人柱力? いいえ違います。ただの超魔王バールの憑代です 作:華洛
神威の時空間は、何度身を置いても落ち着かない場所だった。
空も地も曖昧で、上下の感覚すら時折怪しくなる。
光はあるのに明るいとは言い難く、闇に沈んでいるわけでもないのに、どこか視界の端がぼやけて見える。距離感は狂い、音は妙に遠い。自分の足音すら、ほんの少し遅れて返ってくるような気がした。
世界そのものが、現実から半歩ずれた場所にある。
そんな印象の空間だった。
その不安定な足場の上に降り立った瞬間、ヤヨイはようやく大きく息を吐いた。
「……助かったぁ……」
緊張が切れた途端、全身から力が抜ける。
一楽でラーメンを食べていただけのはずなのに、どうしてこうなったのか。いや、理由はわかっている。自分の中にいる“あれ”のせいだ。わかってはいるのだが、納得したいかと言われると別の話だった。
少し離れた場所で、黒いプリニーが静かに周囲を見ている。
灰色のプリニーは、神威の発動を終えたばかりだからか、わずかに俯いたまま動かなかった。
「灰プリ、大丈夫?」
「問題ないッス」
返ってきた声は低く、短い。
だがヤヨイには、完全に平気というわけではないことがなんとなくわかった。灰色プリニーはもともと多弁ではないが、神威を使った直後はさらに言葉数が減る。負担がないはずがないのだ。
「無理してない?」
「してないッス」
「その言い方、ちょっと怪しいんだけど」
「本当に問題ないッス」
灰色プリニーはそう言って顔を上げた。
その両目の奥に宿る万華鏡写輪眼は、今はもう通常の写輪眼に戻っていた。。
黒いプリニーが淡々と口を開く。
「木ノ葉側は、しばらく警戒を強めるはずだッス」
「だよねぇ……」
ヤヨイは肩を落とした。
一楽での一件は、どう考えても穏便には済まない。
木ノ葉の忍に顔を見られた。黒いプリニーも灰色プリニーも露見した。しかも灰色プリニーは神威まで使っている。あれで「はい、何事もありませんでした」となるほど、忍の里は甘くない。
「下手をすると、指名手配くらいはされるかもしれないッス」
「うわ、言わないで。ちょっと本気でへこむ」
「可能性の話ッス」
「可能性でもへこむものはへこむんだよ……」
ヤヨイはその場にしゃがみ込みたくなる衝動をどうにか堪えた。
木ノ葉を敵に回したいわけではない。むしろ、できることなら穏便に済ませたかった。だが、現実はそう都合よくは運ばない。
しばらくは木ノ葉隠れの里に近づけない。
その事実が、じわじわと実感を伴って胸に落ちてくる。
「……しばらく、木ノ葉には来られなさそうだなぁ」
「そうッスね」
「そうなるッス」
黒と灰、二体のプリニーがそれぞれ短く答える。
どちらも事実を述べているだけだ。慰めるつもりも、必要以上に突き放すつもりもない。ただ現実をそのまま口にしている。
ヤヨイは膝を抱えるようにして、その場に座り込んだ。
「木ノ葉で、やっておきたいことあったんだけどなぁ……」
「やっておきたいこと、ッスか」
黒いプリニーが問う。
灰色プリニーもまた、黙ったままヤヨイへ視線を向けた。
ヤヨイは少しだけ口ごもった。
言うべきかどうか、一瞬だけ迷う。迷ったが、ここで黙っていても仕方がない気もした。
「……ある」
「何ッスか」
「言うと、たぶんちょっと引かれる」
「内容によるッス」
「今さら大抵のことでは驚かないッス」
灰色プリニーの返答は静かだった。
その言い方が妙に真面目で、ヤヨイはかえって言いづらくなる。
「いや、でも……」
「主がそこまで躊躇うのも珍しいッス」
「余計言いづらくなったんだけど!?」
思わず声を上げてから、ヤヨイは観念したように息を吐いた。
「……サラダちゃんに、お姉ちゃんって呼んで貰いたかった」
「……」
「……」
神威空間に、妙な沈黙が落ちた。
音が遠く、空気の輪郭すら曖昧なこの場所で、その沈黙だけがやけにはっきりと存在感を持つ。
黒いプリニーは何も言わない。灰色プリニーもまた、何も言わない。
そして、その少し後方――奇妙な岩のような足場の上で待機していた小柄な影が、ぴくりと反応した。
