宿の奥、唯一の個室には微かな緊張が漂っていた。
ギルバートはいつもの柔和な笑みを湛えていた。バルガスは肘をつき大きな欠伸を噛み殺す。レオンは背筋を伸ばし目を閉じている。ミーシャは紅茶のカップの柄をいじりながらテーブルに視線を落とし、アリスは窓の外をちらちら見ている。
「……おい」
最初に口を開いたのはバルガスだった。欠伸を噛み殺しながら、テーブルを叩くようにして身を乗り出す。
「お前ら随分と神妙な顔してるじゃねえか。やっぱ何か隠してるよな?」
ミーシャとレオンがぴたりと視線を止めた。一瞬の間をおいて口を開いたのはレオンだった。
「そういうわけじゃない」
「何を隠すのよ。アンタの勘違いでしょ」
ミーシャが淡々と言い添えるが声音にはいつもの挑発色が薄い。バルガスは大仰に鼻を鳴らした。
「勘違いかあ? さっきからアリスの嬢ちゃんがずっと落ち着きないんだがよ」
「えっ!? 別に普通だよ!」
慌てて右手を左右に振る。左手の台座だけになった指輪がきらりと光った。
バルガスはアリスの様子をじっと見た後、
「まあいいけどよお」
と肩をすくめた。
ギルバートが静かに口を開く。
「さて、度々集まってもらってすまないね」
バルガスがまた大欠伸をする。しかし誰も咎めるものはいない。
「本来なら貴族会議の結果を共有するためだったが――」
そこでギルバートの声が一段低くなった。
「まず緊急性の高い事柄から行こう」
その視線がゆっくりとミーシャとアリスへ向かう。アリスは反射的に肩をすくめそうになり堪えた。
「今日の夕方、南街区の外れでミーシャとアリスが暴漢に襲われた」
その言葉に眠そうだったバルガスの瞼がぱちりと開ききった。レオンも眉をわずかに動かす。
「本当かよ嬢ちゃん達」
バルガスの問いにミーシャが軽く鼻を鳴らす。
「幸い暴漢も鎮圧できて大きな負傷等もなかった。そうだね?」
ギルバートが確認するように問いかけると、ミーシャはそっけなく答えた。
「当然よ」
アリスも頷く。
「うん」
バルガスは片手で顎をさする。
「そりゃ何よりだ。しかし南街区って言やあ貴族街の辺りだろ? ガラの悪い奴らがいるとこじゃねえけどなあ」
レオンがギルバートの方を見て静かに告げる。
「それだけじゃないだろう?」
ギルバートが頷く。
「ああ。その暴漢たちは魔法を行使していた。かなり拙い魔法だったが高級魔石を使った高位のものだ」
アリスが手を挙げて補足するように言った。
「うん。
「へえ……」
ギルバートは感心したように声を漏らした。
「マジかよ」
バルガスは眉根を寄せて唸った。レオンが言葉を継いだ。
「平民の中で魔法を使える者が悪事に手を染めているということか」
「貴族家系の放蕩息子じゃねえのか? 俺みてえによお」
バルガスが茶化すように言うと、ミーシャが辛辣に評した。
「身なりも見るに堪えない連中だったわ。貴族の出身とはとても思えないわね」
バルガスは首をひねる。
「そんな身なりの連中に高え魔石が買えるもんかねえ。それ売って酒でも飲みに行けばいいじゃねえか」
レオンが即座に補足する。
「安価に魔石を供給している者がいるということだろう」
「そうだろうけどよお……金持ってなさそうなチンピラにサービスしてどうすんだよ。お得意様にはなりえねえだろ」
バルガスのぼやきに一同が押し黙る。
ギルバートが淡々と話を戻した。
「実は貴族会議の内容もそれに関連したものでね。昨今の治安悪化、特に貴族の子女が行方不明になる事態が増えているとのことだ」
彼は指先でテーブルを軽く叩く。
「親族との不和など失踪の兆候が見られなかった者も多数いる。おそらくは……ああいった暴漢たちの仕業だろうね」
「組織的なものってことね?」
ミーシャの短い確認にギルバートが頷く。
「そう推測されるね」
バルガスが頭をかいた。
「お上も心配性だなあ。俺なんざ家を出ても探しにも来ねえよ」
「アンタの場合は『いなくなっても問題ない』って放置されてるんでしょ」
「なんだと!?」
「まあまあ落ち着いて!」
バルガスが怒鳴り立ち上がりかけるのをアリスが慌てて制止する。
ギルバートも手を挙げ制した。
「とにかく。魔法の使用については貴族会議では言及されなかった……詳細は分からないが今後は単独行動はなるべく慎むように」
ギルバートがまとめると他のメンバーは了解するように頷く。
その時ミーシャがアリスの方をちらっと見た。アリスもその視線を察し小さく頷いた。
「ところで……暴漢達の掌に変な刺青があったの覚えてる?」
「うん、緑色の……薔薇?」
アリスがおずおずと答えると、ミーシャが腕を組んで言った。
「それよ。気になったから確認したいんだけど」
ギルバートが興味深げに眉を上げた。
