件が起きていることを理解する。
一人は佐倉のポストをのぞき込んでいた人間。もう一人は佐倉のストーカー。同一人物の行動と考えても不思議ではない。
ポストをのぞき込んできた人間を同一人物と勘違いしていたのならば佐倉の危機感が強くなったのも理解できる。
コメントからしてみれば少なくとも一月以上は粘着されているにも関わらず、今、相談してきたのはそういうカラクリがあったわけだ。
皮肉なことに山内の余計な行動が佐倉の相談するという選択肢を与えたことになるとは。
敬称すら取れて完全に軽蔑した視線を投げる櫛田。
「な、なんだよ! その目! しょ、証拠でもあんのかよ!」
山内は視線をキョロキョロと彷徨わせつつも、強気に言い放つ。
「あ、あります! 証拠なら!」
そう言うと佐倉はデジカメを鞄から取り出した。フードを被った誰かが寮内のポストをのぞき込んでいる姿だった。
スライドすればさらに撮影している瞬間も映っている。
内向的な佐倉からしてみれば一刻も早く逃げたかったことだろう。それでも証拠を残すという機転を得られるほどの精神的強さを持ったことに成長を感じる。
「こ、これ、俺だってわかんねーじゃん!」
山内の悪足掻き。
だが、堀北がトドメを指す。この写真では確かに人相まではわからないが少なくとも学生による犯行である可能性が高いことを示す一つの論拠が存在する。
それは寮内部、受け取り口から中を撮影しているその手に持っているものは『学生』証端末。
「これを見なさい。背丈、服装から犯人は絞られる。その上、写真を撮影までしているのだからあなたの端末を調べれば――」
「う、うわぁぁぁぁっ!」
その時、山内は見せられたデジカメを叩いた。追い詰められての極限状態、山内のその振り下ろしに堀北は反応できなかった。
乾いた音の後に、物体の落下音が鳴り響く。慌てて佐倉が拾い上げるものの「つ、つかない。ど、どうしよう」と呟いた。
「わ、悪ぃな! て、手が当たっちまった! でも、こ、これで証拠なんてねーだろ! それにそれが本当にオレだったかわかんねーじゃん。それに堀北がしっかり握っていればこんなことにはならなかったんだよ」
堀北と櫛田は心底軽蔑した視線を。佐倉は落ちたデジカメを拾い、宝物を守るかのようにギュッと抱きしめ、長谷部はそんな佐倉を横から抱きしめていた。
オレは山内のその一連の行動を見て、逆に感心してしまう。窮鼠、という状況下において人は生存するためにここまでの悪足掻きができるのか、と。
堀北が予期せぬ一撃を受けたのはその行動の愚かさ故。どう足掻いても詰んでいるこの状況下で諦め悪く、なんとかしようというその行動力だけは感心を覚えてしまう。
「い、今のは俺は悪くねぇよ! な、なぁ! なぁ! 綾小路!」
ここでオレに振るのか……。女子組の視線から流石に援護を期待できないと悟ったのか置物と化していたオレに救いを求めてくる。
「むきゃー! もう辛抱ならんのよ! いつまでもあたしが黙っていると思えば! 人間さん! ビシッと決めるのよ! ビシッと!」
オレは小さく溜息を吐いて、感情を含めずに現実を口にする。
「まず、今の行動が故意にせよ、故意じゃないにせよ、佐倉のカメラが傷ついた。お前の行動によってだ。そして、客観的な意見とすればお前が証拠隠滅しようとした、それ以外の何物にも見えない」
「あ、がっ、て、てめぇ!」
「そして、お前はこれで証拠隠滅したつもりかもしれないが、現状、二つの証拠がある。一つは佐倉のデジカメ、そのカメラの中にはSDカードに写真を記憶している。だから本体を壊したところで証拠の隠滅にはならない」
俺の発言を理解できたのか顔を青くする。
「さらに――お前の学生証端末には証拠が残ってるんじゃないか? 佐倉のポストを撮影した時の写真が。それを調べればすぐにでもわかる」
山内の性格や態度から考慮すれば極めて高い。強い自己顕示欲と自惚れ。ましてやこの問題が表沙汰になるまでヒーロー気取りであったことを鑑みれば活躍の証拠である写真を消している可能性は極めて少ない。
「ち、違うんだよ! 誤解なんだ! 俺は佐倉のこと守りたくて! 善意なんだよ! 善意!」
その言葉に櫛田がキレる。むしろ今までよく持った方だ。
