Persona x Classroom of the Elite 作:仔羊肉
特別棟二階、生徒会室を流用した会議室。
締め切られた窓からは初夏の陽光が容赦なく差し込んでいたが、室内の空気は茹だるような暑さとは無縁の、凍てつくような冷気と重苦しさに支配されている。
長テーブルを挟んで対峙する二つの陣営。
向かって右側──Cクラスの席には、被害者を装った三人の男子生徒が並んでいた。
腕を三角巾で吊り、痛々しいギブスをはめた小宮。
首に痛々しいコルセットを巻き、顔面に痛々しい打撲痕、生々しい内出血の跡を残した石崎と近藤。
彼らは眉をひそめ、時折「痛む」と言わんばかりに顔を歪めて見せていたが、その瞳の奥には隠しきれない嘲笑の色が揺らめいていた。
そしてその隣には、縁無し眼鏡の奥で細い目を不気味に光らせたCクラス担任、坂上数馬が優雅に腕を組んで控えている。
対する左側──オレたちDクラスの陣営。
凛とした背筋を崩さず、正面を鋭く睨みつける堀北鈴音。
膝の上で握りしめた拳を微かに震わせ、緊張と気負いを全身から発している幸村輝彦。
そしてその中央で、静かに目を閉じ、不動の姿勢で精神統一を続けている須藤健。
見事に剃り上げられた彼の坊主頭は、かつてクラスで暴力と破壊の象徴だった男が、己の過去と向き合い、改心した証でもあった。
一番端の席では、我がDクラスの担任である茶柱佐枝が、退屈そうに腕を組んでは欠伸を噛み殺している。
ガチャリ、と重厚な防音ドアが開き、最後に二人の人物が入室してきた。
高度育成高等学校生徒会長、堀北学。
そしてその一歩後ろに従うのは、髪をお団子状に丸めた女子生徒が一人。
茶柱が、入ってきた学に対して口元に薄い笑みを浮かべ、不躾な視線を投げかける。
「おや珍しい。わざわざ生徒会長本人が、この程度の揉め事に参加するとはな」
学は視線を一切動かすことなく、氷のように無機質な声で淡々と応じた。
「業務の関係で参加できないこともありますが、原則、審議には立ち会いますよ」
「偶然というわけか」
茶柱が面白そうに鼻で鳴らすと、学の薄い唇がわずかに緩んだ。
「えぇ」
学の視線が、妹である堀北をほんの一瞬だけ射抜いた。だが、すぐに逸らされる。学は静かに上座の席に着くと、隣の橘へ短く促した。
「橘、始めてくれ」
「はい。ではこれより、先週に起こった暴力事件についての審議を行います。進行は生徒会書記、橘が務めさせていただきます。まずは今回の事件、双方の主張が異なることから話させていただきます──」
橘が手元のクリアファイルを開き、機械的に書類を読み上げ始める。
「──一年Cクラス、小宮以下三名は、一年Dクラス須藤健に一方的な暴力を振るわれたと主張。小宮は右腕骨折、石崎および近藤は全身に激しい打撲痕を負ったとしています。対して須藤健はこれを否定。絡んできた三人に対し、身を守るために突き飛ばした事は事実であるが、過度な暴力は振るっていないと主張しています」
室内には橘の無感情な声だけが響き渡る。
須藤は声を荒げることもなく、閉じた瞼の裏で静かに耐えていた。かつての須藤なら、相手の虚偽の主張を聞いた瞬間に机を叩き割り、怒り狂っていたはずだ。
「──以上の通り、双方の意見は平行線をたどっています。本審議では、両者の主張および提示された事実に基づき、生徒会として適切な対処を決定します」
橘の説明が一区切りついた瞬間、対面に座るCクラス担任の坂上が、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。眼鏡のフチをすっと押し上げ、慇懃無礼な笑みを浮かべる。
「橘さん、分かりやすい説明をご苦労様。ですが双方が主張を異にしていると言っても、客観的な現実は明白ではありませんか?」
坂上は手元の資料を軽く指先で叩き、哀れっぽく体を縮こませている小宮たちを大袈裟に指し示した。
「我がCクラスの生徒たちは、これほどの重傷を負わされているのです。小宮くんは骨折、石崎くんと近藤くんも顔面や体幹部にひどい打撲を負い、全治数週間の診断書が出ている。対して……Dクラスの須藤くんの体に、傷一つありますか? これが一方的な過度な暴力行為でなくて何だというのです」
坂上の誘導を受け、石崎が顔を歪めて痛々しそうに呻いて見せた。
「そうだぜ……! 俺たちはただ、部活のことで話し合いに行っただけなのに! いきなりキレて殴りかかってきやがったんだ! あのゴリラみたいな馬鹿力でボコボコにされたんだよ!」
露骨な煽り言葉。だが須藤の眉根がピクリと動いただけで、激昂の兆候はない。
対面の小宮たちは、須藤の反応が不気味なのか、それとも──。
「ひゅぽー、可哀想なのね……」
オレのブレザーの胸ポケットから、ひょっこりと顔を出した謎の機会鳥──ヒュロポスが、常人には聞こえない言葉を発した。
ヒュロポスの嘆きを完全にスルーしながら、オレは正面の攻防に意識を集中させる。
堀北がすっと背筋を伸ばし、凛とした澄んだ声を会議室に響かせた。
