アリスの少し優しい未来   作:しあんあるふぁ

10 / 13
第十話は少し長いので3話に分けます。


第十話 - ①

その後数日が経った。

 

 

ギルバートからの依頼は、あれ以来なかった。諦めたのか、それとも水面下で別の手を打っているのか。あるいは、本当に私の心変わりを待っているのだろうか。アリスは何度も探るような視線をギルバートの背中に送ったが、彼はいつも通りの優雅な微笑みをたたえたままだった。

 

 

そしてその日の夜——。

 

 

宿の酒場はいつもにも増して賑わっていた。冒険者たちの笑い声と杯を叩く音、注文を叫ぶ声が入り混じり、燻製にした肉の脂の香りと麦酒の芳醇な香りが渦巻く。そんな喧騒の片隅に、奥へと続く薄暗い廊下がある。普段は雑貨の置き場として使われているその先に、一つの扉があった。

 

 

宿の酒場に唯一ある個室の部屋だ。

 

 

使用するのに追加の料金がかかるため、滅多に開かれることのない部屋。古びた扉を押し開けると、中は思いのほか広く、中央に大きな丸テーブルが据えられている。天井には魔石灯が等間隔に吊り下げられ、穏やかな光が部屋を照らしていた。

 

 

「全員揃ったね」

 

 

最初に口を開いたのはギルバートだった。彫りの深い端正な顔立ちの男は、金糸のごとき金髪を襟に垂らし、葡萄酒を一口あおった。

 

 

「さて——王都から依頼が入った」

 

 

テーブルに羊皮紙の巻物が静かに広げられる。蝋で密封されていた書簡には王家の鷲獅子の紋章が刻印されていた。一行目を追ったバルガスが鼻を鳴らす。

 

 

「『無原罪(むげんざい)()』……? なんだそりゃ」

 

 

筋骨隆々たる巨漢は、卓上のインク瓶を軽く指で弾きながら疑問符を投げる。その隣に座るミーシャが軽くため息をつく。

 

 

「最近王都や街で勢力を広げている新興宗教よ。よく街宣や炊き出しをしているでしょう?」

 

 

青灰の瞳を細め、栗色の髪を揺らして肩を竦める。

 

 

アリスはふと思い返す。前世でも幾度か耳にした名前だったが、具体的な記憶は霞みがかっていた。教祖の名前や思想も朧げだ。ただ漠然と「胡散臭い」という印象だけが残っている。

 

 

「その『無原罪の輪』って宗教の調査をしろってこと?」

 

 

問いかけるアリスの声は澄んでいた。テーブルの中央に置かれた杯から立ち上る湯気がゆったりと揺れる。

 

 

ギルバートは微笑んだ。

 

 

「ああ」

 

 

一拍置いて、

 

 

「現状は表向き平和を謳い貧者救済を標榜しているが——根幹を探らずに放置しておくわけにはいかない。特に王都では貴族間で『不穏分子』扱いされている節があってね」

 

 

バルガスが鼻で笑う。

 

 

「へぇ……で? 俺たちに何しろってんだ? 教祖サマを殴り飛ばしゃあ解決か?」

 

 

「違うわよ馬鹿」

 

 

すかさずミーシャが割って入った。彼女の声音は鋭く乾いている。

 

 

「布教活動自体は合法よ。今回の依頼はあくまで『調査』。表沙汰にできるネタがあれば良し、そうでなければ無難に『健全でした』と報告書を作れば終わり」

 

 

ギルバートはゆっくり頷く。

 

 

「その通りだ。無用な刺激を与えず、慎重に情報を集める。それが我々に求められている仕事さ」

 

 

そこで沈黙を貫いていたレオンが初めて口を開く。

 

 

「それで? その教団に信者を装って潜入調査するのか」

 

 

低く抑揚の乏しい声。しかしその中に漂う剣呑な気配は隠せない。腕を組むその佇まいには、いつでも刃を解き放てる無言の圧迫感が潜んでいる。

 

 

ギルバートは宥めるように手を振った。

 

 

