人柱力? いいえ違います。ただの超魔王バールの憑代です   作:華洛

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第二話 七代目火影が愛したラーメン

 

 木ノ葉隠れの里の中心部から少し外れた場所にあるラーメン屋「一楽」は、昼時らしい活気に満ちていた。

 暖簾をくぐれば、まず鼻を打つのは濃厚なスープの香りだ。豚骨と醤油の混ざった深い匂いに、煮込まれた具材の甘みが重なる。湯気は絶えず立ちのぼり、店主の手際よい動きに合わせて、丼と箸の触れ合う小気味よい音が響く。客たちの話し声も、決して騒がしいわけではないのに、店の空気を確かに温めていた。

 

 その一角で、扇子ヤヨイは目の前の丼を見つめ、ひどく真剣な顔をしていた。

 チャーシュー増し。

 メンマ増し。

 味玉追加。

 ネギも多め。

 せっかく木ノ葉まで来たのだ。しかも相手は、あの七代目火影が愛したとまで言われる名店である。中途半端な注文をする方が失礼だろう――そんな理屈を自分の中で組み立てた結果、目の前にはなかなか豪勢な一杯が鎮座していた。

 

「ここが……七代目火影が愛用している伝説のラーメン……」

 

 思わず漏れた声は、半ば感嘆で、半ば畏敬だった。

 木ノ葉という里そのものに、ヤヨイは複雑な感情を抱いている。

 先祖を辿れば、自分たち“扇子”は、この里にいるうちはの分流だ。血の縁がまったくないわけではない。だが、今のヤヨイにとって木ノ葉は、あくまで話に聞く遠い土地でしかなかった。近しいようで遠く、無関係のようで無関係でもない。そういう曖昧な距離感の場所だ。

 けれど、その複雑さも、目の前の丼から立ちのぼる香りの前では少しだけ後ろへ退く。

 

「いただきます」

 

 箸を割り、麺を持ち上げる。

 湯気がふわりと顔を撫でた。ひと口啜った瞬間、ヤヨイの目が大きく見開かれる。

 

「……おいしい」

 

 それは飾り気のない、率直な感想だった。

 麺のコシはしっかりしていて、噛めば小麦の風味がほどける。スープは濃いのにくどくなく、舌の上に旨味だけを残して喉へ落ちていく。具材もまた丁寧で、主張しすぎず、それでいて一つひとつがきちんと役割を果たしていた。

 

「これが……これが七代目火影の愛した味……!」

 

 少し震える声でそう呟きながら、ヤヨイは夢中で麺を啜った。

 傭兵家業をしていれば、食事はどうしても実用本位になる。野営用の携行食、保存の利く干し肉、適当に腹を満たすだけの屋台飯。そういうものが悪いわけではないが、こうしてちゃんと美味しいものに出会う機会は決して多くない。だからこそ、今この瞬間の幸福は、思っていた以上に大きかった。

 今日は依頼帰りに木ノ葉の近くまで来ていた。どうせならと変装を整え、少しだけ里へ立ち寄ったのだが――来て正解だった、とヤヨイは心から思った。

 

「有名店って、やっぱりちゃんと有名になる理由があるんだなぁ……」

 

 しみじみと呟き、レンゲでスープを掬う。熱い。うまい。胃の腑に落ちていくたび、張っていた気まで少しずつ緩んでいく気がした。

 その時だった。

 

「お待たせしたッス」

 

 不意に、すぐ隣から落ち着いた声がした。

 ヤヨイはレンゲを持ったまま顔を上げる。

 いつの間に現れたのか、黒いプリニーがそこに立っていた。

 丸みを帯びた小さな身体。黒い皮。愛嬌のあるはずの外見。だが、その奥にあるものを知っているヤヨイにとって、その姿は決してただ可愛らしいだけのものではない。周囲の客たちは誰も気にした様子を見せていなかった。簡易の認識阻害でも使っているのだろう。相変わらず手際がいい。

 

「あ、おかえり」

「ただいま戻ったッス」

 

 黒いプリニーはいつも通りの無表情で、ヤヨイの隣に控えた。

 

「それで?」

 

「青プリニーたちは全員、幻術をかけて魔界へ帰還させたッス。これ以上、この世界で勝手に騒ぐことはないはずッス」

「そっか。ありがと」

 

