Persona x Classroom of the Elite 作:仔羊肉
「少し、トラブルがあってな。一年生へのポイントの支給が遅れている」
茶柱先生が口にしたその言葉に、不安を抱えていた生徒たちは一斉に安堵の溜息を吐いた。
五月一日にすべてのポイントを失ったせいもあって、気が気ではなかったのだろう。
「学校の不備なんすよね? なんかオマケないんすか」
「うげぇ、今日の晩飯どうしよー」
「まぁ、でも振り込まれるならいっか」
生徒たちが口々に安堵や軽口を叩く中、教壇の前に立った茶柱は冷ややかな視線を巡らせ、追撃のように言葉を付け加えた。
「今回のことは私にはどうしようもない。トラブルが解決次第、ポイントは振り込まれる。もっとも、その時、ポイントが残っていれば、の話だがな」
既にこの学校特有の嫌らしさを理解し始めている一部の生徒たち。特に勘や頭が冴えている人間は、その不穏な言い回しに違和感を覚えたはずだ。
さて、誰が動くのか、と視線を回してみれば――幸村が勢いよく手を挙げた。
「ほぅ、幸村。何か質問か?」
茶柱は面白そうに口元を歪め、手を挙げた幸村を見つめる。
幸村輝彦。Dクラスにおいて極めて学力が優秀な生徒である。
入学当初、そして四月は殆どクラスメートとコミュニケーションを取らずに過ごしていた。また学力の高さに価値を強く感じ、学力の低い生徒を見下す傾向があった。
けれども、堀北主催の勉強会や学力の低い人間との交流を経て、少しずつではあるが変化が見られる。堀北と接点が多いためかオレともそれなりに関わることが多く、オレの頭の上に乗るヒュロポスについて唯一苦言を呈してくれた一人でもあった。
そして、幸村の弱点の一つは、優秀な学力が逆に足を引っ張る形となっている機転思考力の低さだ。
学力、知識が先行するためバイアスがかかりやすく、柔軟な思考を止めることもしばしば見受けられた。勉強会においても、難しい問題よりも意地の悪い引っかけ問題にこそ躓くことがあることから、その学力の高さは日頃の積み重ね、不断の努力によるものだと推測が立つ。
「茶柱先生。それは人為的なトラブルなんでしょうか?」
幸村は眼鏡のブリッジを押し上げながら、ハッキリとした口調で問い詰めた。
「学校側のシステム障害や手違いであるなら、生徒側のポイントが減額される理由にはならないはずだ。そして一年生全体ともなればクラス同士のトラブル……今回のトラブルは、学校ではなく『生徒同士の不祥事』が原因ではないでしょうか?」
「フッ……幸村、残念ながら今の段階では詳しい事情を話すことはできない。だが一つだけ教えてやろう、Cクラスからの訴えがあった」
その情報からトラブルの源が自分たちのクラスであることを知る。これには幸村も表情が凍りつく。
「現在、その『事件』についての審議が生徒会および指導層の間で行われているため、一時的に一年生全体のポイント支給をストップさせている」
「事、件……?」
幸村の隣で、平田が顔を曇らせる。教室内の安堵は僅か数分で霧散し、困惑と疑念が支配した。
「私が伝えるべき事項は以上だ。それと須藤、お前には話がある、ついてこい」
茶柱は淡々と告げて教室を去る。そして須藤は「一体、なんだよ……」と不機嫌そうに舌打ちをして教室を出ていった。
呼び出された須藤とCクラスからの訴え。証拠など無いにも関わらず殆どの生徒にはその内容も予測でき始めた。
「健のやつ……はぁ、せっかくオレのポイントがさぁ」
茶柱と須藤が教室を去った直後、開口一番に不満をぶちまけたのは山内だった。