「坂上先生、傷の有無という結果だけで被害者と加害者を決めつけるのは早計です。今回の事件が発生した特別棟三階廊下は、学内で数少ない『防犯カメラが設置されていない死角』でした。なぜ彼らは、わざわざ自分たちの教室からも部活の練習場からも遠く離れたあの場所へ、須藤くんを呼び出したのでしょうか?」
堀北の鋭い指摘に対し、坂上は一切動じることなく、余裕の笑みを深めた。
「そもそも、それが大間違いなんですよ、堀北さん。彼らが須藤くんを呼び出したなんて大嘘。須藤くんに呼び出されたから、彼らは特別棟へ行ったんですよ。ねぇ、みんな?」
「そうです! 僕らは須藤くんに『面貸せ』って呼び出されてついていきました! 学校の中だし、カメラがあるから暴力なんて振るわないって信じてたんです!」
小宮が調子よく乗っかる。坂上は満足そうに頷き、さらに追撃の言葉を重ねた。
「それに、須藤くんは知っていたようですねぇ? なんでもDクラスでは事前に、あの場所にカメラがないことを学級内で注意勧告していたようで……」
──その瞬間、幸村の顔色が一変した。
「な、何故それを……!?」
幸村の口から漏れた動揺の言葉。坂上は見逃さなかった。
「おや、つまりは認めるということですか? Dクラスでは事前にカメラの死角を知らされていた。そして須藤くんはその知識を持った上で、あえてその場所にCクラスの生徒を呼び出した。つまりは──最初から『害意』があったと思われても仕方ないでしょう」
「しまっ……!」
幸村が顔を青くして絶句する。事前にクラス内で行われた話し合いの内容が、なぜCクラス側に漏れているのか。
だが、その窮地において、静かに目を開けて反論したのは須藤本人だった。
「あぁ……認めるぜ。……じゃなくて、認めますぜ」
慣れない敬語を使い、語尾が少し歪になりながらも、須藤の態度は驚くほど落ち着いていた。
「おや、つまり君はカメラがないことを知りつつ彼らを呼び出したと?」
「違いますぜ。俺が呼び出したんじゃない」
須藤の静かだが力強い姿勢に、幸村はハッと我に返り、手元の資料を握りしめて冷静さを取り戻した。
「そ、そこは違います……こほん。まず、偽証を指摘させていただきます! そちらの主張では須藤が呼び出したと言っていますが、当時、部室で話を聞いていたバスケットボール部の先輩からの証言を、事前に提出させていただいています! 先輩によれば、小宮たちから須藤を呼び出していたと明言されています!」
橘がファイルをめくり、「確認が取れています」と短く口にした。だが、嘘を暴かれたはずの小宮たちに焦りの色は一切なかった。坂上がクックと低く笑う。
「それなら、こちらからも証言を提出させていただきましょう。須藤くんが小宮くんたちを呼び出したという証言が、既に生徒会に届いているはずですよ?」
幸村が思わず机を叩いて立ち上がった。
「馬鹿なっ……!?」
オレたちが苦労して手に入れた「上級生からの証言」。それに対し、Cクラスは完璧なカウンター証言を用意していたのだ。ボイスレコーダーでの録音データのみを証拠として事前提出していたため、証人喚問の準備を怠っていた幸村のミスでもあった。
「この場合、双方の証言が真っ向からぶつかり合い、どちらかが偽証ということになりますが……補佐する決定的な客観証拠はありますか? ……無いようですので、この件については双方の主張がぶつかり合っているという判断で、次に進めさせていただきます」
橘の無情な裁定。堀北がスッと手を挙げ、質問を投げる。
「証言者の素性について尋ねさせてください。私たちの証言者は、バスケ部に所属する最上級生──三年生の先輩です。Cクラスの証言者はどこの誰なのですか?」
「堀北さん、相手が何年生だろうが、証言の価値に差があるとは思えませんがねぇ?」
「そうは思えません。第三者性の高い上級生の証言と比べ、素性の分からぬ人間の証言では信憑性が異なります。橘さん、Cクラスの証言者は?」
「……一年Cクラスの生徒のようです」
橘の回答に、堀北の瞳が鋭く光った。
「同じクラスの生徒の証言など、些か信用に欠けると思いませんか? 自分たちのクラスメイトを庇うために虚偽の証言をした可能性を指摘させていただきます」
「なんと酷い……! 我がCクラスの生徒が嘘をついているとでも!?」
「では具体的に、いつ、どこで、誰がその発言を聞いたのか、ここで明らかにしてください」
「それはできませんねぇ」
坂上は首を横に振る。
「須藤くんが目の前にいるこの場で、証人の名前を明かすなど恐ろしい。彼は勇気を振り絞って言ってくれたのです。生徒会の皆様には明かせど、貴方達に明かす理由は存在しない。生徒の安全保護の観点から、その要求はお断りします。見てください、彼らの痛ましい姿を。こんな暴力を振るう人間の前に、協力者の名前を晒せるわけがないでしょう」
堀北は悔しそうに唇を噛んだ。四月当初の須藤の素行の悪さを盾に取られた格好だ。アドリブで証言者の素性を突き止めた堀北の機転は称賛に値するが、坂上の防壁は崩れない。