 ヤヨイは素直に礼を言った。

 あの手の連中は、放っておけば余計なことしかしない。騒ぎを大きくする前に処理してくれる黒色プリニーの存在は、実際かなりありがたかった。

 

「ラハール側にこっちの情報は?」

「大きな進展はないはずッス。ただ、完全に安心はできないッス」

「だよねぇ」

 

 味玉を半分に割りながら、ヤヨイは小さく頷く。

 超魔王バールをその身に宿している以上、追手が本格的に動き出す可能性は常にある。今はまだ静かでも、それは嵐の前の一時に過ぎないのかもしれない。

 だが、そんな不穏な話をしているわりに、黒いプリニーの空気はどこか妙だった。

 

「……ん?」

 

 ヤヨイは箸を止めた。

 

「どうしたッスか」

「いや」

 

 じっと見上げる。

 相変わらず無表情。声も平坦。姿勢も変わらない。なのに、ほんのわずかに――本当にわずかにだが、空気が柔らかい気がした。

 

「なんだか、良いことでもあった?」

「……特に無かったッス」

 

 返答は即答だった。

 しかも声色も変わらない。

 だがヤヨイは、ますます怪しいと思った。

 この黒色プリニーは、何もない時はもっと無だ。今はそれよりほんの少しだけ、何かがある。

 

「ほんとに?」

「本当ッス」

「ふーん……」

 

 ヤヨイはじっと見つめる。

 黒いプリニーは微動だにしない。実に堂々としたものだ。

 けれど、追及しても答えない時は答えない。そういう相手だということも、ヤヨイはもう理解していた。

 

「……まあ、いいや」

 

 そう言って、再びラーメンへ意識を戻す。

 

「それより、せっかくだし何か食べる? 一楽のラーメン、美味しいよ」

「自分は結構ッス」

「遠慮しなくていいのに」

「プリニーの身で名店の味を堪能するのは、少々複雑ッス」

「なにそれ」

 

 思わず吹き出す。

 黒色プリニーは冗談を言っているつもりはないのだろうが、その真面目さが妙におかしかった。

 

「真面目だなあ、ほんと」

「ルールは守るべきッス」

「うん、知ってる」

 

 ヤヨイはくすくす笑いながら、スープを飲む。

 やはり美味しい。そして隣に立つ黒いプリニーは、やはりどこか少しだけ機嫌が良さそうに見えた。

 もっとも、その理由を本人が語ることはなかったけれど。

 ヤヨイが最後の麺を啜り終え、満足げに息を吐いた頃。

 黒いプリニーが、静かな声で続けた。

 

「それと、もうひとつ報告があるッス」

「ん?」

 

 レンゲを置きながら、ヤヨイは顔を上げる。

 黒いプリニーの声音はいつも通り平坦だったが、内容が軽いものではないことはなんとなくわかった。

 

「青プリニーたちから得た情報ッス。どうやら魔神エトナが、神樹の実に興味を持ったらしいッス」

「……嫌な予感しかしないんだけど」

 

 ヤヨイは早くも眉間を押さえた。

 黒いプリニーは淡々と続ける。

 

「神樹の実を食べればナイスバディになれる、という情報を掴んだようッス」

「誰だそんな嘘教えたの!?」

 

 思わず声が大きくなった。

 店の客が何人かこちらを見る。ヤヨイは慌てて咳払いし、少し声を落とした。

 

「いや、うん、待って。待って。最悪」

「誤情報である可能性は高いッス」

「高いっていうか、ほぼ確実に誤情報でしょ……」

 

 げんなりと肩を落とす。

 だが問題は、情報の真偽ではない。魔神エトナがそれを信じて動くかもしれない、という一点が致命的だった。

 

「……で?」

「神樹の実に関わる存在として、大筒木一族と敵対を始めた可能性があるッス」

「うわぁ……」

 

 今度こそ、心の底から嫌そうな声が漏れた。

 大筒木一族。

 この世界において、ほとんど災害そのものと呼んで差し支えない連中だ。そこへ魔神クラスがぶつかる。まともな結果になるはずがない。

 

「もし本当にやり合ったら、洒落にならないんだけど」

「その通りッス」

「洒落にならないどころか、最悪この星ごと吹き飛ぶでしょ……」

 

 ヤヨイは額を押さえたまま、深々とため息を吐いた。

 大筒木一族も十分に規格外だ。だが、魔神クラスもまた別方向にどうしようもなく規格外である。そんな連中が本気で衝突すれば、被害が大陸ひとつで済む保証などどこにもない。