先日のデジカメを巡る事件以来、彼は佐倉たちに直接絡むことこそなくなったものの、クラス内での不快な悪目立ちまで影を潜める気配はない。
もっとも、彼が撒き散らす不快感や愚行は、巡り巡って櫛田のストレスを蓄積させ、ストレス発散とばかりにフォーラムで暴れている。復興部の活動においては間接的に貢献していると言えなくもないため、ある意味では彼女の力の源泉と評価できなくもなかった。もちろん、本人には口が裂けても言えないが。
「おい春樹、流石に健の前じゃそういうこと言うなよ。そもそも健が原因かなんてわかんねーじゃん」
隣の池が眉をひそめて忠告する。
「流石にしねぇって。あいつ馬鹿だから、反省せずに殴ってきそうじゃん。今回のことみたいにさ」
鼻で笑いながら吐き捨てる山内に、池は驚いたように目を見開いた。
「お前……健が何をやったのか知ってんのか!?」
「あぁ、情報通の俺だからな。知ってるっての」
その瞬間、山内はニヤリと得意げな笑みを浮かべた。自慢げに胸を張り、周囲の注意を惹くように声を張る。
「健のやつ、Cクラスのバスケ部の奴らをボコボコにしたんだぜ? あいつ、マジでヒデェよな」
その噂話を聞きつけ、状況を把握したい女子生徒の数名が「え、本当?」「須藤くんが?」と山内の席の周りに興味深そうに集まり始めた。情報を持っているという一点だけで注目の的となった山内は、味を占めたように喋り続けている。
「……はぁ。せっかく愛里が頑張ったのに、これじゃあオジャンじゃん。ほんと、最悪。男ってこれだから……」
山内と席が比較的近い長谷部波瑠加が、心底、不快そうに溜息を吐きながらオレたちの席の近くへと避難してきた。
その愚痴の途中でオレと目が合うと、彼女はハッとしたように慌てて手を振る。
「あ……でも、きよぽんは別だからね」
「……そうか」
「……まぁ、その、ごめん」
短い返事を返すと、責められたと勘違いしたのか長谷部は気まずそうに頭を下げてきた。
「気にしてないから別にいい」
オレが淡々と返すと、いつの間にか側にやってきていた櫛田が、少し呆れたように苦笑いを浮かべながら割り込んできた。
「いや、そこは少しは気にした方がいいよ、綾小路くん。逆にそこで何の感情もないと、女の子扱いされてないみたい」
「まぁまぁ、きよぽんらしいから。あたし達の間のユージョーには性別なんてあってないようなもんだし」
長谷部がひらひらと手を振ってフォローを入れる。その言葉の響きに、オレは思わず胸中で反芻した。
「友情……そうか、友達なのか」
「そこ!? 大分、仲良くなってるつもりだったんだけど!」
噛みしめるようなオレの呟きに、長谷部は目を丸くしてオーバーに驚いてみせた。
「オレは友達が少ないから素直に嬉しい。よろしく頼む」
オレが頭を下げると、長谷部は「お、おぅ……」となぜか毒気を抜かれたように気圧され、少し困惑した表情を浮かべた。
「……天然」
そのやり取りを見ていた佐倉が、ぽつりと小さく呟く。
「……クソド天然」
隣の櫛田もまた、引きつった笑顔のまま、誰にも聞こえないような小声でぼやいていた。
正面の堀北に至っては、「本当に進歩がないわね」とでも言いたげな、完全に呆れ果てた視線をこちらに投げかけてきている。
「ヒュポー! お友達ができることはとってもいいことなのねー! とってもとってもポカポカなのよー!」
教室の不穏な空気を余所に、オレの肩の上に乗ったヒュロポスだけが大はしゃぎで小躍りを始めた。
下手くそでぎこちないダンスのせいで、翼の先端がパタパタとオレの頬を打ち、むず痒い。