「待ってください! その怪我そのものについて、僕たちは矛盾を指摘させていただきます!」
幸村が手元のメモを強く指差し、声を張り上げた。
「武道や格闘技の有識者の見解を踏まえても、Cクラス側の主張には致命的な破綻があります!」
「破綻、ですか? 幸村くん」
「ええ! 三対一という多人数での喧嘩において、素手の人間が『無傷』のまま相手三人だけに一方的な重傷を負わせるなど、不可能です! もし須藤がそれほどの骨折や打撲を負わせる暴行を働いたのなら、揉み合いの中で須藤自身の手拳や体にも相応の打撲痕、あるいは防衛行動による擦り傷が残るはずです!」
幸村が三宅たちの実戦的視点から組み上げたロジック。淀みなく言い放たれたその正論は、客観的に見れば極めて説得力があった。
ただし、何故か学はオレを見てきて呆れた目をしている。何故だ……。
「ですが、須藤の体には傷一つない! つまりこれは、須藤が言った通り『かかってきた相手を咄嗟に突き飛ばした』に過ぎず、小宮たちの傷は突き飛ばされた際にできたものか……あるいは事件後に『自作自演で負ったもの』と考えるのが自然です!」
決定打と思われた幸村の反論。
だが──対面に座る小宮と石崎の顔には、焦りどころか、せせら笑いすら浮かんでいた。
「それは……僕たちに暴力を振るう意思が最初から無かったからです!」
小宮が悲劇のヒロインのように叫んだ。
「学校のルールに守られていると思っていた僕たちは、須藤くんに殴られてもやり返さず、じっと耐える道を選んだんです! 僕たちは、あそこにカメラがあると思ってたから! 須藤くんと違って、僕たちはあそこに防犯カメラが設置されていると信じていたから、無抵抗で耐えたんですよ!」
「なっ……!?」
幸村が絶句した。
三対一の違和感すらも、「カメラがあると信じて無抵抗を貫いたから」というストーリーで綺麗に上書きされたのだ。
想定外。
こちらの切札、こちらの論理、こちらの台本が──まるで全て事前に相手へ渡っていたかのような流れ。
幸村の額から冷や汗が吹き出し、堀北の顔色が蒼白へと変わっていく。
無理もない。審議会で敗北しつつあるのは、幸村たちの無能さゆえではない。
この審議会に臨む前──Dクラス『戦略班』が乾坤一擲の覚悟で打った極秘作戦もまた、完全に裏をかかれて叩き潰された後だったのだから。
◇ ◇ ◇
時系列は、審議会が始まる数時間前の昼休みへと遡る。
思考力を奪うほどの熱気。
昼間の特別棟三階廊下は、茹だるような暑さがフロア全体を支配していた。
日差しを遮るもののない死角の廊下で、堀北鈴音と櫛田桔梗、そして須藤健は汗を滲ませながら立っていた。
そこへ、呼び出しに応じる形でやってきた一年Cクラスの三人組──石崎、小宮、近藤。
彼らの顔には、隠しきれないニヤけた笑みが張り付いていた。
「おいおい、櫛田ちゃんに呼び出されたと思ったら何だよ。須藤もいんじゃねぇか」
石崎が胸を張り、ニヤニヤと煽るように歩み寄ってくる。
「なぁ……今日の話し合い、やめにしねぇか?」
須藤が頭を下げ、殊勝な態度で切り出すと、Cクラスの面々は腹を抱えて吹き出し始めた。
「ハッ! 今更ビビってんのかよオラぁ! お前らのせいでこっちは大怪我してんだぞ!」
「俺が突き飛ばしたのは認める……悪かった」
「おいおい、それだけじゃねぇだろ! 無抵抗な俺たちを一方的にボコボコにしておいて、今更頭下げるだけで済むと思ってんのかよ!」
煽り立てる石崎に対し、堀北がスッと間に割って入った。
「私からもお願いするわ。私たちは、この問題をこれ以上大きくしたくないの」
「はぁ? 何言ってんだこのアマ──」
「あそこを見なさい。監視カメラが設置されているでしょう?」
堀北が静かに壁の上部を指さした。
そこには、黒いレンズを鈍く光らせた防犯カメラが設置されていた。
「貴方たちが須藤くんに絡み、事件が起きるまでの過程……すべてあのカメラに撮影されているのよ」
「な、なんであんなもんがここに……!?」
石崎がカメラを見上げ、露骨に顔色を青くした。小宮と近藤も慌てふためき、「な、無かったはずだろ!」「なんで監視カメラがあるんだよ!」と怒鳴り散らす。
「な、なんで……なんでカメラがあるんだよ……っ!」
石崎は頭を抱え、絶望に打ちひしがれたように叫んだ。
──だが。
次の瞬間、石崎はピタリと動きを止めると、顎に手を当てて深く考え込むような素振りを見せた。そして胡散臭そうに眉をひそめ、堀北たちに疑念の目を向けてくる。
「ま、待てよ……なんでお前らは、それをわざわざ俺たちに言いに来たんだ?」
「それは……この揉め事を、これ以上大きくしたくないからよ」
堀北は眉一つ動かさず、毅然とした態度で言葉を繋ぐ。
「須藤くんが貴方たちを突き飛ばしたのは事実。彼はバスケ部のレギュラーにも決まっていて、今ここで揉め事を起こしただなんて表沙汰になれば外聞が悪いわ。だから、もし貴方たちが訴えを取り下げてくれるというのなら……それでこの問題を終わりにしたいの」
「そうだよ……私、みんな友達だから、ここでこんな風に争うなんて悲しいよ……仲直り、できないかな?」
