朝の光はまだ街を低く照らしている。アリスとレオンはいつもの訓練場跡に立っていた。草露に濡れた地面が靴底に張り付き、空気はひんやりと肌に沁みる。冬が近づいているのか、吐く息が白くなり始めていた。
「やぁ!」
木剣を振り下ろしたアリスの動きは、一見それなりに見えた。体重を乗せ、剣先が斜めに弧を描く。しかしレオンの木の枝はその軌道をいとも簡単にいなした。
「肘が伸びきっている」
ぱちん、と小さく音を立てて、枝の先がアリスの頭を軽く叩く。
「痛っ! もう……全然上達しないなあ」
アリスは片手で額を押さえながら口をとがらせた。レオンはその様子を眺めつつ苦笑する。
「形にはなってきているぞ」
「えっ? 本当?」
アリスは目を輝かせレオンを見上げた。
「ああ。宿の女将とは良い勝負ができるだろう」
「一般女性レベル!?」
笑い声が訓練場に広がる。実戦形式となるとまだまだ話にならない。それでもアリスは諦めず何度でも剣を握り直す。レオンもまたその粘り強さを理解しているのか無茶な要求はせず丁寧に指導を続けた。
一通りの打ち込みを終えると小休止に入る。レオンは切り株に腰を下ろした。
「アリスはレアスキル以外で得意魔法は
「うん。攻撃魔法も一応使えるけど威力も低いし詠唱も遅いよ。レオンは
「そのくらいだな。俺も魔法は苦手だ。後は
「あたしは
「慣れや恐怖心の克服は必要だ。しかし高位の魔法だけがすべてじゃない」
レオンが懐から小さな石を取り出した。それは薄く透明感のある青白い結晶で高級魔石のような深い輝きや重みはない。
「……それ、低級魔石だよね」
「ああ」
レオンは頷きながら石を掌に載せた。
「高級魔石とは違う。誰が使っても出力はほぼ同じだ。詠唱も術式もいらない。強い意思と魔石を砕く覚悟だけで発動する」
ぽつりと石が光り小さな炎がその上で揺らめいた。弱い一瞬の火。それでも尊い灯のように感じられた。
「低級魔石のおかげで湯も沸かせるし傷口も洗い流せる。夜道にも灯りが持てる。大した力じゃないと思えるかもしれんが……」
「命を救う瞬間もあるってことでしょ」
「そうだ」
レオンが炎を消すと石は粉となって風に舞い落ちた。ふと静寂が広がる。
————この世界で魔法を戦略兵器として操れる人間は国民の10%ほどに限られ、その大半が貴族階級の子女である。高級魔石は素養を増幅させるが、素養のない者が使っても威力は出ない。複雑な詠唱を脳内で描くことも困難だ。そのため格差の象徴として機能している。
対して低級魔石は誰でも扱える。詠唱不要。素養ゼロでも一定の出力が出る。産出量も多くコストも安価だ。
素養を実体化する高級魔石が『不平等の石』と揶揄される一方で、低級魔石は『万人の石』と呼ばれ、庶民にも不足なく供給されている。
だからこそ革命が起きなかった。無論貧困に苦しむ者もいる。しかし魔法を使える者が危険な区域を探索し高級魔石や低級魔石を供給する。低級魔石により飢えず凍えず、傷も癒せる日常インフラが普及した今「衣食住に不自由していないならそれで十分だろう」と大多数が無意識に刷り込まれている。
実際この国の生活水準は「水道水を安全に飲める」「誰でも入れる医療設備がある」「都市交通が存在する」点で現代日本とさほど大差ない。だが衣食住が満ちた先にある渇望——「他者より優れた存在になりたい」「素養がない自分を認めてほしい」といった決して満ちない劣等感こそがこの国の病理だった。————
「低級魔石も捨てたもんじゃないだろ」
レオンが砂塵となった石を払いながら言う。アリスは静かに頷いた。
「さあ休憩は終わりだ。実戦訓練をやるぞ。アリスは
「うん。相手はレオン?」
「いや、相手が俺ばかりでは経験は積めない。ゲストを呼んだ」
「えっ? ゲストって」
その時後ろから巨躯の男が現れる。バルガスだ。全身に筋肉をまとったその姿は近くで見ると一層圧倒される。
「おう! レオンに頼まれて来てやったぜ」
「えっ? 相手ってバルガス!?」
「そうだ。相手が大男のこともあるだろう。
レオンは当然のように言い、バルガスはにやっと笑って拳を鳴らした。
「おうよ! 嬢ちゃん俺様の全力の拳を受け止めろや!」
「ちょちょっと待っ……きゃああ!」
結果は散々だった。なんとか躱せたのは最初の一撃だけ。その後5回ほど吹き飛ばされ、防護が砕けた後のアリスの猛抗議によりその日の訓練は打ち切りとなった。
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その日の昼下がり、訓練が終わったアリスとレオンが宿の1階でミーシャを待っていた。アリスが紅茶にミルクを入れていると宿の女将が話しかけてくる。
「あら今日は二人でおでかけ?」
「いえ、今もう一人を待っているところで」
「そうなの。そういえば主人が話してたんだけど、貴族の娘さんの失踪が増えてるらしいわ……お金持ちでも色々あるのねえ」
女将は心配そうに眉を寄せながら言った。
「年頃の娘だからな。悩みや反発もある。それに男のところかもしれんぞ」
レオンが無遠慮にボソリと言った。
「レオンはちょおっとデリカシーに欠けるなあ」
「しかしあり得るだろう」
レオンはぶっきらぼうに返す。アリスはため息をつきながらも同意した。
「まあそうだけどさ……」
話しているうちにミーシャが2階から降りてきた。赤い派手な色合いのドレスをまとっており髪も華やかにセットされている。その姿にレオンが思わず視線を向ける。