そこへ、松下とみーちゃんの二人もこちらの席へと近づいてくる。二人の姿が視界に入ると、櫛田がほんの一瞬だけ表情を固くし、みーちゃんも気まずそうにそっと視線をそらす。
だが、そんな空気には触れず、松下が落ち着いた口調で口火を切った。
「堀北さん、今回の件、何か知らない? 山内の発言を頭から信じるわけじゃないけど、それでも須藤くんが連れていかれた以上、さ」
言葉は濁しつつも須藤が原因で事件が勃発していることは確信しているような口ぶり。
「私もまだ詳細は知らないわ。けれども、あまり良い状況じゃないのかもしれない。けど憶測や偏見ではなく、きちんと向き合いたい。私はその方針で今回の件、協力できる道があるのならそうしたい」
堀北は腕を組み、険しい表情のまま決意を口にする。
これから起こりうる事態を考えれば、纏まりかけていたDクラス内部の空気は再び悪化することになるだろう。そして問われるのはリーダーの資質。
堀北の成長を鑑みても、相当苦しい問題であることは間違いなかった。
◇ ◇ ◇
重苦しい空気のまま午前と午後の授業を消化し、やがて放課後を迎えた。
日中、今朝の出来事について須藤を詰問しようとする生徒も数名いたが、帰ってくる前に平田や幸村が率先して制止していた。不用意に須藤を刺激して事を大きくさせないための配慮だろう。
山内の噂話を止めて、須藤への詰問も禁止して。平田の調和を優先する行動は一部の人間から反感を買い始めている。長谷部経由の話によれば女子からも愚痴が漏れているらしい。休み時間の教室内で聞いたとなればいよいよもって平田というストッパーが機能しなくなる可能性を示唆していた。
表面上は平田の意に従ったものの、当然ながらクラス内部には苛立ちと不満がくすぶり続けている。
誰も彼もが、自分たちが被るかもしれない不利益の「理由」と「答え」を知りたがっていた。
だからこそ、いつ爆発するかもわからないこの危険な爆弾を処理するために動いたのは、平田その人だった。堀北もタイミングを伺い接触することを考えてはいたがそれよりも先んじる形で平田が一番に動いたのだ。
そして、それは悪手。
堀北は動かなかったわけではない、動けなかったのだ。
鞄をひったくるように持ち、逃げ去るように教室を飛び出そうとした須藤に向かって、平田は静かだが通り易い声で呼びかけた。
「須藤くん、待ってくれないか」
「んだよ」
「困ってることがあるんじゃないか? 良ければ、相談に乗りたいんだ」
平田洋介。人当たりが良く、文武両道で性格も穏和で優しく、女子からの人気は非常に高い。
「……うるせぇ」
「ごめん、でも僕は――」
「うるせぇっつってんだろ! 全部、知ってんだろうが! それをわざわざ! 味方ヅラで近づきやがってよ!」
爆発した。須藤は気付いていた、他者からの疑念、他者からの敵意を。
「知っていたさ。だが……俺達はお前の口から直接本当のことが聞きたいって思ってた。それなのに、お前は……っ!」
静観を決め込んでいた幸村が、ついに耐えかねたようにガタリと席を立った。その眼鏡の奥の瞳には、強い失望と怒りが濁っていた。
「少しでも……お前が見直せる人間になったんじゃないかと期待した俺が馬鹿だった」
幸村の吐き捨てるような言葉は、ただの冷罵ではない。
四月、堀北が主催した勉強会において、落ちこぼれと呼ばれた須藤の面倒を不器用ながらも必死に見ようとしていたのは、誰あろう幸村自身だった。
だからこそ、朝に山内が軽薄な噂話を撒き散らしていた時、真っ先に苦言を呈したのも幸村。須藤の努力を知っているからこそ、根拠のない悪評で彼が貶められるのを不快に思っていたのだ。