櫛田も胸の前で両手をギュッと握りしめ、縋るような瞳で呟く。その迫真の演技と健気な訴えは、第三者が見れば誰だって心を打たれるはずだった。
「しゃ、写真や映像があるってんなら、俺たちが嘘をついたってのは丸わかりだろ! だったら学校にそのまま突きつければいいじゃねぇか! どうしてわざわざ俺たちに教えて交わそうとすんだよ!」
「須藤くんの願いよ」
堀北は一切の揺らぎを見せず、力強く言い切った。
「小宮くんも近藤くんも、彼にとっては同じ部活の仲間だからよ。いくら今は仲違いしているとはいえ、大切なチームメイト。だからこそ、この問題をここまでにしたいの……貴方たちが悪質な嘘で審議会を開いたなんてことになれば、最悪の場合、退学の可能性だって出てくるわ」
退学──その二文字が突きつけられた瞬間、石崎は露骨に狼狽してみせた。後ろに控える小宮と近藤も顔を見合わせ、悲鳴のような声をあげる。
「お、俺たち、退学なんてしたくねぇよ!」
「取り消そうぜ! 石崎ぃ!」
小宮と近藤に言い募られて石崎の表情は苦悩に歪む。
「わ、わかった……少し考えさせてくれ……」
石崎は苦渋の決断を迫られたかのように絞り出すと、ゆっくりと堀北たちに背を向けた。その肩は──静かに、プルプルと震えている。
Dクラスの少ないプライベートポイントをかき集めて購入したダミーカメラ。そして裏で仕込んだ録音機器。相手から「嘘をついていました」という言質を引き出せば、審議会など開くことなく完全勝利となるはずだった。
だが──。
「──嫌に決まってんだろ、不良品共がぁっ!」
バッと勢いよく振り返った石崎の顔には、酷く下劣で意地悪な笑顔が張り付いていた。
同時に、後ろの小宮と近藤も腹を抱えて爆爆爆笑し始める。
「いやー! 石崎、マジで名演技じゃねぇか!」
「ギャハハ! 危うく途中で笑っちゃいそうだったぜ!」
「ほんとにな! こいつら、本気で俺たちを騙せると思ってんのかよ!」
下劣な嘲笑の波が、蒸し風呂のような廊下に響き渡る。
言葉を失う堀北と櫛田を前に、石崎は指をさして鼻で笑った。
「全部お見通しなんだよ! あのカメラが偽物だってこともな!」
「なんで……っ!?」
絶句する櫛田の口から、驚愕の悲鳴が漏れた。
「なんで、だぁ? 俺たちはあの事件のあと、ちゃんとここに来たんだよ! そしてカメラなんてどこにもねぇことを確認済みだ! どうせ昨日あたりにコソコソ集金して買いに行ったんだろ?」
石崎は舌を出し、煽り立てるように顔を歪める。
「それにさぁ、櫛田ちゃん? なにが『みんなのため』だよ、ハラグロ女! 俺たちを嵌めるためのハラ芸じゃねぇか!」
「……っ!?」
自分の裏の顔すら示唆するような言葉を投げかけられ、櫛田の顔から完全に血の気が引いた。
須藤は悔しそうに拳を握り締め、床を睨みつけながら低く呻く。
「クソっ……!」
「そうだぜ、さっき偽証がなんだとか偉そうに言いやがったな?」
近藤がニヤニヤしながら、壁に設置されたダミーカメラを指刺した。
「これこそ、俺たちをハメようとした偽物の証拠じゃねぇか。生徒会に『Dクラスが偽のカメラで俺たちを脅迫してきた』って訴えてやってもいいんだぜ?」
一網打尽にするはずだった罠を完膚なまでに逆手に取られ、堀北も櫛田も顔を青くして固まることしかできない。
「はっ、お前らは今回は見逃してやるよ、不良品。ただ──今後二度と俺たちに逆らおうなんて思うなよ!」
勝ち誇った捨て台詞を残し、Cクラスの三人はゲラゲラと笑い合いながら去っていった。
廊下に重苦しい沈黙が降り積もる。
去っていく背中を呆然と見送っていた堀北は、震える声で呟いた。
「……ごめんなさい、須藤くん」
「いや……これ以上は無理だろ。ありがとな、お前ら」
須藤は深々と息を吐き出し、力なく首を振った。
ダミーカメラを使って相手を脅し、証言を取り消させる作戦。
クラスのプライベートポイントをかき集めてダミーカメラを一台購入し、さらにこの場でのやり取りを裏で録音して言質を取るはずだった。だが、手の内をすべて読まれた上で返り討ちに遭った。
Dクラスの少ないポイントを極限までかき集めて打った乾坤一擲の一手は、ものの見事に躱されたのだ。
──内通者によって。
そう、オレたちの中には内通者がいた。
それも戦略班という、作戦の根幹を握る極めて重要なポジションに。その男は戦略班の内部情報をそのままCクラスへと横流しし、この審議会をCクラスの完全勝利で終わらせようと画策していた。
そして──そいつの名前は、山内春樹。
須藤健の友人にして、クラス一のお調子者だった。
◇ ◇ ◇
特別棟の会議室に立ち込める殺伐とした空気の中、オレは静かに思考を巡らせていた。
目の前では、坂上が勝利を確信したような笑みを浮かべ、石崎たちが被害者面を決め込んでいる。幸村は打つ手が完全に詰んだことを悟り、唇を噛み締めて打ち震えていた。
対面に座る堀北学の冷徹な眼光が、妹である堀北を容赦なく射抜く。