「準備できたわよ。待たせたわね」
「……随分派手だな。」
「サロンは見栄と虚栄の舞台よ。私が一番豪華じゃないと話ができないの」
ミーシャは腕を組みながら胸を張った。その態度にレオンは顔をしかめた。
「さてと。ロベリアには私とアリスで行くわ。商店の調査はレオンが担当ね」
レオンは「ああ」と返して、
「俺はそのサロンには入れん。気を付けろよ」
「うん。レオンも気を付けて」
「ミーシャも油断するなよ」
レオンはミーシャに視線を向ける。
「誰に口きいてんのよ。そっちこそ重石を付けられて湖の底でお昼寝……なんてことにならないようにね」
重めの軽口にアリスは苦笑し、レオンはわずかに眉を寄せた。レオンがふと思い出したように問う。
「ところでギルバートはどうした? まだ不在なのか」
「ああ。忘れてたわ。そういえば通信鳩が来てたわね」
ミーシャが懐から手紙を取り出し開く。
「『治安悪化についての貴族会議』が終わったら帰還するそうよ。もう少し時間がかかりそうね」
レオンは一つ頷いて椅子を立ち上がった。
「用心だけは怠るな」
アリスとミーシャも頷き返し別々の方向へ踏み出した。
---
王都南街区の一角に建つサロン「ロベリア」に到着した。館は白壁に
「さすが高級サロン……圧巻だね」
「馴染みが薄いと浮くから控えめに行動しなさい」
「おっけー」
サロンに入ると使用人が深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました、ミーシャ様。本日もお変わりなく麗しいお姿で。どのようなご用件でございましょうか。」
「ええ。今日は新しい化粧品を見たくて」
アリスも軽く会釈する。アリスの服装はサロンに合わせて控えめなドレスにしており、髪もミーシャに整えてもらっていた。レオンに見せたら「動きづらそうだな」と一言だけ返ってきたことを思い出して笑いを堪えた。
「お連れ様は……」
「知人よ。お目当ての商品があると言っててね」
「承知いたしました。ささどうぞこちらへ」
ホールを抜け奥の応接室へと案内される。ソファーは艶やかなベロア張り。卓上には銀細工の花瓶に色とりどりのが飾られていた。香水瓶やアクセサリーのサンプルが並ぶ陳列台を挟んでアリスは視線を動かす。何か不審なものが見られないかと探るも陳列台には違和感はない。
ふと壁にかけられた風景画が目に入る。青い花が咲き誇る高原。サロンの名にちなんだものだろうか? 細部が異様に緻密に描かれており引き込まれるような絵画だった。青い花弁は儚げでその色彩がどこか不安を呼び覚ます。
やがて店の支配人が姿を現した。黒衣に身を包んだ長身の男性で端正な顔立ちは商売人というよりは貴族に仕える従者のように思えた。細い
「お待たせ致しました。わたくしロベリアの支配人をしておりますクラヴィスと申します」
「ミーシャ=スティアート。よろしく」
支配人クラヴィスは
「そちらのお嬢様は?」
「私の友人よ。アリス=クロスハート。遠方の領地から最近王都に来ててね。ロベリアの商品を見たいというから連れてきたのよ」
「そうでしたか。それは光栄です」
その後は人気商品の説明を受けたり試供品を使ってみたり。支配人の振る舞いは丁寧だが、どこか完璧すぎるような人間味を感じさせない冷たさを覚える。支配人が話し込んでいたミーシャがアリスに目配せをする。アリスはお手洗いを立つという口実で席を立った。
トイレへの道すがら、サロン内を不自然にならない程度に見渡した。やはり店内に大きな違和感はない。だがホールから外れたところに階下に降りる階段が見えた。近くに行こうとすると、使用人に「お客様そちらは立ち入り禁止でして」と言われて止められた。
ミーシャのところへ戻る時、他の客の声が聞こえてきた。
「新商品の化粧水はとても良いわ。肌が10歳は若返ったみたい。香水も不思議と気分が落ち着くし……他の店と何が違うのかしら」
「ありがとうございます。当サロン独自の工夫をしておりまして。工夫は企業秘密ですが……喜んでいただけて何よりです」
(……ふーん)
化粧品に対するありふれた誉め言葉に定型文のような企業秘密。しかしなんとなく気になった。
ミーシャのところに戻る。
「あの。新商品の化粧水と香水って頂けますか」
支配人は柔らかく微笑んだ。
「これはお目が早い。当サロンが自信をもっておすすめする品です。本来であれば常連様にしかお渡しできませんが伯爵令嬢のご友人でしたら特別にご用意致しましょう」
「ありがとうございます」
支配人も話を終えていなくなる。先ほどの新商品の他に何点か購入しサロンを出た。
「どう。何か収穫はあった?」
「うーん、まだよく分からないな……」
「そんなものよ。レオンはどうかしらね」
サロンから出てしばらく歩いたところで、ミーシャが突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「尾けられてるわね。気配が薄いけど……3人くらい?」
アリスはまだ気づいていなかった。
「えっ! どこ?」
「さっきの路地を左に曲がったあたり。どうする?宿にまっすぐ帰る?それとも撒く?」
「撒こう! 怖いもん!」
二人は足を速め路地を抜け裏道へ入っていく。背後では誰かが急いで追ってくる音が聞こえた。