アリスの少し優しい未来   作:しあんあるふぁ

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第十話 - ③

調査開始から一週間が経った。

 

 

宿の奥、あの個室の扉を押し開けると、中は前回と同じく魔石灯の無機質な光で満たされていた。窓は閉ざされ、外の喧騒は遠く、代わりに古びた革の椅子が軋む音や、羊皮紙をめくる乾いた音が部屋に満ちていた。

 

 

ギルバートは入口に背を向けて立ち、魔石灯の明かりを調節していた。彼はゆっくりと振り返ると、卓を囲む四人を順に見渡した。彫り深い端正な顔立ちには、いつもの優雅な微笑みが張り付いていたが、瞳だけは冷たく澄んでいた。

 

 

「皆、一週間ご苦労だったね」

 

 

ギルバートが椅子に腰を下ろし、葡萄酒の入った水晶のグラスを手に取った。液体を軽く揺すり、部屋の光を透過させる。

 

 

「報告は些細な情報でも省略せずに子細に行ってほしい。自己判断で重要な情報を取りこぼす可能性があるからね」

 

 

その言葉に、ミーシャが小さく鼻を鳴らした。彼女は腕を組み、背もたれに深くもたれかかっている。栗色の髪が肩に流れ、青灰色の瞳は鋭く光っていた。服装は普段より地味な印象だが、所作からは隠しきれない品格が滲んでいる。

 

 

一方のバルガスは卓上に肘をつき、無造作に椅子へ跨っている。褐色の肌と筋骨隆々たる体躯は、宿の個室には似つかわしくない。羽織った厚手の革ジャケットは酒場の煤で汚れていた。

 

 

そしてレオン——漆黒の髪に闇を凝縮したような瞳が揺れている。いつもの無愛想な表情はそのままに、視線だけが卓上の一点を見つめていた。静かな佇まいだが、その内側から覗く闘志は隠しきれない。

 

 

 

ギルバートがグラスを卓に置いた。硬質な音が静かに響く。

 

 

「それではまずアリスから」

 

 

4人の視線がアリスへ向かう。彼女はやや緊張した面持ちで皆を見回した。赤い髪が肩先で揺れ、同じく赤い瞳には微かな迷いが宿っている。

 

 

アリスはゆっくりと椅子を引き寄せ、座り直してから口を開いた。

 

 

「うん……教団で何度か錬金術の講習を行いました。結論から言えば特に不自然な点は見当たらなかったかな」

 

 

「講習や炊き出しの中で教団の教義を熱っぽく説いてたよ。貧しい人を中心に支持は広がってるみたいだったけど……。信者じゃない大半の人たちはポカンとしてて、あまり響いてない様子だったよ」

 

 

レオンが僅かに眉を動かした。その仕草に気づいたミーシャが軽く咳払いをし、視線で咎める。

 

 

ギルバートは肘を突いて前傾し、指先で卓の縁を叩く。

 

 

「ふうん……まあそんなところだろうね。錬金術の素養のある子を教団が勧誘しているような動きもなかったかい?」

 

 

アリスは一瞬視線を泳がせた。

 

 

「無作為に勧誘している印象だったなあ。そもそも初歩的な内容だったから才能の有無は測りにくいと思うよ」

 

 

「そうか」

 

 

ギルバートの返答はあくまで穏やかだ。だが次の言葉が出てこないことに違和感を覚え、彼女は黙ったまま下を向く。

 

 

「それと……」

 

 

声を詰まらせながら何かを言いかけるアリス。その脳裏にはあの金髪の少女——エマの姿が浮かんでいた。翡翠色の薔薇の刺青、深淵のように静かな微笑み。一言で語ればすべてが変わるのではないか。だが教団と少女個人のつながりは不明瞭であり、下手に晒せば逆に彼女が危険に晒される可能性もある。

 

 

レオンが気づく。剣士特有の鋭さで僅かな緊張を見逃さない。

 

 

「……どうした。何かあったのか」

 

 

静かだが深みのある声が響く。レオンは卓から身を乗り出し、真剣な眼差しでアリスを見つめた。黒曜石の如き瞳に灯る心配の色。アリスはそれに気付きながらも首を振った。

 

 

「んー。いや、それ以上はないかな。母親思いの子どもがいてね。可愛かったなー」

 

 

レオンは溜息まじりに頭を掻いた。

 

 

「そうか」

 

 

その口調には呆れが滲んでいる。アリスは苦笑しながら肩を竦めた。

 

 

(うん。やっぱりエマちゃんのことは言わなくていいよね。教団とは直接関わりはないみたいだし……変に目を付けられてもかわいそうだしね)

 

 

ギルバートはワインに口を付けて、視線を動かした。

 

 

「よし。じゃあ次はミーシャとレオンだ」

 

 

ミーシャは姿勢を正すと顎を少し上げた。

 

 

「街宣も炊き出しも特に違和感はなかったわ。教義は安っぽくて鬱陶しいけどね。ただ……」

 

 

その言葉尻にレオンが手を添えるように口を開いた。彼の動作は無駄がなく、常に最短距離で要所を突く。

 

 

「炊き出しの際に、体調の悪い者や痛みを訴えるものには鎮痛剤を配っていたようだ」

 

 

