人柱力? いいえ違います。ただの超魔王バールの憑代です 作:華洛
火影室には、夕方特有の静けさがあった。
昼の喧騒が少しずつ遠のき、里全体が夜へ向かって呼吸を整え始める時間だ。
窓の外では、西へ傾いた陽が建物の輪郭を赤く染めている。
机の上には書類が積まれ、壁際の棚には任務報告書や各里との連絡文書が整然と並んでいた。
いつも通りの火影室。
少なくとも、ついさっきまではそうだった。
ナルトは机の上の一枚の書類へ視線を落としていた。
向かいにはシカマルが立ち、腕を組んだまま難しい顔をしている。
「扇子ヤヨイ、か」
ナルトが書類の名前を読み上げる。
シカマルが短く頷いた。
「ああ。木ノ葉に入る時の身分確認で、名前と職業は記録されてる」
「傭兵、ってやつだな」
「そういうことだ」
シカマルは机の端に置かれた別の資料へ目をやった。
第四次忍界大戦のあと、どこの里も慢性的な人手不足を抱えていた。
戦争は終わった。だが、終わったからといって失われた人材がすぐ戻るわけではない。
忍は育成に時間がかかる。
経験を積んだ者ほど貴重で、代わりは簡単に利かない。
木ノ葉も例外ではなかった。
任務の量に対して、回せる忍の数が足りない。
そういう状況の中で、里に属さず依頼を受けて渡り歩く忍や侍――傭兵の存在は、良くも悪くも無視できないものになっていた。
「木ノ葉も何度か依頼を出してる」
「そうみてーだな」
ナルトは書類をめくる。
そこには簡潔な記録が並んでいた。
名前は扇子ヤヨイ。
職業は傭兵。
特記事項として。
実力は上忍相当。
単独行動を好む。誰とも組みたがらない。
珍妙な生物を連れている。
最後の一文で、ナルトの眉がぴくりと動いた。
「……珍妙な生物って、ずいぶんざっくりしてんな」
「現場の報告がそうなってるんだから仕方ねえだろ。めんどくせえが、逆に言えばそれだけ説明しづらかったってことだ」
「あのペンギンに似た生物のことか?」
「たぶんな」
シカマルは深く息を吐いた。
「問題は、そこじゃねえ」
「わかってる」
ナルトの声は低かった。
昼間、一楽で起きた騒ぎ。
写輪眼。
神威。
そして、ヤヨイの中にあるらしい得体の知れない何か。
記録上はただの傭兵でも、実態はまるで違う。
少なくとも、木ノ葉がこれまで把握していた範囲を大きく超えている。
「誰とも組みたがらない、ってのも今となっちゃ意味深だな」
「単独行動が好きなだけならまだいい。だが、何かを隠すために距離を取ってた可能性もある」
「珍妙な生物も、“変わった連れ”で済ませていい話じゃなかったってことか」
「そういうことだ」
シカマルは窓の外へ目を向けた。
夕暮れはさらに深まり、空の赤は紫へ溶け始めている。
里の灯りも、ぽつぽつと点き始めていた。
「めんどくせえ話だ」
「ほんとにな」
ナルトもまた、窓の外を見る。
木ノ葉は一見いつも通りだった。
人がいて、灯りがあって、生活の音がある。
だが、その穏やかさの下で、何かが確実にずれてきている。
そんな感覚が、胸の奥に重く沈んでいた。
その時だった。
「――っ!?」
ナルトの目が見開かれる。
窓の外、里の一角。
夕闇の中に、赤黒紫の光がいくつも浮かび上がった。
「何だ、あれは……!」
シカマルも即座に窓際へ寄る。
空中に浮かぶ、十を超える禍々しい球体。
回転し、圧縮され、今にも解き放たれそうな不穏な力の塊。
螺旋丸に似ている。だが、似ているだけだ。
あれはもっと異質で、もっと不吉だった。
「まずい――」
シカマルが言い切るより早く、今度は別の巨影が立ち上がった。
赤い、半身の武神。
骨が軋むような音を立てながら形を成したそれは、見間違えようもない。
「須佐能乎……!」
ナルトの声が低くなる。
次の瞬間、須佐能乎の腕が振るわれた。
その手に握られた霊剣が閃き、十を超える魔王玉を次々と串刺しにしていく。
爆発は起きない。
ただ、危険そのものが封じられ、消えていく。
その光景は、異様というほかなかった。
「ただ事じゃねえぞ」
「ああ」
ナルトは即座に印を結ぶ。
白煙が弾け、影分身が一体現れた。
「ここは任せるってばよ」
「了解だ」
影分身が火影の机の前へ立つ。
ナルト本人は、もう窓際へ駆けていた。
「シカマル、現場の周辺封鎖と情報整理を頼む!」
「言われなくてもやる。お前は行け!」
次の瞬間、ナルトの全身を九尾のチャクラが包み込んだ。
黄金の光が火影室を一瞬だけ照らし、空気が震える。
九尾チャクラモード。
そのままナルトは窓から飛び出した。
屋根を蹴る。
空気を裂く。
里の景色が一瞬で後方へ流れていく。
夕暮れの木ノ葉を、黄金の閃光が一直線に駆け抜けた。
現場はすぐに見えた。
人払いが間に合っていないのか、周囲にはまだざわめきが残っている。
だが、その中心だけが不自然なほど重く沈んでいた。
ナルトが着地する。
