Persona x Classroom of the Elite   作:仔羊肉

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 バスで観た謎の部屋、ベルベットルーム。高度育成高等学校への入学。異世界『フォーラム』との遭遇。そして、己の容姿がひよこ型のロボット鳥である事実に絶望して床でのたうち回った自称・美少女『ヒュロポス』がオレの部屋に転がり込んできてから、数日の月日が流れていた。

 

 あの非現実的な出来事を境界線として、オレの日常は目に見えない歪みを孕み始めている。だが、それとは裏腹に、高度育成高等学校のシステムは何事もないかのように平然と機能し、生徒たちは月に十万ポイントという破格の恩恵を謳歌していた。

 

 そして訪れた、ある日の昼休み。

 

「なぁ、今日の昼飯、学食に行かねぇ?」

「あ、 行く行く!」

 

 活気に満ちた教室の中、いくつかのグループが自然発生的に形成され、それぞれが楽しげな声を弾ませて席を立っていく。

 

 オレは、自分の席に座ったまま、その光景をじっと見つめていた。

 

 入学からこれまでの数日間、オレは環境への適応とスタートダッシュに完全に失敗していた。机の端を無意味に指でなぞりながら、楽しげなクラスメイトたちの輪を遠巻きに眺める。

 

 誰か一人の男子生徒でもいい、オレの方を振り返って「綾小路も行くか?」と声をかけてくれないだろうか──という淡い期待を祈ってみるが、当然ながらその声が届くことはない。

 

「……随分と未練がましい目をしているのね。まるで、餌を貰い損ねて道端にうずくまっている捨て犬のようだわ」

 

 不意に、すぐ隣の席から冷ややかな声音が鼓膜を叩いた。声の主は例の少女。長い黒髪を揺らし、これ以上ないほど蔑むような目で見つめてくる。

 

「捨て犬とは人聞きが悪いな。オレはただ、クラスの和というものについて深く考察していただけだ。これでも友達が欲しい普通の高校生なんだよ」

 

「考察ね。その結果が、誰にも声をかけられずに一人で机を温め続けることなら、あなたの努力はお粗末なものだわ。他人に縋る前に、まずは自分の身の振り方を考えたらどうかしら」

 

 フッと鼻で笑うと、彼女はそれ以上オレに言葉を割く価値もないと言わんばかりに、手元のサンドイッチに口をつける。

 

 手厳しい。相変わらずの鉄壁ぶりにため息をひとつ吐き、オレは学食へ向かうために重い腰を上げた。

 

 ──だが、オレが席を立った瞬間、肩のあたりで微かな金属の噛み合う音がして、重みが移動した。

 

「なんなのあの子は!  いっつもツンツンしてて全然可愛くない人間さんなのよ! あんな奴の言うことなんて気にしちゃ駄目なのよ!  あたしのようなプリティーな美少女を見習って、もっと愛嬌を身につけるべきなの!」

 

 耳元で、やたらと騒がしく感情豊かな声が響く。

 

 オレの左肩にちょこんと乗っているのは、あのフォーラム探索の後、どういうわけか勝手にオレの部屋に住みつき、挙句の果てには鞄へ忍び込み、そのまま学校にまでついてきた謎の生物──ヒュロポスだった。

 

 己の姿が「ピンク色のひよこ型ロボット鳥」である現実に一度は絶望したはずの彼女だったが、その驚異的な立ち直りの早さで、今では図々しくもオレの肩を定位置に決めている。

 

 当然、現実世界の人間から見れば、オレは「少し手の込んだ、奇妙なデザインのプラスチック製の玩具」を肩に乗せている変な生徒に他ならない。実際、教室を出て廊下を進む間も、すれ違う生徒たちからの視線が痛いほど突き刺さってくる。

 

「おい、あいつ見ろよ……また肩にあの変な鳥乗せてるぞ」

「うわ、なんか不気味なマスコットだな。高校生にもなって、あんなの四六時中持ち歩いてるのかよ……ヤバい奴だな」

 

 ヒソヒソと交わされる密やかな噂。

 

 目立たず、誰の注目も浴びずに平均値の人間として3年間を消化する──という、オレの完璧なはずだった高校生活の予定は、この肩の上のマスコットによって初手から完全に瓦解していた。

 

 普通ならげんなりするところだ。いや、実際かなりげんなりしている。だが、廊下を進みながら、オレの胸中には別の感情も芽生え始めていた。

 

(……まあ、こうなってしまった以上、もう友達作りに奔走する必要もないか)

 

 変人として噂されているなら、今更無理に誰かのグループに媚びを売る必要もない。一人は一人で、誰の干渉も受けずに済むから気楽なものだ。周囲の評価を気にせず、自分のペースで動ける環境が手に入ったと思えば、むしろ好都合ですらある。

 

 そう思い直すと、肩の上の重みもほんの少しだけ軽く感じられた。そんなオレの思考を遮るように、前方からパタパタと小気味よい足音が近づいてくる。

 

「あ、綾小路くん! これからお昼?」

 

 声をかけてきたのは、クラスのアイドル的存在であり、誰に対しても等しく好意的に接する少女──櫛田桔梗だった。

 

 彼女はオレの前で足を止めると、満面の笑みを浮かべて小首を傾げた。その仕草は、まさに男子高校生の理想を体現したかのように完璧で、付け入る隙がない。

 

「はぅあ! 人間さん、見て見て! すっごくふわふわした可愛い女の子が来たの! でもでも、あたしの世界一プリティーな美少女パワーに匹敵するのよ!」

 

 すかさず、肩の上のヒュロポスが頭の上にのり、短い羽をパタパタと動かしながら、ぺちゃくちゃと遠慮なく喋り散らかす。その大袈裟な動きは、非常にうるさく主張していた。

 

 しかし──櫛田は、ヒュロポスの存在を目で追いつつも言葉には反応しない。

 

「もしよかったら、少しお話しない? 駄目、かな……?」

 

 彼女の視線は、真っ直ぐにオレの目だけを捉えている。至近距離でヒュロポスがどれだけ大声で叫び、奇妙な動きを見せようとも、その瞳には一切の動揺も、不審がる気配すらもなかった。

 

 これこそが、この数日間のうちにオレが気づいた、この世界の不可解な法則の一種だった。

 

 ヒュロポスの『姿』自体は、周囲の人間には奇妙なAIを搭載した玩具として認識され、目視される。だが、その『声』に関しては──どうやら、オレ以外には一切聞こえていない。

 

 いくら彼女が横で騒ごうが、現実世界においては完全な別の音ととして処理されているのだ。曰く、鳥が鳴いてるような音がするらしい。

 

 何故、オレだけなのか。幾つかの心当たりはあるもののそれを証明する術を持たない以上、確認することはない。

 

「それでね、綾小路くん。ちょっと困ってることがあって、もしよかったら相談に乗ってほしいな、なんて……」

 

 櫛田は少し困ったように眉を下げ、上目遣いでオレを見つめてきた。その表情や声のトーンは、どんな男子生徒であっても無条件で手を差し伸べたくなるような、計算された完璧な可憐さを帯びている。