だが、その幸村からの失望の瞳を正面から浴びせられ、須藤の顔が焦燥と屈辱で真っ赤に歪んだ。
「っ! オレは何もしてねぇ! そう言ったらお前は信じるのかよ! 信じねーだろ! どうせお前ら全員、オレが悪いって決めつけてんだろッ!」
感情を制御しきれなくなった須藤の声が教室中に響き渡る。荒い息を吐きながら、彼は追い詰められた野獣のように周囲を睨みつけた。
「オレはCクラスの奴らに呼び出されただけだ! 向こうが急に絡んできたから、突っかかってきた奴を突き飛ばしただけなんだよ!」
言葉に詰まりながらも必死に投げつけられた言葉。それは暴力事件というよりは、突発的な揉み合いの描写に近かった。
その言葉の断片を拾い上げ、沈黙を守っていた堀北がすっと立ち上がった。
「須藤くん。もしそれが事実なら、包み隠さずすべてを説明して頂戴。貴方の口から状況を聞かなければ、学校や生徒会に対して弁明のしようがないわ」
堀北の助け船。しかし、それを台無しにする声が、調子に乗った泥船の上から差し挟まれた。
「いやいや、健。お前『C』クラスのやつボコボコにしたんだろ? あいつら、怪我して病院行った挙句、ギブスとかつけてたぜ。顔だってアザだらけでさ……流石にやりすぎだって。マジやべーって、お前」
山内の煽るような言葉。周囲の女子たちが「えっ……ギブス……?」「やっば、そんな重傷なの……?」と不快感と恐怖を露わにし、須藤への疑念を一段と強めた。
「オレは本当に、突っかかってきた奴を突き飛ばしただけなんだよ! 正当防衛だ、正当防衛!」
声を荒らげる須藤。だが、一度生じた不信感の芽は、粗暴な彼の態度も手伝って急速に膨らんでいく。
「いやいや、嘘つくなって。突き飛ばしただけならポイント保留になるわけねぇじゃん」
「嘘なんかじゃねーって言ってんだろッ!」
須藤の理性がい易く弾け飛んだ。
一瞬で間合いを詰めた須藤が、山内の胸倉を強烈な力で掴み上げる。足が浮きかけるほどの力任せな握力に、山内の顔に浮かんでいた余裕の笑みが消え去った。
「ひっ……!? が、は……っ!」
情けない悲鳴を上げた山内だったが、頸部を圧迫されながらも、周囲の視線を感じ取ると即座に哀れな被害者を演じ始めた。引きつった表情のまま、脅えを含んだ歪んだ笑みを浮かべて強がる。
「ほ、ほら見ろよ……! す、すぐに手が出るじゃねぇか……っ! 」
「くっ……これはっ……!」
教室中の生徒たちから注がれる「また暴力を振るっている」という拒絶の視線。自分が仕掛けられた罠に自らハマりに行っていることに気づいた須藤は、血が滲むほど歯を食いしばり、投げつけるように山内を突き放した。
「うわっと!?」
勢い余ってドスンと派手な音を立てて尻もちをつく山内。
その乱暴な一部始終を目撃した女子たちから小さく不快な息を呑む音が漏れる中、平田が慌てて二人の間に割って入った。
「須藤くん、落ち着いて! 暴力はダメだ! 僕は……僕は君の味方になりたいんだ!」
真摯に手を差し伸べる平田。クラスの調和を守り、誰一人見捨てまいとする彼の優しさは本物なのだろう。
「……うるっせぇ! うるっせぇんだよ! てめーみたいな、遊びでサッカーやってるヤツが偉そうに語ってんじゃねぇ!」
「す、須藤くん……僕は、別に遊びでサッカーをやってるわけじゃ――」
「じゃあ! なんで部活に顔ださねぇんだよ! 定例会議だかなんだか知らねぇが、放課後の練習蹴ってまで集まって! 遊び半分じゃねぇかッ!」
須藤の理不尽な怒りの矛先が、平田の最も誠実な部分へと向けられる。部活動にストイックに打ち込む須藤からすれば、クラスを優先して部活動を疎かにしているように見える平田の姿勢が、許しがたい慢心に見えたのかもしれない。