石畳が小さく軋んだ。
そこにいたのは、ボルトとミツキ、そしてカカシだった。
ボルトは悔しそうに拳を握りしめている。
今にも地面を殴りそうなほど強く、指先が白くなるほど力が入っていた。
ミツキは静かに立っていたが、その目は細く、普段よりもずっと鋭い。
そしてカカシは、空間の歪みが消えた一点を見つめたまま、動かない。
「カカシ先生!」
ナルトが声をかける。
カカシがゆっくりと振り向いた。
その表情は、普段の気の抜けたものではなかった。
驚きと警戒と、そして整理しきれない何かが混ざっている。
「ナルト」
「何があったってばよ」
問いは短かった。
だが、その声には火影としての重みがあった。
カカシは一拍だけ沈黙し、それから低く答える。
「……オビトとイタチがいた」
ナルトの目が細まる。
「は?」
「しかも、穢土転生じゃない」
その一言で、空気がさらに重くなった。
ボルトが悔しそうに顔を上げる。
「本当なんだってばさ! サラダが……サラダが連れてかれた!」
ナルトの視線がボルトへ向く。
その顔に浮かぶ焦りと怒りは、本物だった。
ミツキも静かに続ける。
「僕たちの前で、空間を歪めて消えた。時空間忍術だと思います」
ナルトはカカシへ視線を戻す。
カカシは頷いた。
「オビトだった。少なくとも、俺の知ってるオビトの万華鏡写輪眼と神威だった」
「……」
「イタチもいた。須佐能乎を出して、あの妙な球体を封じた」
ナルトの脳裏に、さっき火影室の窓から見えた光景がよぎる。
十を超える禍々しい球体。
それを串刺しにして封じた須佐能乎。
あれは見間違いではなかった。
「サラダは?」
「攫われた」
カカシの返答は短かった。
だが、その短さがかえって事態の深刻さを際立たせる。
「オビトがサラダを掴んで、神威で転移した。そのあと一度戻ってきて、イタチと……もう一人、妙な奴を回収して撤収した」
「妙な奴?」
「説明しづらい」
カカシは珍しく、そう言って眉を寄せた。
「小柄な少女みたいな姿だったが、途中で別の姿に変わった。チャクラとは違う、もっと別の力を使っていた」
「……ヤヨイの連れか」
「たぶんね」
ナルトは周囲へ感覚を広げる。
九尾のチャクラがざわめく。
だが、もう遅い。
ここには残滓しかない。
空間の歪みも、異質な力の気配も、すでに薄れている。
「カカシ先生。何か手はないか」
「簡単じゃないね。神威の時空間は神威だけのもの」
「……」
「それに穢土転生じゃない。生きてるとも言い切れない。イタチの身体は須佐能乎を出したあと、身体がぼろぼろと崩れ始めていた」
ナルトは黙り込んだ。
オビト。
イタチ。
どちらも死んだはずの人間だ。
それが穢土転生でもなく現れ、サラダを攫った。
しかも、その背後にはヤヨイと、あの珍妙な生物たちがいる。
「父ちゃん……」
ボルトの声が、少しだけ震えていた。
「サラダ、取り返せるよな」
ナルトは息子を見る。
悔しさと焦りと不安を、まっすぐに顔へ出している。
ミツキもまた、何も言わずにナルトを見ていた。
答えを待っている。
火影としての答えを。
ナルトはゆっくりと息を吸った。
「当然だってばよ」
短く、はっきりと言う。
「絶対に取り返す」
その声に迷いはなかった。
だが同時に、簡単な話ではないこともわかっている。
相手は神威を使う。
しかもオビトとイタチ。
そこへヤヨイと、得体の知れない異質な力まで絡んでいる。
木ノ葉の中だけで完結する事件では、もうないのかもしれない。
カカシが低く言う。
「ナルト。これはかなりまずいね」
「ああ」
「サラダの件だけじゃない。死んだ者が、理屈の外から戻ってきてる」
「わかってる」
ナルトの視線が、夕闇の空へ向く。
空はもう、ほとんど夜の色だった。
里の灯りが増え、見た目だけなら木ノ葉はいつも通りの夜へ向かっている。
だが、その穏やかさの下で、確実に何かがおかしくなっていた。
サラダが攫われた。
オビトとイタチが現れた。
ヤヨイという傭兵の記録は、もはや表面しか示していない。
火影として、父として、そしてこの里を守る者として。
ナルトは今、自分の前に開き始めた厄介事の深さを、はっきりと感じていた。
「まずは火影室に戻る」
ナルトが言う。
「シカマルと情報をまとめる。カカシ先生、見たこと全部話してくれ」
「了解」
「ボルト、ミツキ」
二人が顔を上げる。
「お前らも来い。見たこと、感じたこと、全部必要になる」
「……うん」
「わかった」
ボルトはまだ悔しさを握りしめたままだった。
ミツキの目も、静かなまま鋭い。
サラダがいない。
その事実だけで、場の空気はひどく欠けていた。
ナルトは最後にもう一度、空間の歪みが消えたであろう場所を見た。
そこにはもう何もない。
夜が来る。
木ノ葉の一日は、いつも通り終わるように見える。
けれど今夜から先は、たぶんもう、いつも通りでは済みそうにない。