 

「オレにか? クラスで一番頼りなさそうな人間に相談しても、大した解決策は出ないと思うが」

 

「そ、そんなことないよ。綾小路くんって、なんだか落ち着いてるし、お話もしやすそうだから。実はね──クラスの全員と仲良くなりたいんだけど、まだ上手く話せてない人が何人かいて……」

 

 そこまで言って、櫛田はちらりとオレたちの教室の方向へ視線を向けた。その意図を察するのは難しくない。

 

「……隣のやつのことか?」

 

「あ、やっぱりわかる? そう、堀北さん。何度か話しかけてみたんだけど、あんまりお話してくれなくて。綾小路くんって堀北さんの隣の席だし、さっきも何かお話してたでしょ? だから、どうやったら仲良れるか、一緒に考えてくれたら嬉しいなって」

 

 なるほど、クラス全員と友達になるという大言壮語を果たすための足がかりとして、隣の席のオレに目をつけたわけだ。合理的ではあるが、そもそもが彼女の名字を今しがた知ったオレでは余りにも力不足であろう。

 

「人間さん人間さん! これは大変なの! とっても困ってそうなの! 手伝ってあげるって早く言うのよ!」

 

 オレの頭の上で、ヒュロポスが短い羽でオレの髪をわしづかみにしながら、興奮気味にバタバタと暴れ始めた。現実世界においてはただの「ピピッ、ピピピ」という電子音か鳥の鳴き声にしか聞こえていないはずだが、脳内に直接響くその声はなかなかに騒がしい。

 

(静かにしてくれ。髪が乱れる)

 

 内心でヒュロポスを窘めつつも聞こえやしないから止まる気配なんて微塵もない。

 

 オレは櫛田への返答を精査する。堀北と誰かを仲介する役目を引き受けるのは面倒以外の何物でもない。だが、ここで頷かなければ頭の上の鳥が煩そうでもある。

 

 であるならば、だ。

 

「その堀北が相手となると、オレが役に立てるかはわからない。ただ、オレにできる範囲のことであれば、少し考えてみるよ」

 

「本当!? 嬉しい、ありがとう綾小路くん! じゃあ、また後でね!」

 

 櫛田はパッと表情を明るくさせると、嬉しそうに手を振って廊下の奥へと駆けていった。その背中を見送りながら、オレは肩に戻ってきたヒュロポスの重みを感じる。

 

「ふふーん! さすが、話がわかるじゃないの! あたしの的確なアドバイスがあれば、あのお堅い黒髪お嬢様も一発でイチコロなのよ!」

 

 自信満方に胸を張るロボット鳥を無視し、オレはひとまず学食へと向かうことにした。あの堀北を他者と接触させるためのアプローチ。難易度の高いパズルを解くような思考を巡らせながら。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、放課後。

 

 終礼のチャイムが鳴り響き、教室内の生徒たちが解放感に満ちた声を上げながら、それぞれの目的地へと動き出す。その喧騒から隔絶されたかのように、オレの隣の席では、堀北が静かに教科書を鞄へと収めていた。

 

「随分と甘い学校のようね、寝ている生徒、端末を弄っている生徒を注意しないだなんて」

 

 独り言にも近いその言葉にオレは口を開く。

 

「もしも、意味があるんだとすれば」

 

「意味? どういうこと?」

 

 堀北は鞄のファスナーを閉める手を止め、信じられないものを見るような冷ややかな視線をオレに向けてきた。

 

「その答えが欲しいならこの後、少し付き合って欲しい」

 

「……あなたと私が放課後に時間を共有しなければならない理由が、万に一つでもあるというの?」

 

「ケヤキモールに新しいカフェができたらしいんだが、一人で行くには少し敷居が高くてな。もしよかったら、付き合ってくれないか? そうすればさっきの言葉の答えを教えてやる」

 

「お断りよ。私は一人で過ごす時間を愛しているの。他人の無意味な趣味に付き合うほど、私の時間は安っぽくないわ、あなたの話がよっぽど利益があるというのなら別だけれど」

 

 交渉の余地が出てきた。ちなみにやる気満々だった鳥は頭の上で「むにゃむにゃ、もう食べれない……」と呟いていた。ちなみにこの鳥は身体は機械のくせに飲食は普通にする。その上、排泄はしないというのだから本当に謎の物体すぎる。

 

「利益がなければこちらの奢りということでどうだ」

 

「……ふぅん? よっぽど自信があるのね。いいわ、ただしつまらない話と判断したならその場で帰るわよ」

 

 堀北の眉が秘かに動いた。何より、オレの「自信」が彼女の警戒心と好奇心が僅かに刺激されたのがわかった。

 

「話がつまらなくてもタダで茶が飲めると思えば、そう悪い話でもないと思う」

 

 堀北はしばらくの間、オレの目をじっと見つめて品定めをしていたが、やがて小さくため息を吐いた。

 

「本当に意味なんてあると思ってるの? 私の貴重な時間を無駄にするような内容だったら、その場で席を立つからそのつもりでいなさい」

 

「あぁ、それで構わない」

 

 交渉成立だ。オレは肩の上で「ふぁぁぁぁ! あ、もう放課後なの! あの黒髪っ子と交渉するの!」と小さくはしゃぐヒュロポスを制服の胸ポケットに詰めながら、堀北と共に教室を出た。櫛田からの相談をどう切り出すか、そしてこの強固な防壁をどう扱うべきか。まずはカフェの座席を確保するところから始めるとしよう。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 放課後のケヤキモールに新しくオープンしたカフェは、噂通り多くの生徒たちで賑わっていた。

 

 自動ドアをくぐった瞬間に漂う焙煎された珈琲の香りと、それ以上に空間を埋め尽くす新入生たちの喧騒。

 

「随分な人の多さね。ただお茶を飲むためだけに、これほどの行列に並ぶ人間の気が知れないわ」

 

 堀北は周囲の賑わいにわずかに眉をひそめ、不快感を隠そうともせずに呟いた。

 

「人気店みたいだからな。だが、ちょうど奥の席が空いたみたいだ。悪いが、あそこに鞄を置いて席を取っておいてくれないか? ポイントはオレの話が有意義だと思ったら払ってくれればいい」

 

 オレは壁際の、少しだけ喧騒から離れた二人掛けのテーブル席を指差した。

 

「……分かったわ。早く済ませて頂戴。カフェオレでいいわ」

 

 堀北は短く応じると、人混みを避けるようにして奥の席へと歩いていく。オレはその背中を見送りながら、レジへと続く短い列に並んだ。

 

「あたしはこの季節のフラペチーノってやつがいいのよ! とっても可愛い!」

 

 図々しい鳥である。それなりに時間がかかってカフェオレとブラックコーヒー、季節のフラペチーノを注文し、プライベートポイントでの決済を済ませた。トレイの上に載せられた二つのカップからは、心地よい湯気が立ち上っている。そんな落ち着きのある色に比べて随分と自己主張の強い桜のフラペチーノ。

 

 それを受け取り、先ほど堀北を誘導した壁際の席へと足を進めた――まさに、その時だった。

 