「──双方の主張が出尽くし、決定的な証拠も提示されない以上、生徒会としては裁決を下さざるを得ない」
学の低く厳かな声が、静寂を切り裂く。
「待ってください!」
堀北が必死に声を張り上げるが、学の視線は微動だにしない。
「証拠を出せない者が敗北する。それがこの学校のルールだ」
絶対的な拒絶。絶望的な状況。
山内春樹という内通者によって仕組まれた、完全なる詰み盤面。
オレは胸ポケットの中でいつの間にか静かに眠っている謎生物ヒュロポスの気配を感じながら、深く呼吸を整える。
──何故山内春樹はそこまでの裏切りに走ったのか。
オレの頭の中で、その答えはとっくに冷徹な形を結んでいた。
理由は大きく分けて二つある。
一つは、Dクラスに対する歪んだ怨恨だ。
情報筋によれば、極めて身勝手かつ不合理な話で、耳にした時には理解が及び難かったが、山内の中でDクラスに対する不満が膨れ上がっていたらしい。
自分のやらかした失態や身勝手な行動を咎められ、特に自分を邪険にする長谷部波瑠加、そして何故かオレに対する強い対抗心と不満。己の無能さを棚に上げた逆恨み。
そして二つ目の理由は、致命的なポイント不足。
プライベートポイントを持たず、将来的には自身が壊したデジカメの修理代をクラスから請求される立場にある山内にとって、ポイントは喉から手が出るほどに欲しいものだった。そんな折に上位クラスが「ポイント」を報酬に提示すれば、喜んで飛びつくだろう。
山内が目先の利益や保身のために躊躇なく友人を売る姿は、以前、櫛田の件でクラスのポイントを振り分けるといった話が出た時のことを振り返れば、ありありと想像できる。
本来、人間というものは、過ちを犯し、他人を裏切り、退学の危機に瀕すれば、激しい罪悪感や葛藤、後悔に苛まれるはずだ。
そのストレスや感情こそが、この学校の裏に潜む精神世界『アディトン』を生み出し、己のシャドウを暴走させる引き金となるだろう。
しかし、山内春樹という男は違った。
山内はこれまでの高校生活を振り返っても、一度たりともアディトンが現出することがなかったのだ。
ポストの盗撮写真を問い詰められても、クラスで悪事を暴かれても尚、山内のアディトンは顕現しなかった。
つまり──退学の危機に陥ろうが、友人を売ろうが、彼にとっては大したストレスになり得ないという圧倒的な楽観視。己の行動を省みることが一切ない、その異常なまでの能天気さと自己愛ゆえに、精神の歪み、是正の機会は現れずアディトンが現出しようがないのだ。
ある意味で山内春樹は、Dクラスのどのような人間よりも「精神世界の適性」がない、人間と言えた。壊れることすらできない、究極の浅薄さ。
だからこそ、お前のその浅薄さは、最初から計算に入っていた。
山内から情報が漏洩している以上、どれほど緻密なロジックを組み立てようと、ダミーカメラで脅しをかけようと、Cクラスにとっては「手の内が明かされた茶番」に過ぎない。坂上や石崎たちが余裕綽々でいられたのも当然だった。
ダミーカメラ作戦が潰されることも、審議会で堀北たちが追い詰められることも、すべては想定の範囲内。
むしろあのダミーカメラ作戦は、須藤による最後のあがきだった。最後まで友を信じたいという須藤健の情と、その意思を肯定した堀北によるノーサイドを狙った仕組み。
オレは一切の脚色をせず、その分の悪い賭けを黙って見守っていただけだ。山内は裏切り、Cクラスの訴えも取り下げられなかった。
守勢による問題解決。
敵を作りたくない、もしくは目立ちたくないとオレが思っていたのなら、裏から手伝ってダミーカメラ作戦をもう少し細部を詰めても良かった。
だが──攻勢的な問題解決を選んだ櫛田桔梗の案にオレは乗ることにした。
その脚本は──既に勝利が確定している。
むしろ、この事件は最初から終わっていたのだ。
あの日、須藤がオレたちに見つかってしまった時。もう一人、いやもう一組、見つかってはならない人間たちがいた。
その目撃者こそが山内。
オレたちよりも早く特別棟を去った山内は、Cクラスの石崎たちと遭遇した。須藤がオレたちの存在を予想外だと思ったように、石崎たちにとっても山内との遭遇は予定外だったはずだ。
本来ならば、そこでCクラスの自作自演計画は中止になるはずだった。
それでも彼らが計画を強行したのは──山内がCクラス側に買収され、内通者となったからだ。山内が流し続ける情報によって、CクラスはDクラスの事前の反論に対するカウンターを用意し、ダミーカメラの罠も見抜いた。
Cクラスは山内の浅慮さを笑っただろう。けれどもその浅慮さこそが今回のDクラスの勝因だった。
『Cクラスは完全に勝ち誇り、Dクラスは打つ手を失って詰んだ』
Cクラスにそう確信させ、完全に油断させること。
それこそが──オレと堀北、そして櫛田が仕掛けた、本当の二重罠だったのだから。
◇ ◇ ◇
「もう、ないでしょう。堀北さん、貴方がクラスメート想いなのは重々理解しました。しかしながらそんな気持ちを足蹴にする存在もいるのです。良い勉強代として諦めなさい」