 そして何より厄介なのは――

 

「……あんまり派手にやられると、あたしの中のも刺激されるかもしれないんだよね」

 

 ヤヨイは無意識に、自分の胸元へ手を当てた。

 その奥に潜む超魔王バール。

 普段は沈黙していても、強大な悪意や破壊の気配には敏感だ。もし魔神や大筒木が本格的に暴れれば、内にいる“あれ”が黙っているとは思えない。

 

「非常に好ましくない状況ッス」

「ほんとにね……」

 

 せっかく美味しいラーメンを食べて幸せな気分だったのに、一気に胃が重くなった気がした。

 店の賑わいは変わらない。湯気も、笑い声も、丼の触れ合う音もそのままだ。だがヤヨイの中では、さっきまでの穏やかな時間が、じわじわと別の色に塗り替えられていく。

 

「……よし、食べたし出よう。こういう時は早めに動いた方が――」

 

 ヤヨイが席を立とうとした、その瞬間だった。

 ぴたり、と。

 足が床に縫い付けられたように動かなくなる。

 

「……え?」

 

 違和感は一瞬遅れて理解に変わった。

 足元から伸びる影。それが店の外へ向かって細く長く繋がっている。

 

「影縛り……!?」

 

 ヤヨイの表情が強張る。

 黒いプリニーは驚いた様子もなく、静かに周囲へ視線を巡らせた。

 

「やっぱり来たッスか」

「やっぱりって、知ってたの!?」

 

 ヤヨイが小声で詰め寄る。

 黒いプリニーは淡々と答えた。

 

「七代目火影・うずまきナルトは、悪意を感知できるッス」

「……あ」

 

 その一言で、ヤヨイも察した。

 自分自身に強い悪意があるわけではない。

 だが、自分の内側にはいる。とびきり大きくて、濃くて、どうしようもなく禍々しい悪意の塊が。

 

「主人の中にいる存在は、悪意としては特大級ッス。危機感を抱いて忍を動かしても不思議ではないッス」

「うわぁ……最悪のタイミング……」

 

 ヤヨイは心底嫌そうに顔をしかめた。

 店の外にある気配は、一つや二つではない。

 しかも、ただ数が多いだけではなかった。息を潜める技量、間合いの取り方、気配の置き方。そのどれもが洗練されている。木ノ葉の精鋭が動いているのだと、嫌でもわかった。

 

 ここで大人しく捕まる、という選択肢はヤヨイの中にはなかった。

 木ノ葉が敵だとは思っていない。

 むしろ、木ノ葉そのものに悪意があるとは考えていない。だが、だからこそ厄介だった。事情聴取、身元確認、能力の追及。そうした手順のどこかで写輪眼に辿り着けば、扇子の存在が露見する可能性がある。

 最悪、情報が他里へ漏れる。

 そうなれば、扇子の隠れ里が探られ、写輪眼を狙う連中が群がるかもしれない。

 そんな未来は、絶対に認められなかった。

 

「……ごめん。あたしもここで捕まるわけにはいかない」

 

 小さく呟く。

 その目から、さっきまでの気の抜けた空気が消えた。

 暖簾の向こうで、複数の気配が一斉に動く。

 

「動くな!」

 

 低い声とともに、木ノ葉の忍が店内へ踏み込んでくる。

 先頭に立つ男の影が、ヤヨイの足元をさらに強く縫い止めた。

 

「里の近辺で確認された異常な悪意反応について、事情を聞かせてもらう」

「任意同行って感じじゃないね」

 

 男の視線が、ヤヨイの胸元へ向けられる。

 正確には、その奥に潜む“何か”へ。

 

「お前の中にいる“それ”は見過ごせない」

「……でしょうね」

 

 ヤヨイは否定しなかった。

 ここで誤魔化しても無駄だろう。木ノ葉の精鋭が動いている時点で、もう普通の傭兵では通らない。

 黒いプリニーが、静かに一歩前へ出る。

 

「主人」

「うん」

「どうするッスか」

「決まってる」

 

 ヤヨイは短く息を吐いた。

 

「逃げるよ」

「了解ッス」

 

 黒いプリニーの声は平坦だった。

 だが、その瞬間、店内の空気がわずかに揺らいだ。

 それは殺気ではない。

 術の気配とも少し違う。もっと根源的な、空間そのものが軋むような違和感だった。

 