「――そういうことだったのね」

 

 珈琲の香りを遮るように、氷のように冷徹な堀北の声が鼓膜を叩いた。オレが注文の品を持って近づいたその席には、いつの間にか、困ったような、それでいて申し訳なさそうな複雑な笑みを浮かべた櫛田桔梗が座っていた。

 

「はぅあ! 大変なの! あそこだけ空気の温度がマイナス百度くらいになってるのよ! 黒髪っ子怒ってるのよ!」

 

 胸ポケットの中でヒュロポスが羽を震わせて大騒ぎしているが、そんな彼女の指摘を待つまでもなく、その場の空気は最悪の一言に尽きた。

 

 昼休みに櫛田から相談を受けた際、オレは放課後にこのカフェの席で待つようにと、事前に連絡を入れていた。堀北を他者と接触させるためのセッティングとしては我ながら悪くない配置だと思ったのだが、当の堀北はオレがトレイをテーブルに置くや否や、鋭い眼光をこちらに向けてきた。

 

「……嵌められた。私を騙して呼び出したのは、最初から彼女と私を引き合わせるためだったのね」

 

 堀北は冷たく言い放つと、席に置いたばかりの鞄を掴み、躊躇なくその場から立ち上がった。そのままオレたちの横を通り過ぎ、店を出ようと歩き出す。

 

「待て、堀北」

 

 オレは声をかけ、彼女の背中に向けて言葉を投げかけた。

 

「さっきの教室での話の続きを、まだしていない。オレがこの学校の授業風景に『意味があるんだとすれば』と言った、その答えだ」

 

 堀北の足が、ぴたりと止まった。

 

「どうせ、出任せでしょう?」

 

 彼女はゆっくりと振り返り、値踏みするような視線でオレを睨みつける。周囲の生徒たちがその異様な雰囲気に気付き、ちらちらとこちらを見始めると、堀北は小さく息を吐き出した。

 

「……一度だけ止まってあげるわ。ただし、その話だけを聞いたら私はすぐに帰るわよ。彼女と仲良くお喋りするつもりなんて毛頭ないから」

 

 そう告げて、堀北は渋々と元の席へと戻り、椅子の端に腰掛けた。櫛田はそんな彼女の様子に、居心地が悪そうに指先を弄んでいる。

 

 オレもまた、冷めかけた珈琲のカップを前にして腰を下ろした。

 

 本来であれば、オレの予測や考察の類いを誰かに話すつもりは毛頭なかった。ただでさえ悪目立ちしているオレが静かに3年間を消化するのが難しくなる可能性があるからだ。

 

 だが、この防壁の分厚い少女を動かすためには、相応の対価を支払う必要がある。

 

「単刀直入に言う。オレは今の現状から、来月も同じように十万ポイントが貰えるかどうかを、酷く怪しんでいる」

 

 オレが淡々と告げたその言葉に、堀北だけではなく、櫛田の目も微かに見開かれた。

 

「来月も十万ポイントが貰えない……? 綾小路くん、それってどういうこと、かな?」

 

 真っ先に口を開いたのは櫛田だった。いつもの愛らしい笑顔を少し曇らせ、不安そうにオレの顔を覗き込んでくる。

 

 一方で堀北は、驚きを即座に鋭い猜疑心へと切り替え、腕を組んだ。

 

「突拍子もない妄想ね。この学校は国が設立し、生徒の全財産となるポイントを毎月一日に十万ポイント配給すると明言しているわ。それを疑うだけの明確な根拠が、あなたにあるというの?」

 

「確実な証拠はない。ただ、この学校が用意しているいくつかの『矛盾』と『救済措置』の点を繋ぎ合わせれば、一つの仮説が浮かび上がる。それと厳密な内容は毎月一日にポイントを配布する、だ。十万の部分は茶柱先生は決して口にしていない」

 

 オレは冷めかけたブラックコーヒーを一口啜り、トレイの上の対比的な桜のフラペチーノに視線を落とした。胸ポケットの中のヒュロポスが「なになに、急にインテリモード全開なのよ!」と身を乗り出すのを感じながら、言葉を続ける。

 

「まず一つ目だ。堀北、お前は購買のコンビニや学食のメニューを隅々まで見たか?」

 

「……何が言いたいのよ。私は無駄な買い物をしないから、必要なものしか見ていないわ」

 

「なら今度、学食のメニューの端や、コンビニの棚の最下段を見てみるといい。そこには『山菜定食』や、生活に必要な最低限の消耗品、食料の類いが、すべて『0ポイント』――つまり無料で置かれている」

 

 オレの指摘に、櫛田が「えっ、無料の商品なんてあるの?」と小さく声を上げた。コンビニにあった無料の商品は堀北もきっと覚えていることだろう。

 

「あぁ、用意されている。つまりそれは、贅沢さえしなければ、ポイントが完全に底を突いたとしても餓死することなく、最低限の生活を送ることができるという完璧なインフラだ。だが、考えてみてくれ。もし毎月確実に十万ポイントが無条件で手に入るなら、そんな大掛かりな救済措置が最初から用意されている必要があるか?」

 

 堀北の眉が、ピクリと不自然に跳ね上がった。彼女の優れた頭脳なら、オレが提示した前提の歪みに気づかないはずがない。

 

「さらに言えば、その無料の商品を利用している生徒たちの観察だ。新入生は誰もそんな安物に目もくれない。十万ポイントを湯水のように使って贅沢を楽しんでいるからな。だけど、その0ポイントの品々を熱心にカゴに詰めているのは――決まって上級生ばかりだ」

 

「上級生が……? じゃあ、あの人たちは……」

 

 櫛田の言葉が途切れる。その先にある結論を、堀北が冷徹な声で引き継いだ。

 

「ポイントを使い果たしたわけではなく……最初から、ポイントを『持ってない』ということかしら。もしくは多少のポイントは持っていたとしても無駄遣いをする余裕はない……」

 

「その可能性が極めて高い。つまり、毎月十万ポイントが固定で貰えるというのは、オレたち新入生の勝手な思い込みに過ぎない。このポイントの配給基準には、別のシステムが絡んでいると予測している」

 

「人間さん人間さん! なんだか話がすっごくシリアスな方向に行ってるのよ! あたし、難しいことはよくわからないけど、来月美味しいスイーツが食べられなくなるのは絶対に嫌なの!」

 

 胸ポケットの中で食べることしか頭にない鳥が短い足をジタバタとさせている。オレはそれを完全に無視して、最も重要な二つ目の矛盾へと話を移行させた。

 

「そして二つ目だ。堀北、お前は放課後、教室で『甘い学校だ』と言っていたな。授業中に寝ている生徒、端末を弄っている生徒、私語をする生徒を、教師たちは注意の一つもしない、と」

 

「ええ、言ったわ。義務教育でもないのに、あまりにも締まりのない教育方針だと呆れていたところよ」

 

「だが、注意をしないことと、教室の天井に設置されたあの不自然なほど大量の『監視カメラ』の存在。その二つは、相反してていないか?」

 