坂上が勝利を確信した笑みを口元に刻み、哀れむような視線を投げかけてくる。
その問いかけに、堀北はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には落胆も焦りもなく──氷のように冴え渡った絶絶たる意志が宿っていた。学もその表情を見て幾分か嬉しそうに見える気がする。
「私たちは学校側に対し──事件当日の『特別棟入口』に設置された監視カメラ映像の開示を求めます」
──ピシリ、と。
会議室の空気が凍りついた。
生徒会長である堀北学の眉が、微かに跳ね上がる。
「ほぅ……」
そう。もしも須藤が石崎たちと実際に激しい喧嘩をしていたのだとすれば、入口の映像だけでは判断できなかったかもしれない。
だが、須藤が言った通り「かかってきた相手を咄嗟に突き飛ばしただけ」というのが事実ならば──事件発生直前、特別棟から出ていく小宮・石崎・近藤の姿に、骨折や重度の打撲痕など残っているはずがないのだ。
事件発生現場である三階廊下にカメラは無くとも、特別棟に入る「玄関」には、学校が設置した本物の防犯カメラが存在する。
それだけではない、高度育成高等学校の敷地内、そのどこかを通れば必ず足はつくのだ。
そこを通る彼らの姿に、ギブスやコルセットが巻かれるほどの重傷があったか否か。それだけを確認すれば、彼らの怪我の捏造は白日の下に晒される。
「げ、現場以外のカメラを証拠にするですって……!? バカバカしい……ッ! 一体、それで何が変わるというのですか!」
坂上の顔から一瞬で余裕が消え失せ、冷や汗が額を伝った。焦りようを見れば、その映像が開示されれば自分たちが致命的になると理解している証拠だった。
「双方の訴えは明白です。片方は『大怪我をさせられた』と主張し、片方は『過度な怪我などさせていない』と主張している。事件直後に彼らが無傷であったかどうかは、必ず入口の監視カメラに映っているはずです」
「な、ならば事前に準備すれば良かっただけでしょう! 何故今更そんな要求を──!」
「『今更』だからですよ、坂上先生」
堀北は、氷の笑みを深めた。
「ここならば、私たちの作戦はCクラスへ漏れません。もしもこの映像要求の話を事前に入手していれば、貴方たちCクラスは審議会が開かれる前に訴えを取り下げていたでしょう。その逃げ道を塞ぎ、この場で逃げ場を無くすために……私たちは今、この場で新たな証拠の提出を学校側に求めたのです」
「な、何をバカな……! バカバカしい!」
坂上は激昂し、激しく机を叩いた。眼鏡の奥の目が狂乱に揺れる。
「それに、どれだけ時間がかかると思っているのです! 生徒会長、あなた方も暇ではないでしょう! こんなDクラスの不毛な悪あがきに付き合う必要はない! 即刻速やかに裁決を下すべきです!」
静まり返る室内に、カチャリと小さな音が響いた。
生徒会長・堀北学が静かに眼鏡を外し、胸ポケットから取り出したクロスで淡々とレンズを拭き始める。
その無機質で重苦しい静寂が、坂上の焦燥をなぞるように室内を支配していく。
眼鏡をかけ直した学は、薄い唇を開き、告げた。
「──三十万ポイント」
静かに発せられた数字に、Cクラスの面々が息を飲んだ。
「それだけの事務処理費用、および情報開示手数料を支払うというのであれば、即刻、該当時刻の特別棟入口の映像を手配しよう」
三十万プライベートポイント。
一年生にとっては絶望的とも言える巨額の大金。
その提示を聞いた瞬間、Cクラスの面々の表情に露骨な安堵が浮かび上がった。坂上もまた、喉を鳴らして安堵の笑みを張り直す。
「……ハッ、無理でしょう、それは。彼らはDクラス──開校以来最低の失態を演じ、ポイントを底突かせた不良品たちだ。そんな大金を支払えるはずがない。AクラスやBクラスが協力してたらお願いできたのかもしれねぇがな!」
石崎が調子に乗って身を乗り出し、下品な嘲笑を撒き散らす。
「構いませんって先生! どうせ払えっこねぇんだから! 払えないならもうこの審議終わりにしましょうぜ! 時間の無駄だ!」
「……そう、ですね。彼らが支払えなければ、この審議はここで終わりでいいでしょう」
坂上は勝ち誇った顔で堀北を見下ろした。
「それでいかがですか、堀北さん?」
──坂上は、致命的なミスを犯した。
長年教師をやってきた男なら、どこかで違和感を感じ取っていたはずなのだ。
だが、「Dクラスはポイントを持っていない」という先入観と、勝利への焦りに目を眩まされ、自ら終焉を早める罠のボタンを押してしまった。
そして、オレたちが流した他クラスからの協力は固辞した事実。なけなしのポイントを徴収することでダミーカメラを買った事実。
堀北鈴音は、ゆっくりと立ち上がった。
その顔に浮かんでいたのは──完全なる勝利を確信した、美しい笑みだった。
「わかりました──Dクラスは即刻、三十万ポイントを納める用意ができています」
──静寂。
坂上の笑顔が凍りついた。
石崎たちの顔から血の気が引き、口ぐちに絶句する。
