ミーシャとアリスが路地裏で暴漢に襲われる数刻前――王都の議事堂の円卓はいつも通り
パーティのリーダーであるギルバート=グランツが座るのは、重鎮たちが並ぶ円卓とは別の卓――貴族会議の末席だった。
「貴族子女の失踪は依然として増加傾向にあります」
重々しい声は老いた憲兵長官のものだった。彼はゆっくりと羊皮紙を捲り上げた。
「最新の報告によれば……南街区でヴェルデュール侯爵家の令嬢の足取りが途絶えているとのことです」
老人たちの表情が一様に陰った。
「なんと……」
灰色の長髪をたくわえた老貴族が呟いた。口を覆う灰色の髭も僅かに揺れている。
「痛ましいことだ。嫡男でなかったことは何よりだが」
そう言ったのは卓の中心に座る老人――元老と呼ばれる人物だった。深い
老貴族たちは互いに視線を交わし合いながらも誰も反論はしなかった。しばしの静寂の後で端席にいる恰幅のよい老貴族が語気を荒げた。
「何よりだと? あれは私の孫娘だぞ!?」
その声は抑えきれない憤怒に満ちていた。しかし元老はその貴族を
「儂の言葉を深く受け止めなさい。嘆いても娘は戻らぬ。血を残すことを考えよ」
その声色は優しく慈悲すら感じさせるものだったが、冷えた氷のような空気が室内に広がった。
ギルバートは無言で杯を見つめた。透明なぶどう酒の水面はわずかに波打ったが、すぐに静かな凪に戻った。
「以後の対応は」
灰髪の老貴族が静かに問うと、憲兵長官は姿勢を正して答える。
「憲兵の巡回を増員させます。件の教団への調査も進めねばなりません。現在貴族子弟の失踪事件により適任者が不足しておりますが……資源確保と並行で進めます」
老貴族が眉をひそめる。
「資源の供給に支障が出るのか」
憲兵長官は首を振る。
「現状では資源不足の懸念はございません」
その回答に灰髪の老貴族が無言で頷いた。
「よろしい。本日の会議はここまで」
元老のその一言で会議の終了が告げられると、議事堂を支配していた静寂は姿を消した。ギルバートはその喧騒に交わることなく、
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宿での会議から一夜明けた朝、アリスとレオンは中央街の市場へと向かっていた。日用品と教団への潜入に必要な物資の買い出しだった。
程なくして青果から穀物、薬草まで幅広く扱う店に到着する。
「何買っとく?」
アリスは腕を大きく広げて商品を見るように言った。普段の冒険者装束に近い落ち着いたローブ姿で赤髪を後ろで結っている。
「非常食や緊急時の解毒薬も用意しておきたい。一通り揃えよう」
レオンは淡々と答えながら視線を巡らす。
「おーけー」
アリスは嬉しそうに頷き早速店の中に入っていく。早朝の市場らしく棚は商品で溢れており、店の主人も忙しそうに働いている。
「えーっと……これは保存期間が長いからいいかな……」
アリスは乾燥果物や薬草を選びながら楽しそうに鼻歌を口ずさんでいる。一方レオンは彼女の後ろから品質のよさそうな物を選び取っていた。
ふとアリスが足を止めた。
「どうした」
「ううん……あれ?」
彼女の視線の先には店の軒先に並べられた青果の
「おつかいかな?」
アリスが呟くとレオンが低い声で返した。
「いや……手さばきがおかしい。盗みかもしれん」
「そうかな……ちょっと話しかけてみるね」
「用心しろ」
アリスとレオンは少女に近づく。近づくにつれてその姿がはっきりしてきた。小柄な黒髪の少女だ。
「ねぇ……あなた」
アリスが優しく話しかけると、少女はびくりと肩を震わせて顔を上げた。
その瞬間、アリスは息を飲んだ。
「えっ……!?」
路地裏で救った黒髪の少女だった。おそらく幻影粉中毒に苦しんでいた女の子。
「あなた……確かエマと一緒にいた……」
「っ!」
アリスが言いかけたところで少女は怯えて逃走した。樽に盛られていた果物がこぼれた。
「おい! 待て!」