 オレの言葉に、堀北の視線が鋭さを増す。

 

「生徒を放置して好き勝手にさせるのが学校の方針なら、わざわざ監視カメラを教室に設置する必要があるのか。無いだろう、けれども逆だったのなら? 寝ることも、端末を弄ることも、私語をすることも決して許されないのだとしたら? それならば授業風景、私語、遅刻、態度のすべてを『監視』するカメラは理に叶っているんだ」

 

 カフェの喧騒が、オレたちのテーブルの周りだけ完全に遮断されたかのような静寂が訪れる。

 

「教師が注意をしないのは、生徒を甘やかしているからじゃない。あえて自由にさせることで、生徒の本性を炙り出し、そのすべてを減点対象として記録しているからだ。成績や、学生としての態度。それらすべてが裏で数値化され、評価に直結していると考えれば、あの監視カメラの存在の辻褄が合う」

 

 オレは珈琲のカップを静かにテーブルへと置いた。

 

「もし、今月の自堕落な態度がすべてリアルタイムで減点されているのだとしたら――来月のポイントがどうなるか、想像するのは難しくないはずだ」

 

 堀北は完全に言葉を失い、目を見開いたまま固まっていた。オレの提示したロジックの合理性を、彼女のプライドと知性は否定することができなかったのだろう。

 

 その隣で、櫛田もまた、いつもの無邪気な笑顔の裏で、驚きとも焦りとも取れる複雑な眼光を僅かに覗かせていた。

 

「すまなかったな、堀北。この情報で今回の出来事はチャラにしてくれ。櫛田、オレが出来る協力はここまでだ、後は自分で頼む」

 

 オレはブラックコーヒーとフラペチーノを両手に持ち二人を置いてカフェの外に出る。そして――見つけた。

 

 やはり、と言ったところだろう。そこにはQRコードが存在する。オレはあえて、聞き耳を立てていた他のDクラス生徒への説明も兼ねて行なっていた。

 

 偶然あいた奥まった席。それは意思が介入していたのなら偶然ではない。松下と王、小野寺に佐藤。

 

 同じクラスであれば気づいている。恐らく、堀北も気づいていたのだろう。だから嵌められたことにも気づいていた。

 

 そして、カフェを出て振り返れば――ガラス戸いっぱいに表記されたQRコードが存在した。それは不安やストレスが具現化した存在、大きなものが検知されればされるほどに解りやすくその姿は表す。

 

 オレがこの数日の間に見つけたコードもすべて何かしら、誰かしらの感情が大きく揺さぶられた時に現れて、見つけた。

 

 例えば言い争い。例えば殴り合い。例えば恫喝の現場。

 

 そのすべての場所にコードは現れていた。そして見つける度に――。

 

「あーっ! 人間さん! 人間さん! 今日こそ修復するのよー!」

 

 ヒュロポスが異世界へと行きたがる。そこに現れているであろうシャドウを倒すために。

 

 合計で三回。

 

 あの異世界へ潜り込んだ回数だ。そこそこの回数の戦闘をこなした溜まったDPは微々たるもので素材変換器を復旧するにはまだまだ足りないらしい。

 

 だが、今回は恐らく――。

 

 オレは学生証端末を掲げる。そして、またオレは非日常に飛び込んでいく。

 

 パツン、と五感の境界線が弾け、世界の色彩が急速に失われていく。

 

 気がつけば、先ほどまで背後にあったケヤキモールの喧騒や、自動ドアから漏れ出ていた珈琲の香ばしい匂いは完全に消失していた。

 

 広がっていたのは、見慣れた灰色の荒廃世界――『フォーラム』。

 

 現実世界におけるカフェの座標は、ここでは壁面が不自然にねじ曲がり、ひび割れたコンクリートが剥き出しになった不気味な廃墟へと変貌している。天を覆う禍々しい赤暗い空からは、絶え間なく精神を蝕むような重苦しい圧迫感が降り注いでいた。

 

 だが、オレの意識を惹きつけたのは、その風景ではない。

 

 目の前――現実世界におけるカフェの入り口付近に相当する歪んだ空間に、それは文字通り『群れ』を成して存在していた。

 

 ゆらゆらと空気の熱を奪うように蠢く、不定形の黒い影。煤やタールを凝縮したかのような化け物が、一体や二体ではない。五、六体が、半月色の赤光を不気味に明滅させながら、こちらの存在を感知して一斉に身を震わせた。

 

「ひ、ひゃああああああああーーーーっ!? な、なになになにこれ!? 多すぎるのよ! いくらなんでも一気に湧きすぎじゃないのーーーっ!?」

 

 現実の世界では小さな玩具でしかなかったヒュロポスもこの世界ではそれなりの大きさである。頭の上に乗られては重く、ましてや重力に大声とくればダメージは大きい。か

 

 しかし、オレはその阿鼻叫喚の声を他所に、静かに胸中で確信を得ていた。

 

(やはり、オレの予測は正しかったわけだ)

 

 シャドウは現実世界における強いストレスや精神の澱みから発生する。これまでは言い争いや恫喝の現場といった、特定の個人のスポットから生まれた単体のシャドウしか観測していなかった。だが今回は違う。

 

 あのカフェの空間には、明確な緊張感を漂わせていた堀北と櫛田がいた。それだけでなく、オレたちの会話に聞き耳を立てていた松下や佐藤といった複数の生徒たちの視線と、彼らが抱く将来への漠然とした不安や焦燥のエネルギーが、あの狭い座標に一時に集中していた。

 

 強い負の感情を持つ人間が複数人同じ場所に停滞していれば、それに応じるように異世界では複数のシャドウが群発する。そのシステムの実証ができたことに、オレは静かな満足感を覚えてすらいた。

 

「何じっと立って満足そうに分析してやがるのよこのバカ人間さん! あたしの世界一プリティーなお肌が恐怖で鳥肌になっちゃってるの! いいから早く逃げるのよ!」

 

 パニックを起こしてキレ気味にまくし立てるヒュロポスが、短い羽で地面に降り立ち、オレのズボンを羽で器用に引っ張ってくる。

 

「分かっている。一度退くぞ、ヒュロポス」

 

 オレは即座に踵を返し、来た道を全力で疾走しようとした。これだけの数を一斉に相手取るつもりはない。

 

 だが――。

 

 ――ガチ、ガチ、ガチ、ガチ。

 

 不快な金属音と、コンクリートを鋭利な爪で引っ掻くような駆動音が、背後だけでなく前方からも響き渡った。

 

 見れば、オレたちが侵入してきたカフェの外、崩落した大通りの瓦礫の影からも、同じ黒い影が這い出てきていた。運が悪いことに、退路は完全に塞がれている。

 

(……外にも居たのか、めんどうな)

 

 包囲網の形成速度が早すぎる。完全にこちらの退路を計算して配置されていたかのような動きだ。

 

 舌を打ち、オレは進路を右手の潰れた店舗の死角へと変更しようと、地面を強く蹴り出した。

 

 まさに、その刹那だった。

 

 バチンッ!

