次回からはパーティメンバーの深掘りしていく予定です。
あの日から三日目の昼だった。夜間から降っていた雨も夜明けには上がり、アルフィリアの空気は相変わらず乾燥していたが、原生地域に近づくにつれて地肌の色が濃くなり、草の匂いが強くなる。パーティは新たな依頼を受け、未踏の原生地域の下見に向かっていた。正式な探索はこれからだが、危険度を見極める偵察が必要とされた。
「アリス、ちょっと歩き辛くない?」
ミーシャが装飾過多なステッキを振りながら言った。町で買ったらしい新しいバレッタが、短い茶髪に留められている。
「平気だよ。ありがと」
アリスは短く答えた。赤髪は普段よりきつく結い上げ、額に汗が浮かんでいた。原生地域の気候は予測が難しく、防護(プロテクション)の負担も通常より重い。
前を歩くギルバートが立ち止まり、手をかざして遠景を眺めた。陽射しを受けて金髪が眩しい。
「防護が切れてきてるね。君の魔法の効果を考えると……もうそろそろ頃合いじゃないかい?」
振り返る彼の瞳はいつものように涼しげだが、声の抑揚に微かな急かしが含まれている。バルガスは背後で巨大なナップサックを揺らし、舌打ち混じりに言った。
「さっさと掛け直してくれよ。俺様が怪我したらどっちが大損かわかんねえぞ」
「オーケー。ちょっと待ってね」
アリスは足を止め、腰帯に提げた魔石ケースに手を伸ばした。中から親指大の水晶を取り出し――その瞬間だった。
茂みの奥で枝が激しく軋み、湿った土を叩く音が走る。
(来る……!)
本能的な危機信号、身体が先に反応する。視界の端に灰色の陰。アリスはとっさにミーシャを抱きかかえるように飛びついた。
「きゃあっ!?」
叫び声と同時にアリスの左大腿が灼ける痛みに覆われた。鋭利な爪が肉を抉った感触。赤黒い血が腿を伝い落ちる。
「アリス!!」
レオンの咆哮が響く。振り返ると中型の獣――犬と狼の中間のような四肢を持ち、鋭角に曲がった双角を戴く魔獣“ジャックル”。獲物を見定めつつ再度飛びかかる姿勢だ。
「オラァ!」バルガスが大きく踏み込んで魔獣を殴りつける。
少し遅れてレオンが高速で剣を抜き、剣技を叩き込む。
斬撃がジャックルを飲み込む。次の瞬間には黒ずんだ毛束と角の欠片、肉塊だけが散乱していた。
「……あんた」ミーシャが駆け寄り、震える指先でアリスの膝裏を支える。
「ごめん……ごめんなさい……」
アリスは荒い呼吸で頷き、自らの掌を患部に押し当てた。右手から溢れる温かな緋色の光。出血は治まったが、創傷は深い。アリスは苦悶を噛み殺すように息を吸う。
「大丈夫……この程度なら……自分で……」
しかし血の気は急速に引いていく。視界が暗くなる寸前、レオンが肩を貸してくれた。
「撤退しよう。防護なしで探索は危険すぎる」
ギルバートが冷たい眼差しで周囲を見渡し、パーティを引き揚げさせた。
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宿に戻り、アリスの部屋で即席の治療を施す。医療用低級魔石で消毒を施し、傷口に膏薬を塗布する。レオンが器用に包帯を巻く間、アリスは窓辺の椅子にもたれ天井を見上げていた。夕暮れの茜色が雲に映る。
バルガスが水瓶を持って戻り、「痛ぇよなぁ」と嘆息しながらテーブルに置いた。
「ミーシャが怪我しちまったら泣き喚くどころじゃねぇぜ」
「ちょっと!私がいつ泣き喚いたって!?」
ミーシャは口を尖らせたが、声は弱々しい。アリスが苦笑すると、ギルバートが軽く咳払いして会話を遮った。
「アリス、傷は大丈夫かい?」
「ええ……すぐ塞がると思う」
「そう。よかった。君の存在はパーティにとって生命線だからね」
ギルバートは椅子を引き寄せ、穏やかに続けた。
「だけど今日の行動は迂闊すぎる。いくらでも替えの利くレオンやバルガスとは違って、君は替えが利かないんだ。無駄にリスクを負って欲しくない」
バルガスがにやりと笑う。「ガハハ! そうだぜ! 危ないことぁ全部俺様かレオンに押し付けてりゃいいんだ」
「そっ……そうよ! あんたが庇わなくたってこの脳筋どもにやらせればよかったのに!」ミーシャが慌てて追随するが、言葉尻に罪悪感が滲む。
レオンは無言で包帯を固定したまま、微かに顎を引いた。
部屋に重い沈黙が流れる。アリスは俯き、拳を軽く握り込んだ。
「違うよ」
「何?」ギルバートが問い返す。
「替えが効くとか効かないとか……そういう話じゃないと思う」
「ではどういう話なんだい?」
ギルバートの声が一段階低くなった。ミーシャが驚いて目を見開き、バルガスも髭を弄る手を止める。
「それは……」
言葉を選ぼうとした瞬間、レオンが口を挟んだ。
「アリス」
彼は包帯を巻き終えると静かに立ち上がった。
「ギルバート、今は治療が優先だ。続きは明日以降でいいだろう」
アリスは一拍置いて小さく頷いた。
「……ごめんなさい。言い過ぎたかも」
ギルバートは浅く溜め息をつくと「分かればいいさ」と席を立つ。「今日はもう休もう。各自部屋に戻るよ」
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夕暮れの廊下を引き揚げる足音が遠ざかり、部屋にはアリスとレオンだけが残された。レオンは椅子に腰を下ろし、アリスの顔色を伺う。
「無理をするな」
「……ありがと」
「だがお前の判断は危うい。ギルバートの言うことも間違いじゃない」
「分かってる。けど……ああするしかなかった」
アリスは膝上の包帯を見つめた。血がまだ乾ききっていない。
「もし私があそこで何もしなかったら……ミーシャはもっと酷い怪我をしてたかもしれない。死んでたかもしれない。それで良かったの?」
「重篤な事態になる前には俺やバルガスが間に合っただろう。問題はそこじゃない」
「でも……でもね……」アリスは視線を上げた。「私たちの命って、本当はどれも平等なんだよ。誰かが特別だって前提で動いたら、きっといつか取り返しがつかない失敗をする」
レオンの表情が硬くなった。彼は言葉を探すように視線を泳がせる。
「……お前が何を言ってるのか分からん。俺はただ……お前が大事なヒーラーだって意味で──」
「違うよ」アリスは首を振る。「ヒーラーだから大事で、剣士や格闘家だから死んでいいってわけじゃない。私は『アリス』で、あなたは『レオン』って名前の、一人の大切な人間。それだけ」
「……」
沈黙。互いの息遣いが部屋の静寂に溶けていった。
「とにかく休め」レオンは立ち上がり、荷物をまとめる。「明日は探索は休みだ。今晩は安静にしていろ」
「うん……ありがとう」
レオンが部屋から出ると、アリスは窓を開けた。夜になる前の深い紫色の空に星が輝き始めている。夜風が包帯を撫で、痺れるような疼痛を伴った。
「なんでこうなっちゃうんだろう……」
アリスは呟き、右手を胸に押し当てた。この世界の基準と自分がズレていることは分かる。それでも今日、自分は確かに一人の仲間を守った。それが正しいなら、なぜこうも胸が痛むのか。
「……変えられるよね、きっと」
その囁きは誰にも届かず、夜風に攫われていった。