「ほう?」
バルガスが退屈そうに言った。
「刺青なんか誰でも彫るだろ? ファッションじゃねえか」
レオンが静かに訂正する。
「場所によって意味が違う。掌の場合は儀式や犯罪組織の場合が多い」
アリスが記憶を探るように呟く。
「うん。無原罪の輪でも……講習してる時に似た刺青の人を見たかも」
「『かも』って? しっかり見たわけ?」
ミーシャが即座に突っ込むとアリスは慌てて手を振った。
「えっとその時は錬金術の器具をいじってて……集中してたから……! でも緑の薔薇のように見えたよ!」
わざとらしく器具をいじる動作を真似るアリスを見てレオンがさらりと問うた。
「……顔は?」
「え……えっとちょっと覚えてなくて」
アリスの声が尻すぼみになると、ギルバートがさらに促す。
「教団の関係者か一般人かも分からないかい?」
「ううん。ちょっと分からないかも」
曖昧な答えにミーシャはジト目でアリスを見つめ、レオンは窓の外へ視線を逸らす。ギルバートが訝しげな表情を浮かべたのを見て、ミーシャが助け船を出した。
「……講習中で周りに人が集まってたから姿まで見えなかったとか?」
「あ、うん! そう! いっぱい人来てたからさ」
アリスの顔がぱっと明るくなり、ミーシャは小さく嘆息した。
ギルバートが思考を巡らせるように額を指で押さえる。
「薔薇の刺青というのは確かに一般的だが……色が限定的で珍しいね」
彼の指先がテーブルの上を円を描くように滑る。
「特定の集団を示すシンボルかもしれない」
バルガスが苛立たしげに机を拳で叩いた。
「じれってえなあ、あの教団が怪しいことは間違いねえだろ。殴りこんで白状させちまえばいいじゃねえか」
ミーシャが冷たく切り返す。
「アンタの頭ほど世界は単純にできてないのよ」
「ああ!?」
ミーシャの辛辣な言葉にバルガスがまた吠えそうになるがギルバートが軽く制止する。
「まあまあ。しかし教団の関与の可能性は一理あるね」
ギルバートは少し間を置いて話を変えた。
「他に気が付いたことはないかい?」
ミーシャがギルバートを射るように見据えた。
「ちょっと待ちなさい、アンタはなんで南街区にいたのよ?」
「ああ」
ギルバートが短く返す。
「それも会議のつながりだよ。警備体制の強化のために、憲兵の巡回に帯同するように頼まれてね」
レオンが無表情に問うた。
「貴族会議が憲兵隊の帯同を指示することは滅多にない。なぜお前が?」
「緊急の事態だからね。人員が不足してるんだよ」
ギルバートがさらりと答えた。
「貴族会議の勅命なら他にも適任者はいたはずだが」
レオンの視線が鋭さを増す。
「憲兵隊に懇意にしている者がいてね。あの区画に失踪者が多いことは把握していたし、連携も取りやすいだろうとね」
「その憲兵とは誰だ?」
ギルバートはやや愉快そうに応じる。
「とても実直な方だよ。必要なら今度紹介しよう」
ミーシャが横槍を入れる。
「憲兵の巡回に帯同してたのに、真っ先に駆け付けたのはアンタだけだったわけ?」
「入り組んだ路地裏だっただろう? 手分けして探してたんだ」
ギルバートは肩をすくめて答える。
「アリスの悲鳴が聞こえたからね。これでも精一杯走ったんだよ」
「それは……ありがとう」
アリスが小さく礼を述べるとミーシャは鼻を鳴らした。
「ふん……まあいいわ」
ミーシャとレオンは納得し切ってない様子だったがそれ以上の追及はしなかった。沈黙が流れる中、ギルバートが話を戻した。
「まあしかし正確さは不十分だが……刺青の件は渡りに船と言える情報だよ」
ギルバートの言葉に、レオンが「何?」と短い言葉で問い返す。
「『無原罪の輪』の拡大と貴族子女の失踪は同時期でね。会議では関連を疑う声もあったんだ」
彼はポケットから一枚の書状を取り出しテーブルに置いた。
「そこで近々追加の調査依頼が来る予定だ。前回調査の内容が薄いとお叱りも受けていてね。今回はより深部まで調査を行えとのお達しだ」
書状には公爵家紋章と署名が朱色の蝋で封印されていた。
バルガスが嫌そうに唸る。
「またかよ……今度は何調べりゃいいんだ?」
「教団の内部資料や資金流通の詳細を調べる必要があるね」
ギルバートは落ち着き払って続ける。
「それは単なる調査では無理だろう。潜入が必要になる」
レオンが指摘すると、ミーシャは皮肉げに笑った。
「相応の報酬はもらわないとね」
ギルバートはにこやかに請け合った。
「それなりには保証するさ」
レオンがギルバートを見据える。
「……潜入の配置は考慮しろ」
レオンが低い声で念を押す。
「単独潜入はないように」
「もちろんさ。メンバーの無事が第一だからね」
ギルバートはごく当たり前のように微笑む。夜風が窓をかすめガタガタと物音を立てた。