「それならデスコにお任せくださいデス!」
元気のいい声が響く。
ヤヨイはゆっくりとそちらを振り向いた。
そこには、以前から神威空間で待機していたデスコMSF(マイティストライクフリーダム)が、いつの間にか身を乗り出していた。
小柄な少女型の体躯。
どこか愛嬌のある顔立ち。
だが、その背後にはタコの脚のような複数の触手状ユニットが広がっており、可愛らしさと不穏さが絶妙に同居している。
目立つ。
とにかく目立つ。
だからこそ、木ノ葉のような忍の里へ連れていくわけにはいかず、こうして神威空間で待機させていたのだ。
「デスコMSF、聞いてたの?」
「もちろんデス! デスコは空気を読むラスボス候補……じゃなくて、裏ボス候補デスから!」
「そこ微妙に言い直したよね」
「細かいことは気にしちゃダメデス。スケールが小さくなるデス」
胸を張って言い切る。
相変わらず、勢いだけはすごい。
「ですが朗報デス! 今のままでは黒プリニーさんも灰プリニーさんもプリニーなので、どうしても目立つデス。ですがデスコには、裏ボス的で、最終兵器的で、ついでにちょっと生体実験的な超便利機能があるデス!」
「最後のが怖い」
「怖くないデス。たぶん」
「たぶんって言った!」
デスコMSFは気にした様子もなく、背後の触手をゆらりと持ち上げた。
「デスコの触手には、デスコ細胞がたっぷり詰まってるデス。これは愛とロマンとラスボス的執念と、あとよくわからないすごい成分でできてる万能細胞デス!」
「説明が雑!」
「雑じゃないデス。大雑把なだけデス」
「それを雑って言うんだよ!?」
ヤヨイのツッコミを受け流し、デスコMSFは得意げに続ける。
「このデスコ細胞を使えば、プリニーの中身情報をもとに、生前の姿っぽい肉体を瞬間培養できるデス! いわば臨時ボディ! お試し版! 期間限定サービスデス!」
「サービス感覚でやることじゃないよね!?」
「しかも今回は特別仕様デス!」
デスコMSFはびしっと指を立てた。
「完全再現じゃなくて、プリニー成分を適度に残した親切設計デス! 人型になっても、頭にはちゃんとプリニー帽が残るデス!」
「なんでそこだけ残すの!?」
「アイデンティティの保持は大事デス!」
「そこ保持しなくてよくない!?」
「よくないデス! 完全に人間にしちゃうと、なんだか負けた気がするデス!」
「何に!?」
「あと、見た目がかわいいデス!」
「最後の理由が一番強そうなんだけど!?」
黒いプリニーが静かに問う。
「持続時間は?」
「簡易培養なので、一時間くらいデス」
「短いッスね」
「でも一時間あれば、攫ってくるには十分デス!」
ヤヨイは即座に言った。
「攫ってきちゃダメだよ」
「?」
「なんで疑問形なの」
「地上の常識は魔界の非常識。魔界の常識は地上の非常識デス」
「善悪も逆転してるのは知ってたけど、常識まで逆転してるの!?」
悲鳴じみたツッコミが、曖昧な空間に響く。
だが、黒いプリニーと灰色プリニーは、すでに別のことを考えているようだった。
人間体を得られるなら、行動の幅は確かに広がる。プリニー姿のままでは、どうしても隠密行動に限界がある。
ヤヨイもそれは理解していた。
理解していたが、方法が最悪なだけで。
「……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫デス! たぶん人格は混ざらないデスし、たぶん変な副作用もないデスし、たぶん触手も増えないデス!」
「不安要素しかないよ!?」
「でも帽子は増えないデス」
「そこは増えないんだ!?」
「プリニー帽は一人一帽が基本デス。節度は大事デス」
「変なところだけ常識的!」
デスコMSFは、もはや止める間もなく触手を伸ばした。
「では、れっつ瞬間培養デス!」
複数の触手がしなやかに伸び、黒いプリニーと灰色プリニーを包み込む。
飲み込む、というよりは、柔らかな肉の繭に閉じ込めるような動きだった。神威空間の曖昧な光の中で、その輪郭がぐにゃりと歪む。
「ちょっ――」
「大丈夫デス! たぶん!」
触手の内側で、魔力が脈打つ気配がした。