もしくは――。
「そ、それは……でも違う! 僕はクラスの為と部活動、その両方を同じくらい大事にしたいと思って――」
平田は説得しようと一歩踏み出し、すっと手を伸ばした。
「うるせぇんだよ!」
だが、その胸を、須藤の太い腕が強く弾き飛ばした。
ドサリ、と重い音を立てて床に倒れ込む平田。
「きゃあッ!?」
「だ、大丈夫! 平田くん!?」
教室内から女子たちの甲高い悲鳴が響き渡る。みーちゃんや松下といった生徒が突き飛ばされた平田の安否を確認する。普段は穏やかな平田が暴力に晒されたことで、クラスの空気は一気にパニックへと傾いた。
「おい! 須藤、お前……!」
倒れ込んだ平田を庇うように、幸村が瞬時に前に立ち塞がった。
「んだよ! 幸村ぁ!」
須藤が巨躯を折り曲げるようにして凄む。圧倒的な体格差と粗暴な圧力が幸村を襲う。
だが、幸村はその威圧に一切ひるむことなく、眼鏡の奥の瞳で真っ直ぐに向き直った。ぎゅっと握りしめられた両拳が微かに震えているのは、目の前で振るわれる理不尽な暴力に対する激しい怒りによるものか、それとも本能的な恐怖によるものか。
幸村は一歩も引くことなく、腹から声を張り上げて強く言い放った。
「平田がクラスと部活を両天秤にかけて、わざわざクラスの会議を優先してくれているのは、俺達全員にとってありがたいことだろう! そもそも、この問題とお前の件は何の関係もないはずだ!」
幸村の、付け入る隙のない正論。それが鋭利な刃となって突き刺さり、須藤は言葉を失って歯を食いしばりながら視線を泳がせた。
「俺だって……俺だってクラスのために……っ! ああもういいッ! どいつもこいつもッ!」
絶望と苛立ちに塗れた怒号を残し、須藤は教室の出入口の扉を壊さんばかりの勢いで乱雑に開け放つと、そのまま廊下へと走り去っていった。
バタン! と激しい衝撃音が校舎に響き渡り、嵐が過ぎ去ったあとのような重苦しく殺伐とした緊張が教室を支配する。
誰もが言葉を失い、固まっていたその静寂を突き破るように、床から立ち上がった山内が勝ち誇ったように大声を張り上げた。
「ほらな! やっぱ、健ってやべぇ奴だろ! あいつ、三人も怪我させたんだぜ!? それくらいのこと、あいつならやるって! 俺は最初からわかってたんだよ!」
自分が正しかったと言わんばかりに胸を張り、同調を求めるように周囲を見回す山内。
だが、その醜悪な勝ち誇りに対して真っ先に反応したのは――
パシィンッ!
静まり返った室内に、乾いた高音覚める打撃音が鮮烈に響き渡った。
「がはっ……!?」
山内が顔を大きく背け、頬を押さえて絶句する。
「……さいってい」
そこに立っていたのは、長谷部波瑠加だった。
彼女は叩きつけた右手を微かに震わせながら、射殺さんばかりの冷たい瞳で山内を射貫いていた。
「な、なんだよお前……! 急になにしやがるんだよッ!」
頬を真っ赤に腫らした山内が、屈辱と激怒で顔を歪めて長谷部を睨みつける。
「あんたら、友達じゃないの?」
長谷部の低く冷ややかな声が、静まり返る教室に染み込んでいく。
「なんで……なんでそうやって、自分の友達が追い詰められてる時に、平然と嘲笑って追い打ちかけられるわけ? 池くんもだよ。どうして止めないの? 一緒に馬鹿やってた仲なんじゃないの?」
刃のような長谷部の視線が、山内の隣でオロオロと立ち尽くしていた池にも突き刺さる。池は「あ……いや、俺は……」と気まずそうに視線を泳がせ、言葉を詰まらせた。