レオンは素早く一歩踏み出すが、両手に抱えた商品が足を止めさせた。アリスも籠を抱えたまま後を追おうとしたがすぐに断念した。
「やむを得ん」
レオンは足元に転がった果物を拾い上げ、樽に戻しながら呟いた。アリスはその場で呆然としていたが、やがて顔を上げてぽつりと言った。
「エマちゃんは『あの子は元気になった』って……大丈夫なのかな」
「走る体力はあるようだ。身の上までは分からんがな」
果物を樽に戻し終えたレオンが淡々とした口調で答えた。
(そういえばあの子の名前教えてもらってないな……)
アリスはもやもやした感情を抱えたまま買い出しを終えて店を出た。市場を離れ、宿へと足を向けた頃には陽が高く上がっていた。
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夕暮れに差し掛かると、宿の1階の酒場から少しずつ賑わいの声が聞こえてきた。厨房から香ばしいロースト肉の匂いが漂ってくる。
物資の整理を終えたアリスとレオンが酒場に行くと、珍しくミーシャも腰掛けていた。ショートヘアの茶髪は丁寧に整えられていて、薄紫の上着から覗く肌は雪のように白い。
「また怪しいカルトの調査とはね……。おまけに原生区域の探索も同時にこなせですって。やってられないわよ」
ミーシャはぶどう酒の入ったグラスを傾けながら不満げに言った。
レオンはパン籠から黒パンを取り上げながら答える。
「原生区域は戦略物資の供給源だからな。緊急性の高い調査とはいえ、探索を滞らせるわけにはいかないということだろう」
ミーシャはむっとした顔で腕を組んだ。
「私はこれでも伯爵令嬢よ? もうちょっと労わってほしいわね」
アリスが赤い髪の先を指で弄りながら口を挟んだ。
「そもそもさぁ、伯爵家のお嬢様が原生区域や潜入調査とか危なくない?」
ミーシャは溜息をついた。
「それが普通なのよ」
レオンがパンを半分に割りながら補足する。
「血筋の本流でなければそんなものだ。家を継げない者の宿命だな」
アリスは「へぇ」と声を漏らした後、少し考えるような仕草をした。
「世知辛いねえ。レオンは末っ子だったっけ? 家は大きい農地の領主だよね」
「三男だ。元々農耕にあまり興味はないがな」
レオンの答えは平淡で、それが日常の一部分であったかのようだった。
アリスは湯気立つスープをスプーンで掬いながら言った。
「あたしの家もお兄ちゃんが継ぐかなぁ、でもミーシャやレオンと一緒にいれて楽しいよ」
「アンタ達と話してると悩みが馬鹿らしくなるわね」
明け透けなアリスの言葉にミーシャは毒気を抜かれたようだった。レオンも微かに笑う。
アリスは笑顔で応じた。
「あはは、無事に乗り切ろうね」
ミーシャはふっと肩を落とす。
「まったく……」
ぶどう酒の残りを喉に流し込んで深々と吐息を零す。窓越しに見える陽光は徐々に茜色に変わり、宿全体を柔らかく染めていった。
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黄昏の頃、北街区の平民街にある教団支部の片隅には古ぼけた小屋があった。
小屋の部屋は薄暗く、魔力の切れかけた魔石灯で頼りなく照らされている。古い家具や道具が多く積み上げられており生活感を感じない独特な空間だった。
部屋の椅子に座る金髪の少女は黒髪の少女を見つめていた。黒髪の少女の表情は暗く目には涙が溜まっている。
「言ったでしょ……関係ない人に関わらないでって。それにお金は与えてるでしょ」
金髪の少女の声には冷たい響きがあった。その瞳は黒髪の少女をじっと見つめているが、感情というものはほとんど感じられない。
黒髪の少女は怯えた表情で答えた。
「ご……ごめん。『クロエ』」
その言葉に彼女はわずかに眉をひそめる。
「……ここでは『エマ』」
金髪の少女が黒髪の少女を諫める。少女の手の甲にある翡翠色の薔薇の刺青が夕日に照らされて紅く浮かび上がっていた。