再構成。培養。仮固定。そんな言葉で説明できるのかも怪しい、魔界じみた無茶苦茶な力の流れが、そこにはあった。
数秒。
あるいは十数秒。
時間感覚の曖昧な場所では、その短い間すら妙に長く感じられた。
やがて、触手が大きく震える。
「はい、できましたデス!」
軽い声とともに、触手が二つの影を吐き出した。
どさり、と足場に落ちたのは、もうプリニーではなかった。
「……え」
ヤヨイは思わず息を呑む。
そこにいたのは、二人の男だった。
一人は、黒髪の青年。
長めの前髪が頬にかかり、その下にある顔立ちは驚くほど整っている。だが、その美しさは柔らかさとは無縁だった。病的なまでに白い肌。細い輪郭。静かに伏せられた睫毛の奥に潜む、赤い双眸。写輪眼の赤が、血のように鮮やかだった。
暁の装束こそ纏っていないが、その立ち姿には、あの男特有の静かな張り詰め方がある。無駄がなく、隙がなく、そしてどこか壊れそうなほどに繊細だ。
――ただし、その頭にはしっかりとプリニー帽が乗っていた。
黒い布地に、丸い目。
あまりにも見慣れた、あのプリニーの帽子である。
静謐さも鋭さも損なってはいないはずなのに、深刻さだけが妙な方向から揺さぶられる。似合っていないわけではない。だが、似合ってしまっているのが余計に困る。
もう一人は、より重い。
短く切られた髪。顔の右半分を走る古い傷痕。片目だけがこちらを見返し、もう片方にはかつての喪失を思わせる深い影がある。身体つきは黒いプリニーよりも大きく、立っているだけで圧があった。だが、その圧は威圧というより、沈殿した痛みのようなものに近い。
若いはずなのに、背負っているものだけが妙に古い。
その姿には、仮面の下に隠されていたはずの“うちは灰色プリニー”という名が、否応なく滲んでいた。
そしてこちらもまた、例外ではなかった。
頭の上には、やはりプリニー帽。
重苦しい空気と、あまりにも愛嬌のある帽子が、ひどく噛み合っていない。噛み合っていないのに、なぜか成立してしまっているのが余計に困る。
ヤヨイはしばらく言葉を失ってから、ようやく絞り出した。
「……なんで帽子だけ残ってるの」
デスコMSFが胸を張る。
「プリニーアイデンティティの保持は大事デス!」
「そこ保持しなくてよくない!?」
「よくないデス! 完全に人間にしちゃうと、なんか負けた気がするデス!」
「だから何に!?」
黒いプリニーは、自分の手を見下ろしていた。
細く長い指をゆっくりと開き、閉じる。呼吸を確かめるように胸元へ手を当てる。その仕草は静かで、だが確かな驚きがあった。
そして、わずかに視線を上げ、自分の頭上にある帽子の感触を意識したのか、ほんの一瞬だけ沈黙する。
「……これは」
低い声。
プリニーの時とは比べものにならないほど自然で、そしてよく通る。
「驚いたデスか?」
「ああッス」
短い返答だった。
だが、その一言だけで十分だった。
灰色プリニーは、しばらく何も言わなかった。
ただ、自分の身体を見下ろし、片手をゆっくりと持ち上げる。指先を見つめるその目には、戸惑いと、わずかな警戒と、もっと別の何かが混じっていた。
失われたはずのもの。戻らないはずのもの。そうした感覚を、身体が勝手に探しているようにも見えた。
だがやがて、彼もまた頭上の違和感に気づいたらしく、眉間にわずかな皺を寄せる。
「……本当に、戻したのかッス」
低く落ちた声は、神威空間の曖昧な空気に沈むようだった。
「簡易版デスけど、かなり頑張ったデス! 帽子つきの親切設計デス!」
「親切かなぁ、それ……」
ヤヨイは呆れ半分で呟いたが、視線は二人から離せなかった。
プリニーの外殻に包まれていた時には、どこか緩和されていたものがある。
黒いプリニーの静けさは、人の姿を得たことでより鋭くなった。
灰色プリニーの沈黙は、人の姿を得たことでより重くなった。
そのうえで、頭にはプリニー帽が乗っている。
そこにいるだけで、空気が変わる。
それなのに、どこか一歩だけ深刻さを外される。
誤魔化しようのない重さと、どうしようもない珍妙さが、奇妙な均衡で同居していた。