「お、おま、お前! 女だからって調子に乗ってんじゃねぇぞッ!」
山内が怒りに任せて身を乗り出し、長谷部を威圧しようと拳を握りしめる。
だが、長谷部は一歩も退かなかった。それどころか、一切の恐怖を感じさせない強い瞳で正面から山内を見据え返した。その圧倒的な気迫と軽蔑の色に押され、山内は思わず「ひっ……」と息を呑み、情けなく一歩たじろいだ。
「み、みんな、落ち着いて! 須藤くんの事は、僕がなんとかするから……!」
床から立ち上がった平田が、乱れた制服を整えながら必死に場を収めようと声を上げる。
しかし、その言葉にすぐさま冷や水を浴びせたのは、近くに立っていた幸村だった。
「……どうやってだ?」
「え……?」
幸村は静かに眼鏡を掛け直し、感情を削ぎ落とした声で平田を見つめた。
「お前のその、根拠のない言葉のどこを信じればいい? 当事者であるあいつ自身が差し伸べられた手を振り払い、教室を飛び出していったんだぞ。お前は一体どうやって、この状況を収めるつもりなんだ?」
「それは……まず僕が須藤くんと話をして、事情をきちんと聞いてから……」
「俺達が『話し合った』ところで、学校やCクラスが納得するとでも思っているのか?」
幸村の理路整然とした追及に、平田は言葉を詰まらせ、痛々しいほど困惑した表情を浮かべた。善意だけではどうにもならないという現実に、平田の「クラスの調和」という理想が限界を迎えて軋み声を上げている。
クラスの空気が完全に崩壊し、誰もが疑心暗鬼と不快感で口を閉ざす。
そんな壊れ切った空気の中で一人の少女が、静かに口を開いた。
「じゃあ……まず須藤くんを信じてみることから始めるのは、どうかな?」
耳に心地よい、可憐で透き通った声音。
かつて、そして今も表向きは「このクラスのアイドル」として誰もが親しみを感じていた櫛田桔梗の声だった。
その声の響きに引き寄せられるように、殺気立っていたクラス全員の注目が一瞬で彼女へと集まる。
だが、注目を集めた次の瞬間、櫛田の纏う雰囲気がガラリと変化した。
いつものふわふわとした愛想の良い笑顔がすっと消え去り、どこか冷静で、冷たさすら感じさせる凛とした声色。
「まずさ、みんな須藤くんがトラブルを起こした前提で話してるけど……その『トラブルの内容』ってそもそも何?」
池が恐る恐るといった様子で口を開く。
「え? く、櫛田ちゃん……そりゃあ、健が喧嘩したこと……じゃねぇの? Cクラスの奴らとさ」
「へぇ、そーなんだー。で、具体的になにがあったの?」
櫛田は眉をひそめることもなく、フラットなトーンで問い重ねる。
「え? そ、それは……」
内容を尋ねられ、池は口をもごもごさせて言葉を詰まらせた。自分自身、誰かから聞いた噂をそのまま鵜呑みにしていただけで、日時も場所も、事の経緯すら何も知らないことに気づいたのだ。
すると、自分の存在感を示そうと、山内が再び意気揚々と声を張り上げた。
「そりゃCクラスの連中をボコボコにしたことに決まってんだろ! あいつら三人、重傷で病院送りになったって話だぜ!」
勝ち誇る山内。
だが、その言葉を聞いた瞬間、オレの隣の席に座る堀北の瞳が鋭く光った。今まで無数の情報の波に埋もれていた小さな違和感。それが、櫛田の誘導と山内の軽薄な発言によって、はっきりと一つの違和感が表面化したのだ。
堀北は静かに椅子を引いて立ち上がると、氷のように冷たい視線を山内へと向けた。
「待ちなさい……山内くん。貴方のその話、本当なの?」
「へ? ほ、本当だぞ! 俺は情報通だからな!」
堀北の澄んだ声が、教室の空気を一変させる。