「あんたの善意は迷惑なのよ! それに下心までついてんだから善意ですら無い! ほんっと、気持ち悪い! 他の人を頼らなかった理由もどうせいいカッコしたかったからでしょ? あわよくば愛里ちゃんが惚れるとでも都合のいい妄想でもしてたわけ!? 死ねっ!」
櫛田の容赦のない言葉に、山内は言葉を詰まらせて怯んだ。
「山内くん」
堀北が静かに、けれど絶対に逆らえない絶対零度の声で山内を射抜いた。
「貴方の意図がどこにあったのかなんてもう、どうでもいい。大人しく罰を受けなさい。佐倉さん、このまま、先生の所にいきましょう」
「賛成。ほんと最悪……」
堀北と長谷部の発言に佐倉が小さな声で「ま、待って……」と声を出した。
「どうしたの?」
堀北が小首を傾げながら佐倉へと尋ねる。
「あ、あのね……その……山内くんのことは先生に言うの待ってもらえない……でしょうか」
佐倉の発言に三人が驚きを見せる。山内は真っ青に染めていた顔に喜色すら浮かびはじめていた。
「あ、あのね、えっと……や、山内くんのことが許せないのは、私も一緒」
佐倉は慎重に言葉を選びながら、自分の意思と考えをしっかりと述べる。
「で、でも、もしもこの話でクラスポイントに影響がでたら……みんな困らない?」
その言葉に長谷部は気づく。堀北と櫛田は気づいていたのか自分たちの意見を口にした。
「そうね、でも、佐倉さんがそれを我慢するというのは違うと思うわ……あなたは被害者なのよ? それにカメラのこともある」
「堀北の意見に便乗するわけじゃないけど……まぁ、でも、しょうがないよ」
櫛田は目を反らしながら堀北の意見に追随した。
「あのね、私、運動もできないし、勉強だって出来るわけでもないけど、み、みんなみたいに強くなりたいっ」
佐倉の必死の訴え。決して喋ることが上手いと言える人間ではない。それでも言葉を選び、必死に伝えようとしてくる努力は伝わってくる。
「た、確かにポストをのぞき込んでる人、見つけた時、怖かったし、写真を撮って逃げた後もとても怖かった……でも、一人じゃなくて友達がいたからなんとかしようと思えた……だ、だから!」
息を吸い込み、力強く喋る。
「い、今のまとまってきた空気を壊したくない。みんなで少しずつ頑張ってきたのを台無しにしたくない……だ、駄目でしょうか? あぅぅ、だ、駄目ですか……」
最後の最後に弱々しく尋ねる佐倉。決めきれなかったものの、四月、五月とクラス内部を崩壊させた二人には佐倉の勇気は眩しく映ることだろう。堀北と櫛田は視線を合わせて頷き合う。
「山内くん、学生証端末を出しなさい」
「な、なんで……」
「これ以上、喚くなら先生に言うけど?」
櫛田の脅しに慌てて端末を取り出す。指示通りにロックを解除して二人は山内の端末を確認する。眉間に皺が寄ってるのはろくでもない写真ばかりなのか。
長谷部はそんな様子を眺めていた。その瞳は――。
「確認し終えたわ。幸いなことに今のところは佐倉さんのポストだけが人道に反した写真みたいね」
「まぁ、盗撮してないだけギリギリ許容範囲だね。良かったね、山内くん、私と堀北さんは愛里ちゃんが言うから黙っててあげる」
そして全員の視線は長谷部へと向いた。長谷部は瞳を揺らしながら――。
「今後、あたし達に近づかない、関わらない。ポイントが入ったら修理代を弁償する。それを守れるなら今回だけは見逃す」
その言葉に山内は首を縦に振る。
「守る! ぜってー! 守る!」
「じゃ、消えて……」
長谷部の言葉を受けて山内は堀北の手から端末を受け取り脱兎の如く駆け出した。その背中に向けて「あっかんべー! なのよ!」と口にしているヒュロポスが最も態度的には穏当なのかもしれない。
「さて、今度こそ本当に先生の所にいきましょうか」
「へ……?」
佐倉はきょとんとした顔を浮かべていた。振り絞った勇気が目の前の出来事で頭一杯だったのかもしれない。
「いや。まだストーカーの件終わってないよ……」
櫛田が続けてツッコむと――「ひゃう! そうだった……」と顔を赤くする。その様子に長谷部も緊張感が緩んだのか笑みがこぼれる。
「それじゃあ、行きましょう」
堀北の合図を先頭にオレたちは特別棟一階の奥深くから移動するのであった。
◇ ◇ ◇
特別棟の出口へと差し掛かったところで、少しだけ明るい雰囲気を取り戻しはじめたオレたちは、思いがけない人物とばったりと鉢合わせることになった。
「……っ!?」
階段の陰から姿を現したのは、赤髪を逆立てた男──須藤健。