 

 空間を引き裂くような破裂音とともに、蠢いていた黒い影たちの表面が、内側からの圧力に耐えかねたように一斉に弾け飛んだ。煤の霧が周囲に巻き散り、視界を灰色に染め上げる。

 

 そして、異様な『輪郭』を持った存在たちが現れる。

 

 背中に透明な羽を宿し、残酷な笑みを浮かべる悪質な『妖精』。

 

 ひび割れたアスファルトの上を尾鰭で這い回り、鋭い牙を覗かせる醜悪な『人魚』。

 

 歪な斧を携え、異常に発達した筋肉を持つ不気味な『小人』。

 

 現実世界の神話や民話、怪異の伝承からそのまま引きずり出してきたかのような、明確な形を持った化け物たちへの変異。

 

 迷いが浮かぶ。思考の処理がコンマ数秒だけ遅れた。

 

 化け物たちは、その隙を絶対に見逃さなかった。

 

 直後、妖精の掲げた手から目も眩むような黄金の雷が狂い咲き、人魚の咆哮とともに大気を引き裂く凶悪な氷雪が吹き荒れる。さらに小人が地面を叩きつけると、凄まじい速度の衝撃がオレの座標へと襲いかかってきた。

 

 大地を蹴ることで避けるが――どうやら逃げるよりも迎え討った方が早そうだ。

 

「ヒュロポス、やるぞ」

 

「う、うううっ……もーっ! やぶれかぶれ! いい女は当たって砕けろなのよ!」

 

 砕けちゃ駄目だろ。オレは気炎を吐くヒュロポスの隣に立ち、思い浮かべる。その姿は――。

 

 オレは目を瞑り、心臓に手を当てながらその名を呼ぶ――。

 

 オレがこの力を得たのは入学式の翌日。コンビニに設置された無料商品の棚にあったQRコードを読んだ日の出来事。

 

 目を瞑れば思い出す。

 

 絶体絶命の死地、ヒュロポスはボロボロでオレだけなら逃げられたかもしれない盤面。

 

 死を目前にして人は本性が現れる。死を前にして人は嘘をつけない。死を前にしてオレは――。

 

「来い、ジャックランタン」

 

 偽りの仮面を被る。カボチャ頭にマント姿。切り抜かれたような半月の目、三角の鼻、ギザギザの口。ジャックオーランタンをモチーフにしたペルソナがオレの背後に現れては『ヒーホー』と気炎を吐く。

 

「まーた、人間さんのペルソナ変わってるのね! なんでなんで?」

 

「戦闘を始めるぞ、ヒュロポス」

 

 オレはジャックランタンに向かって思考を流す。

 

 アギ。

 

 そう呟いた次の瞬間に、ジャックランタンの持つランタンが開き、激しい劫火の塊を吐き出した。炎は狙い違わず、先頭にいた小人の肉体を直撃する。

 

 ギャアアアッ! と耳を裂くような悲鳴を上げ、小人は炎に包まれながら地面へと激しく転倒した。弱点を突いたことで、萎縮する敵に追撃をかける。

 

「よし、そのままもう一発なのよー!」

 

「わかっている」

 

 追撃の『アギ』が、再び小人を捉える。小人は悲鳴をあげながら煤となり、消えていく。

 

 まずは一匹、と。戦況は完全にこちらのペースへと傾いたかに見えた。

 

 だが、敵もさるものだ。奥に控えていた醜悪な『人魚』が、その鋭い牙を剥き出しにしながら、長い尾鰭でアスファルトを激しく叩いた。

 

 キシャアアアアッ!

 

 その咆哮と共に、大気が一瞬で氷点下へと叩き落とされる。極大の氷結の嵐――『ブフ』のエネルギーが、ジャックランタン、そしてオレの座標へと容赦なく殺到した。ペルソナには耐性と弱点が存在する。ジャックランタンにとって、氷結は致命的な弱点だ。まともに喰らえば、こちらの体勢が崩壊する。

 

 ならば、その攻撃が届く前に切り替えるまでだ。

 

 オレは腕を振り、思い浮かべる仮面を瞬時に書き換える。

 

「チェンジ――来い、『アズミ』」

 

 ジャックランタンの姿が掻き消え、代わりにオレの背後に顕現したのは、漁師の網と銛を携え、水に濡れた髪をなびかせる日本の武者、あるいは水の神霊を思わせる姿――ペルソナ『アズミ』だった。

 

 直後、人魚が放った凶悪な氷雪の嵐『ブフ』がオレたちの座標を完全に呑み込んだ。しかし、アズミの青白い障壁に遮られた冷気は、パキパキと虚しく音を立てるだけで、オレの身体に僅かな傷をつけた程度。

 

「はぅあ! 効いてないのよ! 流石なのよ、人間さん!」

 

 ヒュロポスはオレの背後でただパニックになっているだけのマスコットではない。この謎の鳥もまたオレと同じようにペルソナを使って戦うことが出来る存在なのだ。

 

「あの空中を飛んでる悪質な妖精、あいつは魔法の行使に集中するあまり、足元がお留守になってるわ! 鋭い物理攻撃で一気に叩き落としちうのよ!」

 

「了解だ」

 

 オレは精神を研ぎ澄まし、アズミへと意思を送る。

 

「『突撃』」

 

 アズミが力強く地面を蹴り、凄まじい速度で弾丸のように突進した。突き出した銛が、宙に浮くピクシーの細い身体を正確に捉え、強烈な一撃を見舞う。

 

 鈍い衝撃音と共に、ピクシーは悲鳴を上げる間もなく地面へと叩きつけられ、そのまま黒い煤となって霧散した。

 

「やったのよ! 残るはあの大口開けた人魚だけなのよ!」

 

 ヒュロポスが短い羽をバタつかせて叫ぶ。ピクシーが消滅したことで、人魚の顔に明らかな動揺が走ったのがわかった。人魚は再び尾鰭を揺らし、次の氷結魔法を紡ごうと魔力を練り始める。

 

「そう何度も同じ手は喰らわないのよー!」

 

 突然、勢いよく空中へと飛び出した。でっぷりとしたピンク色のロボット鳥という、およそ戦闘には不向きに見えるその小さな身体が、不気味な異世界の空を背景に静止する。

 

「あたしをただのご飯食らいの鳥だと思ったら大間違い! あたしの実力、そしてあたしに眠る輝かしい美少女パワーを思い知りなさい! ――『ガル』!」

 

 ヒュロポスが短い羽を思い切りはためかせた瞬間、彼女の背後に現れた『イカロス』の身体から、空間そのものを圧搾するような鋭い緑色の烈風が巻き起こった。

 

 突風は荒廃した大地を削り取りながら狂暴な渦となり、魔力を練っていた人魚の巨体を正面から完全に捉える。

 

 キ、キシャアアアッ!?