デスコMSFが得意げに胸を張る。
「デスコ細胞を使った瞬間培養したものデス。簡易なので一時間ぐらいしか持たないデスけど、一時間あれば攫ってくるのは問題ないデス!」
「だから攫ってきちゃダメだってば!」
「むぅ……では、友好的に確保デス?」
「言い換えてもダメ!」
「保護観察つきお姉ちゃん化計画デス?」
「もっとダメ!」
ヤヨイのツッコミに、黒いプリニーがほんのわずかに目を細めた。
笑ったわけではない。だが、空気が少しだけ和らいだ気がした。
やがて灰色プリニーは静かに言う。
「……少なくとも、行動の自由度は上がる」
「ああ」
灰色プリニーも低く応じた。
「この姿なら、木ノ葉の中でもまだ誤魔化しが利く」
「えっ」
ヤヨイはそこで顔を上げた。
「木ノ葉に行く気?」
「主は行かない方がいいッス」
「指名手配の可能性が高いッス」
黒いプリニーと灰色プリニーが、ほとんど間を置かずに言った。
「うっ」
「主が出れば、余計に話がこじれる」
「それは……そうだけど」
「だから、主はここで待機ッス」
黒いプリニーの言葉は静かだったが、妙に有無を言わせない響きがあった。
灰色プリニーも続ける。
「俺たちとデスコMSFで戻る」
「デスコも行くデス! 裏ボス的潜入任務デス!」
「いや、デスコMSFが一番不安なんだけど」
「失礼デス。デスコは空気を読める子デス」
「さっき攫う気満々だったよね?」
「それはそれ、これはこれデス」
まるで答えになっていない。
ヤヨイは頭を抱えたくなった。
だが、理屈はわかる。自分が木ノ葉へ戻れば、状況は悪化する可能性が高い。今の木ノ葉にとって、自分は“中に得体の知れない悪意を抱えた不審人物”だ。そこへ再び姿を見せれば、対話の余地すら狭まるかもしれない。
「……でも」
「主」
黒いプリニーが静かに呼ぶ。
その赤い目が、まっすぐヤヨイを見ていた。頭の上にはプリニー帽があるのに、その視線だけは少しも揺るがない。
「サラダと関係を築きたいなら、なおさら今は慎重に動くべきッス」
「……」
「最初の一手を間違えれば、取り返しがつかないッス」
その言葉は、妙に重かった。
ヤヨイは反論できない。
灰色プリニーも低く言う。
「お姉ちゃんと呼ばれたい願望自体は否定しない」
「灰プリ……」
「でも、攫うのは論外だ」
「うん、それはほんとにそう」
「なので、俺たちが様子を見る」
デスコMSFが元気よく手を挙げる。
「デスコもいるので安心デス!」
「その安心材料が一番不安なんだよなぁ……」
「ひどいデス!」
ひどいと言いつつ、あまり傷ついた様子はない。
むしろ、任務を与えられたことが嬉しそうですらある。
ヤヨイはしばらく黙り込み、それから深く息を吐いた。
「……わかった。あたしは留守番する」
「賢明ッス」
「そうするべきッス」
「デスコたちに任せるデス!」
三者三様の返答が返る。
ヤヨイは立ち上がり、改めて三人を見た。
デスコMSFは相変わらず触手をわさわささせている。
黒いプリニーは静かに立ち、余計な動きを一切見せない。頭の上のプリニー帽だけが、妙に場違いだった。
灰色プリニーは少しだけ視線を落としたまま、それでも確かな意志を纏っていた。こちらもまた、重い空気とプリニー帽がひどく噛み合っていない。
奇妙な組み合わせだ。
頼もしいのか不安なのか、正直かなり判断に困る。
だが、少なくとも今の自分よりは、木ノ葉へ戻るのに向いている。
「絶対に攫ってこないでよ」
「善処するデス!」
「善処じゃなくて確約して!?」
「攫わないッス」
「必要以上の接触もしないッス」
「二人の方を信じるね……」
ヤヨイがそう言うと、デスコMSFは不満げに頬を膨らませた。
「デスコだって信頼できる子デス」
「信頼できる子は“攫う”を選択肢に入れないんだよ」
「魔界基準ではわりと普通デス」
「その基準を木ノ葉に持ち込まないで!」
最後のツッコミが響いた直後、灰色プリニーの片目が静かに細められる。
万華鏡写輪眼。
その文様が、ゆっくりと回転を始めた。
空間が軋む。
神威の時空間そのものが、さらに別の歪みを生み出していく。曖昧な世界の中に、もうひとつの出口が穿たれようとしていた。