その表情は、不意の遭遇に対する驚きと、どこか後ろめたいような狼狽に満ちたもの。息を少し乱しており、何かから逃れてきたかのような切迫感すら漂っている。
堀北が足を止め、訝しげに眉をひそめた。
「須藤くん、あなた、ここで何を──」
「な、何でもねぇよ……!」
堀北の問いかけに対し、須藤はあからさまに視線を横へと逸らして答えた。その態度の不自然さは、誰の目から見ても明白。長谷部が呆れたように肩を竦め、小さく息を吐き捨てる。
「いや、なんでもなくはなくない?」
「う、うるせぇっ! 俺がどこで何をしようと勝手だろうが!!」
図星を突かれた苛立ちからか、須藤は急に怒声を張り上げて威嚇するように吠えた。
放課後の静かな廊下に怒号が鋭く響き渡り、佐倉は「ひゃいっ……!」と小さく悲鳴をあげて怯え、隣にいた長谷部も予期せぬ威圧に身体を強張らせて硬直させる。
オレは咄嗟に一歩前へ出ると、佐倉と長谷部のふたりを隠すようにして須藤との間に立ちふさがった。
「……チッ、んだよ。綾小路」
須藤がオレを睨みつけた、その時だ。
オレの横から、氷のように冷ややかな、強い嫌悪感を孕んだ声が響いた。
「その怒鳴るやつやめて。二人が怯えてる」
声をかけたのは櫛田。一切の容赦のない冷徹な眼光で須藤を射抜いている。
その気圧されるような迫力とクラスメートたちの視線に耐えかねたのか、須藤は苦々しく舌打ちを鳴らして、そのまま走るようにして特別棟から去っていった。
嵐のような去り際に長谷部が胸を撫で下ろし、驚いたように櫛田の方を振り返る。
「や、きょーちゃん、肝すわりすぎ……めっちゃ言えるじゃん」
「だって、ムカつかない、アレ?」
櫛田は眉間を寄せたまま吐き捨てるように答えた。隠す必要のなくなった『裏』の強靭な気性が、結果として頼もしく機能した格好だ。
長谷部は苦笑いを浮かべると、今度はオレの方へと向き直った。
「きよぽんもありがとね」
「いや、大したことは何もしてないが……」
オレが素っ気なく答えた、その瞬間だった。
頭の上に乗っていたヒュロポスがバタバタと大袈裟に羽ばたきながら声を張り上げた。
「そんなことないのよー! あのマッカッカさんから二人を守るように! きゃー! ナイトみたいでカッコイイのよー!」
オレは頭の上にのる鳥の発言を無視して答える。
「これ以上、佐倉への精神的負荷をかければ、先生の報告に支障をきたす可能性もあったからな」
オレが理由を口にすると、女子全員が一瞬だけ静まり返り、なんとも言えない困惑と呆れの混ざった表情を浮かべた。
「綾小路くん、あなたねぇ……」
堀北が小さく額を押さえ、心底呆れ果てたような溜め息を漏らす。
「クソボケ鈍感ロボット」
櫛田からは容赦のない暴言が飛んできた。
そして、佐倉は困ったように眉を下げて微笑んでいる。
「あ、あはは……なんだか綾小路くん、らしいね……でも嬉しかった、ありがとう」
「もしかして、きよぽんって天然?」
長谷部の面白がるような、けれど確信めいた口調での呟き。
それに同意するように、堀北と櫛田が示し合わせたかのように深く深く頷く。頭の上に居座る謎の鳥までもが、翼を大きく広げてノリノリで叫んだ。
「そーなのよ! そう! なのよ!」
力強く肯定されてしまった。
なるほど、オレは天然なのか。
その抽象的なニュアンスの概念をオレ自身は未だ理解しきっていないが、ここで反論しても余計な波風が立つだけ、黙っておくことが賢明だと判断する。
その後、オレたちは茶柱先生のもとへと足を運び、佐倉のストーカー被害について無事に報告を終えることができた。
そして、事件は迅速な行動で解決し――そして、迎える七月一日の朝。
一ヶ月間の成果と、期待に胸を膨らませてスマホ画面を開いた生徒たちの前に突きつけられた現実。佐倉の勇気を伴った願いは見るも無残な形でオレたちの目の前に現れた。
オレたちのクラスに支給されたプライベートポイントは──崩壊した五月一日と同じように『ゼロ』だった。
読んでくださりありがとうございます。感想欄につきましてはガイドラインを遵守して頂ければ幸いです。また上手く返せなかったり、先のネタバレになりそうな部分はスルーさせてもらうことがあります。ご了承頂けると幸いです。
感想本当にありがとうございます。皆さんが楽しんで頂けるよう精進します。