 

 人魚は悲鳴を上げ、風の刃によってその肉体をずたずたに切り裂かれながら、後方の瓦礫へと激しく吹き飛ばされた。衝撃に耐えかねたようにその身体が大きくひび割れ、次の瞬間には、パツンと音を立てて完全に消滅していった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 静寂が、再び灰色の荒廃世界『フォーラム』へと戻ってくる。

 

 周囲を満たしていたシャドウの気配は完全に消え去り、遠くでねじ曲がったコンクリートの破片がカラカラと音を立てて転がるだけの、静かな空間へと変わっていた。

 

 オレは深く息を吐き、アズミの仮面を精神の奥底へと仕舞い込む。

 

「ふふーん! 見た見た!? 今のあたしの華麗なガル! 世界一プリティーで最強の美少女に相応しい大活躍だったのよ!」

 

 オレの肩の上へと滑り降りてきたヒュロポスは、早くも得意満面に胸を張っていた。だが、その息は心なしか荒く、やはり相応のエネルギーを消費したのだろう。それでも、戦うたびに学習し、自らスキルまで行使してみせるそのポテンシャルは、侮れないものがある。

 

「あぁ、助かった」

 

「でしょでしょ! もっと崇めてもいいのよ! ご褒美にとっても美味しい晩ご飯を食べたいわ!」

 

 調子に乗るロボット鳥を軽く指先で突っつきながら、オレは制服のポケットから学生証端末を取り出した。

 

 画面を起動すると、異世界の探索状況を示す特殊なアプリケーションが自動的に立ち上がる。そこには、今回の多数のシャドウとの戦闘によって獲得した『DP』の数値が、これまでにない勢いでカウントアップされていく様子が映し出されていた。

 

 そのデジタルな数字の羅列を見つめていたヒュロポスが、突然「はぅあ!」と声を上げ、オレの腕を短い羽で激しく叩いた。

 

「人間さん、人間さん! 見て見て! 大変なのよ!」

 

「どうした?」

 

「ポイントよ! 今回はDPがすっごくたくさん増えてるの! これであの自販機を修復できるの!」

 

 ヒュロポスは興奮を隠せない様子で叫んだ。

 

「溜まったのよ! これでようやくこの世界を修復できるのー! やぁっと溜まったのよー!」

 

 彼女のその言葉に、オレの眉が僅かに動いた。

 

 素材変換器の復旧。それが意味するものは大きい。異世界で獲得した不要なガラクタやエネルギーをこの『フォーラム』を復元するためのビルド素材へと変換するインフラが整うということだ。

 

「……ようやく、次の段階へ進めるわけか」

 

「そうなのよ! あたしの的確な超絶可愛いトドメの一撃があったからこそね!  さあ人間さん、そうと決まればこんなジメジメした場所からはおさらばよ!  早く自動販売機に戻って修復作業を始めるのよ!」

 

 オレは学生証端末をポケットへと収め、フォーラムを歩き出す。ヒュロポスには見えていなかったであろうが、オレの目には先ほどの戦闘での成果はもう一つ見えていた。

 

『ピクシー』

 

 それはオレのペルソナ使いとしての能力の一旦。新たに手に入れた仮面は先ほどアズミを使って倒した妖精と同じものであった。これをベルベットルームへ持っていけばさらなるペルソナを産み出すことができるだろう。

 

 フォーラム、ベルベットルーム、ペルソナ。未だ解らないことばかりの現状はオレの好奇心を満たしてくれる。この先に待つ、復興というシステムはオレにどんな景色を見せてくれるのだろうか。

 

 それが、少し楽しみだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ねじ曲がったコンクリートの残骸を跨ぎ、灰色の霧が漂う通路をしばらく進む。現実世界におけるケヤキモールの連絡通路の死角――その座標に相当する場所に、目的のオブジェクトは佇んでいた。

 

 それは、現実世界のそれとは似ても似つかない、異様な存在感を放つ『自動販売機』だった。

 

 錆びついた金属の筐体からは無数の不気味な配線が這い出てお り、液晶画面はひび割れ、時折パチパチと青白い火花を散らしている。

 

 これこそが、このフォーラムの機能を管理し、現実世界への干渉を行うためのコア――機能が停止した『素材変換器』の本体だった。

 

「やっと、やっとこの時が来たのよ!  さあ人間さん、もったいぶらずにその学生証端末をここにピッとやるのよ!」

 

 オレの肩から勢いよく飛び移ったヒュロポスが、自販機の取り出し口の上に器用に立ち、短い羽で液晶画面を指差した。

 

 オレは言われた通りに端末を掲げ、不気味に明滅するスキャナーへと近づける。

 

 キィィィィン――という鼓膜を震わせる駆動音と共に、端末の画面に表示されていた大量の『DP』の数値が、猛烈な速度で消費されていく。それと同期するように、壊れていた自動販売機の内側から、ガチガチと重厚な金属の噛み合う音が響き始めた。

 

 そして、激しい発光に堪らず目を瞑って、開けば――そこには直立不動で品物が殆どない自動販売機が鎮座していた。

 

『――システム復旧。素材変換機能、再起動しました』

 

 機械音声が流れて、稼働音がフォーラムに響く。

 

「はぅあ! 直った……本当に直ったのよ!  修復完了なのよー!」

 

 ヒュロポスが短い足をバタつかせ、まるで踊るようにして歓喜の声を上げる。

 

 だが、変化はそれだけに留まらなかった。

 

 パキパキパキ、と空間そのものが凍りつくような、あるいは結晶化していくような奇妙な環境音が周囲に木霊する。

 

 オレたちが立っている周囲の、ねじ曲がり、崩落しかけていた廃墟の壁面。その表面のひび割れが急速に塞がり、くすんだ灰色だったコンクリートが、まるで時間を巻き戻すかのように、滑らかなタイルへと『書き換わって』いく。

 

 これが……エリアの復興か。

 

 完全に現実の姿に戻ったわけではない。けれども、四方ほんの数メートル程度ではあるが確かに現実世界で見かけたことのある床タイルへと変貌したのだ。

 

 近づいて自動販売機の中を見れば――その中のラインナップは缶ジュース二つ。それぞれの缶にはコンビニとパレットというラベルが張られていた。

 

「人間さん! さっそく買うのよ!」

 

 指示に従って――オレはパレットのボタンを押す。ガコン、と小気味のいい音を立てて取り出し口に手を入れればパレットというラベリングされた缶ジュースが出てきた。

 

「もう一個も買うのよ!」

 

 言われるがままにボタンを押すが――無反応。オレは学生証端末を開き、残りのDPを確認してみれば二〇〇ポイントしか残っていなかった。

 

 コンビニは二万ポイント、パレットは七二〇ポイントだった。元々、持っていたポイントが一万と少しだったことから変換器の修復に一万近く使ったことになるだろう。

 

 このポイントの差は何なのか。また謎が一つ増えた。

 

「どうやらポイントが足りないようだ」

 

「えーっ! 貧乏は世知辛いのね。今回は諦めるのよ…、人間さん。残念なのねー」

 

「ところで、これはどうすればいい?」

 

「うーん、わかんないのよ。でもでもジュースなんだから飲んでみるのはどうなの?」

 

 死ぬほど嫌だ。異世界のわけのわからないものを口に運ぶなんて知的好奇心を上回る危険性を感じとってしまう。

 