レオンが卓上に黄色っぽい粉末状の小さな袋を取り出した。袋の口紐を解くと微かな芳香が漂った。だが、甘さの中に独特な苦みが混じっていた。バルガスが顔をしかめた。

 

 

「へぇ……それは本当にただの痛み止めなのかい」

 

 

ギルバートが袋を手に取り、透かして見る。中には黄土色の粉が僅かに残っている。

 

 

「一応調べてもらったけど間違いないわ。成分は粗悪だけど、非合法品とは言えないわね」

 

 

ミーシャは鞄から羊皮紙の検査結果を取り出しギルバートに差し出した。数字は劣悪な品質を示唆しているが法には触れていない。ギルバートは短く嘆息する。

 

 

「ふーん……」

 

 

アリスはその粉末と検査結果を見比べ、小さく息を漏らした。その色彩や質感に何か不自然な点がないか探ってみたが、劣悪な品質という結果以上の相違は見当たらなかった。

 

「現状は問題はないが、今後粗悪品に切り替わったり健康被害が出ないとも限らないね。報告書には記載しておこう」

 

 

ギルバートは羊皮紙を畳んで懐に戻した。

 

 

「じゃあ最後にバルガスだ」

 

 

バルガスは椅子の背もたれを軋ませるように倒したまま、大きな掌で顎髭を擦る。

 

 

「おう」

 

 

バルガスがのんびりとした口調で応じる。だがその口調とは裏腹に目付きは鋭い。

 

 

「賭場自体は別に変な感じはなかったぜ。酒場もだ。ただなあ……」

 

 

「なによ。気づいたことがあるなら言いなさい」

 

 

ミーシャが苛立ちを隠さず詰め寄る。バルガスは鬱陶しそうに顎鬚から手を放し、頭を掻きながら口を開いた。

 

 

「テラ銭が妙に安いんだよな」

 

 

アリスが首を傾げる。

 

 

「テラ銭って何?」

 

 

「胴元の取り分だよ。例えばコイントスで勝って銀貨10枚儲けたら、普通の賭場なら1枚はテラ銭で持ってかれる。だが、あそこは銅貨1枚でいい。10分の1しか取らねえんだよ」

 

 

バルガスは掌に乗せた数枚の硬貨をカラカラと鳴らした。

 

 

ミーシャは目を細めて、

 

 

「何よそれ。安かろうとそんなの取られてる時点で絶対勝てないじゃない。なんでそんな馬鹿みたいな博打やるのよ」

 

 

と呆れたように言う。バルガスは大袈裟に肩を怒らせた。

 

 

「ああ!?勘が冴えりゃあ勝てるだろうがよ!」

 

 

「そういうことじゃないわよ馬鹿」

 

 

ミーシャがテーブルを軽く叩き、背筋を伸ばして身構えた。バルガスもコインを握りしめ、応戦するように座り直した。二人の間に火花が散るような空気が走った。

 

 

「まあまあ」

 

 

ギルバートが手を上げて制する。

 

 

軋むような雰囲気は霧散したが、バルガスは鼻を鳴らす。

 

 

「良心的ってことなのかな」

 

 

アリスが小声で呟く。しかしその声はしっかりと部屋に届く。ギルバートはゆっくりとグラスを持ち上げて揺らした。

 

 

「薄利多売にして勢力の拡大を狙っているのかもね」

 

 

レオンが重い口を開く。

 

 

「……賭場の開帳には税を納める必要がなかったか。そのテラ銭では税以前に人件費も賄えなさそうだが」

 

 

彼の言葉にミーシャが反応する。

 

 

「あの辺りは商業ギルドの統制外だったはずよ。だから税率はこの辺よりも低いはずだけど……」

 

 

アリスも口を開く。

 

 

「商売敵を潰してその後に値上げをするつもりとか?」

 

 

ギルバートは暫く虚空を見つめていたが、やがて肩を竦めてグラスを置いた。

 

 

「なるほど。囲い込みの戦略か。しかしいずれにしろまだ現時点では『サービス精神旺盛な賭場』でしかないか……。この報告はひとまず見送ろう」

 

 

(……テラ銭のことは大事な気がするけど)

 

 

アリスは口籠もった。気になることはある。しかし、これ以上教団の深部に突っ込んで調査が長引けば、自分がスキルを使ったことが露見するかもしれない。しかもそれはミーシャやギルバートの忠告に背いた行為でもあった。

 

 

レオンが視線でアリスの微妙な動揺を追っているが何も言わない。ミーシャは椅子に背を預け完全に口を噤んでいた。バルガスは既に興味を失ったようにテーブル上の硬貨を弄んでいる。

 

 

ギルバートは卓上をそっと撫でるように手を這わせ、一度ゆっくりと瞑目した。瞼の裏に映るものを見透かすように。そして瞼を開けると再び穏やかな口調に戻った。

 

 

「こんなところかな。ひとまずこれで一次調査は終了にして、王都から追加の調査依頼が入るかどうか様子を見よう」

 

 

部屋に一瞬の沈黙が降りた。魔石灯の揺らめきだけが、壁に幽かな影を作る。バルガスが硬貨をパチンと弾いて遊びはじめた。ミーシャはもう話に飽きたとばかりに脚を組み替えた。レオンは沈黙のまま視線を落とし続ける。アリスは膝に置いた拳を軽く握りしめていた。

 

 

ギルバートが立ち上がり、「解散」を告げた。

 

 

 

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