「行くッス」
「ああ」
「裏ボス的潜入開始デス!」
デスコMSFが元気よく宣言する。
黒いプリニーは静かに頷き、灰色プリニーは何も言わずに神威を維持する。
渦巻く空間の縁が、木ノ葉へと繋がっていく。
ヤヨイはその光景を見つめながら、小さく手を振った。
「……ほんとに、変なことしないでよ」
「努力はするデス!」
「だからその言い方!」
「行ってくるッス」
「待ってるッス」
次の瞬間、三つの影が渦の中へ消えた。
あとに残されたのは、再び静けさを取り戻した神威空間と、ぽつんと一人になったヤヨイだけだった。
もともと音の少ない場所ではある。
だが、ついさっきまで誰かがいた気配が消えると、その静けさは余計に広く感じられた。
「……行っちゃった」
ぽつりと呟く。
自分で留守番すると決めたのだ。
判断としては間違っていない。今の木ノ葉に自分が顔を出せば、話がこじれる可能性の方が高い。中に抱えているものの危険性を思えば、なおさらだ。
それでも、取り残されたような気分になるのは仕方がなかった。
「いや、うん。わかってる。わかってるんだけどさぁ……」
ヤヨイはその場にぺたりと座り込んだ。
神威の時空間は不思議な場所だ。落ち着かないのに、完全に落ち着けないわけでもない。現実感が薄いせいか、ひとりでいると考えごとばかりが深くなる。
しばらくぼんやりしてから、ヤヨイは懐に手を入れた。
そこから取り出したのは、小さな写真だった。
木ノ葉で、こっそり。
誰にも気づかれないように。
半ば反射的に、半ば本能的に、つい隠し撮りしてしまった一枚。
そこに写っているのは、うちはサラダだった。
少し気の強そうな目元。
けれど真っ直ぐで、芯の強さがある。
眼鏡越しでもわかる聡明さと、年相応の少女らしさが同居している。
ヤヨイはその写真を、妙に大事そうに両手で持った。
「……重いかなぁ」
自分で呟いて、自分で少しへこんだ。
「いや、重いよね。初対面でお姉ちゃん呼び期待してるうえに、隠し撮り写真まで持ってるの、だいぶ重いよね……」
膝を抱え、写真を見下ろす。
でも、とも思う。
扇子の里には、そういう相手が本当にいなかった。年下の子。気軽に一緒に出かけられる相手。血の近さを意識しすぎずに、ただ姉妹みたいに笑い合える誰か。
そんなものを欲しがるのは、そんなにおかしいことだろうか。
「……まあ、攫うのは駄目だけど」
そこだけは真顔で呟いた。
デスコMSFに任せると、たまに話が一足飛びに最悪の方向へ行く。
黒いプリニーと灰色プリニーがついているから大丈夫だとは思いたい。思いたいのだが、相手が相手なので不安が消えない。
「黒プリは止めてくれるよね。たぶん」
少し考える。
「灰プリも、たぶん止める」
さらに少し考える。
「……デスコMSFは止まらない」
結論だった。
ヤヨイは深々とため息を吐き、それから写真を胸元に引き寄せた。
この空間では、見上げた先が空なのか天井なのかもよくわからない。ただ、ぼんやりとした光が広がっているだけだ。
「帰ってきたら、絶対ちゃんと報告してもらお……」
そう呟いてから、ふと胸元に手を当てる。
内側にいる“あれ”は、今のところ静かだった。
木ノ葉で感じたざわつきも、ここでは少し遠い。神威の時空間そのものが、外界から切り離された檻のような役割を果たしているのかもしれない。
「……静かだね」
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。
ただ少なくとも今は、この静けさに助けられている気がした。
ヤヨイは写真を見つめる。
そこに写るサラダは、当然ながら何も答えない。
それでもヤヨイは、少しだけ笑った。
「サラダちゃん」
小さく名前を呼ぶ。
「いつか、ちゃんと仲良くなれたらいいな」
少しだけ間を置いてから、照れくさそうに続ける。
「できれば、その時は……お姉ちゃんって呼んでくれると、嬉しい」
神威の時空間の曖昧さの中で、その願いだけは不思議とはっきりした形を保っていた。
押すな、押すなと言われたら押してしまう業。