クラスポイントゼロのDクラスが、なぜ三十万ポイントを用意できるのか。他のクラスから借りたのか? ありえない、あいつらは協力を固辞した筈だ。
グルグルと巡る思考、石崎達は椅子へとふらふらと崩れ落ちる。
「で、できっこねぇ! あるわけねぇんだ! 三十万だぞ、三十万! 一体どこから──」
それは──Dクラスの全生徒からプライベートポイントを徴収したのではない。
オレ、堀北、櫛田、そして長谷部──そしてその殆どを佐倉が賄ってくれた切り札。
ストーカー事件。
佐倉愛里がグラビアアイドルとして活動していた裏にその事件が存在した。山内の件を発端に訴え出たオレたちは佐倉の心当たりも含めて速やかに解決が行われた。
ただし、ストーカーをしていた男はストーカー規制法による起訴は免れた。様々な条件と示談により、敷地外への追放、及び更生プログラムの受講を条件に不起訴処分という形で決着づいた。
そして被害者である佐倉には示談による七十万ポイント。そしてオレや櫛田、長谷部、堀北には口止めとして十万ポイントが振り込まれていた。本来、あと一人口止め料を払わなければいけない人間がいるのだが、この事件が終わり次第、その話が挙がるのだろう。
そして──。
届けられた映像には怪我なく歩く石崎、近藤、小宮の三人。そして肩を組まれ逃さないように連れられてる山内の姿。
「あ、あぁぁぁ……」
Cクラスの面々の表情は絶望に染まっていた。完全な物証が今、目の前でスクリーンに流されているのだ。
「堀北っ!」
幸村は喜びに満ちた声で堀北の名を呼んだ。
「ごめんなさい、幸村くん……このことは漏らせなかったの。貴方達を騙す形になってしまったわ」
「そんなものはいいっ! やったな! 須藤!」
そう声をかけるものの須藤の顔には複雑そうな表情が浮かんでいた。
「春樹……」
呟いた言葉にどんな思いがこもっていたのか。オレは友に裏切られた須藤の表情を盗み見る。
「ひゅぽー! なにをメソメソしてるのマッカッカさん!」
胸ポケットからヒュロポスが飛び出して、須藤の坊主頭に体当たりする。
「あいたっ!」
「マッカッカさんはとっても悲しいのはわかるわよ! あの、どーしようもないおバカさんに裏切られたのは悲しいのよ! でも友達なんでしょう! マッカッカさんはそれで友達やめるの!? やめたいのなら、やめればいいじゃない! やめたくないのなら! ちゃんと話せばいいじゃない!」
「……ヒュロ公」
「……んっ!? なんか今、あたし変な名前で呼ばれなかった!? ねー! ねー! 人間さん! あたし、今変な名前で呼ばれたのよ!」
「……公とは尊敬する相手につける敬称のことだぞ」
ヒュロポスも須藤も「えっ? そうなの?」という顔をしていた。
「なーんだ! マッカッカさんってばあたしを尊敬しているのねー! ヒュポポポ! とーうぜんなのねー!」
その姦しい姿を眺めながら顔を挙げると幸村と生徒会書記の人が何とも言えない顔をしていた。堀北の方向を見れば呆れた目をしている。そして学も同様だった、やはり似たもの兄妹だな。
映像が流れ終えて──進行の橘書記が口を開く。
「……コホン。今回の映像を──」
「と、取り下げます! 今回の事件の訴え、取り下げ」
石崎は大慌てで口にした。
「……なに?」
学がCクラスを睨みつけるだけで三人は身震いを起こす。だが流石に教員である坂上は引くことなく間に割入る。
「こ、今回の事件、どうやらお互いによくない勘違いがあったようだ」
完全に詰んだ場面、それでも何とか足掻こうとするその姿はCクラスの担任としての矜持が見えた。少なくとも無関心で生徒たちを試すようなDクラスの担任に比べれば立派にも思える。
「勘違い……何を──」
幸村がCクラスに向けて、問い詰めるような形になる。
「示談! そう、示談はいかがでしょうか!」
「……生徒会は審議会を開く手間をかけさせられた。Cクラスはクラスポイントの減額、及びDクラスへの賠償を命じる」
堀北学は厳かに言えば橘書記は「会長!?」と驚きに声を挙げた。
「また悪質な虚偽申告で審議会を開いたが、自らの力で無実を証明した。生徒会が更なる罰則やペナルティを検討することも出来るがどうする?」
学の問いかけに妹である、堀北は立ち上がって答える。
「私は今回の事件の全てを須藤くんに委ねます」
須藤は目を瞑り、そしてようやく見開く。須藤がこの審議会でずっと考えていたのは落としどころだった。
本来ならば悪質性を加味すれば相応の処罰を臨むことができる。けれども須藤が求めていたのは──。
「俺は──」
◇ ◇ ◇
放課後のとある生徒の部屋。オレはその生徒がスピーカーで話しているのを台所から聞いていた。
『おい……てめぇの話だと山内は信頼されてるって話だったよな』
「あたしだってこんなの知らなかった……」
『知らなかった? その一言で許されるって思ってるんだから随分とおめでたい頭をしてんな、テメェらは』
電話越しに大きな物音が鳴り響く。男の脅すような声と荒々しい物音、その二つに電話口で受ける女は怯えた悲鳴を漏らした。