「まだ一次調査だよ。教団内部まで入り込めばリスクが大きい。まずは外部から活動の輪郭を捉えたい」

 

 

そう言うと、ギルバートは指を順に折りながら役割を述べていく。

 

 

「ミーシャとレオンは街宣や布教活動の実態を調べてくれ。周辺の人々への聞き込みも忘れずに」

 

 

「ああ」

 

 

「なんだか地味な仕事ねえ。私たちが受けるほどのことかしら」

 

 

レオンの平坦な返答とミーシャの辟易としたぼやきが重なる。

 

 

「一次調査で不審が見つからなければそれでいいさ。むしろその方が割の良い仕事だ」

 

 

ギルバートは微笑みながら続けた。

 

 

「アリスは錬金術の講習に参加してもらえるかな」

 

 

アリスはきょとんと目を丸くする。

 

 

「講習? 錬金術を習えばいいの?」

 

 

「いや、指導者だ。教団は信者や周辺住民を集めて錬金術の講習を行いたいらしくてね。その講師を募集している」

 

 

アリスは顎に指を当てて小さくうなずく。

 

 

「ふーん……指導にかこつけて、教団や生徒の様子を窺えってこと?」

 

 

「ああ、その通りだ。ただし……」

 

 

ギルバートの声色がわずかに変わる。

 

 

「君のレアスキルの力は使わないでくれるかな。高級魔石を使った高等な錬金術も止めたほうがいいだろう」

 

 

「なんで? 教団に技術を見せないほうがいいってこと?」

 

 

「ああ、それもあるが——」

 

 

答えかけたギルバートを遮るようにミーシャが声をあげる。

 

 

「『無原罪の輪』は過激な平等主義を教義にしてるのよ。過度な才能や家柄、富は無条件に還元されるべきだって。わざわざ刺激する必要もないでしょ?」

 

 

レオンが腕を組み直す。

 

 

「ならばアリスが行くのは危険じゃないか。大っぴらには使ってないとはいえ、スキルの存在を知っている者はいる。万一その場で露見すれば——」

 

 

「あくまで表向きの教義だよ。見せびらかしたりしなければ、彼らも過激な行動はとらないさ」

 

 

ギルバートは軽く手を振って一笑に付す。しかしレオンは尚も眉根を寄せる。

 

 

「しかし——」

 

 

「レオン、いいよ。ありがとう。」

 

 

アリスが穏やかに制した。

 

 

「あたしも気を付けるから」

 

 

彼女は自分の胸元にそっと手を当てる。彼の心配は嬉しい。心の奥底で燻る不安も確かにある。だが前世では見過ごし続けてきた欺瞞が、今や無視できなくなっている。そのためにも——足を止めたくなかった。

 

 

ギルバートは安堵したように息を吐き、

 

 

「頼んだよ」

 

 

と言った。

 

 

次いで視線をバルガスに移す。

 

 

「僕とバルガスは賭場や酒場の調査を行う」

 

 

バルガスが露骨に眉を吊り上げる。

 

 

「賭場? そいつら賭場までやってんのか?」

 

 

「厳密に言えば、信者が経営していたものを実質的に教団が乗っ取ったような形かな。もちろん奪われた当人はそう思っていないだろうがね。酒場も似たようなものだ」

 

 

ミーシャが嘲笑うように息を漏らす。

 

 

「手広くやってんのねぇ」

 

 

「小せえ賭場だから行ったこたァねえな……」とバルガスは腕を組み直し、「まあいいさ。大勝ちしちまってもいいんだろ?」

 

 

「節度は守ってくれよ?」とギルバートは苦笑した。

 

 

そして締め括るように一同を見渡す。

 

 

「こんなところかな。調査期間は1週間。もし緊急の要件があればすぐに報告してくれ」

 

 

四人が頷く中、レオンだけが最後までアリスをちらりと見た。

 

 

アリスも同じように視線を交わす。短い会話が成立するような間だった。

 

 

部屋を満たしていた明かりが僅かに揺れる。それぞれの思惑が、まだ夜の帳に潜むまま。

 

 

こうして調査は始まった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。