「……あ」

 

 ヤヨイが目を細める。

 忍たちもまた異変に気づいたらしく、一斉に周囲を警戒した。

 空間が、歪む。

 店の中央、何もないはずの場所が渦を巻くようにねじれ、その中心から小さな影が現れた。

 灰色のプリニーだった。

 黒色のプリニーと同じく、愛嬌のあるはずの小さな身体。だが、その存在感は妙に重い。色の薄さとは裏腹に、そこに立つだけで場の空気が沈むような感覚があった。

 

「迎えに来たッス」

 

 低い声が、短く響く。

 

「灰プリ!」

「遅くなったッス」

 

 灰色プリニーはそれだけ言って、木ノ葉の忍たちへ視線を向けた。

 写輪眼が万華鏡写輪眼に変化して静かに回る。

 

「新手か!」

「警戒しろ!」

 

 忍たちが身構える。

 だが、灰色プリニーは攻撃しない。ただ淡々と告げた。

 

「主を返してもらうッス」

 

「させるか!」

 

 影がさらに伸びる。

 同時に、別の忍が苦無を構えて踏み込もうとする。

 その瞬間、灰色プリニーの周囲の空間が大きくねじれた。

 

「神威」

 

 短い一言だった。

 だが、その響きと同時に、空間そのものが渦を巻いて裂ける。

 ヤヨイと黒いプリニーを包み込むように、歪みが広がった。影縛りの拘束ごと、空間そのものを引き剥がして持っていくような、常識外れの力。

 

「っ――!?」

 

 ヤヨイは思わず目を見開いた。

 足元の拘束が消えるのではない。拘束されたまま、自分ごと別の場所へ持っていかれる。そんな感覚だった。

 

「待て!」

「消えるぞ!」

「時空間忍術か!?」

 

 木ノ葉の忍たちの声が飛ぶ。

 だがもう遅い。

 黒色プリニーが最後に一度だけ木ノ葉側を振り返る。

 その視線は静かで、どこか冷たかった。

 

「また厄介なことになったッスね」

「ほんとだよ!」

 

 ヤヨイが叫んだ次の瞬間、視界が完全に渦に呑まれる。

 店内から、三つの影が消えた。

 あとに残ったのは、空になった丼と、張り詰めた沈黙だけだった。

 ほんの数秒前まで、そこには昼の賑わいがあった。

 湯気が立ち、客が麺を啜り、店主が鍋を振っていた。だが今は、その日常の真ん中にだけ、不自然な空白が穿たれている。

 

「あれは写輪眼……しかも万華鏡だったぞ。なんでぬいぐるみに浮き出てるんだ」

「影縛りの拘束ごと持っていかれた……」

 

 忍たちがざわめく。

 影縛りを使っていた奈良一族の男も、険しい顔で足元を見下ろした。

 その時だった。

 

「――神威、だと」

 

 低く、驚きを押し殺した声が店の外から響いた。

 暖簾をくぐって現れたのは、はたけカカシだった。

 片目を細め、つい先ほどまで灰色プリニーがいた場所を見つめている。

 

「あ、六代目火影?」

「今の術を見たんですか」

「ああ」

 

 カカシは短く答えた。

 その表情は普段よりもずっと険しい。軽く目を細めているだけのように見えて、その実、視線の奥には明確な動揺があった。

 

「見間違えるはずがない」

「では、やはりあれは……」

 

 カカシはゆっくりと、だがはっきりと言った。

 

「神威だ」

 

 その場の空気が凍りつく。

 

「まさか」

「そんなはずは……」

 

 忍たちの動揺をよそに、カカシは黙って空間の残滓を見つめていた。

 

 神威。

 それは、カカシにとってあまりにも因縁の深い瞳術だ。見間違えるはずがない。

 だが、だからこそ理解が追いつかなかった。

 なぜ、あんな灰色のプリニーが。

 なぜ、あの瞳術を。

 

 カカシは無意識に、自分の左目の古傷へ触れた。

 そこにはもう写輪眼はない。だが、かつて確かに自分と共にあった力の感覚だけは、今も身体が覚えている。

 空間の歪み方。

 引き剥がすような吸引。

 あの独特の軋み。

 間違いようがなかった。

 

「……厄介なことになったね」

 

 その呟きは、誰に向けたものでもなかった。

 だが、その場にいた誰もが、ただならぬ事態だけは理解していた。

 

 

 

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