『で、テメェらのクラスのリーダーである堀北。そいつが今回の筋書きを描いた女なんだよな』
「う、うん……そう、堀北さん」
『ククッ、手痛い勉強代を支払わせられたが、その程度で炙り出せたなら十分だ。それと綾小路……そいつの情報も探っとけ』
「あ、綾小路くん……? なんで?」
『テメェに質問権はねぇ。お前は黙ってDクラスのスパイをやってればいい。お前がイジメられてたなんて──』
「やめてっ!!!!」
室内に反響する叫び声。よっぽどのトラウマがあるのだろう。
『……ともかく、テメェは伏せ札だ。もしもバレた時は覚悟しておくことだな』
「わ、わかった……」
涙声で通話終了を押した──軽井沢。オレは台所から出ていくと震えるように身体を抱きしめいる軽井沢に視線を投げる。
「……どうして、こんなことに」
今回の肝。山内の情報をCクラスへ流し、その情報に偽りが無いことを確認するための駒。
堀北、櫛田すらも欺き、クラスに溶け込んでは戦略班の整合性をCクラスに流し続けていた第二のスパイ。
全ての件が終わり、ヒュロポスを櫛田に預けてオレは軽井沢に連絡を取った。そして、この時間帯にあらかじめ連絡をする予定だったことを吐き出させて、その会話を聞かせてもらっていた。
そしてその甲斐もあってかCクラスを名乗る男の情報は集まった。どうもAクラスかBクラスにも手を伸ばしているようだ。
「ね、ねぇ、これで皆には黙ってて貰えるんだよね……」
「あぁ、約束する。オレは黙っておこう」
オレの抑揚のない返事は信憑性が薄いのか睨みつけてくる目はまだ意思の強さが見え隠れしていた。
「……どうしよう」
頭を抱える軽井沢を一瞥して、オレは部屋を出る。
今回の事件、もしも山内一人だけがスパイだったのならばその浅慮さが故に審議会を開催するまでに至らなかったかもしれない。
だがもう一人、別にスパイを送り込み、話の整合性が取れていたのなら──。
あの電話口の男は舐めていたはずだ。だからこそDクラスを標的にした。上位クラスではなく、下位クラスならば遊び相手にちょうどいいと。
そして今回のオレたちの作戦は徹底的に愚かさをCクラスへと伝えることだった。
獅子身中の虫として居座った山内を須藤の友達だからという理由で受け入れた。
ありもしない目撃証言を探し回ってなんの成果も得られなかったという現状。
自分たちより格上の手助けを拒否して自分たちの力を過信して戦うことを選んだこと。
そして何よりも堀北や幸村という正道を好むものたちを主戦場に選び邪道に対して疎い面子を選出し戦略を練らせたこと。
CクラスはDクラスにちょっかいを出しつつ、學校の出方を確かめたかったのだろう。
その上、Dクラスを支配下における構想まであったかもしれない。事実、プライベートポイントという魔力を伴った餌で一匹を釣り上げて、寄ってきた二匹目の決定的な支配権すら握っていた。
今回の件、ダミーカメラの件を持ち出せば堀北や櫛田といった面々への切り札にもなり得た。
あまりにも大きいリターンが存在した。故に取り下げるといった選択肢を封じた。
男は慢心していた。勝つものだと油断していた。そして今も尚──油断している。
オレが今回の件に山内を積極的に利用したのは敗因を錯覚させるためでもあった。
愚かしい人間。だからこそ、筋書きを考えていた男は自分の致命的なミスよりも悪かった手札に目がいってしまう。勿論、反省や改善点は考えるのだろう、しかしながら思考のノイズに混じる筈だ──山内を利用しなければ上手くいっていたかもしれないという希望的な観測が。
そして、今回の須藤の判決、「費用を返還し、プライベートを支払う」といった裁定はDクラスの甘さを抱かせた。
自分たちの為に動いてくれた面々に恩返しがしたいという純粋な須藤の願いは「甘さ」として映った筈だ。
事実、幸村も苦言を呈していたが──「今回のことはよ、俺がやってきたツケでもあんだ。だけど、お前らに報いることは今の俺にはなんもねぇ。俺の気持ちをスカッとさせるためだけにあいつらを停学させたり、退学させるくらいなら少しでもクラスの為に何かプラスになることをしたい」と頭を下げて納得してもらっていた。
一匹狼で誰にでも噛み付く狂犬の姿はどこにもなかった。群れの一員として自覚を持った戦士のようにすら思える。
今回の事件、そんな内情を知らなければ多額の火遊び代を支払わせた上で金で解決できるとそう思い込んでしまった。Aクラスにも、Bクラスにも。
──それが致命的なミスにならないといいな、龍園。
まだ見たこともない男にオレは期待を抱いてしまう。今回の事件、Dクラスが完勝という形で決着は着いたが、そのほとんどは偶然による鬼札が紛れ込んでいたに過ぎない。
オレはCクラスに対しての評価を一段階上げる。そして彼らが現実世界においての堀北や櫛田、須藤の成長の糧になるのならばこれほど都合のいい事はない。
異世界だけではなく、またこの高度育成高等学校に対して一つの面白味をオレは見つけた。
難産で消化不良なので書き直すかもしれません。ご容赦頂けると幸いです。