「そうだな……」

 

 どちらにせよ、侵入口から一番近いモニュメントを探さなければならない。そのついでに先ほどのカフェ――『パレット』の近くを通ってみよう。

 

 そうすれば何かしらの情報を得られるかもしれない。

 

 自販機から取り出した、その『パレット』と書かれた謎の缶を片手に、オレたちは来た道を戻り始めた。

 

 周囲の灰色の霧を払いながら、今回の探索の起点となった最初の転移位置――現実世界におけるケヤキモールのカフェ入り口付近に相当する歪んだ空間へと足を踏み入れる。

 

 その瞬間、オレの右手に走る奇妙な違和感があった。

 

 ――ブゥゥゥン。

 

 掌の中で、冷たい金属の感触を持つはずの素材缶が、生き物のように小刻みに振動を始めたのだ。

 

「はぅあ!? 人間さん、缶が、缶が暴れてるのよ!」

 

 肩の上のヒュロポスが声を上げた直後、素材缶はオレの指先から弾かれるように飛び出した。放物線を描いた缶は、そのまま荒廃したコンクリートの地面へと落下し――水面に落ちた石のように、音もなく地中へと沈み込んでいった。

 

 直後、足元から凄まじい地鳴りが轟く。

 

 ――ズズズ、ズズズズズッ。

 

 立つのも困難な程の地響きと共に、地面がせり出す。そして、巨大な土煙を挙げながら影だけの『輪郭』が急速に形作られていく。

 

 土煙が晴れたそこに聳え立っていたのは、ついさっきまでオレたちが滞在していた、あのケヤキモールのカフェと瓜二つの外壁を持つ建物。

 

 自動ドアを潜るようにして中を覗き込んでみれば、テーブルや椅子、厨房の設備といった内装は殆どなく、がらんとした空虚な空間が広がっている。当然、人の気配もない。

 

 だが、それでも――普通の存在を拒絶するようなこの灰色の都市部において、それは唯一と言っていいほどの、まともな『建造物』として確かにそこに存在していた。

 

「DPを消費して手にはいる缶を投入することで、建物が出来上がる。意味がわからないほどに理不尽な光景だな」

 

 目の前に現れたシステムの具現化に、オレは呆れを超えて妙な感心を覚えていた。現実では習わず、見ることもなかった、世界の法則が通じない世界がここにある。

 

「すごーい! すごいのよ、人間さん! 建物が建っちゃったのよー! 缶って建物立てれるのね! すごいのねー!」

 

 ヒュロポスはオレの肩の上で、短い羽をこれ以上ないほど激しくパタパタと動かしながら大喜びしていた。しかし、ひとしきりはしゃぎ回った後、彼女はふと動きを止め、出てきたばかりの白いタイル調の壁面を、短い羽でそっと撫でた。

 

「……ねぇ、人間さん」

 

「どうした?」

 

「なんだか、すっごく暖かいのよ。この建物が建った瞬間、あたしの胸の奥のほうが、ぽかぽかして……とっても暖かい気持ちになったのよ……」

 

 ヒュロポスは、いつもの図々しく騒がしいトーンを少しだけ潜め、どこか愛おしそうに目を細めていた。

 

 だが、感傷的な空気は、一瞬でいつもの調子へと書き換えられた。

 

「よし決めたのよ! 今日からここを、あたしたちの秘密基地にするのよ! そしてここに、輝かしい『復興部』の設立をプリティーに宣言しちゃうのよ! これはもう! 歴史的な瞬間なのよ!」

 

 ヒュロポスは自販機の上へと飛び移ると、これ以上ないほど堂々と胸を張り高らかに言い放った。

 

「拍手! 人間さん、ここは拍手なのよ!」

 

 オレは「おー」と言われるがままに拍手をする。ジト目になった鳥がやる気が感じられないのね、と呟いていた。

 

「こほんこほんこほん! このエリアの最高責任者である現場監督は、世界一プリティーなあたし! そして、実務をこなす部下兼部長には人間さん! 任命してあげる!」

 

 最高責任者が現場監督で、その下の部下が部長。ガバガバな組織図だが、ここでいちいち突っ込むのは労力の無駄でしかない。

 

 キラッキラと楽しそうな瞳を向けられてオレは溜息を吐きながら答える。

 

「めんどくさい……」

 

「駄目なのよ! さあ、そうと決まれば今日のところは現実世界へ帰還するのよ、部長さん!」

 

 変な部に入社なのか、入部なのかわからないが強制的に所属させられ、上司を名乗る鳥を肩に乗せてオレは現実へ帰るためのモニュメントを探しはじめた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 パツン、と五感の境界線が弾け、世界の色彩が急速に戻ってくる。

 

 ケヤキモールの新設カフェの前。自動ドアから漏れ出る珈琲の香りと喧騒がオレを包み込む。ガラス戸に写っていたQRコードは消えていた。

 

 オレは中の様子など確認せずに――翌日。

 

 高度育成高等学校の日常は、何事もなかったかのように平然と動き出していた。

 

 教室では、相変わらず生徒たちが端末を弄り、授業中に平然と私語を交わしている。隣の席の堀北鈴音もまた――いつも通りに真面目に授業を受けていた。

 

 一方で、櫛田桔梗もまた、クラスの全員と友達になるという目的のため、精力的に他の生徒たちへ話しかけて回っている。

 

 だが変化は幾つか見受けられた。松下や小野寺。昨日の話を聞いていたメンバーが比較的に真面目に授業を受け始めていた。軽井沢や篠原といった面子がそれとなく雑談に誘っても軽く躱し、交じることはない。

 

 オレが投じた波紋が、彼女たちの行動指針を狂わせ始めている。

 

 さらに、翌々日。

 

 放課後の廊下を進むオレの肩の上には、相変わらず「ピンク色のひよこ型ロボット鳥」がちょこんと乗っかっている。

 

「おい、あいつまたあの不気味なマスコット連れてるぞ……」

「マジでヤバい奴だな。話しかけない方がいいって」

 

 すれ違う生徒たちからの、痛いほどの蔑視の視線とヒソヒソ声。普通なら胃に穴が空きそうな状況だが、オレの胸中には初日とは異なる気楽さが完全に定着しつつあった。

 

 周囲の評価というノイズを完全にシャットアウトし、自分のペースで動ける環境。それはフォーラムという異世界へ潜る上では非常に好都合であった。

 

「ふぁぁぁ……むにゃ、人間さん、なんだか最近、コードが無いのよ」

 

 耳元で、ヒュロポスが小さな羽でオレの髪を弄りながら、暢気な声で呟く。

 

 カフェ周辺のエリア復興が進んだ日以降、現実世界におけるQRコードは発見できていない。勿論、フォーラムは存在する上に行くことは可能であるがコード経由以外だとシャドウが中々に見つからず効率が悪い。

 

「やるべきことはまだ山積みだが、見つからないんじゃしょうがない」

 

 オレは内心でそう呟きながら、学生証端末の画面を盗み見る。

 