「茶柱先生は今朝、『現在審議中』だと言ったわ。そして『Cクラスからの訴えがあった』としか告げていない。須藤くんが何人を、どれほどの怪我を負わせたのか……その具体的な被害状況については、先生の口から一言も明かされていないはずよ」
堀北の指摘に、教室中の生徒たちがハッとしたように息を呑んだ。
「だ、だから! それは俺が独自に仕入れた情報で――」
「ええ、だから聞いているのよ」
堀北は一歩、山内へと歩み寄った。その瞳には、すでに観察者としての鋭利な知性が宿っている。
「先生すら口にしなかった『三人』『ギブス』『アザだらけ』という極めて具体的な被害状況を……貴方は一体、どこで、誰から聞いたの?」
「あ、いや、それは……聞いたんだよ、Cクラスの奴から。で、被害者の名前も言ってたから間違いねぇよ! 嘘じゃねぇからな! 石崎と近藤と小宮だよ! 近藤と小宮はバスケ部で、石崎は二人の友達らしいんだよ!」
ペラペラと漏らす内容。
三対一という状況、須藤の突き飛ばしただけだという証言、そして恐らく場所は特別棟。それらがすべて真ならば須藤は嵌められた可能性が浮上してくる。
「ひゅぽー! それならマッカッカさん、とっても強いのねー。それとも相手が雑魚シャドウだったのよー?」
オレはヒュロポスの声を無視し、思考を巡らせる。
CクラスとDクラスの揉め事。もしかすれば一筋縄ではいかないのかもしれないな。
◇ ◇ ◇
オレたちは事の真偽を確かめる為にまずは本人に話を聞こうと体育館へと向かった。メンバーは堀北と櫛田、そして、池。
大人数は避けての事情聴取で堀北が選んだのは櫛田と池であった。平田も名乗り出たが、相性を考慮して友人である池が選出された。
選ばれた池は視線を彷徨わせて、それで自信なく「俺でいいのかよ……」と呟いていた。その自信のない態度に櫛田は「一応、友達のつもりなんでしょ?」と皮肉気味に言えば「そ、そりゃ! そう……だけどよ……」と尻すぼみに答えた。
そんな池を引き連れて体育館の前に辿り着いた、その瞬間――。
視界が強烈な歪みと共に反転し、五感が急激に切り替わる。
肌を刺す冷気と、鉄くずと赤土が混ざり合った独特の異臭。
景色は一変し、頭上には見慣れた青空ではなく、血のように重苦しく爛れた赤黒い夕闇が広がっている。
視界に入るのは、荒廃し瓦礫と化した異世界──そして、かつてオレたちが修復した、静まり返る綺麗なテニスコートだった。
「なんで……っ!?」
唐突な転移に、堀北が驚きと戸惑いを隠せない声を漏らす。
一方、素の気だるげな表情に切り替えた櫛田が、眉をひそめながら辺りをぐるりと見回した。
「……池くんは?」
そう、オレたちのすぐ隣にいたはずの池寛二の姿が、どこにも見当たらない。
その疑問に答えるように、オレの頭の上に載っていたヒュロポスがバタバタと羽ばたき、トスンと地面に降り立った。
「ヒュポーっ! あの子はペルソナ使いじゃないから、入ってこれなかったってことなのよー?」
首をかしげながら言い放ったヒュロポスの推測。
──その可能性は、十分に考えられた。
堀北や櫛田の場合、最初にフォーラムやアディトンへ巻き込まれた時点ではペルソナ使いではなかった。だが、彼女たちはそれぞれのダンジョン──アディトンの「主」本人だった。
ペルソナとシャドウが表裏一体の存在である以上、世界に干渉し、この異世界に足を踏み入れるにはある種の資格が必要なのかもしれない。
……むしろ、とオレは思考を巡らせる。
アディトンとは、ただの試練や危険地帯ではなく、ペルソナ使いへと至るための『プロセス』そのものなのではないか?