 素材変換器は直ったが、次のエリアをビルドするためにはDPが足りない。変換器もあの後に見に行きそこにあった新たな素材缶である『パレットの内装』というあまりにも分かりやすい結果の缶を購入するためのポイントも不足している。

 

 とはいえ、そう遠くない未来にこのクラス周辺にポイント源は湧くのは予想に容易い。

 

 何故なら――Dクラスの様子を考えれば想像に容易い。

 

 あそこまでヒントを与えておきながら誰一人としてクラスに共有していないからだ。

 

 シャドウはストレスや負の感情が原因として湧く。そして――ストレスが消えたら幸福になれるのか。

 

 それがDクラスの現状に繋がる。不安や焦り、失敗や後悔。それが消えてしまったが故に――相談や指摘、熟考をすることが無くなった。意見のすり合わせ、ぶつけ合い、考えること。それは問題があるからこそ行われる。

 

 堀北も、櫛田も、佐藤たちも。自分が問題さえ起こさなければそれでいいという安全圏、安心の中にいた。

 

 オレが指摘した、見られている、監視されているという事実にあえて一つの情報を混ぜなかった。けれども考えれば、調べれば分かるはずの答えだった。

 

 そして彼女達は教師が私語や内職といった行動をチェックしていることに気づき、さらに自分達の考えが合っていることに安堵するのだろう。一度得た確証を疑い直すのは非常に困難であることを自覚しないまま。

 

 そして時だけが過ぎ、去った時には遅い。

 

 確かに測られている。けれどもそれは現状、オレではなく――オレ『達』の話であることを彼女達はまだ気づいていない。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 そして、五月一日。

 

 オレは始業時刻ギリギリに登校し、教室へ向かった。学校に来るまでの道すがらで見つけた大量のコード。

 

 そして――教室を開けば。

 

  切り裂くような怒号と悲鳴が鼓膜を刺した。

 

 一歩足を踏み入れた教室の中は、もはやオレの知っている「自堕落で騒がしくも平和な教室」ではなかった。

 

「おい、冗談だろ……! なんでだよ!」「嘘……私のプライベートポイント、一ポイントも増えてないんだけど!」「バグか? 学校のシステムのバグだろこれ!」

 

 狂乱。その二文字がこれほど似合う空間もない。

 

 池や山内は端末を机に叩きつけんばかりの勢いで画面を連打し、軽井沢や篠原たちのグループは顔を青ざめさせて互いの端末を見せ合っている。いつもなら不遜な態度を崩さない須藤すらも、その顔に隠しきれない戦慄を浮かべていた。

 

 だが、オレの意識を奪ったのは、生徒たちのそんな取り乱した姿ではない。

 

 ……これは、想像以上だな。

 

 視界の至る所に、のたうち回るような悪意と絶望の『形』が浮かび上がっていた。

 

 黒板の文字を覆い隠すようにして壁面にべったりと張り付いた、巨大な白黒の幾何学模様。生徒たちの机の引き出しの隙間、教壇の足元、天井の監視カメラのすぐ脇――それだけではない。

 

 パニックに陥り、頭を抱えている生徒たちの『影』そのものから、煤のような黒い霧を伴って、無数のQRコードがじわじわと増殖し、染み出すようにして空間を侵食していた。

 

 言い争いや恫跨の現場とは、文字通り桁が違う。

 

 クラスという一つの共同体が同時に、それも逃げ場のない決定的な絶望に直面したことで発生した、莫大な負のエネルギーの奔流。

 

「ひ……は、はぅあ……っ!?」

 

 オレの肩の上で、ヒュロポスが短い羽を限界まで縮こまらせ、ひよこ型の小さな身体をガタガタと、ミシミシと金属の軋む音が聞こえるほどの勢いで激しく震わせ始めた。そして慌てて胸ポケットへと収まる。

 

「な、なになにこれ……っ!? 人間さん、こんなに、たくさんのコードが、こんなの、怖くて、息が、息が苦しいのぉ……!」

 

 いつもなら図々しく美少女パワーを連呼する謎の鳥が、恐怖のあまり瞳のレンズを不規則に明滅させ、オレの髪の毛に必死にしがみついている。脳内に直接響くその声は、完全に余裕を失い、喉を詰まらせて慄いていた。

 

 無理もない。フォーラムに行ったことがあるオレたちだけが理解できる。

 

 この教室を埋め尽くすコードの群れが、どれほど異常で、どれほど致命的な『シャドウの大量発生』を異世界で引き起こしているのかが、本能的に理解できてしまうのだろう。

 

 だが、この喧騒の渦中で、オレはもう一つの『変化』を察知していた。

 

 突き刺さるような、いくつかの強い視線。

 

 パニックに陥る周囲の生徒たちとは明らかに異なる、鋭い猜疑を孕んだ眼差しが、オレの座標へと一斉に集中していた。

 

 真っ先にオレを見たのは、隣の席の堀北鈴音だった。しかしその瞳の奥には、混乱よりも凄まじい疑念を宿してオレを睨みつけていた。

 

 さらに、前方の席からは櫛田桔梗が、いつもの無邪気な笑みを剥ぎ取られ、冷たい眼光を秘かにオレへと向けていた。しかし、すぐさま取り繕い、混乱しているクラスメートへ同調する。

 

 そして、他にもパレットて話を聞いていたであろう面々はオレの様子を窺っていた。

 

 彼女たちの脳裏には今、数日前のあのカフェでのオレの言葉が、強烈なリアリティを伴って蘇っているはずだ。

 

『来月も同じように十万ポイントが貰えるかどうかを、酷く怪しんでいる』『贅沢さえしなければ餓死しないインフラが最初から用意されている』『監視カメラは、授業風景、私語、遅刻、態度のすべてを評価に直結させている』

 

 オレの提示した前提の歪み、そしてロジック。それらが何一つ狂うことなく、最悪の形で現実のものとなった。

 

 最初からこうなることを知っていたのではないか。

 

 言葉にせずとも、彼女たちの視線がそう雄弁に物語っていた。偶然の言葉にしては、あまりにも整合性が高すぎる。オレがあらかじめこの結果を知っていながら、あえて傍観していたのではないかという、深い疑惑の念。

 

 だが、オレはそれらの視線を完全に無視し、ただ無感情に前方を眺め続けた。今更何を疑われようが、オレが自ら種明かしをするつもりはない。

 

 五月一日。午前零時を過ぎた瞬間、彼らが期待していた「十万ポイント」の配給は行われなかった。

 

 一度得た確証を疑わなかった彼女たちは、この一ヶ月間の自堕落な行動のツケが、クラス全員の連帯責任としてリアルタイムで減点されていたという冷酷な現実に、直面している。

 

 不安や焦りが消え、思考することを放棄していたDクラス。その安穏のツケは、最悪の爆発となって現実を、そして異世界を同時に侵食し始めていた。

 

 ガチャリ、と教室の前方のドアが静かに開く音がした。

 

 この地獄絵図のような光景にトドメを刺すための、冷徹な執行人が現れる気配。

 

 胸ポケットの中で震える鳥を傍らに、オレは静かに、その始まりを待った。

 

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