もしも、この仮説が当たっているのならばこの異世界が存在する理由は――。
そんな疑問が脳裏を過る。だが、今はそれを深く考察している時間はない。
「居ないのなら都合が良いわ。巻き込まれずに済んだのだから……。それよりも、問題は誰のアディトンなのか──」
堀北が言いかけた、その瞬間。
彼女が言葉を最後まで口にする必要はなくなった。
オレたちの視線の先。かつて体育館が存在していた跡地には、赤黒い夕闇に聳え立つ巨大な石造りの建造物が鎮座していた。
そしてその禍々しい建物の門前で、己の手を見つめ、困惑するように周囲を見渡している赤髪の男が一人。
「須藤くん……!?」
堀北が思わず声を張り上げた。
その叫び声に反応した須藤は、ハッとこちらを振り向いた。オレたちの姿を確認し、そして背後に聳え立つ巨大な石の建造物を見上げる。
焦燥と混乱に支配された様子の須藤は、何かから逃れるように、あるいは己の衝動に突き動かされるように、巨大な門の奥──アディトンの内部へと勢いよく走り去っていってしまった。
「待ちなさい、須藤くんっ!」
堀北が咄嗟に後を追おうと足を踏み出す。
だが、その背中に向けてヒュロポスが金切り声を上げた。
「おーちーつーくーのよっ! ツンツンさん! 焦りはわかるけど! 冷静になるのよー!」
「っ……!」
ヒュロポスの制止に、堀北は急ブレーキをかけるように足を止めた。ハッと我に返ったように呼吸を整えると、自らの迂闊さを恥じるように視線を落とす。
「……ごめんなさい。迂闊だったわ。声をかけたのも、もっと近づいてからにすればよかった」
悔しそうに拳を握りしめ、意気消沈する堀北。
その様子を見て、隣にいた櫛田がクスッと意地の悪い笑みを漏らした。
「へー。ブサ鳥の癖に、たまにはまともなこと言うじゃん」
「ぶ、ぶさっ……!? ぶさささささっ! ヒュポーっ!! あたしは美少女妖精プリチー監督なのよーっ! ブサイクじゃないのよーっ!」
不意打ちの暴言に、ヒュロポスは小さな羽を全身で激しく羽ばたかせ、顔を真っ赤にして憤慨した。
そんなヒュロポスの憤慨を一あしらいすると、櫛田は髪を払い、サバサバとしたトーンで堀北に向き直る。
「まぁ、ヒュロの言うこともアレだけどさ。毎度毎度上手くいくわけないんだから。落ち込むよりもさっさと切り替えて、須藤のやつ追うよ。それにあっちが先に気づいたらどっちみち今の状態なら逃げるでしょ」
サバサバと、だが確かに背中を押すような櫛田の言葉。
堀北は目をパチクリと丸くさせて驚いた後、どこか救われたような表情で深く頷いた。
「……ありがとう、櫛田さん。それと……ヒュロポスはブサイクじゃないわ。結構、かわいいわ」
「んもー! ツンツンさんってば、ほんとーに見る目があるんだからー! そーなのよー! あたしってば超超超可愛いのよー!」
堀北のフォローを聞いた瞬間、ヒュロポスは一転して手のひらを返し、調子に乗って胸を張って小踊りを始めた。
堀北は別に「超超超可愛い」とまでは言っていないのだが、いちいち訂正するのも面倒なので放置しておくことにする。
須藤の背中が消えた、禍々しい建造物の入口を見据える。
今の堀北のミス。具体的に言えば──須藤を焦らせてしまい、彼自身が自らの意思でアディトンの内部へと飛び込んでいってくれたことは、オレにとってはまさに望外の結果となった。
仮説の域を出なかったオレの推測を裏付ける結果が得られるかもしれない。
「……行きましょう、ふたりとも」
堀北が凛とした声で宣言し、ペルソナを召喚する気構えを見せる。
「はいはい。暑苦しい脳筋の心の中ってちょっと怖いけど……まあ、付き合ってあげる」
櫛田も肩を竦めながら、その瞳に戦意を宿らせた。
「ヒュポー! 突撃なのよー!」
大はしゃぎするヒュロポスを先頭に、オレたちは須藤の後を追って、赤黒い夕闇の支配する巨岩の建造物へと足を踏み入れたのだった。